3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

「…んな、あほな」解散?

ここ2、3日の間に突如として解散風が吹き出したという話題で永田町の住人達とその傍らで仕事をしているマスコミ人が大騒ぎをしている。「…んな、あほな」といいたいところだが、しかし、ここまで大々的に解散風が吹き出したという話になると、これは「もはや総理大臣としてもひっこみがつかないはずだ」などという事情通の観測もあるらしく、どうやらこれは本物らしい。

しかし、だとすれば、ますます「…んな、あほな」※である。
※「…んな、あほな」を東京弁に直訳すると、「そんなバカな」ということになるかもしれないが、関西ではもう少し茶化したようなニュアンスがあり、そういいながら同時に相手をコケにする言外の意味もある。

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新聞などの解説によると、解散権は内閣総理大臣の「専権事項」だそうであり、総理大臣は誰の許可もとらずに、一人の判断だけで国民が選んだ議員をたった数語の言葉で失職させることができるのだそうである※。しかし違和感が残るので、ちょっと調べてみると、このような解説はどうやら法律に基づくものではなく、単なる永田町の慣例として行われてきたというだけであり、ますますもってわけがわからない。

※実際は解散権というのは総理大臣にあるのではなく内閣にあるので、閣僚の一人でも反対すると解散権を言い渡すことはできない。それと解散は天皇の国事行為(憲法第7条3項)であると決められているので、万が一、天皇が解散を許可しなければそれは成立しない。

もちろん私が学校時代に習った授業でも、内閣総理大臣に衆議院の解散権があることぐらいは知っているつもりだが、しかし、総理大臣の解散権が認められているのは、本来、国会議員(衆院議員)から内閣不信任案が提出された場合の対抗措置として認められたものであって、それ以外には必ずしもそのような権限が無制限に認められているとは書かれていない。そもそも日本国憲法第41条で「国権の最高機関は国会である」と定められているので、総理大臣がその最高機関の上に立っているかのような独裁的権力を及ぼすことが可能であるとするのは、憲法そのものの理念にも反するものである。

さらに解散権などというものを乱発することが許されているのは、先進国では日本だけであり、イギリスやドイツなどの議会制民主主義の先進国では解散権そのものの行使が封じられているという。なのにこれほど簡単に総理大臣が解散権を行使できるというのは、「国権の最高機関は国会である」という憲法の本来の考え方を著しく歪めるものであり、独裁制にも通じる危険なものではないかと、今回あらためて感じさせられた。この安倍氏の暴挙を機会にして、今後、簡単には総理大臣の解散権を行使できぬような仕組み(又は法律)を作るべきであると私は思う。。

ちなみに内閣総理大臣の解散権については憲法で次のように規定されているだけなのである。

第六十九条[1] 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。

すなわち衆議院で内閣不信任案が可決されたとき、その内閣は総辞職するかまたは衆議院の解散によって「信を問う」という二者択一の行動をとることができると定められているのであり、本来の解散権というのはあくまでもこの「不信任案可決」とセットになって総理大臣の対抗措置として認められているものなのである

ただし、実際はこのような場合以外にも解散権が行使されることはこれまでも何回もあった。誰しも覚えているのは、小泉政権の郵政解散であろう。このときは参議院で郵政法案が否決されたために、衆議院を解散するという憲政始まって以来の異例の解散総選挙であった。この時の強権的なやり方に対しては当然反発も強く、自民党内からも亀井静香氏など造反者が多数出たが、結局、この時の小泉氏の郵政法案に対する異常な執念に多くの国民が共感を示し、選挙では与党が三分の二以上の議席を獲得するという圧勝(これで参議院で否決されても法案が通る)となり、まさに予期せぬ大成功を収めた解散であった。ただし、このような解散権の乱用に対しては憲法違反ではないかという指摘もあり、実際訴訟に訴えたものもいたが、なぜか棄却されている。

解散というと、もうひとつ思い出すのは2年前の野田総理と安倍(自民党)総裁との予算案審議の議論の中で突如として出た、「それなら解散しましょう」という捨て台詞のような言葉で決まった解散であった。これは当時、野田政権の支持率が増税政策によってガタ落ちとなっていて、その中でも財政再建だけはやらなければならないという覚悟をし、自民党・公明党・民主党の三党で解散の約束とセットで合意していた(いわゆる三党合意)交渉経過の中でそのような約束が取り付けられていた結果ではあるが、これはまさに民主党にとっては事前の支持率調査から完全に下野が予想された解散であり、まさに自爆解散であった。ちなみにこの時の野田氏と安倍氏の議論の中で「違憲状態になっている国会議員の定数削減をやりましょう」という約束を安倍氏としたうえで、解散総選挙に突入したはずだが、その後もこの違憲状態は続いたままであることを忘れてはならない。そのような違憲状態のままで解散選挙をすること自体まさに憲法違反であるということは多くの識者が指摘しており、面白いことに当時は読売新聞もそのような批判をしていたのである。

ところがこれらの解散と今回の解散を比較してみると、その憲法違反の度合いは今回の解散の方が並はずれて高いのではないか?まず議員定数が是正されていない違憲状態のままで、さらに選挙をしようというのはこれは明らかに違憲選挙である.。ところが読売新聞はなんと(!)今回の解散には大義があるなどと肯定しているのである。ここまでくるとまさに安倍総理とは「一衣帯水」死ぬまでご一緒しましょうという、露骨なその安倍御用新聞ぶりには舌を巻かざるを得ないが、しかし、そもそも今回の解散に読売のいうような「大義」があろうはずもない。

今回の解散に「大義」らしいものがあるとすると、来年10月に予定されていた消費税2%アップの方針をここへきて延期せざるを得ないから国民に信を問いたいというぐらいであろう。おそらく安倍さんは解散を宣言するにあたって、次のように釈明したいのではないか?

「私が総理になってから長年続いたデフレ経済は劇的に解消され、アベノミクスは徐々にではありますが着実な成果をあげております。しかしながら同時に消費増税の影響によって景気がここのところ中々上向かないという状況が続いていることも事実として認めなければならないところです。したがって安倍内閣では来年10月に予定していた消費増税10%という方針を若干変更し、もうしばらく景気が上向くのを待った方がよいであろうという判断をいたしました。この安倍内閣の判断に対しまして、国民の皆さんの「信」を問いたいというのがこの解散を決めた私の真意であります。私の内閣では必ずや経済成長と財政再建を両方やり遂げなければならないという難しい使命がありますが、この使命は必ずややり遂げるつもりですので、国民の皆さんのなお一層のご支援をお願いしたいところであります・・・」

しかし、このような方針変更は当初から折り込み済みの政策課題であり、そのために「信」を問うということは、これは国民に対して責任を転嫁しようとすることと同じであろう。本当に景気回復と財政再建の両方に自信があるというなら、自らの信ずる道を選択して進めばよいだけの話である。それに対して結果が出なければ内閣支持率が落ち込むだけであり、それでも気にせずに自らが信じるアベノミクス政策を続けることは少なくともあと2年ぐらいはできるはずである。

なぜ一強多弱といわれる、これほど圧倒的な数でしたい放題のことができる状況の中でありながら、解散総選挙という無意味かつ無駄な金と時間を浪費するだけの儀式をやらなければならないのか?これはおそらく安倍さんの中に別の意図があるからだろうとしか考えられない。その意図は今ここで選挙をやった方が後々得だろうという「大義」とは何の関係もない「小賢しい計算」である。すなわち、いまのうちに解散すれば自民党は多少の議席を減らしたとしても、さらにあと4年の間圧倒的多数党であることを確保でき、自らの政権も都合6年間維持することもできる。これはかつての佐藤総理(安倍氏の大伯父さん)のような大総裁になるということである(そういえば最近、大伯父さんと顔も似てきたし・・・)。

仮にそう考えているのだとすると安倍晋三という人物はいかがわしいよからぬ人物であるということになる。小沢一郎のいかがわしさについては以前にも書いたが、この安倍晋三という人物は別の意味のいかがわしさをもった人物ではないかと思わざるをえない。小沢氏のいかがわしさは政界の壊し屋と呼ばれたごとく、自分の派閥を最大化させるために自ら所属する党を次々と壊すようなことを何度もやってきた。その動機は少しでも権力の座に近付きたい(またはその座を維持したい)という自己中心的欲望に他ならない。ただし、小沢氏はその大胆な行動によってカリスマになった人物であり、彼のカリスマ性にはそれに伴う実力があったことは素直に認めざるを得ない。

一方、安倍総理にはそういったどす黒いほど波乱万丈な小沢氏の生き方とは正反対である。どちらも二世(又は三世)議員ではあるが、安倍氏の場合はお爺さんと伯父さんがいずれも歴史に名を残す大権力者になっており、それが彼のカリスマ性に大きな影を落としていることは想像できる。問題は彼のカリスマ性が先代の後光にすぎない可能性が高いということである。つまり安倍氏は自分自身で大した努力もせずにいつのまにか自民党の総裁の座を射止めてしまったのである。そこにまで至る苦労というのは安倍氏の場合はほとんど感じられない。幼少時からまるでお殿様のように育てられて、自民党の議員になってからもお爺さんと伯父さんの後光のおかげで特別な待遇を自然と周りから受けて育ってきた。もちろん自民党議員には(小沢氏や小泉氏も含めて)二世議員が多いのだが、他の二世議員に比べると、明らかに格の違いがあり、彼はおそらく自分に対する批判というものを聞くこともないぬるま湯的環境の中で地位を築いてきたのであろう。

このような人物が自然と抱くのは強烈な「自己愛」である。周囲がおだててくれるのをいいことに、そのおだてに乗って誰にでもある「自己愛」がどんどんと成長してゆく。その結果がどうなるか?北朝鮮の金一族をみればよく分かる。金正日にしても金正恩にしても、もともと金日成の後光によってその地位を受け継いだにすぎない。金日成はそれなりの大人物であったが、息子とその孫は常に自分の周囲にイエスマンしかもたない環境の中で育てられた。その結果、「自己愛」だけが肥大化し自分を客観的にみることができなくなってゆく。昨年、金正恩が自らの側近を次々と粛清していったのは「自己愛」を肥大化させた権力者の恐ろしさを物語っている。自己愛を肥大化させてしまった人間は決して他人を愛することができない。そのような人物が最高権力者になると、恐ろしい粛清が起こるのは人類の歴史が証明している歴然たる事実である。

もちろん日本は議会制民主主義の国だから、同じような粛清劇が起こることはありえないが、しかし安倍総理のこの前の内閣改造や今回の解散劇をみていると、すでに異常なまでの自己愛的権力者の姿がかいまみえるような気がする。安倍氏の組閣は第一次政権の時から常にお友達内閣と呼ばれた。つまり自分の周辺にはライバルを決して置かずイエスマンばかりを配置するというやり方である。この安倍氏のやり方は一貫しており、第二次政権になってからはそのやり方がさらに露骨になっている。先の改造劇ではいずれ自民党総裁選で安倍氏のライバルになると予想される石破氏を下野させることなく閣内に取り込みながらも、急ごしらえの地方創世相というポストに起用して結果的にライバルの党内影響力を最小化させている。その一方で自らの周辺の重要ポストには高市氏、稲田氏、山谷氏らの女性右派グループで固め、逆に党内バランスの為に自らのグループとは縁遠い小渕氏や松島氏らの女性閣僚を配置したが、その安易さが裏目に出たというので彼女らをいともあっさりバッサリと切り捨てた。

また安倍第二次政権になってから彼は自分の周辺だけではなく、マスコミにもそのやり方を広げようとしてきた。NHKの経営委員に自らのお友達を起用し、早速その力を行使させてNHKの会長人事まで握ることになった。さらには新聞社社長やテレビ局社長とは定例のように何度も会食を重ねている。

今から思えば菅元総理を海水注入問題で追い詰めた情報源は安倍晋三が確認もなく菅元総理を貶めるために意図的に流したガセネタであった。この悪質なガセネタ事件は現在でも刑事事件として係争中である。この一件をみても分かる通り、安倍晋三という人物は決してウソがつけない誠実な人物ではなく、むしろ狡猾でずるがしこい人物である。あの東京オリンピック招致の際にも、「汚染水は完全にコントロールされています」という大嘘を平気で公言していたのを見ても彼の人となりがわかると思う。

今回の前代未聞の解散総選挙という愚挙によっておそらく彼は墓穴を掘ることになるだろう。そのようなリスクも予測できないのは、もはや客観的に情勢を分析する能力も欠くほど彼の脳みそが「自己愛」で冷静さを失っている証拠ではないであろうか?外交も経済も集団的安全保障も拉致問題も汚染水問題も原発再稼働問題も辺野古移転問題でも、さらに夢想だにできなかったイスラム国問題やウクライナ問題でも自らの政策がほとんどすべて「八方ふさがり」という状況の中で死中に活を求めようというのが、安倍氏の本音なのかもしれないが、そのような考え自体がいずれにしても「自己愛」政治の破たんであるということを思い知ることになるのではないであろうか。

ついでながら今回の解散について思いつく限りのネーミングをしてみた。

・「…んな、あほな解散」
・「意味不明解散」
・「動機わからん解散」
・「あざとすぎる解散」
・「大義なし解散」
・「自己愛の末路解散」
・「八方ふさがり解散」
・「増税ごまかし解散」
・「読売と心中覚悟解散」
・「失政隠し解散」
・「小賢しい解散」
・「本音丸わかり解散」
・「国民に責任転嫁解散」
・「投げやり解散」
・「総理の留守中解散」
・「安倍さんレームダック化の始まり解散」
・「民主党にチャンスあげましょう解散」
・「殿ご乱心あそばされるな解散」
・「一度はやってみたかった解散」
・「本当はやりたくなかった解散」
・「あと4年まかせてよ解散」
・「自民党のみなさんごめんね解散」
・「本当は民主党が大喜び解散」
・「次世代の党は死ぬしかない解散」
・「維新の会も弱るしかない解散」
・「みんなは分裂しかない解散」
・「生活の党は小沢氏一人になるでしょう解散」
・「日本共産党は相変わらず頑張ってるでしょう解散」
・「結局は安倍総理による安倍総理の為のわがまま解散」
・「これは600億円を使ってスリルを楽しむただのお遊びなんです解散」
・「国民がバカではないことが証明されるかもしれない解散」
・「やっぱり国民はバカだと証明されるかもしれない解散」


追記(11.18 12:40)
先ほど日テレのニュースゼロでの安倍総理の録画インタビューをみていて驚くべき言葉を聞いたので、ここに記しておく。会談のはじめに村尾キャスターが「この解散はいつ頃決断したのですか?」と聞いた。すると安倍総理はほんの少しの間をおいて、なんと次のように答えたのだ。

「まさに今日決断したのです」

あのオリンピック招致のときの演説と同じように、まさにMr.シラーとでも呼びたい誰にでも分かるウソ八百である。しかし、そう答えた安倍総理の表情はオリンピック招致のときのような元気がなく心なしか青ざめており、いわゆる目が泳いでいるような感じで終始おどおどして落ち着きもない。

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村尾キャスターもびっくりしたのではないだろうか?日本の総理大臣がこんな誰でも分かるウソを平気で付く人物であり、しかもそのウソの付き方があまりにもみえすいているばかりでなく、自分でもウソがバレてるんじゃないだろうかと心配して内心でドキドキしているとは・・・。

今回、安倍総理の外遊中に吹き出した解散風が安倍氏自身の意思でなくて一体誰が決めたというのか?しかし、総理は帰国するまで「私は一度も解散について言及したことはありません」としらばくれていた。この間、外遊中の安倍総理自身が解散風を吹かせていた当の自民党の一部議員たちに電話で自らの意思を伝えていたという事実がなければ、勝手に解散風が吹くはずがないというのは素人でもわかる理屈である。もちろんそんな裏があることぐらいは村尾氏にも分かっているはずだし、安倍総理自身もマスコミの了解事項だと思っていただろう。ところがそんな当たり前のウソを不意に突かれて、安倍氏は適切な答えが浮かばなかったのかウソの上にさらに上塗りのウソをついてテレビの視聴者をごまかそうと咄嗟に思いついたのであろうか?「実は解散については一週間ぐらい前から決断していました」と正直にいった方がよほどよかったであろうに。

お友達の読売新聞に近い日テレから、そんな不意を突くような質問がでるとは思いもしなかったのであろうか。しかし、村尾氏はさらに安倍総理を問い詰めるような目で厳しい質問を繰り返し、安倍総理はほとんど狼狽しているのではないかと思うぐらい彼の目は泳いでいた。安倍さん、そんな小心さで大丈夫なんですかとつい心配したくなるほどであった。
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