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3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

秦郁彦と吉見義明は水と油か?

デカルトは「方法序説」の文頭で次のように述べている。

「良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである。というのも、だれも良識なら十分身に具わっている と思っているので、他のことでは何でも気難しい人たちでさえ、良識については自分がいま持っている以上を望まないのが普通だからだ。この点で みんなが思い違いをしているとは思えない。むしろそれが立証しているのは、正しく判断し、真と偽を区別する能力、これこそほんらいの良識とか理性と呼ばれているものだが、そういう能力がすべての人に生まれつき平等に具わっていることだ。だから、 わたしたちの意見が分かれるのは、ある人が他人よりも理性があるということによるのではなく、ただ、わたしたちが思考を異なる道筋で導き、同一のことを考察していないことから生じるのである。」

この「方法序説」の文頭の言葉は同書の中でもっとも有名な「われ思うゆえにわれ在り」という結論部に導くためのいわば導火線の役割をはたしているのだが、ここでまぎらわしいのが「良識」という言葉の意味である。

通常、「良識」というと、「物事の健全な考え方」とか「すぐれた見識」というような意味であり、このような能力が「この世でもっとも公平に分け与えられている」とか「だれも良識なら十分身に具わっていると思っている」とは信じられない。もしそうなら、なぜこの世の中で意見の食い違いが一般的であるのか説明できない。この疑問に対して、デカルトは「わたしたちの意見が分かれるのは、ある人が他人よりも理性があるということによるのではなく、ただ、わたしたちが思考を異なる道筋で導き、同一のことを考察していないことから生じるのである」と結論しているが、これはどういう意味なのか?これはつまり個々人によって思考の道筋が違うために、心ならずも異なった結論に達しているのだということであり、これを裏返せば、同じような道筋をたどれば同じような結論に至るはずだということになる。

ちなみに「良識」という言葉は原語のフランス語で「bon sens」、英語では「good sence」という訳になるらしいが、これを日本語に訳したとき、なぜ「良識」という訳語になるのか釈然としない。むしろ日本語の「良心」という言葉の方が、その本来の意味に近いのではないかと考える。ただし、「良心」のフランス語訳は「conscience」(英語訳も同じ)なので、デカルトがわざわざ「bon sens」と書いたのは、単なる「良心=conscience」ではないのかもしれないが、しかし、「良心はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである。というのも、だれも良心なら十分身に具わっている と思っているので、他のことでは何でも気難しい人たちでさえ、良心については自分がいま持っている以上を望まないのが普通だからだ・・・」というように、「良識」を「良心」に直して文章を書きかえると、ほとんど文章に違和感がなくなり、納得できるのではないだろうか?

たしかに、われわれはだれでも「良心」というものを公平にもっているものと考えているし、またそれを必要以上にもちたいと思う者もまずいない。だからこそ、たとえばちょっとした交通事故が起こったりすると、「どっちが悪いか」という果てしのない論争に発展するのではなかろうか。

「おまえが急ブレーキを踏んだからじゃないか」とか「いや、おまえのほうこそ前をみていなかったじゃないか」という論争が延々と続くことはあっても、「おまえの良心はどうかしている」とか「おまえの良心は不足している」ということを指摘する人はまずいないようにみえるのは、おそらく「良心」という心の作用はだれにでも備わっているものだという前提があるからではないだろうか?良心が不足している人間に対して、「お前の方が悪いから謝罪しろ」と求めても無理である。「善悪」を認識する心の作用、すなわち「良心」というものが誰にも備わっていると前提するからこそ、相手に対して「自分の方が悪うございました」ということを認めさせうるのであり、その前提がなければ「おまえは悪魔か?」と言う以外に、言うべき言葉もないのではないか?

これは冗談ではなく、つい最近起こった長崎での女子高生殺害事件をみると、まさにそのようにいうしかない人間が存在していることを証明していた。その犯人はただ人を殺して解剖してみたいという欲求があり、その被害者となった友人に対しては一片の同情心もなく、その犯人にはそもそも「良心」というものが備わっていたのかどうかという疑問が起こらざるを得ない。

ただし、よく考えると「良心」という心の作用は決して生まれつきに備わっているというものでもなく、それは後天的に身についてくるものであるといえる。生まれたばかりの小さな赤子には、そもそも良心が備わっていると考えることはむずかしい。しかしながら、同時に「良心」という心の作用は人間にしかないものであり、他のいかなる動物にも存在するものではないということが一般には信じられている。

しかし現実には長崎の女子高生の例をもちだすまでもなく、戦場やあるいは稀なる極限状況において人間の良心は麻痺したかのように、しばしば国のためとか正義という名において虐殺や非人道行為が繰り返される。オウム真理教徒がなぜあれほど平然とサリンを使った大量殺人を行えたのかという謎について、まだ十分に解明されたわけではないが、それに類するようなことは戦時中の日本軍の行動においてもいくらでもみられる。

中国戦線の中で日本軍は毒ガス兵器を使っていた。その証拠に広島県の大久野島に長野県上九一色村のサリン工場よりもはるかに大きな製造工場跡が残っている。驚くべきは毒ガス部隊(731部隊)が兵器の効果を調べるために、3千人以上もの(主に)中国人捕虜を使って人体実験を行っていたのである。これほどの酷い人体実験はイラクのフセインもやらなかったことである。※731部隊についてはwikipedeaを参考。

前置きがやや長くなったが、「従軍慰安婦」の問題がなぜこれほど相反した見解に分かれているのかと想いをめぐらしているとき、ふとこのデカルトの言葉を思い出したのである。

現在、「従軍慰安婦」研究の第一人者として自他ともに認められているのは吉見義明氏と秦郁彦氏である。ところがこの二人の見解はまったく水と油のように交わりあうことがない。一般に、吉見義明氏の見解は左派の見解を代表し、秦郁彦氏の見解は右派の見解を代表していると考えられている。

秦郁彦氏というと南京事件研究でも第一人者として知られているが、この分野での彼の研究は東中野氏や渡部昇一氏らのいわゆる「まぼろし派」と呼ばれる右派とはまったく異なり、むしろ左派リベラリズムに近い実証主義を重んじる立場から「大虐殺は事実としてあった」という見解をとっており、この点では左派にも高く評価されているようだが、一方、この「従軍慰安婦」問題になると、なぜか「南京虐殺はまぼろしだ」という人々ともタッグを組み、まるで右派のヒーローでもあるかのようにみなされている。

今回の朝日新聞の吉田証言取り消し記事にしても、もとはと言えば、秦郁彦氏が92年5月1日の産経新聞正論欄に、吉田証言を覆す自らの韓国済州島での調査を公表したことがきっかけになっている。1993年8月4日に河野談話が発表される過程でも、この秦氏の吉田証言否定によって、日本政府は強制連行の証拠はみつかっていないという立場を貫くことができたし、また韓国政府もその立場を崩すことはできなかった。したがって河野談話が強制連行を認めたものであるというのはまったくの誤解である。

秦郁彦氏の本格的な研究書「慰安婦と戦場の性」(新潮選書)が出版されたのは1999年であり、一方、吉見義明氏の「従軍慰安婦」(岩波新書)が出版されたのは1995年である。したがって、この分野の研究では吉見義明氏の方が先輩であるといえるのかもしれない。面白いのは秦郁彦氏の本を読んでいると、しばしば吉見資料集が引用されており、二人の研究がまったく異なった資料を基にしているわけではないことが分かる。たとえば秦郁彦氏の本の中には次のように書かれている。

吉見義明は広義の慰安所を次のような四―五のタイプに分類している。
A. 軍の直轄
B. 軍が統制し。軍人・軍属専用
B1 特定の舞台専属
B2  都市などで軍が認可(指定)
C. 軍が民間用の売春宿などを兵引用に指定する軍利用の慰安所で、民間人も利用。
D. 純然たる民間の売春宿で軍人も利用。

この分類はほぼ妥当かと思われるが、私はさらに
E. 料理屋、カフェー、バーなど売春を兼業した施設
を付け加えたい。
(「慰安婦と戦場の性」80P)


と、吉見氏の見解に同調するようなことを述べた箇所もある。二人の見解は互いに水と油のように相いれないが、資料自体はほぼ同じものを共有しているようだ(ただし、秦氏が集めた海外の文献資料等は独自のものもある)。

二人は共に東大出の秀才であるが、年齢は秦郁彦氏の方がひとまわり上の世代になる。戦後(昭和21年)生まれの吉見氏に対して、秦郁彦氏は昭和7年生まれであり、戦時中の空気をわずかながらも知っていた世代である、この違いが二人の見解の違いにも影響しているように思われる。秦氏の同年代には石原慎太郎(同じ昭和7年)もおり、面白いことに与那覇潤氏(愛知県立大学準教授)がこの世代について次のように述べているのは、秦氏の人物像を評価する上でも参考になるのではないか。

右傾化の最大の背景は「戦中派の退場」だと思います。司馬や山本七平(1921年生)のような軍隊経験を持つ人々が、国民大の物語の書き手として保守論壇の中心にいた頃は、戦争を日本人自身の「失敗」として捉えるという自意識が強くあった。これに対し、兵隊に取られるより前に終戦を迎えた結果、少年期に思い描いていた「欧米列強と対等な世界の強国」とは異なる国(=端的には対米従属国)で成長し大人になったことへの、割り切れなさを感じている世代を「戦後派」と呼びます。海軍エリートの家系に生まれた江藤淳(1932年生)・石原慎太郎(1932年生)・西尾幹二(1935年生)の各氏など、政権ブレーンないし「右傾化」の文脈で名前の挙がる方々がみなこの世代・・・「文藝春秋SPECIAL」2014夏号

私自身は吉見氏の世代に近いので吉見氏により共感をもつのかもしれないが、秦氏の人物像には正直グロテスクでわけのわからなさを強く感じる。これはもしかすると、与那覇氏のいう世代間ギャップのようなものも確かにあるのではないかとも感じるのである。

デカルトが「方法序説」で述べていたように、われわれの意見が互いに一致しないのは、良識(良心)や理性の差にあるのではなく、ただ考え方の道筋に違いがあるだけなのだというわけだが、だとすると確かにその人が生まれ育った環境や時代によって、違いが生まれてくるのは当然と言えば当然である。

さて、ここからが本題である。

そもそも吉見義明氏と秦郁彦氏のお二人がこの「従軍慰安婦」の問題に興味をもつようになり研究を始めることになった時期はほぼ同時期のこと、すなわちこの問題が新聞紙上で大きな話題を集めていた1991年―1992年のことであったという。ただし、二人の決定的な違いは研究を始めるようになったその動機である。

吉見義明氏がこの問題に関心をもったのは、一人の韓国人元慰安婦が証言に立ちあがったことであった。吉見氏は次のように書いている。

19991年12月、はじめて3人の韓国人元従軍慰安婦が、日本政府の謝罪と補償を求めて、東京地裁に提訴し、日本人に衝撃を与えたことは記憶に新しい。わたしも、ただ一人、本名で名乗り出た金学順が来日直前にNHKのインタビューに答えて、「日本軍に踏みつけられ、一生を惨めにすごしたことを訴えたかったのです。日本や韓国の若者たちに、日本が過去にやったことを知ってほしい」(11月28日「ニュース21」)と述べたことに心を打たれ、従軍慰安婦の研究をした。(岩波新書「従軍慰安婦」の書き出し」

一方、秦郁彦氏はこの問題に関心をもったきっかけとして次のように書いている。

1992年1月11日、朝日新聞の朝刊を手に取った人は、第一面トップに踊る慰安婦のキャンペーン記事に目を見張ったことであろう。今にして思えば、この「スクープ報道」こそ、それから数年わが国ばかりでなくアジア諸国まで巻き込む一大狂奏曲の発火点となるものであった。(新潮選書「慰安婦と戦場の性」の書き出し」)

この二つの本の書き出しを比較してみると、あきらかにその動機に違いがあることがわかる。つまりデカルトの「方法序説」が言うとおり、出発点においてまるで違うのだから、その結論に至る「思考の道筋」が違ってしまうのは当然のことなのかもしれない。

吉見氏の場合は、一人の人物の勇気ある告白に心動かされたというのがその出発点である。一方、秦氏の場合は、朝日新聞のスクープ記事からこの問題が始まったと理解しており、その始まりの動機自体が不純な政治的キャンペーンであったという受け止め方である。言い換えれば、吉見氏の場合はその一人の人物の告白が重大な意味を持つ告白だったという認識が初めからあり、一方、秦氏の場合はその問題に政治的な意味以上の意味があったとは認識されていない。

この二人の出発点における違いは、その後の論証においてもほぼ並行して互いに交わることのない違いである。

そもそも従軍慰安婦という制度は戦前の人間ならだれでも知っていた事実であり、それが著しい人権侵害であるとか、人道上許されない性奴隷制度であったとか、そういった認識はそれ以前には日本人だけではなく韓国人にさえほとんどもたれていなかった。

だから秦郁彦氏はこの問題は本来問題にすべき事柄でもなかったという受け取り方なのであるが、一方、吉見義明氏はこの問題の重大性をいままでほとんどだれも気付かなかったことこそが問題なのであるという受け止め方なのである。もう少しつきつめると、秦氏の考えではそのような制度の問題は戦前の諸悪の中でも取り立てて騒ぐほどの問題ではなかったという認識であるが、吉見氏の考えでは、この問題は人類がその存在に気付くべき新たな人道上の問題であるという認識である。

果たして、どちらの認識が正しかったのであろうか?

現在の国連機関やあるいは欧米先進国の見方からすると、これはあきらかに秦氏の方の分が悪いであろう。この種の人道問題はこの一、二世紀の間、なんどか価値観の衝突が繰り返されており、その都度明らかになったのは、古い価値観が敗退しそれに代わって新しい価値観が共有されるという方程式のようなものがあるということである。

ごく大雑把にいうと、最初に奴隷制度の是非の問題があり、つぎに人種差別の是非の問題があり、その次に性差別の是非の問題があった。この三つの問題はいずれも古い価値観が敗北し、新しい価値観がとってかわったのである。大事なことは、この価値観が再び逆転するということは、許されないことだと考えられていることだ。それほど普遍的なものであるという認識が世界(一部の地域を除いて)で共有されている。これがあらゆる法律の枠組みを超える「人道上の問題」だとされるゆえんである。

われわれは誰も「奴隷制度は必要なものだ」とは誰も言わないし、「差別はやむをえないものだ」とも誰も言わない。しかし、ほんの百年か二百年前まではそれらは必ずしも「悪」であるとは認識されていなかったことに注意しなければならない。熱烈な清教徒の子孫であるアメリカ人が奴隷制度を採用していたのは、聖書に奴隷制度が悪だとは明確に書かれていないからである。それもそのはず、新旧約聖書は2500年から2000年前に書かれた書物であり、その当時はまさに奴隷制の絶頂期であったから、その人々の間では、それを「悪」そのものとは認識できなかったのである。

そもそも神の選民であるイスラエルの始祖ヤコブには正妻とは別に奴隷の女がおり、その女からいくつかのイスラエル氏族が生まれたと記されているので、神が奴隷制度を悪そのものだとして廃止させようなどとしたという思想はいっさい聖書の中にはみられない。

神の子であるイエスご自身もまたパウロのような篤信者も当時の奴隷制度を批判するような言葉を残してはいない。奴隷制度が悪そのものであると認識されたのは、やはりアメリカのリンカーン大統領の大いなる戦いがあったからである。

また人種差別というのもキリスト教徒は当然のこととして長年認めてきた。なぜなら神が祝福したのは白人を中心とするキリスト教徒であり、それ以外の異教徒たちは何らかの罪や因縁によって神から見捨てられた立場であり、したがって彼らを差別することは認められるべきものと考えられてきたのである。特に黒人差別はノアの三人の息子(セム、ハム、ヤペテ)の中で後の黒人の子孫だと考えられているハムの子(カナン)が重大な罪を犯したために「カナンは呪われよ/奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。」(創世記9.25)とノアに予言されていることから由来したのだと多くのキリスト教徒に信じられてきた。

ただし、これらの差別や奴隷の問題は決して外国だけの問題ではない。われわれ日本人も多くの差別や奴隷制度に近いようなことを行ってきたのである。日本ではいわゆる部落差別が古くからあり、彼らの職業は限定され一般人との結婚も許されず居住の自由や移動の自由もなかった。また1910年の日韓併合後は多くの朝鮮人が日本に職を求め、あるいは強制連行されて連れてこられたが、その朝鮮人は部落民と同じように一般の社会からは隔離された地域で生きてゆかなければならなかった。このような公然たる差別は戦前だけではなく戦後も長い間続いたのである。われわれの子供時代には、朝鮮人部落や部落民の地域には絶対に行かないよう、また彼らとは交わらないように親からそう教えられていた。

いわゆる公娼制度というものも西洋人の目から見れば奴隷制度と同じようなものに映るのは当然と言えば当然なのである。日本の公娼制度で普通に行われていた人身売買は、奴隷制度とまったくおなじであった。職業選択の自由がなく居住の自由も、移動の自由も制限される公娼制度は奴隷制度そのものである。しかもそれは性に特化された奴隷なのでより悪質であるともいえる。戦前の日本で一部のキリスト教徒が「公娼制度は奴隷制度そのものだ」と認識して廃娼運動を行っていたのは、当時の厳しい人権状況の中であってさえ、それが異様なものに映っていた証拠であろう。

奴隷制度にしても黒人差別にしても、あるいは植民地という名の民族差別にしても、長らくキリスト教社会で容認されてきたことではあったが、これらを重大な人権問題であると自覚し、それらの制度や偏見をなくすために運動を始めたのも他ならぬキリスト教徒であった。なぜならイエスの教えの中には当時の奴隷制度や民族差別をあたかも容認するような言葉もあるにはあったが、その教えの本質は自由と平等と博愛の教えであり、虐げられた人々を解放することこそが神の正義であると考えられたからである。このような考え方は聖書の字面だけを解釈した結果ではなく、近代人の人権意識の高まり自体が神の導きによるものであるという認識が一般になったからでもある。それに、たとえ神が存在しないとしても、近代人が目覚めた人道上の権利はいかなる宗教やイデオロギーをも超えて普遍的かつ合理的なものであるという考え方がわれわれの社会で共有されることになったのである。

従軍慰安婦という日本軍が戦前に行った制度は単に「強制連行があったかなかったか」というような次元で国際的に非難されているわけではなく、それが戦前の公娼制度の延長であったとしても、それ自体がもはや人道上許されない制度であるという共通の認識で非難されているのである。これを秦郁彦氏はまったく理解していないのではないかといわざるをえない。

補足:
あるラジオ番組で秦郁彦氏と吉見義明氏のお二人が対談したそうである。
以下、勝手ながら、ある方のブログから記事と写真をお借りした。(使用不可であれば連絡してください)
20130617015228.jpg

秦郁彦:内地の公娼制をね、これ、奴隷だということになってくると、そうすると、現在のオランダの飾り窓だとか、ドイツも公認してますしね、それからアメリカでも連邦はだめだけれどネバダ州は公認してるんですよ。これは皆、性奴隷ということになりますね。

吉見義明:それは、人身売買によって女性たちがそこに入れられているわけですか?

秦郁彦:人身売買がなければ奴隷じゃないわけですか?志願した人もいるわけでしょ。高い給料にひかれてね。

吉見義明:セックスワークをどういうふうに認めるかということについてはいろいろ議論があって難しいわけですけれど、少なくとも人身売買を基にしてですね、そういうシステムが成り立っている場合は、それは性奴隷制というほかはないじゃないですか。

秦郁彦:自由志願制の場合はどうなんですか?

吉見義明:それは性奴隷制とは必ずしも言えないんじゃないでしょうか。

秦郁彦:公娼であっても?

吉見義明:それは本人が自由意志でですね、仮に性労働をしているのであればそれは強制とは言えないし、性奴隷制とも言えないでしょうね。

秦郁彦:日本の身売りというのがありましたね。それで身売りというのは人身売買だから、これはいかんということになってるんですね、日本の法律でね。

吉見義明:いつ、いかんていうことになってるんですか?

秦郁彦:人身売買、自体はマリア・ルス(マリアルーズ)号事件の頃からあるでしょ、だから。

吉見義明:それはあの~確かにあるけれど、それは建前なわけですよね。

秦郁彦:建前にしろですね、人身売買ってのは、だいたい親が娘を売るわけですけれどね。売ったという形にしないわけですよね。要するに金を借り入れたと、それを返済するまでね、娘が、これを年季奉公とか言ったりするんですけどね、その間、その~、性サービスをやらされるっていうことなんでね。

それで、娘には必ずしも実情が伝えられてないわけですね。だからね、しかし、いわゆる身売りなんですね。

荻上チキ:(着いてみたら)こんなはずじゃなかった、という手記が残っているわけですね。

秦郁彦:う~ん騙(だま)しと思う場合もあるでしょう。ね。

(中略)

だからね。これは、う~ん、なんていうかな、自由意志か、自由意志でないかは非常に難しいんですね。家族のためにということで誰が判定するんですか。

吉見義明:いや、そこに明らかに金を払ってですね、女性の人身を拘束しているわけですから、それは人身売買というほかないじゃないですか。

荻上チキ:ちょっと時期は違いますけれどもね、『吉原花魁日記』とか『春駒日記』とかっていう、昔の大正期などの史料などでは、親に「働いてこい」と言われたけど、実際に働いてみるまでそのことだとは思わなかったケースもあったりすると。

秦郁彦:うん、そうそう。

荻上チキ:それは、親も敢えて黙っていたかもしれないし、周りの人も「いいね、お金が稼げて」と誉のように言んだけども、内実を周りは知らなかったっていうような話は色いろあったみたいですね。

吉見義明:実際にはあれでしょ、売春によって借金を返すというシステムになってるわけでしょ?

秦郁彦:今だってそれはあるわけでしょ。

吉見義明:それは、それこそ人身売買であって、それは問題になるんじゃないですか?

秦郁彦:じゃぁ、ネバダ州に行って、あなた、大きな声でそれは弾劾するだけの勇気がありますか?

吉見義明:もしそれが人身売買であれば、それは弾劾されるべき。

秦郁彦:志願してる場合ですよ、自発的に。自発かね、その~どこで区別するんですか?

吉見義明:何を言ってるんですか、あなたは?

荻上チキ:前提としてそういったふうに(連れて行かれた女性が慰安所での性行為を拒否し)イヤだイヤだといった場合は、帰る自由といったものはあったんですか?

秦郁彦:借金を返せばね。借金を返せば何も問題ないわけですよ。

吉見義明;え~つまり、借金を返すまで何年間かそこ(慰安所)に拘束されるわけです。それが性奴隷制度だっていうこと。

秦郁彦;そうすると親がね、返さなきゃいけんのですよ。親が売ったのが悪いでしょ。

吉見義明:秦さんがわかってないのそこですよ。

秦郁彦:どうして?

吉見義明:借金を返せば解放されるというのであれば、それは人身売買を認めてることになるじゃないですか。


吉見義明:先ほど言いましたように略取とか誘拐とか人身売買で連れて行くのがほとんどだったわけですよね。そうして朝鮮半島で誘拐や人身売買があったということは、え~、秦さんも認めておられるわけですね。

秦郁彦:当然ですよ。それが大部分ですよ。

吉見義明:それでたとえ業者がそういうことをやったとしても、その業者は軍に選定された業者である。で実際に被害が生じるのは慰安所ですけど、その慰安所というのは軍の施設である。軍がつくった軍の施設であるわけですね。そこで女性たちが誘拐とか人身売買で拘束をされているわけですね。当然、軍に責任があるということになると思う。


(この項、未定です)
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