3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

先の戦争は侵略戦争であったか その1

日本が明治維新後行ったアジアでの侵略行為はその規模において、有史以来、モンゴル帝国に匹敵するものであり、その壮大な領土的野心でいえばむしろモンゴル帝国のそれをも凌ぐものである。満州事変を起こした石原莞爾によれば、まさに世界最終戦争は日本とアメリカまたは日本とソ連の間で行われるべしという壮大な構想を抱いていたのである。アメリカはその日本の野心を知っていたためにモンロー主義から脱却して日本との戦争に受けて立つことになった。

私は小学校か中学校の時代にアジア全域が赤く塗りつぶされた大日本帝国最大領土の図をみたときに日本人としての誇りを強く感じたのを記憶している。われわれの時代はいわゆる日教組教育の弊害が叫ばれ、自虐史観に染まった左翼的な教科書を使用していたなどと、後に藤岡信勝や渡部昇一らに散々こきおろされたものだが、自分自身の記憶を振り返れば、日本が侵略戦争をおこなったという贖罪意識よりも、はるかに強烈な世界に冠たる強国としての誇りを植え付けられたのを自覚せざるをえない。

日本が行った戦争は悪い戦争であったという意識さえほとんどもったことはなく、なぜ日本はミッドウェーの海戦で負けてしまったのか?その戦いで勝利していればアメリカをも征服できたのではないかなどと、途方もない夢を抱いていたことを記憶している。このような夢はおそらく戦前の軍国少年が等しく思い描いた夢でもあったのではあるまいか。日本は神の国であるからそれまで戦争に負けたことはなかったのだ。元寇のときも神風が吹いて日本を助けたではないか。超大国の清国にもロシアにも勝ったのだからアメリカにも負けるはずはない。現にわれわれはすでに中国のほとんどの領土を手に入れているではないか。そのような神国神話の信仰心のようなものに当時のほとんどの日本人は支えられて、アメリカをも征服しうるのだという信念を抱いていたとしても不思議ではない。

もし日本人が聖書というものを知っていれば、こんなに途方もない夢を描いたことは、まさに神ならぬ悪魔のささやきであったということに早くから気が付いていただろう。聖書に描かれた神は決して戦争に強い神ではないし、もちろん軍神ではありえない。確かに聖書の神はモーセを助け、彼らが奴隷として虐げられたエジプトから解放されて約束の地カナンへ入る時、多くの奇跡を起こして彼らを助けたことが記述されている。しかし聖書の神は決してユダヤ人たちに世界を征服しなさいなどとは命じなかった。反対にユダヤ人たちはバビロンやアッシリア、ギリシャ、ローマという帝国主義者に囲まれて、常に侵略をされ続けた歴史上でも最も悲惨な経験を味わった民族である。しかし聖書の神(すなわちユダヤ人の神)が他の神々と違うのは力に勝る国々に味方をする神ではなく、むしろ虐げられた民族の解放のためにこそ神が味方をしているということ、すなわち神は常に正義の味方であり、弱い者の味方でもあるということをうかがわせる脈々とした記述が聖書の中にはちりばめられている。だからこそイエス・キリストは十字架というものを背負い、それは人類の罪の象徴として、その贖いの為に十字架の死を選ばれたのだとクリスチャンたちは信じたのである。

だからクリスチャンはたとえ迫害にあってもそれは神に見放された証拠だとは考えなかった。むしろ迫害が強くなり敗北感を味わえば味わうほど、神が助けてくれるのだという信念を強くするのである。東大元総長で内村鑑三の弟子であった矢内原忠雄が言っている。「神が好むのは打ち砕かれた魂である」と。すなわち神は自分には欠点がないと自惚れているごう慢な人間ではなく、自分は弱く罪深い人間であると自覚した人間を好むというのである。

戦前の日本人は神の前に自分達は罪深い人間であるという事を考えもしなかった。その反対に自分達は神に選ばれた民族であると自惚れ、自分達が進める戦争には常に神が味方しているのだと錯覚してきた。しかしこの日本人が信じた軍神は「この世の神々」すなわちサタンという名の悪魔の神であるということを日本人は知らなかった。

一方、当時のもっとも純粋なクリスチャンの国アメリカの人々はヒトラーが悪魔の化身であるのと同じく日本の軍国主義者も悪魔に突き動かされた勢力であるということを見抜いていた。それでも日本の中国侵略とヒトラーの欧州侵略がひいてはアメリカにも脅威を与えるようになることを知りながらも、彼らはあくまでもモンロー主義という名の一国平和主義を守ろうとしていた。アメリカに参戦の決意をさせたのは日本による無謀な真珠湾攻撃があったからこそである。これはアメリカの思うつぼであったという人もいるが、必ずしもそうとはいえない。確かにアメリカはヒトラーの脅威にさらされている同盟国のイギリスを助けたいと思っていたので、戦争参加を拒むアメリカ国民を説得してまでもヨーロッパの戦いに参戦しようとはおもっていたかもしれない。しかし、同時に日本を相手にして、大西洋と太平洋の両方向で戦争をするようになるとは夢にも思っていなかったのである。

これに関して山本七平が「日本人とアメリカ人」の中で昭和天皇が初訪米した際にアメリカの一ジャーナリストと交わした話として次のように話を紹介している。
「太平洋戦争について日本人は故意に忘れようとしている点がある。あなたがたはナチスドイツの同盟者であり、東南アジア進攻も、ヒトラーとの了解のもとに行われたはずである。アメリカが孤立した日本を攻撃したのではなく、日独伊という枢軸側の攻撃と三国共同の宣戦布告に対して戦ったのである。真珠湾の恐怖とはいうまでもなく東西から挟撃される恐怖であった。ナチスドイツは既にミサイルV2を実践に使い、原爆の開発に着手していた。一方、理解しがたい勇気を持つ日本軍は不意に真珠湾に殺到し、太平洋艦隊の主力は瞬時に全滅し、西部海岸は無防備にさらされた。彼が口にしたのは、その時の悪夢のような恐怖の率直な表白であり、非常識な言葉ではないと」(山本七平著『日本人とアメリカ人』祥伝社P15-16)

いずれにしても当時の世界の中でも圧倒的な戦力をもっていたアメリカが参戦すると日本にもドイツにも物量的に勝ち目はなかったという計算は可能かもしれないが、それよりも正義と不義の戦いという、これほど鮮明な戦争も珍しいだろう。侵略を行ったのは日本でありドイツであった。だからアメリカは正々堂々と正当防衛を唱え正義の戦争を実行できたのである。彼らアメリカ人はまさに正義の神が味方をしてくれるはずだということを信じたのである。そして歴史はまさにその通りとなった。

日本は敗戦後に後悔の念を余儀なくされた。負けて始めて間違った戦争であったということにほとんどの日本人が気づいた。その日本人の変化はまるで憑きものが落ちたかのようであった。日本人はアメリカ軍を平和の神が派遣した天使軍のように恭しく歓迎した。戦後の日本はこのすさまじい経験によってアメリカによってもたらされた平和憲法と共に、戦前の価値観を捨てアメリカ的価値観を受け入れてゆく過程であったといえるだろう。戦後すぐに朝鮮戦争においてもアメリカが新たな共産主義という名の悪魔との戦いに邁進するのを全面的に支援したのも当然であった。その後、冷戦時代に入り、日米安保条約下の占領体制の中で日本は目覚ましく経済発展を遂げ、アメリカナイズされた民主主義国として模範国家のようにふるまってきた。

但し、この20年ほど前に日本共産党から転向した藤岡信勝という奇矯な人物によって日本の戦後史観は全面的に見直されるべきであるという「新しい歴史教科書」運動が始められた。この運動が目指すのは、あの戦争が必ずしも侵略戦争であったわけではなく、むしろアジア人を白人の支配から解放するための聖戦であったという新たな捉え方である。もちろんそのような捉え方はごく最近になって現れたのではなく、昔から林房雄の「大東亜戦争肯定論」をはじめごく少数ではあるが唱えられており、政治家のなかにも奥田誠亮など一部の自民党政治家の中にそのような理論に基づく発言がなされたこともあり、それが大きな政治問題となったこともあるが、この数年、特に安倍政権誕生後に起こっていることは、そのような脱自虐史観といわれる理論がもはや少数派ではなく、国会の中でも多数派になってきているという現実なのである。

自民党や民主党や野党の一部議員も含めて「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」というグループに属する大量の国会議員がでてきたことはその表れであり、彼らはほとんど全員「日本会議」といわれる97年頃に突如として生まれた復古的組織に属する者たちである。この「日本会議」という組織は靖国史観と軌を一にした歴史観をもつ組織であり、先の戦争をアジア解放の為の聖戦であったとして位置づけ正当化しようとする強い歴史修正主義の流れを受けている。同時に、日本人が日本人としてのアイデンテティーを維持してゆくために、日本の皇室と伝統文化を世界に誇るべきものとして再評価しようとする運動である。その主張の多くは最大公約数的に日本人が受け入れられるような内容になっているが、同時に憲法改正や総理大臣の靖国神社公式参拝や皇統は男系に限るという、極めて制約的な内容にもなっていることに驚く。これは現安倍内閣の政治的主張とほとんど軌を一にしている。その証拠にHPをみると現安倍内閣の安保法案を支持するという明確な主張もなされている。理解に苦しむのは、このような組織に前原議員をはじめ民主党の一部議員が会員の中に含まれることである。逆に自民党議員の中でも女系天皇を容認する小泉元首相のような人々は会員に含まれていない。

この組織の問題は海外のジャーナリズムでも大きく取り上げられている。たとえばフランスの週刊誌L’Obsには「安倍晋三の隠れた素顔」として次のように紹介されている。
Lobsabe5.jpg

10年前に祖父が亡くなった安倍晋三は1997年に国会議員になる。お友だちと一緒に、直ちに「日本会議」に、次いで日本会議を支持する議員団体に加入する。「当時彼らは、保守の自民党でも周辺的だった」と、中野晃一は言う。「20年近く経った今日、彼らは自民党と内閣を席巻している。そして日本会議は、国会の40%に相当する、289人の議員を集めている…」彼らのスローガンとは?戦後の日本、「アメリカに押し付けられた」制度と生活様式から決別することだ。彼らは、「勝者の正義」、戦争犯罪人を裁いた東京裁判の正当性を認めない。彼らは歴史を自らの味付け、敗者の歴史を書き直したがっている。日本帝国はアジアの民衆を「解放した」と声高らかに断言したい。1938年の日本軍による南京大虐殺は作り事であり、最悪でも、民間人に変装した数百人の中国兵が死亡しただけだ(日本人も含めてまともな歴史家は少なくとも数万人の民間人が拷問された後に殺戮されたと考えているのに)。日本会議の歴史修正主義者らは、「慰安婦」は勇敢な日本兵を慰めて月末に手取りを増やして喜ぶ、単なる自発的な売春婦だったと断言する(この主題に関して帝国軍に反対する証言が圧倒的であるにもかかわらず)。

かつて山本七平がまさしく断言したように、日本人は一人残らず「日本教」という名の信徒なのである。その信仰の濃淡はあるにせよ、日本人が日本人としてのアイデンテティーを求めるときには、漠然としたこの日本教の信仰にすがってゆくしかない。日本の皇室が世界にも類のない万世一系の皇統を保ち続けたことはわれわれの誇りであるに違いないし、日本の文化や伝統に誇りを持つことが悪であるはずはない。しかし、その主張の中に排外的な民族主義や戦前の美化が含まれているとするなら、そこには強い違和感を覚えざるを得ない。ましてやそのような主張を是とする人々が内閣総理大臣及びその閣僚の大半を占め、さらに国会議員の40%を占めるというのは異常だとしか言いようがない。

安倍総理の戦後70年談話が世界中で注目されているのは、まさにこのような異常な内閣の思想背景が世界で危惧されているからである。今後、何回かにわけて戦後70年談話の問題点を整理しながら、明治以降の戦争が侵略戦争以外のなにものでもなかったという事を具体的な事実関係を掘り下げながら述べてゆきたいと思う。


7月19日 本項未定です。
関連記事
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する