3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

(2)小沢一郎は民主党のがん細胞だ!

最近、とみに「リーダー不在」という言葉が言われ続けている。かつての田中総理や中曽根総理、最近では小泉総理のように、強烈な個性をもった総理を待望する声がここ数年強くなっている。というのも小泉総理以後、ほとんど一年ももたない総理大臣ばかりで、G7やG20などの国際舞台で毎年日本の総理だけがコロコロと変わるので国際的な信用度にも影響すると考えられるからでもあろう。

そのせいなのか、このところ次の総理候補の世論調査をすると石原都知事や橋下大阪府知事を期待する声が多くなっている。二人に共通しているのは押しの強さである。誰がなんといおうと、自分の主張を曲げない強さが二人にはある。大体、日本人というのは周りの意見や場の空気に左右されるタイプが多く、聖徳太子の「和をもって尊しとなす」という教えが、あらゆる日本の組織に浸透しているので、自分の意見を押し通すというタイプは組織には馴染まない。

強い指導者というのは、場の空気に従属している人ではなく、逆に場の空気を変えていく人である。すなわち他人の意見に縛られず、自分の意見を強く主張し、そして周囲を自分の空気の中に巻き込んでいくというタイプの人である。残念ながら、その種のタイプは日本的組織の中からは生まれにくい。いわゆる一匹狼というタイプは、組織の中からはじき出され、独り立ちしなければ活動できない。石原都知事にしても橋下府知事にしても、いずれも組織の中からでてきたのではなく、国民から直接選挙によって選ばれたのである。彼らのようなタイプの政治家は現在の議院内閣制の仕組みの中からは選ばれにくいであろう。

ところで押しの強い政治家というともう一人小沢一郎をあげる方もいるであろう。小沢一郎の場合は石原氏や橋下氏とは違い(一応は)政党人であり、常に政党という組織の中で活動してきた。したがって小沢一郎という政治家は石原氏や橋下氏とはまったくタイプの違う政治家であり、少なくともいわゆる一匹狼というタイプではない。彼の政治手法は常に政党の中にありながら、自分の支持者を増やしていこうとする、いわば「数の論理」で政治を動かそうとする政治である。彼のその手法は田中角栄から受け継いだものであり、いわゆる派閥政治といわれる旧来の自民党政治家の政治力学的手法をそのまま踏襲したものである。

2009年に民主党政権が誕生した当時、私は小沢一郎という政治家はやはり大したものだと(不覚にも)思ったものだが、その後の彼の行動を追ってゆくと、結局、小沢一郎という政治家は派閥一辺倒の政治家であったということがはっきりとする。すなわち小沢一郎の政治手法というのは常に自分の派閥を守りながら、他の勢力との間で駆け引きをしつつ、少しでも自分に有利な状況を作り出そうという手法である。したがって彼にとって大事なのは常に派閥であって政党ではない。彼にとって政党というのは、その中で自分の派閥を育てるための栄養素をいただく宿主にすぎないのか、又は単なる看板だけの方便にすぎないようである。

分かりやすくいうと小沢一郎という存在自体が悪性のがん細胞のようなものになっているわけである。がん細胞というのは、本来は正常細胞であるものが、組織の維持という本来の目的を忘れ果て、逆に宿主を利用して自らの増殖を目的とするようになった本末転倒の異常細胞のことをいう。現在の民主党内の小沢派というのは、まさにそういう存在ではないであろうか?

今、民主党内で小沢グループという名の派閥の構成員たちが100名近くいるらしいが、よく調べると彼らはほとんどが政治素人のような集団であり、古くから付き合いのあるベテランの議員はほとんど一人もいない。それもそのはず、実は、過去小沢氏の盟友といわれたベテランの国会議員は何人かいたのだが、彼らは悉く小沢氏のやり方に愛想を尽かし、袂を分かつという結果になっている。

「政界の壊し屋」といわれる小沢氏の異名は誰が思いついたのか知らないが、小沢氏の本質を言い表した言葉である。民主党は小沢氏のおかげで政権を獲得できたのだという論がいまだにあるようだが、実際に小沢氏がやってきたことは民主党を利用して自らの派閥を拡大することでしかなかったのではないか?そのことに早く気付かなければ民主党はかつての小沢新党の経過と同じようにいずれ自壊作用を起こして破滅する他はないだろう。がん細胞というのはそれを宿す本体を完全に食いつぶすまで、その本性は正常細胞と区別がつかず、その本性に気づいた時にはもはや手遅れという事態になる。今現在の民主党はすでに手遅れの一歩手前まできているのではないかと思う。

小沢グループの方々にはぜひ思い出してほしい。本来、民主党の結党の精神の中には派閥政治を止めるという大目標があったはずだ。にもかかわらず、現在の民主党には自民党時代以上に性質の悪い派閥ができてしまっているのではないであろうか?小沢一郎が消費増税反対の大義名分として盛んに民主党の公約違反を云々しているが、そもそも小沢氏が民主党の中で一大派閥を結成していること自体が、民主党の国民に対する最大の裏切り行為であるということに気づく必要があるであろう。

追記:先日、産経新聞で森喜朗元総理が小沢氏について面白い話をしていた。

民主党の小沢一郎元代表に無罪判決が出たね。ある弁護士が「プロの法律家だったら無罪でしょうが、裁判員制度だったら有罪です」と言ってたけど、その通りになったな。小沢さんとカネの話は古くて新しい話でもあり、新しくて古い話でもある。つまり、それだけ長いってことだ。やっぱり疑惑は全然消えないよね。それでも小沢さんはまた動き出すだろうな。彼が面倒を」みているチルドレンは次の選挙が危ない連中ばかりから、その心理を見透かして「消費税反対の人はこの指とまれ」とやるのは手っ取り早いよな。うまいといえばうまいし、ずるいといえばずるい。でも税制は絶対に政局のテコにしちゃいけない。ましてや消費税を創設した竹下登内閣で官房副長官を務め、細川連立内閣で国民福祉税を仕掛けた人だよ。それに平成19年秋、福田康夫首相に大連立を持ちかけた際、彼は僕に何と言ったと思う?「日本を救うためには大連立しかない。消費税増税を言った政党が選挙で負けるような国はよくないんだ。だから一緒にやろう」こう言ったんだ。・・・





スポンサーサイト

PageTop

(3)ガン細胞の切除手術は強行されるか?

本日(5月30日)野田総理と小沢氏の消費増税をめぐる会談が行われた。夜9時のNHKニュースウォッチ9をみていると珍しくも小沢氏が招かれていた。そもそも一兵卒でしかないはずの一議員と総理大臣の会談がニュースになること自体が異常である。しかも公共放送局のNHKが小沢氏に対して異例の接待をしているかのような長時間のインタビューの場を用意したのは正直腹立たしかった。このインタビューを一番喜んでみていたのは、おそらく小沢チルドレンといわれる方々なのだろう。やはり小沢先生は大物だと彼らは感じたにちがいない。

そのように誤解をされた方もいるかもしれないので、この際、そもそもこの会談がなぜ注目されているのかということをあらためて確認しておこう。この会談が注目されたのは、もちろん小沢氏が大物だということをマスコミが認めたからではない。むしろこの会談は小沢氏が愈々追い詰められ、政界の中でその影響力が完全に消え去るその瀬戸際にまで追い込まれているという共通の認識があるからに他ならない。今回、野田総理が小沢氏に会談を申し入れたのは、まさに小沢氏に対する最後通牒のためであろう。分かりやすくいうと、裁判長が有罪を宣告する前に最後に被告人に弁明の機会を与えるというのと同じである。

それでも小沢チルドレンは全員小沢先生の言い分の方が正しいと信じるのだろうが、そう信じたいのであれば、彼らは小沢先生とともに民主党を抜け出せばいいだけの話である。民主党の執行部を支持する多数派議員は明らかに小沢氏と袂を分かち、彼らが小沢氏の声にいまさら耳を貸そうとしないのは明らかである以上、その形勢を党内で逆転させようとするのはもはや無理であろう。であれば、彼らに残された道は国民に支持を求めるだけである。すなわち堕落した民主党を離れ、小沢氏を代表とする新しい政党を立ち上げ、次期総選挙に備えればよいはずなのである。

ところが彼らの行動をみていると、どうもそのような気迫も意志もあるとは思えない。彼らは要するに民主党を離れ新党を立ち上げても国民の支持を得られそうもないということが分かっているのだろう。それを誰よりもよく知るのは小沢氏自身であり、だから彼は野田総理が解散に打って出ることをなによりも恐れているにちがいない。小沢氏の取り巻きたちもそのことが分かっているので、なんとか解散だけは阻止しようとしているのだろう。だから彼らは野田・小沢会談の結論をいつまでも引き延ばしたいという、まるで煮え切らない半熟卵のように、あいまいな物言いに終始せざるをえないのではないか。

結局、小沢グループというのは民主党の中に巣くったガン細胞にすぎないのである。ガン細胞は宿主がいなくなると自ら存立できないので、どんなことがあってもその居場所を離れることはできない。しかし、宿主の方はガン細胞にいつまでも居続けられると、自らの存在自体が危なくなるためにそのガン細胞を何とか切除しなければならない。野田・小沢会談が注目されているのは、まさにその切除のための手術が強行されるのかどうかという関心があるからである。今、野田総理に求められているのは、その手術を強行する勇気があるのかどうかということであろう。事の成り行きをもうしばらく見守りたい。

PageTop

(1)小沢一郎の正体

小沢一郎というのはある意味で非常に分かりやすい人物である。というのは彼は歴史上に現れた権力者のイメージをそのまま体現しているような人物に見えるからである。古今東西、権力者というのはあらゆる陰謀と策略を使って、目指すところの地位を得ようとしてきた。そして一旦、権力の座を獲得するとなると、その維持のためにはどんな非道な手段も平気であった。これはリビアのカダフィイ大佐やシリアのアサド大統領の姿を思い浮かべるだけでも十分であろう。日本史の英雄といわれる信長、秀吉、家康らにしても自らの権力維持のために、かつての仲間だけでなく親族たちをも平気で犠牲にしている。ヨセフスの「ユダヤ古代誌」等を読むと、権力のためにはたとえ血をわけあった親子や兄弟であろうと平気で殺す、すさまじいまでの権力者の姿が連綿と書き連ねられている。古今東西、権力というものはそれほど人間の目を曇らせ残酷にするものだということが分かる。そこまでして権力を欲しがり、それを維持したいと思わせる権力の魅力とは、いったい何なのであろうか?

人間にとってもっとも強い根源的欲望は金銭欲でも性欲でもなく、実に権力欲なのである。ニーチェはそのような人間の欲望を「権力意志」と名付けた。ニーチェによると、あらゆる人間は「権力意志」をもっているのだが、弱さのためにその意志を実現できないだけなのである。したがって権力の座につくことは弱さではなく強さの証明である。古今東西のあらゆる権力者が権力の座をめぐって闘争を繰り広げてきたのは、自らの強さを証明したいがためであり、それによって弱者を支配するためである。これは人間の本能といってもよいだろう。それはあたかもボス猿の地位をめぐって争う猿と同じである。

ただし、動物が争うのは決して人間のように弱者を支配したいからという不純な動機でないことは知っておかねばならない。動物が争うのはメスを独占したいという単純な動機である。動物は基本的に自らの遺伝子をできるだけ多く残すという遺伝子の利己的目的にしたがって生きている。だからオスはできるだけ多くのメスを独占することにより、多くの遺伝子を残そうとするのであり、メスはメスで、できるだけ強いオスと生殖することによってより強い遺伝子を残そうとするのである。

人間も動物の延長であるから、そのような動物的本能は残っているのかもしれない。たとえば徳川幕府の大奥の存在のように、最高権力の座にあった将軍は多くの女性をしたがえて、さながらゾウアザラシのハーレムのように生きていた。これは徳川幕府に限ったことではなく古今東西共通の現象である。性の乱れには特に厳しいはずの聖書においても、たとえばユダヤ人の王ソロモンは700人の王妃と300人のそばめをしたがえていたとされている。一夫多妻は旧約聖書の中では普通のことと記されており、その影響なのか旧約聖書を信じるイスラム教徒にはいまだに一夫多妻の伝統が残っていたりする。また一昔前までは政治家にとって妾の存在は男の甲斐性として大目にみられていた時代もあったようだが、さすがに一夫一婦制が当然とされる現代社会では不道徳であるという共通認識が支配するようになった。

すでにご存じの方も多いと思うが、今週号の週刊文春で明かされた小沢夫人が支援者に宛て記した離縁状の中に夫(小沢一郎)に妾がいたことを克明に明かしている。現在20歳になる隠し子の存在もいるそうである。ただし、その隠し子は生みの母親ではなく、もう一人別の小沢の妾(有名料亭の若女将だそうである)の養子として育てられ、その妾のために月々の生活費が支払われているという。支払いは子供が二歳半のときからだというので、その金額だけでもおおよそ想像がつくだろう。なんとも古風と言えば古風な話ではあるが、その支払いは元々国民の税金(あるいは闇金?)からでているということを思えば、決して許されるものではない。小沢夫人はこの事実によって傷つき、一時は自殺まで考えたと記している。そしてついに離婚を決意するようになったのだという。

ただし小沢夫人に離婚を決意させたのは夫に妾がいるという事実によるものではない。彼女はその事実を知ってめげそうにはなったが、それでも政治家小沢が日本のために役立つ日がいつか来るかもしれないと思いつつ、じっと忍耐していたのだという。ところがある日を境に夫に対する見方が大きく変わる日がやってくる。それは3.11の大震災後のことである。小沢は故郷であるはずの東北の被災地を見舞いに行くことすらなく、ひたすら放射能を恐れて東京を逃げ出そうとさえしていたというのである。その期間、秘書たちに京都や大阪へ事務所を探しに行かせていたそうである。

小沢信者がいうように夫人の手紙には事実誤認も含まれているかもしれない。しかし、小沢氏が故郷岩手の被災地に足を運んだのは震災から10ケ月も経った今年1月のことである。これだけをみても小沢一郎がいかなる人物なのかということが分かる。もちろん小沢氏はその間、政治家として何もしていなかったのではない。マスコミが連日報道していたように、小沢氏は震災後すぐに菅降ろしの行動を起こしていた。これについては以前にも記したように、実は小沢氏は3.11前から菅降ろしの計画を着々と練っていたのである。その計画は3.11の大震災で一旦頓挫したかにみえたが、震災から一ヶ月もしないうちに復活し、新たな菅降ろしの計画が練られたのである。そのことは小沢夫人も手紙の中で以下のように記している。

「四月に入ってからも家に閉じこもり連日、夜若手議員を集めて酒を飲みながら菅内閣打倒計画をたてはじめました。」

小沢氏が岩手に行かなかったのは放射能を恐れていたからというよりも、むしろ菅降ろしの策動に忙しく被災地の見舞いどころではなかったのではないか。4月か5月頃に小沢氏はグループの前で次のように公言していた。「被災地では選挙ができないので菅さんは解散できないはずだ」。だから衆院で不信任案が可決されれば、菅さんは辞任するしかないはずだという読みがあった。もちろん、この読みは小沢グループだけではなく、自民党や公明党も乗ってくるはずだという計算があった。つまり小沢氏とその取り巻きたちは大震災の只中で政権打倒の策動に夢中だったのである。おもえば、そんな悪だくみの最中に被災地を見舞うなんて殊勝なことができるはずがない。

人は窮地になると本性を現すというが、3.11の大震災後に小沢氏がとった行動はまさにあさましい権力亡者の姿そのものであった。大震災後の混乱に乗じ、彼はあわよくば権力を乗っ取ろうとさえしたのだといえる。小沢夫人が離婚を決意したのは、そのような夫の醜い正体を知ってしまったからであろう。

「かつてない国難の中で放射能が怖いと逃げたあげく、お世話になった方々のご不幸を悼む気も、郷土の復興を手助けする気もなく、自分の保身の為に国政を動かそうとするこんな男を国政に送る手伝いをしてきたことを深く恥じています」

(元)小沢夫人のこの言葉をあさはかだとは誰にも言いきれまい。むしろ長年寄り添ってきた良き妻がここまでいわねばならなかった無念の心境を想像すれば、それはどんなジャーナリストの言葉にもまして重いものといわねばならないだろう。

PageTop

(4)「国民の生活が第一」?

民主党を離党した小沢グループが「国民の生活が第一」という名の会派を立ち上げたそうである。小沢氏によるとそのフレーズには特に執着があるのだという。たしかに3年前に民主党が政権を奪取したとき、そのフレーズに何事かを期待して民主党に票をいれた有権者も多いのではないだろうか。その名付け親でもある小沢氏だから、離党後も自らの会派の名に使うことは必ずしも(民主党から)無断使用のそしりを受けるいわれもないだろう。使いたければどうぞご自由に、というのが現民主党執行部の受け取り方ではないかと思う。だいいち国民の期待を裏切った民主党が、いまさらそんな言葉を使えるはずもない。賞味期限を過ぎた毒饅頭のようなフレーズを使って、国民をだますことはもう二度と許されないはずだ。

小沢氏らは民主党がそれによって政権奪取をしたマニュフェストを放棄することは国民に対する裏切り行為だと罵っている。したがって小沢氏らが民主党を離党した大義というのも元のマニュフェストに帰ることしかない。その意味では「国民の生活が第一」という会派の立ち上げも小沢氏の中では当然の帰結であろう。だがしかし小沢氏らはマニュフェストが実現できなかった原因について具体的には何も語っていない。彼らが政権担当前に想定していた20兆円近くの埋蔵金などの財源がまったく根拠のないものであったことは、今やはっきりとしている。そのような根拠のないアドバルーンをあげたことに対する反省の念は微塵もなく、もう一度同じようなアドバルーンをあげればよいとでもいうのであろうか?

忘れてならないことは、小沢氏は鳩山政権時代に幹事長職にあり、当時ほとんどの政策実行について責任のある立場だったということである。しかも小沢氏は政権発足当時マニュフェストにあったガソリン税の暫定税率廃止を指示した張本人であり、その後も結局、マニュフェストはほとんど実行されないまま幹事長職を辞めている。彼が幹事長時代にやろうとした事業仕訳でも結局目標の3兆円の捻出ははるかに及ばす6000億円の削減で終わっているのである。

そのような反省に基づいて消費税議論が始まったことを忘れてはなるまい。ちなみに民主党の2010年度のマニュフェストでは「消費税を含む税制改革に関しての協議を超党派にて行うこと」が発表されているので、その後、民自公で消費税に関する議論を始めたことは決してマニュフェスト違反ではない。しかも、厳密にいうと、今回の消費税増税はその実施が2年後の2014年からになっているので、民主党政権発足時(2009年)に4年間は消費税を上げませんといった鳩山総理の公約はちゃんと守られているのである!

鳩山元総理は「平成21年の衆院選マニフェストの表紙を飾ったのは(代表だった)私だ。その私が『消費税増税はやらない』と宣言し、政権交代が実現できたのはまぎれもない歴史的事実だ。その政策は今でも間違っていない」と述べたとされているが、しかし彼は「消費税増税はやらない」といったのではなく、あくまでも「4年間は消費税をあげません」といったにすぎない。鳩山元総理は自分のいった言葉ぐらい正確に覚えておいていただきたい。

民主党は今でもマニュフェストを放棄したわけではないといっている。ただし、政権発足時に唱えた個別のマニュフェストのいくつかは放棄せざるをえないと判断したのであろう。あたりまえの話である。マニュフェストの財源そのものが、まったく根拠のないアドバルーンにすぎなかったわけだから当然であろう。その根拠のないアドバルーンをあげて国民をあざむいた責任は民主党にあるのはもちろんであるが、実はそのアドバルーンをあげた責任の大半は小沢氏にある。要するに、政権獲得のためには手段を選ばない彼の手法が災いをもたらしたのであろう。にもかかわらず民主党を離党して、自分にはあたかもマニュフェスト放棄の責任がないかのようにいうのは論理的にも道義的にも筋の通らない話であり卑怯千万なことだ。

自民党の麻生太郎元総理は「国民の生活が第一」というフレーズに対して皮肉をこめて次のようにいっている。「国民の生活が第一という新会派だそうだが、『選挙が第一の党』という政党名の方が現実的ではないか」と。これは皮肉でも何でもなく図星であろう。彼らは要するにただ自分の延命のためだけに「国民の生活が第一」などといっているにすぎない。これはもうポピュリズムというよりは、むしろ詐欺に近いのではなかろうか。ただし、あまりにも見え透いた手法なので騙される人はほとんどいまい。

PageTop

(5)瓢箪の駒と小沢一郎

一昨日の11党党首会談で未来の党の嘉田代表が、「みなさんは小沢さんをこわがっているようですが・・・・小沢さんを使いこなせずに、官僚を使いこなすことはできません」というような強気の(?)セリフを吐いて周囲を笑わせていた。現場の記者たちの中には面白いことをいうなあと勘違いした人もいたかもしれないが、おそらく大半は「失笑」という名の笑いであろう。まるで瓢箪からでてきた駒のような彼女に、そもそも小沢一郎を使いこなせるなどという自信があるのであろうか?

瓢箪からでてきた駒には誰が瓢箪から自分をだしてくれたのかは分らないのかもしれないが、嘉田さん以外のほとんどの人には誰が嘉田さんを瓢箪からだしたのかということは自明である。おそらくその駒ははじめから紐付きの駒であり、彼女が瓢箪から独立したいなどと思ってみても、そんなことはできないように括りつけられているはずである。そんな紐はみえませんと彼女が思っているとすれば、それこそ(瓢箪から駒をだした人にとって)彼女は理想的なあやつり人形に他ならないだろう。にもかかわらずあやつり人形に他ならない者が自分を操る人を使いこなせるなどと錯覚しているとすれば、だれしも失笑せざるをえないのは当然である。

嘉田代表がいうように小沢一郎という人物をこわがっている人がいるのはたしかに間違いあるまい。ただし、その恐怖感の原因は彼の政治家としての実力を認めているからではなく、権力亡者としての彼の正体を知るがゆえである。愚かにもその正体を知らない人は、まるで彼を立派な政治家でもあるかのように錯覚しているのだからおそろしいのである。

大人物というのは必ずといってよいほど毀誉褒貶のある人物である。他人の評価というのは常に的外れであり無責任なものであり、大人物であればあるほどその評価が分かれるのは仕方がない。しかし、小沢氏の場合は毀誉褒貶というのとは少しわけがちがう。いままで彼と行動を共にしてきた多くの人物が、後に彼と決別し敵対していることをみれば、それは毀誉褒貶という現象ではないことがわかるはずだ。彼と長く付き合っている人ほど、極端に評価が悪いということは、一体、何を意味するのであろうか?

今現在、彼の周囲にいる人物はほとんどがここ2、3年のつきあいしかない新参者で占められており(そのほとんどは小沢ガールズといわれる女性であるが)、その前にいた小沢氏の旧盟友たちはほとんど彼の周りから離れ去っている。特に優秀な人材が彼の周りから次々と去って行った。今でも彼の周りに残っているのは、(失礼だが)民主党内で何の役にも立たなかった人ばかりである。彼らは要するに前の選挙戦で小沢氏の世話になった人々である。ただし、彼らも次の選挙で負ければ、「ハイさようなら」であろう。たしかに小沢グループは異常に結束が固そうにもみえるが、これはおそらく共通の利害と共通の危機感から結びついているだけであろう。

それでも彼を立派な政治家であると信じて疑わない方々がいるかもしれないが、ここ2、3年の彼の行動を分析してみるだけで、そんなはずは万の一もないことがはっきりすると思う。実はかくいう私自身、つい2、3年ほど前までは小沢氏を立派な政治家ではないかと思っていたので、なぜその私が考えを変えたのかということを説明するのが、もっとも分かりやすいだろう。

政治家としての小沢氏の評価は、おそらく3年前に民主党政権が誕生した時が絶頂だった。そのときは私も彼を日本の政治の枠組みを根本から変えた大政治家ではないかと(迂闊にも)評価していた。日本の政治は戦後以来、ほとんど政権交代というものがなかった。長年、自民党による一党支配体制が続き、野党は社会党や共産党などが万年野党として、政権与党の批判しかできない少数勢力にすぎなかった。彼らの政策は(最近のいくつか新党と同じく)厳しい現実をみない耳触りのよい言葉ばかりであった。だが多くの国民はそのような甘言を信用しなかった。彼らに政権を渡すととんでもないことになるということを多くの国民が分かっていたのであろう。しかし、万年与党と万年野党による硬直した政治の仕組みは決して健全なものであるとはいえなかった。

そのような長年の自民党一党支配体制を変えようとしたのが小沢氏であり、そして彼は3年前についにそれをやり遂げたのだと私は評価していた。この評価は必ずしも的外れであったとは思わない。たしかに小沢氏が長年の自民党一党支配体制を変えようとした中心人物であったことは間違いないからである。たとえ彼が過去にどれほどの裏金を使い、数々の悪行を行ってきた人物であったとしても、戦後以来の自民党一党支配体制を崩し、二大政党制に移行させることに貢献したという事実はおおいに評価できると思っていた。

しかし、ここ2,3年の彼の行動をみると、そもそも何のための二大政党制だったのかということを疑問とせざるをえない。先進民主主義国のアメリカやイギリスで二大政党制が定着しているのは、常に政権交代が可能な野党が存在することによって、政治の健全性が保たれるという大きなメリットがあるからである。かつての自民党の一党支配時代には、与党である自民党は政権を失う心配をする必要がなかったために、自党の中でいくつもの派閥が生まれ、派閥のボスによる政権のたらいまわしが平気で行われていた。そのような仕組みの中では、当然、政治家は民意に対して鈍感になり、政治が腐敗するのは必然であった。特に小沢一郎が自民党時代に属していた田中派や竹下派、金丸(派)という派閥は金の力にものをいわせて政権を私物化していたグループであった。そもそも小沢氏が自民党を出たのは、師匠の金丸氏の金権問題で追及を受けたのがきっかけであり、金丸氏の逮捕後、派内派閥闘争が始まり、結局、小沢氏は竹下・金丸派の後継争いで小渕派に負けたために、党内での総理候補としての目がなくなり、その結果自民党をでて野に下り活路を求めたという経緯がある。これは2年前に菅氏に民主党代表選で負けて以来の小沢氏の行動とまったく同じパターンである。

それでも小沢氏が自民党をでる際に大義名分に掲げたのが二大政党制の確立という目標であったということは国民に一定の評価をされていた。その結果、小沢新党はそれなりの支持を受けていたのであるが、彼のやり方は新党設立後も自民党時代とまったく変わっていない。すなわち金にものをいわせて選挙民と議員を買収するというやり方である。小沢氏が金に執着してきたのは、それによってしか自分の勢力を維持できないという彼自身の自民党時代から染みついた手法から抜けられないからだろう。

彼は新党を作って二大政党制という大義名分を目指そうとしたのは必ずしも100%ウソではなかったかもしれないが、彼の新党時代のやり方はある意味で自民党時代以上の金権政治であった。政治には金がかかるからという理由で政党助成金制度を考えたのは他でもなく小沢氏であるが、彼はその助成金制度を悪用して新党を次々と作り変えるという手法、すなわち政党転がしといわれるような悪質な手法で政党助成金を丸儲けし、その際の余剰金を自分の政治団体が所有する不動産などへ貯め込んでいった。

小沢は政党転がしとでもいうべき手法で、濡れ手で粟のように自身の二つの財布を肥やしてきた。解散日までに残高をゼロにしてしまえば政党助成金の国庫返納を逃れられるという「法の抜け道」を最大限に利用したのだ。反対勢力を「守旧派」と呼んで攻撃し、政党助成法を含む政治改革四法を1994年の成立に導いた中心は小沢だ。設計者がその抜け道を熟知しているのは当然である。小沢はこうして政党のカネ、約37億4千万円を自身の財布である二団体に流し込んだ。しかも、このうち約25億8千万円は、政党助成金や立法事務費などの公金、すなわち我々の税金である。(「小沢一郎全研究」松田一郎著 講談社p185 )

それでも彼がもし本当に二大政党制の確立のために、やむをえざる手段としてそのような金集めを行ってきたというのならまだ話は分かる。大きな理想の実現ためには多少の荒っぽい手段も正当化されるだろう。しかしながら、ここ2,3年の彼の行動をみていて、はっきりしたことは彼が二大政党制を目指しているというような大義名分は全部ウソだったということである。要するに小沢氏の正体というのは自分の権勢欲を満たすということであり、そのことしか眼中にない権力亡者だということは今やはっきりとしていると思う。

もし本当に彼が二大政党制を定着させたいという理想を抱いていたのであれば、菅総理に代表選で敗北したあとに反党活動に熱中し、あまつさえ大震災の国難の最中に菅降ろしに血道をあげ、野党と結託して総理の不信任決議まで通そうとしたのは理解しがたい行動である。彼は今でこそ脱原発などいうスローガンをあげて浮動票を取ろうと必死な様子であるが、菅総理が脱原発方針を打ち出したときに頑強に反対していたのは一体誰だったのか?菅元総理が浜岡原発をとめ、全国の原発にストレステストを義務付けたときに強硬に反対したのはいったい誰だったのか?ほんの一年ちょっと前まで、彼はなにがなんで脱原発を目指す菅総理をやめさせなければならないと部下たちを扇動し菅打倒を叫んでいたはずだが、その菅総理が退陣したあとはまたもや野田総理に反旗をひるがえし、さらなる反党活動に血道をあげていった。これらの一連の反党行動は彼の理想であったはずの二大政党制の実現という目標とどのように整合しているのだろうか?

野田政権が消費増税を決めたのはマニュフェスト違反だからというのもまったくおかしい。かつて日本新党の細川氏を総理に押し上げた当時、彼は福祉目的税をいう大増税案を掲げていた。その構想は現在の民主党の消費増税の考え方と同じである。たしかに鳩山総理の時代に、民主党は向こう4年間消費税をあげませんと約束していたが、野田総理が自公と結託して決めた消費増税が実施されるのは、2014年以降であり、鳩山氏が総理に就任した2009年から数えると5年後になるので、必ずしも公約違反だとはいえない。それなのにどうしても公約違反だといって党の存立を否定するのであれば、何回党を立ち上げてもきりがないだろう。少なくとも日本に二大政党制を定着させることが彼の理想であったならば、そんな些細なことで党の存在を否定するのは自己矛盾ではないか?だいたい公約違反というのは自民党時代にもいくらでもあったはずではないか?二大政党制を目指そうという人が、そんなに狭量では二大政党制は決して根付かないであろう。

小沢氏らの言い分によると、消費増税反対は単に公約違反だからというだけではなく、このデフレ不況の時代に消費増税をやるとますます景気が悪くなる、だからそれに反対するのは国民のためだということらしい。たしかにそのようにいう経済学者も多い。しかし、景気のことをいうなら、10年後に脱原発を目指すというのは、消費増税以上にむちゃくちゃなことではないか?しかも、日本経済をけん引する財界が一日も早く参加表明すべきだとしているTPPに対しても反対だといい、自民党の安部総裁らが提案している景気回復のための大胆な金融緩和策にも反対しているらしい。では一体、どうやってデフレ不況から脱却できるというのか?要するに小沢氏らの政策は社民党や共産党とほとんど同じであり、経済界の意志とは真逆なのである。そんな政策でどうして日本経済がよくなるはずがあろうか?おそらく小沢氏にとっては日本経済が衰退しようがしまいが、そんなことは眼中にはなく、とにかく選挙に勝つことだけがすべてなのだろう。

要するに小沢一郎の正体というのは、その本質は自分の保身と権力欲がすべてだという結論に至る。これはもはやだれがみても疑えない事実であろうと思う。もちろん人間というのは本質的にそういう存在である。権力欲はだれにでもあり、政治家という人種であればなおさらそうだろうと思う。しかし、彼のように政治家としての見識も理想のへったくれもなく、ただ権力のためにはどんな嘘も平気だというのは、もはや正常な人間とはいえないだろう。彼の正体は単なる権力者ではなく権力の魔に取り憑かれた権力亡者の姿そのものである。このような人物がこの選挙でポピュリズムの政策を唱えて民衆を騙そうとしていることは、非常に危険なことであると思う。

PageTop
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。