3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

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(3)電力危機は「空気」で乗り越えられるのか?

ただし、西岡論文にはみるべきものがあることも指摘しておきたい。彼は菅総理のストレステストの導入によって、来年の春(すなわち今夏)以降、本格的な言力危機が到来するということを予言しているのである。この予言は昨年経験した関東方面での深刻な電力危機の再来という意味ではあたっていないが、むしろ昨年はほとんど影響のなかった関西方面で深刻な危機になっているので、その予言は半ばあたっているといってもよいだろう。

西岡氏は原発を再稼働しなければすぐにも必要な電力が不足し、電気冷蔵庫も空調機も洗濯機も動かせなくなるなどといっているが、それは現在原発ゼロになっている状況でなお日常の生活に支障がないことをみても、彼の事実認識には大きな誤りがあったことは自明である。現実には原発がゼロになっても、一昨年のような猛暑にならないかぎり、節電によりなんとか当面の電力需要は乗り切れそうだという試算がでている。

ただし、関西方面では一昨年並みの猛暑になると15%もの供給不足が起こるという試算がでているので、これは深刻な危機である。橋下大阪市長らがそれでも再稼働なしで乗り切れるなどと強弁しているが、はたしてそれはまともな根拠があるのだろうか?15%の供給不足が予想されるということは、少々の節電では間に合わない数値である。昨年の関東方面の計画停電のようなことを行わなければ乗り切れない可能性もある。

もっとも懸念されるのは突然の大停電が起こることである。もし大停電が起こると、多くの人命が危機にさらされることは間違いない。特に医療現場は大変な状況になることが予想されるが、それだけではなくエレベータに閉じ込められたり、あるいは信号機が点灯しなくなって事故が多発するということも予想され、交通網は完全にマヒするであろう。あるいはまたコンピュータやパソコンが突然動かなくなり、その指令によって動く様々な重要機器が作動しなくなると想定外のトラブルが発生する可能性もある。さらにまた危惧されるのは熱中症の犠牲者が増えることである。

現代の文明社会の中で電気というのは、たとえてみれば人間の体を支える血液や神経系統と同じような働きをもつ一瞬も欠かすことのできないものである。それが失われるリスクはむしろ原発の放射能リスクよりも大きくなることもあるのである。

実はあまり報道もされていないので知らない人も多いと思うが、福島原発事故後の放射能による死者はゼロであるが、その放射能の脅威から逃れるために、少なくとも45名の死者がでている。事故当時、半径10キロ圏内にあった双葉病院の患者を緊急避難させようとした際に45人の死者がでたのである。その死者たちの多くはわずかの間救命装置が切れたことによる。もし大停電が起これば、その悲劇をはるかに上回る死者がでないとはかぎらないであろう。

ところが現在、そのような危機的状況が日一日と迫っているにもかかわらずマスコミはほとんどその危機を伝えることをしない。ここでもまた「空気」という、わけのわからないものが日本社会を覆っているために、正常な判断ができなくなっているのではないかといわざるをえない。マスコミが電力危機を煽ると、政府が進めようとする原発再稼働に弾みがつく。それによって、折角、原発ゼロになっている現在の好ましい状況を崩してしまうのではないかという心配でもしているのだろうか?

現在緊急の課題になっている大飯原発の再稼働の問題について、テレビのニュースキャスターたちはなぜか多くを語らない。彼らは口を開けば、いつも関西電力の再稼働ありきという姿勢に対して疑問を投げかけるという程度の批判めいた物いいに終始している。橋下大阪市長が「再稼働ありきという民主党政権は打倒するしかない」などと政局的な発言をしているので、彼の人気にあやかろうとする自治体の長や政治家も再稼働にゴーサインを与えることに躊躇せざるをえない。

今、もし、西岡武夫氏が生きていたらどういうであろうか?彼が言っていたことは事実誤認が多くて信をおけるものはほとんどないが、しかし、菅総理のストレステスト導入によって招来される電力危機については正しく見通していたことは確かである。彼はストレステストというあいまいな基準を設けることで原発再稼働のハードルが極端に高くなることを正しく予感していたのであろう。それはおそらく科学的な根拠にもとづくものではなく、その場の空気に支配される日本人の習性を直観的に感じたのであろう。

玄海原発を再稼働寸前までこぎつけていたにもかかわらず、菅総理がそれに待ったをかけることによって、再稼働反対という世論を勢いづけてしまった。だからその責任はひとえに菅総理にあるのだと(西岡氏)は言いたかったのであろう。しかし、そのような言い方は所詮「空気」というわけのわからないものを物神化(絶対化)しているだけであり、西岡氏が菅総理に対していっていることは「空気」に対して責任をもてというに等しい。

西岡氏が政治家であるならば自ら命を張って再稼働実現のために活動すればよいことであろう。菅総理がストレステストを導入したからといって、再稼働反対派の世論に勢いを与えてしまった責任をとれというのは政治家としてあまりにも情けない話だ。政治家は正しい世論を形成するために行動すべきであり、間違った世論であればその誤りを言論によって正せばよいのである。

そもそも菅総理がストレステストを言い出したのは、決して原発の再稼働を認めないという方針ではなかったはずだ。直近で東海地震が懸念される浜岡原発は別にして、その他の原発はストレステストさえクリアすれば、再稼働を許可する方針であったはずである。菅総理が打ち出した脱原発というのも、決していますぐに脱原発ということではなく、10年先、あるいは20年先の話であったはずであろう。にもかかわらず、ここへ来て再稼働のハードルが極端に高くなっているのは、一部のマスコミと橋下大阪市長らが「再稼働を認めない空気」を醸成しようとするからだろう。

ならば、そのような「空気づくり」には別の「空気づくり」で対抗するのではなく、きちんとした科学的検証を示し合理的に彼らを説得するということによって対処すべきである。われわれにとって本当のリスクというのは、「空気」というわけのわからないものに呪縛されて正しく合理的な判断ができなくなることではないであろうか?

所詮「空気」とは空気にすぎないものであり、それはいずれは雲散霧消してなくなってしまうものである。「空気づくり」によって現在と将来の電力危機が乗り超えられると考えるならば、さらなるリスクをわれわれは背負うことになるのではないかと危惧せざるをえない。

追記:橋下現象については別に稿をあらためて書きたいと思います。
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