3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

議会制民主主義の中に潜む独裁制

辺野古移転問題の本質には日本の民主主義が機能しているのかどうかという問題がかかわっている。先の解散総選挙及びその前の沖縄知事選の民意は明らかに辺野古移転にNOという意思表示を示した。特に解散総選挙においてはすべての選挙区において、党派を超えて辺野古移転に反対する議員が選ばれたのだから、これは明確な沖縄の人々の意思表示であると受け取れる。しかし安倍政権はこのような民意によって辺野古移転の決定は前知事の承認を正式に得ているので、いまさら覆るはずはないという理屈で埋め立て工事を「粛々」とやっていくと明言した。これは沖縄の民意を無視するものではないかと多くの人々が工事現場に集まり抗議しても機動隊がさえぎり何のためらいもなく工事は着々と進む。

このような光景をみながら日本の民主主義とは一体何なのかと疑問を持つ人もいるだろう。
安倍総理は集団的自衛権の閣議決定が憲法違反ではないかという批判に対して「最高責任者は私だ。私たちは選挙で国民の審判を受ける」と述べ、選挙で選ばれた最高責任者には国民の負託があるはずだから総理大臣が自らの判断でやることは民意に基づいているのだと説明する。しかし、個々の政策で世論調査をすると原発再稼働でも集団的自衛権でも、秘密保護法でもすべて民意は反対の比率の方が高く、それらが国民の支持を得ているものとは到底言い難い。

民意というのはそもそも何であり、もし民意と国益(ときの政権が想定する国益)が衝突した場合にはどちらが優先されるべきなのか?このような問題は必ずしもやさしい問題ではない。戦前の日本も形式的には議会制民主主義をとっていたが、ほとんどいかなる場合も国益が優先され民意が正当に評価されるという事はなかった。それは主権在民という戦後憲法の理念が明記されていなかったということもあるが、だからといって戦後民主主義の日本では常に民意が優先される社会になっているかと言うと必ずしもそうではない。

少し前に中国の香港で若者たちの候補者が自由に立候補できる選挙を求めたデモがあり、このデモも結局、機動隊の力によって封じ込められ、最後には解散させられた。いうまでもなく中国という国は共産党の一党独裁を党是とする社会であり、自由な選挙というものを香港で認めると、たちまちその流れが全中国に普及し、一党独裁体制は崩れ去ってしまう。だから中国政府は決して若者たちと妥協はしなかった。面白いのは香港に住む大人の中国人たちは若者たちのデモに対して冷ややかで、決して若者のデモに同調しようとしなかったことである。香港では機動隊よりもむしろそのような大人の冷めた目の方がデモを終息させたマイナス力だったのではないかとみることもできる。つまり香港のデモが終息したのも、ある意味では民意であったとみることもできるのである。

一党独裁体制の国と言うと中国のような社会主義国をわれわれは思い描くが、その他にも一党独裁の国はいくらでもある。イスラム諸国などはほとんどが一党独裁であり、中には前近代的王政の国もある。数年前のアラブの春でイスラム諸国にもついに民主化のうねりが起こったという希望的観測が失望に変わるまでに一年も要しなかった。今ではイスラム民主化のリーダーと期待されたイラクやエジプトが新たな独裁制に移行しつつあるのをわれわれは目撃している。イスラム国(ISIS)の台頭を許すと、われわれはそれらの国の独裁制よりもはるかに酷い独裁国家が生まれることを危惧せざるを得なくなってきた。シリアのような残虐非道な個人崇拝国家さえイスラム国よりはまだましというほど、世界は新たな独裁の脅威に立ち向かっていかなければならない。より怖ろしい独裁国家に対抗する国がよりましな独裁国でしかなければ、われわれはそのよりましな独裁国を応援するしかない。

結局、独裁制は必要な最小の悪であるかぎりにおいて、どの国においても採用する権利があることは認めざるを得ないのである

この原則はイスラム社会や中国に対して欧米が容認しつつある原則だ。アメリカとキューバの国交回復もその原則にたち許容範囲であると容認された結果であろう。ところが日本の安倍総理はそのような現実をみないで、ただひたすら民主主義制度を共有する社会だけが共通の価値観をもっているのだという旧来の枠組みにこだわろうとするので国際社会の中では逆に孤立してしまう。安倍総理はその「共通の価値観」という枠組みによって中国をはずしたいがために露骨な中国包囲網外交を展開してきたが、その試みはAIIBの参加国にも見る通り、これまですべて失敗してきた。欧米の指導者はそのような狭い価値観だけではイスラム諸国とも中国とも外交ができないということを知っているので、安倍総理の外交姿勢はかえって敬遠されるだけだ。

早い話、たとえば世界でもっとも住みやすくビジネスもやりやすい国といわれる、きわめて好感度の高いシンガポールも事実上は一党独裁の国なのである。野党の存在は許されてはいるが公党としての活動は禁止されており、政府を批判する表現や言論の自由も著しく制限されている。しかしそれでも国民の大半が政府(人民行動党)を支持しているので、それらの問題が表面化することはない。シンガポールの場合は明らかに経済的効率性という観点から一党独裁がもっとも効率的だと認識されているので、大半の国民もそれをよしとしているのである。

同じように中国の場合、本来の社会主義的一党独裁体制が資本主義の導入を積極的に推し進めており、多党制の資本主義国よりもある意味でより効率的な経済発展を続けるうえで独裁性のメリットがあったと考えることもできる。逆に同じ社会主義的一党独裁体制の北朝鮮やキューバなどは、その独裁制の弊害が経済発展を阻害しているとみることができる。かつてのソ連や東欧などの社会主義国は経済的にも破綻したために、国民の信頼を完全に失ったが、中国やベトナムはその失敗から学び、逆に資本主義を取り入れることで、一党独裁制の効率性を発揮して成功した例といえるかもしれない。もちろんだからといって中国の大半の国民が一党独裁をよしとして積極的にこれを支持しているとは思われない。彼らには政府を批判する野党の存在がはじめから与えられていないので、いろいろ不満があってもその不満を顕在化してゆくことができない。結局、共産党が国民を豊かにし、彼らの不満をできるかぎり掬いあげて一定の国民の支持を得てゆくという形で、その独裁制を維持してゆくということしか方法がない。

一方、議会制民主主義になれば独裁に移行することはないので安心だといえるのかというと、必ずしもそうではない。いうまでもなくヒトラーやムソリーニのような独裁者は議会制民主主義の中から生まれてきたのであって、決して初めから一党独裁制を党是とする社会から生まれたわけではない。彼らの社会が独裁制に移行していったのは、多党制の弊害が顕著になり、国民自身が一党体制を求めたからである。たとえばムソリーニは、当時のイタリア経済が悪いのは少数政党が林立する政治では何事も決められないからであると主張し、少数党であっても大胆な政策ができるように得票率25%以上を獲得した政党が3分の2以上の議席を獲得できるという法案を通すことで一挙に独裁制に移行していった。同じようにヒトラーも少数政党であったが、共産党との勢力争いで反共的な財界の支援を得ることができ、徐々に多数派になっていった。そして政権を握ると一挙に共産主義者を暴力革命の陰謀をはかっているという理由で非合法化し、これによって国民の支持がたかまるとさらに全権委任法を可決させ、事実上の独裁体制に移行した。初期のヒトラーの政治は当時世界恐慌にありながら失業者をなくす画期的な政策を次々と断行し、これによってヒトラーは英雄のように祭り上げられていった。

そしていうまでもなく戦前の日本も制度としては議会制民主主義の国である。野党も存在していたし、定期的に選挙が行われ普通に政権交代が繰り返されていた。大正時代は大正デモクラシーと呼ばれるほど自由な空気もあった。労働争議も起こりデモや集会も行われていた。しかし、満州某重大事件(張作霖謀殺事件)の頃から日本は名ばかりの議会主義国になった。この事件が関東軍の謀略であったことは昭和天皇も気づき、時の田中義一総理に責任をとらせ辞職させたのだが、このあと軍と政府は一体になって天皇の側近たちを脅し(そのために「君側の奸」という語が使われた)、おまけに新聞社が「満蒙は日本の生命線である」というキャッチフレーズを主張しはじめ世論もこれに扇動され、天皇が軍部の戦争政策に介入できないほど異常な空気になってしまう。この後起こった満州事変(そして第一次上海事変)でも同じような謀略手法がとられたが、もはや平和志向の天皇にも止められないほど軍と政府とマスコミと世論が一緒くたになって暴走が始まっていた。戦前の日本の異常性は大元帥である天皇を取り囲む政府と軍部が相談して天皇を騙しながら、戦争政策を進めていったという事実である。盧溝橋事件後に泥沼の戦争に嵌まり込んだ近衛内閣は天皇が反対していたドイツと同盟関係を結び、さらに国家総動員法を制定して事実上の独裁体制(翼賛体制)に移行した。この法案の成立に積極的に賛成したのが革新派の社会大衆党である。これはもはや制度上の問題でも何でもなく、国民性の問題であるとしかいえないのではないだろうか。
※この辺の詳しい経緯は半藤一利著「昭和史」(平凡社文庫)を参照されたい。

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このようにみると議会制民主主義であれば独裁制に移行することはありえないという考え方は決して正しくないことが分かる。

問題は指導者の資質でありそして国民の資質にあるのだ。

今でも日本は議会制民主主義の国であり、最高権力者である総理大臣は議会の中から間接的に選ばれる仕組みになっているので独裁になることはまずありえないと多くの人は安易にもそう考えている。しかし日本の総理大臣の権限というのは、実に多くの人事権をもっており、この人事権を徹底的に行使してゆくと独裁政治も可能になる。たとえば昨年安倍総理が選んだNHK経営委員のお友達数人によってNHK会長が突然に変えられてしまった。この出来事は日本のなかでよりもむしろ世界で異様な現象としてとらえられている。特にNHKとは親近感のあるイギリスの公営放送BBCはこの現象に驚いている。今年2月にイギリスのウイリアム王子が来日した際にNHKを訪れ籾井会長に挨拶していたが、この行動がイギリスのTIMES紙で格好の批判対象になっていた。籾井会長のような右翼的人物が公営放送のトップに座ること自体がイギリス人にとっては異様に映るらしい。

アメリカやイギリス、フランスなどの先進民主主義国では三権分立という考え方がある。
すなわち司法、行政、立法の各機関は独立したものであり、互いに干渉されることは許されないという考え方である。そして近年ではこの三権と同じくマスコミ機関が第四の権力機関として認められており、マスコミが権力から独立した機関であることが民主主義にとって重要な要素だと考えられている。これは選挙で誕生した権力者を容易に独裁制に移行させないためである。つまり各機関は互いに独立した機関として監視をしなければ、たとえ民意によって選ばれた権力者といえども独裁者に転化する可能性が潜んでいるからである。分かりやすく言えば、たとえ99%の大衆が賛成する政府ができたとしても、残り1%の反対派の意思を残すようなシステムは常になければならないし、そして司法機関や言論機関は多数派の意見に従うのではなく、自らの良識に基づく判断によってその意見を自由に述べることが保障されるのである。このような三権分立(または四権分立)が保障されなければ民主主義は常に独裁制に移行してゆく危機を内包するシステムだということになる。

これは安倍政権になってから明らかに分かったことだが、日本の総理大臣の権限というのはその独裁的人事権がかなり認められた制度になっているということだ。そもそも内閣総理大臣は議会から選ばれ、また総理大臣が任命する大臣もほとんど同じ与党の議会人から選ばれる。現在の第二次安倍内閣の顔ぶれをみると、第一次のときとほとんど変わっていない。彼らはごく一部を除き、ほとんど安倍のお友達のように思想的に近いイエスマンだ。これだけ強引に自分の考えに近いイエスマンばかりを要職に据えた内閣と言うのはちょっと記憶がないほどだ。女性閣僚にしても靖国参拝を積極的にやる議員だけを自分の周りにはべらせている。将来の日本初の女性総理の器ではないかと目される野田聖子議員や小池百合子議員はいつまでたっても役さえ与えられない。

また安倍政権になってより鮮明になったのは日本の議会制民主主義という制度では総理大臣は行政と立法機関を同時に掌握しうる存在でもあるということだ。昨年、12月に突然の解散総選挙が実施されたが、これは総理大臣が議会を支配する権限さえもっていることを証明していた。ただし憲法では総理大臣の解散権は衆議院で内閣不信任案が可決された場合にのみ、その対抗措置として解散権を行使できると規定されているはずであるが、日本の政界はこの憲法の規定を過去何度も破るような解散が行使した例があるため、このような本来憲法違反の(独裁的)解散権を永田町の慣例として認めるという、おかしな風潮になってしまったのである。

これに対してアメリカの大統領制度では行政と立法は完全に独立していて、大統領の選挙と議会の選挙は別々に行われる。大統領に任命される各大臣も議会人を選ぶことはできず、互いに人事で干渉しあうことは不可能なシステムとなっている。

司法権の独立についていうと、日本の法律では司法に対しても総理大臣が人事権を握っており、一定の干渉ができるような仕組みになっている。すなわち司法の人事権については、最高裁判所判事の任命権は内閣総理大臣に与えられており、そして地方の裁判所判事の指名権はその内閣に選ばれた最高裁判所がもっており、最終的には内閣総理大臣はすべての判事の任命権をもっているということになる。したがって、司法権が独立しているというのは嘘であり、実態上でもそうではない。先日、福井県高浜原発の再稼働問題で画期的な判決がでたが、これは異例中の異例である。たまたま裁判官が強い信念のある人物だったおかげで、自らの信念に基づいた判決をくだすことができたのであろう。ただし、この種の裁判は上級審へ行けばいくほど政府寄りの判決がでやすくなり、過去にも自衛隊の違憲論争や閣僚の靖国参拝が違憲ではないかという論争でも、最高裁まで行くと必ずと言ってよいほど政府の見解に近い判決がでるようになっているので、今回の判決もいずれ上級審に控訴されたときには覆るのではないかと思う。但し、仮に判決が覆された場合は三権分立の理念や内閣の任命権自体が問われるべき問題になるだろう。

内閣総理大臣が握る人事権というのはそれだけではない。内閣には放送機関に圧力をかけることができる総務省やまた検察の人事を決めることができる法務省がある。検察機関はこの法務省の下部組織であるとみなされるので、政府の意向にあわない捜査はよほどのことがなければできない仕組みになっている。たとえば下村文部大臣を支援する全国の塾業界が作った博友会という組織が会費をあつめて、それを政治献金として下村事務所へ渡していた事実が発覚し雑誌などで問題となっているが、これは明らかに政治資金規正法違反に問われるべき事案である。なぜなら博友会の地方支部は政治団体としては登録されておらず、その会費を献金することは違法献金にあたるからだ。ところがそもそも検察が政府の機関である限り、よほど世論が盛り上がらない限り、この事案で検察が動くことはまずないだろう。数日前に下村大臣に対して刑事告訴状が受理されたというニュースが新聞にでていた。ただし、ここまでは行ったとしてもその上の検察指導部の判断が下されない限り、この一件が裁判になる可能性は低いのではないかと思う。なぜなら下村大臣が仮に政治資金規正法違反で裁判になると刑事被告人となり、そのような人物が大臣を続けることは不可能になる。そうすると安倍内閣は致命的な打撃を受けることになる。支持率は下がり、総理交代論も自民党の中で出てくる可能性もある。そこで困るのはアベノミクスを頼りにしている経済界である※。検察が動くかどうかというのはそのような政治判断や経済判断がらみでどうなのかということなので、その可能性は低いのではないかと言わざるを得ないのである。※逆に言うとアベノミクスの失敗が明らかになったときに検察が動き出す可能性がある。

たしかにかつては田中角栄のロッキード事件や金丸金脈事件などで検察が政権与党の指導者を逮捕するという今では想像もできない事件もあった。しかしこれらは事件の全貌があかるみとなり、もはや世論が許さないという風圧に耐えられなくなってはじめて検察が動かざるを得なくなった事件であり、そこまでの事件としてのインパクトがなければ、検察はなかなか自分から進んでは動かない組織である。小沢一郎の疑惑の時に検察が動いたのは政権が民主党に渡っていた時代であり、戦後以来一貫して政権与党であった自民党と官僚組織が癒着している構造の中では、検察はむしろ民主党政権打倒のためにしかるべき捜査を行ったというべきだろう。

このように考えると日本という社会はアメリカやイギリスのように成熟した民主主義社会であるとは到底いえない。日本の民主主義は実は独裁制への移行を総理一人の権限でやろうと思えばできる、そのような可能性を残した不完全な制度ではないかという危惧が、実際、安倍総理の出現によってささやかれるようになっている。安倍=ヒトラーという揶揄が一定の安倍批判勢力の中で説得力をもつのは、安倍個人の資質に対する危惧の念と同時に制度そのものの不完全さ(特に三権分立の不完全さ)が露呈しているからである。さらに日本人の民族性や資質にそもそも問題があるという指摘もされうる。

日本ではわずか3年余りの民主党政権の時代以外には、自民党の一党独裁政権が続いていた。これは形式的には毎回の選挙でその政権が維持できてきたわけだが、その選挙を陰で支えているのは官僚組織である。その上に大企業と農協の既得権益層、そして大票田をもつ多くの宗教組織を自民党の支持基盤として押さえてきたので、自民党が政権党でなくなるということはほとんど考えられなかった。

政権交代があたりまえの先進国ではこのような一党独裁が続く民主主義国家というのはあまり例がない。お隣の韓国では朝鮮戦争以来、クーデターで政権に就いた朴大統領の軍事独裁政権が長く続き、朴大統領が暗殺されたあとも全斗換軍事政権が政権を握るという軍事政権の時代が続いたが、金大中氏が大統領になって韓国は二大政党制による政権交代が普通に繰り返されている。そのような意味ではいまや韓国の方が日本よりも進んだ民主主義国だといってもよいのかもしれない。韓国の政治は女性大統領の出現でもいまや日本より進んでいる(女性指導者の出現は日本以外の民主主義国では普通であるが、なぜか日本では想像もできない)。さらに警察や検察の取り調べの可視化という制度でもより民主的になっている。

ただし安倍政権が誕生する以前の自民党ではいわゆる派閥という党内組織があり、この派閥間で政権を交代するという独特の政治風土(政権のたらいまわし)が作られていた。なぜこのような派閥があったのかというと、野党があまりにも弱く、自民党が国民から政権を付託されなくなる事態というものを想定できなかったからである。派閥はいろいろな人脈や金脈、そして政治的主張の色合いによって大小いくつかあった。70年代の田中総理の頃は三角大福という四大派閥が長らく派閥をわけあい、田中内閣がつぶされた後は、順番に三木総理、福田総理、大平総理というそれぞれの派閥の長が総理の座に交代でおさまっている。

この派閥の弊害がさまざまな金脈事件につながり、国民的批判が頂点になった中で田中角栄の秘蔵子であった小沢一郎が二大政党制を目指して自民党を離党し新党時代を切り開く。その後、細川護熙や村山富一を担ぎ出し、一時的に自民党の一党支配体制は崩れたが、阪神大震災とオウムのサリン事件によって再び政権は自民党一党体制に戻り、その後、再び小沢一郎の尽力が物をいい、民主党結党後に政権交代を果たしたが、これもまた3.11という未曽有の災害によってあらぬ政権批判と小沢一郎自身の不祥事と自らが引き起こした分裂騒動によって、再び安倍自民党の一党支配体制に回帰することになった。

安倍内閣のやり方が従来の自民党のリーダーと著しく違うのは、派閥の対立がない中で事実上の党内の一極支配体制を築いたということであろう。これはもちろん安倍氏の個人的人徳があってのことではない。たまたま自民党が野に下っていたときに民主党が小沢グル―プに掻きまわされたあげく内部分裂を起こし、勝手に瓦解していったという反面教師があったために、自民党が同じ轍を踏むことはあるまいと一致団結できる下地ができたからである。

実際は反安倍勢力は自民党内にも隠然としてあるはずである。特に安倍氏の非常に強いナショナリズムの傾向には違和感をもつ自民議員は数多くいるはずである。いわゆる親中派とみなされる自民党員も数多い。しかし、党内ではとにかく民主党の失敗に学ぼうという声をかけるだけで、党内の結束が重要であることが確認される。だから自民党内では今のところ反乱分子は現れていない。面白いことに、元自民党の長老たちの多く(たとえば小泉元総理、福田元総理、古賀元幹事長、野中幹事長、山崎元幹事長ら)がいまや公然と反安倍の声をあげているのであるが、現役議員にはその声は聞こえていないふりをせざるをえないようだ。なんとも・・・である。

安倍政権はこのように偶然にできた全党体制の中で自らがもつ人事権を最大限に行使し独裁色を強めている。安倍政権になってから、かなり大胆な政策変更が次々と行われた。まるでオセロゲームでもみているように、次々と従来の政策が裏返っている。なぜ現場の人々は抵抗しないのかと思うかもしれないが、これはオセロゲームで四隅の石をとれば勝敗が決するのと同じ理屈である。つまり総理大臣というのはさまざまな人事権を握っているので、その人事権を行使してゆくと四隅の石をとるのと同じようなことになるのである。すなわち事実上の独裁制が可能になる。

日本社会の特質はあらゆる企業や組織でピラミッド型システムを採用していることである。したがって、そのトップを変えれば、組織の構成員は無言で従わざるを得なくなり、人事の交代によってその政策は容易に変更できる。しかも日本人は組織原理に忠実であり、たとえ重大な変更であってもトップの意向に反対することは並大抵ではできない。戦前の日本が容易に全体主義になったのは、このような日本社会の組織原理が容易にそれを可能にしたのである。戦前の日本は戦後の日本の仕組みと基本的にはそれほど変わりのない社会である。もっとも変わったのは憲法九条によって軍隊が解散されたことであろう。

だが戦後日本の指導者はほとんどすべてが戦争遂行に協力した人々であった。ドイツのように戦時中に地下で反ナチ運動をしていたアデナウアー首相やブラント首相のような人物は日本には存在しなかった。したがって戦後日本の指導者は戦争協力はしたが、比較的に罪が軽いと認定された人々である。戦後日本の基礎を築いた吉田茂はたまたま駐英大使をつとめていたために東條内閣の戦争政策に協力しないですんだ。吉田茂のあと総理大臣になった鳩山一郎は戦前はあの滝川事件の言論弾圧に関与した文部大臣であったが、東條内閣には批判的であったという理由で公職追放になりながらも返り咲き、総理大臣にありつけた。戦後日本の指導者はそのほとんどが鳩山氏と同様公職追放から返り咲いた人々である。

公職追放というのは政治家や官僚、言論人を含む戦争協力者の責任が問われた人々であるが、朝鮮戦争によって占領軍の方針がレッドパージ(共産主義者の追放令)に移行したために、公職追放者はほとんど無傷のまま戻ってきた。戦争を指導した官僚たちも公職追放から戻ってきて、元の職にありついたりしている。したがって戦後日本というのは本当に新しく生まれ変わったわけではない。戦後日本の指導者たちはその多くが戦前の戦争協力者たちであった。

確かに戦後日本を始めるにあたって新憲法が公布され天皇が人間宣言し、そして基本的人権の尊重という戦前にはなかった文字がいれられた。この新憲法は確かに戦後民主主義の確立のための大きな柱になっている。しかしながら、戦前から戦後にかけて日本人の考え方が180度転換したわけではない。戦後日本の指導者はその大半が戦前の軍国主義の指導者でもあり、たまたま戦犯にされるほどの有力者でもなかったという理由だけで地位を保った人々である。ただし安倍総理の祖父の岸信介氏は戦前は東條内閣の商工大臣という重要閣僚であり、戦後は有力な戦犯候補になったが東條内閣時代に講和をすべきだという意見を述べていたという理由で幸運にも戦犯容疑からはずされた。いずれにしても岸信介が戦犯容疑から返り咲いた後、すぐに総理の座を射止めたという現象は、それ自体日本人の悪しき寛容性の見本であるというほかにない。のど元過ぎればなんとやら、というのが日本人の性格であり、この性格が良い意味でも悪い意味でも日本のおかしな民主主義を支えているのである。

余談であるが、安倍総理と彼の祖父岸信介を比較するのはその人間のレベルが違いすぎるといわざるをえない。岸信介は本物の秀才であり、若いころは北一輝に陶酔した社会主義者であった。一方、安倍総理は祖父の後光がなければただのぼんくらである。このような才能の欠片もない人物を総理に押し立てる日本という国は、戦前の日本とは別の意味で病んでいるというしかない。岸信介が日米安保の改定に命を捧げたのは当時の厳しい国際情勢の中で当然の選択であった。一方、今現在の国際情勢の中で集団的自衛権を閣議決定し、あえて中国を刺激する方策が当然の選択であるとは思えない。むしろ日本はこれによってアメリカの世界戦略の中に巻き込まれていくことが必至になってしまった。アメリカは日本の集団的自衛権によって何を期待しているのかというと、中国との対決ではなく、むしろ中東やアフリカのイスラム世界との対テロ戦争に加わってくれという事である。なぜならアメリカは今後できるだけ自国民の犠牲を少なくするために他の同盟国の助けを必要としているからである。安倍総理にはそこまでの想像がおよんでいないのではないかと思わざるを得ない。国際情勢が分かる頭の良い岸信介だったら、果たしてそのような国益をそこなう恐れのある変革をあえてしただろうか?

補足
最近のニュースの中で非常に無気味に思ったのは、文部科学省の圧力によって教科書検定基準が見直され、かなり大幅に公民や歴史教科書が修正されたという報道である。今回の修正の中で特に際立っているのは、公民、地理、歴史の教科書すべてにおいて領土問題に関する政府見解をそのまま掲載することを義務付けた点である。これについても批判意見があるはずだが、マスコミなどではほとんど表に出ることもない。なぜなら領土問題については、マスコミも野党も表向き同じ立場に立っているとみなされているからだ。下村文部科学大臣の弁によれば、この問題は時の政府によって変わる性質のものではないので、すべての教科書に明記することに何の問題もないとされる。

しかし、尖閣を領有したのは1895年で日清戦争(1894-1895)の渦中であり、竹島を領有したのは1905年で日露戦争(1904-1905)の渦中である。ところが国民のほとんどはそのような事実を知らない。戦争中に領有された新たな領土が戦争目的以外の理由であるはずはないしたがって竹島はアシカ漁をする島根県の漁民のために領有したという政府の説明は嘘である。実際は当時の竹島はロシアのバルチック艦隊を迎え撃つための重要拠点になった為に領有したのである。そこには戦争中に海底ケーブルまで設置されていた。その同じ年にロシアとの戦争に勝利し、事実上、日本は朝鮮半島の支配権を手に入れ、早速、保護国にしてしまった。

尖閣の場合も同じである。日清戦争で戦略的な重要拠点になった為に領有したのである。政府が公式にいうようにその島に清国の支配権が及んでいない無主の島であるということを確認したうえで領有したというのどかな話ではない。そこは交戦国の領土(もしくはその領域)であったが、これを戦略上略取したのである。

上記の日本政府の説明が事実ではないことは、日清戦争にさかのぼる10年ほど前に尖閣領有の是非を閣内で議論したことがあり、その時に井上馨外務卿が「そうすることは清国を刺激するおそれがある」と返答した記録が残っている。つまり日清戦争の前には日本政府は尖閣が必ずしも無主の地であるとは認識していなかったことになる

いうまでもなく日本は敗戦後に琉球諸島を含むすべての違法な占領地をポツダム宣言を受諾することによって放棄したことになっている。尖閣も竹島もいずれも戦争中に略取した違法な島であったという可能性があるのである。

このような事実を政府検定の教科書に載せることはむずかしいかもしれないが、せめて子供たちに嘘を教えるのはやめなければならない。(領土問題についてはいずれ機会があれば、また詳しく調べて書いてみたいと思います)

本項未定です。5月6日(最終更新日)

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