3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

安倍新談話に対する危惧の念

本年2015年は太平洋戦争終結から70周年にあたり、さらに1965年の日韓国交回復から40周年にあたるという、きわめて大きな歴史的意義をもつ年である。これほど大きな歴史の節目に日本国総理についている安倍晋三氏には大きな使命が託されていることはいうまでもない。だから、本年8月15日の終戦記念日の日に歴史的な談話を発表したいという安倍氏の素直な思いについては頭から否定するつもりはない。ただし、いままでの安倍氏の発言をみるかぎり多くの疑問符がつきまとうのはやむをえまい。

政府の発表によると、談話は基本的には村山談話を継承することになるとしているが、それならなぜ新たな談話を発表する必要があるのかという疑問がまずひとつある。しかも安倍談話の作成には多くの有識者が関わることになるはずだとされており、場合によると国会での議決を経た公式的な談話になるかもしれないという計画までされているらしい。だとすると、これは並々ならぬ決意の表れと期待しないでもないが、しかし、どうしてもひっかかるのは、いままでの安倍総理の発言や、あるいは安倍氏の非常に偏ったお友達の考え方と矛盾しないのかどうかという心配である。

前回にも紹介したように、安倍氏の思想に非常に近いと思われるワックグループの考え方では、いまだにあの戦争を正当化しようとする考え方が支配的である。特に安倍氏の師匠とまでいわれる渡部昇一氏によると、「日本はいっさい過去を反省する必要はない」とまで言っている。また南京の大虐殺は捏造だというのが彼ら一流の見方(これこそ最も性の悪い捏造に他ならないと思うが)であり、さらに大東亜戦争はアジアを欧米の支配から解放するための聖戦であったという(今日のイスラム国戦士と同じような)反欧米史観に立っている。しかも安倍総理が大好きな靖国神社自体がそのような聖戦論の立場に立っており、戦後秩序を決定づけた東京裁判史観を認めないという歴史観を捨てていない。

そもそも東京裁判以来の戦後の歴史教育を自虐史観だとして否定しているのが彼らの共通の思いである。そのような人々に非常に近いとみなされる安倍総理が「村山談話を継承します」といっても、それを額面通りに受け取れるのかどうか、どうしても疑問が残る。海外のジャーナリストから「安倍=ナショナリスト」というレッテルを貼られているのは、決して朝日新聞などの日本の左派ジャーナリズムの評価を基にしているのではなく、安倍氏のお友達がどのような人々かということを彼らが調べれば、たちどころに分かることである。

つい先日のニュースでもアメリカ議会の調査局が出した安倍氏に関する結論は次のようなものであったと報じられている。

米議会調査局は15日までに日米関係の報告書を発表し、安倍政権について「経済成長を積極的に加速しようとしてきた」と評価する一方、歴史問題では「周辺国との関係を悪化させ、米国の国益を損なわせたかもしれない」との懸念を示し、戦後70年を迎える今年、安倍晋三首相の対応に「世界が注視している」と指摘した。
報告書では、安倍首相を「ナショナリストとして知られる」と紹介。首相の過去の発言について、「日本帝国の他のアジアの国々への侵略や虐待を否定する歴史修正主義的視点を持っていることを示唆している」との見方を示した。
昨年の衆院選で自民党が勝利したことから「安倍首相が日米関係にプラスにも、マイナスにも影響を与え続ける」とも強調した。
(朝日新聞デジタル 2015年1月17日11時02分)


安倍氏が第二次政権発足後にやったことの中でアメリカにとってプラス面があるのは、誰よりもアメリカ自身がよくわかっている。特に軍事的側面でのアメリカに対する貢献は明らかだ。中でも普天間基地の辺野古移転を決めたことと集団的自衛権を認める方向性に舵をきったこと。この二つは米国にとっては長年日本に対して要求してきた案件であり、これをアメリカの望み通りにやってくれたのだから、アメリカにとってはこれほどありがたい総理はいないはずだ。しかし、そうでありながらも、「安倍首相が日米関係にプラスにも、マイナスにも影響を与え続ける」と米議会調査局が懸念しているのは、どうしても安倍総理の歴史認識に不信感がつきまとわざるを得ないからだろう。

今回、わざわざ米国議会が調査をしたのは、安倍総理が本年8月15日に発表しようとしている安倍新談話について危惧せざるを得ないからである。本当のところ安倍氏の本心がどこにあるのか、日本人にとってもわからないくらいだから、アメリカ人にとってはなおさら不可解であるにちがいない。

安倍政権は公式には村山談話と河野談話を継承するとアメリカ政府にも明言しているので、あえてこれ以上安倍氏の本心を詮索する必要はないではないかと(私も)そう思いたいが、日本人というのは表の言葉と裏の意味がしばしば真逆であるということはアメリカ人にもつとに知れわたっているらしい。日本語に「玉虫色の表現」という不思議な意味の言葉があることもおそらくアメリカ人には知られているのだろう。本心がまったく別のところにありながら、そう発言せざるを得ないような場合、日本人はしばしばこの得意芸を発揮して、そう言わざるを得ない苦しい状況にあることを周囲の人々に理解し同情してもらおうとする。もうひとつ日本語には「阿吽の呼吸」という不思議な意思の伝達方があり、これはしばしば表の言葉とは正反対の思いがあることを無言のやりとりで相手に伝える高度な技法である。われわれ日本人はこのような伝達方法を自然と身に着けており、表現された言葉にはしばしば裏表があるということを了解しながら生きている。

このようなダブルスタンダードが当たり前という日本文化は西洋人にとっては分かりにくいにちがいない。特にアメリカ人は神との契約思想を他者との言葉のやりとりにも敷衍するために、その言葉に裏があるということは通常認められないし尊敬もされない。熱烈な清教徒の子孫であるアメリカ人やイギリス人でなくとも、通常、本心と裏腹な言葉を使うということはいわゆる「二枚舌」(double-tongued)と呼ばれ、これは聖書で悪魔の象徴とされる蛇を連想させることから、聖書を信じる民にとってはもっとも忌み嫌われる。

安倍氏が「村山談話と河野談話を継承する」と発言しているのは、この不可解な日本人の「玉虫色の表現」の一種ではないのだろうか?もしかするとアメリカ政府はそのように疑い、安倍氏の本心を探ろうとしているのではないであろうか。実際に安倍談話がどのようなものになるのか、これはもちろんアメリカ政府が心配しているだけではなく、中国や韓国も心配しているはずであり、それよりもなによりも日本人のわれわれこそが誰よりも心配しなければならないことである。

その前に今から20年前、すなわち戦後50年を経過し1995年の終戦記念日の日に発表された村山談話についてあらためて引用しておきたい。

 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。

わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。 「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。


渡部昇一氏らのワックグループによると、村山談話と河野談話は国辱ものであり、これを発表した村山氏と河野氏は「国賊」であると決めつけられているようなのだが、あらためてこの文章を読むと、この談話のどこが問題なのか私にはさっぱり分からない。いうまでもなく村山談話の中で特に引用されるのは下線部であろう。

わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

ここで「侵略」とか「植民地支配」という言葉が安易に使われていることに対して彼らは異議を唱えているのであろうか?実際、安倍氏は総理就任後すぐ「侵略という言葉の定義はない」などと国会で答えており、やはり安倍氏の内心の思いでは、「侵略」という言葉に抵抗があるのではないかと思われた。さらに忘れもしない、安倍氏腹心の女性閣僚の高市早苗氏が一昨年靖国神社の春の例大祭のあとで記者団に取り囲まれていろいろと質問された際、彼女は次のように答えていた。

「国策を誤り、村山談話の中に国策を誤りと、ありますけれども、それでは当時ですね、資源封鎖もされて、その中で全く抵抗もせずに日本が植民地となる道を選ぶのがベストだったのかどうなのか・・

この高市発言は後日(2013年5月12日)NHKの討論番組でも繰り返されたらしいので、彼女の確固たる信念と言ってもよいのであろう※。そして、このような考え方を持つ彼女を重要なポストに置く安倍総理自身もこの考え方を共有しているものとみなしてもよいのではないだろうか。

※ちなみに高市氏は先のインタビューの最後にこうも付け加えている。
「この私の信念は変わるとは思いません」

しかし、だとするとますますもって安倍政権の「村山談話を継承する」という言葉が信じられないのである。上の高市氏の確信的な信念の表明をみるかぎり、これこそが安倍談話の本音ではないのか?とみえてしまう。もしそうではないとすれば、安倍氏の考え方が大幅に変わったのだとしか説明できない。もし本当に変わったのなら、それは大変結構なことだが、安倍氏が依然として高市氏や稲田氏あるいは荻生田氏や衛藤氏のような自民党の中の最右派グループを側近においているのをみると、安倍氏の本音の思想が変わったのだとはどうしても思えない。要するに安倍談話は表向き村山談話を継承すると言いながら、本音の部分では大東亜戦争聖戦論(自衛戦争論)としても読めるような玉虫色の内容にしようと企んでいるのではないかと思えてしまう。おそらくアメリカはそのような談話になることを心配して、新年早々、安倍談話に対する懸念を表明したのではないであろうか?

世は変わり、今はイスラム国という新たな平和に対する脅威におびえなければならない危機が現実になっているわけであるが、よく考えるとこのイスラム国の聖戦思想と戦前の日本の聖戦思想は同じような発想から来るものであり、共通するのは、いずれも欧米列強の横暴に対する正当な反抗という大義が掲げられたということである。イスラム国が掲げる聖戦論の背景は第一次大戦前の長い期間、イギリスなどに勝手に中東一帯に国境線を引かれていつのまにか植民地のようにされてしまい、そのあと無理矢理に欧米から移住してきたイスラエル民族が土地を奪い勝手に国を作り、大量のパレスチナ難民が発生した。そしてブッシュがはじめたイラク戦争では、大量破壊兵器を隠しているにちがいないというあらぬ嫌疑をかけられ空爆のうえにさらに地上戦で多くの罪のない人々が殺されていった。このような歴史的怨恨の中からIZILが誕生したという経緯がある。もちろん、だからといって、彼らのテロ戦争が正当化されることがあってはならないのは当然であるのはいうまでもない。

それに比べて日本の戦争はどうであろうか?日本は明治維新によって幸いにも欧米の植民地にはならなかった。逆に日清戦争や日露戦争によって朝鮮半島や台湾、樺太などを自国の植民地とし、さらに満州事変の謀略によって中国大陸の一部を植民地化し、以後もその領土拡張の野望はやむことなく、日中戦争がはじまると中国全土を支配しようとさえしていた。高市早苗氏がいう「資源封鎖」というのは、この途方もない規模の日本の侵略行為に対して、アメリカから出されたいわゆる「ハルノート」のことを指すのであろう。

しかし「ハルノート」は、日本軍が中国やインドシナ半島から撤退すべきであるという、あたりまえの条件を突きつけたものであり、その撤退さえ実行されればアメリカは日本を最恵国待遇するとまで約束していたのである。高市氏は、このときアメリカの資源封鎖に抵抗していなければ(すなわちアメリカに戦争を仕掛けていなければ)、日本はアメリカの植民地になっていたはずだとでもいいたいのであろうか?

つまり高市氏によると、先の戦争は侵略戦争ではなく、あくまでも自存自衛のための戦争であったというわけであり、したがって村山談話で「侵略」とか「植民地支配」という言葉を使うことは適切ではないということになるのだろう。ちなみに高市氏は河野談話についても見直すべきであると強硬に主張しており、現在の政府の公式見解とはまったく違ったことをいっているのであるが、安倍政権はなぜか彼女のそのような発言を知りながら、重要閣僚のポストからはずそうとしていない(同じ自民党の女性議員の中には野田聖子氏や小池百合子氏ら力量のある面々がいるにもかかわらず)。いったい、これはどういう意味なのであろうか?政府の公式見解の方は実は海外向けの建前にすぎず、本音ではそうとはかぎらないということなのか?つまり高市氏の発言は玉虫色の効果をだすために放置されているということなのであろうか? 仮にそうだとすると、やはり安倍新談話の発表は危惧されざるをえないのである。談話自体が玉虫色になりはしないのか?と。

安倍氏はこの談話の作成には多くの有識者に協力してもらうことを表明している。当然だろう。安倍さんにはそんな頭も文章力もあるとはおもえない。しかし安倍氏が選びそうな有識者というと、ワックグループとか靖国支持派の人々しか頭に思い浮かばないので、ますます危惧せざるを得ない。

私が想定する妥当な「有識者」というと近代史研究家の保阪正康氏や秦郁彦氏、半藤一利氏などの面々が思い浮かぶが、その中には間違っても藤岡信勝氏や八木秀次氏、櫻井よしこ氏、あるいは青山繁晴氏らを加えることはよもやあるまい。もし後者のような人々が選ばれたときには、村山談話の精神が骨抜きにされるおそれさえある

アメリカが心配しているのはそのことであり、だからこそサキ国務長官が新談話の意義について疑問をさしはさむような発言をしたのではないであろうか。

確かに「村山談話」というものはやや漠然とした表現で謝罪と反省を表明したものであるので、もしかすると村山談話の精神とは真逆の意味を込めて「アジア諸国に迷惑をかけたことを謝罪する」と述べることも可能ではないかと思えなくもない。つまりアジア諸国に迷惑をかけて謝罪をしなければならないのも事実ではあると認めるが、実際は日本だけが悪かったのではなかったなどという意味を言外ににおわせることも可能であるかもしれない。もちろん村山談話にはそういった言外の意味はないはずだが、もしかすると安倍談話ではそのような言外の意味もこめられるかもしれない。

仮にそのような談話になったとすると、少なくとも中国や韓国は(村山談話から)後退したものと受け取るにちがいないし、アメリカやイギリス、オランダなどもだまってはいまい。そうなると談話の発表はかえってマイナスの政治効果しかもたらさないのではないかと危惧されるのである。

さらに今回の安倍新談話で心配されるのは、河野談話の継承がどうなるのかということである。これについては菅官房長官が明確に「河野談話を継承する」とは述べていないので、村山談話の扱いとは異なった対応をとる予定があるのかもしれない。従軍慰安婦問題について、もし河野談話の精神を否定するような新たな談話がだされた場合、韓国はそれを認めることはできないだろう。そうすると日韓関係はさらに悪化することも予想される。

私見であるが、もし歴史的意義のある新談話になるとすればできるだけ具体的な事実に言及したうえで謝罪の意思を示すべきではないかと思う。たとえば次のような重要な事実を列記したうえで日本が始めた戦争の非道さを自ら総括してみてはいかがなものであろうか?

日清戦争から日露戦争、満州事変へと至る流れは、まるでホップステップジャンプのように朝鮮半島から大陸支配を目指した大日本帝国による一連の侵略行為であった。盧溝橋事件で始まった日中戦争は「いずれに非があるか」という問題ではなく、大日本帝国の巨大な侵略行為に対する中華民族の正当な抵抗運動として必然的にはじまった事件である。このあとの上海事変から南京攻略戦へと続く流れは歴史上でも他に例がないほど帝国の野心が頂点に達した結果であった。しかも、この上海事変から南京攻略戦へと至る流れの中で中国を代表する蒋介石総統は日本側が提案していた和平案を受諾する意向があることをトラウトマンドイツ大使を介して日本政府(近衛政府)に伝えていた。にもかかわらず日本政府はそれをあざ笑うかのように中国国民党政府の首都南京へと攻め込んでいった。この人倫にも信義にも悖る進撃が近代の歴史上でも特筆すべき大虐殺事件を起こしたのである。このおぞましい事件が世界に衝撃を与え、アメリカ人の正義感を奮い立たせることになった。日本人の蛮行をこのまま見過ごすことは到底できないという彼らの正義の思いこそが大日本帝国を追い詰めることになったのである。アメリカは日本に対して中国から撤退すべきことを強く要求していた。さもなければ経済制裁が実行されるであろうと。当時の日本は石油をほぼ全面的にアメリカからの輸入に頼っていたために、このアメリカの制裁は死活問題になった。しかし日本が選んだ道は自らの非道を反省することではなく、逆に大東亜戦争という大義名分の下にさらなるアジア地域の侵略を実行することであった。大日本帝国が資源を求めて東南アジアに進出することは自存自衛の為ばかりではなく、アジアを欧米の支配から解放させる為でもあるという都合のよい大義名分を掲げて、東南アジア全域を一挙に攻め込んだ。その一方、アメリカに対しては真珠湾攻撃という奇襲攻撃で臨み、彼らの反撃を未然に防ごうとした。なんという無謀の極みであったのかということにも思い至らず、それらの作戦の勝利に日本国民は狂喜した。このような狂気の戦争を自らエスカレートさせていった結果が二度の原爆を落とされるという災禍を招いてしまったのである。日本人はこの災禍の責任を他の誰でもなく自らに課さなければならない責任があることを認めなければならない。なぜなら日本はそこに至る前に戦争を止める機会が何度もあったことをしっているからだ。・・・

もうひとつふたつ重要なことがある。1965年に韓国の朴大統領の時代に日韓基本条約が結ばれ韓国を朝鮮半島唯一の正当政府として認めて両国の国交が回復された。日本は長年の植民地支配の反省の気持ちも込めて、当時の韓国の一年分の国家予算に相当する3億ドル(1000億円超)の賠償をした。しかし、その賠償によってすべてのけりがついたというような条約中の日本側の文言はあまりにも不誠実であったことを認めるべきである。1000億という金額は当時奇跡的な経済成長を遂げていた日本にとってははした金であった(ちなみに当時の日本の国家予算は8兆円である!)。しかも日本の成長は戦後の朝鮮戦争特需によってもたらされた側面がある。その後の韓国経済も賠償金によって成長していったという側面はあるにせよ、わずか1000億で韓国人に対する過去の悪行を帳消しにしてくれというのはあまりにも虫のいい話であった。これを機会に日韓基本条約において、明確に記されなかった日清戦争以来の侵略と植民地化に対する謝罪の言葉を付け加え、従軍慰安婦に対する個人賠償を含めた賠償も可能な限り対応することも確約してほしい。それと90年前の関東大震災時に何の理由もなく殺害した数千人もの朝鮮人(彼らは日本に併合されてから日本にきていた人々である)に対しても、この機会に謝罪の文言を入れるべきではないか。日本はいまだにこのおぞましい歴史的事件について公式に謝罪したこともないのである。

一方、中国に対しては1970年の田中・周恩来によって結ばれた日中平和友好条約では大きな借りがある。当時、周恩来氏は侵略戦争は日本の軍閥が行ったことであり日本の一般民衆には責任はなく賠償金も必要ないとして、それよりも互いに未来志向で行こうという限りなく太っ腹な態度で条約を成立させた経緯がある。しかも戦後中国大陸に取り残された百万を超える日本兵の帰還に対して中国人は一切復讐を行わず、BC級戦犯に対してもほとんど処罰をしなかった。これについてはあらためて感謝の意を表明すべきである。そして習近平主席に対して周恩来氏が示した未来志向でつきあいたいと表明しつつ、今後は強制徴用などで酷い扱いをした中国人に対する個人賠償にも積極的に応じる予定があるということを表明すべきではないか。

さらにつけくわえれば尖閣諸島や竹島についても、この二島はいずれも日清戦争や日露戦争の過程で日本領土として領有された島であり、日本が行った過去の侵略戦争と無縁に獲得された島ではないことを認め、この70周年という機会に反省の記しとして二島の放棄乃至はこの二島の領土問題がそれぞれの関係国の間で正しく確定するまでは従来の自国の見解を保留にするということを発表されたらいかがなものか。

もしここまで安倍新談話が踏み込んでだされれば、日中と日韓は(さらに日米も含めて)本当に和解できるのではないか?もしそうなれば安倍晋三氏は本当に歴史的な仕事をした総理として末長く記憶されることだろう。仮に日中、日韓の和解が達成されたときの国益の増大を考えれば、竹島と尖閣を失うことによる国益の損失はほとんど取るに足りないものであることは明らかとなるであろう。

しかしながら、安倍新談話がここまで踏み込んでだされるとすると、彼のお友達は当然黙ってはいまい。彼らは村山談話をだした村山氏や河野談話だした河野氏を「国賊」としているぐらいだから、もしそれ以上に踏み込んだ謝罪や妥協を安倍談話が表明すれば、安倍氏は彼らからあらためて「国賊」という烙印を押されることになるだろう。そこまでの覚悟を安倍氏が想定しているとは思えないので、やはりどうしても8月15日にだされるという安倍新談話には危惧せざるをえないのである。


補足;今回の一連のISILによる日本人人質事件に対する対応において、安倍氏が一貫してアメリカやイギリスなどの有志連合の方針を支持しているという立場を明確にするような対応を取り続けたのは、やむをえない選択ではあったかもしれない。しかし、このように欧米の姿勢を支持するならば、70年前に日本が置かれていた立場でも同じようなことがいえることを肝に銘じておいた方がよいだろう。当時の日本がやっていたことは現在のイスラム国がやっていたことよりもはるかに規模の大きな「邪悪」にしかみえなかったということをわれわれはしっかりと自覚し、これについて今後も引き続き反省と謝罪を繰り返していかなければならないということを忘れてはならないのである。少なくとも、これは70年というわずかな時間で区切りをつけられるような古い歴史のかなたの時代の出来事ではないということを(安倍氏を含めて)われわれ戦後生まれの人間こそがこれからの世代の日本人に伝えていかなければならない責任があるということを決して忘れてはならないはずである。

補足2;安倍総理が昨年11月頃から水面下で二人の人質解放交渉をしていたという話が本当なら、決してありえない話がある。なぜそのような重大な局面で安倍総理の一存で解散総選挙が行われたのかということである。仮に選挙中に局面が変われば、どうするつもりだったのか?あるいはまた、選挙によって政権が変わることを余儀なくされた場合、極秘で行われていた人質交渉は別の政権に受け渡されることになる。そんなに無責任なことでよいのだろうか?これは人質のことはどうでもよいと考えていた証拠ではないのか?

本稿未定です。2015・2・01
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