3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

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(4)地震のエネルギーは水素爆発である

(4)地震のエネルギーは水素爆発である
では一体、地震の原因とは何か?筆者は巨大な地震のエネルギーはプレートの運動による物理的なエネルギーではなく、むしろ化学的なエネルギーによるものだと確信している。結論をいうと、そのエネルギーの正体は「H2O」すなわち「水」である。「水」が莫大なエネルギーをもっているということは、福島原発の建て屋の爆発につながった水素爆発でも明らかであろう。2000度近い高熱になると一部の水は水素と酸素に解離する。それによって水素が大量に発生するのである。3月13日に建屋の爆発が初めて起こったとき、原発関係者は誰もそれを予想できなかった。そもそも水素が大量に発生しているという事態が、彼らには信じられなかったようである。しかし2000度近い高熱になると一部の水は水蒸気になるのを通り越して、一種のプラズマ状態となり水素と酸素に解離してしまうのである。その結果、途方もない爆発が起こることになる。地震という現象は、地下何千メートルという高熱高圧下の地殻内部で水が水素と酸素に解離し、爆発を起こす現象だと考えれば説明がつく。

その昔、1755年11月1日のリスボン大地震が起こった際に哲学者カントが独自に調査研究をして「地震の原因」という書を上梓した。カントによると、地震というのは地下の空洞にたまったガスの震動現象ではないかと考えていたようである。このアイデアは現代においても生かせるのではないかと思っている。地殻内部に空洞ができると、そこに莫大な量の解離水素が溜まり、それが爆発を起こすのが地震ではないかという説明ができるからである。たとえば阪神大震災を思い出してほしい。その地震が起こったのは世界一の規模を誇る明石架橋がまさに完成に近付いていた頃である。その震源のすぐ近く(2キロ以内)で巨大な橋を支えるための支柱工事が行われていた。硬い海底の岩盤を砕き、そこにセメントを流し込み100メートルをはるかに超える鉄塔を建てたのである。その鉄塔が完成するのを見計らうかのように1995年1月17日早朝大地震が起きた。

これは果たして偶然であろうか?

おそらくその工事で砕かれた海底の岩盤の下には大量の水が流れ込んだに違いない。その水ははるか地殻の深いところまで達する間に高熱のマグマに触れることによって水素と酸素に解離する。そして解離ガスがどこかの地下の空洞に溜まることになる。そしてある臨界点で酸素と水素が反応する条件が整うと大爆発を起こすのである。ここで爆発を起こすということは、一旦、元の水に戻ることを意味している。水は再び高熱のマグマに接触することで水素と酸素に再解離を始める。そして再びある臨界点で水素と酸素が反応して爆発を起こすのである。このサイクルはガスが周辺に拡散するまで続くことになる。これがすなわち余震が引き続き起こる原因である。

ちなみに、この説明は私のアイデアではなく在野の地震研究家石田昭先生の新地震学というHPから学んだものです。もちろん、この説明が真実かどうかは分かりませんが、少なくともこれはトータルな地震現象の説明に有効な仮説であることは疑いありません。マスコミはこの仮説を地震学会が承認していないという理由で無視するのではなく、真実のための議論を起こすために関心をもつべきでしょう。なぜなら、いままでの地震学の定説では整合的に説明できない事実があまりにも多いからです。もちろん気象庁や地震学者が定説の間違いの可能性があることを認めることが何よりも重要であるということは、いうまでもありませんが。

新地震学のHP:http://www.ailab7.com

[補足]
実は水と地震に因果関係があることは地震学者の間ではよく知られた事実でです。数多くの著作でも知られる国際的な地震学者・島村英紀氏が自らのHP(http://shima3.fc2web.com/sekou9701damzisin.htm)の中で次のようなことを記しています。

米国コロラド州のデンバー市のすぐ北東で深い井戸を掘って、放射性の汚染水を捨てたことがある。米空軍が持つロッキー山脈兵器工場という軍需工場の廃液であった。それまでは地表にある貯水池に貯めて自然蒸発させていた。厄介ものの汚染水を処分するには自然蒸発よりはずっといい思いつきだと思って始めたのに違いない。井戸の深さは3670メートルもあった。大量の汚染水を捨てるために、圧力をかけて廃水を押し込み始めた。この廃液処理を始めたのは1962年3月のことだ。3月中に約16,000トンもの廃水が注入された。

 四月になって間もなく、意外なことが起きた。もともと1882年以来80年間も地震がまったくなかった場所なのに、地震が起きはじめたのだった。多くはマグニチュード4以下の小さな地震だったが、中にはマグニチュード5を超える結構な大きさの地震まで起きた。マグニチュード5といえば、松代での群発地震の最大の地震に近い大きさだ。もともと地震活動がごく低いところだから、生まれてから地震などは感じたこともない住民がびっくりするような地震であった。人々はこの工場での水の注入が地震を起こしていることに気づき、ちょっとした騒ぎになった。

 そこで、1963年9月いっぱいで、いったん廃棄を止めてみた。すると、10月からは地震は急減したのである。しかし、廃液処理という背に腹は替えられない。ちょうど1年後の1964年9月に注入を再開したところ、おさまっていた地震が、突然再発したのである。

 そればかりではなかった。水の注入量を増やせば地震が増え、減らせば地震が減ったのだ。1965年の4月から9月までは注入量を増やし、最高では月に3万トンといままでの最高に達したが、地震の数も月に約90回と、いままででいちばん多くなった。水を注入することと、地震が起きることが密接に関係していることは確かだった。

 量だけではなく、注入する圧力とも関係があった。圧力は、時期によって自然に落下させたときから最高70気圧の水圧をかけて圧入するなど、いろいろな圧力をかけたが、圧力をかければかけるほど、地震の数が増えた。このまま注入を続ければ、被害を生むような大きな地震がやがて起きないとも限らない。このため地元の住民が騒ぎ出し、この廃液処理計画は1965年9月にストップせざるを得なかった。せっかくの厄介者の処理の名案も潰えてしまったのであった。

 地震はどうなっただろう。11月のはじめには、地震はなくなってしまったのであった。こうして、合計で60万トンという廃水を注入した「人造地震の実験」は終わった。誰が見ても、水を注入したことと、地震の発生の因果関係は明かであった。
以下、地震と水の因果関係の話は延々と続きます。
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