3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

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(6)不信任案の理由

(6)不信任案の不可解な理由
いずれにしてもこの時点では野党側は何がなんでも菅内閣に対して不信任案を突きつけるという決意であることには変わりなかった(ただし、自民党の中には石破氏をはじめ慎重意見も多くあったことは付言しておく)。当初、自民党と公明党は単純な数合わせでは不信任案が可決する見込みがまったくないことから戦略的には別の意図があったものと思われる。すなわち不信任案提出によって、民主党の分裂を誘い出し、あわよくば政界再編を加速させようという狙いがあったものと思われる。しかし民主党の小沢グループや鳩山グループの周辺から不信任案に同調する民主党議員が予想以上に出そうだという観測があり、一挙に倒閣ムードが高まった。そのような異様な状況の中で驚くべき行動にでた人物がいる。だれあろう参議院議長の(故)西岡武夫氏である。西岡氏は5月19日の定例記者会見で「即刻、首相を辞任すべきだ」との書簡を18日、首相本人あてに送ったことを明らかにし、ほぼ同じ内容を19日付けの読売新聞に寄稿した。西岡氏は記者会見の席で「首相のどこかだめなのか」と問われ、なんと「全部だ」と答えている。

参議院という良識の府のしかも中立であるべき議長の身分である者が総理に辞任を迫るなんて話は日本だけではなく世界でも聞いたことがない。少なくとも議会制民主主が制度として確立している諸国の中ではありえない話だろう。西岡氏はそれを言いたいなら、せめて潔く自ら議長職を辞めてからいうべきことであった。かつてハマコウこと自民党の浜田幸一氏が衆院議長のとき共産党正森議員の国会質問を制止して「宮本顕治(当時の共産党委員長)は殺人者だ」と質疑に関係のない発言をしたために議長職辞任のやむなきに至った経緯があったが、この西岡発言はそれ以上の重みのある暴言といってもよい。もちろん、新聞紙上でこの西岡発言が立場をわきまえないものとして批判されてはいたが、驚くべきことに政治家の間では与党も野党も黙認という奇妙な態度に終始していた。ここまで来ると、もはや「菅降ろし」というのは訳のわからない永田町の中の特別な「空気」によるものとしかいえないように思われる。

菅総理不信任案の理由付けが具体的なものではなく漠然としたものでしかなかったことが、この西岡氏の発言にも表れている。もし何か不信任に相当する明らかな致命的ミスでもあれば西岡氏はそれを一つぐらいはあげることができたはずである。しかし、「全部だ」という他になかったのは、逆に言うと(不信任に相当するものは)何もなかったという証拠である。これは西岡氏一人のいい加減さではなく、不信任を突きつけた野党側の不信任理由をみても一目瞭然である。6月1日の国会質疑で谷垣総裁が菅総理に不信任を突き付けた理由が何であったかということが、以下のやりとりの中ではたして理解できるであろうか?

谷垣氏 申し上げたいことはただ一つ。お辞めになったらいかがか。選挙でほとんど勝っていないのは、国民の心があなたから離れている何よりの証拠だ。最大の同盟国の米国は、日米首脳会談を9月に先延ばししたが、あなたでは米軍普天間飛行場の移設問題は解決できないと考えたからだと思う。責任を押し付けるから官僚機構はあなたを信頼していない。民主党内であなたの足下は液状化している。四つの方面で信頼を失い、(東日本大震災の)復旧、復興をあなたの下でやっていくことは不可能だ。

首相  今、ほとんどの国民は国会が一丸となって復旧、復興、原発事故の収束を図ってほしいと強く求めている。震災発生以来、不十分だったことはたくさんあったとは思うが、私は責任を果たしていかないといけない。

谷垣氏 今、政治空白がなぜ起こるのか。それは与党の足元がガタガタしているからだ。あなたは党内をまとめる人徳も力量もない。あなたには三つの大罪がある。第一には震災・原発対応に不手際があった。第二は被災者のことが目に入っていたのか(という点だ)。第三は国民と約束したマニュフェストを撤回した責任だ。

ここで谷垣氏は菅総理が辞めるべき三つの理由をあげているようだ。その一つは震災、原発対応に不手際があったこと。第二に被災者のことが目に入っていないこと。第三に国民と約束したマニュフェストを撤回したこと。この三つであるが、いずれも抽象的な表現なので、これでは西岡氏の「全部だ」というのと五十歩百歩であろう。これではなんだかよく分からないので、不信任理由として提出された文書をみてみよう。

菅内閣は、国難のときにあって明確な指針を示せないまま迷走を続け、わが国の復興と再生に対して大きな障害となっている。とりわけ東日本大震災をめぐる対応については、初動の遅れを招いた判断、曖昧で場当たり的な指揮命令など、その迷走ぶりがさらなる混乱を招き、取り返しのつかない状況を生み出してきた。被災者や関係者への配慮を欠く発言、マニフェストにこだわりバラマキ政策を財源に充てようとしない姿勢、意志決定が複雑を極める対策本部の乱立、唐突な連立政権呼びかけなど、未熟で軽率な行動に寄せられる厳しい非難は、菅総理が政権を担当する資格と能力に著しく欠けている実態を明確に示している。また、被災地の再生に道筋をつけようともせず、今国会の会期や二次補正予算の提出につき明言を避け続ける不誠実な対応は、危機感や現場感覚を持たず、震災よりも内閣の延命を優先する無責任極まりないものである。昨年の通常国会において、菅政権に対する内閣不信任決議案が提出された。それは、民意によらない「正当性なき内閣」、「不作為内閣」、国民の選択肢を奪う「政策隠し内閣」、政治とカネの問題に背を向ける「疑惑隠し内閣」、自覚に欠け努力を怠る「責任放棄内閣」、国民の期待にそむく「国民愚弄内閣」との理由からである。今日、その状況はますます悪化し、菅内閣は明らかに機能不全の様相を呈している。未曽有の災害を前に、われわれは危機克服と復旧に猶予がないものとして政府与党に協力し、菅内閣の継続を黙認してきたが、もはや容認することはできない。菅総理に指導者としての資質がない以上、難局にあたって、菅内閣とともに新たな政策体系を積み上げていくことは到底できないからである。国民の不安を払拭し、国家を挙げて被災地の復興と被災者の生活再建を実現していくためにも、菅総理は一刻も早く退陣すべきである。

初めに断わっておくが、この文章は野党が菅内閣に突きつけた不信任理由をまとめた公式文書のすべてである。この文章をみると、ますます菅内閣不信任の本当の理由が分からなくなる。抽象的な文章の羅列ばかりで、まるで学生が書いた作文ではないかと錯覚させられる。しかも、こんな短い文章で「これが内閣不信任案の理由を述べた全文です」といわれると唖然とせざるをえない。ただし、そのように感じるのはこちらがあまりに素人だからなのだろう。要するに、永田町では毎年のようにこのようなわけのわからない文章の不信任案が提出され、そしてその大半はルーティン通り否決されて終わっているのだ。与党と野党の力関係が数の関係でしかないかぎり、野党の提出した不信任案が可決されるということは余程のことがなければ起こらない。したがって、不信任案というのは、通常、野党による空しい反撃にすぎず、それによって一挙に倒閣とか政界再編という状況を作り出すことは難しい。すなわち不信任案というのは、元々は数で劣っている野党がたとえ形式的にせよ厭なら総理大臣の辞職を迫る道もあるんだよという少数派に配慮した制度なのである。

しかし2011年6月1日にだされた菅内閣に対する不信任案はそのような少数派に配慮した形式的制度の枠を突き破り、現実に総理辞職を迫る抜き差しならない事態に発展することになった。その原因は、いうまでもなく小沢グループをはじめとする民主党議員の造反が予想されていたからである。このような事態は戦後の議会の歴史の中でもきわめて異例のケースであった。調べてみると、戦後の議会で不信任案が可決されたケースはわずか4例である。その内の2例は昭和20年代に長期政権を築いた民自党の吉田内閣の下で可決され、他の2例は自民党の大平内閣(1980年5月16日)と宮澤内閣(1993年6月18日)で可決された。

ちなみに宮澤総理のときは竹下派の跡目争いに端を発したとされる党内抗争で小沢氏らが羽田グループと組んで社会党の不信任案に同調する形で可決成立の経緯となっている。ただし宮澤総理は内閣総辞職を選ばず解散総選挙に打って出たが選挙結果が振るわず、結局は辞職という結末になっている。その後、解散総選挙の際に新党をたちあげた小沢氏と羽田グループ(新生党)、新党さきがけ(武村代表)、そして当時圧倒的ブームに乗った日本新党(細川護煕代表)らが数合わせをして細川政権が誕生した。このようにみると内閣不信任案の可決というのは極めて異例であり、余程の非常事態であるということが分かるわけだが、しかし不信任案がたとえ可決されたとしても総理大臣はそれに対して対抗する手段、すなわち解散権を行使できるのであり、実際、過去4例の不信任決議の可決の際にはすべて解散権が行使されているということを忘れてはならない。

ところが2011年6月1日に出された菅内閣不信任案は初めから菅総理の解散権が事実上はく奪された中での提出であった。なぜなら震災により未曾有の津波被害と原発事故による避難によって実際的に選挙は行えない状況が続いていたからである。したがって、もし不信任案が可決されると、菅総理は退陣を余儀なくされたであろう。このような事態は憲政史上なかったことであり、法的にみても総理の解散権が事実上はく奪された中での不信任決議は問題があることは自明であった。小沢氏はそれを知りながら「東日本大震災で被災地は選挙ができない。不信任案が可決されても首相は解散できない」と仲間に説いていたといわれている。もし総理の解散権が問題なく行使されうる状況の中であれば、小沢氏は不信任決議に同調することはありえなかったということを考えれば(なぜなら解散総選挙になると小沢グループは事実上崩壊することが予想されていた)、その行動に正当性がないのは当然であろう。このことは以後長く記憶に留めておくべきであると思う。

もちろん、そのような法理論的な問題は別にして、菅総理が実際に(不信任に値する)致命的な大罪を行ったという証拠でもあるならば、無理やりにでも菅総理を降ろすことに正当性がなくはないという見方もできるかもしれない。それはしかし一種の人民裁判を許容することと同じである。人民裁判というのは中国で毛沢東の文化大革命の時代に反動分子(反革命分子)と名指しされた人々が、ことごとく弁護人なしで法廷に連行され一方的な罪状を着せられて裁かれるという裁判である。菅総理に対して不信任を突きつけようとした人々は、実際、それと似たようなことを行っていたのではないか?何の証拠もなくベントの解放が遅れたのは菅総理の視察のせいであったと決めつけ、何の証拠もなく菅総理が海水注入を中断させた張本人ではないかと断罪しようとした。それどころか菅総理がメルトダウンを招いたのではないかさえといわれ、また菅総理が震災被害を拡大したのだとまで言われつづけた。その他「万死に値する」「存在そのものが瓦礫」「ペテン師」「菅オケ総理」「菅直人という風評被害」「原発は止まっても菅の暴走は止まらない」・・・・・等々、その種の侮蔑と非難の言葉はあげればきりがないほどであり、しかもそれは2chの流言飛語ではなく発信者が名だたる政治家やジャーナリスト、評論家たちなのである。もちろん週刊誌や夕刊タブロイド誌の俗悪な表現はここに載せるのをはばかるほど酷い言葉の羅列であった。日本人の使用する言葉がこれほど汚れ、しかもそれを軽々しく使用するようになったことは、これまでにもないであろう。

それらの言葉を聞いていると、菅降ろしというのは実は人民裁判どころかその実態は魔女裁判と同じといってもよいのではないかと思う。すなわち菅総理は未曽有の国難の中にあって、まさに人身御供のごとく魔女に仕立て上げられたのではないか?そのように考えれば、むしろ菅降ろしにまつわるいろんな謎が解かれるような気さえする。ただし、そのような興味深いレトリックの謎解きは後の章にゆずることにしよう。ここではもうしばらく菅降ろしにまつわる様々な問題とその後の政局についての検証作業を進めたい。
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虚説を垂れ流した後、マスコミ各社は反省がない。
そもそも売れればいい、という商業主義。
国民は真剣な思考を働かせようとしない。
ヒツジとして生きるほうが、楽だから、仕方がないのだ。
私もヒツジだ。
不安だが、自分で行動を決定できない。
悲しい。

yamaguchi | URL | 2011-11-29(Tue)00:46 [編集]


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