3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

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(3)日本教徒と天秤の世界

イザヤ・ベンダサン(実際の著者は故山本七平であるかもしれないが、本書の著者名にしたがって以下「ベンダサン」とする)によると、実は日本人というのは「日本教」という、およそ世界に類のない奇妙な宗教に属しているのだとされている。これは普通の日本人にはまったく意識されていないがベンダサンというユダヤ人の目から見るとそうとしか考えられないというのである。「日本人とユダヤ人」の結論部で語られているのは、そのような驚くべき洞察である。故山本七平氏(及びイザヤ・ベンダサン)の二百冊を優に超える書物の中で、もっともユニークかつ異彩をはなっているのは、この「日本教」という概念の発見であると私は思う。その中から一部を引用しておこう。

日本人とは日本教徒なのである。ユダヤ教が存在しているごとく、日本教という宗教も厳に存在しているのである。(中略) 日本人はそういう不幸にあっていないから、日本教などという宗教が存在しているという自覚は全くもっていないし、日本教などという宗教が存在するとも思っていない。その必要がないからである。しかし日本教という宗教は厳として存在する。これは世界でもっとも強固な宗教である。というのは、その信徒自身すら自覚しえぬまでに完全に浸透しきっているからである。日本教徒を他宗教に改宗させることが可能だなどと考える人がいたら、まさに正気の沙汰ではない。この正気とは思われないことを実行して悲喜劇を演じているのが宣教師であり、日本教の特質なるものを逆に浮き彫りにしてくれるのが「日本人キリスト者」すなわち日本教キリスト派であるから、まずこの両者に焦点をあててみよう。

宣教師はまず日本人は無宗教だというし、日本人もそういう。無宗教人などという人種は純粋培養しなければできない相談だし、本当に無宗教なら、どの宗教にもすぐに染まるはずである。だから私は宣教師にいう。日本に宣教しようと思うなら、日本人の「ヨハネ福音書」と「ロマ書」はお読みなさい。そしてそれが済んだら日本人の旧約聖書の全部は不可能にしても、せめて「創世記」と「第二イザヤ」ぐらいは読まねばいけません、と。彼らは驚いていう。そんな本がありますか、と。(中略) そこで私はいう。いやなんのご心配もいりませんよ。何十年か一心に日本で伝道してごらんなさい。そのうち老人になると、日本人はあなたのことをきっとこういって尊敬してくれますよ。「あの人は宣教師だが、まことに宣教師くさくない、人間味あふれる立派な人だ云々…」。何十年かたったら思い出してください。この「人間味あふれる」という言葉の意味と重さを。そしてそういわれたときに、あなたが日本教キリスト教に改宗したので、あなたの周囲の人がキリスト教になったのではないという事実を。
(以上は「日本人とユダヤ人」P90-91)

ベンダサンは、この「日本人とユダヤ人」で初めて展開した「日本教徒」という概念をさらに強固に発展させるべく、後に続編として「日本教について」(文芸春秋)を著わしている(他にも同様のテーマの書「日本教徒 その開祖と現代知識人」(角川書店)もある)。これをみても、ベンダサンが「日本教」という概念に特別な思い入れがあったことが分かる。特に「日本教について」という書は、「日本教」とは「天秤の世界」であるという巧みな比喩を駆使することによって、その本質に迫ったものであり、この書こそベンダサン一世一代の最高傑作ではないかとかねがね思っている。面白いのは、この「日本教」すなわち「天秤の世界」がどのようなものであるかということを解明することで、われわれの社会の「空気」についても解明のヒントが与えられるのである。しかし、それについてはしばらく後回しにし、以下「天秤の世界」とはどのようなものなのか、氏の文章を引用しながら私見を交えて書いてみよう。ただし、これを何の予備知識もなく文章をそのまま引用しても、とっつきにくく、やや難解でもあると思うので、あらかじめどのような論術が展開されているのか、要点を箇条書きにして整理しておきたい。

1. 日本人は例外なく日本教徒である。
2. 日本教徒の教義は天秤の原理によって説明できる。
3. 日本教徒の天秤の支点の中心にあるのは「人間」である・
4. 天秤の世界には分銅の役目を果たす「空体語」をのせる皿がある。
5. 天秤の一方の皿には「実体語」が置かれる。
6. 日本教徒は支点にある「人間」を中心に両方の秤のバランスをとろうとする。
7. 日本教徒には「純粋人間」という概念がある。
8. 「純粋人間」とは「私心のなさ」という日本人の教義を体現した人物である。
9. 「天皇」とは「私心のない」人間であり、最高の「純粋人間」である。
10. 天秤の世界の支点には「純粋人間」としての「天皇」が位置している。

とりあえず以上のような簡単な予備知識をもって、これから「日本教徒について」からいくつかの文章を引用しつつ若干の私見を交えながら書いてみたい。ただし引用は断片的になるので、著者(山本氏又はベンダサン氏)の真意を十分に汲み取ることができないかと思うので、その点はあらかじめご了解をお願いしたい。

従って私は、日本という世界は、一種の天秤の世界(もしくは竿秤の世界)であると考えています。そしてこれの支点となっているのが「人間」という概念で、天秤(もしくは竿秤)の皿の方にあるのが「実体語で組み立てられた」世界で、分銅になっている方が「空体語で組み立てられた」もうひとつの世界です、(P26)

天秤が平衡を保つには、二つの要素が必要です。一つは天秤皿の上のものと分銅との関係であり、もう一つは支点の位置です。支点が天秤皿すなわち「実体語」のすぐ近くに寄っていれば、ほんのわずかな「空体語=分銅」で平衡を保ちますが、もしこれが逆になり、支点が「空体語=分銅」へぐっと寄っていれば、ほんのわずかな「実体語」と平衡を保つために、驚くほど膨大な量の「空体語=分銅」が必要になります。
この支点の位置は実は絶えず左右に移動しているのです。日本人全体を見た場合、時代によってこの位置が変わりますし、個々の日本人をみた場合、一人一人で、各々この
位置がはじめから違います。また一個人の生涯をみた場合、年齢により境遇により、この位置が変化していきます。そして「人間は支点であって言葉では表現できない」というのが日本教の教義の第一条なら、「人間の価値はこの支点の位置によって決まる」というのが、日本教の教義の第二条ともいうべきものです。
この第二条は、日本教の非常に重要な教義であって、これに疑いをさしはさむ日本人は皆無だと断言してよいと思います。日本人は人間を「純粋な人間」と「純粋でない人間」に分けます。もっともこのように大きく二分していると考えては誤りで、この「純粋」という考え方は、やや金属の精製度(もしくは純度)に似たものとお考えください。ある人は純金的(二十四金的)人間であり、純度は高いが実用にはならない、別の人は少しく純度が落ちて十八金的人間で、結婚指輪にはなるが、普通の万年筆のペンにはならない。もう一人は十四金的人間で実用にはなるが純度は落ちる、といった類別と似た考え方です。
この純度表が何によって決まるかといえば、前述の支点の位置で決まるのです。すなわち支点が「空体語の世界=分銅」に近づけば近づくだけその人は「純粋な人」です。従って「純粋な人」とは非常にわずかの「実体語の世界」と平衡を保つために、実に大きな「空体語の世界=分銅」が必要です。一方、「純粋でない人」は、支点の位置が実体語の世界に非常に近接しているので、ほんのわずかな「空体語の世界=分銅」で、膨大な天秤皿の上のもの、すなわち「実体語の世界」と平衡がとれるわけです。
(中略)
以上のように書きますと、私がなにか面白い比喩を語っているようにお感じでしょう。しかしこれは単なる比喩ではないのです。この「支点の位置」は倫理以前の人間判別の基本的基準として日本教徒の日々の生活を律しているのみならず、戦前、戦後を通じて実に、法廷における判決をすら左右しています。また日本全体をひとつの天秤と考えるなら、その政策をすら決定しているのです。このことを「個人の場合」と「日本人全体の場合」に分けて、実例をあげて、いずれ説明申しあげましょう。(「日本教について」P54-55)



以上の引用箇所は、「日本教」を解明するための基本的枠組みを述べたものである。
たとえば現実の出来事を例に挙げると、次のようにそれは応用される。

今から1世紀ほど前、日本が鎖国をやめて開港せざるを得ない状態になったと、ほとんどすべての日本人(少なくとも知識人)が内心で感じた時、激烈な攘夷論が起こりました。当時の日本で海外のことを最もよく知っていたはずの薩摩や長州の人々、特に島津斉彬のような人(彼は当時の日本でもっとも進歩した考え方の人と思います)や、彼から薫陶を受けた人々が本心から攘夷論者だったとは思えません。すなわち「開港は必要である、だが攘夷と叫びうる状況も必要である」という平衡の論理があったはずです。従って「実体語=開港」は沈黙し、さらに開港が必要になればなるほど攘夷の声は高くなってゆき、ついに天秤の分銅は最大限、竿秤なら竿の端まで分銅があがってゆきます。そして、その結果はどうなるか。天秤なら平衡が破れて一回転し、天秤皿の上の荷も分銅もおちてしまう―御一新で皿は空、分銅なしの平衡状態となります。従って攘夷論者が政権をとったのに、開港したということは別に不思議ではありません。

実によく似たことが第二次大戦末期にも起こっています。すなわち敗戦が避けられないとほとんどすべての人が内心で感じたとき、分銅は極限まであがって「一億玉砕」になり、ついで天秤は一回転して重荷も分銅を落ちてしまうと、天秤皿は空で、分銅なしの虚脱状態、すなわち精神的空白の平衡が再現し、当然、言葉は失われます。そしていずれの場合も支点は微動もしていません。(「日本教について」P28-29)


ベンダサンがいうように、この二つの時代(維新と終戦)がよく似ているのは、まったく正反対の価値観がある日(ある頃)を境にあっさりと価値の逆転が起こるという現象である。明治維新のときは攘夷と開国(開港)という二つの国論が日本を二分していた。この奇妙な(日本的)現象を理解するためにベンダサンは天秤の世界を考案しているのである。ベンダサンによると、「攘夷」という威勢のよい文句は「空体語(=分銅)」の皿にのっており、そして一方の「開国」という実利的な考え方は「実体語」としてもう一方の皿にあったと考える。ここで空体語というのは、本来の目指すべき大義名分のことである。ところがそれは、もともと実際には実現不可能な言葉であるがゆえに「空体語」となり、他方、「開国」は誰が考えても周囲の状況が押し迫っていると判断される実体語である。維新前夜は多くの反幕府の志士たちが「尊王攘夷!」といいながら、倒幕運動に突き進んだわけだが、その彼らも内心では「開国」も必要であるということは認めていた。結果、維新により天秤皿がひっくり返って「攘夷」という言葉はどこかへ吹き飛んでしまい、あとに残ったのは彼らがあれほど憎んでいた「開国」しかなかったわけである。だから、天秤がひっくりかえって攘夷派が開国派になったのは別に不思議でもなんでもないとベンダサン氏はいうのである。

ただし、ここでベンダサンが付け加えているように、皿はひっくりかえっても「支点は微動だにしていない」のである。その支点というのは他でもなく「尊王攘夷」の前の二語、すなわち「尊王」という言葉であった。

面白いことに、同じようことは昭和20年8月15日にも起こっている。
(以下はベンダサンではなく筆者の分析である。)

ベンダサンの教えに従えば、明治以来の日本は「富国強兵」とか「殖産興業」いう語が実体語として一方の皿にのり、もう一方の皿には「国際協調」とか「議会主義」という空体語があったと考えられる。注意すべきことは、戦前の日本は必ずしも反民主主義国ではなかったことである。正当な選挙で選ばれた議員によって構成された議会は機能していたし、また国際的にもそれなりの地位を占めていた。日米関係も昭和6年の満州事変までは良好であった。昭和9年には日米親善野球が行われ、ベーブルースやルーゲーリックが来日しているのをみても、その良好さは分かる。しかし、昭和12年の日中戦争後、その関係は最悪となった。ただし、それ以降でも「国際協調」と「議会主義」がまったく機能していなかったわけではない。政府は日米開戦の回避のために、多くの努力をしていた。しかし、米国から突き付けられたハルノートを最後に、遂に戦争突入やむなしとなって「国際協調」の代わりに「大東亜共栄圏」が「議会主義」の代わりに「大政翼賛会」が空体語として入れ替わり、ついに昭和16年12月8日、日米開戦に突入することになる。この戦争中の間も実体語(「富国強兵」と「殖産興業」)と空体語(「大東亜共栄圏」と「大政翼賛会」)はそれなりのバランスをとっていたのであるが、昭和20年8月15日の敗戦となって天秤皿の空体語(「大東亜共栄圏」と「大政翼賛会」)は遂にどこかへ吹き飛んでしまい、逆にしばらく忘れられていた「議会主義」と「国際協調(平和主義)」という語が戻ってきたのである。その日を境にあれほど憎んでいたアメリカは、民主主義の先生となり、新たな「日米同盟」の時代へと入れ替わる。ただし、天秤の支点は維新のときと同様このときも微動だにしていない。

同じようなことは、その後の出来事についてもいえる。戦後以来、日本は「民主主義」と「平和主義」という空体語を一方の皿に、そしてもう一方の皿には「日米同盟」と「経済復興」という実体語があった。だが、この二つの皿は60年安保を契機にバランスを失うようになる。「安保反対」デモが連日国会を取り囲み、「民主主義」と「平和主義」という空体語が戦後左翼の旗印となって、空体語(=分銅)の比重がますます重くなり、一方、実体語である「日米同盟」は危機に瀕するのである。このときは岸総理の粘り強い交渉によって安保改定が批准されると、天秤皿の平衡は正常に戻り、あれほど盛り上がった学生たちの安保反対運動は意気消沈して姿を消すようになる。当時の全学連のリーダー格であった東大の西部邁氏は、安保条約改定の中身については当時何も知らなかったということを告白しているが、要するに改定の批准が成立したというだけで、まるで将棋が終わったかのように心変わりするというのも、考えれば奇妙な日本的現象である。ただし、このとき一般市民を巻き込んだデモの盛り上がりのために岸総理は退陣に追い込まれている。

面白い事は、この後を受け継いだ池田内閣では「所得倍増計画」の掛け声によって実体語が再び復活したことである。一方、「民主主義」や「平和主義」の空体語はしばらく忘れられかけたようになるが、やがて70安保闘争に向かって再び安保反対の掛け声の下、盛り上がってくる。その結果は、ここに詳しく述べるまでもなく同じような経過をたどり、学生運動家たちは再び挫折を味わうことになり、その後はまたも計ったように田中角栄の「列島改造論」の呼びかけと共に、再び実体語が復活するのである。
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