3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

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(3)ヘリ視察の問題

(3)菅総理ヘリ視察の問題
3.11の震災発生当初、週刊誌やTVワイドショー等で菅総理の対応に逐一非難が浴びせられたことは記憶に新しい。たとえば菅さんは震災翌日(3月12日)の早朝、自衛隊ヘリに乗って上空から被害の状況を視察に行っている。このときカメラマン付き添いでカメラを回しながら視察の状況を記録していた。この行動が後日、なぜか非難の対象となったのである。誰が口火を切ったのか分らないがTBSの情報7デイズという報道番組(?)で、タレントのビートたけし(北野武)が次のようなことを口走っていたのを覚えている。

「だいたいだね、菅さんはカメラマンを同行させてさ。何がしたかったんだろうって思うよね。あれってさ、要するにスタンドプレーでさ・・・」

このたけしの発言に触発されたのかどうかしらないが、後日、似たような非難が次々と沸き起こってくる。小泉総理の秘書官として名を馳せた飯島勲氏がブログにも次のようなことが書かれている。

3月11日、この日ほど、自分が官邸にいたらと悔しい思いをしたことはない。マグニチュード9.0で東日本を襲った大震災。発生から日を追うごとに犠牲者の数が増えている。(西暦)869年に同地域で発生した「貞観地震」(マグニチュード8.3)以来、1000年に一度といわれる自然災害は、史上まれにみる無能な政府が引き起こす二次災害によって、さらに被害が拡大している。「政治休戦」もあって、無意味なパフォーマンスに走る総理大臣を止める人もいない。最悪の事態が最悪の政権で起きてしまった。 (中略) 地震発生翌日の12日早朝、菅総理は突然現場を視察したいと言い出して、自衛隊のヘリを使って、福島第一原発に出かけた。ちょうど、1号機、3号機の問題が判明した後で、現場は対応に追われていたが、突然の視察により、責任者が総理に応対しなければならなくなった。その後の原発の状況の悪化とは直接の因果関係はわからない。しかし、東京電力側は後に会見で「もう少し早く蒸気を抜いていたら」「もう少し早く注水を始めていたら」と語っている。後に起きた原発事故に鑑みても、現場の作業を中断させた菅総理の責任は、万死に値する。

飯島氏は「因果関係は分からない」としながらも、菅総理のヘリ視察がベントの作業を遅らせた原因ではないかという先入観をもって、これこそが「万死に値する」菅総理の大罪だと決めつけているわけだ。この非難は論理的にはおかしな非難である。因果関係が分からないのに、あたかも因果関係があると決めつけて「万死に値する」という結論に飛躍させているのである。もしもヘリ視察とベントの遅れの因果関係がはっきりしていれば確かに飯島氏の非難は正しかったということになるだろうが、そうでもなければ、これはただの言いがかりにすぎない。ことによると、飯島氏は菅総理が自らのパフォーマンスを優先したということに噛みついているだけのことかもしれないが、それにしても、なぜ菅総理のヘリ視察がパフォーマンスであるという単純な結論になるのであろうか?飯島氏というと、それこそ小泉時代に総理としてのパフォーマンスを影で演出していた名演出家である。タレントのビートたけしにしてもそうであるが、当代一流の役者(演出家)でもある彼らの眼には権力者の行動というのはすべて演技にみえてしまうのであろうか?

もちろん人間の行動には必ず裏があり、その行動がどんなに利他的にみえようとも、なんらかの打算や計算が働いていることは当然のことである。ましてや政治権力者であればなおさらのことであろう。殊にこの震災によってはっきりしたことは、政治家の行動というのは100のうち90以上は打算からでているということである。もしそうではないという人がいれば、逆にその証拠を教えてほしいと私は思う。彼らにわざわざ指摘されなくとも大部分の国民は政治家の行動というものを純粋であるとは信じていない。むしろ国民はそのことを十分に分かったうえで政治家の行動の良し悪しをみているのではなかろうか。でなければパフォーマンスの達人であった小泉総理があれほど人気を集めることもなかったであろう。田中角栄のときもそうであるが、国民に人気のある総理というのは誠実な人柄ではなく、むしろハッタリで演技をするほど役者っぽい総理が受けるのである。そのような基準に照らせば、菅総理は役者としては二流かもしれないが、その分、人柄の誠実さという点では評価できる人物ではないかと思う。私自身の菅総理に対する評価は別の章で詳しく述べるつもりであるが、菅総理はある意味で日本の政治家にいままでなかったタイプであるということは確かである。彼の行動は100%「純粋」であるとはいえないが(それは原理的にありえない)、ある程度「純粋」に近い資質をもった稀な政治家である。だからこそ、彼は誤解を受けやすい人物でもあるということがいえるのであるが、それについてはいずれ述べることにしよう。

いずれにしても、ビートたけしや飯島氏の目には二流役者のパフォーマンスにみえたかもしれないが、私には菅総理があの深刻な国家的危機の最中で「パフォーマンス」を考えるほど計算高い人物だとは到底思えない。国家の運命を預かる総理が震災の被害状況を直接にヘリで視察したいと発想することは、むしろ当然であり、それはある意味では凡人的(大根役者的)な発想である。換言すれば、それは普通の人間の責任感から発せられた純粋に利他的な行動の一種である。もちろん、だからといってそれは100%純粋であるというわけではない。その行動を選択した動機の中には当然ながら利己的な目的も含まれている。すなわちその行動の中に幾分かは国民の評価や賞賛を期待した不純な動機が含まれていることも確かである。ただし100%純粋でないからといって、その行為をただちにスタンドプレーだと決めつけることはできない。もしそうなれば、いかなる政治家の行為も等しくスタンドプレーとして批判されなければならなくなるだろう。

結局、ビートたけしや飯島氏が語っているのは、菅総理の行動があたかも純粋にみえることに対して異議を唱えていることでしかないのである。すなわち、菅総理がまるで野心のない人間であるかのようにみえたことに対して、そんなことはありえないよというあたりまえのことを語っているにすぎない。しかし問題の本質は菅総理が純粋であるか不純であるかということではない。結果として、その行動がいかなる果実をもたらしたのかということによって、その行動の良し悪しが評価されなくてはならない。政治家の行動というのは常にその基準によってのみ評価されるべきであることは当然である。

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(4)ベントが遅れた真相

(4)ベントが遅れた真相
ここで3月12日前後の事態をあらためて振り返って検証してみよう。ベント作業の遅れと菅総理の視察の因果関係は果たしてあったのであろうか?飯島氏がブログでも認めていたように、果たして因果関係があるのかどうかということは、しばらくの間何の検証もなされていなかったので一切分からなかった。ベント作業実施の遅れについて、東電から事実関係の検証資料が明らかにされたのは震災から3か月以上も経た6月19日のことである。その資料は関係者の証言を基に地震発生から1~3号機が次々と水素爆発を起こした3月11日~15日の事実関係を時系列で述べられたものであり、A4用紙で41ページに相当する詳細な資料である。その中でベント作業の遅れについて関係する箇所がマスコミによって次のように要約され(きわめて簡略化され)紹介されている。

 資料によると、1~3号機では地震発生から約50分後の3月11日午後3時35分に津波の第2波が到達、その2~6分後に全ての電源が失われた。中央制御室は停電し、原子炉水位などの状況把握ができなくなった。午後5時12分に吉田所長が「過酷事故」と判断し、消防車など非常用の注水方法検討を指示。作業員は構内からバッテリーを集めるなど、電源確保に奔走した。1号機では12日午前1時半にベント実施について菅直人首相らの了解が得られたにもかかわらず、1時間半後に予定されていた経済産業相らの発表後に実施するよう本店から情報がもたらされたことや、12日午後3時36分には、電源車による電源が復旧し注水準備が完了したと同時に建屋が水素爆発したことなどが、新たに判明した。また1号機のベント実施をめぐっては12日午前8時半前に一部の周辺住民が避難できていないことが分かったため、避難後に実施するよう調整していた。吉田所長はその後、2、3号機のベントも指示するが、作業が手間取ったこともうかがえる。所長の指示から各種作業の実施まで大幅に時間がかかった詳細な理由は記されていない。津波によるがれきが構内に散乱し、消防車などが通行できなかったり、電源喪失によって暗闇の中を現場確認するのに時間がかかったりしたことが、対応遅れにつながっていたことも、あらためてうかがえる内容になっている。1号機への海水注入をめぐっては、当初、官邸の指示で中断したとする話が出るなど情報が錯綜(さくそう)したが、資料には実際に何があったかのやりとりは記されていなかった。 (6月19日付 産経新聞)

記事の中では詳細な事実関係は省略されているが、少なくともこの報告資料をみれば、東電のベント作業が遅れた原因は菅総理のヘリ視察とは何の関係もないことが分かる。飯島氏らの先入観によれば、菅総理が12日早朝に視察ヘリに出たために東電関係者は菅総理の対応がベント作業を遅らせたのではないかと疑っているが、そもそもベントの作業が遅れたのは周辺の住民の避難が先であると躊躇した(1号機の場合)ことと、ベント作業にかかわる具体的な障害が数多くあったからであり、菅総理のヘリ視察とは何の関係もなかったとされているわけである。非常に穿った見方によると、ベント作業の遅れは同じ時間帯に上空を飛んでいた菅総理のヘリコプターを気遣ったせいではないかともいわれていたが、そのような関係者の証言はあげられていない。なのに、なぜそのような憶測が流れたのであろうか?この話の出所を調べると、どうやら民主党議員からでたらしい。誰かは分からないが、その話の出所からして永田町に飛び交うガセネタの類といってもよいだろう。その出所を確かめもせずに、これは菅降ろしに使えるという考えで安易に飛びついたとすれば、彼らの知的レベルが疑われてもやむをえないだろう。

日本のマスコミは、この問題の事実関係について、なぜかあまり詳しく国民に知らせようとしていないが、皮肉なことに、アメリカのウォール・ストリート・ジャーナルが、日本のマスコミよりもはるかに詳しく事実関係について綿密な検証を発表しているので、少し長くなるが引用しておこう。これを読むと、そのとき福島原発内で何が起こっていたのかということがあらためてよく分かる迫真の報告である。以下、菅総理の視察とベントの因果関係に関する部分のみ引用する。

東電が今週公表したところによると、3月12日朝のこの時点では、1号機の核燃料はすでに溶け落ち、容器の底に積み重なっていたと思われるという。政府関係者らはいま明かす。東電で蒸気放出を決定するのに長い時間がかかったのは、放射性物質を放出すれば事故の重大さが急激に高まると考えられたからだと。東電はなお、蒸気放出をせずに事故を収束させたいと考えていた。なぜなら、大気中に放射性物質を放出すれば、福島の事故は世界最悪のものとなり、チェルノブイリと並んでしまうためだ。これに続く記者会見と国会証言で、東京電力の清水社長は、時間がかかったのは周辺住民の避難への懸念と技術的な問題のためだと述べた。この件に関して、清水社長からはコメントは得られなかった。

3月12日の朝が近づくと、東電の役員を自ら説得するために、菅首相は福島第1原発に飛んだ。午前7時頃、10人乗りの自衛隊ヘリコプター、スーパーピューマは、菅首相と複数の補佐官を乗せ、発電所に到着した。 一行が緊急の対策本部に入ると、東電の職員が放射線レベルをガイガーカウンターで確認した。同行した補佐官は振り返る。同時に入った発電作業員の放射線量が非常に高く、測定した職員はこう叫んだ。『あー、結構高いな、ここは』 グレーの会議用テーブルが二列に並んだ小さな部屋では、東電の原子力事業を率いる武藤栄副社長と発電所長の吉田昌郎氏の正面に菅首相が座った。同席した人々によると、菅首相は、白髪長身の原子力技術者、武藤副社長と衝突した。武藤副社長は、発電所の電力の問題があるため、あと4時間蒸気放出はできないと言った。作業員を送り込んで、蒸気排出弁を手動で開けることを検討しているが、原子炉付近の放射線レベルが非常に高いため、そうすべきかどうか確定できない。一時間ほどで決定すると、武藤副社長は言った。 菅首相の補佐官によると、『人ぐりが悪い』と武藤副社長は言った。

同席していた人にようると、菅首相は『悠長なことを言っている場合じゃない、出来ることは何でもやって、早くしろ』と怒鳴った。この件に関して、武藤副社長、吉田所長からのコメントは得られなかった。東電の広報担当者は、武藤副社長の発言を確認することはできないと言った。東電は常に、事態収束のために、政府などからの支援を進んで受けてきたと広報担当者は語った。 菅首相は、このミーティングの後すぐに福島第1原発を離れた。午前8時18分、発電所の技術者が最初に菅首相らに、1号機から蒸気を排出したいと伝えてから7時間後、東電は首相官邸にあと1時間ほどでバルブを開けると伝えた。 かなり遅れたものの、安全弁はまだ開放が可能だった。

問題はこうだ。通常、それは制御室で電動か圧縮空気で開閉するが、いずれのシステムも機能していなかった。 その結果、高い放射線量の建屋内で作業員が安全弁を手動で開放しなければならなかった。福島第1原発のシフト・マネジャーは、最初にバルブに挑戦するのは自分の責任だと考えた。関係者によると、彼は『俺が行く』と言った。彼は完全防護服を着用し、マスクと酸素ボンベも身につけた。そうまでしても、彼が戻ったときには放射線レベルは106.3ミリシーベルトに達していたという。この数値は、日本で放射線を扱う職場で、1年間に認められている値の2倍だった。1年間で一般の人が浴びる量と比較すると、100倍以上だった。
 記者: Yuka Hayashi and Phred Dvorak
(以上は菅視察とベントにかかわる部分引用です。)

この文章を読むと、先の東電の検証では隠されていた重大な問題が指摘されていることが分かる。すなわち東電のベント作業が遅れた原因はベントによって事故がより拡大化することを怖れたためでもあったとされているのである(赤字部分)。なぜならベントの実施は未曾有の原発事故を招いたことを自ら認めたことと同じであり、それによって放射性物質の拡散が一般人にも具体的な被害を及ぼすことになるからである。すなわち彼ら(東電関係者)はできることならベントを実施せずに、より穏便な方法で事故を収束させたかったのではないかと(ウォール・ストリート・ジャーナルの記者は)みているわけである。しかしながら、菅総理は彼らのそのようなたくらみを見抜いていたのであろうか、自ら自衛隊ヘリで原発に乗り込みベントの実施を迫ったのである。この行為は当然賞賛されるべきものであり決して非難されるべきものではない。にもかかわらず、こともあろうに日本の政治家及びマスコミやジャーナリストたちは、この菅総理の行動をめちゃくちゃな論法で切り捨てた。先の飯島氏の発言を今一度あげてみよう。

地震発生翌日の12日早朝、菅総理は突然現場を視察したいと言い出して、自衛隊のヘリを使って、福島第一原発に出かけた。ちょうど、1号機、3号機の問題が判明した後で、現場は対応に追われていたが、突然の視察により、責任者が総理に応対しなければならなくなった。その後の原発の状況の悪化とは直接の因果関係はわからない。しかし、東京電力側は後に会見で「もう少し早く蒸気を抜いていたら」「もう少し早く注水を始めていたら」と語っている。後に起きた原発事故に鑑みても、現場の作業を中断させた菅総理の責任は、万死に値する。

この論が根拠なき曲解であったことは自明であろう。ウォール・ストリート・ジャーナルの記者によれば、菅総理は東電にベントの実施を迫るために原発にでかけたのである。それは先に述べたように、東電がベント実施を渋る理由があったからだ。飯島氏はその切迫した状況を何一つ調べもせずに、東電の誰かが「もう少し早く蒸気を抜いていたら」という意味のない関係者の述懐を紹介して、あたかも菅総理がベント実施を遅らせた張本人であるかのような印象を与えているのである。

ついでにウォール・ストリート・ジャーナル誌の検証でもうひとつ明らかなことは、菅総理が自衛隊ヘリでベント実施を迫るために原発へ乗り込んだあと、すぐに同じヘリで東北の津波被害を視察するために被災地に飛んだことは、憶測派がいうように東電が菅総理の乗ったヘリを慮ってベント実施を遅らせたという話とはまったく関係がないということである。なぜなら菅総理が原発の現場で武藤副社長と会見したあと、「武藤副社長は、発電所の電力の問題があるため、あと4時間蒸気放出はできないと言った」という言質をもらって被災地の視察へでかけているのである。つまり菅総理は自らのヘリ視察の間にベントによる蒸気放出の可能性がないこと、すなわち少なくとも4時間の猶予があることを確認したうえで1時間半程の視察を行ったのである。

ただし、このような事実関係が明らかになったあとも、日本のマスコミやジャーナリストはそれを国民に正しく伝えようとはせず、菅総理に対する的外れな非難を続けていた。ウォール・ストリート・ジャーナルの検証をみると、菅総理の一連の行動はパフォーマンスどころか切迫した事態の中で最も正しい決断をしたものと評価できるはずだが、マスコミはこの件に関して一切沈黙を守ったままである。

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(5)海水注入中断の真相

(5)海水注入中断の真相
菅総理の原発事故に対する初期対応の非難はことごとくデマに類するものであったことは次の事例によっても分かる。3月12日、午後2時ころ東電は原子炉の水位が8メートル以上低下している事実を知り、原子炉の空焚き状態になっているという危機感を深めていた。実際、12日午後2時53分には原子炉を冷却するための真水注入が止まっていた。このまま放置すると原子炉の爆発にもつながりかねない。この結果、東電は急きょ海水を注入する他にないという判断を下した。ただし海水を注入するということは廃炉になるリスクがあったことは覚悟であり、さらに予期せぬ問題が生じる恐れもあった。したがって、東電は海水注入の許可をとりあえず官邸に問い合わせる必要があった。当日、午後3時36分に福島原発1号機が水素爆発を起こしたあとすぐに官邸へ海水注入の必要性について連絡をとったが、官邸からの返事がなかなか得られなかった。そのため東電は海水注入をすぐに開始することができず、約50分の遅れが生じてしまったという。5月22日付日経新聞に次のように書かれている。

東京電力は21日の記者会見で、東日本大震災の発生翌日の3月12日に福島第1原子力発電所1号機で進めていた海水の注入を、首相官邸の意向をくんで一時中断したことを明らかにした。官邸側が海水注入による再臨界の危険性を指摘しているとの情報を東電側が聞き、止めたという。細野豪志首相補佐官は記者会見で「官邸は注入の事実を把握しておらず、首相は注入を止めることは指示していない」と述べた。1号機は津波で冷却機能が失われ、核燃料棒の大部分が溶け落ちた炉心溶融(メルトダウン)が起きた。冷却水が中断したのは55分間で、原子炉の冷却が遅れて被害が拡大した可能性もある。東電によると、原子炉への真水注入が12日午後2時53分に停止。午後3時36分に水素爆発が起きた。午後7時4分から海水の注水を始めたが「官邸の方で再臨界の危険性があるような意見があったので、政府の判断を待つ必要があるため、いったん停止した」(東電)という。この情報を福島第1原発の現地に伝え、午後7時25分に注水を停止した。

この記事の中で問題視されたのは、午後7時4分から海水の注水を始めたが、「官邸の方で再臨界の危険性があるような意見があったので、政府の判断を待つ必要があるため、いったん停止した」(東電)というくだりである。なんと東電は官邸の判断で海水注入を中断したというのである。この話題は翌日の国会で大々的に取り上げられることになった。もし菅総理の発言によって海水注入が中断されたということが明らかになれば、菅総理は原発事故の拡大を自ら招いたという可能性もでてくる。したがって、この問題の追及は菅総理に対して不信任を突き付ける格好の材料になると判断されたわけである。

5月23日の衆院予算員会での谷垣総裁と菅総理の間では次のようなやりとりがなされた。

谷垣総裁 3月12日の午後6時に(首相官邸で)何を議論していたのか。

菅総理  再臨界という課題もあったし、議論の中でも出ていた。そういうことも含め、海水注入をするに当たり、どのようにすべきか検討するよう(経済産業省原子力安全・保安院や原子力安全委員会などの)皆さんにお願いすると(いう議論だった)。

谷垣総裁  班目(春樹原子力安全)委員長が再臨界の可能性を指摘したとの報道があるが、進言したのか。

班目氏   多分、首相から「再臨界は気にしなくていいのか」という発言があったので、「再臨界の可能性はゼロではない」と申し上げた。これは確かだ。

谷垣総裁  東京電力は1号機に海水を注入していたが、官邸で再臨界の議論がされているから中断した。

菅総理   少なくとも私や(首相官邸で議論した)メンバーが止めたことは全くない。(海水注入の中断は)私や(枝野幸男)官房長官に報告が上がってなかった。やめろとか言うはずがない。

谷垣総裁  福島原発の視察が(格納容器から放射性物質を含む蒸気を排出する)「ベント」実施の大きな障害となって遅れを招いた。海水注入を政府内の混乱で中断したのは非常に大きなミスだ。 


しかし、この迫真のやりとりは、後日興ざめの展開になったことは周知の通りである。実は海水注入は中断されてはいなかったということが福島第一原発吉田所長の証言によって明らかになったのである。事実関係はおおよそ次のようなものである。

5月20日、東電本社での会見で次のような事実が明らかにされた。地震発生の翌日12日午後7時4分に海水注入を開始し、同25分に中断、午後8時20分に再開したというのである。誰の指示によってなぜ中断したのかが国会で質疑されわけだが、これについて政府側は細野豪志首相補佐官が中断は東電の独自判断で行われたと会見しているが、一方、東電本社によれば、「(海水注入に)首相の理解が得られていない」との官邸情報を汲んで海水注入を一旦中断したとされていた。しかし、実際は福島原発の吉田所長が冷却を優先すべきだとの考えから注水を継続していたというわけである。

事実関係が錯綜しているのは、官邸と東電本社と現場の証言がそれぞれ食い違っているだけではなく、そもそも海水注入に切り替える前に現場の独自判断で試験注入を実施していて、その連絡が官邸に届いていなかったという問題があるようだ。だから菅総理は海水注入を中断させたという意識はまったくなく、先の答弁のように「(海水注入の中断は)私や(枝野幸男)官房長官に報告が上がってなかったので、やめろとか言うはずがない」という話になっているらしいのである。この答弁に対して野党側はその裏に何か隠し事があるに違いないとして、逆に色めきたったわけであるが、そもそも現場が注水を中断していなかったという話になると、結局、自民党がつかんだ情報自体がガセネタではないかということに落着したわけである。

しかしながら、この問題は本来専門家しか分からないような極めて高度な原発の安全技術に関する問題であり、首相の腹一つで左右される類の問題でないことぐらいは分かってもよさそうなものである。菅総理は自らも認めているように海水注入に関して素人としての素朴な疑問を斑目氏に問いただしたのだろう。海水注入はいまだかつて試みたことさえない歴史上初の試みである。もしも海水注入によって再臨界が起こってしまえば最悪の事態どころではなくなる。斑目氏は菅総理の質問に「再臨界の可能性はゼロではない」と返事したそうだが、その斑目発言が東電本社へすぐに伝わって、海水注入の危険性について検討する必要があると(東電本社は)判断したのだろう。すなわち東電本社はそれが官邸の意志であるかどうかに関係なく、あくまでも原子力安全委員会最高責任者の発言に重きを置いたものであると想像される。したがって、この問題は菅総理が何を言ったのかという問題では(初めから)ないのである。技術論として、海水注入が安全であるのかどうかという問題であり、しかも、それはこれまで実験でさえも試みられたこのとのない極めて高度な想像力を要する問題だったはずである。

はたして福島第一原発の吉田所長は海水注入が100%安全であると確信したうえで注入を続けたのかどうかは分からない。ただし、現場では試験注水によって大丈夫だという判断をもちえたのであろう。仮に、海水中の塩分やその他の不純物がなんらかの障害を起こす(たとえばバルブに詰まるとか)としても、現状の危機を打開するためには他に選択肢はないと(現場は)判断したのであろう。一方、菅総理の質問に対して斑目氏はしばらく考えた上で問題ないと判断したからこそ、海水注入にゴーサインを出したのであろう。この一連の官邸の危機対応の中には必ずしも致命的なミスは発見されない。切迫した危機においてあらゆる可能性を考えるという意味では、むしろ賞賛すべき慎重な対応であったというべきではないか。

この問題が国会で取り上げられたのは、菅内閣不信任案が自民党、公明党によって提出された6月1日の約一週間前である。すでにこの時点では不信任案提出は決められており、そのための明確な理由を洗い出す詰めの作業としての一連の質疑であったことはいうまでもない。しかし、この重要な局面での国会質疑の資料がガセネタに他ならなかったというのは不信任案を提出する側にとっては、あまりにも大きな失点だったはずだ。ガセネタというと思い出すのは、小泉総理時代の偽メール事件であろう。あの事件で民主党は国民の信頼を大きく損ない、ガセネタをつかまされた民主党の永田議員は国会議員辞職まで追いやられ遂には自殺して果てるという哀れな結末になっている。それに比べると海水注入問題の追及はたとえガセネタであろうとも、野党側にとっては、ある種の目眩ましのような効果を(菅内閣側に)与えたようである。この問題の追及によって官邸と東電本社と福島原発がそれぞれ異なった情報を語り、三者の間に十分な意志疎通ができていないことが明らかとなったからである。野党側にとっては、それはそれで思わぬ戦果だったといえなくもなかったのである。

ついでながら先の谷垣総裁の質問の中にも「福島原発の視察が(格納容器から放射性物質を含む蒸気を排出する)「ベント」実施の大きな障害となって遅れを招いた」と、飯島氏のブログと同じことが述べられていることに注意してもらいたい。この時点(5月23日)では、飯島氏も認めていたように菅総理のヘリ視察とベントの因果関係は何も分かっていなかった。にもかかわらず、谷垣総裁は国会の場でそれをあたかも事実であるとして菅総理を追及しているわけである。もちろん、それは単なる噂話であることぐらいは(東大卒の秀才)谷垣氏に分からぬはずもないだろうが、しかし、根も葉もない噂ほどライバルを追及しようとする政治家にとってありがたいものはないのだろう。なぜなら、噂というものは誰がそれをどのような意図で流したのかさえ分からないので、それをさも真実らしく扱ったからといって自らの責任はまぬかれるからである。したがって、谷垣総裁にとっては、そのような噂があるというだけで(菅総理を追い詰める)材料としては十分だったのであろう。

結局、菅内閣に対する不信任案というのはかくもいい加減なものであり、要するに、初めに倒閣ありきという既定事実にそって無理矢理に理由づけられたものである。それは永田町の政治風土といってしまえばそれまでだが、戦後最大の国難の中で、日本をリードするべきかつての野党の党首が権謀術数を弄することしかできないというのはゾッとするほど絶望的な絵図である。もはや自民党はかつての何でも反対党の社会党以下の存在に堕ちてしまったのだ。小泉総理が谷垣氏に進言した「健全な野党としてやればいい」という言葉さえすっかり忘れ、国難の最中に無意味で非生産的な政局ゲームへと突っ走ることになったわけである。

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(6)不信任案の理由

(6)不信任案の不可解な理由
いずれにしてもこの時点では野党側は何がなんでも菅内閣に対して不信任案を突きつけるという決意であることには変わりなかった(ただし、自民党の中には石破氏をはじめ慎重意見も多くあったことは付言しておく)。当初、自民党と公明党は単純な数合わせでは不信任案が可決する見込みがまったくないことから戦略的には別の意図があったものと思われる。すなわち不信任案提出によって、民主党の分裂を誘い出し、あわよくば政界再編を加速させようという狙いがあったものと思われる。しかし民主党の小沢グループや鳩山グループの周辺から不信任案に同調する民主党議員が予想以上に出そうだという観測があり、一挙に倒閣ムードが高まった。そのような異様な状況の中で驚くべき行動にでた人物がいる。だれあろう参議院議長の(故)西岡武夫氏である。西岡氏は5月19日の定例記者会見で「即刻、首相を辞任すべきだ」との書簡を18日、首相本人あてに送ったことを明らかにし、ほぼ同じ内容を19日付けの読売新聞に寄稿した。西岡氏は記者会見の席で「首相のどこかだめなのか」と問われ、なんと「全部だ」と答えている。

参議院という良識の府のしかも中立であるべき議長の身分である者が総理に辞任を迫るなんて話は日本だけではなく世界でも聞いたことがない。少なくとも議会制民主主が制度として確立している諸国の中ではありえない話だろう。西岡氏はそれを言いたいなら、せめて潔く自ら議長職を辞めてからいうべきことであった。かつてハマコウこと自民党の浜田幸一氏が衆院議長のとき共産党正森議員の国会質問を制止して「宮本顕治(当時の共産党委員長)は殺人者だ」と質疑に関係のない発言をしたために議長職辞任のやむなきに至った経緯があったが、この西岡発言はそれ以上の重みのある暴言といってもよい。もちろん、新聞紙上でこの西岡発言が立場をわきまえないものとして批判されてはいたが、驚くべきことに政治家の間では与党も野党も黙認という奇妙な態度に終始していた。ここまで来ると、もはや「菅降ろし」というのは訳のわからない永田町の中の特別な「空気」によるものとしかいえないように思われる。

菅総理不信任案の理由付けが具体的なものではなく漠然としたものでしかなかったことが、この西岡氏の発言にも表れている。もし何か不信任に相当する明らかな致命的ミスでもあれば西岡氏はそれを一つぐらいはあげることができたはずである。しかし、「全部だ」という他になかったのは、逆に言うと(不信任に相当するものは)何もなかったという証拠である。これは西岡氏一人のいい加減さではなく、不信任を突きつけた野党側の不信任理由をみても一目瞭然である。6月1日の国会質疑で谷垣総裁が菅総理に不信任を突き付けた理由が何であったかということが、以下のやりとりの中ではたして理解できるであろうか?

谷垣氏 申し上げたいことはただ一つ。お辞めになったらいかがか。選挙でほとんど勝っていないのは、国民の心があなたから離れている何よりの証拠だ。最大の同盟国の米国は、日米首脳会談を9月に先延ばししたが、あなたでは米軍普天間飛行場の移設問題は解決できないと考えたからだと思う。責任を押し付けるから官僚機構はあなたを信頼していない。民主党内であなたの足下は液状化している。四つの方面で信頼を失い、(東日本大震災の)復旧、復興をあなたの下でやっていくことは不可能だ。

首相  今、ほとんどの国民は国会が一丸となって復旧、復興、原発事故の収束を図ってほしいと強く求めている。震災発生以来、不十分だったことはたくさんあったとは思うが、私は責任を果たしていかないといけない。

谷垣氏 今、政治空白がなぜ起こるのか。それは与党の足元がガタガタしているからだ。あなたは党内をまとめる人徳も力量もない。あなたには三つの大罪がある。第一には震災・原発対応に不手際があった。第二は被災者のことが目に入っていたのか(という点だ)。第三は国民と約束したマニュフェストを撤回した責任だ。

ここで谷垣氏は菅総理が辞めるべき三つの理由をあげているようだ。その一つは震災、原発対応に不手際があったこと。第二に被災者のことが目に入っていないこと。第三に国民と約束したマニュフェストを撤回したこと。この三つであるが、いずれも抽象的な表現なので、これでは西岡氏の「全部だ」というのと五十歩百歩であろう。これではなんだかよく分からないので、不信任理由として提出された文書をみてみよう。

菅内閣は、国難のときにあって明確な指針を示せないまま迷走を続け、わが国の復興と再生に対して大きな障害となっている。とりわけ東日本大震災をめぐる対応については、初動の遅れを招いた判断、曖昧で場当たり的な指揮命令など、その迷走ぶりがさらなる混乱を招き、取り返しのつかない状況を生み出してきた。被災者や関係者への配慮を欠く発言、マニフェストにこだわりバラマキ政策を財源に充てようとしない姿勢、意志決定が複雑を極める対策本部の乱立、唐突な連立政権呼びかけなど、未熟で軽率な行動に寄せられる厳しい非難は、菅総理が政権を担当する資格と能力に著しく欠けている実態を明確に示している。また、被災地の再生に道筋をつけようともせず、今国会の会期や二次補正予算の提出につき明言を避け続ける不誠実な対応は、危機感や現場感覚を持たず、震災よりも内閣の延命を優先する無責任極まりないものである。昨年の通常国会において、菅政権に対する内閣不信任決議案が提出された。それは、民意によらない「正当性なき内閣」、「不作為内閣」、国民の選択肢を奪う「政策隠し内閣」、政治とカネの問題に背を向ける「疑惑隠し内閣」、自覚に欠け努力を怠る「責任放棄内閣」、国民の期待にそむく「国民愚弄内閣」との理由からである。今日、その状況はますます悪化し、菅内閣は明らかに機能不全の様相を呈している。未曽有の災害を前に、われわれは危機克服と復旧に猶予がないものとして政府与党に協力し、菅内閣の継続を黙認してきたが、もはや容認することはできない。菅総理に指導者としての資質がない以上、難局にあたって、菅内閣とともに新たな政策体系を積み上げていくことは到底できないからである。国民の不安を払拭し、国家を挙げて被災地の復興と被災者の生活再建を実現していくためにも、菅総理は一刻も早く退陣すべきである。

初めに断わっておくが、この文章は野党が菅内閣に突きつけた不信任理由をまとめた公式文書のすべてである。この文章をみると、ますます菅内閣不信任の本当の理由が分からなくなる。抽象的な文章の羅列ばかりで、まるで学生が書いた作文ではないかと錯覚させられる。しかも、こんな短い文章で「これが内閣不信任案の理由を述べた全文です」といわれると唖然とせざるをえない。ただし、そのように感じるのはこちらがあまりに素人だからなのだろう。要するに、永田町では毎年のようにこのようなわけのわからない文章の不信任案が提出され、そしてその大半はルーティン通り否決されて終わっているのだ。与党と野党の力関係が数の関係でしかないかぎり、野党の提出した不信任案が可決されるということは余程のことがなければ起こらない。したがって、不信任案というのは、通常、野党による空しい反撃にすぎず、それによって一挙に倒閣とか政界再編という状況を作り出すことは難しい。すなわち不信任案というのは、元々は数で劣っている野党がたとえ形式的にせよ厭なら総理大臣の辞職を迫る道もあるんだよという少数派に配慮した制度なのである。

しかし2011年6月1日にだされた菅内閣に対する不信任案はそのような少数派に配慮した形式的制度の枠を突き破り、現実に総理辞職を迫る抜き差しならない事態に発展することになった。その原因は、いうまでもなく小沢グループをはじめとする民主党議員の造反が予想されていたからである。このような事態は戦後の議会の歴史の中でもきわめて異例のケースであった。調べてみると、戦後の議会で不信任案が可決されたケースはわずか4例である。その内の2例は昭和20年代に長期政権を築いた民自党の吉田内閣の下で可決され、他の2例は自民党の大平内閣(1980年5月16日)と宮澤内閣(1993年6月18日)で可決された。

ちなみに宮澤総理のときは竹下派の跡目争いに端を発したとされる党内抗争で小沢氏らが羽田グループと組んで社会党の不信任案に同調する形で可決成立の経緯となっている。ただし宮澤総理は内閣総辞職を選ばず解散総選挙に打って出たが選挙結果が振るわず、結局は辞職という結末になっている。その後、解散総選挙の際に新党をたちあげた小沢氏と羽田グループ(新生党)、新党さきがけ(武村代表)、そして当時圧倒的ブームに乗った日本新党(細川護煕代表)らが数合わせをして細川政権が誕生した。このようにみると内閣不信任案の可決というのは極めて異例であり、余程の非常事態であるということが分かるわけだが、しかし不信任案がたとえ可決されたとしても総理大臣はそれに対して対抗する手段、すなわち解散権を行使できるのであり、実際、過去4例の不信任決議の可決の際にはすべて解散権が行使されているということを忘れてはならない。

ところが2011年6月1日に出された菅内閣不信任案は初めから菅総理の解散権が事実上はく奪された中での提出であった。なぜなら震災により未曾有の津波被害と原発事故による避難によって実際的に選挙は行えない状況が続いていたからである。したがって、もし不信任案が可決されると、菅総理は退陣を余儀なくされたであろう。このような事態は憲政史上なかったことであり、法的にみても総理の解散権が事実上はく奪された中での不信任決議は問題があることは自明であった。小沢氏はそれを知りながら「東日本大震災で被災地は選挙ができない。不信任案が可決されても首相は解散できない」と仲間に説いていたといわれている。もし総理の解散権が問題なく行使されうる状況の中であれば、小沢氏は不信任決議に同調することはありえなかったということを考えれば(なぜなら解散総選挙になると小沢グループは事実上崩壊することが予想されていた)、その行動に正当性がないのは当然であろう。このことは以後長く記憶に留めておくべきであると思う。

もちろん、そのような法理論的な問題は別にして、菅総理が実際に(不信任に値する)致命的な大罪を行ったという証拠でもあるならば、無理やりにでも菅総理を降ろすことに正当性がなくはないという見方もできるかもしれない。それはしかし一種の人民裁判を許容することと同じである。人民裁判というのは中国で毛沢東の文化大革命の時代に反動分子(反革命分子)と名指しされた人々が、ことごとく弁護人なしで法廷に連行され一方的な罪状を着せられて裁かれるという裁判である。菅総理に対して不信任を突きつけようとした人々は、実際、それと似たようなことを行っていたのではないか?何の証拠もなくベントの解放が遅れたのは菅総理の視察のせいであったと決めつけ、何の証拠もなく菅総理が海水注入を中断させた張本人ではないかと断罪しようとした。それどころか菅総理がメルトダウンを招いたのではないかさえといわれ、また菅総理が震災被害を拡大したのだとまで言われつづけた。その他「万死に値する」「存在そのものが瓦礫」「ペテン師」「菅オケ総理」「菅直人という風評被害」「原発は止まっても菅の暴走は止まらない」・・・・・等々、その種の侮蔑と非難の言葉はあげればきりがないほどであり、しかもそれは2chの流言飛語ではなく発信者が名だたる政治家やジャーナリスト、評論家たちなのである。もちろん週刊誌や夕刊タブロイド誌の俗悪な表現はここに載せるのをはばかるほど酷い言葉の羅列であった。日本人の使用する言葉がこれほど汚れ、しかもそれを軽々しく使用するようになったことは、これまでにもないであろう。

それらの言葉を聞いていると、菅降ろしというのは実は人民裁判どころかその実態は魔女裁判と同じといってもよいのではないかと思う。すなわち菅総理は未曽有の国難の中にあって、まさに人身御供のごとく魔女に仕立て上げられたのではないか?そのように考えれば、むしろ菅降ろしにまつわるいろんな謎が解かれるような気さえする。ただし、そのような興味深いレトリックの謎解きは後の章にゆずることにしよう。ここではもうしばらく菅降ろしにまつわる様々な問題とその後の政局についての検証作業を進めたい。

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(7)唐突な連立政権の呼びかけ

(7)唐突な連立政権の呼びかけ
先の菅総理不信任案の文面の中で一つ気になる表現がある。菅総理不信任案の理由を述べた下の文章の中にどうみてもおかしな記述があるのである。

とりわけ東日本大震災をめぐる対応については、初動の遅れを招いた判断、曖昧で場当かたり的な指揮命令など、その迷走ぶりがさらなる混乱を招き、取り返しのつかない状況を生み出してきた。被災者や関係者への配慮を欠く発言、マニフェストにこだわりバラマキ政策を財源に充てようとしない姿勢、意志決定が複雑を極める対策本部の乱立、唐突な連立政権呼びかけなど、未熟で軽率な行動に寄せられる厳しい非難は、菅総理が政権を担当する資格と能力に著しく欠けている実態を明確に示している。

この文章の中に「唐突な連立政権呼びかけ」という文言がある。これはもちろん菅総理に対する不信任の一つとしてあげられているわけだが、これはどう考えても菅総理に対するあてつけにしか思えない。菅総理から連立の打診がまったくなかった責任を問うなら話は分かるが、打診はあったが「唐突だから」拒否しましたというのは、まるで駄々っ子のような言葉である。谷垣氏にとって一体全体何が「唐突だった」のか?以下、新聞報道にあたってみよう。

菅直人首相は19日、自民党の谷垣禎一総裁に「副総理兼震災復興担当相」として入閣するよう電話で要請した。自民党トップを加えた「危機管理内閣」の発足で政権を安定させ、東日本大震災の対策を強める狙いがあった。だが自民党は緊急役員会で入閣要請を拒否することを決め、谷垣氏が首相に通告した。首相は19日昼、谷垣氏に電話で「国家的危機だ。復興には相当なエネルギーが必要だ。ぜひ協力をお願いしたい。副総理兼震災復興担当大臣でお願いしたい」と要請し、谷垣氏との会談も求めた。だが、谷垣氏は「あまりに唐突な話だ」と回答を保留した。谷垣氏はこの後、自民党本部で緊急役員会を開いて対応を検討。出席者からは、入閣すれば自民党が反対してきた子ども手当法案など新年度予算関連法案の成立に協力せざるを得ず、菅政権の延命につながるとの意見が大勢を占め、入閣要請を拒否することを全会一致で決定した。 (3月20日付朝日新聞)


この記事では谷垣氏の「唐突だった」という真意をはずした部分があるかもしれないので、ネットの記事からも引用しておこう。

菅直人首相が19日、自民党の谷垣禎一総裁に副総理兼震災復興担当相としての入閣を打診したものの、谷垣氏はこれを拒否した。東日本大震災対策を大義名分に最大野党の自民党と「大連立」を組んで政権の安定化を図る狙いだが、あえなく失敗した。「態勢をいじる時ではなくて、被災者の支援、原発の対応などに全力を尽くす時ではないか。あまりにも唐突な提案だ」。谷垣氏は19日夕、 役員会後の記者会見で、電話で入閣を打診してきた首相にくぎを刺したことを明らかにした。自民党本部が公表している谷垣氏の会見録によると、首相が同氏に電話で入閣を打診したのは19日昼すぎ。谷垣氏はその場で事実上拒否する考えを示したが、その後開いた役員会で首相の要請を断ることを正式に決定した。これに先立ち、民主党の渡辺周災害対策副本部長は19日朝、TBSの 番組「みのもんたのサタデーずばッと」で、自民党との大連立について「救国内閣を打診している。政争、政局は棚上げしよう、まずは復旧、復興に全力 を挙げようということだ」と指摘。これに対し、自民党の小坂憲次参院幹事長は同番組で、「究極の抱きつき作戦だ。国難にあたるという意味からすれば、知恵を貸すとか、手を貸すということに躊躇(ちゅうちょ)してはならないという気もするが、責任の所在を明確にしておかなければいけない」と否定的な見解を表明していた。 (ブルームバーグ;http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920014&sid=aLkefzfICJJM)

このネットの記事を読むと、少しは谷垣氏の「唐突だった」という意味が伝わってくる。察するに菅総理の連立打診は自らの責任の所在を不明確にするための抱きつき作戦に他ならないということらしい。逆にいうと連立に加わらない自民党には震災の責任は問われないということを言外に意味していると解釈もできる。自分たちには責任はないが批判だけはさせてくれということをいっているようにも(皮肉ではなく)聞こえる。もし谷垣氏の「唐突だ」という意味が、そのような意味だとすると自民党の危機感のなさには驚きを通り越して呆れるしかない。そもそも連立打診があった3月19日前後の大変な状況の中で誰の責任だとかいっている場合であったろうか?ただし、前にも述べたように谷垣執行部の決定が自民党員の意向のすべてではなかったことは自民党のために付け加えておく。谷垣氏が菅総理の連立打診に対して、どのように対応すべきか相当迷ったらしいことは本当だろう。そのために谷垣氏は自民党の総理経験者のお歴々に助言を求めていた。中曽根氏からは「期間限定で連立を組んだらどうか」と助言され、小泉氏からは「健全な野党としてやればいい」という助言をもらっている。

実際、谷垣氏がその時点でどちらを選ぶべきだったのかは難しい選択だろう。連立政府を作ると指揮系統がかえって分散し震災対応に支障をもたらすかもしれない。さらに連立政権の間で意見が衝突することによって、にっちもさっちも行かなくなる怖れもある。そうなると責任の所在が不明確になるどころの問題ではない。しかし、いずれにせよ菅総理の連立打診を「唐突だった」としてその打診自体を非難し、不信任案の理由づけに使っていることは戦後以来の国難に対する危機感の欠如を疑われても仕方がない。

問題の本質は3,11後、われわれを襲った「国難」がいかなる種類の「国難」であったかという認識にかかっている。この「国難」はもちろん日本の歴史上だけでなく、人類の歴史上でもかつてないような種類の「国難」であった。それを本当に認識すれば政争の具に使うことがいかに愚かなことであるかということが分かる。震災後、すぐに識者のさまざまな提言や意見が多くの媒体で発表されていたが、今回の「国難」に対してもっとも的確な提案をしていた人物の一人として佐藤優氏の言葉を紹介しておこう。

戦後日本の国家体制は、近代主義によって構築されている。その核となるのが生命至上主義と個人主義だ。個人の命は何よりもたいせつなので、国家は生命を捨てることを国民に求めてはならないという考え方である。しかし、国際基準で考えれば明らかなように、どの国家にも無限責任が求められる職種がある。無限責任とは、職務遂行の方が生命よりも重要な場合のことだ。日本の場合、自衛官、警察官、海上保安官、消防吏員(消防士)、外交官などがその本性において、無限責任を負う。通常の場合、東京電力関係者に無限責任は想定されていない。しかし、福島第一原発の非常事態に鑑み、専門知識をもつ者が自己の生命を賭して、危機を救うための努力をすることが求められる。マスメディアは詳しく報道していないが、現場では日本の原子力専門家が危機から脱出するために、文字通り命がけで働いている。菅首相は、危機を回避するため無限責任を要求する超法規的命令を発することを躊躇してはならない。菅首相は民主的手続きによって選ばれた日本の指導者として、職業的良心に基づいて日本国家と日本人が生き残るために必要とされる全てのことを行うべきだ。

与野党の政治家は、東日本大震災という危機を乗り切るために日本という言葉のもとに団結しなくてはならない。大連立では連立野党との政策協議やポストの配分が不可欠になる。そのようなことをしている余裕はない。いま必要なのは、言葉の正しい意味で菅首相を翼賛することである。翼賛とは、本来、国家指導者を国民がそれぞれの立場から助けることを意味する。1人1人の国民、団体がそれぞれの立場から、菅首相が日本国家と日本人のために最適の決断ができるように努力することだ。菅首相は、能力主義の観点から、与野党を問わず、官民を問わず、必要とされる人材を登用して、危機に対応するべきと思う。

 われわれ日本人には大和魂がある。日本人が日本人であることを支えるのが大和魂だ。日本が危機に陥ったときに、われわれの大和魂が自ずから働き出す。政治、イデオロギー、経済的個別利害を超えて、危機のときに団結する能力がわれわれに備わっているから、日本人も日本国家も生き残ることができたのである。危機を乗り切るためには思想が必要だ。大和魂こそがその思想だ。危機になると自ずから働き出す大和魂の力を私は信じる。(2011年3月13日脱稿)


佐藤氏のこの提言には正しい状況認識があることがみてとれる。「与野党の政治家は、東日本大震災という危機を乗り切るために日本という言葉のもとに団結しなくてはならない。大連立では連立野党との政策協議やポストの配分が不可欠になる。そのようなことをしている余裕はない。いま必要なのは、言葉の正しい意味で菅首相を翼賛することである」。すなわち佐藤氏は連立政権を提案しているのではなく、与野党が団結して菅政権を翼賛すべきであるといっているのである。なぜなら、連立政権を組んでいる時間の余裕もないからである。ひとつまちがえば日本の国が永遠に滅ぶかもしれない瀬戸際に立たされているのである。もしもあのまま最悪の事態が進行すれば福島はおろか日本列島の東半分以上の地域にわたって今後数十年から数百年にわたって人が住めなくなるという危機が本当に存在していた。そうなれば首都東京が滅ぶだけでなく日本という国はユダヤ人と同じように祖国を喪うことにもなりかねなかったのである。その切迫した状況の中では、もはや与党も野党も関係ないのである。戦時中の日本と同じように国民は大同団結して、この危機にあたらなければならない。そのような状況の中で「責任の所在が不明確になるから連立は組めない」というような発言があったとすれば、それこそ本質的な危機に対する認識を欠いていたということになるであろう。

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