3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

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総理のお友達の妄想史観 張作霖爆殺事件編

戦後70年の歴史的な安倍談話を作成するために何人かの有識者が選ばれ、すでに数回の会合がもたれたらしい。その有識者の顔触れをみると、一般にはあまりなじみのない人々が多いのであるが、一人異彩を放ついわゆる安倍総理のお友達がいる。ご存じ京都大学名誉教授の中西輝政氏である。私は前回の文章で「(有識者の顔触れの中には)間違っても藤岡信勝氏や八木秀次氏、櫻井よしこ氏、あるいは青山繁晴氏らを加えることはよもやあるまい」と書いたのだが、この他にも何人か書き連ねようと思った安倍総理のお友達の一人が中西輝政氏である。彼もまた先にあげた人々と同じく、いわゆる歴史修正主義者というべき人物であり、70年談話作成には絶対に関与させてはならない人物である。なぜなら安倍総理も何度も認めているように、70年談話は村山談話を(全体として)踏襲することになるということを公式に発表しているからだ。ならば、なぜ彼が選ばれたのか?

疑問はそれだけではない。今回の有識者の顔触れをみると、(歴史認識問題が関心の的となっているにもかかわらず)ただの一人も極東近代史の専門研究家がいない。確かに学者が何人か入ってはいるが、国際政治学とかイスラム関係史など日中、日韓の歴史認識には縁のない人ばかりで、強いてこの分野の専門家をあげるとすると中西輝政氏一人ということになってしまう。他の方々は経済界や数名のジャーナリスト、それに保守色の強い元外務官僚という構成である。ネットで調べるとこれらの人々は概ね政権寄りの人々であり、唯一政権寄りでないとすれば毎日新聞の記者が一人選ばれているぐらいであろうが、彼にしても決して反安倍派というわけではなく、集団的自衛権については積極的肯定派であると伝えられるところを見ると、むしろ政権寄りのジャーナリストというべきなのかもしれない。

というわけで、この有識者の顔触れをみるかぎり、安倍氏が彼らに求めていることははっきりしているように思われる。つまりかねがね危惧されているように、安倍氏の本心は村山談話の否定であり、そして河野談話の否定であろう。しかし仮にそんな談話になれば中国や韓国だけではなく、アメリカやヨーロッパの国々からも総スカンとなり、一挙に安倍政権は崩壊へと向かうことになる。当然、安倍氏もその程度の計算はできているはずなので、村山談話と河野談話の明白な否定ということはできないはずである。そこで安倍氏が考えているのは、村山談話と河野談話を継承しているような文言をいれながらも、その謝罪の意味合いをできるかぎり抽象化し、逆に未来志向という言葉を使って、より具体的に過去よりも未来に談話の重心を置いていこうという方向性ではないであろうか?この場合、中国や韓国の反発はあっても欧米の反発は抑えられるような言葉が選ばれるだろう。そのような趣旨にそって選ばれたのが今回の非専門家中心の有識者を集めた意味ではないかという気がする。ところがここへきて安倍総理にとって思わぬ展開になっている。有識者の座長代理を務める東大教授の北岡伸一氏が次のような発言をしたからだ。

「日本全体としては侵略して、悪い戦争をして、たくさんの中国人を殺して、誠に申し訳ないということは、日本の歴史研究者に聞けば99%そう言うと思う。日本は侵略戦争をした。とてもひどいことをした。明らかです」さらに「安倍さんに『日本は侵略した』と言ってほしい」とも付け加えた。

いうまでもなく北岡伸一氏はどちらかというと保守派の学者であり、これまでも自民党の小泉政権や福田政権時代にも政府諮問委員会の座長などを務めてきた、いわば政府の御用学者のような人物だとみなされている。その政府寄りの人物から、このような発言がでるとは安倍総理にとっては思いもよらなかったのではないか。

そもそもこのような北岡氏の発言はこれまでの自民党の歴代内閣でも共有されてきた至極真っ当な歴史認識であると思うが、この当たり前の認識をわざわざ総理に対して進言しなければならないということは異常なことである。しかし安倍総理はいまだに「侵略」とか「植民地支配」という村山談話にある言葉をそのまま使うということは明言せず、それらの言葉の使用を「こまごまとした問題だ」として一蹴している。このような安倍総理の発言によって周囲の危惧の念が払拭されないのは、当然のことであろう。

しかしながら、この北岡発言にはさすがの安倍総理もビックリ仰天しただろう。特に面白いのは「日本の歴史研究者に聞けば99%そう言うと思う」という発言である。つまりこの北岡氏の発言が正しいとすれば、安倍氏のお友達の大半が99%の常識側に属する人達ではなく、逆に1%の非常識側に属する人々だということを意味していることになる。しかも、その1%の非常識な人間が有識者の内部にも存在しているということになる。すなわちこの発言は同じ有識者として選ばれた中西輝政氏らを暗に批判する意味合いも込められているのではないかとも受け取られるのだ。

wikipedeaをみると、北岡伸一氏の専門は歴史学ではなく法学であり、学者としては主に国際政治学の分野で活躍をしてきたらしい。しかし北岡氏は東大法学部の大学院博士論文で「日本陸軍と大陸政策1906年-1918年」というテーマを掲げて執筆していたところをみると、戦前の歴史には深い造詣があるものと思われる。その研究生活をしていた北岡氏がいうのだから、「日本の歴史研究者に聞けば99%そう言うと思う」というのは学界の常識とみて間違いないだろう。ところが最近はやりのネットウヨにいわせると、「日中戦争は侵略ではなかった」とか「南京大虐殺は捏造だ」などという暴論が大きな顔をして跋扈しているのをみると、要するにわずか1%の人々がそのようなデマを流し、かつ多くの素人が騙されているというのが実態ではないかと思う。

そのネットウヨのいわば教祖のような存在が誰あろう中西輝政氏である。つまり北岡伸一氏がまさにいうとおり、そんな解釈は1%の非常識派の人々でしかないという暴論にすぎないデマを流しているのが中西輝政氏その人なのである。

中西輝政氏というと当ブログでも何度か紹介したようにPHP社主催の山本七平賞選考委員の一人であり、1996年に元日本共産党員の藤岡信勝氏らがはじめた「新しい歴史教科書をつくる会」のグループの一員としても意気投合しあった仲間である。最近はやりの、いわゆる「自虐史観」という言葉も「つくる会」の造語である。彼らの主張は村山談話とはまったく相反するものである。それどころか村山談話や河野談話を国辱として破棄すべきだという人々である。ところがいつのまにかこのような主張がまるで当然の主張であるかのように、大手出版社が発行する雑誌や本の中で主流を占めるようになってきた。つまり学界の中ではただの1%にすぎない非常識派の主張がまるで主流であるかのように思わせるほど、その影響力は無視できないものとなっている。そしてこのような考え方に強く影響されてきたのが安倍総理その人であり、また彼のお友達と呼ばれる人々である。

中西輝政氏については彼の本を碌に読んでもいない不勉強な奴が軽々に語ることは許されないという人もいるかもしれないが、以前にも紹介した秦郁彦氏の「陰謀史観」(新潮新書)の中で指摘されている彼の致命的なデマに基づく暴論を一つあげるだけでも十分であろうと思う。これについては以前にも紹介したことがあるが、ここではもう少し詳細に紹介しておこう。
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2008年に自衛隊の航空幕僚長という肩書の田母神俊雄氏がアパグループ(審査委員長は渡部昇一氏)の懸賞論文に入選したが、その内容が問題になって彼は麻生総理時代の浜田防衛大臣から解任されることになった。ちなみに、この論文のタイトルは「日本は侵略国家だったのか」である。田母神氏の論文のどこが不適切とされたのかは発表されていないが、当時の政府見解からも著しく逸脱する内容であったということは間違いなく、そのような人物が幕僚長の立場に存在することはふさわしくないとみなされたのであろう。しかしながら、田母神氏はその後、読売テレビの「たかじんのそこまで言って委員会」や右派雑誌において目覚ましく活躍しており、いわゆるネットウヨたちの英雄のようにもてはやされた。

そしてこの田母神氏の論文を当時賞賛していたのがアパグループ審査委員長の渡部昇一氏や中西輝政氏であった。この一事をみても、彼らが北岡氏のいう99%側の人々でないことは一目瞭然ではないかと思う。この田母神氏の解任騒動は国内だけではなく、国際的にも報じられており、英サンデータイムズ紙(2009年8月23日号)には次のように書かれている。

昨年、大日本帝国が第二次大戦の侵略者ではなかったと主張する論文を発表していらい、田母神前航空幕僚長(61)は右派のヒーローになった。三月に刊行された彼の最初の著書は三月いらい10万部が売れ、日本の核爆弾開発を説いた次の著書は今月初めまでに2万分が印刷された。

田母神は陰謀史観と反欧米思想を主題に月20回の講演をこなしている。そしてアメリカはユダヤ=共産主義者スパイの陰謀で対日戦争に引き込まれたとか、大東亜戦争は白人支配から有色人種を解放する聖戦だったと強調する。

秦郁彦教授は「田母神と支持者たちは古い陰謀史観に新たな生命を吹き込もうとしている」とコメントしたが、たとえばソ連のスパイだったホワイトやモーゲンソーがハル・ノート発出の張本人だったとか、張作霖を爆殺したのがソ連の工作員だったという彼のほ説はいずれも証拠がない。


秦郁彦氏が特に問題にしたのは、この田母神論文の中で言及された張作霖爆殺事件の真犯人はソ連の工作員だったという証拠のいかがわしさである。この張作霖爆殺事件というのは、その2年後に起こった満州事変の前奏ともいうべき事件であり、この事件がきっかけで大日本帝国の大陸進出が具体的な目標として掲げられるようになった。この事件は戦前は満州某重大事件という名で呼ばれ、犯人やその犯行動機は長い間不明であるとされていた。しかし戦後になって、河本大作他数名の部下が自らやったということを自白したとされ、他にもさまざまな客観証拠から河本大作らの謀略であったということが歴史専門家によって認定されている。したがってこの事件の真実は歴史教科書などでも紹介されている。参考まで「もう一度読む 山川日本近代史」(山川出版社)の文章をみてみよう。

張作霖の爆殺は、関東軍参謀河本大作がひそかに計画し、部下の軍人たちに実行させたものであった。この事件をきっかけに満州を軍事占領し、新政権をつくらせて満州を日本の支配下に置こうとする意図でであったと思われるが、関東軍首脳部の同意は得られず、それは実現しなかった。関東軍当局は事件を中国国民政府側、すなわち「南方の便衣隊」(国民政府のゲリラ)の仕業と発表したが、田中義一首相は現地からの極秘情報で、日本の軍人が犯人であることを知った。事件の真相は一般国民には知らされず、議会では事件に疑惑を抱いた立憲民主党など野党側が、「満州某重大事件」として田中内閣の責任を追及した。日本の国際信用回復と陸軍部内の規律確立を元老西園寺公望の強い要請もあり、田中首相は軍法会議を開いて真相を究明し、犯人を処罰する決意を示し、その旨を天皇に上奏した。
しかし陸軍大臣をはじめ陸軍当局は軍法会議開催に強く反対し、閣内にも田中の考えに反対する声が強かった。田中は陸軍軍人出身の政治家であったが、現役を退いていたため陸軍内部をおさえることができず、結局、軍法会議は開かれず、真相は明らかにされないまま、警備上に不備があったという理由で、犯人は行政処分に付されたにすぎなかった軍閥。田中首相はそれまでの上層の食い違いを天皇に厳しく叱責され、内閣総辞職に追い込まれた。


ちなみに「つくる会」の(市販本)「新しい歴史教科書」(扶桑社平成2005年版)でも次のように簡単ではあるが、関東軍の犯行を認めている。

昭和初期の満州にはすでに20万人以上の日本人が住んでいた。その保護と関東文州および満鉄を警備するため、1万人の陸軍部隊(関東軍)が駐屯していた。関東軍が、満州の軍閥・張作霖を爆殺するなど満州への支配を強めようとすると、中国人の排日運動もはげしくなり、列車妨害や日本人への迫害などが頻発した。さらに日本にとって、北にはソ連の脅威があり、南からは国民党の力も及んできた。こうした中、関東軍の一部将校は満州を軍事占領して問題を解決する計画を練り始めた。

いずれにしても、張作霖爆殺事件の犯人は日本軍人であったという見方は研究者の間で共有された認識であるとみてよいであろう。しかしながら、田母神氏はその定説に対して大胆にも異論を展開し、事件の真相はソ連共産党工作員(コミンテルン)による犯行であったと力説し、その証拠資料としてあげたのが2005年に刊行された「マオ 誰も知らなかった毛沢東」という書、及び「黄文雄の東亜戦争肯定論」(2007年)と櫻井よしこ編「日本よ『歴史力』を磨け」(2007年)である。ただし、後の黄文雄氏と櫻井よしこの本は先の「マオ 誰も知らなかった毛沢東」の受け売りにすぎないので、事実上は「マオ 誰も知らなかった毛沢東」という本にそう書いてあったということにすぎなかった。

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この本の著者はユン・チュアンとジョン・ハリディの共著で、その中には次のように書かれていたという。

張作霖爆殺は一般的には日本軍が実行したとされているが、ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、実際にはスターリンの命令にもとづいてナウム・エイティンゴン(のちにトロッキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍のしかけにみせかけたものだという。

つまり田母神氏は、このたった3行程度の資料を証拠として歴史学者の定説に対して異論を展開したというわけであるが、この田母神説に対して中西輝政氏が小堀桂一郎氏との共著「歴史の書き換えがはじまったーコミンテルンと昭和史の真相」というブックレットでで次のように援護射撃をしている。

「かつて年配の方々から「日本があの戦争に巻き込まれたのはコミンテルンに引っ掻きまわされたからだ」とよく聞かされたが、その直感は正しかった」

また他にも田母神論文に対して次のような方々の反応が起こった。
「田母神論文は、秦氏や日本の文科省検定の教科書よりははるかに正しい」(渡部昇一氏)
「私は現代史に専門家が存在することを認めていません」(西尾幹二氏)
「(田母神氏の)勉強ぶりにはほとほと感嘆する他にない労作・・・教科書に使うのにうってつけ」(小堀桂一郎氏)

ところがこの「マオ 誰も知らなかった毛沢東」の資料の典拠先を調べると、次のようなことが分かった。内藤産経新聞モスクワ支局長の取材に応じた当の原著者プロホロフ(45歳のフリーの歴史家)が「これまで未公開の秘密文書を根拠としているわけではない」と断ったうえで、関係者の回想録や公開文書などを「総合し分析した」結果、張の爆殺は「ソ連の特務機関が行ったのはほぼ間違いない」と説明した(「正論」2006年4月号)秦郁彦著「陰謀史観」P156-157
つまり件の証拠資料というのは単にロシア人による「総合的な分析」結果というにすぎないものであった。これでは今はやりのテキサスの親父の分析とどう違うのであろうか?

秦郁彦氏によれば、このようなあいまいな資料から陰謀論というものが成り立つものであり、これを反論するためには、定説となった河本大作による張作霖爆殺説の具体的資料と照らし合わせて比較検討するしかないとして、以下の八つの確証をあげている。

1.「昭和天皇独白録」1946年3月から4月にかけ、昭和天皇が松平宮内大臣、寺崎御用掛ら5人の側近へ語った筆記録が寺崎の遺品から発見され、、1991年文藝春秋から刊行された。そのなかに「この事件の首謀者は河本大作である…河本は日本の謀略を全部暴露すると云ったので、軍法会議は取り止めということになった…。え田中内閣は右のような事情で倒れた」とのくだりがある。

2.河本大作の磯谷康介中佐宛て書簡-爆殺の七週間前に当たる1928年4月18日付で、「張作霖の一人や二人ぐらい、野垂れ死にしてもさしつかえないじゃないか。今度という今度は是非ヤルよ。止めてもどーしてもやってみる」と書いている。

3.森克己博士のヒアリング―満州事変秘史の収集を参謀本部から依頼された森克己建国大学教授が1942ねんから44年にかけ関係者三十数名から聴取したなかに河本大作がいた。…そのなかで河本は村岡関東軍司令官の章を汲み、「まず親分たる張作霖を斃して彼らの戦意を挫くより外に途はなしとの結論に到達」して、爆殺計画を練り実行に移した経緯を詳細に語っている。

4.川越守二大尉(のち中将)の回想記―1962年に防衛庁戦史室の依頼で執筆された。河本を補佐して張爆殺の準備に当たったが、その中に「6月2日夜、河本は工兵第20大隊の中尉を同行して満鉄のクロス地点で爆薬を装置」と記述している。

5.尾崎義春少佐(のち中将)の回想録-河本の部下で警備参謀の任にあり、爆破現場を往来した。著書の「陸軍を動かした人々」(1960)に「もしこの爆破が不成功に終われば…私が警急集合中の部隊を率いて襲撃することになっていた…列車が交叉点に達すると東宮大尉はスイッチをいれる。轟然たる大音響とともに張の列車は転覆した」とある。

6.森島守人(奉天領事)-著者の『陰謀・暗殺・暴力』(1950)に「電流のスイッチを押したのが東宮大尉だったこと、陰謀の黒幕が関東軍の高級参謀河本大作だったことは、東宮自身が私に内諾したところ」と記憶している。

7.河本大作の獄中供述書-河本が大原の戦犯管理所における尋問で陳述した記録で、中国語の原文は1988年に刊行され、要点の邦訳は1996年邦訳は97年に刊行された。詳細にわたり他の一次資料とも整合するので、もっとも信頼性が高いと判断されるが、中国共産政権時代の獄中供述という難点がある。

8.桐原貞寿中尉が撮影した一連の写真記録―爆破炎上の現場を挟んで、爆破前から張作霖の葬儀に至る過程を撮影した20数枚の写真。それは一味の神田泰之助注意が張の搭乗車の残骸上に立つコマや、葬儀に出席しているコマをふくむから、これほど裏付けが確かな写真も稀であろう。この写真は桐原(のち藤井と改姓)の遺族から防衛庁戦史室へ寄贈された。


尚、この事件は中国人の便衣隊が犯人であったと偽装工作され、そのうち二名が現場で殺されていたが、彼らがもっていた命令書が日本式漢文であったという「間の抜けた落ち」までついている。

秦郁彦氏もいうとおり、これだけの証拠がそろえば有罪確定となるのは当然であり、12人の陪審員がいれば12人とも有罪判決を下すだろうと述べている。

ところが田母神応援団によると、「(中共の)洗脳工作によって、河本大作は本当に『自分でやった』と信じていたのかもしれぬ」(中西輝政)とか、「先帝陛下までそれ(河本犯行説)を信じられて」(小堀桂一郎)とか、「河本大作や関東軍の上層部が、コミンテルンにそっくり取り込まれたうえで実行した可能性も捨てきれない」(加藤康男)などと、いまだにユン・チュアンの麻酔効果はさめていないようだと皮肉っている。しかし、これは笑い話ではすまない。その麻酔効果とやらは麻原彰晃は無罪であると信じるオウム信者の残党のそれとどこがどう違うのであろうか?京大の名誉教授で安倍総理が信頼するブレーンの一人であり、しかも70年談話作成のための有識者に選ばれている人物がこの程度の人間であるということは、決して他人事として済ますわけにもいかないのである。

田母神俊雄氏や渡部昇一氏や中西輝政氏らが、なぜここまで定説となっている張作霖爆殺事件の真相を歪めてまで根拠のないコミンテルン犯行説に執着するのかというと、この事件から満州事変以後の日本の大陸侵略が始まったということを認めざるを得なくなるからであろう。中西輝政氏によると、悪いのはすべてコミンテルンだったということにしたいわけである。実際、彼の本(によると、ハル・ノートさえもコミンテルンの陰謀であったとされており、トラウトマン和平工作を失敗させ日中戦争を泥沼化させた近衛総理も、実はコミンテルンに操られていたのだとされている。したがって当時の日本の軍部が戦争に突き進んでいったのはすべてコミンテルンの陰謀だったというのである。なぜこういう頭のおかしい人物がいまだに一部で信用されているのか私にはさっぱりわからない。少なくとも70年談話の有識者として不適格な人物であることは明白なのに、誰もそれを明確に指摘もしない。これでは日本人のレベルが周辺の国々から疑われても仕方がないのではないか。

補足;アマゾンを調べていると次のような本があった。加藤康男著「謎解き 張作霖爆殺事件」(2011年PHP新書)。3年ほど前に出版されたという本であるが、案の定、渡部昇一氏と中西輝政氏が仲良く推薦文を送っている。
「本書はいままでの昭和史をすべて書き直させる力がある」渡部昇一氏
「戦後初めて国際的視野をもつ実証主義的昭和史が誕生した!」中西輝政氏

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しかも第20回山本七平賞奨励賞を受賞した作品だという。山本七平氏の名誉を貶めるこのような賞はもういい加減にしてくれといいたくなる。

 本項未定です。3月29日
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