3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

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(2)大震災後の政局

(2)大震災後の政局
大震災は明らかにわれわれの社会の空気を変えた。3.11は今後もその社会の前後が明確に区分される日として記憶されることになるだろう。それは1923年の9月1日に起こった関東大震災と同様、あるいはアメリカの9.11と同じように、われわれの社会のあり方や考え方を根本的に変えた日として、以後長く語り継がれることになるのだろう。

われわれ人間はこれほどの災害に遭遇すると、一個人としての考え方よりも共同体としての考え方がより強固になることは、ある種のDNAとして組み込まれているのかもしれない。その意味では人間という生き物は単なる個体ではなく、むしろ有機的共同体の一部としての存在に他ならないかのようにみえる。3.11の震災で首都が震度5強の大きな揺れに動揺していたとき、人々はわれ先に自分の身を守ることではなく、同じ運命共同体の一部としての冷静な行動を取るようにと、誰に教わらなくともそのようなある種のDNAの命令に従ってわれわれは行動していたのではないであろうか。それが世界の他国の人々からみると日本人の賞賛すべき性質なのかどうかは別にして、少なくともわれわれ人間はリチャード・ドーキンスのいうような利己的存在であるという単純な割り切り方はできない、ある意味で不思議な利他的性質をもった生物である。この震災後、多くの人々が助け合う精神をもって事にあたろうとしたことは、われわれの記憶の中でも大事にしておきたい希望のひとつである。もちろん、それは日本人だけがそうだったわけではなく、世界中から多くの支援があったことも同時に忘れてはならない。しかしながら、そのように人々の心が助け合いの精神に満ちているときに、永田町の汚泥の中にいる人々にとっては、まるで住んでいる世界が違うかのように異なった空気が充満していたことは驚きに堪えない。彼らは果たして正常な人間であろうかと疑ってみたくもなるほど、その精神は旧態依然としてグロテスクであった。

3.11前まで永田町では菅降ろしの計画がさまざまな陣営からだされていた。小沢グループは具体的な菅降ろしの計画として、5月頃に参院で多数を獲得できる見込みのある野党の問責決議案に相乗りするという案を固めていた。もちろん彼らが同調することで問責決議案が可決することは野党と裏取引をするまでもなく予想されることであった。野党の自民党や公明党は、もともとやむなく選挙に敗退して下野した立場であるから、当然のことながら自らの政権奪還のためにも菅降ろしの計画に加わるべき正当な動機があった。

しかし、あたりまえの話ではあるが政治家といえども人間である。一般国民と同様、震災のショックで永田町の空気は一時的にもせよ変化したことは事実である。最初の数週間に限っていえば国難に対処するために政治休戦すべきであるという考え方が与野党間に広がっていた。当初、挙国一致体制を築くべきであるという考え方は小沢氏に近い輿石氏からもでていたのである。そのような空気の中で、3月19日に菅総理が谷垣自民党総裁に電話で連立内閣の副総理として入閣の打診をしたが、谷垣総裁は「入閣すれば自民党が反対してきた子供手当法案など新年度関連法案の成立に協力せざるをえなくなる」(朝日新聞)という党内の反発を理由に断っている。ただし、谷垣総裁の弁護のためにいうと、氏は菅内閣の連立打診に相当悩んだらしい。後日、谷垣総裁は自民党の元総理のお歴々に伺いをたて連立内閣について助言を求めている。たとえば中曽根氏からは「一時的に連立を組んだらどうか」という助言がだされ、小泉氏からは「健全な野党としてやればよい」という助言がだされた。結局、谷垣氏は小泉元総理の助言を取り入れたということになるが、果たして自民党は以後健全な野党としてありつづけたのかというとはなはだ疑問であろう。

しかしながら驚くべきはその後の展開である。震災後わずか一カ月という短さで永田町の空気は一変して政治休戦の呪縛が解かれることになる。小沢氏がまたぞろ政局へと動き出したのである。菅降ろしが再度本格化するきっかけとなったのは震災からちょうど一カ月後(4月10日)の統一地方選(前半戦)の結果がでた後であった。この選挙で民主党は予想通りの敗北を喫するわけだが、この結果を招来した菅総理は政治責任をとって辞めるべきだという論がでてきたのである。めちゃくちゃといえば、めちゃくちゃな論法である。そもそも地方選挙で敗北したために総理が責任をとって辞任するという例は憲政史上にもない話だ。ましてや震災復興の最中でしかも福島原発の事故は依然として予断が許されない状況が続いており、ひとつ対応を間違えば日本国が滅びてしまうという瀬戸際に立たされている中である。しかし小沢氏によると、菅内閣の原発事故対応そのものが失政であり、日本を救うためにも菅内閣をこのまま続けさせることは許されないという判断だったという。ちなみに3月17日付産経新聞には以下のように記されている。


意地でも辞めようとしない菅直人首相を何としても引きずり降ろす-。そんな気持ちに駆られてか、民主党の小沢一郎元代表を支持する勢力が、ここにきて一斉に動き出した。小沢氏は12、13両日夜、東京都世田谷区の私邸に子飼いの議員を招き、首相批判を展開した。それは「菅降ろし」のゴーサインでもあった。グループ「一新会」の面々だ。結束を誓い合う場にしたかったのか、一新会所属議員であっても首相に比較的近いと判断された議員には実は声はかかっていない。当時の状況を出席者の証言をもとに再現すると、2日間とも小沢氏は酒が入る前に、「君たちに話がある」と切り出し、出席者を身構えさせるという役者顔負けの演出をしている。内容は2日間ともほぼ同じ。小沢氏の頭の中は福島第1原子力発電所事故のことでいっぱいで、なかなか収束しない事態に「失政の部分が大きい。これを許していたら後世、『あの政治家は何をやっていたんだ』といわれる。菅さんに働き掛けをするが、それでもダメなら(われわれは)覚悟して行動しなければならない」と語った。だが、小沢氏は内閣不信任案に同調することは示唆したものの、具体的な指示を出すことはなかった。しびれを切らした出席者が「われわれは何をしたらいいのですか」と聞くと、小沢氏は「まずは一致結束してわれわれで動く姿勢を示すことだ」と答えるのみ。

この記事をみると、なんともはやという感想をもたざるをえない。確かに、菅内閣の震災原発対応には不手際という他にない部分はあったかもしれない。それは週刊誌やテレビの報道で扇情的に報道されたために誇張され、あたかも菅内閣が震災被害を拡大させている張本人であるかのような印象を持つ方もいるだろう。しかし、それらはほとんど検証にたえられない2chレベルのデマゴーグに等しいものである。この記事の小沢氏の発言をみても、まさにデマゴーグに他ならないことが分かる。いや、そうではないと小沢氏を弁護したい人もいるかと思うので、この際、少し冷静になって考えてみよう。

小沢氏が「失政の部分が大きい」というのは、そもそも何を指していたのであろうか?先の記事をみるかぎり、福島原発の事故が一向に収束しないのは菅総理の「失政」であると(小沢氏は)いっているようだが、あれだけの原発事故がわずか一カ月そこそこで収束に向かうのがあたりまえだと考えているとすれば、それは原発事故の恐ろしさというものがどのようなものかという基本的認識すらないことを証明している。今現在(10月16日)においては、ようやく原発事故は100℃以下の冷温停止に向かって収束しつつあるが、事故後1か月の段階では収束どころか、何が起こってもおかしくない状況であった。さいわい、3月15日から始まった消防隊の決死の放水作業が功を奏して原子炉内の温度が下がり、最悪の事態は避けられるという楽観的見通しがあるにはあったが、まだまだ4月12日前後の段階では事態は収束どころではなかったのである。そもそも放射能とは何か?ウランやプルトニウムはなぜ巨大なエネルギーを生み出すのか?原子力エネルギーはいかにして安全が保たれるのか?今回の事故はいかなる事態を招来しているのか?仮に対応が間違っていなかったとしても、炉心溶融を引き起こした原子炉が冷温停止に至るまでにどれほどの時間が必要とされるのか?それらに関する基本的で正確な知識がなければ、菅総理が原発対応において「失政」をしたということは軽々にはいえないはずだ。ただ誰かががそう言っているからそうだと思うというのではデマゴーグ以外の何ものでもないだろう。

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