3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

(5)瓢箪の駒と小沢一郎

一昨日の11党党首会談で未来の党の嘉田代表が、「みなさんは小沢さんをこわがっているようですが・・・・小沢さんを使いこなせずに、官僚を使いこなすことはできません」というような強気の(?)セリフを吐いて周囲を笑わせていた。現場の記者たちの中には面白いことをいうなあと勘違いした人もいたかもしれないが、おそらく大半は「失笑」という名の笑いであろう。まるで瓢箪からでてきた駒のような彼女に、そもそも小沢一郎を使いこなせるなどという自信があるのであろうか?

瓢箪からでてきた駒には誰が瓢箪から自分をだしてくれたのかは分らないのかもしれないが、嘉田さん以外のほとんどの人には誰が嘉田さんを瓢箪からだしたのかということは自明である。おそらくその駒ははじめから紐付きの駒であり、彼女が瓢箪から独立したいなどと思ってみても、そんなことはできないように括りつけられているはずである。そんな紐はみえませんと彼女が思っているとすれば、それこそ(瓢箪から駒をだした人にとって)彼女は理想的なあやつり人形に他ならないだろう。にもかかわらずあやつり人形に他ならない者が自分を操る人を使いこなせるなどと錯覚しているとすれば、だれしも失笑せざるをえないのは当然である。

嘉田代表がいうように小沢一郎という人物をこわがっている人がいるのはたしかに間違いあるまい。ただし、その恐怖感の原因は彼の政治家としての実力を認めているからではなく、権力亡者としての彼の正体を知るがゆえである。愚かにもその正体を知らない人は、まるで彼を立派な政治家でもあるかのように錯覚しているのだからおそろしいのである。

大人物というのは必ずといってよいほど毀誉褒貶のある人物である。他人の評価というのは常に的外れであり無責任なものであり、大人物であればあるほどその評価が分かれるのは仕方がない。しかし、小沢氏の場合は毀誉褒貶というのとは少しわけがちがう。いままで彼と行動を共にしてきた多くの人物が、後に彼と決別し敵対していることをみれば、それは毀誉褒貶という現象ではないことがわかるはずだ。彼と長く付き合っている人ほど、極端に評価が悪いということは、一体、何を意味するのであろうか?

今現在、彼の周囲にいる人物はほとんどがここ2、3年のつきあいしかない新参者で占められており(そのほとんどは小沢ガールズといわれる女性であるが)、その前にいた小沢氏の旧盟友たちはほとんど彼の周りから離れ去っている。特に優秀な人材が彼の周りから次々と去って行った。今でも彼の周りに残っているのは、(失礼だが)民主党内で何の役にも立たなかった人ばかりである。彼らは要するに前の選挙戦で小沢氏の世話になった人々である。ただし、彼らも次の選挙で負ければ、「ハイさようなら」であろう。たしかに小沢グループは異常に結束が固そうにもみえるが、これはおそらく共通の利害と共通の危機感から結びついているだけであろう。

それでも彼を立派な政治家であると信じて疑わない方々がいるかもしれないが、ここ2、3年の彼の行動を分析してみるだけで、そんなはずは万の一もないことがはっきりすると思う。実はかくいう私自身、つい2、3年ほど前までは小沢氏を立派な政治家ではないかと思っていたので、なぜその私が考えを変えたのかということを説明するのが、もっとも分かりやすいだろう。

政治家としての小沢氏の評価は、おそらく3年前に民主党政権が誕生した時が絶頂だった。そのときは私も彼を日本の政治の枠組みを根本から変えた大政治家ではないかと(迂闊にも)評価していた。日本の政治は戦後以来、ほとんど政権交代というものがなかった。長年、自民党による一党支配体制が続き、野党は社会党や共産党などが万年野党として、政権与党の批判しかできない少数勢力にすぎなかった。彼らの政策は(最近のいくつか新党と同じく)厳しい現実をみない耳触りのよい言葉ばかりであった。だが多くの国民はそのような甘言を信用しなかった。彼らに政権を渡すととんでもないことになるということを多くの国民が分かっていたのであろう。しかし、万年与党と万年野党による硬直した政治の仕組みは決して健全なものであるとはいえなかった。

そのような長年の自民党一党支配体制を変えようとしたのが小沢氏であり、そして彼は3年前についにそれをやり遂げたのだと私は評価していた。この評価は必ずしも的外れであったとは思わない。たしかに小沢氏が長年の自民党一党支配体制を変えようとした中心人物であったことは間違いないからである。たとえ彼が過去にどれほどの裏金を使い、数々の悪行を行ってきた人物であったとしても、戦後以来の自民党一党支配体制を崩し、二大政党制に移行させることに貢献したという事実はおおいに評価できると思っていた。

しかし、ここ2,3年の彼の行動をみると、そもそも何のための二大政党制だったのかということを疑問とせざるをえない。先進民主主義国のアメリカやイギリスで二大政党制が定着しているのは、常に政権交代が可能な野党が存在することによって、政治の健全性が保たれるという大きなメリットがあるからである。かつての自民党の一党支配時代には、与党である自民党は政権を失う心配をする必要がなかったために、自党の中でいくつもの派閥が生まれ、派閥のボスによる政権のたらいまわしが平気で行われていた。そのような仕組みの中では、当然、政治家は民意に対して鈍感になり、政治が腐敗するのは必然であった。特に小沢一郎が自民党時代に属していた田中派や竹下派、金丸(派)という派閥は金の力にものをいわせて政権を私物化していたグループであった。そもそも小沢氏が自民党を出たのは、師匠の金丸氏の金権問題で追及を受けたのがきっかけであり、金丸氏の逮捕後、派内派閥闘争が始まり、結局、小沢氏は竹下・金丸派の後継争いで小渕派に負けたために、党内での総理候補としての目がなくなり、その結果自民党をでて野に下り活路を求めたという経緯がある。これは2年前に菅氏に民主党代表選で負けて以来の小沢氏の行動とまったく同じパターンである。

それでも小沢氏が自民党をでる際に大義名分に掲げたのが二大政党制の確立という目標であったということは国民に一定の評価をされていた。その結果、小沢新党はそれなりの支持を受けていたのであるが、彼のやり方は新党設立後も自民党時代とまったく変わっていない。すなわち金にものをいわせて選挙民と議員を買収するというやり方である。小沢氏が金に執着してきたのは、それによってしか自分の勢力を維持できないという彼自身の自民党時代から染みついた手法から抜けられないからだろう。

彼は新党を作って二大政党制という大義名分を目指そうとしたのは必ずしも100%ウソではなかったかもしれないが、彼の新党時代のやり方はある意味で自民党時代以上の金権政治であった。政治には金がかかるからという理由で政党助成金制度を考えたのは他でもなく小沢氏であるが、彼はその助成金制度を悪用して新党を次々と作り変えるという手法、すなわち政党転がしといわれるような悪質な手法で政党助成金を丸儲けし、その際の余剰金を自分の政治団体が所有する不動産などへ貯め込んでいった。

小沢は政党転がしとでもいうべき手法で、濡れ手で粟のように自身の二つの財布を肥やしてきた。解散日までに残高をゼロにしてしまえば政党助成金の国庫返納を逃れられるという「法の抜け道」を最大限に利用したのだ。反対勢力を「守旧派」と呼んで攻撃し、政党助成法を含む政治改革四法を1994年の成立に導いた中心は小沢だ。設計者がその抜け道を熟知しているのは当然である。小沢はこうして政党のカネ、約37億4千万円を自身の財布である二団体に流し込んだ。しかも、このうち約25億8千万円は、政党助成金や立法事務費などの公金、すなわち我々の税金である。(「小沢一郎全研究」松田一郎著 講談社p185 )

それでも彼がもし本当に二大政党制の確立のために、やむをえざる手段としてそのような金集めを行ってきたというのならまだ話は分かる。大きな理想の実現ためには多少の荒っぽい手段も正当化されるだろう。しかしながら、ここ2,3年の彼の行動をみていて、はっきりしたことは彼が二大政党制を目指しているというような大義名分は全部ウソだったということである。要するに小沢氏の正体というのは自分の権勢欲を満たすということであり、そのことしか眼中にない権力亡者だということは今やはっきりとしていると思う。

もし本当に彼が二大政党制を定着させたいという理想を抱いていたのであれば、菅総理に代表選で敗北したあとに反党活動に熱中し、あまつさえ大震災の国難の最中に菅降ろしに血道をあげ、野党と結託して総理の不信任決議まで通そうとしたのは理解しがたい行動である。彼は今でこそ脱原発などいうスローガンをあげて浮動票を取ろうと必死な様子であるが、菅総理が脱原発方針を打ち出したときに頑強に反対していたのは一体誰だったのか?菅元総理が浜岡原発をとめ、全国の原発にストレステストを義務付けたときに強硬に反対したのはいったい誰だったのか?ほんの一年ちょっと前まで、彼はなにがなんで脱原発を目指す菅総理をやめさせなければならないと部下たちを扇動し菅打倒を叫んでいたはずだが、その菅総理が退陣したあとはまたもや野田総理に反旗をひるがえし、さらなる反党活動に血道をあげていった。これらの一連の反党行動は彼の理想であったはずの二大政党制の実現という目標とどのように整合しているのだろうか?

野田政権が消費増税を決めたのはマニュフェスト違反だからというのもまったくおかしい。かつて日本新党の細川氏を総理に押し上げた当時、彼は福祉目的税をいう大増税案を掲げていた。その構想は現在の民主党の消費増税の考え方と同じである。たしかに鳩山総理の時代に、民主党は向こう4年間消費税をあげませんと約束していたが、野田総理が自公と結託して決めた消費増税が実施されるのは、2014年以降であり、鳩山氏が総理に就任した2009年から数えると5年後になるので、必ずしも公約違反だとはいえない。それなのにどうしても公約違反だといって党の存立を否定するのであれば、何回党を立ち上げてもきりがないだろう。少なくとも日本に二大政党制を定着させることが彼の理想であったならば、そんな些細なことで党の存在を否定するのは自己矛盾ではないか?だいたい公約違反というのは自民党時代にもいくらでもあったはずではないか?二大政党制を目指そうという人が、そんなに狭量では二大政党制は決して根付かないであろう。

小沢氏らの言い分によると、消費増税反対は単に公約違反だからというだけではなく、このデフレ不況の時代に消費増税をやるとますます景気が悪くなる、だからそれに反対するのは国民のためだということらしい。たしかにそのようにいう経済学者も多い。しかし、景気のことをいうなら、10年後に脱原発を目指すというのは、消費増税以上にむちゃくちゃなことではないか?しかも、日本経済をけん引する財界が一日も早く参加表明すべきだとしているTPPに対しても反対だといい、自民党の安部総裁らが提案している景気回復のための大胆な金融緩和策にも反対しているらしい。では一体、どうやってデフレ不況から脱却できるというのか?要するに小沢氏らの政策は社民党や共産党とほとんど同じであり、経済界の意志とは真逆なのである。そんな政策でどうして日本経済がよくなるはずがあろうか?おそらく小沢氏にとっては日本経済が衰退しようがしまいが、そんなことは眼中にはなく、とにかく選挙に勝つことだけがすべてなのだろう。

要するに小沢一郎の正体というのは、その本質は自分の保身と権力欲がすべてだという結論に至る。これはもはやだれがみても疑えない事実であろうと思う。もちろん人間というのは本質的にそういう存在である。権力欲はだれにでもあり、政治家という人種であればなおさらそうだろうと思う。しかし、彼のように政治家としての見識も理想のへったくれもなく、ただ権力のためにはどんな嘘も平気だというのは、もはや正常な人間とはいえないだろう。彼の正体は単なる権力者ではなく権力の魔に取り憑かれた権力亡者の姿そのものである。このような人物がこの選挙でポピュリズムの政策を唱えて民衆を騙そうとしていることは、非常に危険なことであると思う。

スポンサーサイト

PageTop