3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

日本人の変節について

映画「少年H」の主人公は戦前の神戸の下町で洋服屋を営んでいたクリスチャンの両親の息子という設定である。クリスチャンであるために戦争には賛成できない一家であった。おまけに洋服屋という生業のために敵国のスパイではないかというあらぬ嫌疑をかけられたりする。少年Hは学校でもスパイだとか売国奴とかいわれていじめられるようになる。しかしそれでも少年Hは親から「この戦争はおかしい」といわれていたので軍国教育をする先生やいじめっ子の方が間違っているのだと信じ続ける。戦争が終わった後、少年は自分の信念が正しかったことが分かり救われた思いがするが、同時にあらぬ光景を目にすることになる。小学校の軍国教師が共産主義者に変わって、いままでとはまったく正反対の事を言い出しているのを知ったからである。

「変節」といわれても何の事かピンとこない人が多いだろう。しかし戦前から戦後にかけて変節はほとんどの日本人にとって無関係とはいえないほど深刻な生き方の変更であった。通常、変節というのは思想や生き方を安易に変える人のことを意味しているが、戦争中は誰もが鬼畜米英とか一億玉砕という言葉を信じて生きてきたのに、昭和20年8月15日の天皇の玉音放送で日本人は誰もが生き方の変更をせざるをえなくなった。かつて戦争に反対していた多くの共産党員やアカ呼ばわりされたクリスチャンも牢獄から釈放されて出てくる。彼らにとってアメリカの占領軍はまさに解放軍であった。その結果、戦後は少年Hの軍国教師のように右翼から左翼に転向する人々が実際数多くいたのである。かつての軍国主義者は一時的に公職追放によって社会から一掃され、政治家も自由主義者や社会党員、共産党員が主流になっていった。

しかしながら戦後すぐに国共内戦及び朝鮮戦争がはじまり、米ソ冷戦時代に移行した。そのために共産主義者は再び弾圧対象となり(いわゆるレッドパージ)、公職追放されていた多くの戦争協力者や戦犯容疑者が日本の中枢に戻ってくることになった。安倍総理の祖父岸信介や鳩山由紀夫の祖父鳩山一郎もその一人である。日本の官僚機構は公職追放になった者も多いが、戦前からあった組織と人脈がそのまま残り、戦後の政治を指導し続けていった。彼らにとっては鬼畜米英という戦前の思想はいとも簡単に捨てられ親米傀儡政権を支える機構に生まれ変わった。

このあたりは日本とドイツの大きな違いであろう。ドイツではナチス党員は当然のこと、明らかな戦争協力者は公職につくことができなかった。ドイツ国民はヒトラーに協力した戦争協力者はその生涯にわたって自国民から責任を追及された。ところが日本ではほとんどの国民が戦争協力者でもあったために、いわゆる戦勝国の裁判である東京裁判やBC級裁判で戦犯とされた者以外は、一般国民から責任を問われることもなく、政治家や官僚として生き続けた。そのために彼らが選んだ生き方こそが「日本型変節」という生き方であった。

思えば世界の中で、戦前から戦後に生きた日本人ほど「変節」を旨として生きてきた民族もないであろう。日本人にとって「変節」とは一つのやむをえざる生き方であり、それは自己保身のための知恵でもあった。いずれにしても戦後の日本は米国の庇護の下で生きざるを得なくなったのであり、いわゆる戦後レジームといわれる体制の中で順応して生きてゆかざるをえなくなったのである。

この議論を進める前に「変節」と「転向」あるいは「回心」といわれる出来事は本質的に異なっている事に注意しておかなければならない。通常、180度異なった思想に自主的に変わることは「転向」といわれ、また自己の罪を認めて生き方を改めることを「回心」などと呼ぶ。たとえばオウム信者の中で他の宗教や思想に転向した者やあるいは自分の罪を認めて回心した者もいる。しかし同時に転向でも回心でもなく、ただ変節したとしかいいようがない者もいるであろう。この場合、「変節」というのは周囲の人間を騙す目的であったり、あるいは自分の従来の信念に対して何の反省もなく生き方を安易に変更しているような人を指す。このような意味で戦後の日本には転向者や回心者もいたが、そのいずれでもない変節者も数限りなく存在していたのである。

私自身は戦後生まれなので、このような現象について深刻に考えたことはなかったが、最近になって、そういえば我々の時代の教師や知識人、政治家などの多くが転向者か回心者または変節者のいずれかに属していたのであろうと思うと慄然とするものがある。これは私自身の父親に関してもそうなのである。実は私の父親はただの商売人でありながら戦後のレッドパージの嵐の中で著名な共産党員の伊藤律に間違われて逮捕された経験を持っている。確かに人相が伊藤律と似ていないこともないのだが、逮捕というからにはなんらかの具体的容疑があったのかと思いきや、そんなことは想像もできないごく普通の商売人であった。もちろん父親から元共産党員のにおいを少しでも感じたことはない。

小中高時代の教師の中にも明らかに元軍国教師のような体罰式教育をする教師が何人もいたが、かといって彼らから戦前のにおいを感じたことはなかった。大学に入ると、当時は全共闘の全盛時代であったので左翼的な教授が多くいたと思うが、だからといって彼らも戦前は軍国少年だったのだということを想像したこともなかった。そういえば我々の学生時代に反代々木系の学生にもてはやされていた吉本隆明は少年時代軍国少年であったが、戦後になって左翼運動に走り後に反代々木系へ転向したという、華々しい転向歴をもつ人物であった。彼の本は何冊か読んだが、当時は訳も分からず、ただ吉本がいうところの「転向」現象にむしろあこがれさえ感じたことがある。吉本隆明は後に親鸞などの研究でも知られるようになり、左翼思想家から詩人、哲学者又は宗教家のようにみえるほど変貌していった。にもかかわらず、いまでは押しも押されもせぬ日本を代表する思想家の一人とみなされているのは、「転向」という現象を肯定的に捉える者も多くいるからであろう。

一方、70年代の初めに謎のユダヤ人イザヤ・ベンダサンというペンネームでたちまち有名になった山本七平は吉本隆明と対極にあるような存在である。山本七平は吉本よりも年長であり、戦前は軍国少年どころか学徒動員で徴兵された立派な軍人であった。彼はフィリッピンの戦争に砲兵隊の少尉として派遣されるが、そこでみたものはまさに生き地獄のような世界であった。しかし彼は決して吉本のような軍国主義を信じる青年ではなかった。彼は元々クリスチャンであり、当然ながら反戦主義者であったが、やむなく徴兵で戦地へ行かざるをえなかったのである。彼は少年Hの父親と同じようにクリスチャンとして戦争そのものには反対しながらも、それに巻き込まれる運命であることを客観的にみつめながら生きてきた人間である。だから山本七平は少年Hと同様、戦後の人々の転向や変節が異常にみえてしかたなかった。山本の眼には日本人の変わりように一貫性がなく、それはただ時代の空気に支配されているにすぎない根なし草的なものを感じたのであろう。

山本七平は戦後左翼の欺瞞性に早くから気づいていた。なぜなら彼らの多くが吉本と同じように戦前は軍国主義者であったことを知っているからである。その根なし草的な変節こそが戦前の軍国化とおなじではないかと見抜いていたのである。つまり、かつての日本にもあった民主主義を守ろうともせずに一夜にして軍国主義化していった亡霊を、彼は戦後左翼にも同一視してみていたのである。なぜなら戦前の多くの知識人が軍国主義の流れに抗することもなく、自ら変節していったことをみているからである。

一部の戦後保守派はこの山本七平の戦後批判を歓迎して、彼を新しい保守論壇の寵児に祭りあげようとしたが、それも誤解に基づくものである。山本七平の後からやってきた中途半端に戦争経験のある世代の人間は吉本隆明のように、軍国少年として生きた戦前を多少は知ってはいるが、それ以前の日本人の変節ぶりについては何も知らない人が多い。だから彼らは戦後の日本人の全体的変節を例外的な国辱的出来事とみなす傾向がある。このような見方に拍車をかけたのが日本共産党から転向した藤岡信勝や山本七平を誤解し続けた渡部昇一らである。彼らの目には戦後の日本人の変わりようしか映っていない。その変わり方があまりにも激しく異常であったために、その変化自体を否定しようとする新しい考え方が生まれたのである。

それこそ藤岡信勝が唱えた「戦後教育は自虐史観だ」という断定的見方である。彼らによれば戦前の日本は決して悪かったわけではなく、むしろ戦後の方が悪くなったのだというのである。だから日本人が戦後になって変節したこと自体が逆に間違っていたという認識になる。これは皮相な見方である。そもそも変節という現象が誉められたことではなく、一人の人間としても、また一民族としても恥ずかしい経験である。だから変節すべきではなかったというわけだが、そこには変節を生じさせた原因やまたその歴史的経緯が省略されている。

少なくとも満州事変以降に遡ってみれば、急激な軍国主義化を受け入れ、それに積極的に賛同し参加していった日本人は、オウムの信徒と同じように狂気と常識の区別ができないほど集団的な催眠状態にあったのだといわねばならない。その集団催眠状態から脱した時に多くの日本人が正気に戻ったのだとすれば、そのこと自体は決して悪いことではない。問題とすべきは、なぜ日本人はそのように安易に集団催眠状態になってしまうのかという事である。つまり日本人はなぜ、わけの分からない時代の空気に支配されてしまうのかという問題なのである。

山本七平の問題意識はその問いから生まれている。そもそもなぜ日本人は簡単に変節するのかという大問題があるのである。その答えとして山本が見出したのは、日本教というきわめて曖昧な宗教的背景があるらしいということであった。その教えの核にはもちろん天皇が存在する。しかしこれは人為的に作られた幻影にすぎない。この意味では吉本隆明の共同幻想論にも共通するテーマであるが、山本の場合はそれを具体的に追及している。その試みが「現人神の創作者たち」という山本七平最大の労作に現れている。これについてはまた機会があれば紹介したいと思うが、いずれにしても山本七平がみていた戦後日本人の変節という現象は決して一回限りの特異例であったわけではなく、いつの時代にも起こりうる日本人の普遍的現象としてみているということである。

たとえば江戸時代から明治時代にかけて、日本人は同じような経験をしている。攘夷を叫んでいた人々が政権を握ると、あっという間に開港論者に転換した。彼らは日本の長年の文化を捨て去ることも厭わなかった。ちょんまげを切り、羽織はかまという衣裳も捨て、ネクタイまでつけて洋式の背広に着替えた。その変節ぶりに驚いたのが、長年の付き合いで日本のサムライ文化を知り尽くしていた韓国の人々である。

明治政府は政権発足後すぐに朝鮮王朝に王政復古によって体制が変わったことを通告し、あらたに国交を樹立したいという旨の文書を渡した。ところが朝鮮王朝の人々はあまりにも日本の変わりように驚いたのである。ちょんまげを切り落とし洋服を着て現れただけではなく、国交樹立の儀式も洋装でやりたいということを言ってきた。朝鮮の人々は洋装に対して違和感があるので、そのような儀式をやることを断った。なぜなら当時の朝鮮はまだ鎖国状態が続いていたのである。もちろん断った理由はそれだけではない。渡された文書をみると「皇」とか「勅」という言葉があった。これは当時の朝鮮の宗主国であった清国のみが使うことを許される言葉なので、日本の国交樹立の申し出には侵略的な意図があるのではないかと邪推したのである。

これに対して猛然と怒り狂ったのが維新政府であった。一挙に韓国を征伐すべしという征韓論が高まる。しかし後の時代に、この征韓論の主唱者とされた西郷隆盛は日本政府が洋装で儀式をやることにこだわっていることに反対し自分が伝統の羽織袴で刀ももたずに使節として行きたいと申し出たが、この申し出が主流派の岩倉や木戸の反対に会い、西郷はこれを不服として下野することになる。このあたりの詳しい経緯は謎に包まれているが、
岩倉や木戸は維新の革命後に西洋に渡り、すっかり西洋ナイズされて帰ってきてから、西郷達との確執が始まるところをみると、案外とそういった伝統的衣装の問題も大きな比重を占めたのかもしれない。岩倉や木戸は西洋へ渡り、ちょんまげも羽織袴も時代遅れで恰好も悪いと思ったのであろう。しかし西郷らは西洋風の衣裳を身につけている彼らの変節ぶりに違和感をもったのではないかと推察される。

話は変わるが、最近の世相の中でこれは面白いなと思ったのはハロウィーンという新たな若者文化である。これもきわめて日本的な現象である。もちろんハロウィーンそのものは元々近代西洋のキリスト教の中から生じた年中行事である。これをキリスト教とは何の関係もない日本人の若者が自己流の遊びとして取り入れたら、これが大流行することになる。このへんてこな現象が逆に欧米の人々に関心がもたれるという逆文化交流のような事態になっている。

日本文化というのはとにかく奇妙な文化である。元をただせばすべては外国の物まねであるが、これをただの物まねで終わらせずに日本式にアレンジする能力の高さが確かに驚くべきものがある。平仮名や片仮名の発明もそうであるし、すきやきにしゃぶしゃぶ、天ぷらにケーキやサンドウイッチ類、果ては中華そばやカップヌードルなどのアレンジ力も世界を驚かせるほどだ。日本人は創意工夫に長けていることは間違いないだろう。スポーツでも元々は中国由来の武術から柔道や空手などの新たなスポーツが生まれた。仏教にしても中国由来であったが、日本独特の浄土宗や浄土真宗さらには日蓮宗や禅宗まで生まれた。

このような創意工夫が得意なのは日本が元々根なし草的な社会であり、社会の核になるものがないからではないかと考えられる。つまり西洋文化の背骨になっているキリスト教のように絶対的な権威となるものが存在せず、神という存在も日本では絶対神ではなく、人間関係の延長として存在するだけである。神を知らない日本人にはそもそも西洋人にあるような罪意識というものがなく、その意味では自由かつ天真爛漫である。

戦後の日本人論のきっかけになったルース・ベネディクト著「菊と刀」というベストセラーとなった書物がある。これによると日本人には罪意識の代わりに「恥」という感覚を身につけているというのである。この「恥」という感覚は人間関係の中で生じるものなので、周囲に人間がいないときにそれは消失する。ところが西洋人の場合には周囲に人間がいてもいなくても常に自分をみつめている「良心」という神の存在を信じるので、「恥」の意識ではなく、「罪」の意識がつきまとう。

日本人は常に対人関係の中で物事を判断する社会である。だから宗教的普遍的な基準よりもその場の空気が優先される。その場の空気あるいはその時代の空気がそのような空気になれば、日本人は誰もがその空気に従う事を当然だと考えるようになる。その空気に従わない人間は「非国民」とされ、「彼はアカだ」とか「彼はカルト信者だ」とかいわれるようになる。だから日本人は満州の頃に突然起こった軍国化の流れを誰もが当然のごとくみなしたのである。その行為が世界中から非難されているという事には何の関心もなく、ただ世間の人々が正しいと思う事は必ず正しいという空気によって自分の判断をその空気に従えさせる。

日本という社会は常にそのような社会であった。だから戦後民主主義というのも、気圧の関係で冷気が暖気に変わったのと同じように肌感覚でその変化を感じているだけなのである。みんなが民主主義がいいといってるのだから、その空気に従うのが当然なのだ。全体主義の時はその空気に従い、民主主義になればその空気の中で生きる。このような生き方の自動的変更は明らかに「転向」ではなく「変節」でしかない。なぜなら彼らは自分の中で良心の呵責も煩悶も、何が正しいのかとか何を信ずべきなのかとか、そのような主体的意識ははじめからどこにもないからだ。ただ自分を周囲にあわせているだけなのだ。

日本人は対人関係を常に意識し自分の意識を他者の意識に近づけることを無意識に選択しながら、自分でも気づかないうちに自分自身を変えてゆく。その方向性はそのときどきの政権や世の中の風潮によって変わってくるのである。世の中のムードが右方向になるとそちらの方が当然なのだと思い込むようになり、気がつくと日本という社会は世界の中でもとんでもない非常識がまかり通る社会になっている。その現れが従軍慰安婦は捏造だとか、南京虐殺も捏造だとか、韓国併合は何の問題もなかったとか、先の戦争は自衛戦争であったとか、そういったトンデモ史観を真に受ける人々が、いつのまにか異常繁殖するようになり、それはおかしいというと「売国奴」とか「彼は左翼だ」とか、平気でいう人々が多くなった。

たとえば大阪の読売テレビで毎日曜日に放映される「そこまで言って委員会」という番組では、「左翼」という言葉が最近では相手を罵倒するための常套語として使われている。というのも番組のパネラーといわれる人々はほとんど全員が右寄りの自称他称の評論家で占められているために、放送法の公平中立基準を逸脱しているのではないかと指摘されることがあり、一部の左翼風評論家のパネラーの席も用意されていたのだが、その席は用意されているだけで番組プロデューサーが電話で交渉しても誰もきてくれないので、やむなく考えたのが「ひだりつばさ君」というゆるキャラなのである。で、このひだりつばさ君に左翼の人だったらどう考えるかということを代弁してもらって、他のパネラーにそれはおかしいと断罪させる。番組としてもなんとか中立公平性を保つ努力をしているという言い訳にしているわけである。このような極めて不真面目な偏向番組作りをしていながら、BPOで問題にされることはない。これではBPO自体が偏向しているといわれても仕方があるまい。

日本人は常に対人関係を意識する習性があるので、外国人が日本をどう評価しているかということに過敏になる。だから最近のテレビでは日本が海外でどう評価されているかという番組が盛んになってきた。ただし、テレビで紹介されるのは必ずプラスの評価でなければならない。でなければ、誰もみようともしないので視聴率も上がらないからだ。畢竟、テレビ番組は日本礼賛の番組で溢れかえることになる。これを視聴者が批判的にみるならまだいいが、多くの視聴者は無邪気にも日本人は世界で愛されているのだという虚構を信じ込む。但し、それだけならまだいい。その結果として日本が世界で愛されていないという事実については目を塞ぎ、そんなことはありえないと信じ込むようになる。

韓国人が海外で慰安婦像を設置するということを聞くと、「そんな日本人を辱めるようなことをしやがって」という逆さ感情になる、実際に辱められたのは日本人ではなく韓国人なのにそのような歴史事実があることには一片の想像力も働かない。事実は日本政府及び日本軍が先の戦争の最中に従軍慰安婦という制度を作り、これを民間の業者に委託して運営させた。民間の業者の中にはもちろん当時の日本に併合された韓国人もたくさんいた。そのような事実があるからといって、韓国人の業者と韓国の慰安婦が結託して日本の兵士から売春行為をして金を巻き上げていたというわけではない。

彼らに売春行為をするように指令していたのはあくまでも日本軍であり日本政府である。その帝国主義構造の中で業者と慰安婦が集められ利用された。慰安婦にも兵士たちが金を払っていたといっても軍票という戦場の中でしか使えないただの紙切れのようなものである。韓国人の親が娘を売って家を建てたケースもあるからといって、そんなことで人身売買が正当化できるものではない。それこそ奴隷の売買と同じなのだ。

それに韓国のケースは民間の業者が間にあったから、まだ手荒なことは少なかったかもしれないが、中国やフィリッピン、インドネシアなどではそれこそ人さらいのようなことが日常的に行われていた。そのような事実もなかったなどと否定する日本人が多いが、安倍政権はそれを公式にも否定しようとしている政権だ。世界から見ると日本政府は加害者であるにもかかわらず、被害者面をする許せない偽善者達だと思われても仕方がないだろう。

先頃、ユネスコの世界記憶遺産で中国が南京虐殺事件を登録することを申請し、これをユネスコの委員会が認めた。その決定の経緯が不透明であるという理由で日本政府は拠出金の停止という金銭をちらつかせて抗議している。南京虐殺事件については日本政府も最低二万人から最大二十万人の非戦闘員に対する虐殺があったという事実を認めている。ただし、中国側は従来の三十万人以上の虐殺があったという公式見解をユネスコに申請し、これが受け入れられるかたちになった。この中国側があげる数字があまりにも膨大であり、誇張があると日本政府は言いたいらしい。では、その日本政府も認める最大二十万人の根拠とは何なのか?仮にその根拠があるとして三十万人ではないという確かな根拠はあるのだろうか?

南京虐殺の虐殺数については東京裁判の中で二十万人以上という数字が確定している。これは日本政府の見解とも食い違っている。では日本政府は東京裁判で発表された数字も捏造だと断言できるのか?確かに東京裁判そのものが捏造裁判だと言う自民党関係者が多いので、彼らからするとそれを認められないというのも当然なのかもしれないが、果たして彼らは東京裁判で認定された数字の根拠を知っているのだろうか?

東京裁判の根拠になっているのは、主に紅卍会と崇善会という二つの宗教団体の埋葬記録による統計的な数値である。紅卍会は主に1937年12月から翌年の9月ぐらいまでに南京城内と城外に放置されていた遺体の埋葬をしており、その数は約42000体であると報告されている。この紅卍会の活動は当時の南京占領軍(日本軍)にも認められていた活動であり、その報告については多くの日本の研究者にも認められている。一方、崇善会の報告では約110000体の遺体を埋葬したと報告されているが、この数については日本の研究者は疑問視する人が多い。

この両方の埋葬数を足し算すると約十五万人になるが、そのほかに発見されなかった遺体と揚子江に流されたと考えられる遺体の数をあわせると推定二十万人以上という数字がでてくるのである。

中国側がだしている三十万人の数字にはこの他にも南京郊外の農村部での虐殺も多くあったという推定によって東京裁判の数よりも多くなった。そもそもこの数字は中国共産党ではなく、実際に日本軍と戦った中国国民党軍の軍事法廷によって認められた数字であることを認識する必要がある。だからこれは共産党が勝手に捏造した数字ではない。

この数字に対して日本政府がいまさらのように異議を申し立てるのは、戦後の軍事法廷そのものを否定するのと同じ事になる。これはニュールンベルグ裁判で認められたナチの犯罪をドイツ政府が否定することに等しい。その否定のためには相応の根拠がいるはずだが、日本側はそれだけの証拠があるのだろうか。日本がしようとしていることは戦後の軍事裁判に対する不服申し立てに他ならないのである。

ちなみにごく最近日本テレビで南京虐殺を検証した番組があった。この番組では南京城外の戦闘で投降した捕虜約15000人が揚子江沿岸で数回にわたり機関銃で虐殺され、その後、死体の山の上に乗って銃剣で刺していったという残虐な日本兵士の日誌の一次資料が検証されている。この事件については、従来、捕虜は解放する予定であったが、暴動を起こしたために機関銃を使ったというようなまぼろし派の解釈があったが、そのような説は作り話にすぎないということが分かる。私が読んだ秦郁彦の初版版「南京事件」でも、この事件に類する話は紹介されていたが、捕虜が全員虐殺されたとまでは断定していなかった。

この事件の検証によっていえるのは、虐殺数四万人説の秦郁彦の推定にも含まれていなかっただけではなく、その他の中国軍捕虜もほぼ全員処刑されたという説に信ぴょう性がでてくることになる。しかもその遺体は揚子江に流された形跡があるので、紅卍会などの埋葬数にも含まれていない+αの虐殺になる。このよう揚子江に流された15万(又は4万二千)+αの虐殺がどれだけあったのかということが、虐殺数の問題にとってこれからの重要な課題になるだろう。

日テレ南京虐殺検証番組

結論:日本人の変節問題については当ブログでは到底書ききれないテーマである。只、私が結論として言いたいのは日本人が他者の評価を気にするあまり、人間としてのもって生まれた良心をどこかへ置き忘れてしまうという事がしばしば起こりうるという懸念である。最近の嫌韓・反中の風潮をみていると、日本人が過去にひどい加害者であったという事実を忘れ果て、まるで自分の方こそ被害者であったかのように錯覚しているとしか考えられないのである。これは世界から見ると明らかにおかしいと思われるだろう。日本人はそんなに特別な人種なのか?過去の植民地主義や人種差別を反省することは当然であると考えている欧米の人々にとって、日本人だけがそんなに立派な人種であったという事は到底信じられないであろう。


本項未定 11月8日

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