3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

(2)日本人は物神崇拝の民か?

(2)日本人は物神崇拝の民か
日本人を支配する「空気」の本質とはいったい何だろうか?山本七平によると、それは日本人独特の物神崇拝にあるとされている。山本七平(又はイザヤ・ベンダサン)が「日本人とユダヤ人」あるいはその続編ともいうべき「日本教徒について」(1972年 文芸春秋社)という類稀なる書で展開したのも、日本人は本質的に物神崇拝の民だということであった。物神崇拝とはなにかというと、それは八百万の神に象徴されているように、あらゆる物に神が宿るという感覚である。たとえば日本人は日常の食卓で使う茶碗、皿、盆、箸…、等を自分の体の一部のように後生大事に扱うことを当然のこととしている。なぜならそれらの「物」には神が宿ると考えるからである。これは農耕民族として生きてきた日本人の心と体に染みついたものといってもよいのだろう。

それは遊牧の民が羊の肉や皮をあますことなく使うのと同じことなのかもしれないが、もともと遊牧民であった西洋人はユダヤの一神教の伝統を自らの宗教として受け入れたために、彼らは物神崇拝を極力排する文化をもつようになった。なぜならバイブルの神がなによりも戒めたのは偶像崇拝、すなわち「汝、われ(ヤーヴェ神)以外のなにものをも神とするなかれ」という教えであった。この戒めはモーセの十戒の中で最初に述べられる戒めであり、それは「汝、殺すなかれ」とか「汝、盗むなかれ」「汝、偽証するなかれ」という戒めよりも、真っ先に守らなければならない、より重要な戒めだとされている。したがって西洋の一神教では「物に神が宿る」という考え方はほとんど存在しない。

しかも西洋では、近代化のきっかけとなったデカルトの二元論哲学以来、神や霊の世界と物の世界は厳しく峻別され、一切の物質に神や霊が宿ることはないと考えられた。西洋人にとっては「物」は神から与えられた単なる道具であり、それで作られた物を神のように崇拝するのは偶像崇拝と同じく罪でもあるとされた。ただし、偶像崇拝の戒めは本家本元のユダヤ教に比べ、キリスト教圏ではかなり薄められたものとなっている。イエスの像やマリアの像を造って崇めるという文化が、特にカトリック教徒の間では広く行き渡っているのをみると、仏教徒の仏像崇拝とあまり変わらないようにみえるが、しかし少なくともキリスト教では本尊のイエスとマリア以外の像は造られないことに比べ、仏教では釈迦の仏像だけではなく、おびただしい種類の仏像が造られるという偶像崇拝の伝統がある。

注意すべきことは、同じく一神教徒のイスラム教徒の場合は偶像崇拝を禁じる戒めにおいて、キリスト教徒よりもはるかに徹底した宗教だということである。そもそもイスラム教というのは、ユダヤ教から派生した教えであり、キリスト教よりもはるかにユダヤ教に近い教えである。彼らはユダヤ教徒と同じようにバイブル(旧約聖書)を聖典として仰ぎ、モーセやアブラハムを預言者として信仰している。しかも彼らはイエスの教えさえも素直に受け入れ、イエスをモーセやアブラハムに並ぶ偉大な預言者だとしている(その点ユダヤ教ではイエスの教えを認めていない)。かつてアフガニスタンのタリバン勢力がバーミアンの仏像を破壊した事件は世界中に衝撃的に報じられた。その行為は偶像崇拝に対してまったく罪意識のない日本人にとっては野蛮としか映らなかったにちがいないが、同じ一神教のユダヤ教徒やキリスト教徒の間では、その受けとめ方は少し違っていたはずだ。

おおざっぱにみると、今現在、世界の3分の1はキリスト教圏であり、他の3分の1はイスラム圏である。それに対して、かつては無神論の共産圏が世界の3分の1を占めていたが、90年代以降、旧共産圏でもキリスト教やイスラム教の勢力が強くなってきた。たとえば世界人口の約5分の1を占める中国でも、かつては共産党政府により宗教が一掃されたが、最近はある程度の自由化によって取り締まりが弱くなっている。その結果雨後のたけの子のようにキリスト教徒が異常なほど増殖し、イスラム教徒も少数民族の各自治区で息を吹きかえしている。現在、中国のキリスト教徒は1億人を優に超える信者(大半は地下教会の隠れ信者であるが)がいるとされ、意外なことに世界でも1,2を争うほどの信者数を抱えているといわれているのである。

他のアジア諸国をみると、たとえば韓国は伝統的には儒教国家であるが、キリスト教徒が圧倒的に存在感をもっていて国民の約3割がキリスト教徒であるといわれる。また早くから欧米の植民地となったフィリピンは人口の8割以上がカトリックであり、人口2億3000万以上のインドネシアでは大部分がイスラム教徒である。他にパキスタンやアフガニスタン、マレーシアがイスラム教国であるのはいうまでもないが、人口10億を超えるインドでは多神教のヒンズー教徒が圧倒的に多いが、イスラム教徒の数も人口の10%を超え1億以上の信者がいるといわれる。

このようにみてみると日本という国の特異性が分かる。世界の国々は一神教が圧倒的に多いのである。日本は一応仏教徒に属しているといわれるが、しかし他のインドシナ半島の仏教国(タイ、ミャンマー、カンボジア、etc.)に比べると、同じ仏教でもまったく質が異なっている。日本の仏教は大乗仏教であり、しかも禅宗とか浄土宗のように独自の教えを発展させた仏教国は他に類がない。また日本は八百万の神を祀る神道の国でもあり、その中心である天皇を現人神として信奉してきた。この結果、日本は古来神仏習合があたりまえになっていて、明治以降、廃仏毀釈によって両者の違いが鮮明にされたものの、今でも日本人は正月には神社にお参りをし、お盆には仏壇にお供えをして仏式の先祖供養をすることに何の違和感もない。それどころかクリスマスには一家揃ってイブのケーキを食し、結婚式には牧師の前で夫婦の誓いをして、牧師にいわれれば親族一同慣れないアーメンを唱和しさえする。

世界の他の国々からみると、このような日本人の宗教的伝統や習慣には奇妙にみえることが多々あるにちがいない。日本人はいったい何教を信じているのだろうか?と訝られても仕方がないだろう。

つづく

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