3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

日本はなぜ負けるのか バシー海峡の悲劇

故山本七平氏は1921年(大正10年)生まれで、対米戦争が始まった翌年の1942年21歳の若さで徴兵され、フィリピンの戦争で砲兵隊将校として戦闘に参加、終戦後は現地で米軍の捕虜となり、収容所の中で持ち前の語学力を見出されて通訳などをしていたが、現地で重い病を患い、昭和22年に復員後も長い間闘病生活を続けていた。その後、30代中頃になって自宅で出版社山本書店を立ち上げ、当初は主に聖書関係の翻訳を中心に本を出していたが、その合間に「日本人とユダヤ人」というエッセイ書を書き著し、これが一世を風靡することになった。この本は1970年の出版であるから、山本七平49歳のときである。

その後70歳の歳でガンで亡くなるまで、わずか20年位の間におよそ200冊もの本を書き残した(雑誌などに連載されたものが後に書籍化されたものを含む)。したがって彼が活躍したのは70年代と80年代である。当初はイザヤベンダさんという名のペンネームを使っていたが、70年代中頃から山本七平の本名で書籍を出版し、またテレビなどにもしばしば登場して、お茶の間でもなじみの評論家として活躍していたのを記憶されている方も多いだろう。

しかしながら現代人にとって山本七平とはどういう人物だったのかとなると、おそらく分からない人がほとんどであろう。山本七平の本を何冊か読んでいる人でも、この人物はなぜこういう話をしているのかということに疑問を感じたり、あるいは何か得体のしれない違和感を覚える者も多くいるにちがいない。

いうまでもなく山本七平は在野の人物であり、どこかの大学の教員をやっていたわけではないので、系統的な専門知識があったわけではない。彼が学んだのは主に小さいころから馴染んでいた聖書と、そして復員後に闘病生活を続けながら読んだ多くの江戸期の文献であった。当時は江戸期の文献が神田の古書店などでただ同然のような価格で売られていたので、山本はいつしか文語調や漢文の古文書を難なく読みこなせるほどのレベルに達していた。

なぜ一素人がそんな難解な本にのめりこんでいったのかというと、前にも紹介した通り、山本七平が終生追い求め続けた「現人神」の由来を知るためであった。但し、山本七平が現代人にとって極めてユニークである点は、彼自身が意図したものよりもおそらくはるかに重要な「或る仕事」をなそうとしたことにあると思えてならない。その「或る仕事」とは戦前と戦後を通観して日本人の思想や行動パターンを明らかにしようとしたことだ。

山本七平は「日本人とユダヤ人」以来、一貫してその仕事を意識的になそうとしてきた。なぜなら彼がはじめて世に知られたのは戦後30年後のことであり、すでに当時は戦争体験さえない者が半数以上を占めており、世の中の空気はその30年前の戦争とは無縁に進行していた時代である。日本は高度経済成長の真っただ中にあり戦後の平和主義や民主主義をあたりまえのように日本人は享受していた。当時の若者、いわゆる戦後世代は戦争体験そのものがないだけでなく、かつての戦争について思いをめぐらすこともほとんどなかった。

ここで戦後世代のその子供の世代の方に知っておいていただきたいのは、いわゆる戦後世代といわれる世代は戦争体験がなかっただけではなく、戦争そのものにも関心がなく知識もなかった世代という事実である。最近はこのような事実さえも歪められ、あたかも戦後世代は戦後民主主義に洗脳され自虐史観に染まってしまった世代であるなどという見方が広まっているが、これは事実に反している。

この「自虐史観」という語は90年代の終わりころに転向表明した元共産党員藤岡信勝が提唱した造語であり、これに西尾幹二らが共感をして「新しい教科書を作る会」という右派組織を作っていった。最近おびただしく話題になっている「日本会議」にしても、この頃に結成されたのであり、この人々の考え方がネットなどを通じて広まったのが、いわゆるネットウヨであり、また安倍政権の主たる閣僚たちもほとんどがその影響を受けたメンバーなのである。

つまり私が言いたいのは、そもそも自虐史観という思考法を戦後世代が教え込まれていたわけではなく、実際に「作る会」がいうように戦後世代が使用した歴史教科書に自虐史観が盛り込まれていたわけでもない。

たしかに戦後世代(特に団塊の世代)はベトナム戦争に反対したり、安保条約反対というプラカードを掲げたりしていた。しかしその実体は、かつての戦争については何の知識もなく、再びあのような戦争を繰り返してはならないという意味での戦争反対ではなかったのである。当時の戦後世代はベトナム戦争で多くの血が流されていることに対して単純なヒューマニズムという見地から反対している者が多かったし、またそうではなくより強固な左翼イデオローグの人々は米国を敵視していたのは事実だが、戦前の軍国主義の復活のようなことを危惧する人々はまずいなかった。

そもそも「米国=悪の帝国」という彼らの図式からして、かつての戦争とは無縁のイデオロギーの所産だったということは自明である。なぜならかつての戦争を自虐的にいけないという教えを一途に信じ込んでいたら、日本の軍国主義と戦ったアメリカに対しては、もう少し好意的な見方があってもよかったであろう。

結局、戦後世代が学んだ民主主義教育というのは戦前とは何の関係もなく、「自虐」という意識がまったく入り込む余地さえない徹底した「戦争の忘却のための教育」であり、それ以上でもそれ以下でもなかったということははっきりしていると思う。(ちなみに同じ左翼でも歴史音痴なのは反日共系であり日本共産党の人々は戦前の歴史について分かっている人々が多かったと思う。)

ではなぜそういう「忘却の教育」がなされたのかというと、それは米占領軍の押し付け憲法によるわけではなく、むしろ戦前の戦争を知っている者たちが自らの醜さを覆い隠すために戦後の世代にそうした事実を教えなかったのではあるまいか。最近になって私はそう解釈した方が正しいと思うようになった。

なぜかというと当時は戦争を体験したはずの大人たちや学校の先生から戦争について詳しく聞いたことはまったくといってなかったからだ。戦争について聞かされたのはせいぜい空襲のことや疎開のことや食べるものが少なかったという程度で、なぜ戦争になったのかとか、戦地で日本軍がどんな酷いことをやっていたのかとかを詳しく語る人はいなかった。なぜなら彼らの多くは戦争の加害者側の人間である以上、それを語ることは自分の恥を語ることと同じだからだ。

だからわれわれが教え込まれた教科書には戦争の原因を深く掘り下げ、なぜそんな無謀な戦争をやったのかということは一切書かれていない。そもそも日本の教科書には日清日露の戦争についてもなぜ戦争になったのかという記載はなく、韓国がなぜ日本に併合されたのか、その過程で韓国王妃が日本軍によって虐殺された事実も書かれていない。私自身大学受験で歴史を専攻していたが韓国の閔妃虐殺事件を学んだ覚えがなく唖然とする他なかった。特に韓国、朝鮮に対して日本が酷いことをしたという事実は戦前の人々は分かっているはずだが、戦後の人間にそれを語り継ごうとした日本人はほとんどいない。司馬遼太郎のような知識人でさえ、長らくその事実に無関心であったことを恥じているぐらいだから、一般の日本人及び教育者にもそのような自省意識は皆無に近かったのだろう。

また日韓併合後、なぜ日本軍は満州に進出するようになったのかという説明がない。満州事変が当時日本も加盟していたパリ不戦条約に明白に違反する不法行為であったという記載もない。だから満州事変で日本がなぜ国連を脱退せざるを得なくなったのかという最も肝心な国際法違反の背景説明がない。南京事件についてもある程度の虐殺行為があったことは認めても、それ以前に日本側が提案していたトラウトマン和平条約について蒋介石が受諾意思を示していたという決定的に重要な事実が書かれていない。したがって教科書をなぞるだけでは日本の戦争はやむを得ない諸事情が積み重なった結果ではないかという解釈もできるようになっている。このような教科書のどこが自虐史観なのかといわざるをえない。

山本七平の言説がユニークなのは、およそ山本七平ほど日本を悪しざまに書いている人物はいないと思われるにもかかわらず、彼がどちらかというと左翼から毛嫌いされ、逆に保守派といわれる人々から歓迎されていたことである。これは山本が日本を悪しざまに書きながら同時に左翼的な論陣に対しても容赦はなかったからであろう。しかしそれは山本がイデオロギーに偏っていたからではなく、逆にイデオロギーの枠を超えて日本人が本質的にもつ問題性を感じていたからであり、それについては彼を歓迎した保守派の人々も実は何もわかっていないのである。最近の自称保守派が山本七平を読むと、彼らのいう自虐史観の最たる見本がまさに描かれていることに気づくだろう。

今日はこれについて最も分かりやすい山本七平の本を一冊紹介したい。76年に書かれた「日本はなぜ敗れるのか 敗因21か条」という本である。この本は山本七平と同じくフィリピン戦線へ従軍し後に米軍の捕虜となった小松真一が捕虜収容所内で記した「虜人日記」を基本資料として紐解きながら「日本はなぜ負けるのか」というテーマを解く手掛かりにしようとした本である。山本七平によれば、小松真一氏の「虜人日記」は戦後平和主義という名の着色のない時期に記された貴重な記録であり、こういう資料はめったにないという。したがってこれを読み解くことは、戦前、戦後を通じてもつ日本人の本質的問題を明らかにすることなのだとされる。
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そもそも小松真一が記した「虜人日記」は出版という目的や読者を想定するということさえ意図されなかった可能性もあり、その動機は当初あくまでも自分自身に向けて書かれたものであるという。ここで小松氏は日本が敗戦に至った原因について考察し、箇条書きにして以下の21か条にまとめている。ちなみに小松氏は生物学の研究者であり石油枯渇に代わるブタノールの開発のために台湾やフィリピンで徴用されていた。

1、精兵主義の軍隊に精兵がいなかった事。然るに作戦その他で兵に要求される事は、   総て精兵でなければできない仕事ばかりだった。武器も与えずに。米国は物量に物言わせ、未訓練兵でもできる作戦をやってきた
2、物量、物資、資源、総て米国に比べ問題にならなかった
3、日本の不合理性、米国の合理性
4、将兵の素質低下(精兵は満州、支那事変と緒戦で大部分は死んでしまった)
5、精神的に弱かった(一枚看板の大和魂も戦い不利となるとさっぱリ威力なし)
6、日本の学問は実用化せず、米国の学問は実用化する
7、基礎科学の研究をしなかった事
8、電波兵器の劣等(物理学貧弱)
9、克己心の欠如
10、反省力なき事
11、個人としての修養をしていない事
12、陸海軍の不協カ
13、一人よがりで同情心が無い事
14、兵器の劣悪を自覚し、負け癖がついた事
15、バシー海峡の損害と、戦意喪失
16、思想的に徹底したものがなかった事
17、国民が戦いに厭きていた
18、日本文化の確立なき為
19、日本は人命を粗末にし、米国は犬切にした
20、日本文化に普遍性なき為
21、指導者に生物学的常識がなかった事


これらの戦争の敗因について山本七平が小松氏の緻密な文章を紐解きながら、山本自身の感想も交えて類まれなる日本人論を展開しているのが本書の特徴である。ここで注意してもらいたいのは山本七平著の本は「日本はなぜ負けるのか 21か条」であり、一方、小松真一氏の「虜人日記」には「日本の敗因21か条」と記されている。すなわち山本七平は明らかにこの小松氏が記した21か条を単に日本が戦争に負けた敗因としているだけではなく将来の日本にも適用できるとしていることである。このような時代を超えた分析こそが山本七平のユニークさであり魅力である(ちなみにこの書は山本七平の数ある書の中でも名著といわれるほどの一級作品であり、トヨタ社長がこれを社員に読むことを勧めたという話は有名だ)。

詳しくは本書を手に取って読んでいただきたいが、ここではこの書物全体の白眉といってもよい21か条の中で15番目に記された「バシー海峡の損害と戦意喪失」について取り上げたい。このバシー海峡の悲劇については最近NHKの特番でも放送されたことがあり知っている方も多いと思うが、以下ごく簡単に紹介しておく。

ミッドウェーの敗北で一挙に形勢の悪くなった日本はガダルカナル島、ソロモン島、ニューギニア、サイパンなどを失い、米軍の攻撃は徐々に本土に向けて北上していた。その途上で大激戦を繰り広げるのがフィリピン諸島であった。バシー海峡というのは台湾とフィリピンの間にある役150キロの海峡であるが、この海峡を航海する日本の輸送船がアメリカ潜水艦にことごとく沈められたという悲劇である。沈没した船は200隻以上、その為になくなった日本人は10万人以上と見積もられている。

小松真一氏はこのバシー海峡の悲劇を日本の敗因の一つとみなしているわけだが、それはミッドウェーの敗北が敗因であったという分析とは意味の違う分析である。このバシー海峡の悲劇が意味しているのは、作戦がそもそもなく、潜水艦に狙われているということが明白であるにもかかわらず、明けても暮れても作戦の変更もできない大本営とその部下たちの無策、無能、無謀さにある。この戦いが象徴しているのは、まさに戦争に突っ込んだ日本人の無謀さであり、無計画さである。

山本七平は次のように書く。

ドイツ人は明確な意図をもち、その意図を達成するための方法論を探求し、その方法論を現実に移して実行する組織を作り上げた。たとえ、その意図が狂気に等しく、方法論は人間ではなく悪魔が発案した思われるもので、その組織は冷酷、無情な機械に等しかったとはいえ、その意図と方法論とそれに基づく組織があったことは否定できない。

一方日本はどうであったか。当時日本を指導していた軍部が本当は何を意図していたのか。その意図はいったい何だったのか。おそらく誰にも分るまい。というのは日華事変の当初から、明確な意図などはどこにも存在していなかった。ただ常に相手に触発されてヒステリックに反応するという「出たとこ勝負」をくりかえしているにすぎなかった。意図がないから、それを達成するための方法論なぞ、はじめからあるはずもない。従ってそれに応ずる組織ももちろんない。そしてある現象があらわれれば、常にそれに触発され、あわてて対応するだけである。従ってすべてが小松氏の憤慨した状況、「戦争に勝つためにぜひ必要だというから、会社を辞めてきてみれば何のことはない」という状態になる。

そしてこのことを非常におおがかりにやったのはバシー海峡であった。ガソリンがないといえば反射的に技術者を送る。相手がそこへ来るといえば、これまた反射的にそこへ兵力をもってゆく。そして沈められれば沈められるだけ、さらに次々と大量に船と兵隊を投入して、「死へのベルトコンベア」に乗せてしまう。

それはまさに機械的な拡大再生産的繰り返しであり、この際、ひるがえって自らの意図を再確認し、新しい方法論を探求し、それに基づく組織を新たに作り直そうとはしない。むしろ逆になり、そういう弱気は許されず、そういうことを言う者は敗北主義者という形になる。従って相手には日本の出方は手に取るようにわかるから、ただ「バシー海峡」をまっていればよいとうことになってしまう。

一方、私が戦った相手、アメリカ軍は常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と、同じ型の突撃を馬鹿の一つ覚えのように機械的に何回も繰り返して自滅したり、同じ方向に無防備に等しいボロ船船団を同じように繰り返し送り出し自ら「大量死へのベルトコンベア」を作るようなことはしなかった。これはベトナム問題の対処の仕方にも表れているだろう。
あれが日本軍なら50万を送ってだめなら、100万を送り、100万を送ってだめなら200万を送る。そして極限まできて自滅するとき、「やるだけのことはやった。思い残すことはない」と言うのであろう。


私見であるが、ベトナム戦争でのベトコン軍の戦い、あるいは日中戦争での中国国民党軍や共産党八路軍の戦い方をみていると、むしろアメリカ的であり、逃げるときは逃げ、攻撃するときは攻撃するという神出鬼没のゲリラ作戦で対抗してきた。このため日中戦争でも日本軍は南京まで押し寄せたが、そのあとはなんら戦果をあげられなかった。

山本七平はさらに次のようにたたみかける。

われわれがバシー海峡と言った場合、それは単にその海峡で海没した何十万かの同胞を思うだけではなく、このバシー海峡を出現させた一つの行き方が、否応なく頭に浮かんでくるのである。従って小松氏が、敗因の中にこの海峡をあげたのは、当然すぎるほど当然であった。太平洋戦争自体がバシー海峡的行き方、一方法を一方向へ拡大しつつ繰り返し、あらゆる犠牲を無視して極限まできて自ら倒壊したその行き方そのものであった。

だがしかし、わずか30年ですべての人がこの名を忘れてしまった。なぜであろうか。おそらくそれは今でも基本的にまったく同じ行き方を続けているため、その問題に触れることを無意識に避けてきたからであろう。従ってバシー海峡の悲劇はまだ終わっておらず、従って今それを克服しておかなければ、将来、別の形で噴出してくるであろう.。


ここまで山本七平の言葉を聞いているとフト思いあたることがいくつもある。安倍政権の行き方がまさにこれではないかということに気づかざるを得ない。特にアベノミクスという経済政策がまさにこれと同じだ。彼らは日銀にどんどん国債を発行させ、それでもまだ足らないというのでGPIFの年金資金を株式につぎ込んできた。ところがアメリカの機関投資家は安倍政権のやり方を全部わかっているので、徹底的にこの金を掬い取る目的で、まさにバシー海峡の潜水艦のごとき戦術がとられている。

この結果、日本の年金マネーはまるで地引網に吸い上げられるごとくにアメリカ人の機関投資家のふところへと吸い上げられてゆく。安倍氏もGPIF関係者もその辺はわかっていながら株価を下支えしなければならないというさらなる至上命題の為に負けても負けても同じ方法がとられる。彼らは「この道一筋、この道しかない」という標語を作って、敗北主義をいさめ、批判をかわそうとするが、いずれは太平洋戦争と同じ結果をもたらすのではないだろうか?しかし、それがあやまりであったと国民全員が気づいたときはもうすでに遅いのである。


7月3日 本項未定です。
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