3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

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(1)空気とは何か

そもそも故山本七平が「空気の研究」で明らかにしようとしたこととは何であったのだろうか?山本七平は1921年(大正10年)生まれで、自らの青春を戦争に奪われた世代の最たる世代であった。彼は太平洋戦中の1942年(21歳)に徴兵され、ルソン島の戦闘に加わり、戦後は捕虜としてマニラの収容所に収容された。帰国後、1956年(昭和31年)に東京世田谷に出版社・山本書店を創業する。当初の山本書店の出版物は主に聖書学を中心とする訳書であった。山本氏の名が世に知られようになるのは、なんといっても1970年に同書店から出版されたイザヤ・ベンダサン著「日本人とユダヤ人」である。一般に伝えられるように<イザヤ・ベンダサン=山本七平>ということは、必ずしも明らかだとは思はないが(たとえばユダヤ人作家との共作という説も否定できない)、少なくともベンダサンと山本七平の思想的地平というものには共通するものがあることは事実だろう。

ベンダサンと同様、山本七平の最大の関心事は日本人とは何か?という問題であった。山本七平がその問いをもつようになったのは、まさに自らの壮絶な半生の中で煩悶せざるをえない問題意識としてそれが常に彼の頭の中を駆け巡ったからであろう。なぜ日本人は勝てる見込みもない無謀な対米戦争を始めたのか?なぜ日本人という人種は昭和20年8月15日を契機にして、ある日突然に天皇の現人神信仰を脱ぎ捨て、その前日までは鬼畜米英の敵であったはずの駐留米軍を民主主義の神様と信じるほど素直に受け入れることができたのか?はたまた、それが過ぎると、今度はさしたる根拠もなく学生や知識人が「安保反対」と騒ぎ出し、社会主義国こそ理想の社会だという虚妄のイデオロギーを無邪気に信じ込んでいったのか?時代の空気はなぜいとも容易に180度異なる方向へとその向きが変わり、その空気の変遷とともに日本人はなぜ同じ過ちを繰り返すのか?そのような問いが山本七平の前に常に解決されなければならない命題として彼の頭の中を支配し続けたのであろう。

「空気の研究」はそのような問題意識の中から必然的に生れた傑作の一つといってもよいと思う。山本七平が「空気」という概念をどのように考えているのかここで簡単に整理しておこう。「空気」というものの存在を示す分かりやすい例として、戦艦大和出撃の際の「空気」の威力がいかに強かったかということを紹介した個所がある。

以前から私は、この「空気」という言葉が少々気になっていた。そして気になりだすと、この言葉は一つの“絶対の権威”の如くに到る所に顔を出して、驚くべき力を振るっていることに気づく。「ああいう決定になったことに非難はあるが、当時の会場の空気では…」「あの頃の社会全般の空気も知らずに批判されても…」「その場の空気も知らずに偉そうなことういうな…」等々々、到る所で人びとは何かの最終的決定者は「人でなく空気」である、と言っている。驚いたことに、「文芸春秋」昭和50年8月号の「戦艦大和」(吉田満監修構成)でも「全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う」という発言がでてくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無効とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに到る細かいデータ、すなわち明確な根拠がある。だが、一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠はまったくなく、その正当性の根拠は専ら「空気」なのである。したがってここでも、あらゆる議論は最後には空気で決められる。最終的決定を下し、「そうせざるを得なくしている力をもっているのは一に「空気」であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。とうのは、おそらくわれわれのすべてを、あらゆる議論や主張を超えて拘束している「何か」があるという証拠であって、その「何か」は大問題から日常の問題、あるいは不意に当面した突発事故への対処に至るまで、われわれを支配しているなんらかの基準のはずだからである。

確かに日本人はしばしば「あの空気の中では仕方がなかった…」等ということを口走ることがある。その「空気」という言葉には何か共通の意味が込められているはずだが、通常、われわれはそれを確たる概念としては使っていない。むしろ、その概念は他の言葉では表現のしようのない漠たる概念として無意識に使われているのではないだろうか。たとえば、あのとき本当は自分の考えは賛成ではなかったのだが、その場の「空気」で賛成せざるをえなかったというような場合に、ある種の弁解としてその言葉がしばしば使われるが、その場の「空気」というのは、何か理屈を超えたものを指しているにちがいない。それは何であろうか?

現実の空気は目にはみえないが確実に存在するものである。人間は誰でも空気を吸わなければ生きられない。しかもわれわれは空気を選ぶことはできないので、一方的に空気によって規定されている。空気の存在はわれわれの肉体を具体的に支配する実体であり、その支配力に対してわれわれはどうすることもできない。水がなければ魚は生きられないように、人間も空気がなければ生きられないのである。そのような現実の空気の存在とはまた別にわれわれ人間の精神的な部分を支配する力として「空気」というものが存在するのだと仮定すれば、われわれを精神的に規定する「空気」というものの実体が少しはみえてくるような気がする。

ひと頃、「KY」という言葉がやたらとはやっていたが、この言葉は英語の頭文字をとった略語ではなく、元々は一部の女子高生の間でのみ通用していた日本語の頭文字をとった隠語だそうで、ご存知の通り、その意味は「空気(K)が読(Y)めない人」というような意味である。してみると、女子高生たちは(誰に教わったわけでもないのだろうが)「空気」という概念を彼女たちの短い人生の中で学んでいたのだろう。

実際、「空気を読む」ということは、女子高生だけではなく、われわれの社会で生活してゆくすべての人にとって必須の処世術でもあると思われる。しかし、その言葉が幅をきかすと、文字通り「空気が読めない人」は除け者にされ、「空気」に対して誰も抵抗できないという「空気信仰」のようなものができあがってしまう。すなわち「空気」が一種の神のような存在になって人々を呪縛するようになる。これは「空気の物神化」といってもよいだろう。

「空気」というものは目に見えないが無言の圧力を及ぼすものである。だからそれはまさしく目に見えない神のように振舞うことができるのである。普通の人は「空気」の存在を目で見ることはできないが、しかしその圧力だけは感じるので、誰もがその存在を疑わず、それに抵抗することさえできない。したがって、「空気」に抵抗するということは、通常、無謀なことであると思われる。

空気というものは目に見えない。だから、それはときにわれわれの社会の神のごときものとして君臨する。しかし空気が空気であるゆえんは、その実体が不確かなものであり、いつかは雲散霧消し消えてなくなるものであり、したがってその影響圏は一時的あるいは局所的なものにすぎない。たとえば上記の故山本七平の文章で「ああいう決定になったことに非難はあるが、当時の会場の空気では…」と書いているのは、局所的空間の中でのみ影響力をもつ「空気」であり、一方、「あの頃の社会全般の空気も知らずに批判されても…」というのは社会の中で一時的に影響力をもつ「空気」のことである。戦艦大和の出撃に関して言うと、その当時の社会の全般的空気と同時に大本営という局所的空間の中の空気が、あのような不条理な決定を促したのだと考えられる。その決定に参与した当時の政府と軍の関係者は、おそらく誰にとってもそれ(大和出撃)が有効な作であるとは考えていなかったフシがあるが、しかし、その場にいた者は誰もその空気に逆らえなかったのである。

おそらくそれは大東亜戦争開戦時に至る経緯においても同様であったと思われる。もちろん大東亜戦争開戦の決定に天皇が関わっていたということは事実であるが、おそらくその最終決定を成した御前会議において天皇の影響力はほとんどなかったはずである。ということは、つまり「神」である天皇でさえも「空気」には逆らえなかったのではないかと考えざるをえない。「空気」というものはかくばかり絶大な影響を及ぼすものであり、それはまさしく「神」のごとく振る舞うのであるが、しかし、その「空気」がいったん雲散霧消すると、人々はあの時の空気はいったい何だったのだろうかと、まるで憑きものが落ちた人のように正気に戻るのである。昭和20年8月15日を境にして起こった「空気」の変化はまさにその典型例である。
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