3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

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(3)踏み絵社会の異常性

日本人はしばしば多神教徒であるといわれる。しかし、この言葉は決して褒め言葉でないということに大半の日本人は気づいていない。聖書の世界では多神教徒というのは野蛮な人種であるとされている。日本教徒にはユダヤ教徒やキリスト教徒、イスラム教徒が信じているような神の存在をどうしても理解できない。つまるところ日本人にとって聖書の神は人間の思考が作り出した想像の産物にすぎないのではないかと考えている。

多くの日本人はそんなことあたりまえじゃないかというかもしれない。しかし、そのような日本人の常識は決して世界の常識ではない。日本人はまずそのことが分かっていない。前にも書いたように世界の圧倒的多数は一神教徒である。では一神教徒とは何か?一神教徒というのは「旧約聖書で啓示された神が唯一の神だ」ということを信仰する人々のことなのである。

しかし日本人には「啓示」という言葉がまず何を意味しているのか分からない。確かに聖書は日本書記や古事記に比べて非常によくできた物語になってはいるが、しかし、いずれにしてもそれは古代人が残した神話にすぎないものであり、そんなものを大真面目に信じる方がどうかしているのではないかと、われわれ(日本人)は考える。もちろん、このような考え方は必ずしも日本人特有のものではない。

あのマルクスに強い影響を与えたフォイエルバッハというドイツの哲学者がいる。彼は当時のドイツで流行していたヘーゲル哲学のエッセンスを自己流に解釈し直し、ヘーゲル左派というグループを形成した。フォイエルバッハによると、そもそも神というのは人間の頭で作り出した虚構の存在であり、したがって人間が神によって創造されたのではなく、逆に神こそ人間によって創造されたのである。この考え方に強く影響を受けた青年マルクスは、後に無神論に基づいた人間中心主義の世界、すなわちいかなる宗教も存在しない世界こそが理想の世界であると考えて、共産主義というイデオロギーを構築した。

マルクスの思想はあっという間に世界中に広まった。彼らは宗教を民衆のアヘンであると規定し、宗教の撲滅を究極の目標に置き、事実、ソ連や中国、北朝鮮などの共産主義国家では宗教家はことごとく粛清の対象になった。ところが皮肉にも彼らの社会は理想の社会であるどころか地獄の世界を現出する結果となり、マルクスのイデオロギーの呪縛から解放された人々は、再び宗教の価値を取り戻そうとして現在に至っている。今現在、無神論の共産党に支配された中国でさえ宗教勢力が大きくなっており、特にキリスト教徒は1億人を超える信徒がいると考えられている(但し、彼らは公然と布教することは許されておらず、そのほとんどは地下教会である)。

ご存知のとおり、かつては日本でもキリスト教が一躍ブームになっている時代があった。キリスト教が1549年にフランシスコ・ザビエルによって初めて日本に伝来して以来、わずか数十年の間に日本人は驚くべき早さでキリスト教に帰依していった。当初は新しもの好きの織田信長による天下統一の時期にも重なり、先進的な西欧文明を吸収するためにも信長はキリスト教の布教を歓迎していた。その結果、あっという間にキリスト教は西国大名たちの所領の間で広まった。

ところが秀吉、家康の時代になると、このままキリスト教の布教を放置していると天下国家にとって脅威であるとみなされるようになり、やがて禁教令が発布されてキリシタンに対する厳しい弾圧が始まった。世界史の中でキリスト教徒が徹底的に弾圧された例は過去ローマ時代にもあったが、秀吉と家康の時代からその後約250年間にわたり続いた日本でのキリシタンに対する徹底した弾圧は、世界史のなかでも他に類のないほど残忍で異常なものであった。

たとえばローマの皇帝ネロの時代に、捕えられたキリスト教徒が大衆注視の闘技場でライオンの餌食にされたという話は有名であるが、日本に於いてはそれに勝るとも劣らない残忍な手段による弾圧は枚挙にいとまがない。たとえば1597年の1月に秀吉の禁令発布によって京都で囚われの身となったペテロ・バプティスタ神父他、26名(このうち日本人は20人で、最年少は12歳の少年であった)のキリシタンは即刻死刑を言い渡されただけではなく、その刑の執行前に全員耳を削がれた上で厳しい真冬の中を大阪から長崎まで大衆の見せしめのために歩かされたのである。27日間かけてようやく長崎に着くと、そこで準備されていた十字架に磔にされて彼らは祈りながら死んでいった。驚くべきは、この間、だれ一人として死の歩行から脱落しなかったという事実である。この26人の殉教死は世界史の中でも稀なほど残酷無比なものでありながら、それによく耐えて十字架刑に服した姿が世界中のクリスチャンに感動を与え、彼らはカトリック教徒から26聖人として崇められているのである(「日本史の中のキリスト教」長嶋総一郎著 PHP新書 参考)。

江戸時代の日本でのキリシタン弾圧の異常性は特に「踏絵」という行為によってその信仰を無理やり捨てさせようとしたやり方において認められる。このようなやり方は他国ではまったく考えられないからである。これについてはイザヤ・ベンダサンが面白い分析をしているので紹介しておこう。

「踏絵」というものを御存知ですか。これは300年ほど前、時の政府がキリスト教を禁止したとき、ある者が、キリスト教徒であるか否かを弁別するために用いた方法です。すなわち聖母子像を土の上に置き、容疑者に踏ませるのです。踏めばその者はキリスト教徒ではないとみなされて赦され、踏むことを拒否すれば、その人はキリスト教と見なされて拷問され、処刑されました。

 ところで、もし仮に私かあなたのようなユダヤ教徒がその場に居合わせたら、どういうことになったでしょう。御想像ください。容貌からいっても、服装からいっても、言葉・態度・物腰からいっても、私たちは当然容疑者です。もちろん私たちは、懸命にキリスト教徒でないことを証言するでしょうが、おそらくだれもそれを信用してくれず、踏絵を踏めと命じられるでしょう。どうします?言うまでもありません。われわれは踏みます。われわれユダヤ教徒が、偶像礼拝を拒否して殺されるならともかく、偶像を土足にかけることを拒否して殺されたなら、世にこれほど無意味なことはありますまい。これは、われわれにとって、議論の余地のないことです。だが、次の瞬間、一体、どういうことが起るか分かりますか?

 日本人はこういう場合、一方的にわれわれを日本教徒の中に組み入れてしまうのです。おそらく奉行からは、異国人の鑑として、金一封と賞状が下されるかもしれません。同時に、もしそこに、踏絵を踏むことを拒否して処刑を待っている日本人キリスト教徒がいたら、その人々は私たちを裏切りものか背教者を見るような、さげすみの目で眺めるでしょう。その際、私たちが踏み絵を踏んだのは、日本人が踏み絵を踏んだのと全くちがうことなのだ、といくら抗弁しても、だれも耳を傾けてくれないでしょう。
(中略)
ローマ政府がキリスト教徒迫害のとき用いた方法は焚香でした。これは踏み絵とは正反対の発想です。すなわちその人がどんな宗教を信じているかは問わない、ただ皇帝の像の前で香を焚けば良いわけです。申すまでもなくローマは、「所かわれば品かわる」を「所かわれば宗教かわる」と言った国です、でまたそれを当然としていましたから、踏み絵は不可能です。これはある点では現在のアメリカに似ております。すなわちキリスト教徒であれ、ユダヤ教徒であれ、仏教徒であれ、星条旗への忠誠を宣誓すればよいのであって、それをすれば、その人が何教徒であろうと問いません。これは一種の「言葉の焚香」と解することができます。

こうみてきますと、「言葉の踏み絵」が「言葉の焚香」とどのように違うかが、もうお分かりだと蔽います。この踏絵という方式は、一宗教団体が異端者を排除するために用いる方法であって、そこには正統と異端しかないということが前提です。従ってこの前提にあてはまらないものが現れた場合(前記のようにユダヤ教徒に踏み絵を差し出した場合)日本人は、前提にあてはまらないものが現れたとは考えないで、その者を、どちらかに類別せざるをえなくなってしまうのです。


江戸時代の日本人が隠れキリシタンをあぶりだすために踏絵という方法を編み出したのは、確かにきわめて日本人的な発想であるといえる。これは要するに、日本人が無意識に日本教という宗教を奉じているので、隠れキリシタンに踏絵を踏ませることによって自動的に日本教徒であるか否かの判別に使われていたわけである。すなわち踏み絵を踏むことができる者は自動的に日本教徒として認められるのであり、これは宗教的に同質的な人間であるということが認められることに他ならない。

江戸時代の日本人がキリスト教徒に対して、世界史にも例のないほど過酷な迫害をしてきたということは紛れもない事実である。しかし、これは日本人の宗教的感性の欠如に原因があったのではなく、むしろ逆に日本人がきわめて稀な宗教的感性をもつ民族であるということを示している。だからこそ外来の宗教に対して極度に過敏であり、キリスト教というきわめて伝染力の強い新宗教に対して拒否反応を示したのではないであろうか?すなわちキリシタンの迫害というのは起こるべくして起こった出来事であり、それは日本教徒が日本教を守るためにやらざるをえなかったのである。もしそれをしなければ、日本は早晩キリスト教国になっていたのではあるまいか。その可能性はザビエルの次の言葉によっても裏書きされていると思う。

「日本についてこの地で私たちが経験によって知り得たことを、貴方たちにお知らせします。第一に私たちが交際することによって知り得た限りでは、この国の人々は今までに発見された国民の中で最高であり、日本人よりすぐれている人々は異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく一般に善良で、悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人々で、他の何物よりも名誉を重んじます。」(長嶋総一郎著「日本史の中のキリスト教」PHP新書 P25)

またザビエルの後を継いで信長らに謁見したルイス・フロイスの書簡の中にも次のように書かれている。

「日本の貴人はみな礼儀正しく教育良く、喜んで外国人に会い、外国のことを知らんと望み、きわめて些細なる点まで聞かんとす。彼らは生来、道理に明らかなり。盗みは彼らの最も憎むところにして、ある地方においては盗みをなしたる者は何ら手続きを踏むことなく直ちにこれを殺す。」(山本七平著「危機の日本人」角川新書)

彼らが来日した当時、日本はまさに東洋の理想郷であった。この国の国民は生まれながらに高度な宗教的感性を持ち、キリスト教の道徳や精神を学ばずとも理解できる素質をもった国民なのである。事実、彼らが期待したとおり、当時の日本人はたちまちのうちにキリスト教の真髄を理解し、わずか数十年の間に何十万人という信者が生まれたのである。実は天皇信奉を中心とした日本教の教義が確固とした基盤を築くのは、江戸時代の中期以後のことであり、その教義の確立にはキリシタンの迫害後に日本人のアイデンテティーを確立するべく統一的な国家的宗教が必要になったという政治的背景が存在していた。故山本七平氏が生涯をかけて追いかけたテーマこそが、この問題であった。
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