3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

日清戦争を痛烈に批判した勝海舟

イザヤ・ベンダサン(山本七平)著「日本人とユダヤ人」の中に次のような一節がある。

日本人すなわち日本教徒を手っとり早く理解するにはどうしたら良いか、という相談を受けた場合、私は即座に『氷川清話』を読めということにしている。確かに、記紀万葉より源氏・平家・枕の草子より徒然草、さらに漱石、鑑三、川端康成まで読み、さらに仏典から日暮硯、駿台雑話まで読めば良いのだろうが、外国人には(専門家は別だが)それだけ読破するのは到底不可能だから、私は前記の書をあげる。ただこの書にも難点がある。言うまでもなく『氷川清話』は勝海舟の談話を筆記したものだが、その中で海舟が言及しているさまざまな人物や、その人物が活動した明治維新という背景が分からないと理解できない。しかしそれらについてのある程度の予備知識があれば、これにまさる本はない。

まず第一に勝海舟という人物が、その時代の第一級(もちろん全地球上での)の人物であったことによる。これほどの人物は確かに全世界を通じて一世紀に一人も出まい。彼と比べれば同時代のナポレオン三世などは紙屑のごとく貧弱である。三度の食事も満足にできない貧家に生れ、十二歳にして将軍家慶に見出されて以来、海軍の創設、咸臨丸の渡米は言わずもがな、長州征伐、対外折衝、その他すべての難局には召し出されてその任にあたる。その間、反対派の刺客に常につけねらわれながら一人のボディーガードも置かず、両刀さえもたない。現状を正確に分析し、当面の問題を解決する手腕は文字通り快刀乱麻を断つで常人とは思えないが、一方、遠い将来を正しく予測している、実にすばらしい人物であって、まさに「政治天才」の民族の典型であり超人であるといってよい。事実、彼のことを少しでも知った外国人で、彼に感嘆しない人はいない。私などもイスラエルの歴史にこういう人が一人でもいてくれたらと思う。(『日本人とユダヤ人』山本書店P99-100)


最近この文章を思い出し(イザヤ・ベンダサンこと)故山本七平氏がこれほど褒めちぎっていた勝海舟という人物に興味をもってお正月前に「氷川清話」(講談社学術文庫)を購入して今読んでいるところである。

勝海舟というと一般に幕末の志士の中では3番目か4番目、良くても2番目に語られる人物ではないだろうか?もちろん、では1番目は誰かというと坂本龍馬でありあるいは西郷隆盛である。ところが龍馬にしても西郷にしても勝海舟の影響を抜きには彼らの活躍は考えられない。龍馬は勝海舟の弟子であり、そして西郷は勝海舟によって世界観を変えられた恩師である。事実上、維新の最大の立役者は誰かというと、それは西郷隆盛に違いないが、しかし勝海舟という人物がいなければ西郷の活躍はありえないし、また薩長同盟の役割を果たした龍馬の活躍もありえない。したがって、勝海舟こそが明治維新の影の立役者だったということはだれしも認めるところであろう。これは歴史の常識といってもよいのであろうが、しかし故山本七平氏にいわせると、勝海舟の偉大さはそんな程度ではないのである。

「勝海舟という人物が、その時代の第一級(もちろん全地球上での)の人物であったことによる。これほどの人物は確かに全世界を通じて一世紀に一人も出まい」と山本七平にいわしめたものは、一体何だったのであろうかと思いながら、「氷川清話」を読んでみると、確かにこれはすごい人物であったということがなんとなく分かってきたのである。勝海舟が本当にすごいと思うのは、彼が華々しく活躍していた幕末の時代ではなく、むしろ明治維新後に彼が政治的に引退した後の発言を知れば分かる。

なんと、彼は日清戦争に反対していたのである!それのどこがすごいのかと思う人もいるかもしれない。しかし、当時の政治家や知識人の中で表立って日清戦争に反対した人物はおそらく勝海舟以外には見いだせないであろう。あのクリスチャンで非戦論者の内村鑑三でさえ、後年の日露戦争には反対したが日清戦争には支持していたし、さらに当代最高の知識人夏目漱石でさえ支持者だったというから、勝海舟という人物の非凡さが分かるのではないか。ちなみに昨年のNHK大河ドラマの準主役であったクリスチャンの新島譲は残念ながら日清戦争前に亡くなったので、彼が生きていたらどのようにあの戦争を感じたであろうかということは大いに興味のあるところだが、しかし、彼の第一弟子ともいえる徳富蘇峰が日清戦争を契機に好戦論者となり、自ら新聞社を立ち上げて軍国主義化を推し進める国粋主義右翼の代表的言論人となり、彼のその後の過激な好戦論が太平洋戦争開戦に至るまで国民を扇動していったという事実をみると、新島譲も天国で安らかではなかったであろう。

ちなみに「八重の桜」のラストに近いシーンで綾瀬はるか扮する新島八重が日清戦争後好戦的言論を展開していた徳富蘇峰を叱り飛ばしていたのは、事実であったかどうかはともかく、その後の徳富蘇峰のあまりの愚行に対して新島譲が感じていたことを八重に代弁させたのであろうと思われる。なぜなら新島譲は日清戦争に反対していた勝海舟とも当時非常に近い存在であり、彼の墓碑銘はなんと勝海舟の筆によるものであったというのである。おそらく勝海舟にとっても新島譲の死はこの先の日本にとってあまりにも惜しまれる死だと思われたのではあるまいか。

したがって故山本七平氏があれほどまでに勝海舟を称賛していたのは故なきことではなく、おそらくは勝海舟の維新後の一連の発言がまさに当時の世界でも例をみないほど非凡な人物であったという証拠を発見したからであろうと思われる。ちなみに故山本七平氏は新島譲に並ぶほど日本でももっとも古い明治初期からのクリスチャンの家系であり、彼の両親は日露戦争後に非戦論者になった内村鑑三の弟子だったということを知っていただければ、故山本七平氏が何故に勝海舟を称賛していたのかということの理由の一端が分かるであろう。先の文章の中で特に重要な指摘は次の一文である。

現状を正確に分析し、当面の問題を解決する手腕は文字通り快刀乱麻を断つで常人とは思えないが、一方、遠い将来を正しく予測している、実にすばらしい人物であって、まさに「政治天才」の民族の典型であり超人であるといってよい

この一文に要約されている山本七平氏の洞察力の深さを知っていただきたい。幕末当時、勝海舟が生きていた時代はいまだ日本人が日本人としての意識のない時代であって、そもそも「日本人」とか「日本国民」という言葉さえもなかった時代である。当時の人々は「江戸人」とか「長州人」「薩摩人」というような意識の中に生きていた時代であり、その上に「日本人」という意識を持つ人びとはほとんど皆無といってもよかったのである。しかし、黒船の来航によって日本人の民族意識は急激に変わらざるをえなくなったのであるが、勝海舟はその黒船来航以前から自ら蘭学を学び、洋学の知識を誰よりも先に身につけることによって、近い将来に日本が藩意識から脱皮しなければならないということを感じていた。と同時に、彼は日本が西洋列強の植民地化を防ぐためには海軍を作って黒船に対抗する実力をつけなければならないということを江戸幕府に進言し、それを実現させたのである。

黒船来航で初めて危機感に目覚めた当時の武士たちは攘夷か開国かという両論に分かれるのであるが、勝海舟はそのどちらでもなくもっと先の将来を見据えていたのである。すなわち日本人はもはや藩の意識を脱皮して、藩同士の利害対立を超えた世界の中の日本人としての意識に目覚めなければならないと説いたのである。この勝海舟の考え方に共鳴して弟子入りしたのが坂本龍馬であり、そしてそれまでは薩摩藩の利益だけしか考えていなかった西郷隆盛の意識まで変えてしまうのである。戊辰戦争最大の山場で江戸総攻撃の態勢をとっていた西郷率いる官軍に対して、江戸城の無血開城という画期的提案をもって西郷に面会を求めたのは、それ以前から西郷に対する信頼関係があってのことである。勝海舟は終始一貫平和主義者ではあるが、いざとなれば江戸を火の海にして戦う覚悟もできていた。要するに勝海舟が西郷に説いたのは、日本人が団結しなければならないということであり、そうしなければ列強の植民地にされてしまうということであった。

しかしながら明治新政府樹立後、やがて西郷隆盛と勝海舟は二人とも下野せざるをえなくなり、新政府の要人は主に長州藩閥に占められていくのであるが、彼らは二人とも明治新政府に対して不満を募らせるのである。ただし、西郷隆盛と勝海舟の考え方は明らかに違ったものであった。西郷隆盛は新政府が武士の伝統を否定し一挙に西欧化することに抵抗を感じていたが、勝海舟は新政府が新たな排外主義になってしまったことに対して失望するのである。ただし勝が失望したのは明治新政府に長州藩が占めることに失望したのではなく、もっと大きな世界を見据えてのことである。すなわち明治新政府は維新によって、藩の意識から脱皮し「日本人」という愛国意識を国民に植え付けることには成功したが、勝海舟の目からみればその新しい日本人の意識は以前の江戸時代よりもさらに悪質な排外主義に陥ったとしか見えなかったのである。勝海舟が日清戦争に断固反対したのはそのような理由からであった。

日本は中国を打ち負かしても何の得にもならない。むしろそれによって欧米列強が中国の虚像を見抜いて、ますますアジアの植民地化に拍車がかかるだけであろう。日本がなすべきことはアジアの連帯であって、日中韓が連帯して欧米に対抗していかなければ、日本はかえって国益を損なうだけであるというのである。勝海舟の意識はもはや日本人という枠を超えて、アジア人、さらに世界人という意識にまで達していた。このような国際人としての意識に目覚めた日本人というのは、当時では珍しく、おそらく世界でも珍しいであろう。これこそ山本七平氏がいう「遠い将来を正しく予測している」まさに先覚者の証である。

勝海舟は例のべらんめい調の江戸弁で次のように語っている。

日清戦争はおれは大反対だったよ。なぜかって、兄弟喧嘩だもの犬も喰わないヂゃないか。たとえ日本が勝ってもドーなる。支那はやはりスフィンクスとして外国の奴らが分からぬにかぎる。支那の実力が分かったら最後、欧米からドシドシ押し掛けて来る。ツマリ欧米人が分からないうちに、日本は支那と組んで商業なり工業なり鉄道なりをやるに限るよ。

おれなどは維新前から日清韓三国合縦の策を主唱して、支那朝鮮の海軍は日本で引き受けることを計画したものサ。今日になって兄弟喧嘩をして、支那の内輪をサラケ出して、欧米の乗ずるところをなるくらゐのものサ。

日清戦争の時、コウいう詩を作った。

隣国交兵日 其軍更無名
可憐鶏林肉 割以与魯英て、

黄村などは「其軍更無名とはあまりにひどい。すでに勅語もでて居ますことだから」といって大層忠告した。それでも「これは別の事だ」といって人にもみせた。○○サンにも書いてあげたはずだ。(氷川清話」講談社学術文庫P269)


この勝海舟の言葉によって感じられるのは、長年の隣国であった中国や韓国に対する友誼心である。彼らは長年の友達であって恩人である。絶対にまちがっても敵国ではない。憎むべきは欧米列強の植民地化政策であり、それに対抗するためには三国が共同しなければならないといっているのである。この時代は欧米列強による植民地分割時代であり、勝海舟の目には日本人がその欧米のものまねをして朝鮮や中国を植民地化する競争に加わるというのはもっての外だと映ったであろう。

もし勝海舟が当時の日本政府首相になっていれば、日清戦争も日露戦争も起こらなかったはずであるし、ましてや古くからお世話になった兄貴分の韓国を奴隷状態にするというような恩知らずなことはやらなかったであろう。残念ながら、伊藤をはじめ当時の長州閥の指導者は愛国心をはきちがえ、排外主義に陥ってしまったのである。自分の国さえよければよい。そうだ、自分たちが植民地になる前に周りを植民地にしてしまおう!彼らにはそのような悪知恵が働いたとしか考えられない。

司馬遼太郎のいわゆる司馬史観によれば、明治時代は多くの夢があり、希望にあふれた時代であり、日清日露の戦争もそれほど悪い戦争ではなかったが、昭和の時代になってから急におかしな時代になって悪い戦争をやるようになったというようなことをいっているが、これはまちがった歴史解釈であろう。むしろ勝海舟がいっていたように、明治は江戸時代よりも悪質化したのであり、そしてその悪質化にますます拍車がかかって最終的に昭和20年の敗戦に至ったのだとみるのが正しいだろう。勝海舟はそのような悲惨な時代がくることを予見していたかのように、次のように書いている。


一消一長は世の常だから、世間は連戦連勝などと狂喜し居れど、しかし、いつかはまた逆運に出会わなければならないから、今からその覚悟が大切だヨ。その場合になってわいわいいっても仕方がないサ。今日の趨勢を察すると、逆運にめぐりあふのもあまり遠くはあるまいヨ。しかし、今の人はたいてい先輩が命がけでやった仕事のおかげで、顕要の地位を占めているのだから、一度は大危難の局にあたって試験を受けるのが順当だろうヨ。(「氷川清話」講談社学術文庫P272)


勝海舟の日清戦争批判は大方の国民にとってはおそらく知る機会がなかったであろう。それどころか知識人も含めてほとんどの国民は日清戦争とはいかなる戦争なのかという事実を知らされていなかったのである。だからこそ夏目漱石のような一流の人物まで戦争を支持してしまったのであろう。

「八重の桜」の最終回で新島八重が好戦論者になった徳富蘇峰を叱り飛ばしたのは、事実かどうか分からないが、それに対して(大河ドラマの中の)徳富蘇峰の答えは次のようなものであった。

「国民は戦争の扇動記事を喜んでいるのです」

これは事実であったと思われる。日本がこれをきっかけにどんどんと戦争をエスカレートしてゆくのはまさしく大部分の国民がそれを欲していたからであった。勝海舟が「連戦連勝で狂喜し居れど」と書いているのも、そのような戦争を後押しする世論の空気があったからである。

徳富蘇峰が始めた新聞社「国民新聞」はこの日清戦争以降、一貫して好戦的な新聞として世論を扇動する役目を果たすのであるが、一方、一部では軍拡に批判的な朝日新聞社のような良識派の新聞社もあったことは事実である。しかしながら、朝日新聞社は満州事変のときにこれを批判したために国民から大バッシングを受けることになり、新聞がさっぱり売れなくなったのである。このために背に腹はかえられないということで、良識を捨てて大政翼賛的な新聞社に変身したのである。

昨今の気配をみると、これは決して過去の出来事としてすますわけにはいかない。今現在の世の中の「空気」をみていると、同じようなことがいえるからである。ここ数年の間に多くの大手の出版社が反中反韓の本を売り出すようになっている。また雑誌や週刊誌もその類のものが急に増えている。夕刊フジに至ってはこの一年間ほぼ毎日といってもよいぐらい、反韓記事がトップを飾っている。これは明らかに売れるからなのであろう。中国や韓国の悪口を書くことが、出版社の儲けに明らかにつながっているのである。

勝海舟が今生きていればこれをどのように思うだろうか?きっとこういうのではないだろうか。

「日本人というのは変わらない民族だヨネエ。アメリカさんに原爆を落とされてもまだ懲りずに、我が国はアジアの盟主であらねばならないなどと無邪気に信じちゃっていてサ。ほんの70年前まで隣国にどんな酷いことをしていたかということもスッカリ忘れちゃってんだから、ホント、おめでたいものサ。」

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