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3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

儒教に呪縛された日本人の悲劇

日本が明治維新後に急速に軍国化して沖縄、台湾、朝鮮などへ武力を使って侵略行動を働くようになったのが昭和の世界大戦へ発展し、これに敗北して原爆を落とされ日本列島は二度と立ち上がる事が出来ない程の廃墟に服したが、ここからわずか二十年後にはアジアで初の東京オリンピックを開くほどの奇跡的な経済復興を成し遂げたのは、まさに日本人の優秀性の証拠であろうと、我々日本人はみなそう思ったものだ(思想の左右を問わず)。

戦後の日本の経済復興が確かに歴史的にも前例がないほど奇跡的であったという事は間違いないだろうが、ここへきて中国の経済発展のペースが過去の日本の高度経済成長期をはるかに上回り、さらに日本の2分の1にも満たない人口の韓国の経済成長もこのところ驚異的であり、一人当たりの国民所得では遠からず抜き去られてしまうのは間違いないという勢いが続いている。

このようなご時世の中で生まれた新しい世代の日本人は複雑なコンプレックスを抱きながら勃興する中国や韓国に対して嫌悪と憎悪を募らせているという悲しい現実をみていると、そもそも日本が本当に文化的にも先進国といえるのかという疑問が沸き上がってくる。

古代以来江戸末期に至るまで、長い間中国の華夷秩序の中で東夷の国と位置付けられてそれに甘んじてきた日本が初めて中国を凌ぐ国力を持ちえたのは確かに明治の軍国主義化のおかげであった。一方、韓国は当時中国の冊封体制の中で生きてきたので、彼らはそもそも強い軍隊をもつ必要がなかった。いや韓国は独立国でさえなかったのだという見方もあるが、そんなことをいうと現在の日本も米国の冊封体制の中で生きているのと似たようなものであって、戦後以降は米軍の力を借りなければ自らの独立も維持できなかったはずである。

むしろ韓国が中国の冊封体制のなかでも自らの言語や文化、伝統を守り続けることができたのは、中国の歴代王朝が韓国を蛮族が支配する東夷の国、すなわち日本の軍事的脅威から守り続けたからこそであったという歴然たる事実を我々も認めなければならない。なぜなら我々の国は中世以降長い間武家が統治するという異常な社会であり、韓国側からみた日本の軍事的脅威は豊臣家の朝鮮侵略や倭寇を例にあげるまでもなく彼らにとっては常に警戒心があったのである。

日本は武士道の社会であるとかいって世界に武士道のよさを宣伝したのはクリスチャンの新渡戸稲造である。彼は武士道の中に西欧のキリスト教に共通する道徳や倫理があるという事をうったえたのであるが、実はその武士道精神というのは元々は中国や韓国から来た儒教の教えを武士たちが学んだ結果であった。江戸期から明治になるまで日本の武士たちが最高の教科書として学んできたのは中国儒教の神髄を著した四書五経である。

生まれながらのクリスチャンである山本七平が生涯をかけて探究したのが、この日本独特の儒教(即ち日本教)の由来であった。幕末に尊王攘夷思想がにわかに活発になり、志士たちを奮い立たせた皇国思想こそは江戸前期から脈々と続いてきた日本型儒教の結実である。その思想を最初に広めた人物は清との戦いで敗れ日本に亡命してきた明の武将朱舜水であった。彼は水戸光圀に匿われる中で日本人の伝統的武士の精神の中に中国の国家宗教である儒教の教えに共通するものがあることを知る。その中心的人物が楠木正成であった。

江戸時代は完全な幕藩体制の時代であり、日本にも皇室があるという事実についてほとんどの人々が忘れかけていた。それほど徳川の権勢が強かった時代であったが、朱舜水はかつての日本にも中国に似た皇室の伝統があり、日本が武家中心の時代になる以前に皇室が世の中を治めた時代もあったのだということを知り感銘した。その皇室の統治時代を回復する為に立ち上がったのが後醍醐天皇であり、そして天皇を慕う武将の一人が楠木正成であった。彼は後醍醐天皇の意思を聞かずに反乱を起こした足利勢に対して後醍醐天皇自身に和睦を提唱するも受け入れられず、結果として後醍醐のわがままの為に討ち死にするが、彼の天皇家に尽くしたその生きざまが、朱舜水が明の皇帝に尽くして敗北した自身の境遇と重なり、楠木正成の生き方を高く評価したのであった。

この朱舜水の影響によって日本の武士道の在り方を再発見したのが水戸光圀である。彼はもちろん江戸御三家の一人であったが、朱舜水の啓発もあり儒学(特に朱子学)を尊重し、大日本史の編纂に情熱を傾けた。その思想はやがて尊王攘夷思想へと繋がってゆく。徳川家の幕藩体制はそもそも天皇家の権威を無視した尊大な権力機構であるという事が多くの武士たちに共有されるようになり、やがて幕末の攘夷思想と一体となって倒幕運動へと流れ込んでゆく。

明治の志士たちはそのほとんどが水戸学の流れを受けた尊王攘夷論者であったが、彼らが政権につくと直ちに攘夷論は廃止され開港が決定された。欧米との国力の差があまりにも大きい事を悟った為であるが、一方の尊王思想はかえって強化されてゆく。そして彼らが幼少期から学んだ儒学の基本思想が国の骨格思想として位置づけられる。これこそが教育勅語を中心とした明治の文化革命の由来である。

教育勅語は全ての国民に現人神の天皇を頂点とする国家体制に恭順なる臣民であれと教える思想である。儒教は中国や韓国では長年科挙制度を伴って国家的な宗教となっていたが、明治の日本は遅ればせながらそれを国の基本思想として取り込んだ。しかもその教えはすべての日本人が義務教育制度を受ける中で基本道徳として教えられた。これはある意味で中国や韓国の科挙制度よりもはるかに徹底した儒教の国教化であった。したがって明治以降の日本はまさに日本型儒教を国教とする祭政一致社会であったといってもよいであろう。

元々、江戸期の儒学者たちは儒学の本拠地である中国に対する劣等感を抱きながらも、江戸中期以降になると日本こそが真の中国であるという日本中心主義の儒学が語られるようになってゆき、これがやがて純日本国産の国学として生まれ変わってゆく。明治の初め頃にはすでに対外的には中国に対する劣等意識はなく、文明開化に成功した日本はアジアの盟主なのだという意識に様変わりしてゆく。その代表的な教えは長州の権力者に影響を与え続けた吉田松陰であった。この吉田松陰の教えは本来の平和主義的儒教に対して日本型国粋主義を加えて領土の拡張(=侵略)を是認する戦闘的教えへと変貌する。中国や韓国からみれば明らかに東夷の蛮族がその正体を剥き出しにしてきたと見えただろう。

確かに日本は明治政府になって切支丹の弾圧政策をやめ信教は自由であると保証した。その結果、新島襄、内村鑑三、新渡戸稲造・・・など素晴らしい才能をもつキリスト者が次々と現れている。だが安土桃山時代とは異なり、日本社会がキリスト教化しなかったのは、事実上日本が現人神を祀る儒教社会になっていたからだと思われる。

同じく天理教や大本教、創価学会・・・等々、明治以降に登場した新興宗教は悉く弾圧されているし、また伝統のある仏教寺院でさえも廃仏毀釈という江戸期にもなかった弾圧政策によって国から引き剥がされてゆく。

明治の日本は明らかに祭政一致の危険な新興国家であった。その教えの中心は日本型儒教であったが、その様式とご神体はあくまでも現人神の天皇を中心とする国家神道であった。日本型儒教と神道を一体化させ、世界に類のない宗教国家に生まれ変わったのである。しかもこの宗教国家は戦闘的であり侵略的であった。明治時代が何故に現在でも神聖化されるのか?それは確かにこの時代に日本は大いなる文化革命をやったからである。

江戸期の日本人はある意味で快楽主義的であり刹那主義的であった。そこには多様な文化が混在し、それを自由放任に任せる寛容さと奥深さがあった。しかし明治時代になると確かに階級の差別がなくなり切支丹に対する弾圧もなくなり民主的な改革が大きく進んだのは事実であったが、同時にこの時代に天皇制を頂点とする強力な権力が出現し、一般の庶民に至るまで自由を満喫するどころか、すべての国民を一斉に同じ方向を向かせる強力な装置ができあがった。

日本人はなぜ勤勉なのか?日本人はなぜ不平や不満を訴えないのか?日本人はなぜ学校でも同じ制服を着て通い、毎朝校長の朝礼を欠かさず、ラジオ体操をやり、校歌や国歌を斉唱し、そして男子は丸坊主でなければならないのか?

今では男子の丸坊主は高校野球以外ではみられなくなったが、我々の高校時代はまだ丸坊主が当たり前だという時代であった。もちろん戦前の話ではなく戦後の日教組教育の時代にである。

元々、江戸時代まではこのような文化はなかったが、明治になり義務教育、国民皆兵という時代になり、強大な国家権力によって我々は生まれながらに同一の価値観を植え付ける教育がなされていたのだということに気づく。そしてその価値観は戦後もなお我々の精神の中に居残り、現在もなお我々の画一的な行動や生活様式となって我々を支配し続けているのである。


最近、ケントギルバート著「儒教に支配された中国と韓国の悲劇」という謎のタイトルの本を読んでみたのだが、なんともひどい本であった。今現在でもなお儒教に支配されているのは中国や韓国よりもむしろ日本ではなかろうか?日清戦争からもう120年以上も経ち、中国や韓国は完全に生まれ変わっている。

一体、ケントギルバートがいう「儒教に支配された中国と韓国の悲劇」っていつの時代の話をしているのか本を全部読んでみてもさっぱり分からない。どうやら本のタイトルは後付けで出版社が適当に付けただけの代物なのだろうと思えば合点する。そもそもアメリカのユタ州以外ではどこにも通用しない奇っ怪なモルモン教の伝道師として来日したケントギルバートに儒教を講釈させるなんて、いくらなんでも講談社も悪ふざけがすぎる。要するにネットウヨが喜びそうなタイトルをつけて売れれば会社は儲けものというだけの本である。現にこれが堂々と20万部ものベストセラーとしてバカ売れしているのだから世も末というものであろう。

実際、本の中で儒教の言葉を引用して書かれているのはわずか一か所である。しかもそこに書かれてある事が皮肉にも中国や韓国に対する批判になるどころか、今まさに国をあげて嘘つき呼ばわりされている一連のモリカケ疑惑の安倍首相とその配下たちへのブーメランになっているのだから、これを書いたケントギルバートもまさかとおもったのではないだろうか?このブーメランがあまりにも図星なので、その部分を紹介しておく。

それでは儒教思想2500年の呪いとはなんでしょうか。
この話に入り前に、儒教とその聖典ともいうべき「論語」について、もう少し説明する必要があります。
たとえば「論語」には次のような一節があります。

葉公語孔子曰、吾黨有直射者。其父攘羊、而子證之。
孔子曰、吾黨之直者異於是。父爲子隠、子爲父隠。直在其中牟。

【書き下ろし文】
葉公、孔子に語りて曰く、吾が党に直弓なる者有り。其の父、羊を攘みて、子之を証せり。
孔子曰く、吾が党の直き者は是れに異なり。父は子の為めに隠し、子は父の為に隠す。
直きこと其の内に在り。

これは次のような話です。葉という県の長官が、
「私の村の直九という正直者は、父親が羊を盗んだのを知って、子どもなのに訴えでました」と孔子に話しました。すると孔子は、
「私の村での正直とは、この事例とは違います。父は子の為に罪を隠してかばい、子は父の為に罪を隠してかばうものです。この罪を隠すことの中にこそ、正直の精神があるのです」
と諭したというのです。

中国では、孔子以前から祖先崇拝の精神が強く伝えられ、その家族愛や信義などを孔子が『論語』にまとめました。(正確には孔子の弟子たちが編纂しましたが)、この精神は脈々と受け継がれ、中国大陸の十数回に及ぶ「易姓革命」や、封建的な伝統文化のすべてを悪と決めつけ、破壊しようとした中国共産党の「文化大革命」という逆風の中でも生き残ったのです。

その一方で「仁義礼信智」といった道徳心や倫理観は、文化大革命の影響で最終的には完全に失われてしまったのです。
先程述べた「公」よりも家族愛を突き詰めてゆくと、結果的に「公」よりも「私」を重んじる方向へ向かいます。それは「私」や「一族」の利益のためなら、法律を犯すこともよしとする風潮へと変化していったのです。

以上ケントギルバート著「儒教に支配された中国と韓国の悲劇」講談社新書より

つまりケントギルバートが言いたいのは、論語の一節にあるような孔子の話が儒教を信じる人々の悪しき伝統として、「私」や「一族」の為に平気で「嘘」を突く伝統になっているのだと言いたかったのだろうが、しかしもうすでにお気づきのように、この悪しき伝統は中国や韓国にもあったかもしれないが、それはよりもはるかに現在の日本で白日の下になった政治家や官僚の嘘八百の国会答弁や組織的になされた森友公文書の改竄など、憲政史上にもかつてなかった不祥事を説明する、まさに目からうろこが落ちる程、日本人の典型的悪癖として先の孔子の話が機能していたのだという事を認めざるを得ない。

かといってもちろん彼らが孔子の話を聞き知っていたわけではなく、儒教の教えを心から信じていた訳でもないだろうが、要するにそのような孔子の逸話を聞くまでもなく、儒教の教えが我々日本人の心と行動に沁みついていて、組織や上司を守る為なら嘘を突いてもかまわないのだ、むしろ嘘を突くことの方が忠孝の証なのだという考え方を、誰もが当然と感じるほど、その種の孔子の教えが日本人の身についているということの証左であろう。

少なくとも朴クネ大統領の弾劾の為に立ち上がった韓国ではこのような儒教の悪癖は今では考えられないし、中国共産党の支配に対して反対するデモが頻発している中国でさえも考え難いのではないだろうか?

確かに儒教は日本よりも中国や朝鮮の国家宗教という色合いが強かったが、しかし明治以降はむしろ日本の方がより強烈な儒教国家へと生まれ変わったのだとみる方が正しい。特に日清戦争後の日本が朝鮮半島や中国大陸へ進出することによって情勢は一変する。

まず清国が内部崩壊する事によって千年以上続いた科挙制度が崩壊する。変わってキリスト教的近代思想を身につけた孫文や彼の部下蒋介石らによってヨーロッパ式の共和国が模範とされたが、戦後すぐに起こった内戦により無神論の中国共産党の支配下に置かれた。共産党は武力だけがまさったわけではなく、当時は圧倒的民衆が共産党を支持していたという背景もあったが、彼らが政権を握ると清国時代から続いていた儒教の伝統を徹底的に破壊しようとした。しかし文化大革命の反動で逆に儒教の伝統が中国共産党の統治に好都合であるという理由で現在は優遇されているが、儒教の伝統そのものは形骸化されていると見た方がよいだろう。むしろ現在の中国ではイスラム教とキリスト教の影響が強くなっており、特にキリスト教は公認されていない地下教徒の総数を含めると、1億人近くなると推定されている。

一方、日帝の侵略により併合された韓国でも400年以上続いた科挙制度が廃止され、皇室も強制的に廃位させ、日本式の皇民化が進むと同時に、一般庶民の間では儒教離れが進み代わってキリスト教が盛んになった。現在の韓国は国民の三分の一ほどがキリスト教徒であり、特に彼らの熱心さは世界の中でも珍しいと言われる程だ。昨年、朴クネ大統領の弾劾に立ち上がった韓国民の主体的行動はその朴大統領よりもはるかに嘘と汚職にまみれた安倍政府に反対する人を反日だと叫ぶ人が多い日本では悲しいかな起こり得ないだろう。

日本人は明治以来の儒教の教えが骨の髄にまで沁み込んでいて、お上に逆らうなんてことはユメならないことだという思いが本能の中に植え付けられているのであろう。これこそが皮肉にもケントギルバートのいう「儒教に呪縛された」日本の真の姿ではないだろうか?

2018.8.15記 本項未定です。
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