3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

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(1)ストレステストをめぐる混乱

あまり無責任なことは言いたくないのだが、原発再稼働の問題が異様に沸騰しつつあるので、ここらで私見を述べてみたい。

われわれの社会はふわふわとした「空気」のようなものによって動く社会であり、いつもわれわれはその「空気」がいったいどのように発生し、どのように醸成されたのかということに、まるで関心さえなく、その「空気」の中でいかに生きるのかということにしか注意が向かないので、物事の因果関係がなにも分からず、ただやみくもにブツブツと不平やら不満が煮えたぎり、あげくに的外れな批判やあてこすりばかりしているのが偽らざる実情ではないだろうか?

この際、よく思い出してほしい。そもそも現在、原発再稼働が問題になっているのは、菅総理がストレステストということを言い出したからである。その発言は昨年7月6日のことであった。当時、日本全国にある54基の原発のうち稼働してるいのは16基だけだった。その他の原発はすべて定期点検に入っていたが、通常のルーティンにしたがって定期点検作業が終わると、一時休止中の原発もすべて動かせるはずであった。

当時、菅総理は脱原発の方針であることに変わりはないが、当面の電力需要を乗り切るために原発依存はやむをえないとして、各地の原発の定期点検が終わると再稼働を認める方針であった(ただし、浜岡原発のみは東海地震が懸念されるという理由で強制的に運転停止を命令していた)。その政府の方針にしたがい定期点検で休止していた佐賀県の玄海原発を動かそうとなったとき、突如として菅総理がストレステストを言い出したのである。

当時、休止中の原発の再稼働は経済産業省の所轄であり、経済産業省の海江田大臣が佐賀県知事に会いに行って、予定通り休止中の原発再稼働の第一号としてこぎつける寸前であった。ところが海江田大臣が菅総理の指示の下、再稼働に向けて尽力していたにもかかわらず、突如、休止中の原発の再稼働のために今後ストレステストを実施すると言い出したのである。この発表は翌日の新聞などで「唐突な発言」として批判された。それに加えて菅総理の「いつものスタンドプレーだ」という痛烈な皮肉が政界とマスコミを飛び交ったのはいうまでもない。

7月7日読売朝刊

その後、梯子をはずされた格好の海江田大臣には逆に同情が集まり、菅総理の独断専行と閣内不一致という問題が新たに表面化することになり、菅総理に対する辞めろコールはさらにボリュームアップされることになった。その前後の空気がいかなるものであったのかということを理解するために、その翌日(7月7日)の新聞記事を紹介しておこう。

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参院予算委では自民党の磯崎陽輔氏が、玄海原発再稼働を巡る政府の対応を批判した上で、海江田氏に対し、「海江田氏が一生懸命頑張っても、首相がひっくり返していたら仕方がない。佐賀県の人に対してどういう責任を取るのか。腹を切るべきではないか」と辞任を求めた。これに対し、海江田氏は「いずれ時期が来たら、私も責任を取らせていただく」と述べた。海江田氏の発言は、原発再稼働に向けた新基準を6日に唐突に表明するなどした菅首相への不満の表れとみられる。ただ、海江田氏はその後、国会内で記者団に「やることはまだある」と述べ、早期の辞任を否定した。(7/7付 読売新聞)

今現在、この記事を読むと何が問題となっているのか分かりにくい。この記事を書いた新聞記者も、そして参院予算委で海江田氏に辞任を迫った自民党の磯崎氏も、いったい何が問題だといっているのだろうか?少なくとも彼らは原発再稼働がけしからんといっているわけではない。でなければ、「海江田氏が(再稼働に向けて)一生懸命頑張っても、首相がひっくり返していたら仕方がない」というのはナンセンスだ。だが、かといって彼らは原発再稼働をひっくり返した菅総理の判断をけしからんといっているわけでもなさそうである。もし、そうなら海江田氏は腹を切る必要はまったくないだろう。悪いのは原発再稼働を止めた菅総理なのだから、腹を切るべきなのは菅総理のはずである。

この記事をみてその発言の真意を分かる人は極めて日本人的な日本人だけであろう。逆にいうと日本人以外はこの発言の真意を分からないのではないだろうか。磯崎氏が海江田氏に向かって「腹を切れ」と言っているのは、おそらくこういう意味である。海江田氏は菅総理の指示にしたがって原発再稼働のために尽力したのである。にもかかわらず、菅総理は事前に海江田氏と打ち合わせもせず、当然なされるべき閣内の議論もせずに、勝手にストレステストという国のエネルギー政策を左右する重大な決定を独断専行で発表したのである。これは何事も合意形成を旨とする日本人の習慣に著しく反するものであり、仮にストレステストというものが正当な手続きであるとしても、その発表のプロセス自体は反民主的かつ反道徳的であり、そのために海江田氏は梯子をはずされた格好で大恥をかく結果となったのである。だから海江田氏は自らの名誉を守るためにも菅総理に対して辞表を出すべきだというわけである。

ただし、磯崎氏の本音は実はそういうことではなく、原発再稼働に待ったをかけた菅総理の決定自体が許せないということではないかと勘ぐることもできる。磯崎氏の政治的背景を私はまったく知らないが、おそらくほとんどの自民党議員は原発推進派であり、当然ながら原発再稼働派でもあったはずである(そのことはおそらく大半の民主党議員においてもあまり変わりはない)。しかしながら菅総理が突然にストレステストを言い出したとき、再稼働派の議員たちは泡を食ったような格好になり、その発表に対してまともに反論ができなかったのではないだろうか。

なぜなら、その発表は誰がみても正論に違いないからである。3.11後、日本列島全土で大きな余震が続発していて、いつどこでさらなる原発災害が起こらないともかぎらない。だから、この際停止中の原発については。あらゆる被害の状況を想定して、それに耐えられるかどうかをチェックするのは当然なすべきことである。日本よりもはるかに地震が少ない欧州においてさえ、そのようなストレステストの実施が義務付けられたのだから、それを見習って日本の原発の安全システムがこの機会に変更されるべきであるというのは当然のことである。

仮にそのように考えられたとすれば、菅総理の発表は賞賛すべきことであり、いやしくも非難されるべきことではないはずだ。ただ問題は、菅総理が閣内で意思統一もせずにその発表を独断で行ったということに帰するのであろう。いったい、なぜ菅総理は閣内で議論もせずに、その発表を突然に言い出したのであろうか?これはあくまでも、私の想像であるが、その理由は閣内で議論をすると潰されるおそれがあると判断したからであろう。そんなことをいうと、民主党の他の大臣に対して失礼かもしれないが、誰がみてもストレステストの導入によって、今後原発の再稼働が極めて難しくなるという読みができたはずである。これは現実にその後の展開をみれば明らかであろう。

当時、原発再稼働の第一号として玄海原発が海江田大臣と佐賀県知事の会談によってほぼゴーサインの寸前までこぎつけていた。そのタイミングで待ったをかけると、今後再稼働のハードルが極端に高くなるという恐れがでてくる。したがって、閣内の会議にかければ、おそらく発表の時期が悪すぎるという結論になったであろう。

そのように考えると、あの時局の中での菅総理の独断専行はやむをえざる行動であったとも受け取れる。もちろん、その判断が本当によかったのかどうかということは一概にいえない。その最終的評価は歴史の判定に委ねられるべきことである。しかし、今現在の時点ではストレステストの実施が悪かったという意見はおそらく皆無であることをみると、菅総理の判断はまさに歴史的な判断として評価できるのではないだろうか。

それにしても私が強く疑問に思うのはマスコミの反応である。マスコミは7月6日の菅総理の突然のストレステスト発表に対して「唐突だ」という冷淡な批判的記事を書いた。してみると彼らは「ストレステスト」という言葉自体を知らなかったのではないかという疑念が生じる。世界の原発事情に明るいはずのマスコミ人が、欧州で行われている安全基準を知らなかったとすれば、それは恥ずべき無知怠慢であろう。もしかするとマスコミ人は菅総理の口からその言葉がでてきたことで意表を突かれ恥をかかされた結果、「唐突だ」という反応になったのではあるまいか。

それとも彼らは欧州でのストレステストを知ってはいたが、それを日本の未熟な世論に訴えると、いらざる空気ができてしまい原発の再稼働がますます厳しくなるということを恐れたのであろうか?もしそうだとすれば、原発再稼働は政官財とマスコミを含めた隠然たる勢力の一致した計画であり、それに対して菅総理はまったく孤立無援の中で脱原発のための風穴を開けるという英雄的行動を選択した人物だということになる。

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