3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

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山本七平の日本人「ひとりよがり」論

私は若いころに全共闘の学生運動にほんの少し関わったものだが、その当時、戦前派の大人から「若者がそんな運動に熱中するのは赤線が廃止されたからだよ」と、よくいわれたものである。「赤線」とはすなわち戦後になって廃止された日本の公娼制度のことである。戦後に廃止するときは相当の反対があったらしいが、さすがに国際的には評判が悪く、多くの人権条約にも抵触するおそれがあったので廃止せざるをえなくなったわけだが、廃止されてからもそれを懐かしむ大人が当時多くいたということをみると、よほどよい思いをしたのかもしれない。もちろん、その人々(すなわち戦前派)が吸っていた世の中の空気というのは私にも全然わからない。

「従軍慰安婦という制度は日本に古くからあった伝統的な公娼制度の延長であり、決して強制連行を伴う悪辣、非道なものではなかった」というような言い訳を、当時の社会の空気や公娼制度の実態を肌で知らない現代の大人が国連の人権委員会やアメリカ議会などに訴え、そしてそのような意見広告をアメリカの新聞にだしたりしている。驚くべきことに、その意見広告の代表者名にはなんと安倍総理の名前もあったという。※意見広告は2007年と2012年いずれも米ワシントンポスト紙に掲載されたという。

先般の朝日新聞社の吉田証言取り消し記事にたいして、安倍総理は朝日新聞に対し「世界に向かって取り消していくことが求められている」と指摘したそうだが、そのようなことは自らこれまでも行ってきたことで、そうでありながらなおその成果があがっていない(つまり誤解が正せない)ので、この際、朝日新聞社にもこの種の意見広告に賛同する活動に参加してほしいということなのであろうか?(そんなことをすれば朝日は世界のマスコミの笑い物になると思いますが)

つい先日は、大阪維新の会幹事長でもある松井大阪府知事がわざわざアメリカ領事館に出向いて、同じような説明をしてきたそうであるが、そのような説明で慰安婦問題に対する誤解が解けるなどと思っているのだとしたら、それこそ大いなる誤解ではないかと思う。

維新の会と言えば、昨年5月にも橋下氏の慰安婦発言が国際的にも大変なニュースになり、散々、世界中から批判されたはずなのだが、最近では維新の会だけではなく、安倍政権の重要閣僚を含む多くの自民党議員、そして(NHK会長を含む)右派ジャーナリズムの世界では「河野談話を見直すべきだ」という話が再び活気を帯びてきている。

中でも、なんとも奇怪なのは今回の安倍総理の改造内閣の顔ぶれである。安倍政権は発足当初こそ「河野談話の見直し」を口にしたが、その後アメリカの圧力を受けて一旦ひっこめたはずなのに、今回の改造内閣の顔触れをみると(朝日の吉田証言取り消しにより)状況が変わったなどとして、再度「河野談話を見直すべきだ」と主張する強硬派の高市早苗氏や稲田朋美氏らを重要閣僚に取り込んでいる。一体、この改造内閣はどうするつもりなのであろうか?

(一言皮肉を言わせてもらうと、あなた方は朝日新聞社という良識のある大新聞社が吉田証言の嘘を認めたのだから、これで権威のある方からお墨付きをもらったようなもんだとでも、考えたのでしょうか?また、この朝日のお墨付きがなければ、談話の見直しはむずかしいとでも考えていたのでしょうか?)

さらに奇妙なのはマスコミ(朝日や毎日も含め)がこの「矛盾」について一切取り上げず、その代わりに過去最多の数に並ぶ女性大臣を5人起用したという清新さ(?)を評価するかのような欺瞞的解説でお茶を濁すという情けなさである。これは祝いの日には互いに悪口は止めましょうという日本的風土のなせるわざなのどうかしらないが、マスコミがいうべきことを言わず、伝えるべきことを伝えず、時の政権におべんちゃらばかりいうようになってしまっては日本もおしまいであろう。

そうこうするうちに海外のマスコミが今回の組閣に大蹴りを入れてきたので、びっくり仰天したのは安倍政権ばかりでなく、この問題で知らんぷりをしていた日本のマスコミもそうではなかろうか。高市早苗氏と稲田朋美氏が日本のナチグループと並んで写真を撮っていたというニュースは、欧米では即刻辞任と言われるほどの報道価値があるとされているらしいが、日本人にはいまいちピンとこない。政治家ならいろんな知らない人と並んで写真を撮ることもあるので、たいしたことないじゃないかとわれわれは思うが、問題はなぜこの時期を選んで彼らがこのニュースを報道したのかということであろう。

ちなみに最近では朝日以上に反安倍姿勢を鮮明にしている東京新聞には次のように辛辣な記事が書かれている(最近では全国紙があまりにだらしないので地方紙が頑張っているようだ)。
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高市早苗総務相や自民党の稲田朋美政調会長が、ナチス・ドイツを信奉する極右団体男性とツーショット写真を撮影していた。海外の主要メディアは「安倍政権のネオナチ関与疑惑」などと盛んに報じている。議員側は「人物像は知らなかった」と釈明するものの、もともと右翼的な言動で知られる政治家だ。日本の政界やメディアの反応は鈍いが、ナチスによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の惨禍を味わった欧州の基準では、即刻辞任モノの一大スキャンダルである。 (東京新聞9・12付)

実はその写真が撮られたのはもう三年も前の話なのであるが、わざわざこの組閣の時を選んで世界が伝えたのは何らかの意図があるはずだ。この二人の自民党女性議員は国内ばかりではなく、世界でも靖国参拝などに超積極的な右翼議員としてマークされていたのであろう。しかも、彼女らは慰安婦問題でも「河野談話を見直すべきだ」と、まるで安倍総理の本心を代弁をするかのように言い続けている強硬派である。ついでながら高市氏と稲田氏はお二人とも大東亜戦争は自衛戦争であったという靖国史観論者であり、おそらくそのような情報も世界では広く知られているのだろう。これはナチスの戦争が自衛戦争であったといっているのと(彼らにとっては)同じことなのだ。欧米の常識ではこのような侵略戦争を肯定するナショナリストが政権の重要閣僚につくとは考えられないのであろう。

今回、欧米のマスコミが一斉にこのニュースを報じたのは、只単にナチスを連想したからという単純なものではなく、むしろこのような人物を重要閣僚になることを黙って許している日本のマスコミの批判力のなさに対する苛立ちもあったのではないかと想像する。

現在のところ、アメリカ政府が今回の組閣に対して口をはさむことはしていないが、しかし、もし安倍総理が彼女たちの主張通りに河野談話の見直しを政策日程に掲げ始めたら、おそらくアメリカもだまってはいまい。昨年暮れに安倍総理が靖国参拝を強行したとき、アメリカは「失望した」というメッセージを伝え、そして日韓の会談を実現させるために、安倍総理に村山談話と河野談話を継承することを確約させた。にもかかわらず、この朝日の一件で、再び河野談話を見直すとなれば、もはやアメリカは安倍総理を見放すしかないであろう。

このようにあくまでも「河野談話の見直し」を画策する安倍政権及び右派の人々の動きをみていると、なんともしれない妙な違和感を感じる。それは戦前の体制が復活するとか、そういった具体的な不安ではないにしても、もっと奥深いところで戦前の日本人の考え方に通底しているような感じである。この違和感の正体を考えていたところ、やはり思い当たったのは故山本七平氏の指摘である。

故山本七平氏が昭和四十九年(1974年)に行われた講演で述べられた話が後に文庫本化された「比較文化論の試み」(講談社学術文庫)という本に面白い一節がある。少し長くなるが以下引用しておこう。

・・・と申しますのは、その考え方をする人が、自分の考え方がどこからきたのかということにまったく無関心、いわば「自分の考え方を歴史的に把握しなおす」ということをしないことです。そこで「なぜ、そういう考え方をするのですか」と問いますと、「そうなのだから、そう考えるだけだ」という返事しか帰ってこないのです。としますと、その人にとってこの考え方は、世界のどこででも、またいつの時代にも、絶対に反対される気遣いのない「普遍的な真理」になってしまいます。
こうなりますと、それをそういう文化的伝統のない社会の人が見ますと、「ひとりよがりで同情心がない」ことになります。またそれによってどんな摩擦を生じても、「自分の考えかた」を「ある時代のある文化圏のある考え方」と把握しなおしていませんから、「反省」は不可能になります。同時にこれは、相手との対比のうえで、自分の考え方を説明できませんから、普遍性をもちえません。それでいて、否むしろ、それなるがゆえに、その人は自分の考え方は、全地球的に通ずる普遍性をもっていると信じてしまうのです。
そうなりますと、あらゆる現象を、自分の判断だけでみていく、その判断だけで相手に対するということになり、ときには大変に困った状態も現出するわけです。したがって、ひとりよがりで同情心がないということになりますが、これが非常に面白いことに、一見、同情心に見えるものもあるわけです。その一例として、私の恩師ですが、塚本虎二先生が「日本人の親切」っていう、面白い話をしておられるんです。

先生は、日本の聖書学、新約ギリシャ語学、ヘブライ語学などの基礎を建てられた方で、日中の古典に通暁された碩学ですが、一面非常にユーモラスに富む、面白い方でした。この先生が若いころ、下宿していた家のご老人は非常に親切な方で、ヒヨコを飼っていたのですが、冬、あまりに寒かろうといってお湯を飲ませたところがみんな死んでしまったという。先生は「君、笑ってはいけない。これが日本人の親切だ」といっておられますが、これがですね、まさに日本的な親切なんです。ひとりよがりなんですね。
(中略)
学問的にいいますと、こういうのは感情移入と言うんです。自分の感情を相手に移入してしまう。そこにいるのは相手じゃなくて自分なんです。自分は水を飲むのは冷たくていやだ、するとヒヨコもいやだろうと勝手に感情移入をする。

同じことは実は、年中行われているんです。特にこれが非常に大きな問題になってくるのは外国に対する評論とか新聞記事です。これをみてますと、もう完全に感情移入なんです。自分の感情を相手に移入してしまってそれを充足する、それを相手への同情ないしは共感とみなす。そしてこの二つが、混同してしまった状態は、あの韓国への評論、あるいはベトナム戦争への評論などに必ず出てくる。
私自身覚えがあることですが、フィリッピン人がいうには、日本人というのはアジアの解放とかなんとかいってやってきたが、誰一人、「あなたたちのために私たちが何かできることがありますか」と聞いた人間はいないというんです。他人のためになにかしてやってるつもりなんですけど、そのような聞き方をしない。ある韓国人にこの前会ったとき同じようなことをいわれたんです。韓国の民主主義を心配するっていう。しかし、そのために何をしたらいいですかということを日本人は絶対に聞かない。これは同情じゃないんです。いわばひとりよがりです。(「比較文化論の試み」講談社学術文庫P19-22)


この山本七平氏の話は、実際、過去現在を通じてほとんどどの時代にもあてはまりそうなので、私は日本人が少しも変わっていないのだなとおもわざるをえないのである。日本が韓国を併合する際にも、このヒヨコの話と同じで、要するに自分たちと同じようになれば韓国の人も幸せになるんじゃないかと善意の押し売りをしていたという側面もあるであろうし、大東亜解放戦争によって東南アジアの民衆を救いたいという壮大な妄想を押し広げようとしたのも同じひとりよがりだったのではないであろうか?

安倍氏や松井大阪府知事らが従軍慰安婦の問題で「公娼性の延長であり強制性はなかった」と熱心に説明したところで、そのような話で文化も伝統も宗教も違う相手が納得するだろうというのは浅はかな「ひとりよがり」でしかないのではないか。そもそも彼らは知らないのであろうか?戦前の日本の公娼制度というもの自体が世界の中で異様な制度であったということを。

これは秦郁彦氏のような立派な研究者にしても、そのあたりの問題意識が乏しいのではないかと感じるのである。いずれ詳しく秦氏の本の内容を紹介するつもりであるが、彼があれほど詳細な事実を集め、さまざまな慰安施設における軍の関与を明らかにし、また人身売買やだまし甘言等によって多くの韓国人や中国人、そしてオランダ人を含む多くの現地の女性をそのような施設で日本軍のための性サービスを強要していたという事実を数多く指摘しておきながら、なおかつそのような行為が必ずしも日本軍ばかりではなかったという説明によって相対化し、その罪を薄めようとする意図のようなものを感じるのである。秦氏によると慰安婦問題を強制連行があったかなかったかという問題に矮小化しなければ問題が拡散し、賠償などの責任問題にきりがなくなるというのであるが、これは彼自身が由来する官僚的発想(彼は元大蔵官僚であった)であり、人間の良心から出ずるものではないだろう。

このような説明で抜け落ちているのは、そもそも公娼制度を含む日本人の性に対する独特な考え方が欧米人や異文化の人々からはなかなか理解されないものであるという認識である。

日本人は古代から性の問題をおおらかに扱ってきたし、これは古事記や日本書紀の記述をみてもわかる。しかし聖書を信じてきた人々(これはキリスト教やユダヤ教だけではなくイスラム教もそうである)は、性の問題を人間の罪の問題として扱い、これを忌避しながら生きてきた。その教えの基本はモーセがシナイ山で神から直接に授かったとされる十戒である。十戒とは人類の歴史上最も古い法典の一つであり、この十戒が基本になってユダヤ教の律法というものができあがり、そしてその教えはキリスト教にも受け継がれ、またイスラム教にも影響を与えるようになった。ちなみに、この「十戒」とは以下の十の戒めからなっている。
1. わたしのほかに神があってはならない。
2. tあなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
3. 主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
4. あなたの父母を敬え。
5. 殺してはならない。
6. 姦淫してはならない。
7. 盗んではならない。
8. 隣人に関して偽証してはならない。
9. 隣人の妻を欲してはならない。
10. 隣人の財産を欲してはならない wikipedeaより

この6番目に記された「姦淫してはならない」という戒めは、「殺人してはならない」という戒めの次に記されていることでも分かる通り、非常に重い戒めであるとされており、このためにユダヤ教では姦淫をした女は「石でもって打ち殺してもよろしい」と律法に記されている。したがってユダヤ教では売春婦という存在はこの世にあってはならない存在だとされ、これはイスラム教においても同じである(ただし、イスラム教では一夫多妻制度が認められている)。一方、キリスト教はイエスの女弟子であったマグダラのマリアが売春婦だったという言い伝え(これは何の根拠もない伝説にすぎない)があり、たとえ売春婦であろうとも悔い改めれば神に許されるというというような教えから、性の乱れに対してはゆるやかになっていった。これは特にカトリック系の諸国に共通している。

尚、反キリスト教のイデオロギーで統制された旧ソ連や中国、ベトナムなどの共産主義体制下では基本的に売春業は資本主義的な堕落だとして厳禁されており、このある意味での清潔さが彼らが民衆の支持を勝ち取った原因でもあった(ただし、ソ連軍が終戦間近に満州一帯を攻め込んだとき甚だしい強姦があったことは有名な話である)。

キリスト教というのは日本の浄土教と同じで戒律というものがなく、ただ「信じるだけで救われる」というような教えなので、性に対する罪意識がうすくなり、近代の人本主義思想とともに性の乱れは多くのキリスト教国で深刻な問題になっている。しかし、日本の場合のそれ(たとえば性風俗産業の繁栄など)とはまた別の問題であろう。

橋下大阪府知事が昨年5月に問題発言をした中で特に異様な受け止め方をされたのは次のような話であった。

日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は13日夕、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)を視察し同飛行場の司令官と面会した際に「もっと日本の風俗業を活用してほしい」と促していたことを明らかにした。「風俗業を活用してもらわないと、海兵隊の猛者の性的なエネルギーをコントロールできない」と伝えたというが、司令官は「米軍では禁止されている」などと取り合わなかったという。(5月13日産経ニュース)

この話がなぜ海外で異様に受け止められたのかと言うと、橋下氏が日本の文化と海外(特にキリスト教国)の文化の違いを認識せず、まるでわれわれ(自分)がいいとおもっているものはアメリカ人にとってもいいのではないかと「ひとりよがり」に決め付けようとするその無神経さである。ご存じのように、これと似た話は今年1月の籾井NHK会長の就任会見の場でも繰り広げられた。籾井会長の話によると、従軍慰安婦は世界中のどの戦争地域にもあり、売春婦も世界中にいるではないかという話である。その証拠としてオランダの飾り窓の話まででてきた。

ちなみに日本軍が運営していたような従軍慰安婦の制度が世界の戦争地域のどこにもあったというのはまちがいである。秦郁彦氏によると第二次大戦中に似たような制度を作っていたのは日本とドイツだけであったとしている。その規模もほぼ同じぐらいで、日本では400箇所、ドイツでは500箇所(いずれも1942年当時の資料)あったとしている。ただし、秦郁彦氏のドイツの慰安婦資料がどれぐらい正確かはわからない(彼のドイツ慰安婦資料の多くは西尾幹二氏の訳に負うところが多いようだ)。一方、期間にすると日本では日中戦争から太平洋戦争終結までの丸8年であるが、ドイツでは3年か4年である。また日本軍慰安婦の特異性はなによりも朝鮮人や台湾人、中国人、フィリピン人、インドネシア人、ベトナム人、マレーシア人、オランダ人、・・・等々、多くの植民地や占領地の女性を活用した事であった。この点、ドイツではどうだったのかという点は秦氏の資料の中にも記されていない。当時のドイツ人は人種的優生思想が強く、そのためユダヤ人や他の劣等人種との性交渉は人種法で禁止されていたという。したがって、日本とドイツで似たような従軍慰安婦の制度があったといっても、両者はかなり異なった様相があり、なにもかもいっしょくたにするのは暴論ではないかと思うが、このあたりの秦氏の説明はあまり歯切れはよくない。むしろ秦氏の意図は慰安婦という制度の罪を相対化することが目的ではないかと勘繰られてもしかたがないだろう。

不思議なのはドイツでは慰安婦制度が特に周辺諸国から告発されなかったのは、どういうわけか秦氏は明確に記していないことである。これは秦氏が書くのをためらったのではないかとしか考えられない。想像するにドイツの慰安婦制度というのは同じドイツの女性に限られていたのではないであろうか?もしそうではないというなら、秦氏はそのあたりの事情を明らかにすべきではないか。そもそも秦氏の論によると、日本の慰安婦制度だけが告発されるのは不公平ではないかという終始一貫した論理なのであるが、これには少々頭をかしげざるをえない。

現在、国連人権委員会などで、この問題が人道問題であると規定されていることに対して秦氏の議論はこの規定自体を否定しているのか、それとも日本だけがまるで悪者にされているかのように非難されるのが不公平だといっているのか、彼の本を最後まで読んでもよく分からないのである。仮に後者であるとすると、逆にこれは海外から「ひとりよがり」と受け取られてもしかたがないのではないかと思う。

補足 
日本独特の公娼制度はそれ自体「性奴隷」ともいうべき制度であったという指摘を他ならぬ戦前の日本人がしていた。戦前の公娼制度というのはたとえばオランダなどの公娼制度とはまったく異なったものである。なぜなら遊郭などに集められた女性のほとんどは本人の意思で娼婦になりたいと思って自主的になったわけではなく、ほぼすべて人身売買によって売られていった女性であった。その原因は農村地帯の極端な貧しさにあり、身売りをする以外に生計を立てる手段がなかったからである。しかも女性たちは前借金を返すために一切の自由を拘束され、仕事を辞めたくても辞められないように実質的にその身分が拘束されていた。このような非人道的扱いに対して、戦前のキリスト教徒などが立ち上がり廃娼運動を続けていた。その結果、いくつかの県で公娼制度が廃止されている。たとえば1937年に鹿児島県議会では「公娼制度は人身売買と自由拘束の二大罪悪を内容とする事実上の奴隷制度なり」として廃娼決議をしていた。(この項未定です)
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