3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

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(4)本多vsベンダサンの「百人斬り論争」が提起したもの

われわれの中には誰でも「内なる愛国者」が住んでいると同時に「内なる科学者」が住んでいる。たとえば南京虐殺があったのかどうかという問題は科学的問題であると同時にわれわれの愛国心に関係する問題でもある。われわれの中の「内なる愛国者」はできるだけ虐殺があったという事実には目をそむけようとするであろうし、逆にわれわれの中の「内なる科学者」はそのような感情的判断を排して、できるだけ客観的に事実をみようとするだろう。

しかし厄介なのは次のような場合である。もし、われわれの「内なる科学者」が南京虐殺はなかったという判断を下した場合、その判断にはわれわれの中の「内なる愛国者」の判断がまったく入っていないのかどうかという疑念を残す。この問題に関する論争が現在でも非常に複雑な様相を呈しているのは、その論争がわれわれの「内なる愛国者」と「内なる科学者」の間の葛藤に起因する問題でもあるからではないかと思われる。

もうかれこれ40年も前の話であるが、70年代の初頭、「日本人とユダヤ人」で華々しくデビューしたイザヤ・ベンダサンと当時を代表する人気ジャーナリスト・本多勝一氏との間で公開論争が雑誌「諸君」誌上で繰り広げられた。いわゆる「百人斬り論争」といわれるものである。「百人斬り」というのは、昭和12年11月末から12月12日まで続いた南京城攻略戦において、その戦場のさなかN少尉とM少尉との間で南京侵攻途上にどちらが先に百人斬りを達成するかという殺人ゲームが行われていたという話である。これは当時の東京日日新聞(毎日新聞の東京版)で派手に報じられ、戦後になって東京裁判でもこの報道を根拠に南京虐殺があった証拠であるとされた。ちなみにN少尉とM少尉はGHQに逮捕され蒋介石の国民党に引き渡されたあげく処刑されている。

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本多氏はこの話を「中国への旅」という自著の中で、現実にその話を語ってみせた中国人の姜さんという方の話(その話は東京日日新聞の報道が中国でも広まっていたという話にすぎないものだが)を紹介しながら、これを南京虐殺の具体的な証拠であるとして書いていたわけだが、ベンダサンはこの話には不自然な点が多く伝説にすぎないものとみなし「諸君」誌上で一刀両断に本多説を批判していた。これに対して、本多氏がいきりたち、「諸君」誌上での公開論争となったわけである。

この論争は後に2003年になって、N少尉とM少尉の遺族が名誉棄損で本多氏と毎日新聞らを告訴したが、地裁、高裁での原告敗訴のあと2006年12月に最高裁において控訴棄却の判決がでており、この話は伝説にすぎないとする遺族の主張は受け入れられなかった。ただし、百人斬りゲームは事実に基づいていると裁判所が判決で認定したわけではなく、あくまでも「百人斬りゲームを行ったこと自体が、何ら事実に基づかない新聞記者の創作によるものであるとまで認めることは困難である。」としているだけなので、この件の真相は依然として闇の中であることに変わりはない。ただし、ここでその真相について論じるつもりはない。ことの真相はどうなのかということについては、いくつもの本もでているし、HPで詳しく論じておられる方が何人もいるので、関心のある方はぜひそちらを参照してほしい。

そもそもこの論争の最初の火付け役となったのが先の「諸君」誌上での本多・ベンダサンの公開論争なのであるが、今読み直しても特に印象深く思われるのは、「内なる科学者」としてのベンダサン(または故山本七平氏)の関心の公正さと、洞察力の見事さである。いうまでもなくユダヤ人ベンダサンは日本人ではないのだから日本人的な意味の愛国者とはいえないはずだ。もちろんベンダサンとは山本七平氏の別名に他ならず、それは建前にすぎないのだとしても、しかしベンダサン(または山本七平氏)の論法は日本人的な愛国者のそれとはやはり決定的に相違しているように思える。むしろベンダサン(または山本七平)はあくまでも客観的事実にのみ関心のある科学者のようにみえ、その結果、本多氏が一方的に挑んだ公開論争は(本多氏にとって)大きく目論見はずれとなっているようにみえるのである。

というのは本多氏にとってはベンダサンとは山本七平氏の偽装に他ならないので、ベンダサンの化けの皮をはがせば、その本質は右翼的な愛国者と同じようなものであろうと勝手にきめつけていた節があるのだが、そのような本多氏の思い込みが的外れであることは論争が発展するにつれて明らかになる。むしろ本多勝一氏の論法は「内なる科学者」としても(ベンダサンに対して)著しく劣った存在であり、論争が発展すればするほど彼の思考の貧弱さがみえてくるのである。

この論争がたけなわの頃、本多氏を始めとする左翼系知識人が全盛期の時代であった。今では考えられないかもしれないが、当時の新聞やテレビはこぞってソ連や中国、北朝鮮を礼賛していた時代である。毛沢東の文化大革命を素晴らしい社会実験だと称え、社会主義には大いなる未来があると多くの知識人が無邪気に信じていた時代であった。その証拠に本多氏は論争の中で次のように書いている。

私は毛沢東の「盲従分子」では全くないけれど、学生時代から彼の著作を読んだり行動を伝聞して感心するのは、あのイデオロギーとしてのマルクス・レーニンを、完全に「中国の論理」の中へ組み込んで生かしている点です。彼の真の強さは、ここにあると思っています。(「日本教について」p379)

ついでながら本多氏がベンダサン(または山本七平)に食ってかかった理由をつぎのように記しているので紹介しておこう。

ではA章でのベンダサン氏を選んだ理由のうち、書かなかった第二の理由をここで申し上げます。それは、すでにベンダサン氏がみずから明らかにしてくれた通り、天皇制を擁護し、侵略軍の論理を擁護する反動だから、お相手をいたしました。(「日本教について」p378)

これらの文章をみると、要するに本多氏の頭の構造は革新勢力対保守反動勢力という単純な図式に従って物事をみるイデオロギー過剰人間であり、その立ち位置からベンダサンの仮面(ついでに山本七平の仮面も)をはがしてやりたいと考えているにすぎなかったことがみてとれる。すなわち本多氏はベンダサンの本質が天皇制を擁護する保守反動にすぎないものであり、その立場から南京の虐殺を認めまいとしているのだと勝手に考えていたのであろう。

しかしながら、ベンダサン(または山本七平)は本多氏が期待したような単純な保守反動ではなかったのである。前にも述べたように彼はおそらく愛国者であるともいえないであろう。なぜならベンダサン(または山本七平)は南京の虐殺を否定しているわけでもないからである。後に書かれた「日本人と中国人」(祥伝社)などを読むと、ベンダサンが日本軍の南京侵攻の愚劣さを徹底的に批判解剖しているのをみても、本多氏の批判はまったく的外れなものであったということが分るのだが、それについてはいずれ稿をあらためて書きたいと思う。

一般に「右翼」とか「愛国者」といわれる人々は南京の虐殺はなかったと強硬に主張しているが、しかし、その主張の根拠はいったい何だろうか?この百人斬りゲームの話し自体がまったくのでっちあげだったとは、裁判所もいうとおり安易には断定することはできない。この点に関しては、たしかにベンダサンが「百人斬りゲームは伝説にすぎない」とした本多批判は勇み足ではないかという見方もできるのだが、しかしベンダサンは決して「内なる愛国者」として、南京虐殺を否定したいがためにそのような事実はなかったと主張しているのではない。ベンダサンの主張は、百人斬りゲームという話が前後のつじつまがあわない話であり、それが事実であるとすると不自然な点が多いということを具体的事実に基づいて指摘いるにすぎない。すなわちベンダサンは純粋に「内なる科学者」としての立場から、そんないい加減な「戦意の高揚を煽る」式の古い新聞記事を鵜呑みにするのはおかしいではないかと指摘しているだけであり、その報道に何らかの「事実の核」はあるということは認めても(ベンダサンもその「事実の核」は認めている)、それを事実そのものだと決め付けるのはジャーナリストとしてもいかがなものかと端的に批判しているだけなのである。だから、ベンダサンの論点はあくまでも南京虐殺があったかどうかという論争をしているのではまったくなく、単に南京事件の中で生じたごく一部の風評に関する論争にすぎないものであるのだが、本多氏はそれをはじめから取り違えているので、二人の論争がどうしても噛み合わないのである。

しかし、この論争が発展するにつれ、「百人斬りゲーム」が事実か否かという問題よりもはるかに大きな問題がベンダサンの方から提示されており、それに対して本多氏の浅薄さがますます際立ってくるのである。その問題というのは日本人一般の戦争責任の問題である。面白いことに本多氏の立場は今日の一般の日本人の考え方ともある意味通低する考え方であり、要するに現代の日本人は当時の戦争に参加したわけではないので、中国人に謝る必要はないという考え方なのである。本多氏によれば、南京事件の頃自分は幼児だったので、その事件に何のかかわりもなく責任もないという。さらに(本多氏にいわせると)多くの日本の一般国民はむしろ中国人民と同じく被害者であり、悪いのは当時の支配者であった軍部であり、そしてその最高責任者でもあった天皇自身であるという見方をしているのである。

これについては、本多氏が中国人に対して語った言葉を自ら記しているので、その部分を紹介しておこう。

「南京虐殺が行われていた当時、私はまだ幼児でした。おっしゃるように、たしかに一般人民としての幼児の私には、この罪悪に対して直接の責任はありません。本質的には、中国の民衆と同じく、日本の民衆も被害者だった。ですから私は、同じ日本人の罪悪であっても、私自身が皆さんに謝罪しようとは思いません。」

この見方はマルクス・レーニン主義の階級史観から当然に導かれる考え方(すなわち被抑圧階級である人民は常に被害者の側であるという考え方)であることはいうまでもないが、ベンダサンはそのような考え方の中にこそ、われわれの「悪」そのものがあるのだということを聖書の教えに照らして次のように明らかにしている。


ここでまず教会闘争の人々およびブラント氏の「自明」からはじめましょう。両者の背後には聖書の世界の「贖罪」という伝統的考え方があります。これは本多様の謝罪とはまったく意味が違う考え方です。この贖罪という思想は非常に古く、おそらくは旧約聖書の最古の資料にまでさかのぼりますが、これを一つの思想として明確にしたのは第二イザヤでしょう。ヘブル思想の最高峰といわれる彼の思想、ヘブル文学の精華といわれるその詩、特に「苦難の僕」は、さまざまな面で聖書の民に決定的な影響を与えており、簡単には要約できませんが、その中の特徴的な考え方の一つは「他人の責任を負うことができる」という考え方です。

一見、奇妙な考え方と思われるかもしれません。しかし、この罪責を栄誉と置き換えてみれば、人はみな当然のことのように他人(先人も含めて)の栄誉を担い、本多様とて例外ではないことはお気づきでしょう。本多様は砂漠にただひとり自生されたわけではありますまい。二十世紀の日本という社会に生まれ、何の権利もないのに、その社会の恵沢と栄誉を、当然のこととして負うておられます。従って本多様が「幼児であったから」「責任がない」といわれるなら、日本の伝統的文化、それにつづく現代社会の恵沢と栄誉を受ける資格も放棄されたことになります。責任を拒否した者に権利はありますまい。人間は生まれる場所も生まれる時も選ぶことができない故に歴史に対して責任がある、と考えるとき初めて人間は「人間」になるのであって、「おれは生まれた場所も時も自分で選んだのではないから責任はない」といえば、これは獣に等しいはずですが、そう考えうること自体が実は恵沢を受けている証拠なのですから、この態度は栄誉と恵沢は当然のこととして受けるが、罪責を負うことは拒否する」ということになります。

少なくとも聖書の世界では、これを最も恥ずべき態度と考えますので、ブラント氏がもしワルシャワで本多式のあいさつをしたら、すべての人が彼に背を向けたでしょう。なぜならこれは「財産は相続するが負債はおれには関係がない。なぜならその借金は、おのれの幼児のときのもので、当時何も知らなかったからだ」というに等しいからです。ブラント氏がドイツ人であるならば、その伝統という遺産とともに罪悪という負債をも継承するのが当然であり、またドイツ人を同胞すなわち兄弟と呼ぶなら、同胞の罪責は負うことができるし、負うのが当然(自明)のことだからであります。

罪なき者が他人の罪を負って砕かれる。この時はじめて、負った人は負わせた人々を同胞と呼びうる。すでに他人ではない。従って同胞としてその罪を糾弾する権利があると同時に、その罪科で苦しめられた人々に謝罪する権利も生ずる。そしてそれをすることによって和解が成立する・・・。(「日本教について」P224-226)


ここで、ベンダサンはわかりやすい例として、70年代当時の西ドイツ首相ブラント氏の話をしている。ブラント氏は第二次大戦の最中、反ナチ闘争に命をかけて戦った人物だったが、戦後はナチの戦争犯罪を自らの責任として全世界に対して謝罪しているのである。もちろん、このような戦争責任の意識はブラント氏一人のことではない。

もうひとつ例をあげます。ナチが降伏した直後、強制収容所から解放されたドイツ人があります。その中に有名な「ドイツ教会闘争」すなわち反ナチ闘争をしてきた人々がおりました。この人々もワルシャワのユダヤ人同様、また多くの他の強制収容所に入れられた人々同様の運命にあったわけですが、この人々が解放されると同時に「本多式」のあいさつをしたでしょうか?(中略)ところが、解放されたこの人々の第一声は「全世界への謝罪」でした。ブラント氏の態度も同じです。本多様は、御自分のあいさつを、この人々の謝罪に比べて、どうお考えになりますか。・・・・(「日本教について」P231-232)

もちろん今日の愛国派の人々にいわせると、当時の日本の軍部とナチズムをいっしょくたにするのは無茶苦茶だという議論はあるだろう。しかし南京事件についてのベンダサンの見解は別稿にゆずるとして、少なくとも日本人の戦争責任についての意識が希薄な理由はただ単に戦争の質の違いという点だけではないように思う。ベンダサンによると、本多氏に限らず日本人一般に欠けているのは、(ごく一部の西洋人にはあるが日本人にはない)聖書的な意味での贖罪意識である。この意識は聖書の知恵を深く知る者でなければ、なかなか分かりにくい。その解説としてベンダサンがあげているのは旧約聖書のイザヤ書の次の言葉である。

「われわれの正しい行いは、ことごとく朽ちた衣のようである」(イザヤ64・6)

ベンダサンによると、この言葉は分かりやすく言うと、「人間の正義は使用済みのアンネナプキンに等しい」という意味であり、要するに人間が正義だと思ってする行為ははじめから神の前に汚れたものだという意識なのである(元々聖書の中では経口の出血は罪の穢れを意味するという解釈がある)。これはどういうことかというと、人間は常に正義を口にしながら「悪」を行う存在だという意味なのである。そのような深い宗教的意識がなければ、決して贖罪意識というものはわからない。それは決して「イエス様の贖罪を信じれば、あなたの罪は許されますよ」というようなお手軽なキリスト教牧師が説く救済意識でもないのである。むしろそれは人間というものは救い難い存在なのだという意識である。

ベンダサンがすごいのは、このたった一言によって本多氏の偽善を完璧に見破っていることである。ベンダサンはいう。

戦争中の日本人も正義を高々と掲げておりました。白人の「東亜侵略百年の野望をここにくつがえす」と国民歌謡は高らかに鳴り響き、「アジアを支配し搾取し略奪する米英の手先、蒋政権に対して」あくまでも「殺される側、支配される側」に立ち「東亜解放の正義の戦い」を進めたわけです。以上のような言葉は当時の新聞をパラパラとめくれば、いくらでも出てきます。当時の日本人は皆が高々と正義=贖れた布を掲げていました。日本軍はその軍帽をおそらくその正義の布で作っていたのでしょう。そしてこの「正義」を頭にいただけばいただくだけ、すべての日本人が贖れていく。そしてその贖れのゆえに、イザヤ書にある通り「正義ではなく叫換」になり、「義ではなく流血」になっていく。義を掲げれば、掲げた者が贖れ、その贖れが南京虐殺という「流血」になっていく。しかしこの恐るべき体験をだれも本当には振りかえようとしない。そこで戦争が終わればすぐさま、すべての人間が平然と再び「正しいこと(正義)」を口にし、われわれが沈黙していたから戦争になったのなら、「みなが手をつないで、常に正しいことをいえば、世の中が正しくなる」などという戦慄すべき投書が新聞を飾る。新聞も大学も文化人も政党人もすべて正義を口にする。まるで全員が「贖れた布」を頭にかぶり、「使用済みのアンネ」を口にくわえて、デモ行進しているようになり、その贖れが各自の全身にまわっていながら、それが世の中を正し、清めることだと少しも疑わない。(「日本教について」P231-232)

ちなみにベンダサンがこの文章を記してからしばらくして連合赤軍のあさま山荘事件が起こり、さらに日本赤軍の岡本公三によるテルアビブの乱射事件が起こっている。またベトナム戦争後、大量の難民がボートピープルとなって祖国を捨てて命からがら海外へ渡り、クメールルージュのカンボジアでは800万人を上回る規模の大量虐殺があったことが発覚する。中国においても本多氏らが称賛していた毛沢東の文化大革命により何千万の犠牲者があったとが分かっている。もちろん「正義という贖れた布」は今現在でも世界中で多くの人々を殺していることはいうまでもないことだろう。中東やアラブの世界で振りかざされている正義もそうであるし、北朝鮮が振りかざしている正義もそうであろう。もちろん、この平和ボケの日本においても正義を振りかざす人々が知らない間に「悪」を行っているという事実もあるはずである。

そしてそのような事実にだれよりも深く気づいている人物こそがベンダサン=山本七平氏だったにちがいない(※)。彼があえて匿名ながらも、さまざまな著書を綴ってきた理由は、そのような深い宗教意識からでたものであり、それらの隠れた真実を教えることこそが自らの使命だと感じたからに他ならないのではないかと思う。そのような意味で彼はまさに現代版の預言者イザヤだったのではあるまいか。

※ベンダサン=山本七平氏説は必ずしも証明されているわけではないが、少なくともベンダサンと山本七平氏が限りなく近い人物であることはまちがいないとおもわれるので、あえて=(イコール)の記号を使いました。
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