3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

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安倍70年談話の欺瞞

安倍晋三という人物がここまで悪辣なほど狡猾であるということは正直思っていなかった。8月14日に予定された70年談話の内容が連日、新聞やテレビで報道される中、談話には「侵略」「植民地支配」「お詫び」などのキーワードが明記されるという事が伝えられていた。その数日前に安倍総理が選出した70年談話有識者懇談会の結論をみても、またその翌日にだされた読売新聞の「安倍首相も明確に侵略を認めよ」という断固たる社説をみても、もはやこれで安倍70年談話は土俵際にまで追い詰められ、そのまま押し切られる形で村山談話と小泉談話を踏襲するしかないのではないか。そのように私は信じていたし、おそらくマスコミも政府関係者もそう観測していたはずだ。

しかし発表された安倍談話をみると見事なまでにそのような期待を裏切っていた。確かにマスコミが観測していた通り「侵略」や「植民地支配」という言葉が明記されていたのは事実である。しかし、その意味合いは村山談話や小泉談話と同じものではない。全文を何度読み返してみても日本が侵略戦争を行ったとか植民地支配を行ったという明確な記述はどこにもないことに気づく。むしろ「植民地支配」という言葉は欧米が行ったということに重点が置かれるように書かれており、また「侵略」という言葉は文脈上の主語もなく使われているので、どの国が侵略を行ったのかということも意図的にぼかされている。しかも「お詫び」とか「謝罪」についても自らの言葉ではなく過去形で使用されているだけで、おまけに「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」とまで付け加え、謝罪はもうこれ以上するつもりはないという魂胆まで覗かせた。

8月7日の読売新聞社説でいうように安倍談話は「明確に侵略を認めた」談話ではない。にもかかわらず読売新聞は本日(15日)の社説で「『侵略』明確化は妥当だ」として、次のように安倍談話を評価した。

首相談話には、キーワードである「侵略」が明記された。「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」との表現である。「先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓った」とも記している。首相が「侵略」を明確に認めたのは重要である。戦後50年の村山談話、戦後60年の小泉談話の見解を引き継いだものだ。

読売新聞があらためて安倍政権の御用新聞でしかないことを納得せざるを得ない記述である。要するに現時点で安保法案の成立と原発再稼働を何よりも優先しなければならない読売新聞としては、これ以上安倍政権を批判することによって支持率を落とせば、元も子もないという計算なのだろう。

これに比べるとNHKはまだしも良心的であった。14日夜放送のNHKニュースウォッチ9に招かれた安倍総理に対して河野キャスターがきわどい突っ込みをしている。

河野:侵略という言葉に主語がないが、総理、これは日本が侵略をしたということでよろしいのでしょうか?

この質問は今回の安倍談話の肝部分である。安倍総理としてもっとも触れられたくない部分だったのだろうが、おそらく河野キャスターもその答え方に驚いたことだろう。安倍総理はこの質問に対して長々と談話の論旨を繰り返しながらも、侵略という言葉に主語がない理由については一言も説明しない。

ちなみに安倍総理の答えは次のようなものだ。

今回の談話作成にあたっては、百年以上昔に遡って歴史を俯瞰する中で日本はどう行動をとったのか、世界はどういう世界であったのか、今日発表させていただいた談話の中においても、百年前世界には広大な植民地が広がっていた、そしてその波はアジアにも押し寄せていた、という時代だったことを述べました。そしてその後、第一次世界大戦、一千万人以上亡くなったこの大戦の教訓から、戦争を違法行為と定めた、そして植民地をもうこれ以上増やさない、植民地を取り合ったりはしない、現状を固定化してゆく、・・・その中で日本は国際社会と歩調を合わせたんですが、しかし、その後、大恐慌が起こり、ブロック経済が始まり、そしてその中で日本は孤立化していった。外交的、政治的行き詰まりを力によって打開しようとし、そして進路を誤り、戦争に至り、敗戦した。・・・村山談話の中では、たとえば「国策を誤り・・・」、これは非常に抽象的表現でしかなかった。そうではなくて、それはどういう世界の中でどのように進路を誤ったのか、ということを明確にすることによって、はじめて現代にも生きる教訓をくみ取れると考えたわけであります。そこで21世紀構想懇談会、有識者のみなさんに集まってご議論をいただきました。その報告書の中にもあるわけでありますが、・・(河野:その報告書の中には侵略という言葉がありましたよね・・)、ええ、侵略と評価される行為もあった。私もそう思います。だからこそ、ここにあるように「事変 侵略 戦争」という言葉をあげて、いかなる武力の威嚇や行使も国際紛争を解決する手段としては二度と用いてはならない。先の大戦の深い悔悟の念とともに誓った。・・・このように表現したわけであります。

つまり河野キャスターの質問に対して、安倍総理は「『侵略』と評価される行為もあった」と答えているだけであり、明白に侵略戦争であったと認めているわけではないといっているように聞こえる。逆に安倍総理は日本が第一次世界大戦後の世界恐慌と新たな経済ブロックの中で孤立化していったのだということを強調し、そこにはあたかも同情すべき部分もあったと弁護しているようにも聞こえる。つまり「侵略」という文言に主語がないのは、日本が侵略を行ったことを全面的に否定するものではないが、そこに至る経緯の説明の方がより大切だといわんとしているようである。しかし、このような言い訳めいた説明はあの戦争を自衛戦争だったと強弁する「つくる会」等の論理とどう違うのであろうか?

そもそも安倍総理のこの部分の説明は70年談話有識者懇のまとめの中にも紹介されているわけだが、有識者懇の総括では経済的孤立化にふれてはいるものの侵略を正当化しているものではない。

こうして日本は、満州事変以後、大陸への侵略を拡大し、第一次大戦後の民族自決、戦争違法化、民主化、経済的発展主義という流れから逸脱して、世界の大勢を見失い、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた。特に中国では広範な地域で多数の犠牲者を出すことになった。

この有識者懇の説明にある通り、満州事変以降「侵略」は拡大していったのであり、「『侵略』と評価される行為もあった」などと日本の侵略行為を矮小化しているわけではない。満州事変後の日本の行動の中には「侵略」と評価されるような行為もあったという曖昧な表現ですむものではなく、それは侵略そのものであったということである。このような「侵略」という用語に対する認識の根本的間違いを認めずに、安倍談話を評価してしまった読売はその本心が表れたのだといわざるをえない(もちろん安倍談話を絶賛した産経新聞は論外だ)。

かつて「侵略には定義がない」と語った安倍総理だが、有識者懇の座長代理北岡伸一氏によると侵略とは次のような明確な定義があるとしている。

「侵略には定義がない」というのは誤りだ。侵略とは「他国の意思に反して軍隊を送り込み、人を殺傷し、領土を占拠し、財産を奪い、その他多くの主権を制限すること」というのが辞書的な定義であって、政治学、歴史学でもほぼ同様だ。国際法においても、だいたいの定義はある。こういう意味の侵略を、明らかに日本はやってきた。

満州事変後、日本は15年間にもわたり常時数十万から百万を超える大量の軍隊を大陸に送り込み、数百万人の命を奪い、自国の十倍以上もある領土を占拠してきた。これを侵略と言わずに何を侵略と言うのか?しかし安倍総理は「『侵略』と評価される行為もあった」などと事実を矮小化しようとしているのだ。

しかもそれだけではない。安倍談話をみると、「植民地支配」という言葉も村山談話や小泉談話と意味の違った内容にすり替えられている。村山談話で使用された「植民地支配」という言葉はあくまでも日本がアジア諸国に対して行った行為として使われている。もちろん植民地支配という悪は元々欧米列強が行ってきたことであった。しかし少なくとも近世のアジアでは日本だけが行ってきた。日清日露戦争後、日本は列強の仲間入りを果たした。そこで朝鮮半島や台湾、満州を植民地とし、さらにアジア解放等と称して東南アジア諸国へも軍事進出していった。その主たる目的は石油などの資源を確保するためであった。

このような行為についても曖昧な言及しかされず、逆に欧米による植民地主義をあげつらうことで、あたかも日本の行為を正当化しようとしているようにみえる。しかも安倍談話の中には驚くべきゆがんだ歴史認識が公然と表明されている。欧米の植民地支配をあげつらいながら、自国が行った植民地支配そのものであった日露戦争を「アジアやアフリカの人々を勇気づけた」と自慢しているのである。国際紛争を解決する手段としての戦争はしてはならないと表明したその人物が同じ舌で110年前の戦争を賞賛するとは、どういう魂胆があるのか?しかし、この問題はそういうレベルの問題だけではない。安倍総理はそこまで知らないのかもしれないが、日露戦争そのものが他国の領土を奪うための侵略戦争そのものであったという事である。

何故か安倍談話のこの箇所については、どのマスコミも触れていないが、日露戦争が何のための戦争であったかという事を考えれば、そして戦争に至る経緯や結果を考えれば、明らかにそれは朝鮮半島を植民地にするための侵略戦争であったという事は明白なのである。

侵略という忌まわしい行動は決して満州事変後にかぎられるわけではない。むしろ明治政府が誕生した当時から国策としてそれを行ってきたのである。その原点にあるのは前にも紹介した吉田松陰の次の遺稿である。

神宮皇后の三韓を征し、時宗(北条時宗)の蒙古を殲し、秀吉の挑戦を伐つ如き、豪傑というべし」「朝鮮を攻めて質を納れ貢を奉ること古の盛時の如くならしめ、北は満州の地を割き、南は台湾・ルソンの諸島を収め、漸に進取の勢いを示すべし

松陰の影響を受けた長州テロリストたちは、政権をとるや否やこの野望を実行に移そうとした。その表れが征韓論であり、江華島事件であり、日清戦争であり、日露戦争であった。その流れの中でまるでホップステップジャンプというように発展したのが満州事変であった。これを経済的孤立という言葉で説明しようというのは欺瞞である。明治以来の日本人は事実として侵略的人種としての行動をとってきた。そのような明治に遡る歴史的見直しをこれからはじめなければならない。

補足:この談話を何度も読み返すと問題部分があまりにも多いという事にあらためて気づくのだが、最大の問題は次の箇所ではなかろうか。

「満州事変、そして国際連盟からの脱退、日本は次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした新しい国際秩序への挑戦者となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んでいきました。」

この満州事変後の戦争の総括は談話の中で最も核心的な部分であったはずである。有識者懇談会の総括でも、また読売新聞の社説でも、これ以降の戦争が侵略に他ならなかったと明言している。にもかかわらず、安倍総理は意図的に「侵略」という言葉を使用せず、「挑戦者」という言葉に言い換えた。これによって有識者懇や読売新聞の主張は意図的に曖昧にされ、「満州事変以降の戦争が侵略戦争であった」という核心部分は反故にされた。にもかかわらず読売新聞は「侵略という言葉が明記されたことを評価する」として、これを難じることもなく、また有識者懇の北岡伸一氏も「期待以上の踏み込みがあった」として一定の評価の言葉を読売に掲載している。結局、彼らは真実よりも保守派全体の利益を優先したのだろうとしか考えられない。戦前も戦後も日本人は常にこのようにして自らの主張をコロコロと変え自分を守るために変節していくのである。そしてこのようにして良識は踏みにじられていくのだといわざるをえない。



本項未定です。 8月16日 

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