3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

日本は孤立化しつつあるのか?

安倍総理の靖国参拝が世界中に波紋を広げているが、これは当然予想されていたことである。今回は中国、韓国だけでなく、米国からも「失望した(disappointed)」という過去に使われたことのない強い調子の批判を伝えられたことでショックを感じた人もいるかもしれないが、これも当然予想されてしかるべきであった。なぜなら(以前にも紹介したが)昨年、安倍総理が誕生した時から、「村山談話と河野談話の見直し」とか「戦後レジームの脱却…」などというかつてどの自民党総理も言わなかった歴史修正主義的な発言に対して、アメリカの政界、官界、学界、マスコミから相当厳しい批判があったのであるから、それが分かっていれば、当然そのような厳しい反応は予想されたはずなのである。これを意外だと思う人は要するに海外の情報にうとい不勉強な人たちだろう。

ちなみに元外交官で現在作家として活躍している佐藤優氏が週刊現代に次のような論文を発表されている。

安倍晋三首相が去年12月26日に行った靖国神社参拝については、米国政府も「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに、米国政府は失望している」(同日の駐日米国大使館の声明とサキ国務省報道官のコメント)と批判した。外交官の世界でdisappointed(失望した)という言葉が同盟国間で使われることはまずない。外務省条約局長、欧亜局長を歴任した東郷和彦氏も、同29日の朝日新聞朝刊で(同盟国に対して「失望した」と言うことの恐ろしさを知ってほしい。外交の世界でこんなにはっきり言うのは異例です)と述べている。

問題は、このような状況に安倍政権が危機感を抱いていないことだ。自衛隊出身の佐藤正久参議院議員が(disappointedがどれほど強い表現なのか、佐藤にはregretよりは軽い表現に思えるし、文脈そして日本語感覚的には「失望(望みを失う)」ではなく、大切な同盟国(valid ally)の日本のリーダーが取った行動は「残念」に思う、と言った感覚のように思える)と述べているが、英語力、外交感覚の双方に問題があるからこのようなピントの外れたコメントになる。Disappointedとregretoとどちらが重いかという議論に意味はない。同盟関係にある国家に対して用いないdisappointedという言葉を米国政府が用い、日本政府に対して強いシグナルを出したことを正確に受け止めることが必要だ。日本が国際的に孤立し始めていることを等身大で見れず、希望的観測に縋る政府・与党の心理状態が日本国家と日本政府にとって大きなリスクになっている。

米国政府は、日本に対する警告のシグナルを段階的に強めている。特に注目されるのが、1月4日に行われた小野寺五典防衛相とチャック・ヘーゲル国務長官との電話会談だ。(安倍晋三首相の靖国神社参拝が日本外交にも波紋を広げている。小野寺五典防衛相は4日夜、米国のヘーゲル国防長官と電話協議。年末に急きょ中止になっていた協議が年明けに実現したかたちだが、米国防省はヘーゲル長官が近隣諸国との関係改善を求めたことを明らかにした。

防衛相によると、電話協議で小野寺氏は「今後とも不戦を誓う意味で参拝した」などと首相参拝の「本意」を説明した。一方、米国防衛相は「ヘーゲル長官は日本が近隣諸国との関係改善のための一歩を踏み出し、地域の平和と安定のため協力を促進する重要性を強調した」と発表した。電話協議の主な議題は米軍普天間飛行場の移設問題だったが、安倍首相の靖国神社参拝によって日米間の安全保障面での協力が停滞することや、日中の緊張がさらに高まることを懸念する立場から、国防長官としてあえて言及したとみられる)

ヘーゲル国防長官が、日本の東アジア外交について「指南」したこと自体が、「もっと中国と協力しろ」という米国の露骨なシグナルだ。通常、この種の話は表に出さないにもかかわらず、米国側が積極的に発表し、国際世論を通じて日本に影響を与えようとしている。客観的に見て、対日包囲網が構築されつつある
。(週刊現代1月25日-2月1日号

「対日包囲網」という言葉は少々おおげさではないかと見る向きもあるだろうが、現在水面下で進行中の情勢をみると確かにそのようにいえなくもない。

特に今回、多くの人が驚いていたのは、米国だけでなく、EU、ユダヤ団体、ロシア、オーストラリア、台湾、国連…等々、まさに世界中から総スカンを食っていることであるが、これも安倍総理の登場以来の海外のマスコミ情勢をみれば予想できることであった。なぜならドイツをはじめEUのマスコミは右翼的な安倍総理の言動に対しては以前からきわめて批判的だったのである。それを知らなかったとすれば、これもまた不勉強であろう。ただ今回やや意外だったのはユダヤ団体やロシア、台湾、オーストラリアまで含めて批判があったことである。特に台湾の馬総統の批判は以下のようにきわめて辛辣なものである。

台湾の馬英九総統は、安倍総理大臣が先月、靖国神社に参拝したことについて、周辺国の歴史の傷を顧みない行動だとして、「理解しがたく、失望した」とこれまでより表現を強めて批判しました。これは台湾の馬英九総統が、インターネットの交流サイト、フェイスブックのみずからのページに書き込んだものです。 この中で、馬総統は、安倍総理大臣が先月26日に靖国神社に参拝したことについて、「東アジア地域の安全に対する不安定要素を生じさせた」と指摘したうえで、「中華民族の一人として、日本政府が周辺国の歴史の傷を顧みず、こうした行動をとったことは理解しがたく失望した」と批判しています。NHKweb参照サイト http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140112/k10014442511000.html

これまで台湾はもっとも親日的な国(国交はないが)であると考えられてきただけに、これは少々ショッキングではないであろうか?台湾はもともと日本の植民地であった。その意味では韓国と同じ屈辱を味わった被害国である(ただし、台湾の植民地化と韓国の植民地化の過程は全然異なっているので同一視することはできない)。しかしながら、台湾は国共内戦で敗れた蒋介石によって新たに作られた国であり、蒋介石はかつての敵国日本に対して「以徳報怨」という言葉(すなわち徳を以て怨みに報いる)を残して親日派に転向した人物である。それ以来、台湾は親日国家として日本の援助を受けつつ発展してきた。

しかし台湾の人々が韓国や中国の人々のように日本に対して過去の怨みをまったく捨てたのかというと、これはあまりに楽観的にすぎるであろう。彼らは日本に対する怨みを捨てたのではなく、戦後すぐに始まった共産党との戦いのために、(背に腹は変えられず)一時的にそのような屈折した感情をどこかに置いていただけなのだと考えるべきではないかと思う。中国や韓国もそうである。いずれの国も戦後すぐに内戦が始まり、日本に対する怨みどころではなかったので、戦後しばらくの間は日韓日中間の関係には実務的交渉の他には特に感情的なもつれは表面化しなかった。

このところ靖国問題や歴史認識問題が大きな問題になってきたのは、中韓両国共、独立国としての十分な自信を身につけてきたからであり、その中で過去の歴史の見直し作業が行われてきたためである。だから台湾にしても彼らが自らのナショナリズムを自覚するようになれば歴史認識問題は彼らにとって大きな問題となるだろう。なぜなら、いかなる国家も民族の誇りを忘れることはありえないからである。

その意味で馬総統が「中華民族の一人として、日本政府が周辺国の歴史の傷を顧みず、こうした行動をとったことは理解しがたく失望した」としているのは重要な発言としてみなければならないであろう。彼らの中には依然として反日感情の種が残っているということをそれは示すものだからである。

ところで最近の安倍総理の外交をみていると非常に気にかかることがある。安倍総理の外交がもっぱら経済一辺倒の外交にみえることである。平和外交といえば聞こえはよいが、要するに日本の総理大臣が自国の国益ばかりを追求しようとして外遊しているのではないかと海外からみると思われるのではないか。

たとえば昨年の安倍総理の外交はというと、もっぱらオリンピック招致の票につながる諸国を次々と歴訪していたのが記憶に新しい。それらの国々に経済援助をダシにして支持をとりつけようという戦略が露骨にみられた。しかも9月7日アルゼンチンのブエノスアイレスで開かれたプレゼンの日に、安倍総理はG20の会議中(ロシア サンクトペテルブルグ)だったにもかかわらず、そこを途中で抜け出して行ったのであるから、G20諸国の首脳の印象を悪くしたとしてもおかしくない。

その後の安倍総理の外遊をみていても、トップ・セールスマンよろしくただただ日本の商品を売り歩いているという印象しかない。もちろん日本の商品が海外で売れることは、われわれの生活に直結しているわけだから、それを精力的に行っている安倍氏を賞賛する人々もいるだろう。しかし、世界のライバル国からみれば、このような自国の国益だけを追求しようとする外交は当然腹立たしく思われるはずだ。そのライバル国というのは中国や韓国だけではないのである。アメリカももちろんそうであるし、ドイツやイギリス、フランスなどヨーロッパの先進国もそうである。彼らが安倍総理の国益追求一辺倒の外交を好ましく思っていないことはまちがいないであろう。

今の若い人は知らないだろうが、日本はかつて「エコノミックアニマル」という悪名を世界中に轟かし批判されたことがある。これは戦後の日本の驚異的な経済成長に対して強い警戒心と道徳的非難を込めた言葉であった。要するに「日本という国は自国の経済発展しか関心のない動物のようなものである」というのが、その言葉に込められたニュアンスであるが、最近の安倍総理の外交をみていると、再びそのように揶揄されても仕方がないのではないかと思われる。

その結果、日本は孤立化の道を歩むことになりはしないかと懸念せざるをえない。皮肉なことに、当初、安倍総理の外交戦略は中国包囲網を築こうということだとされていたが、先の佐藤優氏の論文にも指摘された通り、このところ海外の靖国参拝批判等によって起こっているのは日本に対する逆包囲網が築かれつつあるのではないかという現実である。これは果たして杞憂にすぎないのであろうか?

そういえば、今からもう40年以上も前にイザヤ・ベンダさん(又は山本七平)が著した「日本人とユダヤ人」の中に、次のような予言的ともいえる不気味な一章がある。その章タイトルは「しのびよる日本人への迫害」というものであった。ベンダサンは次のように書いている。


「われわれは、迫害されたが故に人類に対して何らかの発言権があるとは思ってはならない」。私は絶えず同胞にこのように言う。だがこの言葉はちょうど日本人に「唯一の原爆被爆国なるが故に、世界に向かって何らかの発言権があると思ってはならない」というのと同じであって、中々うけ入れられず、時には強い反発を受ける。もちろんユダヤ人に対してこういう権利があるのはユダヤ人だけであり、また同様に日本人に対して前記の言葉を口にしうる権利があるのは日本人だけであるから、私はその言葉は口にしようとは思わない
……「日本人とユダヤ人」(山本書店P142)

ベンダサンによると、日本人とユダヤ人の共通点は金儲けがうまいと思われていることである。ただし、日本人が裕福になったのはここ数十年のことであるが、ユダヤ人は過去二千年以上前からそのように思われてきた。彼らは特にヨーロッパ各地で金融業などにたずさわり経済的に成功したがゆえに、現地の人々から多くのねたみを買い差別の対象となっていったのである。ユダヤ人というとまず「守銭奴」という言葉が思い浮かぶ。ベンダサンによれば、これはしかし誤解であって、ユダヤ人は決して金を儲けることを唯一の価値観として生きているわけではないのだが、傍から見ていると、そのようにみえるのだという。同じようなことは中国人についてもいえる。

かつて1960年代のスカルノ、スハルト政権時代のインドネシアで成功した中国人の華僑30万人~50万人もの人々が現地のインドネシア人に虐殺されたという事件が起こっている。これもまさにジェノサイドというにふさわしい大虐殺事件であるが、日本ではほとんど知られていない。この事件とユダヤ人の虐殺は非常に類似しているとベンダサンはいう。両者とも金儲けがうまく、それがゆえに現地の人々から妬まれ、あらぬ誤解を受けるのである。現在の中国人が世界中で繰り広げている経済活動には、そのような意味でリスクを内包しているといえるのかもしれない※。

※この事件については「9月30日事件」というタイトルで以下のwikipedeaに紹介されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/9%E6%9C%8830%E6%97%A5%E4%BA%8B%E4%BB%B6

しかしながら、安倍総理の外交をみていると、その中国の向こうを張って、同じようなことをやろうとしているのではないかといわざるをえない。その意味では韓国もそうであるが、このアジアの三国が今世界中の市場の獲得競争で凌ぎをけずっているようにみえる。

最近の日本の一部週刊誌(特に文春とか新潮)や夕刊フジなどの記事をみると、ほぼ毎回といってもよいぐらい反中、嫌韓の記事がでている。特に夕刊フジの場合はほ連日(!)韓国に対する悪口を手を変え品を変え、なんと「一面のトップ記事」として書きまくっている。その内容をみると慰安婦問題とか靖国問題という政治問題だけでもない。最近の記事をみると、むしろ韓国の株が落ちているとか、サムソンが経営危機に陥っているとか、そういった韓国経済の負の側面をあげつらう記事ばかりが目立つ。仮にそのような記事が本当であったとしても、なぜ日本人は隣国の経済に対してそんなに過敏になっているのであろうか?

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2010年に中国のGDPが日本のGDPを追い越し、最近の調査ではますます水をあけられ、現在では中国と日本のGDPの差は倍ほど広がっている。また、ここ数年の韓国経済の発展にも目を見張るものがあり、いまやスマホやテレビなどの家電市場では世界NO1にのし上がっており、あるイギリス経済紙の予想では、40年後ぐらいには韓国人一人当たりのGNPが日本人のそれの倍になるだろうとまで予想されている。このような隣国の目覚ましい経済の発展に日本人は焦りを感じているのではないか?もしかすると、それこそが反中嫌韓の正体ではないかという気もしてくる。

しかし、よりにもよって人口5000万の極東の小国・韓国の経済がなぜこれほど急速に発展したのであろうか?私の見方ではその原動力になっているのは、まさに「反日」という情念ではないかと思う。オリンピックなどのスポーツ分野でも最近の韓国勢の活躍は目覚ましい。人口は日本の2分の1にすぎないにもかかわらず、このところ韓国勢のメダル数は日本を上回っている(ついでながら中国とはもはや追いつくことが不可能なぐらい引き離されている)。

スポーツの分野でもそうであるように、韓国勢が経済の分野でめざましく発展しているのは日本に追いつけ追い越せという「至上命題」があるからではないかと思う。なぜそれが「至上命題」になるのかというと、韓国人が日本に対する恨みを晴らす道はそれしかないと考えているからではないだろうか?

彼らは今まで(経済的にも軍事的にも)弱かったために、江華島事件以来日本から一方的な不平等条約を飲まされ、いつのまにか知らぬうちに日本の保護国とされ、そして(多くの韓国人義兵が命がけの抵抗をしたが)日本の圧倒的武力に屈して併合されてしまった。この結果、400年以上続いた李朝の皇室廃止を含め自らの伝統文化はことごとく否定され、ハングルの使用を禁じられ、その代わりに日本語の使用と創氏改名を強制され、あげくには韓国の伝統宗教を捨てて神社参拝を強要され皇国の臣民となることを強いられた。太平洋戦争末期には多くの韓国人が徴兵されて日本のはじめた戦争にも駆り出されている。また多くの韓国人が「徴発」という名の強制労働に駆り出され、女性の場合は慰安婦という職業に就かされ戦場に連れて行かれた。これらの忌まわしい経験は韓国人にとってまさに民族的ジェノサイドといってもよいであろう。もし1945年8月15日の光復の日が訪れなければ、おそらく朝鮮民族や韓民族は永遠にこの地上から消え去っていたという可能性もあった。

だから韓国人の日本に対する恨みは根深いものがあることを日本人はもっと知るべきだと思う。しかし韓国の人々は元来平和を好む民族であり、歴史上外国を侵略した経験を一度もないきわめて稀なる平和民族である※。

※最近、「悪韓論」(新潮新書)で一躍嫌韓論を普及させた室谷克実氏によると、韓国が他国を侵略したことは一度もないという説は嘘だとして、その証拠に米国と一緒に韓国軍はベトナムを侵略したという強引な論法をとっているらしいが、ベトナム戦争が米国の侵略戦争だったというのは、これまでの左翼陣営の理論であり、歴史家が共通に判定しているものではない。それをいうなら朝鮮戦争は金日成の下に団結しようとした朝鮮民族の民族自決権に対する米国の介入によって起こった戦争であり、これもまた米国の侵略戦争だったといえなくもない)。

以下は補足であるが、故山本七平氏の膨大な著作の中でも異色の作品「洪思翊中将の処刑」というタイトルの本の中から以下の一節を紹介しておきたい(この書については、いずれもし機会があれば詳しく紹介したいと思っている)。

私が会った韓国の人は、現状を肯定するにせよ批判するにせよ、常にそれを、李朝時代、日本統治時代、朝鮮戦争時代といった長い歴史の中の「一つの時期」として考え、その現状を「自民族の歴史の一貫」として、過去との対比と将来への展望の中に位置づけてこれを見ていることを感じざるをえなかった。そしてこの歴史的位置づけの中で日本の統治時代は、もちろん大きな比率を占めている。この点の韓国人の感じ方は、決してわれわれと同じではない。彼らはわれわれのような忘却の民ではなく、過去が流れ去ってしまうわけでもない。
(中略)
日本の新聞の「韓国報道」には以上の視点がない。この点西欧よりもむしろアメリカの世論に似た面があるが、調べてみると、少なくとも韓国に関する限りこの傾向は戦後の特徴ではなく、戦前、否、明治以来ほぼ一貫している「日本人の韓国観」だともいえる。その特徴は日韓を区別できず、そのため「韓国の歴史において韓国を見る」ことができず、日本の現状を絶対の尺度として相手を批判し規制しようとするアメリカ的態度である。尺度とはいうまでもなく、戦後は「アメリカ輸入・日本型民主主義」であり、戦前は「プロシャ輸入・日本型君主制」であった。そしてこの輸入先に対しては常に従順なのだが、韓国に対して少なくとも日本の新聞は「自己の尺度」を絶対化し、日本というベッドに適合するように体型を変えよと韓国に要求する態度になっても、相手が相手の歴史という自らの尺度で自己を評価する権利を認めようとしなかった。

従って韓国の人が日本の新聞の論調を背後に、自己の尺度を絶対化してこれを押し付けることを「善意」と信じて疑わなかった。「創氏改名強制」的な過去の日本人と同じ精神構造をみたとして不思議ではない。日本の統治に対して「善意の悪政」という言葉があると聞いた。これが日本人が口にした「自己弁護的自己批判」なのか、韓国人が生み出した最も痛烈な皮肉なのか私は知らない。皮肉ならば創氏改名、神社への参拝強要、ハングルの禁止といった無用の悪政をあくまでも韓国人の善意の発露と信じて疑わなかった日本人への痛烈な皮肉であろう。そして日本の新聞も、同じような韓国民主化への自己の「善意」を本気で信じているのであろう
。(「洪思翊中将の処刑」山本七平ライブラリー文芸春秋 P54-56)


私はこれらの文章をみて驚いた。この文章はまさに現在の日韓問題にそのままあてはまるではないか(!)と思ったからである。ことわっておくが、この文章は山本七平氏が今から35年も前に書いたもの(「諸君」1979年1月~1981年2月号に掲載)であり、当時は現在のような両国間の歴史認識問題は大きな問題として表面化していなかった。それよりも韓国内で朴政権(現在の朴槿惠大統領の父の政権)の軍事独裁政治に対して主に日本の左派系の新聞社が朴政権の独裁性を批判していた時代である。ここで山本七平氏は当時の日本の新聞社の「日本の尺度を絶対化した」独善性を批判しているのであるが、これはそのまま現在の(主に右派の)論調にあてはまるであろう。過去も今も日本人は自己の現在の尺度のみを絶対化し、韓国人のきわめて特異な歴史を背景とした尺度を理解しようという姿勢をもたなかった。

韓国人からすると歴史的に日本人の「善意」という名の「絶対的尺度」によって騙され続けた経緯があり、現在の日本人の韓国観が昔とまったく変わらず、それゆえ彼ら(すなわち日本人)を説得することは無理であると考えていたとしても当然かもしれない。したがって彼らがその歴史的な恨みを晴らす道は、論争でも説得でもなく、彼ら(日本人)に有無もいわせないほどの力を自らもつ以外にない。これが韓国人の過去現在を通じた情念の原動力になっており、日本人を物心両面で凌駕することが最終的には両国の歴史問題を解決する唯一の道であると信じているのではないであろうか?私にはそのように思えてならない。

補足2
昨年12月に日本の外務省がアメリカ人1200人以上に聞き取り調査を行ったが、皮肉なことに、この調査の結果は安倍政権にとって衝撃的なものであった。なんと日米安保条約を維持すべきだと答えたアメリカ人が前年(すなわち安倍政権以前)に比べて22ポイントも落下したというのである。これはおそらく安倍総理就任以来の右翼的発言に対する批判が一般のアメリカ人にも相当浸透している証拠ではないかと想像する。思えば自民党は鳩山総理の普天間移転問題による失政によって米国の信頼を著しく失墜させたと非難していたわけだが、安倍総理になってその信頼はかつてないほど失墜させてしてしまったのである。なんという皮肉だろうか!以下、昨年12月の朝日新聞を引用しておく。


現在の日米安保条約を「維持すべきだ」と答えた割合
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 外務省は19日、今年の7~8月に米国で実施した日本に関する世論調査の結果を発表した。現在の日米安保条約を「維持すべきだ」と答えた人は67%で、昨年と比べて22ポイント減の急落。この質問が設けられた1996年以降で最低だった。調査は同省が60年から実施している。今年は18歳以上の1千人の「一般の部」と、政財界、宗教界、マスコミの関係者ら201人の「有識者の部」を対象に電話で行った。

「現在の日米安保条約を維持すべきだと考えるか」との質問に「維持すべきだ」と答えた人は一般で67%(昨年比22ポイント減)、有識者で77%(同16ポイント減)と昨年に比べ、ともに急落。外務省は減少の理由について「断定できない」と明言を避けた。日本政府が尖閣諸島を国有化した昨年秋以降、日中の対立は深刻化している。米国内には日中の争いに巻き込まれることを懸念する声があり、今回の減少に影響した可能性もある。また、「アジア地域の中で最も重要パートナー」を選ぶ質問では、日本と答えた人は一般で35%(同15ポイント減)、有識者で39%(同1ポイント減)。一方、中国を選んだ人は一般で昨年と同じ39%、有識者で43%(同1ポイント減)で、一般の部でも日本は中国に逆転された。(朝日新聞デジタル2013年12月20日)


補足3
韓国は元来平和国家であり、日本にとってこれほどありがたい国はなかったというきわめて面白い指摘を、山本七平氏が「洪思翊中将の処刑」の中で語っているので紹介しておこう。最近のネット右翼の連中がこんな話を説いている山本七平という人物ががその昔は右翼的と思われていた方であるということを知れば、びっくり仰天するかもしれないが。(まぁ、せいぜいびっくりしてくれたまえ。君たちがいかにアホかということを自覚する機会にでもなればさいわいである。)

こう見てくるとわれわれもまた、韓民族に対してある種の無自覚の「感覚」をもち、それを無意識の前提としており、それが政府の当局者から庶民まで貫いていることに気づく。われわれは韓民族自体を日本を侵略するかもしれぬ脅威と考えたことはない。日本人は韓国人を平和的な隣人と考えている、といった意識さえももち得ないほど。これはわれわれにとって自明のことらしい。そして過去において脅威を感じたとすれば、半島が強大な大帝国の日本侵攻への陸橋となるのではないかといった脅威である。従って韓国の独立が平和の前提であり、この前提は明治までほぼ六百年間、保たれてきた。鎖国が可能だったのは韓国が強大な軍事国家でなかったことが一つの前提であろうが、このことさえわれわれは鎖国の前提とは考えていない。たとえば日本が島国でも朝鮮半島、韓民族という緩衝地帯が存在せず、大陸の大勢力と直接に接していたら、われわれの意識は今と変わっていたかもしれぬ。

「韓民族は永遠の防衛民族だ」という言葉を聞いたが、確かに彼らはソウルを中心に日中にわたる大帝国をつくりあげたことはない。また満州族や蒙古族のように中原に進出して四百余州を制圧した歴史を持たない。さらに秀吉の軍が敗退してもそれを追撃して日本へ侵攻し、関ヶ原という内乱を利用して日本を制圧しようという気はない。おそらくこういった非膨張の歴史が、「韓民族が軍事的脅威ではない」という感覚、いわば無意識の前提をわれわれにもたせたのであろう。考えてみれば、こんなに有難い隣人はいないわけだが、脅威を感じないことがしばしば軽視、蔑視、無視を誘発することも避け得ない。特に事大主義者にはその傾向が強く、脅威に拝跪する者ほど脅威なきものを無視するのは、当然のことなのかもしれぬ。(「洪思翊中将の処刑」山本七平ライブラリー文芸春秋 P56-57)

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