3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

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(1)空気とは何か

そもそも故山本七平が「空気の研究」で明らかにしようとしたこととは何であったのだろうか?山本七平は1921年(大正10年)生まれで、自らの青春を戦争に奪われた世代の最たる世代であった。彼は太平洋戦中の1942年(21歳)に徴兵され、ルソン島の戦闘に加わり、戦後は捕虜としてマニラの収容所に収容された。帰国後、1956年(昭和31年)に東京世田谷に出版社・山本書店を創業する。当初の山本書店の出版物は主に聖書学を中心とする訳書であった。山本氏の名が世に知られようになるのは、なんといっても1970年に同書店から出版されたイザヤ・ベンダサン著「日本人とユダヤ人」である。一般に伝えられるように<イザヤ・ベンダサン=山本七平>ということは、必ずしも明らかだとは思はないが(たとえばユダヤ人作家との共作という説も否定できない)、少なくともベンダサンと山本七平の思想的地平というものには共通するものがあることは事実だろう。

ベンダサンと同様、山本七平の最大の関心事は日本人とは何か?という問題であった。山本七平がその問いをもつようになったのは、まさに自らの壮絶な半生の中で煩悶せざるをえない問題意識としてそれが常に彼の頭の中を駆け巡ったからであろう。なぜ日本人は勝てる見込みもない無謀な対米戦争を始めたのか?なぜ日本人という人種は昭和20年8月15日を契機にして、ある日突然に天皇の現人神信仰を脱ぎ捨て、その前日までは鬼畜米英の敵であったはずの駐留米軍を民主主義の神様と信じるほど素直に受け入れることができたのか?はたまた、それが過ぎると、今度はさしたる根拠もなく学生や知識人が「安保反対」と騒ぎ出し、社会主義国こそ理想の社会だという虚妄のイデオロギーを無邪気に信じ込んでいったのか?時代の空気はなぜいとも容易に180度異なる方向へとその向きが変わり、その空気の変遷とともに日本人はなぜ同じ過ちを繰り返すのか?そのような問いが山本七平の前に常に解決されなければならない命題として彼の頭の中を支配し続けたのであろう。

「空気の研究」はそのような問題意識の中から必然的に生れた傑作の一つといってもよいと思う。山本七平が「空気」という概念をどのように考えているのかここで簡単に整理しておこう。「空気」というものの存在を示す分かりやすい例として、戦艦大和出撃の際の「空気」の威力がいかに強かったかということを紹介した個所がある。

以前から私は、この「空気」という言葉が少々気になっていた。そして気になりだすと、この言葉は一つの“絶対の権威”の如くに到る所に顔を出して、驚くべき力を振るっていることに気づく。「ああいう決定になったことに非難はあるが、当時の会場の空気では…」「あの頃の社会全般の空気も知らずに批判されても…」「その場の空気も知らずに偉そうなことういうな…」等々々、到る所で人びとは何かの最終的決定者は「人でなく空気」である、と言っている。驚いたことに、「文芸春秋」昭和50年8月号の「戦艦大和」(吉田満監修構成)でも「全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う」という発言がでてくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無効とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに到る細かいデータ、すなわち明確な根拠がある。だが、一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠はまったくなく、その正当性の根拠は専ら「空気」なのである。したがってここでも、あらゆる議論は最後には空気で決められる。最終的決定を下し、「そうせざるを得なくしている力をもっているのは一に「空気」であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。とうのは、おそらくわれわれのすべてを、あらゆる議論や主張を超えて拘束している「何か」があるという証拠であって、その「何か」は大問題から日常の問題、あるいは不意に当面した突発事故への対処に至るまで、われわれを支配しているなんらかの基準のはずだからである。

確かに日本人はしばしば「あの空気の中では仕方がなかった…」等ということを口走ることがある。その「空気」という言葉には何か共通の意味が込められているはずだが、通常、われわれはそれを確たる概念としては使っていない。むしろ、その概念は他の言葉では表現のしようのない漠たる概念として無意識に使われているのではないだろうか。たとえば、あのとき本当は自分の考えは賛成ではなかったのだが、その場の「空気」で賛成せざるをえなかったというような場合に、ある種の弁解としてその言葉がしばしば使われるが、その場の「空気」というのは、何か理屈を超えたものを指しているにちがいない。それは何であろうか?

現実の空気は目にはみえないが確実に存在するものである。人間は誰でも空気を吸わなければ生きられない。しかもわれわれは空気を選ぶことはできないので、一方的に空気によって規定されている。空気の存在はわれわれの肉体を具体的に支配する実体であり、その支配力に対してわれわれはどうすることもできない。水がなければ魚は生きられないように、人間も空気がなければ生きられないのである。そのような現実の空気の存在とはまた別にわれわれ人間の精神的な部分を支配する力として「空気」というものが存在するのだと仮定すれば、われわれを精神的に規定する「空気」というものの実体が少しはみえてくるような気がする。

ひと頃、「KY」という言葉がやたらとはやっていたが、この言葉は英語の頭文字をとった略語ではなく、元々は一部の女子高生の間でのみ通用していた日本語の頭文字をとった隠語だそうで、ご存知の通り、その意味は「空気(K)が読(Y)めない人」というような意味である。してみると、女子高生たちは(誰に教わったわけでもないのだろうが)「空気」という概念を彼女たちの短い人生の中で学んでいたのだろう。

実際、「空気を読む」ということは、女子高生だけではなく、われわれの社会で生活してゆくすべての人にとって必須の処世術でもあると思われる。しかし、その言葉が幅をきかすと、文字通り「空気が読めない人」は除け者にされ、「空気」に対して誰も抵抗できないという「空気信仰」のようなものができあがってしまう。すなわち「空気」が一種の神のような存在になって人々を呪縛するようになる。これは「空気の物神化」といってもよいだろう。

「空気」というものは目に見えないが無言の圧力を及ぼすものである。だからそれはまさしく目に見えない神のように振舞うことができるのである。普通の人は「空気」の存在を目で見ることはできないが、しかしその圧力だけは感じるので、誰もがその存在を疑わず、それに抵抗することさえできない。したがって、「空気」に抵抗するということは、通常、無謀なことであると思われる。

空気というものは目に見えない。だから、それはときにわれわれの社会の神のごときものとして君臨する。しかし空気が空気であるゆえんは、その実体が不確かなものであり、いつかは雲散霧消し消えてなくなるものであり、したがってその影響圏は一時的あるいは局所的なものにすぎない。たとえば上記の故山本七平の文章で「ああいう決定になったことに非難はあるが、当時の会場の空気では…」と書いているのは、局所的空間の中でのみ影響力をもつ「空気」であり、一方、「あの頃の社会全般の空気も知らずに批判されても…」というのは社会の中で一時的に影響力をもつ「空気」のことである。戦艦大和の出撃に関して言うと、その当時の社会の全般的空気と同時に大本営という局所的空間の中の空気が、あのような不条理な決定を促したのだと考えられる。その決定に参与した当時の政府と軍の関係者は、おそらく誰にとってもそれ(大和出撃)が有効な作であるとは考えていなかったフシがあるが、しかし、その場にいた者は誰もその空気に逆らえなかったのである。

おそらくそれは大東亜戦争開戦時に至る経緯においても同様であったと思われる。もちろん大東亜戦争開戦の決定に天皇が関わっていたということは事実であるが、おそらくその最終決定を成した御前会議において天皇の影響力はほとんどなかったはずである。ということは、つまり「神」である天皇でさえも「空気」には逆らえなかったのではないかと考えざるをえない。「空気」というものはかくばかり絶大な影響を及ぼすものであり、それはまさしく「神」のごとく振る舞うのであるが、しかし、その「空気」がいったん雲散霧消すると、人々はあの時の空気はいったい何だったのだろうかと、まるで憑きものが落ちた人のように正気に戻るのである。昭和20年8月15日を境にして起こった「空気」の変化はまさにその典型例である。

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(2)日本人は物神崇拝の民か?

(2)日本人は物神崇拝の民か
日本人を支配する「空気」の本質とはいったい何だろうか?山本七平によると、それは日本人独特の物神崇拝にあるとされている。山本七平(又はイザヤ・ベンダサン)が「日本人とユダヤ人」あるいはその続編ともいうべき「日本教徒について」(1972年 文芸春秋社)という類稀なる書で展開したのも、日本人は本質的に物神崇拝の民だということであった。物神崇拝とはなにかというと、それは八百万の神に象徴されているように、あらゆる物に神が宿るという感覚である。たとえば日本人は日常の食卓で使う茶碗、皿、盆、箸…、等を自分の体の一部のように後生大事に扱うことを当然のこととしている。なぜならそれらの「物」には神が宿ると考えるからである。これは農耕民族として生きてきた日本人の心と体に染みついたものといってもよいのだろう。

それは遊牧の民が羊の肉や皮をあますことなく使うのと同じことなのかもしれないが、もともと遊牧民であった西洋人はユダヤの一神教の伝統を自らの宗教として受け入れたために、彼らは物神崇拝を極力排する文化をもつようになった。なぜならバイブルの神がなによりも戒めたのは偶像崇拝、すなわち「汝、われ(ヤーヴェ神)以外のなにものをも神とするなかれ」という教えであった。この戒めはモーセの十戒の中で最初に述べられる戒めであり、それは「汝、殺すなかれ」とか「汝、盗むなかれ」「汝、偽証するなかれ」という戒めよりも、真っ先に守らなければならない、より重要な戒めだとされている。したがって西洋の一神教では「物に神が宿る」という考え方はほとんど存在しない。

しかも西洋では、近代化のきっかけとなったデカルトの二元論哲学以来、神や霊の世界と物の世界は厳しく峻別され、一切の物質に神や霊が宿ることはないと考えられた。西洋人にとっては「物」は神から与えられた単なる道具であり、それで作られた物を神のように崇拝するのは偶像崇拝と同じく罪でもあるとされた。ただし、偶像崇拝の戒めは本家本元のユダヤ教に比べ、キリスト教圏ではかなり薄められたものとなっている。イエスの像やマリアの像を造って崇めるという文化が、特にカトリック教徒の間では広く行き渡っているのをみると、仏教徒の仏像崇拝とあまり変わらないようにみえるが、しかし少なくともキリスト教では本尊のイエスとマリア以外の像は造られないことに比べ、仏教では釈迦の仏像だけではなく、おびただしい種類の仏像が造られるという偶像崇拝の伝統がある。

注意すべきことは、同じく一神教徒のイスラム教徒の場合は偶像崇拝を禁じる戒めにおいて、キリスト教徒よりもはるかに徹底した宗教だということである。そもそもイスラム教というのは、ユダヤ教から派生した教えであり、キリスト教よりもはるかにユダヤ教に近い教えである。彼らはユダヤ教徒と同じようにバイブル(旧約聖書)を聖典として仰ぎ、モーセやアブラハムを預言者として信仰している。しかも彼らはイエスの教えさえも素直に受け入れ、イエスをモーセやアブラハムに並ぶ偉大な預言者だとしている(その点ユダヤ教ではイエスの教えを認めていない)。かつてアフガニスタンのタリバン勢力がバーミアンの仏像を破壊した事件は世界中に衝撃的に報じられた。その行為は偶像崇拝に対してまったく罪意識のない日本人にとっては野蛮としか映らなかったにちがいないが、同じ一神教のユダヤ教徒やキリスト教徒の間では、その受けとめ方は少し違っていたはずだ。

おおざっぱにみると、今現在、世界の3分の1はキリスト教圏であり、他の3分の1はイスラム圏である。それに対して、かつては無神論の共産圏が世界の3分の1を占めていたが、90年代以降、旧共産圏でもキリスト教やイスラム教の勢力が強くなってきた。たとえば世界人口の約5分の1を占める中国でも、かつては共産党政府により宗教が一掃されたが、最近はある程度の自由化によって取り締まりが弱くなっている。その結果雨後のたけの子のようにキリスト教徒が異常なほど増殖し、イスラム教徒も少数民族の各自治区で息を吹きかえしている。現在、中国のキリスト教徒は1億人を優に超える信者(大半は地下教会の隠れ信者であるが)がいるとされ、意外なことに世界でも1,2を争うほどの信者数を抱えているといわれているのである。

他のアジア諸国をみると、たとえば韓国は伝統的には儒教国家であるが、キリスト教徒が圧倒的に存在感をもっていて国民の約3割がキリスト教徒であるといわれる。また早くから欧米の植民地となったフィリピンは人口の8割以上がカトリックであり、人口2億3000万以上のインドネシアでは大部分がイスラム教徒である。他にパキスタンやアフガニスタン、マレーシアがイスラム教国であるのはいうまでもないが、人口10億を超えるインドでは多神教のヒンズー教徒が圧倒的に多いが、イスラム教徒の数も人口の10%を超え1億以上の信者がいるといわれる。

このようにみてみると日本という国の特異性が分かる。世界の国々は一神教が圧倒的に多いのである。日本は一応仏教徒に属しているといわれるが、しかし他のインドシナ半島の仏教国(タイ、ミャンマー、カンボジア、etc.)に比べると、同じ仏教でもまったく質が異なっている。日本の仏教は大乗仏教であり、しかも禅宗とか浄土宗のように独自の教えを発展させた仏教国は他に類がない。また日本は八百万の神を祀る神道の国でもあり、その中心である天皇を現人神として信奉してきた。この結果、日本は古来神仏習合があたりまえになっていて、明治以降、廃仏毀釈によって両者の違いが鮮明にされたものの、今でも日本人は正月には神社にお参りをし、お盆には仏壇にお供えをして仏式の先祖供養をすることに何の違和感もない。それどころかクリスマスには一家揃ってイブのケーキを食し、結婚式には牧師の前で夫婦の誓いをして、牧師にいわれれば親族一同慣れないアーメンを唱和しさえする。

世界の他の国々からみると、このような日本人の宗教的伝統や習慣には奇妙にみえることが多々あるにちがいない。日本人はいったい何教を信じているのだろうか?と訝られても仕方がないだろう。

つづく

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(3)日本教徒と天秤の世界

イザヤ・ベンダサン(実際の著者は故山本七平であるかもしれないが、本書の著者名にしたがって以下「ベンダサン」とする)によると、実は日本人というのは「日本教」という、およそ世界に類のない奇妙な宗教に属しているのだとされている。これは普通の日本人にはまったく意識されていないがベンダサンというユダヤ人の目から見るとそうとしか考えられないというのである。「日本人とユダヤ人」の結論部で語られているのは、そのような驚くべき洞察である。故山本七平氏(及びイザヤ・ベンダサン)の二百冊を優に超える書物の中で、もっともユニークかつ異彩をはなっているのは、この「日本教」という概念の発見であると私は思う。その中から一部を引用しておこう。

日本人とは日本教徒なのである。ユダヤ教が存在しているごとく、日本教という宗教も厳に存在しているのである。(中略) 日本人はそういう不幸にあっていないから、日本教などという宗教が存在しているという自覚は全くもっていないし、日本教などという宗教が存在するとも思っていない。その必要がないからである。しかし日本教という宗教は厳として存在する。これは世界でもっとも強固な宗教である。というのは、その信徒自身すら自覚しえぬまでに完全に浸透しきっているからである。日本教徒を他宗教に改宗させることが可能だなどと考える人がいたら、まさに正気の沙汰ではない。この正気とは思われないことを実行して悲喜劇を演じているのが宣教師であり、日本教の特質なるものを逆に浮き彫りにしてくれるのが「日本人キリスト者」すなわち日本教キリスト派であるから、まずこの両者に焦点をあててみよう。

宣教師はまず日本人は無宗教だというし、日本人もそういう。無宗教人などという人種は純粋培養しなければできない相談だし、本当に無宗教なら、どの宗教にもすぐに染まるはずである。だから私は宣教師にいう。日本に宣教しようと思うなら、日本人の「ヨハネ福音書」と「ロマ書」はお読みなさい。そしてそれが済んだら日本人の旧約聖書の全部は不可能にしても、せめて「創世記」と「第二イザヤ」ぐらいは読まねばいけません、と。彼らは驚いていう。そんな本がありますか、と。(中略) そこで私はいう。いやなんのご心配もいりませんよ。何十年か一心に日本で伝道してごらんなさい。そのうち老人になると、日本人はあなたのことをきっとこういって尊敬してくれますよ。「あの人は宣教師だが、まことに宣教師くさくない、人間味あふれる立派な人だ云々…」。何十年かたったら思い出してください。この「人間味あふれる」という言葉の意味と重さを。そしてそういわれたときに、あなたが日本教キリスト教に改宗したので、あなたの周囲の人がキリスト教になったのではないという事実を。
(以上は「日本人とユダヤ人」P90-91)

ベンダサンは、この「日本人とユダヤ人」で初めて展開した「日本教徒」という概念をさらに強固に発展させるべく、後に続編として「日本教について」(文芸春秋)を著わしている(他にも同様のテーマの書「日本教徒 その開祖と現代知識人」(角川書店)もある)。これをみても、ベンダサンが「日本教」という概念に特別な思い入れがあったことが分かる。特に「日本教について」という書は、「日本教」とは「天秤の世界」であるという巧みな比喩を駆使することによって、その本質に迫ったものであり、この書こそベンダサン一世一代の最高傑作ではないかとかねがね思っている。面白いのは、この「日本教」すなわち「天秤の世界」がどのようなものであるかということを解明することで、われわれの社会の「空気」についても解明のヒントが与えられるのである。しかし、それについてはしばらく後回しにし、以下「天秤の世界」とはどのようなものなのか、氏の文章を引用しながら私見を交えて書いてみよう。ただし、これを何の予備知識もなく文章をそのまま引用しても、とっつきにくく、やや難解でもあると思うので、あらかじめどのような論術が展開されているのか、要点を箇条書きにして整理しておきたい。

1. 日本人は例外なく日本教徒である。
2. 日本教徒の教義は天秤の原理によって説明できる。
3. 日本教徒の天秤の支点の中心にあるのは「人間」である・
4. 天秤の世界には分銅の役目を果たす「空体語」をのせる皿がある。
5. 天秤の一方の皿には「実体語」が置かれる。
6. 日本教徒は支点にある「人間」を中心に両方の秤のバランスをとろうとする。
7. 日本教徒には「純粋人間」という概念がある。
8. 「純粋人間」とは「私心のなさ」という日本人の教義を体現した人物である。
9. 「天皇」とは「私心のない」人間であり、最高の「純粋人間」である。
10. 天秤の世界の支点には「純粋人間」としての「天皇」が位置している。

とりあえず以上のような簡単な予備知識をもって、これから「日本教徒について」からいくつかの文章を引用しつつ若干の私見を交えながら書いてみたい。ただし引用は断片的になるので、著者(山本氏又はベンダサン氏)の真意を十分に汲み取ることができないかと思うので、その点はあらかじめご了解をお願いしたい。

従って私は、日本という世界は、一種の天秤の世界(もしくは竿秤の世界)であると考えています。そしてこれの支点となっているのが「人間」という概念で、天秤(もしくは竿秤)の皿の方にあるのが「実体語で組み立てられた」世界で、分銅になっている方が「空体語で組み立てられた」もうひとつの世界です、(P26)

天秤が平衡を保つには、二つの要素が必要です。一つは天秤皿の上のものと分銅との関係であり、もう一つは支点の位置です。支点が天秤皿すなわち「実体語」のすぐ近くに寄っていれば、ほんのわずかな「空体語=分銅」で平衡を保ちますが、もしこれが逆になり、支点が「空体語=分銅」へぐっと寄っていれば、ほんのわずかな「実体語」と平衡を保つために、驚くほど膨大な量の「空体語=分銅」が必要になります。
この支点の位置は実は絶えず左右に移動しているのです。日本人全体を見た場合、時代によってこの位置が変わりますし、個々の日本人をみた場合、一人一人で、各々この
位置がはじめから違います。また一個人の生涯をみた場合、年齢により境遇により、この位置が変化していきます。そして「人間は支点であって言葉では表現できない」というのが日本教の教義の第一条なら、「人間の価値はこの支点の位置によって決まる」というのが、日本教の教義の第二条ともいうべきものです。
この第二条は、日本教の非常に重要な教義であって、これに疑いをさしはさむ日本人は皆無だと断言してよいと思います。日本人は人間を「純粋な人間」と「純粋でない人間」に分けます。もっともこのように大きく二分していると考えては誤りで、この「純粋」という考え方は、やや金属の精製度(もしくは純度)に似たものとお考えください。ある人は純金的(二十四金的)人間であり、純度は高いが実用にはならない、別の人は少しく純度が落ちて十八金的人間で、結婚指輪にはなるが、普通の万年筆のペンにはならない。もう一人は十四金的人間で実用にはなるが純度は落ちる、といった類別と似た考え方です。
この純度表が何によって決まるかといえば、前述の支点の位置で決まるのです。すなわち支点が「空体語の世界=分銅」に近づけば近づくだけその人は「純粋な人」です。従って「純粋な人」とは非常にわずかの「実体語の世界」と平衡を保つために、実に大きな「空体語の世界=分銅」が必要です。一方、「純粋でない人」は、支点の位置が実体語の世界に非常に近接しているので、ほんのわずかな「空体語の世界=分銅」で、膨大な天秤皿の上のもの、すなわち「実体語の世界」と平衡がとれるわけです。
(中略)
以上のように書きますと、私がなにか面白い比喩を語っているようにお感じでしょう。しかしこれは単なる比喩ではないのです。この「支点の位置」は倫理以前の人間判別の基本的基準として日本教徒の日々の生活を律しているのみならず、戦前、戦後を通じて実に、法廷における判決をすら左右しています。また日本全体をひとつの天秤と考えるなら、その政策をすら決定しているのです。このことを「個人の場合」と「日本人全体の場合」に分けて、実例をあげて、いずれ説明申しあげましょう。(「日本教について」P54-55)



以上の引用箇所は、「日本教」を解明するための基本的枠組みを述べたものである。
たとえば現実の出来事を例に挙げると、次のようにそれは応用される。

今から1世紀ほど前、日本が鎖国をやめて開港せざるを得ない状態になったと、ほとんどすべての日本人(少なくとも知識人)が内心で感じた時、激烈な攘夷論が起こりました。当時の日本で海外のことを最もよく知っていたはずの薩摩や長州の人々、特に島津斉彬のような人(彼は当時の日本でもっとも進歩した考え方の人と思います)や、彼から薫陶を受けた人々が本心から攘夷論者だったとは思えません。すなわち「開港は必要である、だが攘夷と叫びうる状況も必要である」という平衡の論理があったはずです。従って「実体語=開港」は沈黙し、さらに開港が必要になればなるほど攘夷の声は高くなってゆき、ついに天秤の分銅は最大限、竿秤なら竿の端まで分銅があがってゆきます。そして、その結果はどうなるか。天秤なら平衡が破れて一回転し、天秤皿の上の荷も分銅もおちてしまう―御一新で皿は空、分銅なしの平衡状態となります。従って攘夷論者が政権をとったのに、開港したということは別に不思議ではありません。

実によく似たことが第二次大戦末期にも起こっています。すなわち敗戦が避けられないとほとんどすべての人が内心で感じたとき、分銅は極限まであがって「一億玉砕」になり、ついで天秤は一回転して重荷も分銅を落ちてしまうと、天秤皿は空で、分銅なしの虚脱状態、すなわち精神的空白の平衡が再現し、当然、言葉は失われます。そしていずれの場合も支点は微動もしていません。(「日本教について」P28-29)


ベンダサンがいうように、この二つの時代(維新と終戦)がよく似ているのは、まったく正反対の価値観がある日(ある頃)を境にあっさりと価値の逆転が起こるという現象である。明治維新のときは攘夷と開国(開港)という二つの国論が日本を二分していた。この奇妙な(日本的)現象を理解するためにベンダサンは天秤の世界を考案しているのである。ベンダサンによると、「攘夷」という威勢のよい文句は「空体語(=分銅)」の皿にのっており、そして一方の「開国」という実利的な考え方は「実体語」としてもう一方の皿にあったと考える。ここで空体語というのは、本来の目指すべき大義名分のことである。ところがそれは、もともと実際には実現不可能な言葉であるがゆえに「空体語」となり、他方、「開国」は誰が考えても周囲の状況が押し迫っていると判断される実体語である。維新前夜は多くの反幕府の志士たちが「尊王攘夷!」といいながら、倒幕運動に突き進んだわけだが、その彼らも内心では「開国」も必要であるということは認めていた。結果、維新により天秤皿がひっくり返って「攘夷」という言葉はどこかへ吹き飛んでしまい、あとに残ったのは彼らがあれほど憎んでいた「開国」しかなかったわけである。だから、天秤がひっくりかえって攘夷派が開国派になったのは別に不思議でもなんでもないとベンダサン氏はいうのである。

ただし、ここでベンダサンが付け加えているように、皿はひっくりかえっても「支点は微動だにしていない」のである。その支点というのは他でもなく「尊王攘夷」の前の二語、すなわち「尊王」という言葉であった。

面白いことに、同じようことは昭和20年8月15日にも起こっている。
(以下はベンダサンではなく筆者の分析である。)

ベンダサンの教えに従えば、明治以来の日本は「富国強兵」とか「殖産興業」いう語が実体語として一方の皿にのり、もう一方の皿には「国際協調」とか「議会主義」という空体語があったと考えられる。注意すべきことは、戦前の日本は必ずしも反民主主義国ではなかったことである。正当な選挙で選ばれた議員によって構成された議会は機能していたし、また国際的にもそれなりの地位を占めていた。日米関係も昭和6年の満州事変までは良好であった。昭和9年には日米親善野球が行われ、ベーブルースやルーゲーリックが来日しているのをみても、その良好さは分かる。しかし、昭和12年の日中戦争後、その関係は最悪となった。ただし、それ以降でも「国際協調」と「議会主義」がまったく機能していなかったわけではない。政府は日米開戦の回避のために、多くの努力をしていた。しかし、米国から突き付けられたハルノートを最後に、遂に戦争突入やむなしとなって「国際協調」の代わりに「大東亜共栄圏」が「議会主義」の代わりに「大政翼賛会」が空体語として入れ替わり、ついに昭和16年12月8日、日米開戦に突入することになる。この戦争中の間も実体語(「富国強兵」と「殖産興業」)と空体語(「大東亜共栄圏」と「大政翼賛会」)はそれなりのバランスをとっていたのであるが、昭和20年8月15日の敗戦となって天秤皿の空体語(「大東亜共栄圏」と「大政翼賛会」)は遂にどこかへ吹き飛んでしまい、逆にしばらく忘れられていた「議会主義」と「国際協調(平和主義)」という語が戻ってきたのである。その日を境にあれほど憎んでいたアメリカは、民主主義の先生となり、新たな「日米同盟」の時代へと入れ替わる。ただし、天秤の支点は維新のときと同様このときも微動だにしていない。

同じようなことは、その後の出来事についてもいえる。戦後以来、日本は「民主主義」と「平和主義」という空体語を一方の皿に、そしてもう一方の皿には「日米同盟」と「経済復興」という実体語があった。だが、この二つの皿は60年安保を契機にバランスを失うようになる。「安保反対」デモが連日国会を取り囲み、「民主主義」と「平和主義」という空体語が戦後左翼の旗印となって、空体語(=分銅)の比重がますます重くなり、一方、実体語である「日米同盟」は危機に瀕するのである。このときは岸総理の粘り強い交渉によって安保改定が批准されると、天秤皿の平衡は正常に戻り、あれほど盛り上がった学生たちの安保反対運動は意気消沈して姿を消すようになる。当時の全学連のリーダー格であった東大の西部邁氏は、安保条約改定の中身については当時何も知らなかったということを告白しているが、要するに改定の批准が成立したというだけで、まるで将棋が終わったかのように心変わりするというのも、考えれば奇妙な日本的現象である。ただし、このとき一般市民を巻き込んだデモの盛り上がりのために岸総理は退陣に追い込まれている。

面白い事は、この後を受け継いだ池田内閣では「所得倍増計画」の掛け声によって実体語が再び復活したことである。一方、「民主主義」や「平和主義」の空体語はしばらく忘れられかけたようになるが、やがて70安保闘争に向かって再び安保反対の掛け声の下、盛り上がってくる。その結果は、ここに詳しく述べるまでもなく同じような経過をたどり、学生運動家たちは再び挫折を味わうことになり、その後はまたも計ったように田中角栄の「列島改造論」の呼びかけと共に、再び実体語が復活するのである。

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(4)空体語としての原発再稼働反対

ベンダサンが考案した「空体語」という概念は、「日本教」すなわち「天秤の世界」の中で分銅の役割をしていると考えられている。分銅がなければ皿の平衡は保たれないので、天秤の世界には必ず分銅が置かれている。なぜそれは分銅なのかというと、それはもともと実体語と平衡をとるための言葉でもあるからだと考えられる。実体語というのは現実に必要な考え方を指す言葉であるが、それだけでは天秤の世界の平衡が保たれないので、一方の皿には分銅としての空体語が置かれるというわけである。

ではなぜ平衡が保たれなければならないのかというと、いつの世も人間社会の中には理想と現実の葛藤が生じるからだと考えられる。実体語というのは現実的な諸条件の中で必要だと思われる考え方である。しかし、それだけでは理想とのバランスが取れないので、現実にはあまり必要がなくても、分銅の役割を果たすために、一方の皿に空体語がのせられる。ただし、だからといって空体語は本来不必要なものであるかというと、必ずしもそうとはいえない。それは神や仏の存在が(日本人にとっては)空体語にすぎないからといって、それが不必要だとはいえないことと同じである※。

※いずれ機会があれば詳しく説明したいと思うが、ベンダサンによると日本教徒にとって神や仏の存在は空体語に他ならないのであるが、だからといって日本人が神や仏の存在を決して否定しないのは、それらが天秤の世界の中で必要とされているからなのである。

たとえば自衛隊というのは現実的に必要な存在であるという意見があるが、一方では自衛隊は憲法違反だから廃止すべきだという意見がある。必要性という観点からみれば、自衛隊の合憲論は実体語であり、自衛隊の違憲論は空体語である。もし空体語が必要ないというのであれば、自衛隊の違憲論は無くなってもよいはずであるが、そういうことにならないのは、やはり日本人は両方の考え方を必要だと認めている証拠なのである。ただし、空体語は本来現実的必要性の要求からではなく、別の観点から必要だと考えられているのである。それは一国平和主義とか理想主義という、現実的な根拠ならぬ根拠に基づくものである。ここで空体語が分銅の役目をしているというのは、自衛隊違憲論が存在してはいても、決してそれが採用されるということはないことで分かる。つまり自衛隊違憲論というのは「日本教」すなわち「天秤の世界」のバランスをとるために必要だとされている分銅にすぎないわけである。

ここでちょっと、われわれの現実に戻って考えてみたい。現在、原発再稼働の是非について国論が二分されている。この状況はかつて60年安保条約改定の際に国論が二分されていた状況と非常によく似ている。このところ毎週金曜日に繰り広げられる国会周辺での原発再稼働反対デモは、60年の安保反対デモにしばしば比較される。それは今のところ60年安保ほどの盛り上がりは欠いているが、当時も今も国論を二分しているという点ではよく似ている。しかし、いずれにしても「安保反対とか「原発再稼働反対」というスローガンは、いつの時代にも叫ばれる「空体語=分銅」にすぎないのである。それらが「空体語」であるという理由は、仮にそれらのスローガンがもし現実になると、たちまち国家が成り立たなくなるのは自明だからであり、それゆえそれは分銅としての役割しか果たしていないことが分かるのである。

実際、60年安保当時、仮に日米安保体制を破棄していれば日本はどうなっていたであろうか?いうまでもなく、日本は早晩ソ連の餌食になっていたであろう。当時の日本を取り巻く国際情勢は米国とソ連による綱引きの、そのもっとも緊張した綱糸の一端に位置していた。その証拠に昭和20年8月10日のポツダム宣言受諾後にもかかわらず、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して当時の日本領だった樺太や千島を占領し、さらに北海道内へと侵略を窺っていた。彼らの狙いは明らかに終戦後の日本の分割統治であった。最悪の場合、日本は東西ドイツや朝鮮半島のように分割統治される可能性があった。その後、米ソ間で冷戦がはじまり、日本は駐留米軍の抑止力により、なんとかソ連の餌食となることを防止できたのである。そのようなパワーバランスの中で仮に日本政府が安保を破棄しても、到底、日本の独立は守れなかったであろう。ましてや、当時、自衛隊は十分に整備されておらず、しかもその自衛隊でさえも憲法違反だという世論の反対があった中で安保条約を破棄すると、日本は完全に丸裸同然となり、ソ連の物理的影響下に入ることは避けられなかったであろう。したがって当時の安保反対というスローガンは、幕末の「攘夷運動」と同様、ほとんど現実的な裏付けのない空念仏、すなわち「空体語」にすぎなかったのである。

同じように、現在の「原発再稼働反対」というスローガンも、仮にその言葉通りの社会になれば、日本はたちまち国家として成り立たなくなるであろう。確かに、橋下大阪市長がいうように大飯原発の再稼働がなくても、この夏の電力需要は乗り切れたのではないかという、それなりの数字的裏付けはあるかもしれない。しかし、仮に乗り切れたとしても、関西電力管内においてのその供給体制は相当な無理があり、余程の節電を実行したとしても停電リスクは常に存在していただろう。問題はしかしそれだけではなく、原発ゼロのままで日本経済が果たして立ち行くのかという深刻な経済問題が厳として存在していることである。ちなみに、つい先日(8月20日)の読売新聞社説に次のようにでている。

政府は2030年の原発比率について「0%」「15%」「20~25%」という三つの選択肢を示している。このうち「0%」が最も非現実的なのは明らかだ。政府の試算によると、国内総生産が約50兆円減少するなど、日本経済への打撃は甚大だ。民間の見通しも厳しい。経団連は、失業者が200万人も増えると警告している。電力多消費産業の鉄鋼業界は電気料金が最大で2倍上がることから、「廃業勧告に等しい」と訴えた。

もちろん、こんな試算は脅しにすぎないという見方はできる。しかし、その種の反論は幕末の攘夷派が「勇敢に応じれば日本の独立は維持できるはずだ」とか、日米開戦前に軍部が「大和魂を発揮すれば個人主義者の多い米国には負けないはずだ」いっていたのと、どこか似てはいないだろうか?いずれ場合も、問題は周囲の状況を客観的かつ詳細に分析し、それに向き合うことをせず情緒的な反応だけで済ましているということである。

たとえば今回の原発再稼働反対デモで音楽家の坂本龍一氏が「たかが電気」などという発言をしたことが物議をかもしている。もちろん坂本氏の発言は政治家の発言ではないので、何を言おうと責任問題にはならない。おそらく坂本氏は芸術家の感性で、そういったにすぎないのであり、その発言を一人の詩人の言葉として受けとめれば別段何の問題もない。おそらく坂本氏自身もそのような発言に政治的効果がないことははじめから分かっているであろう。彼が言いたかったのは、要するに経済よりも命の方が大事なんだという単純な主張にすぎないのだろう。しかし、そのような主張は情緒的なものであり、少なくとも論理的な主張でないことは自明である。なぜなら、論理的に考えれば電力危機は放射能汚染以上に人間を死に追いやるリスクの高いものであることは明白だからである。

坂本氏が言うように(確かに)ほんの150年も前の人々は電気の存在を知らずに生きていたので「人間にとって電気がなくてはならないものではなかった」ことは事実である。しかし、それはもはや過去形でしか言えない。なぜなら「現代の文明人にとって電気はなくてはならないもの」になっているからである。それは現代人にとっては体内を流れる血液であり神経でもある。現に、それがなければたちどころに死を招来する危険が到る所に存在している。たとえば熱中症などという病気は、かつて冷房装置のない時代ではほとんど存在していなかったが、現代ではそれに頼らなければ、たちまち熱中症になって死亡してしまう弱い体質の人が増えている。これは文明病といってしまえばその通りだが、だからといって多くの現代人は昔のような強い体質に戻ることは不可能である。

問題はそれだけではない。われわれの社会の経済は電力に全面的に依存した経済であることを知る必要がある。そもそも生きるということは活動することを意味しており、その活動のためには、どんな生物にもエネルギーが必要である。もちろんあらゆる生物にとってエネルギーの元となっているのは太陽エネルギーである。いわゆる食物連鎖という自然の循環システムは元の太陽エネルギーを再利用しながら、より活動的に生命を多様化(または進化)させようとした自然の仕組みである。ただし、人間だけは例外的に自然エネルギー(再生可能エネルギー)だけでは生きられなくなったのである。近代文明は石炭という化石燃料を活用することから始まった。それ以来、文明社会がもたらした経済は飛躍的に増大し、それとともに新たな帝国主義時代が到来した。江戸時代の日本人が心底恐れたのは黒船(蒸気船)を動かす途方もない石炭のエネルギーであった。そのエネルギーがまたたく間に全世界の人々の生活を変える力となったのである。その後の文明は石炭から石油へ、そして石油から原子力へと主流のエネルギーがシフトしていった。現在のわれわれの生活水準を維持するために原子力がなくてはならないものになっているという状況は一つの現実である。

われわれが心すべきことは現在の世界で原発が全エネルギーに占める比率は、福島事故以来必ずしも低下してはいないという事実である。確かに福島の事故以後、ドイツとイタリアだけは脱原発に移行した。しかし、それ以外の国々では決して脱原発の流れが起こっているわけではない。むしろ日本を取り巻く周辺国、とりわけ中国や韓国では原発依存がどんどん進行している。現在、中国では40基の原発が建設中であり、さらに将来40基以上の原発が追加で建設計画があるといわれている。ヨーロッパ経済の場合は経済共同体としての性格が強いために、ドイツやイタリアが脱原発に移行しても原発大国のフランスがその不足分を補える体制になっているので、それらの国民は困窮することはないが、極東の場合はまったく性格を異にしている。日本、韓国、中国はなんら協力体制を築こうとはしていないし、逆にこの三つの国は経済的なライバル関係がますます熾烈になっている。そのような中で日本だけが脱原発に移行するということは、自ら競争から脱落すると宣言するに等しい。もちろん、それでも別にいいじゃないかというのんきな人もいるのかもしれない。

しかし問題は経済問題だけではない。日本の競争力が低下すると、何が起こるだろうか?まず考えられるのは企業の倒産や失業者の増大であるが、それはやがてより深刻な政治問題へと発展してくる。日本経済が弱体化すると、おそらく日本は米国にとって現在のように重要なパートナーではなくなるだろう。そうなると逆に中国の力が相対的にますます強くなってくるのが目に見えている。日本経済の中国依存度がますます強くなり、いずれ中国は日本を属国扱いにするようになるだろう。日本が経済的にも軍事的にも政治的にも弱者であることがはっきりすると、中国は日本に対してどのような態度をとるようになるだろうか?おそらくは先の戦争の屈辱に対して、この機会に仕返しをしてやろうという心理的気分の高揚を抑制することはできなくなるであろう。

現在のところ、脱原発という決断はそのような将来をも考えた上での決断でなければならないはずだ。しかし、原発再稼働反対の運動をしている者はいうに及ばす、政治家においてもそこまで考えている人々がどれだけいるのだろうかと思うと、ゾッとするような話である。

もちろん脱原発の選択肢は必ずしもそのようなシミュレーションに直結しているわけではない。瓢箪から駒という言葉もあるように、思いもよらぬ幸運が舞い込むこともありうるだろう。たとえば現在、石油に代わる代替エネルギーとして希望を抱かせているのはシェールガスである。その他にも地熱エネルギーや太陽エネルギーなどの比率が高まれば、今後の産業構造の変化に好影響を期待できるかもしれない。いずれにしても脱原発は今後日本が目指すべき方向性であることはいうまでもないことであるが、それがもたらす様々な悪影響をよく考えもせずに、拙速に脱原発を決定するとすれば、取り返しのつかない問題を将来にもたらす危険もあることを忘れてはなるまい。

明治以来、日本の総理大臣は天皇から総理大臣に任命されるときに、直接以下の三カ条を守るように求められたといわれる。第一は憲法に従うこと。第二は国際協調につとめること。第三には財界に急激な変動を与える政策をとってはならない」という三カ条である。戦前の政府はこの三カ条を全部無視して戦争へと突っ走っていったのである。

いまもし原発再稼働反対派が主張するような政策をとったとすると、財界に急激な変動を与えてはならないという明治以来の教えに背くことになり、その結果は第二の敗戦につながることも覚悟しなければならないのである。しかるに政府はたとえ脱原発を目指すとしても、常に財界との相談によってその進め方を決定してゆかなければならない。このような観点から考えると、急激な脱原発を目指す橋下氏らの維新勢力に迎合しようとする政治がいかに危険であるかということが分かろうというものである。彼らのスローガンは要するに「空体語=分銅」にすぎないことは、いずれ明らかになる日が来るであろう。

追記
誤解がないように付け加えておきたいが、筆者は原発再稼働反対のスローガンは「空体語=分銅」だから意味がないなどとは思っていない。むしろそれは「空体語=分銅」であるがゆえにむしろ必要なものでもあり、その意味ではデモの参加者の人々には敬意を表したいと思う。

追記2
仮に橋下維新の勢力が政権ととったらどうなるであろうか?これは予言ではないが、おそらくは幕末に政権を握った攘夷派と同じように、もともと唱えていた原発再稼働反対というスローガンはどこかへ吹き飛んで、現在の民主党とほとんど変わりのない緩やかな脱原発方針へと転換することになるであろう。なぜなら彼らが政権を握ったときには、それが空体語にすぎなかったという事実に目覚めるはずだからである。このことは自衛隊違憲論のかつての社会党が政権(村山政権時)にありついたとき、あっさりと自衛隊合憲論を認めたことでも証明済みであり、同じく民主党が政権にありつくや消費増税をあっさりと認めたことでも証明済みである。


つづく

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(5)忠臣蔵と5.15事件の奇妙な類似性

話を少し転じるが、「日本教について」のもっとも重要な核心的概念である「純粋人間」という概念について述べてみたい。ベンダサンによると、日本人には「純粋人間」という概念があるらしいのである。たとえば、日本人がもっとも好きな時代劇というと、おそらく「忠臣蔵」であろう。これは江戸時代から歌舞伎の定番として演じられ、昭和、平成の世になっても多くの劇や映画が作られている。毎年末になるとテレビで必ずといってよいほど再放送され、まさに世代を超え時代を超えて語り継がれる物語であり、これほど時を越えて多くの日本人に愛されてきた物語もないであろう。(以下の忠臣蔵に関する文章はベンダサン式思考を応用した筆者の独創である)

冷静にみれば、この伝説上の美談は実際には陰惨で血なまぐさい惨劇であった。しかも、これは水戸黄門のような勧善懲悪の話では必ずしもない。確かに、劇で演じられる吉良上野介は悪役のようにみえるが、よく調べればそんなに彼は悪人とも思えない。今でも吉良上野介の地元では彼は名君であったという評価が高く、悪人イメージはあくまでも劇や映画で作られたイメージにすぎない。普通に考えれば、むしろ悪いのは吉良上野介に突然刃物で襲い掛かった浅野内匠頭の方であろう。いかなる理由があろうと刃物で襲いかかるというのは尋常ではない。しかも場所は江戸城内である。これは国会議事堂内で議員が刺傷事件を起こしたようなトンデモナイ事件である。さいわい事件は未遂に終わったが、責任を取らされたのは当然であろう。あのような事件を江戸城内で起こした浅野が切腹を命じられたのも、当時では妥当な処分であり、むしろ打ち首処分でなかったのは浅野内匠頭の名誉を重んじたがゆえの処分であった。これに対して赤穂藩士が主君の切腹処分が喧嘩両成敗に反する不当処分であると受け取ったのは、まったくの言いがかりである。暴力沙汰を起こしたのは浅野側であり、吉良側には暴力沙汰の罪はないので喧嘩両成敗は成立しないのがあたりまえである。

吉良側からすると、こんな不条理な話はないだろう。そもそも浅野に切腹を命じたのは喧嘩相手とされた吉良ではないのだから、その裁定に不満があるなら裁定者である幕府に対して向けるべきだろう。いずれにしても、この事件は仇打ちとしての要件が揃っているとは到底いえないので、むしろこれは集団謀議による暗殺事件という方がふさわしい事件である。仮に吉良が浅野に対して卑劣な嫌がらせを働いたことが事実であったとしても、そのために刃物で切り付けられたうえに、四十七人もの武装兵から夜陰を襲われ、まったくの無防備の中で武装集団に囲まれて殺されたというのは、いやしくも仇討の名には値しないあまりにも卑劣このうえないやり方である。しかも、こんなに卑劣な惨劇であったにもかかわらず、あろうことかこの事件の最大の被害者を悪役に仕立てて、一方の暗殺団の一味を英雄に祭り上げているというわけだから、これは驚くべき倒錯的な心理であるとしかいいようがない。

このようにみてみると忠臣蔵を愛する日本人の心理というものが実に奇妙にみえてくるのは仕方がない。しかしながら、この忠臣蔵と非常によく似た事件が約230年後にも起こっており、その事件に対する国民の反応もよく似た反応であることを知ると、そのような日本人の心理的反応には何らかの普遍性(あるいは法則性)があるらしいということが否定しえなくなる。その事件というのは1932年5月15日に起こった、世にいう5.15事件である。

私はベンダサンの「日本教について」を読むまでは、歴史の授業で習ったこの事件がこれほど異様な事件であるということを知らなかった。もちろんどのような事件だったのかということは、高校歴史の教科書にもほぼ正確に描かれていると思う。しかし、問題はこの事件に対する日本人一般の反応である。その前に5,15事件の背景から少し説明しておこう、

5,15事件で暗殺された被害者の犬飼首相は、当時、満州国の独立に対して中国の宋主権を認めようとしていた国際感覚のある政治家であった。しかし、軍部は犬飼が満州国独立の件で軍の統帥権に干渉しているとして反発を強めていた。事件が起こったのは昭和7年5月15日のことである。青年将校たちは小銃を携帯しながら官邸を訪れ面会を果たしたうえで、応接間において「問答無用」という一言によって総理を射殺した。ちなみに、当時映画俳優のチャップリンが来日していて事件当日に犬飼首相と面会の約束までしていたが、その前に相撲観戦をしていたために危うく難を逃れたそうである。

この事件の異様さは、そのやり方の非道さだけではない。歴史の教科書には決して記されることはないが、この事件のあと軍事裁判が行われて、彼ら犯人たちは無罪釈放となっているのである。なぜ彼らは許されたのか?現代では到底考えられないかもしれないが、この裁判を日本教という特異な宗教裁判であると考えれば説明がつくとベンダサンは述べているのである。以下、ベンダサンの説明を聞いてみよう。

彼らは天皇に対して狂信的なほど忠誠な軍人であったはずです。それならばこれは、いわゆる「王様クーデター」であったのでしょうか?犬飼老首相は、国会の信任を盾に天皇と対立したのでしょうか?それならば、彼らの行動は、是非は別にして、論理的に理解できます。ところがそうではないのです。当時の憲法では首相の任命権は天皇にありました。従って首相を罷免できるのは天皇だけです。

では犬飼老首相は天皇に罷免されながら、なおその職にとどまろうとしたのでしょうか?そうではないのです。戦後に自殺した近衛公の手記によりますと、天皇は首相を任命するとき三か条の指示を与えたということです。第一条が、憲法を重んじ憲法に従って政治をしなければならない。第二条が、諸外国と協調しなければならない。第三条が、財界に急激な変動を与える政策はとってはならない、という三か条であったそうです。日本には宣誓という伝統がありませんし、あるはずもないのですが、新首相が、この三か条を指示されて、その通りにいたしますと応答したことに、一種の宣誓を行ったと考えてもよいと思います。

では犬飼老首相は、天皇の三か条に反する政策をとった―いわば天皇への一種の宣誓違反を犯したため、天皇に忠誠な軍人たちの怒りを買ったのでしょうか?そうではないのです。むしろ逆であって、犬飼老首相の政策は、まことにこの三か条を忠実に守ったものでした。とすると、一体この軍人たちは何を考え、どのような思考(論理)の結論として、このように行動したのでしょうか。実をいうと、以上のような思考は戦前戦後を問わず、日本人はないのです。
(中略)
では一体、何の罪で彼らは起訴されたのでしょうか。反逆罪です。それなら理解できるとあなたはおっしゃるでしょう。今まで何やかやと不思議だったが、結局は反逆罪で起訴されたなら、日本人にもわれわれと同じような論理的思考がある証拠ではないかと、ところが実はこれが証拠にならないどころか、逆の証拠になってしまうのです。反逆を犯したという意識は、反逆罪で起訴された彼らに皆無であり、起訴した検察に皆無であり、裁判官に皆無であり。一般民衆にも皆無だった、といってよいと思います。

戦前の日本では天皇への反逆は極刑だったはずです。反逆罪で起訴されるということが、即座に死刑を意味したはずです。その上彼らは史上で最も卑劣な行動をとったのですから、日本文化が「恥の文化」なら、このような恥ずべき行いをした反逆者に情状酌量の余地などあるはずがありませんし、たとえ軍の上層部が彼らの刑を軽減しようとしても、世論がこれに承服するはずはない―と考えるのがわれわれの常識でしょう。ところがそうではありませんでした。彼らの受けた判決は、一見重いようでしたが、実質的な服役では、その罪状から考えれば無罪に等しいといってもよいでしょう。

また社会も、彼らを糾弾するようにみえながら、実をいうと、彼らが裁判をうけている最中に、何と35万通もの減刑嘆願書が裁判長の手元に送られてきているのです。これは日本裁判史上、最高の数の減刑嘆願書ではないかと思います。したがって戦後一部の日本人が常に主張するように、当時は軍部が横暴で、他の日本人は言いたいことも言えなかったのだ、とはいえません。
(中略)
したがって法の前に教義があります。裁判がどんな形式で行われようと、裁判官は「裁判官である前に人間(日本教徒)であれ」であり、検事も、弁護人も被告も一般大衆もすべてそうですから、まず日本教の教義の「人間規定」が優先するのは当然です。そこでまず教義の第二条「人間の価値は支点の位置によって決まる」が取り上げられ、被告の支点の位置はどこか、すなわちその「純粋度」をどれだけ認定すべきか、二十四金か、十八金か、十四金かが決定した後に、はじめて法が適用されるわけですから、「人間は法の前に平等で、その行為のみが裁かれる」などということはありうるはずがなく、従って法的には天皇への反逆だから、その「反逆」という行為のみが裁かれるべきだとなどという主張は、まったく教義に従わないための屁理屈になってしまうのです。

それ故、私は日本は徹底した差別の国だと思っております。ただその差別は、必ずしも皮膚の色とか人種・民族によるのではなく、日本教の教義に基づく「人間の純度」という不思議な尺度に基づく差別なのです。(中略)それゆえこの「純粋人」と認定された被告に対しては、その行為がどれだけ卑劣であろうと、三十五万通もの減刑嘆願書が寄せられるわけです。この点はもちろん戦後も変わりません。変わったのはただ「純度表」の表現だけです。
以上(「日本教について」P79-83)


5,15事件の異様さは先の忠臣蔵人気の異様さにも通じるだろう。客観的にみると5,15事件は卑劣この上ない凄惨な暗殺事件であった。これは赤穂浪士の討ち入りによく似ている。どちらも相手が無防備であるときに忍び込んで不意打ちを食らわせ、集団で無抵抗の老人を殺傷しているのである。しかも、両事件とも国民の大喝采をあびているというのは奇妙なほどの符号の一致である。伝説によると、赤穂浪士は吉良邸で惨劇を働いた後、堂々と江戸の町を勝利の雄叫びをあげながら闊歩した。すると江戸の町民から一斉に喝さいがあったというのである。一方、5.15事件を起こした青年将校たちも事件を起こしたあと逃げ隠れすることなく、実に堂々としていて自分たちが罪を犯したという意識は微塵もみえなかったそうである。すると彼らの裁判に対して国民から減刑嘆願書がなんと三十五万通も届いたというのである。いったい、この二つの事件で国民が喝采した理由とは何であろうか?そこにはもしかするとベンダサンのいう日本教の奥義に関わる秘密があるのであろうか?

つづく

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