3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

(4)討論型世論調査は成功するのか?

昔から日本人というのはディベートができない民族であるといわれてきた。もともと日本の社会というのは空気社会だから、ディベート(すなわち討論)によって物事を決めてゆく社会ではない。その場、その場の空気でなんとなく物事が決まってゆく社会である。そんな日本人の習性を思うと、いま政府が主導しようとしている「討論型世論調査」という社会実験がいかに心許ない試みであるかということが分かる。

先日、名古屋で開かれた意見聴取会で中部電力の社員が「福島原発事故で死者は一人もでていません。さらに今後、5年、10年経っても、この状況は変わりません。これは疫学的な事実です」というような意見を述べたときに、会場の人々から一斉に「ウソだろ!」という怒号が飛び交った。私はその光景をみながら、中部電力の社員がまるで悪事でも働いたかのようにテレビで印象操作されていることに対して義憤を禁じえなかった。

実際、その発言はウソでもなんでもなく事実をそのまま述べたまでである。放射線医療の専門家によれば、年間100mmシーベルト以下の低線量被ばくでは健康被害はほとんど考えられないとしていることは常識である。しかも福島の事故では年間5mmシーベルトを超える被ばくをされた方はほとんどいないという調査結果がでている。だから今後、5年、10年を経過しても、おそらく健康被害はでないだろうというのが放射線医学の専門家による見立てである。この専門家の見解を中部電力の社員が代弁したにすぎない。当然、テレビ局もそのことはよく分かっていたはずだ。

福島原発事故後のテレビ報道を思い出してほしい。福島原発の事故で大量に放出された放射能汚染が危惧される中、テレビ各局は東大の中川恵一准教授らをはじめ放射線医学の専門家を報道番組に呼び、彼らを司会者の隣に座らせて放射能が及ぼす健康被害について連日解説をさせていた。その度に専門家が発言したことは福島事故後の放射能レベルが重大な心配をするほどの事態ではないという見解であった。テレビ局はその専門家の見解をよく知っていたはずなのだ。しかしながら、彼ら(テレビ局)はなぜか、あるときから専門家の意見を締め出すようになった。専門家に尋ねると「安心です」という意見ばかりなので、被災者の立場からすると、まるで感情を逆なでする言葉にしか聞こえなかったからなのだろう。それ以来、「安心です」という放射線医学の専門家の言葉は禁句となってしまったようである。

だから中部電力の社員があらためて事実を知ってもらいたいと思って立ち上がったのではないかと思う。本当は彼の言葉は専門家がいうべき言葉であるが、残念ながら(安心派の?)専門家はあらゆるマスメディアから締め出されているために「安心です」という真実は完全に隠蔽されてしまった観がある。だから彼はあえて燃え盛る火の中に飛び込む気持ちで、その言葉を述べたのだろう。

福島事故の被災者が大変な目にあわれたことには深く同情するが、福島事故による放射能汚染が周辺住民に将来重大な健康被害を及ぼすものとは考えられないという専門家の一致した見解を封殺することは、決して、被災者のためにもならないだろう。なぜならありもしない心配を抱いて今後の長い生涯を送ることのリスクの方がはるかに危険だからである。ガンになるのではないかと強く心配する心理的ストレスが、逆にそのリスクを高めてしまうということは、今日ではガン医療の専門家の常識でもある。

そのようなマスメディアの世論誘導の結果、大多数の国民は安心理論に疑心暗鬼になっていった。彼らは要するに御用学者といわれる、いかがわしい学者であり、電力会社を守るために故意に事故の被害を低く見積もっているのではないかという噂が広まっていった。その経緯については以前にも書いたので、ここでは省略するが、要するにマスメディアは放射能が及ぼす健康被害についての専門家の公式見解をさしあたり信用できないものとして受け取ったようである。その結果、一般国民は放射能が及ぼす健康被害については、いたずらに不安を煽る非専門家の言動ばかりに動かされるようになった。

特に週刊誌や夕刊タブロイド誌のような、売らんかなという営利優先のジャーナリスト(?)の世界では、とにかく不安を煽れば煽るほど売れ行きにもつながるわけで、それらの論調が一斉に反安心論になっていったことはいうまでもない。だから先の意見聴取会で中部電力の社員が「死者は一人もでていません・・・」と意見を述べたとき、「ウソだろ!」という反応が即座に返ってきたのはまったく無理もない話で、実際、彼らにはそのような安心論が信じられないのである。もしそうなら、なぜここまで国民が大騒ぎをしなければならないのかと、おそらく彼らは考えるのだろう。

実際問題、死者は一人も出ていないし、今後もその影響はほとんどないと考えられているが、しかし、原発事故による風評被害を含めた東電の賠償責任の額はなんと2年間で4兆5千億円もあるとしている。つまり福島原発の被害というのは具体的には人的被害ではなく、そのほとんどが経済被害である。避難のために住む場所がなくなった人や仕事がなくなった人、そして風評被害で売れなくなった様々な農漁業の関係者、…等々、その賠償だけでも東電はまったく自社の資産だけでは負い切れないほど多額になっている。考えればそれらの被害は放射能に対する必要以上の国民の不安感が作り出したものであろう。

しかし、いずれにしても、これほどの被害を招いた原発は危険だから、こんなものは一刻も早く廃炉にしてしまわなければならないというのが国民全体の世論を支配する空気であり、そうである以上、その空気にあえて抗して、それでもなお原発を続けるべきだという少数派の意見は、やはり、どうしても隅に追いやられる形にならざるをえない。

そもそもこのような空気が支配する中で広く国民的討論を呼びかけるということが無理である。討論型世論調査を今後実りあるものにするためには、政府だけではなくマスメディアも一緒になって空気の呪縛を解くような努力をしなければならない。少なくとも事実に対しては謙虚にならなければ、まったく討論にはならない。その点、橋下大阪市長が電力会社の意見も謙虚に耳を傾けなければならないと指摘していたのは正論である。マスメディアにはそのような度量もないのかと思うと情けないかぎりである。
関連記事
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。