3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

思想家・内田樹氏の山本七平著「日本人と中国人」没解説の解説

思想家・内田樹氏が自らのツイッターで山本七平の「日本人と中国人」の解説を書いたところが没になったとつぶやいていた。それで早速、内田研究所に行ってみると、その没解説文が紹介されていた。そもそもこの本の解説を書いた理由は文庫化にあたって、出版社(又は著作権継承者)からの依頼があったそうである。ところが「日本人と中国人」の著者は明らかに山本七平であるにもかかわらず、著作権継承者が「(初版時の著者)イザヤ・ベンダサンは山本七平の筆名にすぎないということを認めていない」ので、著者が誰であるかをあいまいにしてほしいといってきたらしい。これに対して内田樹氏が「そんな器用なことはできません」と言って、折角書いた解説文を没にしてしまったということである。

その没解説文を読むと「なんともったいないことを・・・」と言わざるを得ない。私がいままで読んだ山本七平氏に対する評論の中でこれほど山本七平氏の真意に迫った文章はなく、これが没になるのは極めて残念なことであり、これは内田樹氏一人のことではなく、世の損失でもあると思って、あえてこのブログで自分の思いを書いてみようと思った。

私は内田樹氏については2、3の本を読んだだけで(対談本を含む)、あまり詳しくは知らない。ただ彼の新書の辺境論とかユダヤ人論を読むと、なんとなく山本七平に近いものを感じてきた。おそらくそういう評価もあって、この文庫化に際して出版社(又は著作権継承者)が内田樹氏にオファーしたのであろうと思う。

一方、内田樹氏は山本七平についてはほとんど読んでなかったらしい。これは彼の解説文やツイッターをみてもそのように想像できる。これはあくまで私の想像だが、内田樹氏にとっては山本七平は少々不気味な存在であり、できることなら避けて通りたい存在ではなかったのであろうか?というのは山本七平の一般のイメージがあまりにも得体の知れないイメージ(おそらく悪い意味で)があったからだ。

もちろん内田樹氏は自らユダヤ思想の専門家(?)とも称するほどだから、「日本人とユダヤ人」を読んでいないはずはなく、また山本七平やイザヤ・ベンダサンに関心がなかったはずもあるまい。ただ内田氏にとっては山本七平はなんとなく煙たい存在であり、できることなら一生避けて通るつもりじゃなかったのと想像する。

ところが今回、その山本七平の「日本人と中国人」の解説文のお鉢が回ってきて、これを読んだところ、意外や意外、驚き桃の木ぐらいの発見があったのではないだろうか?

いうまでもなく「日本人と中国人」は内田樹氏が「そんな器用なことはできません」という通り、作者が山本七平以外の誰でもないことは明々白々である。但し、著作権継承者という方が誰だか知らないが、その人物(もしかすると山本七平の親族か?)はイザヤ・ベンダサンについてまったく架空の存在ではあるとは考えていないのであろう。だから食い違いがあったのだと思う。

これはWikiにも書かれていて、かなり信ぴょう性があることらしいが、イザヤ・ベンダサンはまったく架空の存在ではなく、山本七平が「日本人とユダヤ人」を出版する前にあるユダヤ人と度々帝国ホテルで会合を重ね、その人物との共同作業のような一面があるらしい。したがって処女作「日本人とユダヤ人」については、山本七平氏の独創ではなく、先のユダヤ人の考え方も入っているのではないかと私は想像している。たとえば「日本人とユダヤ人」の最初の出だしでユダヤ人は自らの身の安全のためにホテル住まいをするという話があるが、これはそのユダヤ人から聞いた話ではないかなどとみることもできる。

但し、「日本人とユダヤ人」以外の本でイザヤ・ベンダサン作とされているものは、すべて山本一個人の作であったということは断言できる。

「日本人と中国人」というはそのイザヤ・ベンダサンが一世を風靡していた当時に文藝春秋に連載された寄稿で、それが後に(平成十七年)祥伝社から一冊の本にまとめられたものである。

この「日本人と中国人」は連載物であるだけに、もともと首尾一貫した流れがあるわけではなく、気の向くまま思いつくままに書かれた断片的な記事の寄せ集めであり、その意味では確かに内田樹氏が言う通り「体系的でなく推敲も十分ではない」のは確かで、全編書下ろしの処女作「日本人とユダヤ人」とはかなり趣も読みごたえも違ったものになっているが、しかし私はこれこそ山本七平の凝縮された世界観であり、後に出された山本七平本名の作品とまったく同じ人物が書いたとしかおもえない、まさに山本七平以外の誰も書きようがない本なのである。

にもかかわらず出版社か著作権継承者が「あいまにしてほしい」というのは、そもそも山本七平の全体像について彼ら自身分かっていないからではないかと思う。

私が最も驚くのは、この「日本人と中国人」の中に後期の最高傑作とされる「現人神の創作者たち」(ちくま文庫)の原型がほぼつまっていることであり、さらに最晩年の作「裕仁天皇の昭和史」(祥伝社)にも繋がる世界観、天皇観が見事に結晶化していることである。したがってこの1冊を読めば山本七平の思想や世界観がかなり把握できるといってもよい。

それにしてもこの「日本人と中国人」に詰まっている思想が山本七平のその後の著作の原点ともいえるほど首尾一貫しているということは驚きである。戦争に青春のすべてを奪われ、さらに復員後も長い闘病生活を続けながらも、40歳代前に出版社を立ち上げ、今度は出版人として忙しく働いてきた山本七平が50歳代前に処女作「日本人とユダヤ人」を出稿したわずか2年後に世に出したものだとすれば、山本七平は一体いつどこでそのような膨大な知識を蓄えかつ自らの思想をその後においても一生変わらない程の信念にまで深めることができたのかと考えると、これはとても常人の業ではないと思わざるを得ない。

それらの知識は前にも書いたように神田の古本屋でただ同然で売られていた江戸期以前の文献をひたすら読み漁ったことによるものだとはいえ、何のためにそこまで研究したのかというと、後年に山本自身が述べている通り、現人神の創作者をただひたすら捜索するためであって、それによって何かを残したいというよりも、ただ自分の人生がなぜわけのわからない狂気の戦争に巻き込まれたのかという原因を突き止める為であって、その原因が分かりさえすれば自分で納得できるのではないかと思い続けたというのである。前にも紹介したその文章をもう一度引用しておこう。

戦後二十余年私は沈黙していた。もちろん一生沈黙していても私は一向にかまわぬ。ただ、その間に何をしていたかと問われれば、「現人神の創作者たち」を捜索していたと言ってもよい。私は別に「創作者」を戦犯とは思わないが、もし本当に戦犯なるものがあり得るとすれば、その人のはずである。(中略)また「なぜ、そのように現人神にこだわり、二十余年もそれを探し、命がもたないよといわれるまでそれを続けようとされるのか」と問われれば、私が三代目のキリスト教徒として、戦前、戦中と、もの心ついて以来、内心においても、また外面的にも、常に「現人神」を意識し、これと対決しなければならなかったという単純な事実に基づく。したがって私は。「創作者」を発見して、自分で「現人神とは何か」を解明して納得できれば、それでよかったまでで、著作として世に問おうという気があったわけではない。

この山本七平の常人には計り知れない不思議な情熱こそ、彼の得体の知れない数々の作品を作り上げた原動力だったというわけなのである。

今回、思想家・内田樹氏によって描かれた「日本人と中国人」の論評は、おそらく内田氏が深く山本七平の世界を知り尽くした結果のものではなく、あくまでもその依頼された本を真面目に読み解こうとした結果の文章であると思う。

しかし、そうでありながら内田樹氏が決して的を外さず、ほとんど図星といってもよいぐらい山本七平の真意を解説しえたのは、もちろん内田樹氏の能力の高さもあるとはいえ、それと同じくらい山本七平に共通する問題意識をもっていたからだと思う。しかもその問題意識が今現在の日本の差し迫った重大問題に直結しているということは、なんたる僥倖であろうか。

内田樹氏はいう。

中国の文化的支配力に対抗するために日本人が発明したのが「天皇制」であるというのが山本の創見である。こういうふうに天皇制を見立てた人が山本の他にあることを私は知らない。ことの当否は措いて、これまでに誰も言ったことがないアイディアを提出する人のリスクを怖れぬ構えに私はつねに深い敬意を抱く。

この一見大胆ともいえる創見こそ山本七平の真骨頂であり、在野の研究家でありながら専門家を凌ぐ仮説を立てえた洞察力の鋭さなのだと思う。しかも山本七平のすごさはそのように天皇制の神格化を貶めながら当時の保守派の多くを納得させるだけの文献を提供したことにある。これは内田氏が認める通り山本七平以外に誰もなしえなかったことだ。

その文献についてはいずれまた機会があれば紹介したいと思うが、山本七平の仕事の痛快さは日本を代表する保守派でさえ納得するほどの有無を言わさぬ論証のすごみである。但し、同じことを現代でやると山本七平は右翼から袋叩きにあったのかもしれない。なぜなら山本七平は当時の左翼的な反天皇制的言論とはまったく異質なレベルで天皇の神格性を剥ぎ取ろうとしたもので、保守派でさえもこれに賛同し文句をつけようがなかったのである。(というよりも保守派も左翼も山本の問題提起自体を理解しえたのかどうかさえ本当は怪しいと思う)。

さらに内田樹氏はいう。
天皇制とは「中華皇帝に見立てられた天皇」を「雲上に退ける」ことによって中国の支配をも「雲上に退ける」という仕掛けである。いわば藁人形を憎い人間に見立てて、それに釘を打ち付けて呪うという呪術と同質の機制である。

「従って、中国も天皇も、政治から遠いほどよいのであって、天皇は、北京よりもさらに遠い雲上に押し上げられねばならない。
このことは日本の外交文書を調べれば一目瞭然で、国内における天皇の政治的機能を一切認めない人びとが、ひとたび外交文書となれば、やみくもに天皇を前面に押し出し、日本は神国だ神国だと言い出すのである。」(「日本人と中国人」114頁)


だから、日本における天皇制イデオローグたちは天皇その人の政治的信念や人間性には一片の関心も持たない。彼らが服従しているのは「雲上に押し上げられ」て、純粋観念と化したせいで、取り扱いが自由になった「みずからの内なる天皇」であって、現実の天皇ではない。これによって「内なる天皇」を抱え込んだ者は日本社会のみならず、隣国をも含んだ世界秩序の頂点に立つことになる。


この度の天皇陛下の生前退位をにじませたお気持ちの表明に対して、各界からさまざまな動きがでてきた。これを憲法改正に利用しようとする勢力から、逆に護憲運動にとっての強力な味方の出現と捉える向きもある。面白いのは、いわゆる保守派とされる人々(全部ではないが)の多くが天皇の生前退位をこころよく受け入れようとしないことであろう。

彼らにとって天皇とは雲の上に押し上げられた純粋観念であって、天皇個人のお気持ちとは何の関係もない。したがって彼らには天皇にお気持ちがあるということさえ天皇制を守るために考慮されるべきではないと考える。その結果として内田樹氏は山本七平の次の言葉を引用する。

「尊皇思想に基づく『内なる天皇』を抱くその者が、あらゆる権威と権力を超えて、その思想で天皇自身をも規定できる絶対者になってしまう。そしてこの権威を拒否する者がいれば、究極的には、それが天皇自身であっても排除できることになるであろう。」(「日本人と中国人」281頁)

山本七平はまさにこれを言いたかったのだ。この問題は山本七平最晩年の「裕仁天皇の昭和史」において何度も繰り返しでてくる。いわゆる「君側の奸」とされた昭和天皇の取り巻き及び政治家・軍人たちが青年将校の決起によって殺され、彼らが信じた「内なる天皇」の権威を取り戻させようとした2.26事件とは、そもそもの天皇制の矛盾が露わになった出来事であり、そこで機関銃を打ち合った同士が、同じように天皇のお気持ちには何の関心もなく「内なる天皇」の問題でもめていたにすぎなかったのである。

内田樹氏はいう。
「戦前の日本に、はたして軍国主義(ミリタリズム)があったのであろうか。少なくとも軍国主義者は軍事力しか信じないから、彼我の軍事力への冷静な判断と緻密な計算があるはずである。」(「日本人と中国人)39頁)だが、日本の戦争指導部には何の判断も計算もなかった。

「こういう計算は、はじめから全く無いのである。否、南京攻略直後の情勢への見通しすら何一つないのである。否、何のために南京を総攻撃するかという理由すら、だれ一人として、明確に意識していないのである。これが軍国主義(ミリタリズム)といえるであろうか。いえない。それは軍国主義(ミリタリズム)以下だともいいうる何か別のものである。」(「日本人とy中国人」40頁)

ドイツの周旋で日中の停戦合意が成ったあとに、日本軍はそれを守らず、南京を総攻撃した。和平の提案を受諾し、ただちに総攻撃を命令したのである。問題はこれが周到に起案された裏切りではなく、この決定を下した者が、実はどこにもいなかったという「驚くべき事実」の方にある。

日本が受諾した和平の提案を日本が拒絶した。それは政府の停戦決定を国民感情が許さなかったからである。山本はこれを「感情の批准」と呼ぶ。感情という裏付けのない条約や法律は破っても空文化しても構わない。なぜ、それほどまでに国民感情が強大な決定権を持つのか。それは上に述べた通り、日本人においては、敬愛の対象がたやすく憎悪の対象に、嫌悪の対象が一転して崇敬の対象に「転換」することが国民感情の「常態」だからである。ひとたび「排除」に走ったら、ひとたび「拝跪」に走ったら、もう誰も感情を押しとどめることができない。人々は「空気」に流されて、どこまでも暴走する。


怖ろしいのは、日本人の行動は常に空気の中で行われ、しばしば自らの感情だけで行動するという事である。したがって日本にはそもそも軍国主義というものはなかったと山本七平は断言する。南京攻略戦において日本側が対案した和平案を蒋介石が飲むという形でトラウトマン和平工作が受諾されようとしていたにもかかわらず、当時の近衛政府は和平案を成立させないで南京へ攻め込む無謀を選んだ。これについては、「もはやこれは戦争ではない。狂人太鼓のおどりだ」と山本七平が「日本人と中国人」の冒頭部分でこれを徹底的にこきおろしている。

このような行動パターンは南京攻略戦にあてはまるだけではなく、あの戦争全体がそうであり、そして今現在においてもその基本的な行動パターンは変わっていないという怖さがある。たとえば領土問題においても日本人は論理的に考えているとは到底思えない。尖閣問題においても両者の言い分をよく比較対象してみると、論理的なのは中国の方であり、日本の方がむしろ感情的になっているということすら気づいていない。

内田樹氏は最後に次のように締めくくっている。

それが日本人の病態であることを山本七平は対中国外交史と天皇制イデオロギーの形成を素材にして解明してみせた。
決して体系的な記述ではないし、推敲も十分ではなく、完成度の高い書物とは言いがたいが、随所に驚嘆すべき卓見がちりばめられていることは間違いない。何より、ここに書かれている山本の懸念のほとんどすべてが現代日本において現実化していることを知れば、読者はその炯眼に敬意を表する他ないだろう


補足:南京攻略戦の当時、政府及び軍の方針に一貫して反対していたのは満州事変を起こした石原莞爾であった。彼は盧溝橋から始まった新たな日中戦争に危惧していた。日本は戦争を拡大すると泥沼になるという事を警告していた。皮肉なことに満州侵略を企画した軍国主義者が誰よりも真の軍国主義者だったということになる。なお、山本七平は「日本人と中国人」の中では石原莞爾についてふれていない。

補足2:日本は中国に初めから勝てる見込みはなかったという考え方は山本七平著「ある異常体験者の偏見」という書物の中でも展開されている。これは新井宝雄氏という歴史学者との論争で執拗に繰り返されていて、要するに物量において日本が中国を占領することは不可能であり、そのことは初めから計算すればわかるはず。周恩来や蒋介石はそれがわかっていたから国共合作をやり、持久戦に持ち込んだというわけである。なお周恩来については「日本人と中国人」の中でもべたほめしている。

補足3:この「日本人と中国人」の中で日中間の領土問題についてのグラント仲裁にふれられ箇所がある。この当時は田中・周恩来会談の成果で日中友好条約が結ばれた時であり、今では想像もできない程両国の友好関係が樹立されていた。したがって領土問題は新聞紙上でも取りざたされることはなく、そもそも尖閣などという島があることさえ誰も知らなかったし、仮に領土問題が田中周会談で話し合われたとしても日中間の合意で棚上げにされていたはずである。その当時に山本七平は明治初期のグラント仲裁があったことを指摘し、将来において中国が八重山・宮古両諸島以南(いわゆる先島)を中国領だと主張するようになる可能性を指摘している。但し、その山本七平も尖閣諸島のような無人島の領土問題がヒートアップするとはさすがに想像もしてなかったようだ。
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8月28日 本稿未定です。
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