3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

(4)ベントが遅れた真相

(4)ベントが遅れた真相
ここで3月12日前後の事態をあらためて振り返って検証してみよう。ベント作業の遅れと菅総理の視察の因果関係は果たしてあったのであろうか?飯島氏がブログでも認めていたように、果たして因果関係があるのかどうかということは、しばらくの間何の検証もなされていなかったので一切分からなかった。ベント作業実施の遅れについて、東電から事実関係の検証資料が明らかにされたのは震災から3か月以上も経た6月19日のことである。その資料は関係者の証言を基に地震発生から1~3号機が次々と水素爆発を起こした3月11日~15日の事実関係を時系列で述べられたものであり、A4用紙で41ページに相当する詳細な資料である。その中でベント作業の遅れについて関係する箇所がマスコミによって次のように要約され(きわめて簡略化され)紹介されている。

 資料によると、1~3号機では地震発生から約50分後の3月11日午後3時35分に津波の第2波が到達、その2~6分後に全ての電源が失われた。中央制御室は停電し、原子炉水位などの状況把握ができなくなった。午後5時12分に吉田所長が「過酷事故」と判断し、消防車など非常用の注水方法検討を指示。作業員は構内からバッテリーを集めるなど、電源確保に奔走した。1号機では12日午前1時半にベント実施について菅直人首相らの了解が得られたにもかかわらず、1時間半後に予定されていた経済産業相らの発表後に実施するよう本店から情報がもたらされたことや、12日午後3時36分には、電源車による電源が復旧し注水準備が完了したと同時に建屋が水素爆発したことなどが、新たに判明した。また1号機のベント実施をめぐっては12日午前8時半前に一部の周辺住民が避難できていないことが分かったため、避難後に実施するよう調整していた。吉田所長はその後、2、3号機のベントも指示するが、作業が手間取ったこともうかがえる。所長の指示から各種作業の実施まで大幅に時間がかかった詳細な理由は記されていない。津波によるがれきが構内に散乱し、消防車などが通行できなかったり、電源喪失によって暗闇の中を現場確認するのに時間がかかったりしたことが、対応遅れにつながっていたことも、あらためてうかがえる内容になっている。1号機への海水注入をめぐっては、当初、官邸の指示で中断したとする話が出るなど情報が錯綜(さくそう)したが、資料には実際に何があったかのやりとりは記されていなかった。 (6月19日付 産経新聞)

記事の中では詳細な事実関係は省略されているが、少なくともこの報告資料をみれば、東電のベント作業が遅れた原因は菅総理のヘリ視察とは何の関係もないことが分かる。飯島氏らの先入観によれば、菅総理が12日早朝に視察ヘリに出たために東電関係者は菅総理の対応がベント作業を遅らせたのではないかと疑っているが、そもそもベントの作業が遅れたのは周辺の住民の避難が先であると躊躇した(1号機の場合)ことと、ベント作業にかかわる具体的な障害が数多くあったからであり、菅総理のヘリ視察とは何の関係もなかったとされているわけである。非常に穿った見方によると、ベント作業の遅れは同じ時間帯に上空を飛んでいた菅総理のヘリコプターを気遣ったせいではないかともいわれていたが、そのような関係者の証言はあげられていない。なのに、なぜそのような憶測が流れたのであろうか?この話の出所を調べると、どうやら民主党議員からでたらしい。誰かは分からないが、その話の出所からして永田町に飛び交うガセネタの類といってもよいだろう。その出所を確かめもせずに、これは菅降ろしに使えるという考えで安易に飛びついたとすれば、彼らの知的レベルが疑われてもやむをえないだろう。

日本のマスコミは、この問題の事実関係について、なぜかあまり詳しく国民に知らせようとしていないが、皮肉なことに、アメリカのウォール・ストリート・ジャーナルが、日本のマスコミよりもはるかに詳しく事実関係について綿密な検証を発表しているので、少し長くなるが引用しておこう。これを読むと、そのとき福島原発内で何が起こっていたのかということがあらためてよく分かる迫真の報告である。以下、菅総理の視察とベントの因果関係に関する部分のみ引用する。

東電が今週公表したところによると、3月12日朝のこの時点では、1号機の核燃料はすでに溶け落ち、容器の底に積み重なっていたと思われるという。政府関係者らはいま明かす。東電で蒸気放出を決定するのに長い時間がかかったのは、放射性物質を放出すれば事故の重大さが急激に高まると考えられたからだと。東電はなお、蒸気放出をせずに事故を収束させたいと考えていた。なぜなら、大気中に放射性物質を放出すれば、福島の事故は世界最悪のものとなり、チェルノブイリと並んでしまうためだ。これに続く記者会見と国会証言で、東京電力の清水社長は、時間がかかったのは周辺住民の避難への懸念と技術的な問題のためだと述べた。この件に関して、清水社長からはコメントは得られなかった。

3月12日の朝が近づくと、東電の役員を自ら説得するために、菅首相は福島第1原発に飛んだ。午前7時頃、10人乗りの自衛隊ヘリコプター、スーパーピューマは、菅首相と複数の補佐官を乗せ、発電所に到着した。 一行が緊急の対策本部に入ると、東電の職員が放射線レベルをガイガーカウンターで確認した。同行した補佐官は振り返る。同時に入った発電作業員の放射線量が非常に高く、測定した職員はこう叫んだ。『あー、結構高いな、ここは』 グレーの会議用テーブルが二列に並んだ小さな部屋では、東電の原子力事業を率いる武藤栄副社長と発電所長の吉田昌郎氏の正面に菅首相が座った。同席した人々によると、菅首相は、白髪長身の原子力技術者、武藤副社長と衝突した。武藤副社長は、発電所の電力の問題があるため、あと4時間蒸気放出はできないと言った。作業員を送り込んで、蒸気排出弁を手動で開けることを検討しているが、原子炉付近の放射線レベルが非常に高いため、そうすべきかどうか確定できない。一時間ほどで決定すると、武藤副社長は言った。 菅首相の補佐官によると、『人ぐりが悪い』と武藤副社長は言った。

同席していた人にようると、菅首相は『悠長なことを言っている場合じゃない、出来ることは何でもやって、早くしろ』と怒鳴った。この件に関して、武藤副社長、吉田所長からのコメントは得られなかった。東電の広報担当者は、武藤副社長の発言を確認することはできないと言った。東電は常に、事態収束のために、政府などからの支援を進んで受けてきたと広報担当者は語った。 菅首相は、このミーティングの後すぐに福島第1原発を離れた。午前8時18分、発電所の技術者が最初に菅首相らに、1号機から蒸気を排出したいと伝えてから7時間後、東電は首相官邸にあと1時間ほどでバルブを開けると伝えた。 かなり遅れたものの、安全弁はまだ開放が可能だった。

問題はこうだ。通常、それは制御室で電動か圧縮空気で開閉するが、いずれのシステムも機能していなかった。 その結果、高い放射線量の建屋内で作業員が安全弁を手動で開放しなければならなかった。福島第1原発のシフト・マネジャーは、最初にバルブに挑戦するのは自分の責任だと考えた。関係者によると、彼は『俺が行く』と言った。彼は完全防護服を着用し、マスクと酸素ボンベも身につけた。そうまでしても、彼が戻ったときには放射線レベルは106.3ミリシーベルトに達していたという。この数値は、日本で放射線を扱う職場で、1年間に認められている値の2倍だった。1年間で一般の人が浴びる量と比較すると、100倍以上だった。
 記者: Yuka Hayashi and Phred Dvorak
(以上は菅視察とベントにかかわる部分引用です。)

この文章を読むと、先の東電の検証では隠されていた重大な問題が指摘されていることが分かる。すなわち東電のベント作業が遅れた原因はベントによって事故がより拡大化することを怖れたためでもあったとされているのである(赤字部分)。なぜならベントの実施は未曾有の原発事故を招いたことを自ら認めたことと同じであり、それによって放射性物質の拡散が一般人にも具体的な被害を及ぼすことになるからである。すなわち彼ら(東電関係者)はできることならベントを実施せずに、より穏便な方法で事故を収束させたかったのではないかと(ウォール・ストリート・ジャーナルの記者は)みているわけである。しかしながら、菅総理は彼らのそのようなたくらみを見抜いていたのであろうか、自ら自衛隊ヘリで原発に乗り込みベントの実施を迫ったのである。この行為は当然賞賛されるべきものであり決して非難されるべきものではない。にもかかわらず、こともあろうに日本の政治家及びマスコミやジャーナリストたちは、この菅総理の行動をめちゃくちゃな論法で切り捨てた。先の飯島氏の発言を今一度あげてみよう。

地震発生翌日の12日早朝、菅総理は突然現場を視察したいと言い出して、自衛隊のヘリを使って、福島第一原発に出かけた。ちょうど、1号機、3号機の問題が判明した後で、現場は対応に追われていたが、突然の視察により、責任者が総理に応対しなければならなくなった。その後の原発の状況の悪化とは直接の因果関係はわからない。しかし、東京電力側は後に会見で「もう少し早く蒸気を抜いていたら」「もう少し早く注水を始めていたら」と語っている。後に起きた原発事故に鑑みても、現場の作業を中断させた菅総理の責任は、万死に値する。

この論が根拠なき曲解であったことは自明であろう。ウォール・ストリート・ジャーナルの記者によれば、菅総理は東電にベントの実施を迫るために原発にでかけたのである。それは先に述べたように、東電がベント実施を渋る理由があったからだ。飯島氏はその切迫した状況を何一つ調べもせずに、東電の誰かが「もう少し早く蒸気を抜いていたら」という意味のない関係者の述懐を紹介して、あたかも菅総理がベント実施を遅らせた張本人であるかのような印象を与えているのである。

ついでにウォール・ストリート・ジャーナル誌の検証でもうひとつ明らかなことは、菅総理が自衛隊ヘリでベント実施を迫るために原発へ乗り込んだあと、すぐに同じヘリで東北の津波被害を視察するために被災地に飛んだことは、憶測派がいうように東電が菅総理の乗ったヘリを慮ってベント実施を遅らせたという話とはまったく関係がないということである。なぜなら菅総理が原発の現場で武藤副社長と会見したあと、「武藤副社長は、発電所の電力の問題があるため、あと4時間蒸気放出はできないと言った」という言質をもらって被災地の視察へでかけているのである。つまり菅総理は自らのヘリ視察の間にベントによる蒸気放出の可能性がないこと、すなわち少なくとも4時間の猶予があることを確認したうえで1時間半程の視察を行ったのである。

ただし、このような事実関係が明らかになったあとも、日本のマスコミやジャーナリストはそれを国民に正しく伝えようとはせず、菅総理に対する的外れな非難を続けていた。ウォール・ストリート・ジャーナルの検証をみると、菅総理の一連の行動はパフォーマンスどころか切迫した事態の中で最も正しい決断をしたものと評価できるはずだが、マスコミはこの件に関して一切沈黙を守ったままである。
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最も明晰な分析です。

yamaguchi | URL | 2011-11-28(Mon)23:41 [編集]