3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

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山本七平対本多勝一 百人斬り論争の見方

「南京虐殺が行われていた当時、私はまだ幼児でした。おっしゃるように、たしかに一般人民としての幼児の私には、この罪悪に対して直接の責任はありません。本質的には、中国の民衆と同じく、日本の民衆も被害者だった。ですから私は、同じ日本人の罪悪であっても、私自身が皆さんに謝罪しようとは思いません。」(以上は本多勝一氏の言葉)

ここでまず教会闘争の人々およびブラント氏の「自明」からはじめましょう。両者の背後には聖書の世界の「贖罪」という伝統的考え方があります。これは本多様の謝罪とはまったく意味が違う考え方です。この贖罪という思想は非常に古く、おそらくは旧約聖書の最古の資料にまでさかのぼりますが、これを一つの思想として明確にしたのは第二イザヤでしょう。ヘブル思想の最高峰といわれる彼の思想、ヘブル文学の精華といわれるその詩、特に「苦難の僕」は、さまざまな面で聖書の民に決定的な影響を与えており、簡単には要約できませんが、その中の特徴的な考え方の一つは「他人の責任を負うことができる」という考え方です。

一見、奇妙な考え方と思われるかもしれません。しかし、この罪責を栄誉と置き換えてみれば、人はみな当然のことのように他人(先人も含めて)の栄誉を担い、本多様とて例外ではないことはお気づきでしょう。本多様は砂漠にただひとり自生されたわけではありますまい。二十世紀の日本という社会に生まれ、何の権利もないのに、その社会の恵沢と栄誉を、当然のこととして負うておられます。従って本多様が「幼児であったから」「責任がない」といわれるなら、日本の伝統的文化、それにつづく現代社会の恵沢と栄誉を受ける資格も放棄されたことになります。責任を拒否した者に権利はありますまい。人間は生まれる場所も生まれる時も選ぶことができない故に歴史に対して責任がある、と考えるとき初めて人間は「人間」になるのであって、「おれは生まれた場所も時も自分で選んだのではないから責任はない」といえば、これは獣に等しいはずですが、そう考えうること自体が実は恵沢を受けている証拠なのですから、この態度は栄誉と恵沢は当然のこととして受けるが、罪責を負うことは拒否する」ということになります。

少なくとも聖書の世界では、これを最も恥ずべき態度と考えますので、ブラント氏がもしワルシャワで本多式のあいさつをしたら、すべての人が彼に背を向けたでしょう。なぜならこれは「財産は相続するが負債はおれには関係がない。なぜならその借金は、おのれの幼児のときのもので、当時何も知らなかったからだ」というに等しいからです。ブラント氏がドイツ人であるならば、その伝統という遺産とともに罪悪という負債をも継承するのが当然であり、またドイツ人を同胞すなわち兄弟と呼ぶなら、同胞の罪責は負うことができるし、負うのが当然(自明)のことだからであります。

罪なき者が他人の罪を負って砕かれる。この時はじめて、負った人は負わせた人々を同胞と呼びうる。すでに他人ではない。従って同胞としてその罪を糾弾する権利があると同時に、その罪科で苦しめられた人々に謝罪する権利も生ずる。そしてそれをすることによって和解が成立する・・・。(「日本教について」P224-226)


これは以前、当ブログ「本多vsベンダサンの「百人斬り論争」が提起したもの」の中でも引用した山本七平の言葉だ。ここでわざわざ再掲した理由は、最近、ネットである方から清水潔著「南京事件を調査せよ」へのアマゾンレビュー欄の私の投稿に対して次のような質問を浴びせられたからである。

従軍慰安婦と同じ匂いがします。それはさて置き、人類の歴史は規模は違えども侵略の歴史です。崇拝する山本氏の論理では、ほとんど全ての人類が負の遺産を未来永劫負わなければなりませんね。

尚、この質問に対して私は次のように答えた。
未来永劫はないと思います。法的な意味ではない時効はあるでしょう。たとえば2000年前のローマが侵略した行為については歴史の時効が終わっているかもしれませんね。しかしアメリカ人にとっての黒人やインディアン、オーストラリア人にとってのアボリジニ、イギリス人にとってのインド人などの近代以降の侵略や差別問題は今現在でも彼らにとって大きな負債になっており強い贖罪意識が残っています。ドイツ人にとってのユダヤ人はなおさらですね。

この点、日本人だけがあまりにも自分たちが犯した罪に対して無頓着すぎると世界はみているでしょうね。従軍慰安婦の問題でも安倍首相をはじめ為政者やマスコミのトップにいたるまで贖罪意識が欠落しているのは、彼らからみると驚くべき民族だと思われるでしょうね。(但し、なぜだかこの返信後、彼自身の質問が消去されていた。)


確かにこのような批判は一理あるようにみえるが、この誰にも答えにくい理屈が最近流行のネットウヨが展開する自虐史観批判のお決まりのパターンになるのも無理はない。この理屈に対しては当代一流の良識派ジャーナリスト・本多勝一ともあろう方が、上述の通り嵌り込んでいたわけであるから、この理屈には確かに説得力があるのであろう。

但し、本多勝一の名誉のために付け加えておくと彼はもちろん日本人が犯した南京虐殺の罪を認めなかったわけではなく、むしろその正反対に、彼ほど南京虐殺の加害者であった日本軍人の罪を糾弾した人物もいなかっただろう。なのに、なぜ彼は自分自身もその罪を背負っているという事実に対しては鈍感だったのか?

これはおそらく彼が毛沢東主義の信奉者だったという事と無縁ではないと思う。この本多・山本論争が行われた当時、田中・周恩来会談によって日中平和友好条約が結ばれた頃のことであった。この会談が日本人に与えた衝撃は相当なものであったと思われる。その衝撃の最大のものは周恩来がかつての大日本帝国の中国侵略の責任を一部軍閥の責任にのみ認め、それ以外の日本人には責任がないと断言したことにあった。おまけに中国は日本の侵略戦争の謝罪も求めず賠償も要求しなかった。これによって戦争に係わった日本人の多くが周恩来の言葉に心動かされ慰められたのは当然であった。

但し、本多勝一は戦前生まれとはいっても戦争に係わったわけではないので、彼以前の贖罪観の思いとはまた違ったものであっただろう。70年代初頭の頃はまだ共産主義神話が多くのインテリ層に信じられていた時代であった。過激な全共闘運動は終焉したが共産主義の理想はまだそれなりの説得力をもっていた。本多氏もまた共産主義シンパであり、特に毛沢東主義を信じていた。だからこそ本多勝一にとっては毛沢東の盟友周恩来が語った「軍閥以外に責任なし」という言葉はそのまま素朴に信じられたのであろう。

しかし山本七平は当時の左翼でさえ忘れ果てていた戦争責任の問題を決して忘れてはいなかったし、それを仮に中国に許すといわれても、そのありがたい言葉をそのまま信じられるほど日本が犯した罪が軽いものであったとは信じられなかったのだろう。

私も当時は左翼学生で60年代後半は全共闘運動にも共感していた者であるが、70年代になって急に空気が変わり、ユダヤ人のイザヤ・ベンダサンという謎の人物の書いた「日本人とユダヤ人」いう本が空前の売れ行きを記録しているのを知って、当時どういう心理状態だったのか今となっては思い出せないが、なんとなく気になって読んでしまった。但し、それで山本七平の世界観にすっかりとりこになったというわけではないが、後々になってこの時の読書が糧になっていたのは確かだ。

この時、なぜイザヤ・ベンダサンと本多勝一の百人斬り論争になったのかというと、ベンダサンが本多氏の百人斬りの記述の不自然さを何かの書に書いていたことに、本多氏が驚き、月刊「諸君」誌上において本多氏側から論争を挑んだのが始まりである。但し、この論争の勝者がどちらかというのは難しい。

南京事件において百人斬りが本当にあったかなかったかという事について真相は明らかになっていないが、以前にも書いたようにベンダサン即ち山本七平氏が拘ったのは日本刀の切れ味がそれを可能にするほど鋭利な武器ではなかったという彼自身の体験から来る知識であった。但し、山本七平が迂闊だった点があるとすれば、南京進軍前に東京日日新聞(旧毎日新聞)に発表された二人の将校(野田、向井)の百人斬り競争の記事を山本自身が把握していなかった可能性があることだ。

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この記事自体は要するに読者に興味をそそるための武勇伝にすぎないのだが、決して記者の捏造ではなく現場の将校が従軍記者に対して自慢げに語った話であるが、山本はその記事の存在自体を知らなかったふしがあるのだ。

二人の将校はこの東京日日新聞に発表された武勇伝を虐殺行為の証拠とされ、戦後になって中国国民党軍の戦犯裁判に連行され死刑を言い渡されたが、当人たちは実際には百人斬りは行っていないし、またそのようなことを行う状況はなかったと陳述書を書き残している。確かに南京進軍途中で彼らが百人斬り競争を行うほど頻繁に武力衝突があったというのは不自然であり、現実は中国軍は敗走することに必死であったから日本軍が南京に辿り着くまでは両軍の戦闘行為はなかったはずだ。これは鈴木明著「南京大虐殺のまぼろし」の中でもかなり克明に記されているので、私もそのような状況だったのだろうと想像する。

最近清水潔著「南京事件を調査せよ」にも書かれている通り、南京進軍途上で日本軍と中国軍の衝突はなかったが、日本軍を好意的に迎えた村人たちが、その日本軍によって虐殺されたという証言もあるので、必ずしも南京進軍途上で何も起こらなかったと考えるのは無理だろう。

但し、南京虐殺とは日本軍と中国軍との武力衝突によってもたらされたのではなく、むしろ逆に中国軍が無抵抗の中で行われた虐殺行為が問題とされているのであって、そもそも東京日日新聞の武勇伝にあるような戦闘状況は初めから存在しなかったのである。日本軍は自らが提案したトラウトマン和平交渉を破棄して首都南京を攻略するために南京へ進軍していった。その無謀さは山本七平が「狂人太鼓のおどり」と評したように侵略以外の何物でもなかった。したがって問題はその過程で百人斬りが行われたかどうかという矮小な事実ではない。そのような想像をはるかに超える悪質な暴虐が行われたことを問題にしなければならないはずである。

補足:南京事件については最近発表された清水潔著「南京事件を調査せよ」においても新たな論点が発掘されており、これについては、現在読書中の鈴木明著「南京大虐殺のまぼろし」という問題の書(?)も含めて、あらためて考察したいと思っております。

本項未定です。11月6日記

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