3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

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山本七平の洞察 日本人は感情民族だ

今日は安倍プーチン会談のあきれた北方領土交渉の結末をある意味で予言していた山本七平の言葉を紹介しよう。前にも紹介した「日本はなぜ敗れるのか―敗因21か条」(角川新書)である。

ドイツ人は明確な意図をもち、その意図を達成するための方法論を探求し、その方法論を現実に移して実行する組織を作り上げた。たとえ、その意図が狂気に等しく、方法論は人間ではなく悪魔が発案した思われるもので、その組織は冷酷、無情な機械に等しかったとはいえ、その意図と方法論とそれに基づく組織があったことは否定できない。

一方日本はどうであったか。当時日本を指導していた軍部が本当は何を意図していたのか。その意図はいったい何だったのか。おそらく誰にも分るまい。というのは日華事変の当初から、明確な意図などはどこにも存在していなかった。ただ常に相手に触発されてヒステリックに反応するという「出たとこ勝負」をくりかえしているにすぎなかった。意図がないから、それを達成するための方法論なぞ、はじめからあるはずもない。従ってそれに応ずる組織ももちろんない。そしてある現象があらわれれば、常にそれに触発され、あわてて対応するだけである。従ってすべてが小松氏の憤慨した状況、「戦争に勝つためにぜひ必要だというから、会社を辞めてきてみれば何のことはない」という状態になる。

そしてこのことを非常におおがかりにやったのはバシー海峡であった。ガソリンがないといえば反射的に技術者を送る。相手がそこへ来るといえば、これまた反射的にそこへ兵力をもってゆく。そして沈められれば沈められるだけ、さらに次々と大量に船と兵隊を投入して、「死へのベルトコンベア」に乗せてしまう。

それはまさに機械的な拡大再生産的繰り返しであり、この際、ひるがえって自らの意図を再確認し、新しい方法論を探求し、それに基づく組織を新たに作り直そうとはしない。むしろ逆になり、そういう弱気は許されず、そういうことを言う者は敗北主義者という形になる。従って相手には日本の出方は手に取るようにわかるから、ただ「バシー海峡」をまっていればよいということになってしまう。

この傾向は、日露戦争における旅順の無駄な突撃の繰り返しから、ルバング島の小野田少尉の捜索、また別の方向では毎年毎年繰り返される春闘まで一貫し、戦後の典型的同一例をあげれば60年安保で、これは同一方法、同一方向へとただデモの数をますという繰り返し的拡大にのみ終始し、その極限で一挙に崩壊している。

一方、私が戦った相手、アメリカ軍は常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と、同じ型の突撃を馬鹿の一つ覚えのように機械的に何回も繰り返して自滅したり、同じ方向に無防備に等しいボロ船船団を同じように繰り返し送り出し自ら「大量死へのベルトコンベア」を作るようなことはしなかった。これはベトナム問題の対処の仕方にも表れているだろう。
 あれが日本軍なら50万を送ってダメなら100万を送り、100万を送ってダメなら200万を送る。そして極限まできて自滅するとき「やるだけのことはやった。思い残すことはない」と言うのであろう。

われわれがバシー海峡といった場合、それは単にその海峡で海没した何十万の同胞を思うだけでなく、このバシー海峡を出現させた一つの行き方が否応なく、頭に浮かんでくるのである。

だがしかしわずか30年で、すべての人がこの名を忘れてしまった。なぜであろうか。おそらくそれは、今でも基本的に同じ行き方を続けているため、この問題に触れることを、無意識に避けてきたからであろう。従ってバシー海峡の悲劇はまだ終わっておらず、従って今それを克服しておかなければ、将来別の形で噴出してくるであろう。
(「日本はなぜ敗れるのか―敗因21か条」P64-68抜粋)


このバシー海峡の悲劇については以前にも紹介したので、そちらを参考にしていただきたい。なぜまたこれを再掲したのかというと、この度の安倍外交の歴史的失態について考えるとき、山本七平が「またやったか」といわざるをえないほど同じパターンの失敗を繰り返しているようにしかみえないからである。

安倍総理はこれまでプーチンと16回もあって相当な手ごたえと信頼関係を築き得たと思ったらしい。しかるに北方領土問題は必ず進展するはずだと確信したのだろうが、彼のその思いは一方的な思い込みでしかなかったのである。何度会合を重ねても、そのことに気付かなければ結局バシー海峡の失敗と同じになってしまう。そして最後には「やるだけのことはやったのだから」という空しい言葉だけが残り、敗因については一切語らずに終わってしまう。この繰り返しで日本はあの戦争全体を極限まで遂行していったのであり、その結果、全土が焼け野原になってしまったのである。

先の戦争について山本七平が繰り返しいうのは日本人が自分の感情を充足させるために戦争をしているのだとしか思えないと語っていることである。あの南京攻略戦においても、日本には何の計画も構想もなかった。大中国の首都を落とすことで、数億人の中国人が日本人の強さに簡単に屈服すると考えていたとしか思えないが、仮に期待通りに中国国民党軍が屈服したとしても共産党軍は抵抗するであろう。そしてその戦争は果てしなく続くだろう。物量では日本は中国に勝てるはずがない。これは山本七平が戦後になってそう言っているだけではなく戦う前から関東軍の石原莞爾らが指摘していた。だから中国と本気で戦争をすると大変なことになると言って彼は戦争の拡大を止めさせようとした。確かに当時石原の正論に耳を傾ける者もいたかもしれないが、盧溝橋事件以後、結局、日本は不拡大方針を撤回し、首都南京を陥れるという陸軍総本部の意向に誰も逆らえなかったし、国民もそれを圧倒的に支持したのである。山本七平は「日本人と中国人」(イザヤベンダサン著)次のように書いている。

いわゆる日本における軍国主義復活論に私は一種の不審感をもっている。戦前の日本にはたして軍国主義があったであろうか。少なくとも軍国主義者は、軍事力しか信じないから、彼我の軍事力への冷静な判断と緻密な計算があるはずである。

確かにナチス・ドイツはソビエトの軍事力への判断と計算を誤った。しかし計算を誤ったことは計算がなかったことではない。ある意味ではスターリンもすぐれた軍国主義者であった。「法王は何個師団もっていますか」という彼の言葉は、思想の力を全然信ぜず、軍事力だけを信じていた彼を示している。

日本はどうであったか。中国の軍事力を正確に計算しただろうか。そして正確に計算したつもりで誤算をしたのであろうか。一体、自らが何個師団を動員して、それを何年持ちこたえうると計算していたのであろうか。米英中ソの動員力と、自らの動員力の単純な比較計算すら、やったことがないのではないか。

私が調べたかぎりではこういう計算ははじめから全くないのである。否、南京攻略直後の情勢への見通しすら何一つないのである。否、何のために南京を総攻撃するかという理由すら、だれ一人として明確に意識していないのである。これが軍国主義といえるであろうか。いえない。それは軍国主義以下だともいいうる何か別のものである。恐ろしいものは、実はこの「何か」なのである。

一体これは何なのか。この場合、日本人が口にする言葉は「軍部の横暴」と政府=軍部間の連絡不備である。しかしこれは理由にならない。

確かに大本営は12月1日に南京総攻撃の許可を現地軍に与えていた。しかし許可は命令ではない。さらに12月8日に広田弘毅外相が中国政府による日本の提案の受諾を天皇に奏上している。奏上は当時の日本では最終的決定である。従って連絡不備のはずがない。第一、両者とも東京にあり電話ですぐ話は通ずるはずである。

さらに軍の横暴というのもおかしい。政府が中国による提案受諾とこれに基づく停戦を発表したのに、軍がこれを無視して総攻撃したのなら、これは軍の横暴といいうるし世界もそう解釈するだろう。

しかし日本政府が中国の提案を受け取ってそれを了承しておきながら、総攻撃へと向かう日本軍をそのまま放置しておいたのなら、これは日本政府の中国政府への裏切りであっても、軍部の横暴という言い訳は通らない。これが近衛・広田両氏への責任追及となるわけだが、一体これはどういうことだったのか。

この間の実情を最もよく知っていた近衛・広田両氏は、この問題についてほとんど何も語らず世を去った。また当時の資料、新聞、その他を徹底的に分析しても、この驚くべき事件の真の原因は、何一つ出てこない。一見、原因らしくみえるもの、またこれが原因だと主張しているものも、それを更に調べれば一種の自己弁護か責任の転嫁にすぎない。この分析の経過は余り長くなるから除くが、「提案を受諾しかつ総攻撃を開始せよ」という最も重大でかつ日本の運命を決定した決断を下した者は、実は、どこにもいないという驚くべき事実に逢着するのである。

そしてその内容は、実は「市民感情が条約に優先した」のであった。「市民感情が許さないから、契約は無視された。感情が批准しない条約は無効であった」。従って提案は受諾され総攻撃は開始された。小規模なら、今も同じことが起こっている。そしてこのことを、最も正しく分析したのはおそらく周恩来であった。彼の対日政策は、非常に的確に「まず感情による批准」へと進められてきた。みごとである※。
以上イザヤベンダサン著「日本人と中国人」祥伝社

※ここで周恩来が見事だといっているのは、この著述が出された当時に田中・周恩来会談が行われ、歴史的な日中国交回復が発表された経緯について山本七平が周恩来の洞察力や行動が見事であったと賞賛しているのである。

この山本の文章でも分かる通り、日本人は論理もなく計算もなく、ただ感情に支配されて行動する民族だという事を繰り返し述べており、その出発点ともいうべき南京攻略戦も最後の焼け野原に至る結末も結局は「感情の充足の為」に他ならなかったというわけである。この分析は非常に恐ろしいが日本人の本質を突いた言葉であるといわざるをえないであろう。

たとえば現在の北朝鮮の横暴をみていて日本人は不安になるけれども、おそらく彼らはかつての日本人ほど非理性的ではないはずである。北朝鮮は軍事力を誇示し続けているが、彼らはちゃんと自らの弱さもしっており軍事行動の限界も計算に入れている。だから彼らは軍事力を具体的に行使せずに外交的な成果を得ること、すなわち俗にいう瀬戸際外交をこれまで一貫してやってきた。

日本はそういった計算すらまったくたてずに闇雲に軍事力を行使し続けた。これは明治の日清戦争以来の連勝気分がそうさせたのであろうが、日本は神国だから負けるはずはないと一億国民に思い込ませたその狂気は世界の歴史上でも極めて珍しい。

私はこの山本七平の「日本人は感情民族だ」という決めつけに深く同意せざるを得ない。感情民族という言葉はおそらくもっとも痛烈な罵倒語であるが、山本ファンでさえその言葉の真意を十分に測りかねているのではないだろうか?

これに関してはまた機会があれば、書いてみたいと思っている。

本項未定です(12月18日)



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