3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

(7)唐突な連立政権の呼びかけ

(7)唐突な連立政権の呼びかけ
先の菅総理不信任案の文面の中で一つ気になる表現がある。菅総理不信任案の理由を述べた下の文章の中にどうみてもおかしな記述があるのである。

とりわけ東日本大震災をめぐる対応については、初動の遅れを招いた判断、曖昧で場当かたり的な指揮命令など、その迷走ぶりがさらなる混乱を招き、取り返しのつかない状況を生み出してきた。被災者や関係者への配慮を欠く発言、マニフェストにこだわりバラマキ政策を財源に充てようとしない姿勢、意志決定が複雑を極める対策本部の乱立、唐突な連立政権呼びかけなど、未熟で軽率な行動に寄せられる厳しい非難は、菅総理が政権を担当する資格と能力に著しく欠けている実態を明確に示している。

この文章の中に「唐突な連立政権呼びかけ」という文言がある。これはもちろん菅総理に対する不信任の一つとしてあげられているわけだが、これはどう考えても菅総理に対するあてつけにしか思えない。菅総理から連立の打診がまったくなかった責任を問うなら話は分かるが、打診はあったが「唐突だから」拒否しましたというのは、まるで駄々っ子のような言葉である。谷垣氏にとって一体全体何が「唐突だった」のか?以下、新聞報道にあたってみよう。

菅直人首相は19日、自民党の谷垣禎一総裁に「副総理兼震災復興担当相」として入閣するよう電話で要請した。自民党トップを加えた「危機管理内閣」の発足で政権を安定させ、東日本大震災の対策を強める狙いがあった。だが自民党は緊急役員会で入閣要請を拒否することを決め、谷垣氏が首相に通告した。首相は19日昼、谷垣氏に電話で「国家的危機だ。復興には相当なエネルギーが必要だ。ぜひ協力をお願いしたい。副総理兼震災復興担当大臣でお願いしたい」と要請し、谷垣氏との会談も求めた。だが、谷垣氏は「あまりに唐突な話だ」と回答を保留した。谷垣氏はこの後、自民党本部で緊急役員会を開いて対応を検討。出席者からは、入閣すれば自民党が反対してきた子ども手当法案など新年度予算関連法案の成立に協力せざるを得ず、菅政権の延命につながるとの意見が大勢を占め、入閣要請を拒否することを全会一致で決定した。 (3月20日付朝日新聞)


この記事では谷垣氏の「唐突だった」という真意をはずした部分があるかもしれないので、ネットの記事からも引用しておこう。

菅直人首相が19日、自民党の谷垣禎一総裁に副総理兼震災復興担当相としての入閣を打診したものの、谷垣氏はこれを拒否した。東日本大震災対策を大義名分に最大野党の自民党と「大連立」を組んで政権の安定化を図る狙いだが、あえなく失敗した。「態勢をいじる時ではなくて、被災者の支援、原発の対応などに全力を尽くす時ではないか。あまりにも唐突な提案だ」。谷垣氏は19日夕、 役員会後の記者会見で、電話で入閣を打診してきた首相にくぎを刺したことを明らかにした。自民党本部が公表している谷垣氏の会見録によると、首相が同氏に電話で入閣を打診したのは19日昼すぎ。谷垣氏はその場で事実上拒否する考えを示したが、その後開いた役員会で首相の要請を断ることを正式に決定した。これに先立ち、民主党の渡辺周災害対策副本部長は19日朝、TBSの 番組「みのもんたのサタデーずばッと」で、自民党との大連立について「救国内閣を打診している。政争、政局は棚上げしよう、まずは復旧、復興に全力 を挙げようということだ」と指摘。これに対し、自民党の小坂憲次参院幹事長は同番組で、「究極の抱きつき作戦だ。国難にあたるという意味からすれば、知恵を貸すとか、手を貸すということに躊躇(ちゅうちょ)してはならないという気もするが、責任の所在を明確にしておかなければいけない」と否定的な見解を表明していた。 (ブルームバーグ;http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920014&sid=aLkefzfICJJM)

このネットの記事を読むと、少しは谷垣氏の「唐突だった」という意味が伝わってくる。察するに菅総理の連立打診は自らの責任の所在を不明確にするための抱きつき作戦に他ならないということらしい。逆にいうと連立に加わらない自民党には震災の責任は問われないということを言外に意味していると解釈もできる。自分たちには責任はないが批判だけはさせてくれということをいっているようにも(皮肉ではなく)聞こえる。もし谷垣氏の「唐突だ」という意味が、そのような意味だとすると自民党の危機感のなさには驚きを通り越して呆れるしかない。そもそも連立打診があった3月19日前後の大変な状況の中で誰の責任だとかいっている場合であったろうか?ただし、前にも述べたように谷垣執行部の決定が自民党員の意向のすべてではなかったことは自民党のために付け加えておく。谷垣氏が菅総理の連立打診に対して、どのように対応すべきか相当迷ったらしいことは本当だろう。そのために谷垣氏は自民党の総理経験者のお歴々に助言を求めていた。中曽根氏からは「期間限定で連立を組んだらどうか」と助言され、小泉氏からは「健全な野党としてやればいい」という助言をもらっている。

実際、谷垣氏がその時点でどちらを選ぶべきだったのかは難しい選択だろう。連立政府を作ると指揮系統がかえって分散し震災対応に支障をもたらすかもしれない。さらに連立政権の間で意見が衝突することによって、にっちもさっちも行かなくなる怖れもある。そうなると責任の所在が不明確になるどころの問題ではない。しかし、いずれにせよ菅総理の連立打診を「唐突だった」としてその打診自体を非難し、不信任案の理由づけに使っていることは戦後以来の国難に対する危機感の欠如を疑われても仕方がない。

問題の本質は3,11後、われわれを襲った「国難」がいかなる種類の「国難」であったかという認識にかかっている。この「国難」はもちろん日本の歴史上だけでなく、人類の歴史上でもかつてないような種類の「国難」であった。それを本当に認識すれば政争の具に使うことがいかに愚かなことであるかということが分かる。震災後、すぐに識者のさまざまな提言や意見が多くの媒体で発表されていたが、今回の「国難」に対してもっとも的確な提案をしていた人物の一人として佐藤優氏の言葉を紹介しておこう。

戦後日本の国家体制は、近代主義によって構築されている。その核となるのが生命至上主義と個人主義だ。個人の命は何よりもたいせつなので、国家は生命を捨てることを国民に求めてはならないという考え方である。しかし、国際基準で考えれば明らかなように、どの国家にも無限責任が求められる職種がある。無限責任とは、職務遂行の方が生命よりも重要な場合のことだ。日本の場合、自衛官、警察官、海上保安官、消防吏員(消防士)、外交官などがその本性において、無限責任を負う。通常の場合、東京電力関係者に無限責任は想定されていない。しかし、福島第一原発の非常事態に鑑み、専門知識をもつ者が自己の生命を賭して、危機を救うための努力をすることが求められる。マスメディアは詳しく報道していないが、現場では日本の原子力専門家が危機から脱出するために、文字通り命がけで働いている。菅首相は、危機を回避するため無限責任を要求する超法規的命令を発することを躊躇してはならない。菅首相は民主的手続きによって選ばれた日本の指導者として、職業的良心に基づいて日本国家と日本人が生き残るために必要とされる全てのことを行うべきだ。

与野党の政治家は、東日本大震災という危機を乗り切るために日本という言葉のもとに団結しなくてはならない。大連立では連立野党との政策協議やポストの配分が不可欠になる。そのようなことをしている余裕はない。いま必要なのは、言葉の正しい意味で菅首相を翼賛することである。翼賛とは、本来、国家指導者を国民がそれぞれの立場から助けることを意味する。1人1人の国民、団体がそれぞれの立場から、菅首相が日本国家と日本人のために最適の決断ができるように努力することだ。菅首相は、能力主義の観点から、与野党を問わず、官民を問わず、必要とされる人材を登用して、危機に対応するべきと思う。

 われわれ日本人には大和魂がある。日本人が日本人であることを支えるのが大和魂だ。日本が危機に陥ったときに、われわれの大和魂が自ずから働き出す。政治、イデオロギー、経済的個別利害を超えて、危機のときに団結する能力がわれわれに備わっているから、日本人も日本国家も生き残ることができたのである。危機を乗り切るためには思想が必要だ。大和魂こそがその思想だ。危機になると自ずから働き出す大和魂の力を私は信じる。(2011年3月13日脱稿)


佐藤氏のこの提言には正しい状況認識があることがみてとれる。「与野党の政治家は、東日本大震災という危機を乗り切るために日本という言葉のもとに団結しなくてはならない。大連立では連立野党との政策協議やポストの配分が不可欠になる。そのようなことをしている余裕はない。いま必要なのは、言葉の正しい意味で菅首相を翼賛することである」。すなわち佐藤氏は連立政権を提案しているのではなく、与野党が団結して菅政権を翼賛すべきであるといっているのである。なぜなら、連立政権を組んでいる時間の余裕もないからである。ひとつまちがえば日本の国が永遠に滅ぶかもしれない瀬戸際に立たされているのである。もしもあのまま最悪の事態が進行すれば福島はおろか日本列島の東半分以上の地域にわたって今後数十年から数百年にわたって人が住めなくなるという危機が本当に存在していた。そうなれば首都東京が滅ぶだけでなく日本という国はユダヤ人と同じように祖国を喪うことにもなりかねなかったのである。その切迫した状況の中では、もはや与党も野党も関係ないのである。戦時中の日本と同じように国民は大同団結して、この危機にあたらなければならない。そのような状況の中で「責任の所在が不明確になるから連立は組めない」というような発言があったとすれば、それこそ本質的な危機に対する認識を欠いていたということになるであろう。

スポンサーサイト

PageTop
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。