3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

(3)ヘリ視察の問題

(3)菅総理ヘリ視察の問題
3.11の震災発生当初、週刊誌やTVワイドショー等で菅総理の対応に逐一非難が浴びせられたことは記憶に新しい。たとえば菅さんは震災翌日(3月12日)の早朝、自衛隊ヘリに乗って上空から被害の状況を視察に行っている。このときカメラマン付き添いでカメラを回しながら視察の状況を記録していた。この行動が後日、なぜか非難の対象となったのである。誰が口火を切ったのか分らないがTBSの情報7デイズという報道番組(?)で、タレントのビートたけし(北野武)が次のようなことを口走っていたのを覚えている。

「だいたいだね、菅さんはカメラマンを同行させてさ。何がしたかったんだろうって思うよね。あれってさ、要するにスタンドプレーでさ・・・」

このたけしの発言に触発されたのかどうかしらないが、後日、似たような非難が次々と沸き起こってくる。小泉総理の秘書官として名を馳せた飯島勲氏がブログにも次のようなことが書かれている。

3月11日、この日ほど、自分が官邸にいたらと悔しい思いをしたことはない。マグニチュード9.0で東日本を襲った大震災。発生から日を追うごとに犠牲者の数が増えている。(西暦)869年に同地域で発生した「貞観地震」(マグニチュード8.3)以来、1000年に一度といわれる自然災害は、史上まれにみる無能な政府が引き起こす二次災害によって、さらに被害が拡大している。「政治休戦」もあって、無意味なパフォーマンスに走る総理大臣を止める人もいない。最悪の事態が最悪の政権で起きてしまった。 (中略) 地震発生翌日の12日早朝、菅総理は突然現場を視察したいと言い出して、自衛隊のヘリを使って、福島第一原発に出かけた。ちょうど、1号機、3号機の問題が判明した後で、現場は対応に追われていたが、突然の視察により、責任者が総理に応対しなければならなくなった。その後の原発の状況の悪化とは直接の因果関係はわからない。しかし、東京電力側は後に会見で「もう少し早く蒸気を抜いていたら」「もう少し早く注水を始めていたら」と語っている。後に起きた原発事故に鑑みても、現場の作業を中断させた菅総理の責任は、万死に値する。

飯島氏は「因果関係は分からない」としながらも、菅総理のヘリ視察がベントの作業を遅らせた原因ではないかという先入観をもって、これこそが「万死に値する」菅総理の大罪だと決めつけているわけだ。この非難は論理的にはおかしな非難である。因果関係が分からないのに、あたかも因果関係があると決めつけて「万死に値する」という結論に飛躍させているのである。もしもヘリ視察とベントの遅れの因果関係がはっきりしていれば確かに飯島氏の非難は正しかったということになるだろうが、そうでもなければ、これはただの言いがかりにすぎない。ことによると、飯島氏は菅総理が自らのパフォーマンスを優先したということに噛みついているだけのことかもしれないが、それにしても、なぜ菅総理のヘリ視察がパフォーマンスであるという単純な結論になるのであろうか?飯島氏というと、それこそ小泉時代に総理としてのパフォーマンスを影で演出していた名演出家である。タレントのビートたけしにしてもそうであるが、当代一流の役者(演出家)でもある彼らの眼には権力者の行動というのはすべて演技にみえてしまうのであろうか?

もちろん人間の行動には必ず裏があり、その行動がどんなに利他的にみえようとも、なんらかの打算や計算が働いていることは当然のことである。ましてや政治権力者であればなおさらのことであろう。殊にこの震災によってはっきりしたことは、政治家の行動というのは100のうち90以上は打算からでているということである。もしそうではないという人がいれば、逆にその証拠を教えてほしいと私は思う。彼らにわざわざ指摘されなくとも大部分の国民は政治家の行動というものを純粋であるとは信じていない。むしろ国民はそのことを十分に分かったうえで政治家の行動の良し悪しをみているのではなかろうか。でなければパフォーマンスの達人であった小泉総理があれほど人気を集めることもなかったであろう。田中角栄のときもそうであるが、国民に人気のある総理というのは誠実な人柄ではなく、むしろハッタリで演技をするほど役者っぽい総理が受けるのである。そのような基準に照らせば、菅総理は役者としては二流かもしれないが、その分、人柄の誠実さという点では評価できる人物ではないかと思う。私自身の菅総理に対する評価は別の章で詳しく述べるつもりであるが、菅総理はある意味で日本の政治家にいままでなかったタイプであるということは確かである。彼の行動は100%「純粋」であるとはいえないが(それは原理的にありえない)、ある程度「純粋」に近い資質をもった稀な政治家である。だからこそ、彼は誤解を受けやすい人物でもあるということがいえるのであるが、それについてはいずれ述べることにしよう。

いずれにしても、ビートたけしや飯島氏の目には二流役者のパフォーマンスにみえたかもしれないが、私には菅総理があの深刻な国家的危機の最中で「パフォーマンス」を考えるほど計算高い人物だとは到底思えない。国家の運命を預かる総理が震災の被害状況を直接にヘリで視察したいと発想することは、むしろ当然であり、それはある意味では凡人的(大根役者的)な発想である。換言すれば、それは普通の人間の責任感から発せられた純粋に利他的な行動の一種である。もちろん、だからといってそれは100%純粋であるというわけではない。その行動を選択した動機の中には当然ながら利己的な目的も含まれている。すなわちその行動の中に幾分かは国民の評価や賞賛を期待した不純な動機が含まれていることも確かである。ただし100%純粋でないからといって、その行為をただちにスタンドプレーだと決めつけることはできない。もしそうなれば、いかなる政治家の行為も等しくスタンドプレーとして批判されなければならなくなるだろう。

結局、ビートたけしや飯島氏が語っているのは、菅総理の行動があたかも純粋にみえることに対して異議を唱えていることでしかないのである。すなわち、菅総理がまるで野心のない人間であるかのようにみえたことに対して、そんなことはありえないよというあたりまえのことを語っているにすぎない。しかし問題の本質は菅総理が純粋であるか不純であるかということではない。結果として、その行動がいかなる果実をもたらしたのかということによって、その行動の良し悪しが評価されなくてはならない。政治家の行動というのは常にその基準によってのみ評価されるべきであることは当然である。
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コメント


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ビートたけし大嫌い。
彼の映画も嫌い。
それはともかく、
菅氏の行動の”真の動機を疑う”というのは、悪意を持った言動だ。
一般人はそれを受け入れるほど、無知蒙昧。
悲しくて仕方がない。

yamaguchi | URL | 2011-11-28(Mon)23:52 [編集]