3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

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動物的本能としてのジェノサイドそして90年前の出来事

光合成で生きる植物を除くすべての生き物は生きるために他の生物を食べなければならない。当然、人間もそうしないと生きてゆけない。殺傷を禁じる仏教の教えではできるだけ肉食を避け、菜食主義に徹するという生き方もあるが、菜食といえども生物を食べることに変わりはない。

百田尚樹氏も絶賛する「南京虐殺は捏造だ」という人気ブログの主はその筋では有名な創造論者であるが、彼によるとノアの洪水以前の世界には肉食動物は存在していなかったという(それどころか恐竜と人類も平和的に共存していたともいう)。そうなると確かにこの世は平和な世界にみえるが、そうだとすると犬や猫を始めとした肉食性の生物というものはありえなくなる。人間も類人猿の親戚だとすると、おそらく肉食をせずにこのような身体構造に進化したとすることは考えにくいだろう。

いわゆる弱肉強食という法則は海中の魚類などの生態をみれば誰にも否定できない。海中ではほとんどの生物が食うか食われるかという過酷な世界の中で生きている。そこではより大きな魚がより小さな魚を餌にするという厳然たる食物連鎖があり、その食物連鎖の頂点に立つイルカのような大型生物でさえ、自分よりも大きなシャチなどに襲われて食べられることが多く、彼らは常にその恐怖の中で生きていかなければならない。

では、なぜ生物は生きるために他の生物を食べなければならないのであろうか?これはもちろん栄養を摂る為であるが、そもそも生物というのは不断の代謝活動がなければその生命は保てないようになっているのである。光合成によって太陽エネルギーを受け取っている植物を除くすべての生物は自ら動き回って他の生物を食べなければならない。そうすることによって他の生物がもっている栄養素を自己の体内で分解し、その栄養素を自分自身の体の維持のために使う。つまりわれわれの体というのは、血も肉も骨も毛も爪も元を正せばすべて他の生き物の構成要素で成り立っているのである。

そうでありながら「自己」というものを維持していられるのは、「DNA」という独特な複製装置をもっているからである。俗に「遺伝子」ともいわれる「DNA」の本来の姿はただただ自分と似たものを複製するというコピー機に他ならない。ただしDNAが自己複製を続けるためには、常にその材料となるアミノ酸という高蛋白の栄養素が必要になる。これは元々は炭素有機物であるが、自然界には存在しないので、他の生物を食べて、その蛋白源を自己の体内の消化酵素などで分解し、その中のアミノ酸という単純な要素を自己のDNAの鋳型に合わせて再構成すると、まったく同じDNAを宿した細胞が複製されていく。このようにして生物は他の生物を自分自身の構成要素へと変えながら、自分自身の生存を維持しているのである。

こう考えると、生物が互いに食べ合うという関係で結びついているのは必ずしも残酷というものではなく、それは生物が生きてゆくための宿命あるいは自然の摂理ともいうべきかもしれない。生物学者のリチャード・ドーキンスにいわせると、生物というのは遺伝子が複製するための生存機械に他ならないというのであるが、この理論は実際、反論するのが難しいほど様々な生物の生態を説明してくれる。しかも、この理論が凄いのは単に生物学の理論としてだけではなく社会学の理論にもなることである。特に人種問題とか民族問題を考えると、この理論は気持ちが悪いほどにわれわれのある種の恐ろしい本能を説明してくれる。ついでながら、私は「神は妄想だ」とまでいうドーキンスの支持者ではまったくないが、彼の理論にはそれなりの説得性があることは認めないわけにいかないと思っている。

ドーキンスの理論によると、生物というのは自分の遺伝子を殖やすことだけが目的だとされている。だから動物のオスはより多くのメスと生殖し、自分の遺伝子を残そうとするのだと説明される。ハチやアリのように女王アリ、女王蜂に仕えることによって、共同でその目的を達成しようとする生物もある。自分の遺伝子が残せない場合はできるだけ自分に近い遺伝子を残すことでその目的が代理的に達成されることもある。いわゆる種族保存本能というものは、そのような代理的な本能によるものと考えられる。

人間の場合もその生態はほとんど同じであるが、但し、人間の場合は代理的な種族保存本能が異様に発達した生物だといえるかもしれない。ナショナリズムという人間の本性は、自分が属する遺伝子集団が共通の利益のために行動する傾向性があることを意味している。通常、人間は自分の血族を守ろうとするが、その延長上に地域や民族、あるいは国家という共同体があり、時にはその共同体のために自分の命を捧げることが最高の正義であると唱えられる。

なぜこんなことを遠まわしに書いているのかというと、最近、にわかに注目されだした隣国に対する異常なヘイトスピーチをみていると、これはまるで免疫細胞の異常増殖の仕組みと同じではないかと感じざるをえないからである。免疫細胞の役割というのは、とにかく異なったDNAをもつ組織を徹底的に攻撃し「非自己的要素(異物)」を体内から追い出すことにある。その仕事に従事する細胞は必ずしも常時多くあるわけではないが、なんらかの「非自己的要素」の侵入が識別されると、その攻撃のために突然仲間を増やして、圧倒的な数の力で「自己」を防衛しようとするのである。このような免疫細胞の働きがあるからこそ細菌やウイルスの感染に対して、われわれは自己の身体を健康体に守ることが可能となっているので、それは決して悪いわけではない。

しかし、そのような生物学的仕組みが民族差別という本能に影を落としているとすれば、これは恐ろしいことである。この本能をそのままやりたい放題にするとジェノサイドという忌まわしい記憶がまたよみがえる。実際、過去にはあらゆる世界でジェノサイドが起こっている。この数世紀の間でもスペイン人とポルトガル人によるインカ人やマヤ人の大量虐殺、アメリカ人によるインディアンに対する大量虐殺、オーストラリア人によるアボリジニの大量虐殺、ナチによるユダヤ人大量虐殺、ソ連によるウクライナ人大量虐殺、ルワンダのフツ対ツチの部族対立に端を発した大量虐殺、・・・等々、世界中の至る所でジェノサイドが起こっている。現在においてもイスラエル人によるパレスチナ空爆やロシアによるウクライナ侵攻など、多くの地域でジェノサイドに近い行為が行われていることは憂慮すべきことである。

決して忘れてならないことは、われわれ日本人もこの百年の間に朝鮮人や中国人に対するジェノサイドの加害国であったということである。そんな事実はなかったという日本人がいるが、これはナチによるユダヤ人のジェノサイドはなかったというのと同じ、あるいはアメリカ人によるインディアンのジェノサイドをなかったというのと同じで、ジェノサイドという恐ろしい人類の普遍的本能に対する反省を拒否することを意味するものと受け取られ、現代では決して許されないことである。なぜなら人類は過去あまりにもおびただしいジェノサイドを経験しているので、その恐ろしい本能を自覚し反省することなしには、再び同じ過ちを繰り返す怖れがあるからである。

その意味で最近の一部日本人の言動は世界に衝撃を与えているといってもよいだろう。

「よい朝鮮人も悪い朝鮮人もいない。朝鮮人を皆殺しにしろ!!!」

これは実際に東京新大久保のあたりの在徳会によるデモで拡声器を使用して叫ばれていた言葉である。このような酷いヘイトスピーチは日本も加盟している民族差別撤廃条約に違反する言動であり、「民族差別にあたる」とした裁判所の判決もでた。これは当然の判決であろうが、しかしネット社会の中ではもっとひどい言葉が今でも毎日飛び交っている。それどころか最近は雑誌や本のタイトルであきらかに民族差別を助長するような言葉があふれており、もはやこの現象は一部日本人の非常識な言動ではすまされないだろう。

もしかすると、ここ一年か二年の間(おそらくは安倍政権誕生後)に日本人はわれ知らず先祖がえりを起こしているのではないであろうか?そんな危惧すら感じられるほど不気味な世相になっているような気がする。

かつて東京や横浜でそのような言葉をさけびながら朝鮮人を大量に虐殺した経験があることをわれわれは今こそ思い返す必要があるのではないだろうか。1923年の9月1日から数週間の間、その恐ろしい事件は起こった。今から約90年前の話である。この事件について歴史の教科書には次のように書かれている。

1923(大正12)年9月1日、午前11時58分、関東一帯を見舞ったマグニチュード7.9の大地震とそれに続く大火災は、東京、横浜をはじめとする関東地方南部に甚大な被害を与え、死者、行方不明者は10万人以上、被災者は340万人以上に達した。震災の大混乱の中でさまざまな流言蜚語が乱れ飛び、戒厳令がしかれて、社会不安がいやがうえにも高まった。朝鮮人虐殺はこのような異常な雰囲気の中で発生した。すなわち“朝鮮人の暴動”“朝鮮人の放火”などの流言が広がり、恐怖にかられた民間の自警団や警察官らが、朝鮮人と思われる人々を次々と捕え、暴行を加えたり殺害したりした。その中には誤認された中国人や日本人含まれていたと思われる。殺された人の総数は正確にはわからないが、3000人とも5000人ともいわれるほどに達した。虐殺事件を起こした自警団員の中には、裁判にかけられ処罰された者もあったが、多くの者は不問に付され、事件の真相は謎の部分が多い。例えば事件の核心ともいうべき流言の出所についても、自然に発生したとする説、日本の治安当局が集団的に流したとする説、右翼の一派が流したとする説などがあるが、真相は明らかではない。「もういちど読む 山川 日本近代史」(山川出版社)P179

現在では当時の流言蜚語がデマであり、にもかかわらず多数の朝鮮人が殺されたということは(左右を問わず)まともな歴史研究家であれば否定する者はいないはずだが、しかし悲しいことに、最近では、「南京の虐殺は捏造だ」という人々と同じく、「朝鮮人の暴動は実際にあった」とか「朝鮮人が実際に井戸に毒をいれた」というような根拠のない話に真実味があるといって虐殺を正当化する人々も増えている。

彼らがいうように、仮に一部の朝鮮人が暴動を起したという噂が真実であったとしても、その暴動に関わっていると証明もされていない無実の朝鮮人がただ朝鮮人であるというだけで裁判も受けずに犬畜生のように虐殺されても仕方ないと考えるのは恐るべきことであろう。

関東大震災当時、インターネットやテレビはもちろんなく、ラジオさえもまだなかった時代である。電信や電話の設備はあったが地震のためにまったく使えなかった。あったのは瓦版のような地方新聞の号外だけである。その号外が一斉に暴動の噂について人々に警告したものだから、その噂は一定の真実味をもって受け取られたということは確かである。そのとき「朝鮮人が暴動を起こしている」とか「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という噂に民衆が不安になって自警団を作ったというのは仕方ないことであった。しかし、彼らは朝鮮人(またはそれらしき人)をみると、弁解も何も聞き入れずにその場で殺していった。

民衆の暴動というと関東大震災の数年前に米騒動といわれる大規模な民衆の暴動があった。
この時は神戸の鈴木商店などが焼き討ちされたりする具体的な被害が各地で多く出ている。その参加者は全国で数百万人ともいわれ、十万人もの軍が出動して鎮圧にあたった。しかしながら、それほどの大規模な暴動にもかかわらず犠牲者はほとんどでておらず、大半は検挙された後に正式な裁判で処罰され、そのうち死刑を言い渡されたもの数名、その他は比較的軽い刑で済んだ。※ただし、米騒動は朝鮮人が起こした暴動ではなく、日本人が起こした暴動である(念のため)

今、話題になっている「九月 東京の路上で」加藤直樹著(ころから2014・3)という本の中から、その事件の生々しい記憶を語った証言の一部を紹介してみたい。

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9月1日午前10時ころすごい雨が降って、あと2分で12時になるというとき、グラグラときた。「これ何だ、これ何だ」と騒いだ。くに(故国)には地震がないからわからないんだよ。それで家は危ないからと荒川土手に行くと、もう人はいっぱいいた。火が燃えてくるから四ツ木橋を渡って一日の晩は同胞14名でかたまっておった。女の人も二人いた。そこへ消防団が4人来て、縄でおれたちをじゅずつなぎに結わえて言うのよ。「俺たちは行くけど縄を切ったら殺す」って。じっとしていたら夜8時頃、向かいの荒川駅のほうが土手が騒がしい。まさかそれが朝鮮人を殺しているのだとは思いもしなかった。
翌朝の5時ごろ、また消防団トbが4人来て、寺島警察に行くために四ツ木橋を渡った。そこへ3人連れてこられて、その3人が普通の人に袋叩きに殺されているのを、わたしたちは横目にして橋を渡ったのよ。そのとき俺の足にもトビが打ち込まれたのよ。橋は死体でいっぱいだった。土手にも、薪の山があるようにあちこち死体があった。
曾仁承の証言 同書30-31P
 
ともかく、神楽坂警察署の前あたりは、ただごととは思えない人だかりであった。自動車も一時動かなくなってしまったので、わたくしは車から降りて、その人だかりの方に近寄って行った。群衆の肩越しにのぞきこむと、人だかりの中心に二人の人間がいて、腕をつかまれてもみくしゃにされながら、警察の方へ押しこくられていくのだ。(中略)
突然、トビ口をもった男が、トビ口を高く振り上げるやいなや、力まかせにつかまった二人のうち、一歩おくれていた方の男の頭めがけて振り下ろしかけた。わたくしは、あっと息をのんだ。ゴツンとにぶい音がして、なぐられた男はよろよろと倒れかかった。ミネうちどころか、まともに刃先を頭に振り下ろしたのである。ズブリと刃先が突き刺さったようで、わたくしはその音を聞くと思わず声をあげて、目をつぶってしまった。
ふしぎなことに、その凶悪な犯行に対して、だれも止めようとしないのだ。そして、まともにトビ口を受けたその男をかつぐようにして、今度は急に足が早くなり、警察の門内に押し入れると、おおぜいの人間がますます狂乱状態になって、ぐったりした男をなぐる、ける、大あばれをしながら警察の玄関の中に投げ入れた。
人もまばらになった警察の黒い板塀に、大きな張り紙がしてあった。それには、警察署の名でれいれいと目下東京市内の混乱につけこんで「不逞鮮人」の一派が母堂を暴動をしている模様だから、市民は厳重に警戒せよとかいてあった。トビ口をまともに受けて殺されたか、重傷を負ったかしたにちがいないあの男は、朝鮮人だったのだなとはじめてわかった。
中島健蔵の証言 同書P33-34

朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました。大地震の大災害で人心が非常な不安に陥り、いわゆる疑心暗鬼が生じまして一日夜ごろから朝鮮人が不逞の計画をしておるとの風評が伝えられ淀橋、中野、寺島などの各警察署から朝鮮人の爆弾計画せるものまたは井戸に毒薬を投入せるものを検挙せりと報告しましたが、2日午後2時ごろ富坂警察署からまたもや不逞鮮人検挙の報告がありましたから念のため私自身が直接取り調べたいと考え直ちに同署へ赴きました。(中略)
 折から警視庁より不逞鮮人の一団が神奈川県川崎方面より来襲しつつあるから至急帰庁せよとの伝令が来まして急ぎ帰りますれば警察庁前は物々しく警戒線、私はさては朝鮮人お騒ぎは事実であるかと信ずるに至りました。(中略)
 しかるに鮮人がその後なかなか東京へ来襲しないので不思議に思うておるうちようやく夜の10時ごろに至って、その来襲は虚報なることが判明いたしました。この馬鹿馬鹿しき事件の原因については、種々取り沙汰されておりますが、要するに人心が異常なる衝撃を受けて錯覚を起こし、電信電話が不通のため、通信連絡を欠き、一犬虚に吠えて万犬実を伝うるに至ったものと思います。警視庁当局として誠に面目なき次第であります。
正力松太郎(元警視庁官房主事 後、読売新聞社主)同書P37-38

亀戸に到着したのが午後の2時ころであったが、震災民でハンランする洪水のようであった。連帯は行動の手始めとして先ず、列車改め、というのをやった。将校は抜剣して列車の内外を調べ回った。どの列車も超満員で、機関車に積まれてある石炭の上にまで蠅のように群がりたかっていたが、その中にまじっている朝鮮人はみなひきずり下ろされた。そして直ちに白刃と銃剣下に次々と倒れていった。日本人避難民の中からは嵐のように沸き起こる万歳歓呼の声―国賊―朝鮮人は皆殺しにしろ!ぼくたちの連帯はこれを劈頭の血祭りにし、その日の夕方から夜にかけて本格的な朝鮮人狩りをやりだした。
越中谷利一(当時、習志野騎兵連隊の隊員)証言 同書P42-43

9月2日午後8時頃、北多摩郡千歳村字烏山地先甲州街道を新宿方面に向かって疾走する一台の貨物自動車があって、折から同村へ世田谷方面から暴徒来襲すると伝えたので、同村青年団、在郷軍人団、消防隊は手に手に竹やり、棍棒、トビ口、刃などを担ぎ出して、村の要所要所を厳重に警戒した。
この自警団もたちまち警戒団の取締りを受けたが、社内に米俵、土工用具などとともに内地人(日本人)1名に伴われた鮮人17名が潜んでいた。これは北多摩郡府中町字下河原の土工親方、二階堂佐次郎方に止宿して労働に従事していた鮮人で、この日、京王電気会社から二階堂方へ「土工を派遣されたい」との依頼があり、それにおもむく途中であった。
朝鮮人と見るや、警戒団の約20名ばかりは自動車を取り巻き二、三、押し問答をしたが、そのうち誰ともなく雪崩るように手にする凶器を振りかざして打ってかかかり、逃走した2名を除く15名の鮮人に重軽傷を負わせ、ひるむと見るや手足を縛して路傍の空き地へ投げ出してかえりみるもいのもなかった。
時を経てこれを知った駐在巡査は府中書に急報し、本書から係官が急行して被害者に手当を加えるとともに、一方で加害者の取り調べに着手したが、被害者中の1名は翌3日朝、ついに絶命した。加害者の警戒団に対しては10月4日から大々的に取り調べを開始した。18日までに喚問した村民は50余名におよび、なお目下引き続き署長自ら厳重取り調べ中である。
「東京日日新聞」1923年10月21日付け P46-47

たしか3日の昼だったね。荒川の四ツ木橋の上手に、朝鮮人を何人もしばってつれてきて、自警団の人たちが殺したのは。なんとも残忍な殺し方だったね。日本刀で切ったり、竹槍でついたり、鉄の棒で突き刺したりして殺したんです。女の人、中にはお腹の大きい人もいましたが、突き刺して殺しました。私が見たのでは、30人くらい殺していたね。
青木証言 P53

淵崎警察署より護送援助を請求せられたる特務曹長島崎儀助の命を受け、巡査5名共に洲崎にて暴行せし不逞鮮人約30名を同署より日比谷警察庁に○○○(判読不能)永大橋に至りたるに橋梁焼毀し不通のため渡船準備中1名の鮮人逃亡を始めしを動機とし内17名、突然隅田川に飛込みしを以て巡査の依頼に応し、実砲17発を河中に向て射撃す。河中に入らずして逃亡せんとせし者は多数の避難民及警官の為に打殺されたり。
関東戒厳司令部詳報 震災警備ノ為兵器ヲ使用セル事件調査表 P65-66


千葉街道にでると、朝鮮人が1000人近いなと思うほど4列に並ばされていました。亀戸警察に一時収容していた人たちです。憲兵と兵隊がある程度ついて、習志野の方へ護送されるところでした。
もちろん歩いて、列からはみ出すと殴って、捕虜みたいなもので人間扱いじゃないです。(中略)僕は当時純粋の盛りですからね。この人たちが本当に悪いことをするのかなって、気の毒でした。(中略)
ここへまできたら、針金で縛って連れてきた朝鮮人が8人ずつ16人いました。さっきの人たちの一部ですね。憲兵がたしか2人。兵隊と巡査が4、5人ついているのですが、そのあとを民衆がぞろぞろついてきて、「渡せ、渡せ」「俺たちのかたきを渡せ」って、いきり立っているのです。
銭湯に朝鮮人を入れたのです。民衆を追っ払ってね。僕も怖いものみたさについてきたんですけど、ここで保護して習志野に送るのだなあと、よかったなぁと思いましたよ。それで帰ろうとしたら、何分もしないうちに「裏から出たぞ!」って騒ぐわけです。
何だってみると、民衆、自警団が殺到していくんです。裏というのは墓地で、一段低くなって水がたまっていました。軍隊も巡査も、あとはいいようにしろと言わんばかりに消えちゃって、さあもうそのあとは、切る、刺す、殴る、さすがに鉄砲はなかったけれど、見てはおれませんでした。16人完全にね殺したんです。5、60人が固まって半狂乱で。
ちょうど夕方4時半かそこらで、走った血に夕陽が照るのが、いまだに60何年たっても目の前に浮かびます。自警団ばかりじゃなく、一般の民衆も裸の入れ墨をした人も、「こいつらがやったんだ」って、夢中になってやったんです。
浦辺政雄証言 同書P93-94

私は内閣諸公がもっとも人道上悲しむべき所の大事件を一言半句も此神聖なる議会に報告しないで、又神聖なるべき筈の諸君が一言半句も此点に付て述べられないのは、非常なる憤激と悲しみを有する者であります。それは何であるかといえば、朝鮮人殺傷事件であります。
千人以上の人が殺された大事件を不問に附して宜しいのであるか。朝鮮人であるから宜しいと云う考えを持って居るのであるか。吾々は悪いことをした場合には、謝罪すると云うことは、人間の礼儀でなければならないと思う。(中略)
日本国民として吾々は之に向かって相当朝鮮人に対する陳謝をするとか、或いは物質的の援助をなするとかしなければ、吾々は気が済まぬように私は考えるのである。被害者の遺族の救済ということも講じなければならぬ。各国に向かって、謝電を送り、外国に向かって先日吾々議院が謝意を表明する前に、先ず朝鮮人に謝するのが事の順序ではなかろうか。 
1923年12月14日 田渕豊吉衆院議員(無所属)の国会質問  同書p162


残念ながら、この議員の質問をみても分かるとおり、時の政府は朝鮮人虐殺に対して謝罪をした形跡はない。それは虐殺を認めなかったからではなく、そもそも朝鮮人の国は併合によって存在していなかったし、また併合の建前によれば彼らはもはや朝鮮人ではなく日本人なのであるから、朝鮮人という理論上存在しない民族に対して謝罪するというのは、自己矛盾に他ならないからではなかったであろうか。しかし実態上では、当然のことながら、朝鮮人というのは被差別民族であり、日本人にとっては目障りな異物に他ならなかった。

ここでわれわれが気づかなければならないのは、韓国併合という歴史の暴挙はまさにジェノサイドと同じだということである。にもかかわらず、現在でも併合は韓国人が望んでいたことであるとか、併合によって韓国人の暮らしがよくなったといって正当化しようとする人々が多くいる。これはジェノサイドを正当化する企てと同じことなのだ。

併合とは異民族を飲み込みその血(歴史)と肉(伝統)を解体し、自らの構成要素に取り込むことに他ならない。併合した方はそれによってより巨大になることができるが、併合された側はそれによって自らの歴史や伝統を消失する。これこそジェノサイドの最たるものである。もし併合が数百年間も続いていれば、韓国人や朝鮮人という人種は跡形もなくなってしまったであろう。

事実、併合によってすべての韓国人は日本語の使用及び姓名を日本式に名乗ること(創氏改名)を強制され、日本の歴史を自らの歴史として受け入れ自らの皇室を廃止し、日本の国家神道を奉じ皇国の臣民となることを強要されたのであった。以後、日本人は韓国人(朝鮮人)を一視同仁として扱い日本国民と同じ権利を与え差別はしないという建て前であったが、その実態は関東大震災の朝鮮人虐殺によっても明らかなように、官も民もそろって朝鮮人を人間としてさえ扱っていないのであった。

元来、朝鮮人の歴史は日本人の歴史よりも古く、古代では日本の兄貴分として大陸の文明を伝えてくれた大恩のある隣国である。彼らは地続きの大陸から度重なる侵略を受け続け、常に中国王朝の属国という立場に甘んじてきた。それでも彼らは決して自己のアイデンティティを失うことはなく、過酷な歴史の修羅場の中でも脈々と生き続けた。しかし併合という出来事は彼らの過酷な歴史の中でも経験のないもっとも屈辱的な出来事であった。

もちろん竹田恒泰氏ら併合肯定論者がいうように、朝鮮人がそれを自ら望んで受け入れたなどということはありえない。日本は1876年の日朝修好条約の締結以来、朝鮮王朝の内政に力づくで関与し続け、1895年には反日派の王妃を虐殺するという暴挙まで行い、親日派を無理矢理に押し立て最終的に李王朝の人事権を握った。その中で皇帝の強い反対さえも抑えられて締結されたのが日露戦争後の1905年に結ばれた日本による韓国の保護国化を定めた日韓議定書である。

しかしあまりにも露骨な内政干渉に韓国民の怒りが沸騰し、各地で農民による義兵闘争が繰り返された。日本はその度に実力で弾圧したが、どんなに弾圧しようと彼らの旺盛な独立心を消失させることはできなかった。これは1910年の併合後も決して衰えることはなかったのである。併合に反対しながらも自らの皇位を追われた李朝皇帝高宗が死去後、1919年三月一日葬儀の日に併せて独立運動が盛り上がってゆく。すなわち三・一運動という現在の韓国でも国民の祝日とされている独立運動である。当初は平和的な非暴力の運動であったが、やがて弾圧も激しくなり同時に各地で暴動が起こるようになった。

1923年の関東大震災時にはすでに運動は終息していたが、日本人には三・一運動の記憶があり、当局は震災の混乱をきっかけに朝鮮人や社会主義者の暴動が起こるのではないかと心配していたのである。

しかし、突然襲った地震の恐怖は日本人も朝鮮人も同じである。その混乱に乗じて暴動を起こそうなどという発想はまずもって考えられない。暴動の噂が広まったのはわずか一日後のことであり、少なくともそんな短時間の間に暴動を計画することはどう考えても無理である。朝鮮人は武器をもっていないし、互いに通信する手段はなにももっていない。せいぜい数百人という朝鮮人の部落内で急きょ決起集会をやったとしても、地震の恐怖に自ら怯える人々が蛮勇を振り絞って凶行に走るなどとは想像できない。したがって、どう考えてもそれらの流言蜚語は流言蜚語以上の何物でもないだろう。

イザヤ・ベンダサン(または山本七平)の「日本人とユダヤ人」の中でも、最終章のあたりでこのときの朝鮮人暴動の流言について老婦人の回想を紹介しながら数ページを費やしてふれられているが、要するにそれらの流言は地震の恐怖に駆られた朝鮮人が日本人とまったく同じ行動にでたことが原因だったとして次のように決めつけている。

老婦人の話はまだ続く。しかし結局は、日本人も朝鮮人もほぼ同じことをやっていた、の一言に尽きる。事実、この婦人も、子供たちの手をひいて、「大挙して兵営に押し寄せた一人だし、そこで馬に水をやるための井戸にみんなで群がって水を飲んだというから―では一体全体、朝鮮人はなぜ虐殺されたのか、この大火災に遭遇して、思わず日本人と同じことをしたゆえに殺されたのだといえる。そしてこれが迫害における一要素なのである。アメリカでも黒人が、白人と同じことをすれば殺される。黒人はこれを皮膚の色(およびそれに象徴されるもの)の故だと思い込んでいる。しかし、日本に来てみれば、それが誤りであり、問題はもっと深刻なことがわかるであろう。事実、日本人と朝鮮人には皮膚の色には差はないし、外観もわれわれには見分けがつかない。従ってこれは、異種族への動物的・本能的拒否とでも言う以外に説明がつかないであろう。(「日本人とユダヤ人」山本書店P151)


イザヤ・ベンダサンにしては安易な結論ではないかと受け取る人もいるかもしれないが、私はこの本質を突いた分析こそベンダサン(または山本七平)の真骨頂であると思う。当時まだリチャード・ドーキンスの理論もなかった時代で、ジェノサイドを動物学的本能だと見抜いたのは驚くべき洞察力ではないだろうか?

ところが、同じ保守派といわれる人々の間でも、とにかく自虐史観はいけないという(ある種の異常な動物的本能をもつ?)人々はこのときの朝鮮人暴動の噂は本当にあったのだと何の根拠もなく決めつけているので唖然とさせられる。調べると、どうやらこの説は「関東大震災『朝鮮人虐殺』の真実」工藤美代子著(産経新聞出版局2009年12月)という本に基づいているらしい。出版社をみれば、さもありなんとも思われるが、残念ながらすでに絶版本で、わずかに出回る中古本も希少価値のせいか(それともその種の同類の間で需要が多いのか?)あまりに高額なので、現在購入を渋っているところである。もしこの本に目を通す機会があり、なんらかの新事実でも書かれているということが分かれば、このブログ記事の追記として書くことをお約束したいと思うが、そういった可能性はまずありえないと思う。おそらくは「南京虐殺は捏造だ」の東中野氏のごときプロパガンタであろう。

しかしながらおそるべきは、この種のプロパガンタが現在でも通用してしまうということである(むしろ逆に真相について知る人物がいなくなった現在だからこそ通用してしまうのだろうが)。

実は、先に紹介した本「9月東京の路上で」(加瀬 直樹著)のアマゾンのレビューをみると、その種のプロパガンタを鵜呑みにしている人々がいかに多いかということに吃驚させられるのである。興味がある方はぜひそのレビューをみていただきたい。中でも驚かされるのは、「朝鮮人が殺されたのは理由がある。それは彼らの日ごろの行いが悪かったからである」などと書いており、驚くべきことに、このレビューが「参考になる」とする評価ポイントが大多数にのぼっているのである。この発想は「よい朝鮮人も悪い朝鮮人もいない。朝鮮人はみな殺せ」と言っている人々と同じ仲間なのであろう。

どうしても朝鮮人の暴動の噂は真実にもとづいていると信じたい人には、当時の裁判所の判断もあるので紹介しておこう。出典は菊池寛賞を受賞した名著「関東大震災」吉村昭著 (文春文庫 2004年8月)。

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流言は「朝鮮人放火す」という単純なものであったのに、夜の間に「朝鮮人強盗8月す」「朝鮮人強姦す」という内容のものとなり、さらには殺人を犯し、井戸その他の飲水に劇薬を投じているという流言にまで発展した。
殺伐とした内容を帯びた流言は、人々を恐れさせ、その恐怖が一層流言の拡大をうながした。そして、その日の正午頃までに横浜市内にたちまち広がり、鶴見、川崎方面にまで達してしまった。
さらに日没近くになると、横浜市西戸部町藤棚付近から、
「保土ヶ谷の朝鮮人土木関係労働者三百名が襲ってくる」
という風説につづいて、
「戸塚の朝鮮人土木関係労働者二、三百名が現場のダイナマイトを携行して来襲してttる」という流言すら起こった。それは、具体的な内容をもっていただけに短時間に横浜市から市の近郊にまで伝わった。
このような朝鮮人に関する風評については、後に横浜地方裁判所検事局で徹底した追跡調査が行われた。それによると検事局では、初めその風説を裏付ける事実があったのではないかという判断のもとに、流言の発生地を中心に一般人、警官、軍人等から事実を聴取したという。しかし、調査の結果、それらの風説はまったく根拠のないもので、朝鮮人による放火、強盗、殺人、投薬の事実は皆無で、保土ヶ谷、戸塚の土木関係労働者の集団的行動もなかった。(
吉村昭著「関東大震災」P165-166)

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