3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

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(3)一党独裁の功と罪

ちょっと昔を思い出してほしい。ほんの十数年前まで日本の政治は戦後以来久しく自民党の一党独裁時代が続いていた。日本では欧米のようないわゆる二大政党というシステムは育たず、与党である自民党は常に政権政党であり、社会党や共産党をはじめとする少数野党は万年野党にすぎなかった。このような一党独裁のシステムは日本の発展にとっては良かったのだということが分かるだろう。戦後日本の奇跡的な経済発展を支えてきたのは長年与党を担ってきた自民党の功績であり、また官僚システムの功績でもあったことは疑いえない。

一党独裁がなぜよかったのかということは、今現在の政治の混迷をみれば誰にも明らかだ。民主党が政権に就いて以来、日本の政治はまったく機能していない。それは与党と野党が衆参両院でねじれた異常な状況の出現によって機能不全に陥っているからである。しかも与党内にはガン細胞のような派閥が成長し、それがために党内政局に明け暮れ、政治のリーダーシップは発揮されず、何事も決められない政治が続いている。国民はこのような状況にいい加減うんざりしており、それに代わって橋下氏が人気を博しているのはまさにこのような何事も決められない政治に対する不満が鬱積していることの表れだろう。振り返ってみれば自民党の一党独裁時代の方がはるかによかったのではないかと思う方も多いだろう。

実は一党独裁政治の方が効率的であるということは中国の発展が証明している。中国ではそもそも政党というものがなく、共産党の一党独裁によってあらゆる物事が決められていく。共産党の中国が資本主義を取り入れて以来、驚異的な経済成長を遂げたのは、一党独裁制によるものが大きいといわねばならないだろう。彼らはいかなる反対運動にも妨げられることなく巨大ダムの建設や原発の建設をいとも簡単に決定し、必要なあらゆる公共事業をたちどころに発注することができる。しかも、彼らは工場や車がまき散らす環境汚染に対しても必要以上の規制をかけることなく、常に経済優先の政策を採ることができる。もちろん為替動向も不安定な証券市場にまかせずに、常に政府が目を光らせて管理することができる。先日のテレビで池上彰氏が解説していたが、いま共産中国は国をあげて「金」を買い占めるという国策に取り組んでいるという。10年後には「金」の保有高でアメリカを凌いで世界一になるというのが彼らの目標である。もしそうなると人民元は信用力をますます高め、世界の基軸通貨になることも予想される。世界の資本主義国が為替の信用不安に苦しんでいる中、ひとり中国の人民元だけが信用力を高めるとすれば、いずれ世界経済は中国共産党に支配されるということも、あながち妄想とは言い切れない。

かつての社会主義の計画経済は非効率かつ非生産的であるということが歴史的に証明されているが、中国共産党は自らその苦い経験を反省し、資本主義を全面的に取り入れ、政府の役割を自由経済市場のコントロール機関として限定することによって、経済の活性化と効率化を実現することに成功している。彼らは旧来の社会主義の欠陥を熟知し、同時に先進民主主義諸国の混迷ぶりを反面教師としながら、独特な経済社会を作り上げようとしているのだとみることができる。中国では依然として人権が守られていないという先進国からの非難に対しては「中国には中国のやり方がある」といういつもの返事によって一蹴している。これは経済が発展すれば、たとえ人権が制限されても民衆の不満は緩和されるという彼らの経験知があるからだろう。このような中国共産党の政治はまさに孔子の「民は之をよらしむべし、之を知らしむべからず」という教えを地でゆくものとみることができる。すなわち中国共産党政府のやり方というのは民衆を政治的無関心におきながら、彼らの不満を顕在化させないというやり方なのである。それによって共産党政府の経済政策はますます功を奏するという結果につながっている。

もちろん私はこのような中国のやり方を理想的だなどと持ち上げるつもりはない。一党独裁の弊害というのは決して過小評価することはできないだろう。特に一党独裁によってマスコミやジャーナリズムが擬制の組織となり、民衆を欺くことが常套となる社会は「悪」そのものである。たとえその社会の経済が一時的に栄えたとしても、それは決して長続きはしないだろう。なぜなら人間は飢える心配がなくなれば、真理を欲する生き物だからである。したがって、中国のやり方はいずれ破たんする時が来ることを確信しているが、その時がいつになるのかは分らない。中国が破たんする前に民主主義国の方が先に破たんする可能性だってあるのである。実際、いま現在日本で起こっていることは民主主義という制度の破たんの兆候である。

現在の中国の独裁政治による効率性は戦後日本の発展を支えた自民党独裁政権下において同様の効率性があった。その間、大部分の国民は(現在の中国の一般大衆と同様)政治には無関心であり、安保や公害、原発などの問題は一時的に国民を総政治化させはしたが、決して独裁政権を脅かすほどの問題とはならなかった。もちろんマスコミやジャーナリズムは真実を国民に伝える努力を怠っていたわけではないが、その機能には一定の自己規制が前提とされており、どんな場合も一党独裁政治を崩すほどの問題とはならなかった。これに関して故山本七平が次のように書いている。

それはひとことで言えば「非政治化をめざす統治集団によって構成された政府に対して、全体主義的総政治化をもって対抗する勢力が一種の野党として対立し、両者が一定のバランスをとっている状態を民主主義と呼ぶ」といった状態である。そして「この状態は、その国の体制と関係なく存在するが、いずれの国(筆者注:70年代以前のアジア諸国)でも、この与野党の間に政権の交替はなく、ただ全体主義的総政治化的政治運動による野党の攻勢に対して、与党は与党内の政権交替という形で対応し、対応が終われば積極的な非政治化で安定を計り、両者が一定のバランスを回復すれば、その政権は次の総政治化運動まで継続する」といった形である。少なくとも現在まで、これが「民主主義のあるべき姿」だと多くの人びとが内心で考えていることは、太田薫氏(筆者注:かつての社会党支持母体の労働組合「総評」のカリスマ的指導者)のある座談会での「弱い政府を作って、みんな(全体主義的総政治化統一世論)で、これを批判している状態がもっとも望ましい」といった意味の言葉にも表れている。別の表現で氏と同じ言葉を口にした人は実に多い、というよりこれは一種の「全国民的な暗黙の了解」であった。(「なぜ日本は変われないか」さくら舎P63)

そういえば、私は若いころに親父から次のように言われたことがある。「社会党や共産党は批判勢力としては存在したほうがいいんじゃないか」というような話である。親父は普通の商売人であり、どちらかというと自民党支持者であったと思うが、社会党や共産党など野党の存在意義を自民党政権に対する一定の批判勢力としては認めていたようである。しかし、だからといって彼らに政権を渡すと日本がたちまち立ち行かなくなるだろうということは直感的に理解していたのだろう。故山本七平が「全国民的な暗黙の了解」というのは、おそらくその当時の親父に代表される考え方を指すのだろうと思う。

戦後日本を奇跡的に復興させ、日本を世界第二位の経済大国へ押し上げた功績は自民党の独裁政権にある。そのことは大半の国民が暗黙の了解として認めていることであった。同時に国民は自民党にも多くの問題があることを知っていたはずである。だから親父のように、一定の批判勢力として社会党や共産党の存在を認めていたのだろう。しかし、だからといって彼らに政権を渡そうとはしなかった。そんなことをすれば日本がどうなるのかわからないからである。だから60年と70年の安保闘争で世論がどんなに盛り上がっても、大方の国民は彼らに政権を渡すことをよしとはしなかったのだろう。実際、もしそんなことになっていたら、今日の日本の繁栄はありえなかっただろう。
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