3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

(1)菅降ろしのはじまり

(1)菅降ろしのはじまり
3.11後、私が故山本七平の「空気の研究」をふと思い出したのは、実は「放射能汚染に対する過剰な反応」としての異様な「空気」に触発されたのではなく、それよりもある意味ではもっとどす黒い人間の野心や陰謀が渦巻く永田町という世界の異様な「空気」に触発されたからである。今ではもうすっかりと忘れ去られた感もあるが、そもそも「菅降ろし」というのは昨年(2010年)以来、民主党内で燻っていた権力闘争がその発端にあることを思い出してほしい。この国では1年半も前のことなど誰も思い出せないかもしれない。それほど日本人という国民は忘れっぽい性格の民族ではないかと思うことがしばしばある。故山本七平氏もしばしばそのようなことをおっしゃっていた。そこでこの機会に菅降ろしに到る経緯を時系列で整理してみたい。

菅前総理の前に2009年に初代民主党総理として鳩山政権が誕生したことは誰しも記憶にあることだろう。彼は大胆なマニュフェストを掲げつつ、官僚主導から官邸主導の政治改革を謳いあげ、それに基づいて国家戦略室と行政刷新会議を設置し、政権発足後すぐに事業仕訳という前代未聞の荒業で徹底的に無駄な財政支出の洗い出しをしようとした。政権発足当時はそのような意欲的手法が国民の支持を集め一時は80%という高支持率を叩き出している。ところが発足後まもなく鳩山総理自身の親からの多額の献金疑惑が発覚したり、同時に小沢幹事長(当時)の政治資金虚偽記載の疑惑などで、途端に支持率を落とすことになる。そしてなんといってもマニュフェストに掲げていた普天間移転の公約がにっちもさっちも交渉が進まないという事態になって、政権発足後わずか266日で、突然、自らの口から辞任しますと言い出した。面白いことにその辞任の決意というのが、ハトならぬヒヨドリの招きだというから笑わせる。2010年5月29日の日韓中首脳会談の際に宿泊した韓国・済州島のホテルに飛来した一羽のヒヨドリをみて、「我が家から飛んできたヒヨドリかな。そろそろ自宅に戻ってこいよと招いているのかな。そう感じた」と記者団に語ったそうである。

鳩山さんが辞任すると同時に同じく政治資金の問題で疑惑を受けていた小沢幹事長を道連れにして二人揃って退くという表明をして、小沢さんは苦虫をかみつぶしたような顔をしながらも自らの幹事長職辞任を受け入れた。この結果、圧倒的多数の支持(樽床氏が対抗場に立ったが)で総理の座を引き継いだのが副総理格の菅直人であった。ただし、この後、菅内閣の脱小沢路線を鮮明にした組閣が以後の民主党内に波紋をもたらすことになる。仙石氏(官房長官)や枝野氏(幹事長)ら反小沢の急先鋒が要職につくことによって菅vs小沢という民主党内の確執が以後表面化してゆくことになる。一方、小沢氏は陸山会の政治資金虚偽記載の疑惑が検察の取り調べで不起訴となったにもかかわらず、誕生したばかりの検察審査会によって差し戻され、またしても疑惑の決着がつけられないことで政治家としての政治生命そのものが危惧されていくことになる。そんな中で誰もが驚いたのは菅内閣誕生後わずか3か月の民主党代表選で小沢氏が菅総理に対抗して代表選に打って出るという挙にでたことである。当然ながらそれは菅総理を引きずりおろして自らが総理の座につくことを目指したものであった。自らの疑惑が晴れない中であえて権力の座を求める強引な出馬は、当然ながら厳しい批判にさらされることになった。9月○日の朝日新聞の社説には以下のように指弾されている。

どうしてここまで民意とかけはなれたことができるのか。多くの国民が、あぜんとしているに違いない。 民主党の小沢一郎前幹事長が、党代表選に立候補する意向を表明した。 政治とカネの問題で「責任を痛感した」と、幹事長を辞して3カ月もたっていない。この間、小沢氏は問題にけじめをつけたのか。答えは否である。いまだ国会で説明もせず、検察審査会で起訴相当の議決を受け、2度目の議決を待つ立場にある。鳩山由紀夫前首相にも、あきれる。小沢氏率いる自由党との合併の経緯から、この代表選で小沢氏を支持することが「大義だ」と語った。「互いに責めを果たす」とダブル辞任したことを、もう忘れたのか。二人のこのありさまは非常識を通り越して、こっけいですらある。
 民主党代表はすなわち首相である。党内の多数派工作に成功し、「小沢政権」が誕生しても、世論の支持のない政権運営は困難を極めるだろう。党内でさえ視線は厳しい。憲法の規定で、国務大臣は在任中、首相が同意しない限り訴追されない。このため「起訴逃れ」を狙った立候補ではないかという批判が出るほどだ。政治とカネの問題をあいまいにしたままでは、国会運営も行き詰まるに違いない。より重大な問題も指摘しなければならない。 自民党は小泉政権後、総選挙を経ずに1年交代で首相を3人も取りかえた。それを厳しく批判して政権交代に結びつけたのは、民主党である。今回、もし小沢首相が誕生すれば、わずか約1年で3人目の首相となる。「政権たらい回し」批判はいよいよ民主党に跳ね返ってくるだろう。より悪質なのはどちらか。有権者にどう申し開きをするのか。



当初、小沢氏は鳩山氏の支持を取り付けることによって、民主党国会議員の数では互角の戦いとみられていたが、しかし投票権を有する地方議員と全民主党員の票が圧倒的に菅支持に傾いたために小沢の乱は不発に終わった。この後、菅総理は第一次改造内閣で、ますます脱小沢路線を明確にした組閣をする。このとき小沢氏の敗北の弁は「初心に帰り、一兵卒で民主党政権が国民の皆さんの期待に応えられるよう、みんなと手をつないで協力していきたい」と表向き殊勝なものであったが、小沢氏のその後の行動をみると誰の目にも一平卒に戻ったとはみえない。それどころか代表選の敗北後、ほとんど間髪もいれずに小沢氏の行動はますます政局一辺倒へと先鋭化してゆく。「みんなと手をつないで協力していきたい」という言葉はあくまでも小沢グループ内の協力という意味でしかなかったことがこの後はっきりとするわけだ。

小沢氏が自らの復権を大胆に志向したのは、一度差し戻された検察審査会の起訴相当の議決が検察によって再度不起訴相当になったという朗報のせいでもあるのかもしれないが、しかし彼の淡い期待をあざ笑うかのように10月4日、検察審査会は小沢氏の起訴相当の議決を再度発表した。これによって小沢氏の強制起訴は確定となり、もはや議員としての活動さえ制限されざるをえなくなる。国会では野党による証人喚問(または政倫審への出席)の要求がますます強くなる。菅総理は少なくとも小沢氏に政倫審への出席に応じるよう求めたが小沢氏は頑として受け付けなかった。一方、起訴が決まった以上、小沢氏は犯罪容疑者という身であり民主党は党としての処分もせざるをえなくなる。岡田幹事長によれば、やむなくもっとも緩やかな処分として「党員資格一時停止」という処分を課したとするが、小沢グループはこの処分に対しても一斉に反発する。

民主党政権樹立の最大の貢献者を処分すること自体が許せないというのだ。ここへきて小沢氏は再び一平卒から多数の部下をかかえるグループの将としての行動を迫られることになる。小沢グループが再度の反乱を起こす大義名分は次のようなものである。いまや菅内閣は先の衆院選で確約した民主党のマニュフェストをかなぐり捨て、大増税を指向する官僚主導内閣になり下がってしまった。しかも7月の菅内閣下での参院選挙で大敗し、その責任もとっていないというものである。したがって菅内閣は民意にそむいた非民主的政権であるというのである。ただし、小沢氏は強制起訴となった身であるから再度総理の座を目指すことは並大抵のことではなく、この時点で具体的な展望が拓けていたわけではない。ただ小沢氏にとって、菅内閣は打倒の対象でしかなくなったというのはもはや打ち消しのできない事実であり、目指すべきは政界再編という道しかなかったであろう。格好よくいえば、この時の小沢氏はまるで主流派から追い出された西郷隆盛の心境であったとみえなくもない。しかし、後々の彼の打算的行動をみると小沢と西郷を比較することは誤謬の極みであることはいうまでもない。以後、小沢氏及び小沢グループは展望なき展望の下に菅内閣打倒へと闇雲に突き進んでいく。

まず菅内閣打倒の一の矢として、2011年2月17日、小沢氏の処分に反対する議員渡辺浩一郎氏他16人の衆院議員が一致して民主党会派を離脱するという行動にでた。当グループ代表の渡辺氏は記者会見で次のように離脱理由を説明している。「菅政権は国民と約束したマニフェストを守っていない。国民との約束を果たす本来の民主党政権ではないため」。彼らはいずれも比例候補であったが、民主党を離党したわけではなく、あくまでも会派離脱という行為によって内閣が提出した法案などに今後は党議拘束から離れて行動する宣言をしたということになる。次に第二の矢としてその一週間後の2月23日、小沢一の子分で当時農水政務次官をしていた松木謙公氏が辞表を叩きつける。そして第三の矢として、さらにそれから10日後の3月3日に民主党の佐藤ゆうこ衆院議員が離党届を出して愛知の減税日本に入党するという意志表明をして、当時人気の河村愛知県知事と小沢派が連携して政界再編に動き出すのではないかという観測まででていた。当然ながら、このような民主党内の動きに野党が黙っているはずはなかった。政界は再編ムード一色となり、週刊誌はこれを煽るように連日、ありもしない組み合わせでポスト菅政権の予想記事が踊っていた。このような異常な政局の中で3月11日、東日本大震災が発生したということを、われわれは忘れてはならないだろう。
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