3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

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「安倍総理はレイシストか?」又は「日本と名の付かないもの」に対する冷淡さ

1週間前にツイッターである方と丸半日つぶして論争をした。私が「安倍総理はレイシストだというのが世界のジャーナリストの評価として定着している」と書くと、「どこに安倍総理がレイシストだと断定した記事があるのか、そのソースを示せ」と突かれた。そこで私は前々回の改造内閣の際に高市氏や稲田氏、山谷氏等、女性閣僚が在特会やネオナチグループと一緒に撮った写真が欧州の新聞に一斉に報じられた事実を紹介したが、彼はその記事には満足せず、繰り返し「安倍総理がレイシストであると断定した記事を示せ」と応酬して来る。仕方なく、さまざまな英語の記事を検索して紹介したが、それでも彼は満足しない。どうもスレ違いがあるようだと思い、念のために彼に対して次のように答えた。

「ちなみに私は海外の新聞社が安倍総理をレイシストだと断定しているとは一言もいってませんよ。レイシストだという評価が定着していると書いたまでです。評価と断定は違います。評価はあくまで仮定的判断です。ですからレイシスト団体と関連付けられるのだと思います。」とツイートをすると、彼は「なぜそれを先に言ってくれなかったのですか?」と返してきた。「え?今頃気がついたの?」と思ったが、要するに彼自身も早とちりをしていたというわけだ。

確かに、彼がいうように「安倍総理がレイシストだ」と断定した記事は必ずしもみあたらない。但し、そのような評価をにじませる記事は事欠かない。たとえば、つい先日も国連での会見でロイター記者の「シリア難民の一部を日本は受け入れる考えはないのか」という質問に対して、安倍総理がその質問には直接答えず、なんと日本の人口減少問題に関連する質問だと思ったのか、次のように答えた。

「そして今回の難民に対する対応の問題であります。これはまさに国際社会で連携して取り組まなければならない課題であろうと思います。人口問題として申し上げれば、我々は移民を受け入れる前に、女性の活躍であり、高齢者の活躍であり、出生率を上げていくにはまだまだ打つべき手があるということでもあります。同時に、この難民の問題においては、日本は日本としての責任を果たしていきたいと考えております。それはまさに難民を生み出す土壌そのものを変えていくために、日本としては貢献をしていきたいと考えております」

シリア難民問題を人口問題や移民問題の課題にすり替え、この課題は女性の活躍や高齢者の活躍と出産率をあげることによって人口減少に対応してゆくというのである。この答弁がたとえば日本の国会で人口減少問題にからめて難民を受け入れてはどうかという質問に対する答弁であればまだ分かるが、そこはニューヨークの国連の会見の場であり、質問した記者は日本の記者ではなくロイターの記者なのである。

この会見はロイター記者を二重の意味で驚かせている。安倍総理の会見では必ず記者があらかじめ質問事項を提出しなければならないという、まるで国会の予算委員会でのやりとりのような出来レースになっているというのであった。ロイター記者はそんなやり方はありえないとして、あらかじめ提出した質問以外に追加質問をしたのであるが、なんとそこに居合わせた日本人記者は想定外の質問にざわめいたという。要するにロイター記者は安倍総理の答弁にも驚くと同時に、日本の総理の会見が出来レースになっているという事実にも驚いたのである。こんな独裁国のようなやり方に日本の記者が唯々諾々と従っている事実は異様である。いつからこんなことになったのか知らないが、少なくとも小泉総理から菅総理まではぶら下がり会見というものがあり、ここでは事前の原稿のやり取りなしのフリーな記者会見もあったはずである。ところが安倍総理になってからほとんどの会見が出来レースになってしまったらしい。しかも安倍総理の会見では基本的にNHKと大手のマスコミだけが質問を許されるという。フリーの記者は挙手をしても決してあてられることはないらしいのである。事実上、ほとんどの会見では記者の質問の順番さえ決まっているという。(先ごろツイッターで話題になっている話では、会見の場でフリーランスの記者が一人挙手をしているのに、手を挙げていないNHKの記者が指名されたという証言もある)。

欧米のジャーナリストが日本のジャーナリストをこのようにみているという分かりやすい例
ekonomist.jpg
英エコノミスト紙の風刺画

さて、ロイター記者は早速「安倍首相、シリア難民受け入れより国内問題解決が先」とのタイトルで安倍首相がシリア難民の受け入れを拒否したことを世界中の新聞社に配信したことはいうまでもない。この記者には安倍総理のやり方はまさに独裁者のそれであり、到底、健全な民主主義国の総理とは思えなかったであろう。イギリスのキャメロン首相も突然地中海岸に打ち寄せられた少女の死体を見せつけられ、記者から今後シリア難民についてどうするつもりかという質問をされた時、狼狽しながらも数万人規模の難民受け入れをその場で表明している。これこそ民主主義国の指導者のあり方であろう。

民主主義とは指導者の資質が常に問われる社会でなければならない。そのためには指導者の会見はできるかぎり開かれたものでなければならないし、できることならその指導者を慌てさせるぐらいの質問をして、わざと困らせるようなこともしなければならない。なぜなら人間というのは慌てた時程その本性を現すからだ。ところが安倍総理はそのような不意の質問を封じるためにマスコミに対してルールに従う事を要請し、そのルールに従わなければ制裁まで科すことをにおわせている。

いうまでもなくシリア難民の問題は人道上の問題であって、人口問題でも経済問題でもない。ドイツは五十万人の難民受け入れを表明したが、それは行き場をうしなっているシリア難民に対しての人道的処置として緊急に決められたのであり、将来におけるドイツの人口問題や経済問題に関連づけてメリットがあると判断されたわけではないだろう。もちろんそのような計算もドイツ国民のために必要ではあるが、多くのドイツ国民はできることなら難民受け入れをやめてほしいと思うのが本心ではないであろうか?しかしメルケル首相はそのような反対論に対して、「難民を受け入れないなら私の国ではない」と言って、これがあくまでも人道問題であるということを訴えた。一方、イギリスのキャメロン首相はメルケル首相ほどは人道主義者ではないにしても、やはりこの問題が緊急の人道問題であるということを感じたからこそ、狼狽をしながらもシリア難民の受け入れを表明したのである。フランスもアメリカもそうである。同じくオーストラリアやカナダ、ブラジル、チリなど世界中の国がいずれも万単位の受け入れを表明するに至っている。国連は日本も先進国であるから難民を受け入れてほしいという要請をしていたが、安倍総理はそのような国連の要請を知りながらも、これを拒否したとみられても仕方がないであろう。

今、日本という国が世界でどうみられているのか?これは由々しき程、世界から低くみられているということは間違いないと私は思う。特に安倍総理になってから、その評価は地に堕ちたとさえいえるのではないかと心配している。というのは従軍慰安婦問題で安倍政権は世界中に致命的な悪印象を与えてしまったからである。「従軍慰安婦には強制性はなく戦前では合法的な制度であって何の問題もなかった」というような正当化を安倍政権は2007年の初総理就任時以来、一貫して世界中に発信してきた。そのような発信がどのように受け止められているのかという事を彼や櫻井よしこ氏などの保守派の取り巻きは気づいていない。彼らは日本の名誉がこれらの問題によって著しく傷つけられたと主張しているが、そのような主張により世界が少しでも理解を示し同情を示してくれるとでも思っているのであろうか?そんなことよりも逆に日本が世界に与えた衝撃的な侵略による犠牲がどれほど多かったかというのを日本人は自分で分かっているのか?従軍慰安婦という当時の忌まわしい制度にしても、日本国内では当り前であったかもしれないが、世界では当り前ではなかったということを日本人は自分で分かっているのか?当時、日本に併合されていた韓国の問題だけではないのだということを日本人は分かっているのか?中国人もフィリッピン人もインドネシア人もオランダ人も、多くの被害者の証言があるのに、それを分かっているのか?その被害が最も多かった韓国にしても、必ずしも強制連行とはいえないにしても、騙しや甘言でそのような施設に連れられて行かれた女性はいくらでもいるのに、それを合法的だったなどと、どうしてその実態を見たこともない人間が軽々に言えるのか?

これに関連して私は中島みゆきのある歌のことを思い出す。中島みゆきのファンであればご存じの人も多いと思うが、1998年発売の「私の子供になりなさい」というアルバムの最後に収められた曲で「4.2.3」と名付けられた不思議なタイトルの曲がある。このタイトルは実は1996年の4月23日のある出来事を題材にしているのであるが、その出来事とはペルーで起こった日本人人質事件が最終的にペルー軍隊の突撃によって解決をみた当日の出来事である。その日の早朝のTVモーニングショーの中でその突撃の一部始終が生中継されていた。あちこちに黒煙があがり、けたたましい銃弾の音がしていた。その人質解放作戦の模様を安全地帯から日頃は芸能ネタばかりのTVワイドショーの記者が「日本人が助けられました、日本人が助けられました・・・」と何度も絶叫していた。この極めて非日常的な光景をTVでみながら、中島みゆきは何かを感じ、後日それを自らの歌にしたのである。どんな歌かを説明すると長くなるので、興味のある方はレンタルCDでも借りて聴いてみてほしい。

その歌詞の最後の方で衝撃的な句が綴られている。

日本人の家族を喜ばせるためのレポートは、切れることなく続く
しかしあの兵士にも父も母も妻も子もあるのではなかったろうか
蟻のように真っ黒に焼けた彼にも 真っ黒に煤けた彼にも
(中略)
あの国の人たちの正しさを ここにいる私には計り知れない
あの国の戦いの正しさを ここにいる私には分からない

この国は危ない
何度でも同じあやまちを繰り返すだろう 平和を望むと言いながらも
日本と名の付いていないものにならば いくらだって冷たくなれるのだろう


慌てた時に人は正体を顕すね

あの国の中で事件は終わり
私の中ではこの国への怖れが
黒い炎を噴きあげ始めた


この衝撃的な歌詞の解釈を施すのは難しいが、この事件で中島みゆきが感じたのは「日本と名の付かないもの」に対する日本人の冷淡さである。この現場の記者は「日本人が救われました」という事だけを伝え、そのために死んだペルーの兵士やあるいはまた全員その場で殺された女性兵士を含むMRTA兵士の死については一切言及していない。そのような報道に中島みゆきが違和感を覚えたのであろうが、問題は中島みゆきがただこの出来事だけを問題にしているのではなく、日本人が日頃から無意識的に「日本と名の付かないもの」に対して冷淡であり、また無関心でもあるという、その日本人の過去からぬぐえない自己中心的な民族性を問題にしているのではないかと思う。

安倍総理が難民問題に冷淡であるのも、また慰安婦問題で日本の名誉が傷つけられたと自分の被害感情だけを訴えるのも、その底では「日本と名の付かないもの」に対する冷淡さがあることでつながっている。最近のテレビ番組でも日本が世界で活躍している事実をできるかぎり集めて日本人がいかに素晴らしいかを自己認識させるような日本礼賛番組が多く目につくのも、その裏返しの表れではないかという気がしてならない。

安倍総理がレイシストであるという評価が世界のジャーナリストの間で定着しているという私のツイートは確かに少々大げさな観もあるかもしれないが、しかし安倍総理の世界における評価がどうであろうと、日本のジャーナリストは決してそのような話題は報道しない。なぜなら国民がそのような話題を欲していないという事が分かっているからである。だから安倍総理が世界でバカにされているのは事実であったとしても、ほとんどの国民はそんなことにはまったく気づいていないし、むしろ安倍総理は外交を頻繁にこなしているので海外では賞賛されているのではないかと誤解している人の方が多いのであろう。このあたりが安倍総理の支持率が落ちない原因でもあると私は思う。

先に紹介した在特会やネオナチと一緒に撮った女性閣僚の話題にしても、欧州では大々的に報じられたが、日本では女性閣僚を多数起用した清新さがプラスに評価されていたのである。これは特定の右寄り新聞社に限らず、朝日や毎日にしても表面上は同じような評価をしていた。つまり左右に関係なく、日本人は内閣改造の時は必ずご祝儀相場という約束で悪口は慎むという礼儀をなによりとする伝統がそうさせるのであろう。

もしかすると欧米のジャーナリストからみると安倍首相と日本のジャーナリストは腐った仲間であると感じているのではないだろうか?もちろん高市氏や稲田氏や山谷氏が実際には在特会やネオナチのようなレイシストと特別な関係にあるわけではないということは日本のジャーナリストは知っているので、それはわざわざ批判すべきことでもないと考えているのかもしれない。しかしながら、安倍総理の周辺にいる人物をみると限りなくレイシストに近いと疑われても仕方がない人物がウヨウヨしているのも事実である。たとえば安倍総理の師ともいわれる渡部昇一は近年、「韓国とは国交断絶すべし」とまでいう嫌韓論者である。彼と同様WACなど反中嫌韓の執筆メンバーである櫻井よしこ、花田紀凱、田母神秀樹、百田尚樹、加瀬英明、藤岡信勝、等々の面々も濃淡はあるがレイシストと規定してもよいだろう。日本通の海外ジャーナリストはそのあたりの人物情報についてはおそらく十分知っている事だろう。したがって安倍総理のお友達といわれる人々の中に、あるいは安倍総理の手下として働く多くの国会議員の中に、レイシストと疑われる人物が多くいることは事実であり、だからこそ在特会のような極端なレイシストが繁茂するようになったのだとみられても仕方ないだろう。彼らは安倍こそ救世主だと思うぐらい安倍総理の信奉者なので、たとえ安倍総理にとって迷惑な存在ではあったとしても、彼らも自分の支持勢力であるかぎりそう簡単に切り捨てるわけにもいかない。だからこそヘイトスピーチを取り締まる法案に安倍内閣は消極的なのではないか?

ちなみに在特会によると彼らの構成員だけでも1万も2万もいるらしい。そのシンパを想定すると数百万人もいるかもしれないのである。書店で繁茂している嫌韓雑誌が売れるのも数百万ともいわれる膨大な購買層がいるからである。そして彼らを支えているのは、「日本と名の付かない」ものにはいくらでも冷淡になれる一般の国民ではないか?そういう気さえしてくる。安倍政権を支えているのは無気味なほど戦前から変わっていない日本人の本能的差別感情であり、中島みゆきが「私の中ではこの国への怖れが黒い炎を噴きあげ始めた」と唄ったのも、その奥に潜む無気味さを感じたからではあるまいか。

補足:レイシスト(Racist)とは何かという事をできるだけ定義しておきたい。英語では日本語の愛国者とか民族主義者に相当するPatriotとかNationalistという言葉があるが、Racistはそれよりもはるかに強い感情で、一般に「人種差別主義者」と訳される。その歴史上の例ではたとえば白人の黒人に対する差別とかユダヤ人に対する差別など、あげればいくらでもあるが、日本では特に日韓併合以降、朝鮮人に対する差別としてそれはほとんどの日本人の感情として無意識的に共有された。そのもっとも悲惨な例は関東大震災時の朝鮮人大虐殺であろう。朝鮮人が井戸に毒を入れたとか、朝鮮人が武装蜂起をしたとか根拠のないデマが流れ、神奈川や東京の各地に自警団が形成され、朝鮮人とみるや棒などを振り回して叩き殺していった。その犠牲者数は定かではないが、五、六千人はあったとされている。戦後も朝鮮人は掘立小屋のような朝鮮人部落を作り、周辺の住民から酷く差別されていたのは私自身も記憶するところである。在特会の最近の活動はこのような過去の日本人の差別感情がなんら悪いものではなく、むしろ当然であったというところにかつての本能的差別よりも意図的な悪質さがある。日本人にとっての在日韓国人や朝鮮人は欧米人にとってのユダヤ人と同じく被差別民族であるということに気づかなければ、われわれはいつまでも差別感情から抜け出すことはできないと思う。

補足2;最近TBS「情報特集」でインドネシアで慰安婦にされた多くの女性の問題を紹介する番組があった。この番組でオランダ人の写真家が次のように言っていた。
「第二次大戦を擁護する元ナチスのドイツ人がいるかもしれません。また元植民地時代を擁護する植民地主義のオランダ人もいるかもしれません。しかしそういう人たちは多数でもなければオフィシャルでもありませんし、それをおおっぴらな形で政府が弁護するということもまったくありません。」
日本の安倍政権及びその取り巻き立ちが慰安婦問題でやっていることはいかに世界から非常識に映っているかということがよく分かる発言ではないか。

補足3:最近、高須クリニック高須克也院長がテレビ朝日報道ステーションが偏向しているからスポンサーを降りるという話題が関心を集めているらしい。どうやら院長のツイッターの投稿が広がったらしいが、ほどなくしてこの話題はちょっとした国際問題になりはじめている。というのは高須氏はナチのユダヤ人虐殺は捏造だとか、ヒトラーは偉大な人物だったとかいっているらしいのである。ネットウヨクの中でもそこまでいう人はあまりいないと思うが、この人物は相当なレイシストである。ユダヤ人から抗議が来るのは時間の問題ではないかと思う。こういう人物が安倍政権の支持者でもあり、報道ステーションが偏っているというのだから、世の中の右傾化は相当傾斜がきつくなっているのではないか?私自身は最近の報道ステーションはスポンサーから逃げられるのを恐れるためもあるのか、あえて中立的報道を装うようなところがみえてきて、安倍批判のトーンが薄まり、あまり見る気もしなくなっております。


10月25日記(本項未定です)

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