3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

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総括「自民党が死んだ日」

そもそも当ブログを書きはじめたきっかけは3.11後に異様な菅降ろしが始まった事であった。戦後初めての巨大災害の中でも多くの人々は助け合いの精神を発揮し、世界から驚きの目でみられるほど冷静沈着、利他的な行動をとっていたことは、あらためて日本人の誇りのようなものを感じることもできた。しかしながら、そのような一般の日本人とはまったく人種が違うのではないかという別の驚きをもってみなければならなかったのは永田町の住人たちである。

3.11後、歴史上かつてない原発災害が起こっていた中で永田町の人々は今こそチャンスとばかり政権奪還の秘策を練っていた。最初、特に目立ったのは民主党員でありながら百人規模の大きな派閥を形成し菅降ろしを画策していた小沢派である。彼らは3.11から1カ月もしないうちに菅降ろしの狼煙をあげた。この与党内の動きに連動して野党である自民党がひそかに動き出したのはいうまでもない。

当時野党の自民党の中でも無役であった安倍晋三は福島原発事故のすぐ後に官邸内から聞きつけた情報として、自らのFACEBOOKに「菅総理が海水注入を中断させた」というデマを流し、このデマを読売新聞などが確認も取らずに一斉に報じ、国会でも大きな問題となり、後の菅総理不信任案の要件にも取り込まれた(後日、これは誤報であったと証明されている)。

地震が発生した直後の危機的状況の中では政争を慎み、与野党が協力して事にあたることが了解されたが、当時の自民党総裁谷垣氏は菅総理から副総理として入閣してほしいという要請に対して断りを入れていた。原発事故の責任は当時の野党である自民党の責任も免れないはずなのに、卑怯にも彼らはその全責任を民主党にとらせようとした。戦後最大の国難の中で、下手をすれば東日本に人が住めなくなるという最悪の状況も考えられた中で、小沢派や自民党の政治家たちは政争の事しか考えていなかった。これは厳然たる事実である。

福島の原発危機が依然として去っていない中で、事件の約3カ月後(6月1日)には小沢派と自民党の画策によって内閣不信任案が提出された。造反した小沢派と自民党などの野党が数合わせをすれば不信任案は可決される情勢にあった。しかし仮に不信任案が可決された場合、原発被害や津波被害の大きさから考えても解散総選挙は行えない状況であった。結果的には、菅・鳩山会談によって菅総理自身の辞任表明という言質を引き出し政争のけりがついたわけだが、ここにいたるまでの醜い権力闘争は忘れることはできない。それでなくても原発危機がまったく去っていない中で、さらに巨大余震がいつ起こってもおかしくない状況の中で政治家たちが政争に明け暮れていたのは、私にとって失望という言葉では表せないほどのショックであった。

今回の安保法案成立にいたるまでの過程をみていて、この3年ほど前に味わった失望を再度味わう事になり、あらためてアホらしくも思うのだが、最後の国会で山本太郎議員が「自民党が死んだ日」というプラカードを掲げているのを目にした時、彼こそ政治家のあるべき姿を体現しようとしている真人間であると感じざるを得なかった。あのプラカードは決して単なるパフォーマンスではなく、近い将来、本当に「自民党が死んだ日」として記憶されるのではないかと本気でそう思う。

何を言ってるんだ、彼の後ろには腹黒い小沢一郎がいるではないかという人もいるだろう。しかしそれは小沢グループが政党の要件をみたすためにも、また山本太郎自身が発言の機会を増やすためにもやむをえないことである。そのような政治取引を割り引いたとしても彼の今回の行動は政治家としても人間としても評価に値するものである。彼が参院特別委員会で最後に訴えたフィルバスター演説は政治家よりも前に真人間であろうとする素直な彼の叫び声があふれていると感じた。彼の行動はまるで「スミス都へ行く」のジェームス・スチュアートを地で行くようなまっすぐさであったと私は感じた。

民主主義とは決して形骸化した制度を指すのではない。この制度を生かすためには人間が人間らしくふるまい、できるかぎり良心に恥じない行動をとらなければならないという前提がある。その前提自体はいかなる条文にも書かれてはいないが、人間が人間であるかぎり誰しも生まれながらに持っている善良な性質として前提されているのである。とりわけ国会議員は多くの人々の代表として選ばれた以上、これらの性質を備えた人々であるということは暗黙の前提になっている。しかるがゆえに良心に恥じる行いをした議員は議員としての資格を失う事もあるのである。

それに対して非民主主義の世界では、良心をもたない独裁者が自己の欲するがままに政治を行い世論をも支配することが可能となる危険な社会である。このような社会は非民主主義の社会ではどの国でもごく一般にみられた共通する現象である。古代ユダヤの政治を克明に記したフラウィス・ヨセフス著「ユダヤ古代誌」などを読むと、権力を握った人物はほとんど例外なく良心のない悪辣な人間たちであり、彼らは自らの権力を維持するためには善良な民衆を虐殺することを厭わないばかりか、血を分け合った兄弟や親族までも平気で殺すほど残酷な人間ばかりであった。日本の歴史においても信長や秀吉の時代に同じような残酷な例があったことはいうまでもない。権力者というのはいつの時代においても冷酷非情な人物がその頂点にありつけるという法則は、世界の歴史が証明している。

たとえば現在においても北朝鮮の金正恩やシリアのアサド政権のように自分の独裁を維持するためには人間の良心というものをかなぐり捨てて残忍な虐殺も平気で行う、そのような例は枚挙にいとまがないのである。

そのような権力者をできるだけ生み出さないために考えられたのが民主主義という制度であるが、この民主主義という制度があってもなお権力を目指す人々が善良であるとはかぎらない。むしろ民主主義の中にありながら邪悪な人物が権力の座につくということは過去頻繁に起こりえたのである。

ヒトラーやムソリーニは近代の民主主義制度の中から生まれた独裁者であった。彼らは初めは立派な人物として一部の人々にもてはやされ、やがて多くの大衆が彼らの宣伝に乗せられ騙されていった。そして気がつくと、政権に反対の声を上げることもできない体制ができあがってしまったのである。

日本の軍国主義においても同じである。戦前の日本には近代的な憲法があり、複数の政党が認められ、普通選挙が行われ、自由闊達な議論が奨励される議会も機能していた。大正時代には労働運動や無政府運動まで認められた時代もあった。

しかし満州事変を契機に軍の実権が次第に高まると政権の方針に反対する者はアカとか国賊とか売国奴と呼ばれ、問答無用で警察に引っ張られるという社会になっていった。黒沢明監督の戦後第一作「我が青春に悔いなし」という映画はそのような歴史の転換点を見事に描いた作品である。
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先に紹介した「スミス都へ行く」という映画は戦前のアメリカ映画であるが、民主主義の模範国のようなアメリカにおいても、権力が腐敗し賄賂や暴力が横行し、さらにマスコミが時の権力者と手を握って世論を支配するという構造がある事実を風刺的に描いており、それに対して何も知らなかった若者が権力者の都合で議員に指名されたが、やがて自らがその腐敗構造の中に巻き込まれているのを知って敢然と立ち向かうというストーリーである。
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スミス青年に扮したジェームス・スチュアートは24時間近く立ったままフィルバスター演説をやるが、遂に体力が尽きて倒れてしまう。しかしスミス青年の熱意に彼を罠にはめた政敵自身が良心の呵責に耐えられなくなって自分の罪を白状するというラストで終結する。

山本太郎議員はこの映画をみたことがあるのかどうか知らないが、まさにこの映画のようにフィルバスター演説をやり、自民党や公明党議員の良心に訴えかけようとしていたのであろうが、現実は映画のような感動の結末を与えてはくれない。彼は「自民党が死んだ日」というプラカードを掲げ、さらには喪服を着て数珠まで握りながら一人牛歩のパフォーマンスをやってのけた。これを議員としての品位に欠ける行動として産経新聞などは猛烈に反発しているが、この程度のパフォーマンスさえ許されないとすると、到底民主主義を語る資格はないだろう。

民主主義とは言論と表現の自由を最大限に認める社会に他ならない。その言論の府のルール枠の中で自らに許された言論と表現の自由を最大限に行使しようとした彼こそ、本当に民主主義のなんたるかを理解した人物ではないか。自民党はその同じルールを使い、むしろそのルールをも無視しながら、しかも圧倒的世論をも無視して、憲法違反の疑いがある法律を成立させようとしたのだから、その罪の大きさは山本太郎議員の品位を問う資格もなにもあったものではない。議員としてのまた人間としての良心さえどこかへ放り投げたものといわざるをえない。

山本太郎議員は「人間はみな一人じゃないですか。なぜ皆さんは自分の考えで判断し行動しないのですか?」と真剣に訴えた。これは本来の民主主義の精神であり、とりわけ良識の府といわれる参議院の存在意義でもある。一人ひとりの議員が党議拘束を受けずに自らの良心に基づく判断で正しいと思って投票する、その結果を多数決原理で採用するならばだれでも納得するであろう。しかし、同じ党に属する者は必ず党が決定した側に入れなければならないというのは、本来の民主主義の在り方ではない。ましてや特別委員会での採決のように、賛成票の数を数えた形跡もなく、可決成立という判断を下した鴻池委員長はルールを守る国会議員の良心さえ放棄したとしかいいようがないのである。


本項未定(9月20日)

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