3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

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(8)復興が遅いという非難

(8)復興が遅いという非難
よく比較されることであるが、3.11の震災を1995年1月17日早朝に起こった阪神大震災のときに比べて、政府の対応が遅いというような非難があった。しかし、3,11の危機は本質的にいかなる過去の震災とも種類の異なった危機であったことを認識する必要がある。確かに震災で亡くなった被害者数だけをみると阪神大震災の被害も相当なものであり、3.11の被害者に比べて小さかったと簡単に比べていえるものではないが、しかし3,11の潜在的な危機はいかなる過去の災害にも比べることもできないほど規模が大きく、しかもその危機は数か月にもわたって続いていたのだ。だから、震災後数か月にわたっては復興と同時に現在進行中の危機に対してもあたらなければならなかった。したがって阪神大震災のときに比べて復興が遅いという非難は必ずしも当を得たものではない。

たとえば仮設住宅の建設にしても、都市部の中で容易に用地が確保された阪神に比べ、東北地方の被災地は広大な地域に広がっており、しかも上下水道、ガス、電気等のインフラの設置が難航をきわめただけでなく、津波被害を避けるために未開の高台を造成しなければならず、そうかといって交通の便があまりにも悪く学校や仕事先へ行けないという理由で被災者の同意が得られない等、実にさまざまな問題があった。その結果、仮設住宅はできたけれども入居希望者が少なく、むしろ避難所で生活を続ける方がましという被災者も数多くいたのである。

もうひとつ阪神大震災のときに比べて瓦礫処理が遅いという非難も同じように当を得ていないだろう。まず瓦礫の量とその範囲の広さが阪神のときとは比較にならない。今回の震災の瓦礫を阪神との比較でわかりやすく言うと、阪神のときは神戸市中央部から西宮・宝塚という都市部に集中していたが、今回の瓦礫は地域的な広さでいうと大阪湾から山口県にまたがるほど広範囲のものであった。距離でいうと阪神大震災のときは20キロから30キロの範囲の瓦礫であるが、東日本大震災のときは少なくともその十倍以上の広さにまたがっているのである。さらに今回の被災地はいずれも交通事情が悪く重機やトラックが入りにくかったり、おまけに地域によっては放射能の被災もあるために瓦礫を廃棄することさえできない地域もあった。他にも、もっと深刻な問題がある。震災から1カ月後、阪神大震災の行方不明者は40名ほどであったが、東日本大震災の行方不明者は1万人を超えている。そもそも津波によって家族や親族、友人を喪った被災者にとっては瓦礫を処理することよりも行方不明者を捜索することの方が優先課題であった。阪神大震災のときは、瓦礫の下の被害者の有無を確認したうえで手際よく瓦礫処理もできたが、今回の津波による瓦礫の下には数えられないほどの不明者が埋もれている可能性があり、しかも被災者にとって瓦礫は単なる瓦礫ではなく、震災前の日常生活が染みついた貴重な思い出の品ばかりなのである。そのようなことを考えもしないで瓦礫処理が遅いという非難は被災者の感情を逆なでする無責任な発言にしか聞こえなかっただろう。

さらに重要なことは、今回の震災に限らず、瓦礫処理は早ければ早いほどよいというものではなく、二次被害の対策や被災者の感情をよく汲んだ丁寧な対応が望まれるということである。二次被害の対策というと、実は阪神大震災のときは瓦礫処理を急ぎすぎたために、アスベストが大量に飛散したという深刻な問題がある。当時、アスベストの危険性がそれほど認識されていなかったので瓦礫処理の際にほとんど対策が講じられていなかった。アスベストは潜在期間が40年もあるとされている。したがって阪神大震災時の瓦礫処理で大量に飛散したアスベストを吸入した住民に今後肺がんなどの症状が顕著に表れるということも憂慮されている。阪神大震災の際、マスコミはその危険性をまったく報じることもなく瓦礫処理がなによりも優先されるという論調であったが、今回もその危険についてまったく触れられていない。人体に与えるアスベストの危険性は放射能の危険性に比べても決して少なくはない。むしろ人体に具体的な影響があることは放射能の影響よりもはっきりしているのである。彼らはなぜその危険性を伝えないのであろうか?

もう一つ菅総理の原発対応の重大な失策としてあげられた非難で原発事故後の避難誘導があまりに画一的であり、SPEEDIによる実際の放射能物質の拡散予測に合致していなかったという問題がある。その結果、福島県飯館村は半径30キロ圏外だったにもかかわらず放射性物質が大量に拡散しており、それを知らされなかったために被ばくした住民や避難民が相当数いたということである。これは確かに官邸発表の情報を唯一の頼りとしていた避難民にとってはまさに許しがたい裏切りであった。しかしながら、この問題でさえも決して菅総理の失政であると単純にはいえない。

そもそもSPEEDIは1979年の米スリーマイル島事故の翌年に緊急時の避難誘導のために開発が立案され、1986年に富士通との共同開発で東京文京区のオフィスビルの一角で稼働している。そこには原子力安全技術センターのスタッフが2名ほど常駐し、通常時でもデータが毎日1時間置きに更新されている。その開発には100億円もの巨費が投じられ、運営にも年間数億円の費用がかかっている。にもかかわらず今回の事故では避難誘導にほとんど活用されることはなかった。事の真相は錯綜していて必ずしも明らかではない。

政府側(枝野氏)の発表では、そもそもSPEEDIの放射能拡散予測のためのデータが信頼のおけるものではなく、公表によって無用な混乱をまねく怖れがあったとしている。さらに福山哲郎官房副長官によれば、そもそも事故発生当時、浪江町などの避難住民に情報伝達のための緊急電話システムが故障していたなどと弁解している。明らかに官邸はパニックに陥っていたということがみてとれる。どのように住民を避難誘導することが適切なのかということで正しい答えはみつからなかったのだろう。たとえば建屋爆発後に住民を自主避難させるといっても、どのような行動を取ればよいのか受け取り方によっては混乱を招くだけであろう。放射性物質が大量に飛散している状況の中では屋外に出ること自体が被ばくすることにつながるのであり、その結果、30キロ圏内は屋内退避という当初の官邸の指示は間違いではない。ただ問題は30キロ圏外は安全だという一部地域では事実と異なる指示をだしたために、飯館村などの半径30キロ圏外の地域で浴びなくてもよい放射線を被ばくしてしまった多くの避難民がいたということである。この指示の失敗は確かに責任重大であった。しかし、その被ばく量自体は必ずしも身体に重大な影響をあたえるほど深刻なものではないことは分かっている。したがって、避難指示のまちがいだけをとらえて菅総理に退陣を迫るというのは行き過ぎであろう。

そもそもSPEEDIが正しく活用されなかった原因を考えれば、それは菅総理の責任というよりも歴代の政治家と官僚、電力会社が一体となって作られた原発に対する安全神話そのものが問題とされるべきである。特に問題とされなければならないのは原子力安全委員会と保安院である。小沢氏の「失政の部分がおおきい」という言葉に何ほどかの真実味があるとすれば、それは原子力安全委員会と保安院のこれまでの安全に対する危機意識のなさにあるのではないか。彼らは原発の安全のために従事することを任された専門家集団であり、あらゆる原発災害の可能性について日夜考えなければならない人々である。SPEEDIは米国スリーマイル島事故がきっかけで100億もの資金をかけて開発され、その運営にも年間数億円が費やされていた。にもかかわらず、今回の事故で活用されなかったということは、日頃から彼らが原発災害に対する危機意識を欠如していたことを物語っている。
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