3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

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(1)故山本七平氏の不思議

故山本七平氏(及びイザヤ・ベンダサン氏)の類まれなる日本人論は今もなお奥深い謎に包まれており、誰にとってもその真意を知ることは決して容易ではない。というよりも、おそらく故山本七平氏の真意を本当に理解できた者は、この世に実際何人もいないのではないかと思うほど、その膨大かつ神秘的ともいえる日本人論の遺産はわれわれの前に今でも高く聳える人跡未踏の山々のように思えてならない。

山本氏の日本人論の核になっているのは、おそらくベンダサン著「日本人とユダヤ人」以来の独特な観察眼であり、それはわれわれが日本人であるかぎり決して見えてはこないユダヤ人の眼から見た独特な日本人論である。といっても、もちろんイザヤ・ベンダサンが実在の人物であるとは到底思えないので、その観察眼はあくまでも日本人である山本氏の観察眼と同じものであるといってもほぼ間違いないだろう。

問題は山本氏が何故にユダヤ人の眼から日本人を見る必要があったのか?あるいはまた何故に山本氏はそのような眼をもつことができたのか?ということではないかと思う。一応、山本氏は熱心なクリスチャンであったといわれている。ただし、その熱心さは通常の意味ではないだろう。なぜなら山本氏が熱心なクリスチャンであると同時にユダヤ人の眼をもちえたということは決して普通ではないからである。ユダヤ人の眼からみるとキリスト教徒というのは現在でも異端者としてしか映らない存在であるはずだ。その逆はキリスト教徒にとってもおそらく同じだろう。しかるに、同じ人間がキリスト教徒であると同時にユダヤ教徒でもあるということはできない。少なくとも既成のキリスト教の教義や組織を重んじる者であれば、必然そのようになるだろう。

非常に面白いことに「日本人とユダヤ人」という書物をひも解くと、いたるところにユダヤ人独特の反キリスト教の立場が記されている。たとえば次のような辛辣なキリスト教批判が書かれている。

キリスト教徒の云う「三位一体」などは新約聖書のどこを開いてもでてこない。第一、人間が神を十字架につけて処刑するなどという思想は、モーセ以来の超越神の下に生きていた当時のユダヤ人の思想の中にあるわけがない。ニケーア会議までのキリスト教内の、現代人には全くわけのわからぬような論争は、イエスは神であるという思想を何とかこじつけて新約聖書に結び付けようとしたことにある。キリスト教は確かに聖書に依拠している、だが、聖書はキリスト教にその存立を依存しているわけではない。いわばキリスト教の一方的な片思いだから、たとえキリスト教は消えても聖書は残る。この関係はあくまでも明確にしておかねばならない。(「日本人とユダヤ人」P134)

イザヤ・ベンダサン=山本七平氏であるとすれば、少なくとも山本氏が普通のクリスチャンではないということが、この一言でもいえるような気がする。もちろん三位一体論を実際に信じているクリスチャンは決して多くはなく、おそらくローマ法王でさえそれを疑っているかもしれないので、山本七平がクリスチャンでありながら、そのような反キリスト教的な書き方をしたとしても別段怪しむべきことではないかもしれない。しかし、問題はそのような記述だけではなく、そもそもこの日本には本当の意味でキリスト教徒さえも存在していないというベンダサンの決め付けである。なぜなら日本人は全員日本教徒なので、キリスト教徒というのも、本当のところは日本教徒キリスト派にすぎないのだとされているのである。

この決めつけは、もし山本氏が本当のクリスチャンであれば自己矛盾の表明に他ならない。あるいは少なくとも山本氏は自分をクリスチャンであるとは思っていない証拠だと思われる。もともと山本氏は戦前から親子三代のクリスチャンであったことは確かであるらしい。しかし、フィリピンの戦争に従軍したあとアメリカの捕虜となって、戦後は帰還したものの重い病気を患い、自分の青春をほとんど台無しにすごしてきたあまりにも深刻な人生を歩んできた人だから、40代頃になってようやく軌道に乗り始めた出版業の仕事が多忙になった頃には、自らの人生観や信仰観にも常人には計り知れない内面的葛藤を経験したのだろうと思われる。

戦後、山本氏が始めた出版業の中心は何といっても聖書関係の良書を翻訳して、日本人に紹介することであった。1970年に300万部の大ベストセラー「日本人とユダヤ人」を出版した際にも、本当は聖書のギリシャ語辞典の出版費用をねん出するために、少しでも手助けになればと思って、仕事の合間に某ユダヤ人(実在の人物)との会話を通じて構想されたものであるというのが真相らしい。その本のアイデアや文章がどこまで、その会話相手のものだったのかどうかという話は別にして、少なくとも「日本人とユダヤ人」の出版が山本氏個人の売名的野心からでたものでないことは確かであると思われる。実際上、ベンダサンと山本七平の思想性はかぎりなく近くみられることは否定できない以上、おそらく「日本人とユダヤ人」を直接書いたのは山本氏自身ではないかとするのは妥当であると思われるが、しかし、だからといって「日本人とユダヤ人」が山本氏個人の作であるとはいえないのである。それは聖書のヨハネ福音書がそれを実際に記した2世紀の長老ヨハネ(イエスの弟子ヨハネとは別人物)の作品ではあっても、その内容の多くがイエスの愛した直弟子(誰かは不明)由来のもであるとも考えられるのと同様である。つまり「日本人とユダヤ人」の編集者兼筆者は山本七平氏に違いないと思われるが、そもそもの考案者やいくつもの文章のアイデアを提供したのは実在するユダヤ人だったのではないかと考えられる。

話を元に戻すと、山本七平氏の日本人論の最大の核はユダヤ人ベンダサンの眼を通した日本人論であり、それは必ずしも嘘でも偽装でもなく、実際に山本氏が某ユダヤ人との会話の中で教えられたものがあるはずであり、その会話を通じて山本氏自身の思想がより深められたと考えるのはごく自然である。その話がどこまで真実であるかどうかはともかくも、山本七平氏がクリスチャンでありながらユダヤ人的な視点を持ちえた非常に稀なる人格であるということも事実であり、そのような山本氏の特異な人格から以後の「作家=山本七平」本名の筆による類まれなる日本人論が生まれてきたのだろうと想像する。実際、山本氏の書をいくつか読むと、ユダヤ人以上にユダヤ通といってもよいほど聖書のみならずあらゆるユダヤ文化とユダヤの歴史に通じた人であったということは真に驚嘆に値する。おそらく過去の日本人の中で山本七平氏ほどユダヤ人をよく知っていた人物もいないのではないだろうか?私がもっとも驚かされたのは、イスラエルの死海南端にあるマサダの砦に彼が十回ほど訪れたというのである。この回数が意味することは半端ではない。

マサダの砦というのは一世紀の第一次ユダヤ戦争でユダヤ人たちが最後に立てこもってローマ軍に抵抗したユダヤ最強の砦である。ユダヤ戦争は西暦66年にエルサレムで反乱が始まり、それを鎮圧するためにローマからウェスバシアヌス将軍とその息子ティトス率いる大軍が押し寄せた。ユダヤ人は勇敢に戦ったが、やがてエルサレムの城壁は70年に陥落して神殿は破壊された。しかし、1000人程のユダヤ人がその後もマサダの砦に立てこもってその後3年間も抵抗を続けたのであるが、最後は集団自決という悲惨な結末で終わっている。その戦争の経緯を詳細に記したのが、当時ユダヤ人の司令官として戦いながらウェスバシアヌスの軍に捕まり、後にローマ市民となって「ユダヤ戦記」や「ユダヤ古代誌」を著したフラウィウス・ヨセフスであった。

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「マサダの砦」


「ユダヤ戦記」と「ユダヤ古代誌」は現在、筑摩書房の文庫版で出されているが、実はこの二書を初めて日本語に訳して出版したのが山本書店である。この二書は世界中のキリスト教徒の間で聖書の副読本として歴史を超えて読まれ続けた古典中の古典であるが、日本では山本書店から出版されるまでほとんど知られていなかったのである。これだけをとっても山本氏が遺した仕事の偉大さが分かる。

それにしても荒涼とした死海南端のマサドの砦へ10回も訪れた日本人が山本七平氏以外にいるであろうか?大体、中東戦争が延々と続いているイスラエルを10回以上も訪れるということ自体が、危険な旅でもあり、さらにその中心地から遠く離れたマサダの砦となると、いかに観光好きな日本人でも敬遠されるであろう。実際、山本氏はマサダの砦へ行って日本人をみかけたことはないと証言している。2000年前のイエスの十字架の足跡を追ってみたいという日本人のキリスト教徒は多くいると思が、彼らの中でイエスの運動とはほとんど何の関係もないマサダの砦をみてみたいと思う者はまずいないだろう。ただし、ユダヤ人にとってはマサダの砦は彼らの民族の誇りの土地でもあり、それはおそらく日本人にとっての硫黄島に相当するのかもしれない(ただし、硫黄島を訪れたいという日本人はまずいないだろうが)。

いずれにしても故山本七平氏ははなはだ不思議な日本人であると思う。彼の中にはユダヤ人の血が本当に流れているのではないかと思うぐらいユダヤ的な思想を身につけた不思議な日本人である。だからこそ故山本七平氏の日本人論は特異であり、普通の日本人には誰にも気づかないさまざまな問題を露見させてくれるのであろう。次回からそのような故山本七平氏の日本人論(特に日本教徒論)をもう少し考察してみたいと思う。ただし、どこまで続くかは分かりませんので、あらかじめお断りしておきます。

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