3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

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(2)日本人とユダヤ人

山本七平(又はイザヤ・ベンダサン)によると日本人というのはすべて日本教徒であるとされている。これはユダヤ人がほとんど例外なくユダヤ教徒であるというのと同じ理屈である。もちろんユダヤ人であってもキリスト教徒もいれば無神論者もいるので、実際はユダヤ人=ユダヤ教徒ではありえない。私はあるセミナーで神戸のユダヤ教会に所属するラビの講演を聞く機会があったのだが、講演後に質問をしてみた。「ユダヤ教を信じた日本人はユダヤ人になれるのでしょうか?」と。彼は何の躊躇もなく「はい、なれます」と答えていた。

最近、日本文学研究家のドナルド・キーン博士が震災後に日本にやってきて、日本国籍を取得して日本に永住することを決めたというニュースがあった。してみると、ドナルド・キーン博士はもはやアメリカ人ではなく日本人になったということである。アメリカの市民権を取得すれば、だれでもアメリカ国民になれるように、法律的に日本国籍を取得した人物はだれでも日本人になれるのである。同じように日本人であってもユダヤ教を信じ、ユダヤ教徒になりたいと思った人物は、ユダヤ人になることも可能なのである。そのような人物が過去にいたのかどうかは知らないが、たとえば山本七平という人物は日本人でありながら、あれだけユダヤ教に通じていたわけであるから、ある意味で彼の人格の半分以上はユダヤ人だったといってもおかしくないだろう。

体は男性でありながら心は女性であるという性同一性障害者がいるように、血縁上は日本人でありながら心はユダヤ人だという人がいてもおかしくない。実際、ドナルド・キーン氏のようにもともとはアメリカ人であったが、日本に長年住んでいて心が日本人に染まってしまい、正式に日本人になりたいと思う人々もいるわけである。たとえば明治時代の作家小泉八雲ことラフカディオ・ハーンもそうであった。そういえばテレビの政治トークショー等で活躍している金美齢氏ももともとは台湾出身であるが、日本国籍を取得して日本人に帰化されている。彼女の場合は本当に日本を心から愛していて、日本の国土を守るためには命まで捧げる覚悟があるというほど愛国心もある方なので、日本人以上に日本人だといってもよいだろう。

逆に日本に永住していながら、決して日本国籍を取得しない外国人も多くいる。特に在日といわれる韓国人や朝鮮人は、もともとは戦前の植民地政策によって日本に住み着くようになったという経緯があるために、本人は身も心も日本人であると自覚しながらも親や親族の関係で日本国籍を取得するわけにはいかないというケースもある。特に北朝鮮籍の方々は本国の政策によって日本国籍を取得することは厳しく制限されているので、本人が日本人になりたいと思っても、政治的な壁があってどうにもならないというケースもあるだろう。もちろん、もともとは在日の韓国人、朝鮮人でありながら、日本国籍を取得し日本人になられている方も数多くおり、芸能人やスポーツ選手として活躍されている方もあげればきりがないほどいる。

このようにみると日本人というのは必ずしも血縁上の概念ではないことがわかる。同様にユダヤ人というのも、必ずしも血縁上の概念ではないのである。実際、血縁上のユダヤ人は全世界に散らばっており、その子孫の数は膨大なものになるはずなので、おそらくユダヤ人の血は地球上全土に広がっているはずである。たとえばイスラエルとパレスチナの間で度重なる戦争が繰り返されているが、血族的にはイスラエル=ユダヤ人でパレスチナ=アラブ人という区別は決して正しくない。パレスチナ人は遠い過去に遡ると、ユダヤ人あるいはイスラエルの失われた10支族の末裔である可能性が高いからである。

※イスラエルの10支族というのはユダヤ人と兄弟関係にあったヤコブの12氏族のうちのユダ族とレビ族を除く10氏族からなった民族を指す。彼らはソロモンの統一王国以後にユダ族を中心とした南朝と決別して北朝イスラエルを形成したが、その後、紀元前8世紀にアッシリアに滅ぼされて各地へ離散していった民であり、民族としての痕跡を失ったために、しばしば「イスラエルの失われた10支族」などと呼ばれる。

もしかすると血縁の純度からいうと、パレスチナ人の方がよりユダヤ人本来の血縁に近いという可能性もある。なぜなら現在のイスラエル人というのは、もともと海外に移り住んだデアスポラのユダヤ人であり、彼らの血はほとんどが西洋人(白人)との混血であり、その血にどれほどユダヤ人としての純粋性があるのかは分らない。一方、パレスチナ人というのは、遡れば過去ユダヤ人が居留していた地域に代々定着していた人々であり、彼らの由来はユダヤ人とサマリア人(サマリア人はもともとイスラエル10支族の末裔であるとされる)の混血であると思われている。したがってユダヤ人対パレスチナ人の戦争というのは、もともとは同じユダヤ人同士の戦争であるといった方が正しいかもしれない。

ユダヤ人とは何かというと、これは決してやさしい概念ではないのである。ユダヤ文化研究家の内田樹氏によると、ユダヤ人という人種は実は存在しないと書いている(「私家版ユダヤ文化論」文春新書)が、これはある意味で正しい指摘である。極論すると、ユダヤ人というのは自分がユダヤ人だと考えている人々、またはそのように考えている人々の子孫のことを指しているだけであり、実際にユダヤ人という明確な人種が存在するわけではない。もちろん何千年も前には確かに現在のイスラエルの辺りに彼らが国を作っていたことは確かである。しかし、彼らは紀元一世紀と二世紀の二度のユダヤ戦争によって、完全に祖国を失い流浪の民となって世界中に散らばっていった。その中で多くの異人種との混血をくりかえしているはずなので、ユダヤ人という純粋人種は本当のところは存在しないのかもしれない。

しかし約2千年前に祖国を失い全世界に離散したユダヤ人が自らのアイデンテティーを失わずに、異国の土地にありながら民族の血縁を絶やさなかったのは事実であり、これは歴史の奇跡といってもよいほどの極めて稀なる民族の由来であるといえる。彼らのアイデンテティーをつなげていたのは、いうまでもなくバイブルに記された民族の出立に関する信仰であり、その信仰に基づいて彼らは一致団結して自らの民族の血を後世に伝えて残そうとしたのだろう。したがって彼らを一つにつなげていたのは、まさしくユダヤ教そのものに他ならない。神戸のユダヤ教会のラビも言っていたように、ユダヤ人というのはユダヤ教を信じる民のことであり、決して血縁上の概念ではないのである。

一方、ユダヤ教という信仰上の結束をもたずに各地へ散らばった(信仰なき)ユダヤ人たちは、それぞれの土地で異民族に同化し、その痕跡を消失することになったのであろう。もしかすると彼らの血は中国人にも流れているし、おそらくは朝鮮人や日本人の中にも流れているかもしれない。日ユ同祖説によると、日本人にはユダヤ人の血が流れているとされているが、これは当然ありうることであり、日本の建国神話あるいは伊勢神宮や諏訪大社などの起源にユダヤ教やユダヤ文化の影響が色濃く認められるのは、間違いなく過去に何らかのつながりがあった証拠であると思われるが、だからといって日本人とユダヤ人は血縁的に強いつながりがあるということにならないのは、アフガニスタンや中国に流れたユダヤ人たちが多くいたからといって、彼らがユダヤ人と強いつながりがあるとはいえないのと同じである。ただし、日本人の考え方や独特な文化の中にユダヤの影響があることは事実であり、それについてはいずれ稿をあらためて書いてみたいと思っている。

補足
そういえばパウロの書簡にも次のように書かれている。
「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施された外見上の割礼が割礼ではありません。内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく“霊”によって心に施された割礼こそ割礼なのです。その誉れは人からではなく、神から来るのです。」(「ローマの信徒への手紙」2章27-28)

つまりパウロにとってユダヤ人という言葉は肉のつながりではなく、信仰のつながりによって神の民となった者という意味があったのだということが分かる。

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