3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

(2)御用学者のレッテル

(2)御用学者のレッテル
それにしても、「御用学者」という言葉は久しぶりに聞いた気がする。この言葉は、かつての共産党に好んで使われた左翼色の強い言葉である。マルクスやレーニンの唯物史観によれば、資本主義国家というのはその支配階級であるブルジョワジーが、自らの政権を維持するために学者たちを雇い、彼らに自らの政権に都合のよい発言をさせることによって、その政権の支配を巧妙に維持しようとする、そのような意味合いで資本主義側に立った学者はひっくるめて御用学者というレッテルが張られた。したがって日本共産党によれば、反社会主義的な思想の持ち主はすべて御用学者ということになる。しかし、現代においては反社会主義的でない学者を探すことの方がむしろ難しいであろう。確かに60年代から70年代中頃までは、ほとんどの大学の学者はマル経(又は進歩派)であり、その傾向は文系だけでなく理系においても唯物史観を信じる学者たちが圧倒的に優位を占めていたので、社会主義に反対する「体制派の学者は=御用学者」というような批判が一定の説得力をもっていたわけであるが、今日では、ほとんどの学者が(共産党からすれば)右寄り、すなわち反社会主義的な学者ばかりになっているので、もはや共産党にとって御用学者という言葉が用をなさなくなっているのである(そういえば1970年にイザヤ・ベンダサンという謎のペンネームで「日本人とユダヤ人」を出版した故山本七平氏も、進歩派学者を徹底的に批判していたせいなのか、その後しばらくの間は御用学者という不名誉なレッテルを張り続けられていたように記憶する)。

しかしながら、3.11後の福島原発事故によって、実に久々に、かつての御用学者という言葉が本来の意味をなす言葉としてよみがえったわけである。その言葉によって惹起されるのは、要するに次のようなことであろう。長年、自民党の保守政権によって喧伝されてきた原発の安全神話というのは、実は原発利権に群がる企業と政府が一体となって自らに都合のよい主張をする学者たちを雇い、それによって根拠のない安全神話を国民は信じ込まされてきたのであるということ。すなわち原発は安全だとか、放射能はただちに健康に害をあたえるものではないとかいう学者はすべて体制側に雇われた御用学者ではないのかということである。そのような懐疑を強く抱かせたのは、原発事故後、何人かの非御用学者達(?)が放射線の危険性を誇大に主張するようになったせいでもある。中でも際立っていたのが涙の辞任会見で衝撃を与えた東大教授小佐古敏荘氏であろう。小佐古教授は内閣の官房参与として雇われた立場の身でありながら政府の御用学者にならずに、むしろ政府の公式見解に反旗を翻した(良心的)非御用学者として高く評価されたということである。小佐古氏が涙の辞任会見をした理由は福島県内の小学校や幼稚園の校庭での屋外活動を制限する放射線量の基準値を年間20ミリシーベルトとしたことが学問上もヒューマニズムの観点からも絶対受け入れられないとした点であった。

ただし小佐古教授の経歴をwikipedeaで調べてみると彼の「ヒューマニズムの観点から」という言葉に、少しひっかかるところがある。次のように書かれているのである。

「2003年以降の原爆症認定集団訴訟では、国側の証人として出廷し、国の主張に沿った証言を行った。特に被爆者の放射線量を評価するシステム、DS86とDS02については妥当性を主張しており、この点で原爆症の認定が不十分であるとする原告の主張と対立している(被爆者約25万人のうち、国が原爆症と認定した者は約2000人である)。なお、小佐古が証人として出廷した裁判は、国側が全て敗訴している。」

もちろんこれだけで確かなことはいえないが、小佐古教授は原爆訴訟問題では国側に立つまさに典型的御用学者として活動していたことになる。今回の原発事故で政府の官房参与として起用された理由も、おそらくそのような経歴が官僚に安心感を与えたからではなかろうか?原爆症認定訴訟で国側に立って国を弁護していた学者が、今回の原発事故では、一転反政府側に立って「ヒューマニズムの観点から」受け入れられないというのは、一見矛盾しているかのようにみえる。もちろん小佐古教授は、純粋に「学問的に」そして「ヒューマニズムの観点から」も、年間20ミリシーベルトの基準設定に学者としての良心をかけて反対したのだと素直に評価すべきなのかもしれないが、ではなぜ官邸は小佐古教授の進言を受け入れなかったのであろうか?もちろん内閣の官房参与として雇われたのは小佐古教授一人ではなかった。他にも多くの専門家がいたはずであり、その中では放射線の問題に関して真剣な議論がなされたはずである。官邸の発表では、小佐古教授の意見は他の学者たちの意見とあわなかったというのが真相であるとしている。もちろん年間20ミリシーベルトというのは、普通人が浴びてもよいとされる年間1ミリシーベルトの国際基準の20倍もの数値であるので、小佐古教授ではなくとも(学者の良心として)一挙に20倍もの上限値を設けるのはいかがなものかという意見がでるのは当然であろう。

しかし、現実問題としては福島県内の放射線量が国際基準を上回る数値であるということはどうしようもない現実であった。もし、可能なかぎり除染をしてもなお、その基準を設けなければならない厳しい状況であるとすれば、小佐古教授の意見が通らなかった背景には一筋縄ではいかない複雑な問題があるということになる。マスコミは決してその問題を詳しく伝えていない。あくまでも小佐古教授が学者の良心としてヒューマニズムに訴えた行動を勇気ある立派な行動として賞賛するという「いつものスタンス」であった。ここで「いつものスタンス」というのは、例をあげるまでもなく、こういった問題が起こるとマスコミは必ずヒューマニズム側に立つことに決まっているからだ。

話を前に戻そう。先の中川東大准教授がいうように、年間100ミリシーベルト以下の放射線量では発がんの危険はほとんどないとされている。これは中川教授の個人的な解釈ではなくICRP(国際放射線防護委員会)という国際機関の公式見解なのである。ただし、ICRPは通常時に浴びてもよい放射線の被ばく量を年間1ミリシーベルトという厳しい数値に設定しているわけだが、原子力事故等の緊急時には年間20ミリシーベルト程度の上限を設けるのはやむをえないともして、次のような声明を発表しているのである。

国際放射線防護委員会(ICRP)は、原発事故などが起きた後に周辺に住む人の年間被曝(ひばく)限度量は、2007年の勧告に基づき、1~20ミリシーベルトの範囲が妥当とする声明を発表した。日本の現在の基準は、一律に1ミリシーベルト。福島第一原発事故の影響が収まっても、放射能汚染は続く可能性があると指摘し、汚染地域の住民が移住しなくてもいいよう、日本政府に配慮を求めた形だ。3月26日 Asahi.com

つまり菅内閣はこのICRPの声明に基づいて、年間20ミリシーベルトを上限として設定したわけだが、小佐古教授はそれではあまりにも子供たちが可哀そうだといって涙の辞任会見に相成ったというわけである。そしてその教授の涙は、以後、「御用学者」対「非御用学者」という図式を作り上げることになる。ただし、この図式はかつての共産党が好んで使った図式とは若干異なっているばかりでなく、複雑なねじれを起こしている。というのも小佐古教授のように従来の見方では御用学者とされる立場の人が事故後は一転して非御用学者のような顔をしているから、われわれは誰の言葉を信じてよいのか分からなくなるのである。たとえば中京大学の武田教授にしてもそうである。武田教授は、元々、原子力安全委員会の委員の一人であり、積極的な原発推進派でもあったとされる。ところが事故後は一転して安全神話の破壊に率先して発言している。特にICRPの年間20ミリシーベルトという設定値に対しては小佐古教授と同様受け入れられないという強硬な反安心論の立場をとっている。武田教授の場合は原発推進派として安全神話をふりまいてきた自らを深く反省しますという謝罪をしたうえで、自らがもはや御用学者ではないという宣言をしているので分かりやすいといえば分かりやすいのかもしれないが、もし科学者が学問に忠実たらんとすることが御用学者を意味し、逆に学問ではなく世論に迎合することが非御用学者を意味するとするならば、それは本末転倒であるといわざるをえないであろう。

いずれにしても、御用学者VS非御用学者の対決という図式は初めから勝負がついているわけで、要するに御用学者が100ミリシーベルト以下の放射線の被ばくがいくら安全だと統計学的資料の事実を並べて説明しても「そんなものは信用できない」という非御用学者の一言で安心理論は脆くも崩れ去ってしまうというのが目下の情勢である。中川教授がいうように、それはもはや「哲学領域」の話であり、いずれが正しい事実に基づいているのかという科学の話ではないのである。このような放射線に対するわれわれの不安心理、そして学者やマスコミの扱いをみると、これはまさしく山本七平が「空気の研究」で論じていた「空気」そのものであるということが分かる。
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