3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

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日韓の歴史問題 その1竹島問題

今年7月28日韓国ソウルで行われた日韓サッカーで韓国側のサポーターから「歴史を忘れた民族に未来はない」と書かれた巨大な横断幕が掲げられ波紋を呼んだ。大方の日本人の反応はスポーツに政治を持ち込むことに対する嫌悪感から猛反発したことは記憶に新しい。ただし、韓国側の言い分によると、先に挑発したのは旭日旗を掲げた日本側サポーターの方であったという指摘があって、その後、この論争はやや白けた感で尻すぼみになったようである。

そもそもこの横断幕は韓国人以外には読めないハングル文字で書かれており、普通の日本人にはまったく理解できない文字なので、これは日本に対する政治的挑発であったというよりもむしろ韓国人の間の団結心を呼びかける意味があったのではないかともとれるし、またその後に掲げられた安重根を描いた巨大な垂れ幕にしても、おそらくその場の日本人には誰の絵なのか理解する者はいなかったので、これも単純に日本に対する挑発行為だとも決めつけられない。

ただし、その意図がどうあれ、スポーツの場に日韓の歴史問題が持ち出されることは、スポーツマンシップを損ねる行為であり、またそのような行為を禁じたサッカー協会の規約にも反しているので、その点では韓国サポーターの行為が批判されたのは当然といえば当然であろうが、問題はこのような行為にまでエスカレートしている日韓関係の根深い歴史問題が厳として存在するということであり、これについては日本人も少しは真面目に考える必要があろう。

よく考えると日本人が「歴史を忘れた民族に未来はない」という言葉を挑発だと受け止めること自体が本当は情けない話ではないかと思う。なぜなら、その言葉が他ならぬ日本人に対して向けられた言葉であると日本人自身が受け取るということは、日本人がその言葉に一定の真実があることを認めていることに他ならないからである。でなければ、その言葉は挑発の意味をなさないであろう。

面白いことに、もうずいぶんまえから日本サッカー協会の川淵会長が日韓の歴史問題とサッカー交流に関して、今回のような騒動を予想してか、次のような発言をしていたそうである。

「私が敢えて言いたいことは、若い人達が歴史の責任を引きずる必要はないということです。しかし、それは日本と韓国の歴史をじゅうぶん理解した上でというのが前提です。……スポーツに政治や過去の歴史を持ちこんではいけません。しかし、歴史を知ることは絶対必要です」

これは非常に見識の高い言葉ではないかと思う。今現在、テレビなどの媒体で活躍する自称評論家とか自称ジャーナリストというコメンテータに対してこれだけの見識を期待することは難しいのではあるまいか。

調べてみると川淵会長は1936年生まれであり戦中派とまではいえないが、少なくとも戦時中の悲惨な光景を鮮やかに覚えておられるにちがいないし、戦後の荒廃の中から経済成長に至った過程についてもはっきりと記憶されておられるであろう。特に川淵会長が生まれ育った大阪では在日朝鮮人や在日韓国人が多く、彼らに対するあからさまな差別があったということは自らの体験の中で身にしみて知っていることであろう。だからこそ、そのような見識のある言葉を語ることもできるのではないかと思う。

しかし、Jリーグのサッカー選手はもとより、サポーターも含めて、「私が敢えて言いたいことは、若い人達が歴史の責任を引きずる必要はないということです。しかし、それは日本と韓国の歴史をじゅうぶん理解した上でというのが前提です」という言葉の意味を十分に理解できる若者が果たしてどれだけいるのであろうか?もちろん、その言葉はサッカーの選手やサポーターだけにとって意味のある言葉ではなく、すべての日本人にとっても意味のある言葉であり、その意味は韓国のサポーターから横断幕で突き付けられる以前に、われわれ自身の常識としていなければならないことであるはずである。しかしながら、現在の日本人にとって、その言葉は皮肉としてしか聞こえないほど、われわれは日韓の歴史問題に対してあまりに無知ではないかと自ら認めざるをえないではないか?

いわゆる自虐史観として批判されている歴史教科書の中でも日韓の歴史問題はほとんどまともに紹介されていないし、最近では新聞やテレビでもほとんど紹介されることもなくなった。要するに日韓の歴史問題に目を向けること自体が国策として避けられているのであり、そして民間のマスコミもそれにならっているというのが実情ではないか。もっといえばナショナリズムという誰にも抵抗し難い「生物的感情」から自国に都合よく歴史を解釈することがまかり通っているのが現実ではないかと思う。

たとえば竹島問題にしても日本では決して韓国側の視点が紹介されることはない。「竹島は日本固有の領土である」という日本政府の発表だけを鵜呑みにし、この問題を韓国側の視点も取り入れて比較対照しながら客観的に検証するという作業はいかなるメディアによっても行われていない。ところが韓国側の立場に理解を示す一部の学者によると、実は江戸時代には竹島(当時は松島と呼ばれていた)は日本領ではないと幕府が認めていた確実な史料があり、このため山陰地方一帯で竹島(松島)には近づかないようにというお札が立てられていたという証拠もあるとされているが、このような事実は決して日本のマスコミで紹介されることもない。

この問題は日韓両国の専門家の間ではよく知られた争点であるらしいが、一般の日本人にはほとんど知られていないので、ここにその要点だけを紹介しておこう。

17世紀末の竹島一件の事実関係はあまりにも広く知られているのでここでは詳説しない。要するに、1625年(外務省は1618年説)鳥取藩(当時は因幡・伯耆と呼ばれた)の町人が幕府の許可を得て、爾後毎年一回竹島(鬱稜島)へ行って漁獲、木材などの収穫をあげていたところ、1692年及び1693年朝鮮人民漁民と競合、訴えを受けた幕府は、朝鮮人の竹島渡海禁止を求める交渉を始めるが、紆余曲折を経て、1696年1月28日、逆に竹島渡海を禁止する法令を出したということである。

外務省はこの禁止令が松島(今の竹島)には適用されないとして、「当時からわが国が竹島を自国の領土だと考えていたことは明らか」(外務省「竹島問題を理解するための10のポイント」)としている。

しかし、これに対しては無視できない反論が提起されている。この決定をだすにあたり、時の老中阿倍豊後守は鳥取藩に対し、2回質問している。第一回(1695年12月24日)は「竹島がいつから鳥取領となったか。竹島のほか鳥取藩に属する島はあるか」と。これに対して12月25日鳥取藩は「竹島は鳥取藩には属さない。竹島・松島そのほか両国に属する島はない」との回答をした(内藤正中『竹島(松島)をめぐる日朝関係歴史』ほか多数)。阿倍老中はいまいちど新たに登場した松島問題について照会し、鳥取藩は「松島は鳥取藩に属さない。竹島渡海にある島である」と回答した(1696年1月23日)(宋柄基『竹島(松島)鬱稜島研究』池内敏『竹島・独島論争とは何か』。松島すなわち、今日の竹島である。少なくとも鳥取藩は松島を日本領とは認識していなかったのである。(東郷和彦・保坂正康著「日本の領土問題」角川新書)P100-101


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鬱稜島(旧竹島)と竹島(旧松島)の位置関係

日本が竹島を自国の領土として正式に領有したのは1905年のことであり、これは日露戦争で敵の艦隊を監視するための重要な軍事拠点となったからであった。この年に韓国を保護国化し1910年には韓国併合によって事実上朝鮮半島全体が日本の領土とされたので、1945年の敗戦までは確かに日本の領土とされていたが、しかしポツダム宣言の受諾で日本の領土は「本州、九州、北海道、四国の四島ならびに吾等の決定する諸小島」と限定され、日本が日清戦争以来獲得した、台湾、朝鮮半島、満州国は当然のこと琉球諸島や千島、カラフトを含む多くの旧大日本帝国の領土の領有権を放棄させられている。このとき竹島の領有権も放棄したのかどうかということが、この問題の焦点であろう。

このポツダム宣言の条文の中で特に重要なのは「吾等の決定する諸小島」とされている箇所であるが、ここで「吾等の決定する」という表現の中にはいうまでもなく当時の日本の主張はまったく除外されており、これはポツダム宣言の作成に直接関わったアメリカ、イギリス、中国(中華民国)及びソ連(作成に関わっていないが後に追認したとされる)の4カ国のことである。

もしも竹島が日露戦争の軍事拠点として領有されたという歴史的経緯が証明されるならば、それは日本の日清戦争以来の侵略戦争の一環として領有された不法な領土であったとみなされうる。もちろん日清戦争や日露戦争が侵略戦争であったかどうかという点は議論があるだろうが、ポツダム宣言で朝鮮半島や台湾、カラフトなど、日本が日清日露後に獲得した領土の返還をポツダム宣言で命じられたということは、それらはもともと日本固有の領土ではなく武威によって奪い取った不法な領土であるという戦勝国の一致した認識があったからである。そして敗戦国の日本はこれを無条件で受け入れたのである。このように考えると、竹島が日本固有の領土であるとあくまでも主張するのはそれほど説得力のあるものではないことが分かる。

日本政府は1905年に竹島を領有したのは日露戦争の軍事拠点にするためではなく、たまたま、その当時(1905年)一人の島根県隠岐の島島民(中井義三郎)のあしか漁に関する訴えを聞き入れて領土に編入したというのであるが、日本の頭の良い官僚たちがこのような話をまともに信じているとは到底思えない。つまりこの話は竹島を軍事拠点として領有したと自ら認めると論理的にもこれは不法な領土であったと認めることになるので、そのような話を無理やりこじつけたのではないか。しかし、たとえ作り話にせよ、一民間人のあしか漁のために政府が領有したという話が成り立つためには、そこがもともとどの国籍にも入らない無主の地であったという証明がされなければならない。

ところが韓国側からすると、独島(竹島)はもともと日本が領有する以前(1900年)に大韓帝国勅令四十一号で鬱稜島と独島を含めた管轄区域として「鬱稜全島と竹島石島」としており、この「竹島石島」こそ「独島(竹島)」に他ならないと主張しているので、日本が1905年にあしか漁のために領有宣言をする以前から韓国が自国の領土として管轄していたとしているのである。これに対して日本政府はその名称が「独島」ではないという理由で、韓国側が管轄していたと主張する「竹島石島」が「独島(竹島)」であるという明確な証明にはならないと反発している。

しかし、そもそも江戸時代以来、日本側に使用された「竹島」という名称自体が実際には現在の竹島(独島)を指していたのではなく、それは元々朝鮮領の鬱稜島(ウルルン島)を指していた(これは現在の日本政府も認めている)のであり、その後、誤りを認めて「松島」という名称に変更されたという経緯をみても、「竹島」が日本固有の領土であったというその根拠は実に頼りのないものである。

いずれにしても竹島が日本固有の領土であるという日本政府の主張自体その歴史的根拠ははなはだ怪しげなものであり、たとえ韓国側の主張がそれ以上に根拠が乏しいものだとしても、それでもって竹島が日本固有の領土だということにはならないであろう。これでは「目くそが鼻くそを笑っている」ようなものではないかといわざるをえない。

ただし、韓国側がなぜ独島(竹島)の領有権を強硬に主張し、事実上、自国の領土として支配しているのかというと、やはり独島(竹島)が1905年の韓国保護国化から韓国併合へと至る過程で彼らが日帝に国を奪われたその第一歩が独島(竹島)に他ならないという象徴的意味合いをもつからであろう。これは論理的な解釈というよりは民族感情的な解釈であることはいうまでもないが、その彼らの民族感情に対して日本政府があたかも「冷静な議論を」という形式論で応じても、これは現実的な解決にならないだけではなく、むしろその関係はますます険悪なものにならざるをえないであろう。

竹島問題にもし現実的な解決法があるとするなら、それは日本が戦前の朝鮮半島に対して行ったすべての罪を反省し彼らに謝罪を続けることしかないと(私は)思う。ただし、この謝罪は政府間の一片の文書の交換で済むようなものではなく、またなんらかの金銭的な見返りで終了できるものでもない。確かに1965年の日韓基本条約によって、韓国への植民地支配に対する賠償は終わった(一部の請求権を除いて)ものと法的には考えられるが、しかし韓国(朝鮮)人が受けた深い傷跡は70年後の現在でも世代を超えて大きな口を開けたままであるということを認識すべきである。それに対する申し訳ないという気持ちをわれわれがもたなければ、決してこの問題は解決しないということを知らなければならない。

「70年も前のことを謝罪しなければならないなんて・・・」と多くの日本人はあきれてしまうかもしれないが、しかし北朝鮮の拉致事件が発生してから、もうすでにその半分程の年月(36年)が経っているが、われわれ日本人の北朝鮮に対する憤慨の気持ちは以前よりもまして強くなっている。だとすれば韓国人の日本に対する恨みが70年そこそこで消えるようなものではありえないことが分かるはずである。

川淵会長が「私が敢えて言いたいことは、若い人達が歴史の責任を引きずる必要はないということです。しかし、それは日本と韓国の歴史をじゅうぶんな理解した上でというのが前提です。……スポーツに政治や過去の歴史を持ちこんではいけません。しかし、歴史を知ることは絶対必要です」としているのは、おそらくそのような意味であると思う。

竹島の問題に限らず日韓の問題は日本国民一人ひとりが歴史を正しく知り、それにきちんと向き合うということでしか解決できないのではないかと思う。逆にいうと、それができれば竹島の領土問題はちっぽけな問題にすぎないということが互いの国民によって了解されるであろう。韓国の人々にとっても、日本人が過去の過ちを本当に認めてくれるのなら、そんなちっぽけな島にこだわる必要もないと思うであろう。

最近の日本人は韓国に対して過去の日本が何をしたのかということをほとんど知らずに、なぜそんなに日本を憎んでいるのか分からないという人が大半であろう。これはなんとかしなければならない。そこで次回からは日韓の歴史問題を考えてみたいと思う。


参考資料:東郷和彦 保坂正康共著「日本の領土問題」角川新書

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