3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

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(1)ストレステストをめぐる混乱

あまり無責任なことは言いたくないのだが、原発再稼働の問題が異様に沸騰しつつあるので、ここらで私見を述べてみたい。

われわれの社会はふわふわとした「空気」のようなものによって動く社会であり、いつもわれわれはその「空気」がいったいどのように発生し、どのように醸成されたのかということに、まるで関心さえなく、その「空気」の中でいかに生きるのかということにしか注意が向かないので、物事の因果関係がなにも分からず、ただやみくもにブツブツと不平やら不満が煮えたぎり、あげくに的外れな批判やあてこすりばかりしているのが偽らざる実情ではないだろうか?

この際、よく思い出してほしい。そもそも現在、原発再稼働が問題になっているのは、菅総理がストレステストということを言い出したからである。その発言は昨年7月6日のことであった。当時、日本全国にある54基の原発のうち稼働してるいのは16基だけだった。その他の原発はすべて定期点検に入っていたが、通常のルーティンにしたがって定期点検作業が終わると、一時休止中の原発もすべて動かせるはずであった。

当時、菅総理は脱原発の方針であることに変わりはないが、当面の電力需要を乗り切るために原発依存はやむをえないとして、各地の原発の定期点検が終わると再稼働を認める方針であった(ただし、浜岡原発のみは東海地震が懸念されるという理由で強制的に運転停止を命令していた)。その政府の方針にしたがい定期点検で休止していた佐賀県の玄海原発を動かそうとなったとき、突如として菅総理がストレステストを言い出したのである。

当時、休止中の原発の再稼働は経済産業省の所轄であり、経済産業省の海江田大臣が佐賀県知事に会いに行って、予定通り休止中の原発再稼働の第一号としてこぎつける寸前であった。ところが海江田大臣が菅総理の指示の下、再稼働に向けて尽力していたにもかかわらず、突如、休止中の原発の再稼働のために今後ストレステストを実施すると言い出したのである。この発表は翌日の新聞などで「唐突な発言」として批判された。それに加えて菅総理の「いつものスタンドプレーだ」という痛烈な皮肉が政界とマスコミを飛び交ったのはいうまでもない。

7月7日読売朝刊

その後、梯子をはずされた格好の海江田大臣には逆に同情が集まり、菅総理の独断専行と閣内不一致という問題が新たに表面化することになり、菅総理に対する辞めろコールはさらにボリュームアップされることになった。その前後の空気がいかなるものであったのかということを理解するために、その翌日(7月7日)の新聞記事を紹介しておこう。

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参院予算委では自民党の磯崎陽輔氏が、玄海原発再稼働を巡る政府の対応を批判した上で、海江田氏に対し、「海江田氏が一生懸命頑張っても、首相がひっくり返していたら仕方がない。佐賀県の人に対してどういう責任を取るのか。腹を切るべきではないか」と辞任を求めた。これに対し、海江田氏は「いずれ時期が来たら、私も責任を取らせていただく」と述べた。海江田氏の発言は、原発再稼働に向けた新基準を6日に唐突に表明するなどした菅首相への不満の表れとみられる。ただ、海江田氏はその後、国会内で記者団に「やることはまだある」と述べ、早期の辞任を否定した。(7/7付 読売新聞)

今現在、この記事を読むと何が問題となっているのか分かりにくい。この記事を書いた新聞記者も、そして参院予算委で海江田氏に辞任を迫った自民党の磯崎氏も、いったい何が問題だといっているのだろうか?少なくとも彼らは原発再稼働がけしからんといっているわけではない。でなければ、「海江田氏が(再稼働に向けて)一生懸命頑張っても、首相がひっくり返していたら仕方がない」というのはナンセンスだ。だが、かといって彼らは原発再稼働をひっくり返した菅総理の判断をけしからんといっているわけでもなさそうである。もし、そうなら海江田氏は腹を切る必要はまったくないだろう。悪いのは原発再稼働を止めた菅総理なのだから、腹を切るべきなのは菅総理のはずである。

この記事をみてその発言の真意を分かる人は極めて日本人的な日本人だけであろう。逆にいうと日本人以外はこの発言の真意を分からないのではないだろうか。磯崎氏が海江田氏に向かって「腹を切れ」と言っているのは、おそらくこういう意味である。海江田氏は菅総理の指示にしたがって原発再稼働のために尽力したのである。にもかかわらず、菅総理は事前に海江田氏と打ち合わせもせず、当然なされるべき閣内の議論もせずに、勝手にストレステストという国のエネルギー政策を左右する重大な決定を独断専行で発表したのである。これは何事も合意形成を旨とする日本人の習慣に著しく反するものであり、仮にストレステストというものが正当な手続きであるとしても、その発表のプロセス自体は反民主的かつ反道徳的であり、そのために海江田氏は梯子をはずされた格好で大恥をかく結果となったのである。だから海江田氏は自らの名誉を守るためにも菅総理に対して辞表を出すべきだというわけである。

ただし、磯崎氏の本音は実はそういうことではなく、原発再稼働に待ったをかけた菅総理の決定自体が許せないということではないかと勘ぐることもできる。磯崎氏の政治的背景を私はまったく知らないが、おそらくほとんどの自民党議員は原発推進派であり、当然ながら原発再稼働派でもあったはずである(そのことはおそらく大半の民主党議員においてもあまり変わりはない)。しかしながら菅総理が突然にストレステストを言い出したとき、再稼働派の議員たちは泡を食ったような格好になり、その発表に対してまともに反論ができなかったのではないだろうか。

なぜなら、その発表は誰がみても正論に違いないからである。3.11後、日本列島全土で大きな余震が続発していて、いつどこでさらなる原発災害が起こらないともかぎらない。だから、この際停止中の原発については。あらゆる被害の状況を想定して、それに耐えられるかどうかをチェックするのは当然なすべきことである。日本よりもはるかに地震が少ない欧州においてさえ、そのようなストレステストの実施が義務付けられたのだから、それを見習って日本の原発の安全システムがこの機会に変更されるべきであるというのは当然のことである。

仮にそのように考えられたとすれば、菅総理の発表は賞賛すべきことであり、いやしくも非難されるべきことではないはずだ。ただ問題は、菅総理が閣内で意思統一もせずにその発表を独断で行ったということに帰するのであろう。いったい、なぜ菅総理は閣内で議論もせずに、その発表を突然に言い出したのであろうか?これはあくまでも、私の想像であるが、その理由は閣内で議論をすると潰されるおそれがあると判断したからであろう。そんなことをいうと、民主党の他の大臣に対して失礼かもしれないが、誰がみてもストレステストの導入によって、今後原発の再稼働が極めて難しくなるという読みができたはずである。これは現実にその後の展開をみれば明らかであろう。

当時、原発再稼働の第一号として玄海原発が海江田大臣と佐賀県知事の会談によってほぼゴーサインの寸前までこぎつけていた。そのタイミングで待ったをかけると、今後再稼働のハードルが極端に高くなるという恐れがでてくる。したがって、閣内の会議にかければ、おそらく発表の時期が悪すぎるという結論になったであろう。

そのように考えると、あの時局の中での菅総理の独断専行はやむをえざる行動であったとも受け取れる。もちろん、その判断が本当によかったのかどうかということは一概にいえない。その最終的評価は歴史の判定に委ねられるべきことである。しかし、今現在の時点ではストレステストの実施が悪かったという意見はおそらく皆無であることをみると、菅総理の判断はまさに歴史的な判断として評価できるのではないだろうか。

それにしても私が強く疑問に思うのはマスコミの反応である。マスコミは7月6日の菅総理の突然のストレステスト発表に対して「唐突だ」という冷淡な批判的記事を書いた。してみると彼らは「ストレステスト」という言葉自体を知らなかったのではないかという疑念が生じる。世界の原発事情に明るいはずのマスコミ人が、欧州で行われている安全基準を知らなかったとすれば、それは恥ずべき無知怠慢であろう。もしかするとマスコミ人は菅総理の口からその言葉がでてきたことで意表を突かれ恥をかかされた結果、「唐突だ」という反応になったのではあるまいか。

それとも彼らは欧州でのストレステストを知ってはいたが、それを日本の未熟な世論に訴えると、いらざる空気ができてしまい原発の再稼働がますます厳しくなるということを恐れたのであろうか?もしそうだとすれば、原発再稼働は政官財とマスコミを含めた隠然たる勢力の一致した計画であり、それに対して菅総理はまったく孤立無援の中で脱原発のための風穴を開けるという英雄的行動を選択した人物だということになる。

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(2)西岡論文の馬鹿さ加減

ちなみに、このような見方は必ずしも的外れなものではない。菅総理のストレステスト実施の発表に対して、一人の民主党員が公然と原発推進の立場から噛みついている。誰あろう、昨年11月5日に死去した元参議院議長の故西岡武氏である。誰にも記憶にあるとおり、彼は中立であるべき参議院議長の立場にありながら、公然と菅総理に退陣要求を突きつけるという憲政史上に例のない行動をとった人物であった。彼は3.11後の菅総理の対応をすべて否定しており、「菅総理のどこが悪いのか?」という記者の質問に対して、なんと「すべてだ」と答えた人物でもある。

当然のことながら西岡氏は菅総理のストレステスト発表に対しても激しい非難を展開した。しかも、その非難は先の磯崎氏のような奥歯にものがはさまったような言い方ではなく、原発推進という立場から菅総理のやり方を正面から徹底的に否定している。それはそれで一貫した立場であるといえるだろう。ただし、このときの故西岡氏の発言は異様な菅降ろしの空気の中での発言であり、仮に今現在の空気の中で同じことをいうと、おそらくマスコミから批判されること必至であろう。以下、西岡氏の遺言ともいえる論文の一部を抜粋しておこう。

2011.7.12 18:25
『国難に直面して、いま、民主党議員は何をなすべきか』
私は、原爆投下による爆風と放射能・放射線が一瞬にして7万余(その中に私の親戚も)の命を奪った郷土長崎の惨状を見、その後、与党の被爆者対策の責任者として取り組んできた唯一人の現職の国会議員です。その私が、原発事故以来、4カ月余の菅首相の姿勢と言動に、強い憤りを覚えています。

日本の原発は、もともと世界最高の技術で造られ、最高の運転と保安技術に支えられていたはずです。ここで、一つ忘れはいけないことは、今回の原発事故に対する菅首相と東電の初期対応に大きな誤りがあったことが、未(いま)だに厳しく検証されていないことです。この検証が、速やかに正確詳細になされることから、日本の新しいエネルギー政策が出発するのです。

この検証がなされないまま、万一、菅首相の「脱原発」のスローガンに基づく菅首相の[現時点の考え]によって、エネルギー政策が進めばどうなるでしょう。確実に、来年の春には、日本に原子力エネルギーは、存在しなくなります。

(中略)

日本では、現在ある「54基」の原子力発電の内、平成23年6月末時点で、「17基」しか稼働していません。定期点検中の原発は、再開困難であり、いま稼働している「17基」が、定期点検に入ったら、前記のように、日本は、全電力の約26%の電力を一気に失うことになります。この一文を書き始めた6月30日、定期点検を終了した九州電力の玄海原発の再開について、佐賀県知事と地元の町長が承認した、とのニュースに接しました。

九州電力の電力需給逼迫(ひっぱく)は、浜岡原発からの60万KW(毎時)を失って以来、厳しいものがありました。ところが、原発再開という難題を海江田経済産業大臣が、地元の説得に成功したかに見えたその時、菅首相は、またもや、突然、「ストレステスト」の必要性を言い出し、海江田大臣の努力は水泡に帰しました。

なぜ、菅首相は、海江田大臣が玄海原発の地元に説得に行く前に、その方針を出さなかったのか、理解不可能です。このように、自然エネルギー推進の道筋と段取りを説明せず、菅首相は、「脱原発」という単純な問題提起で、誤魔化(ごまか)そうとしても、全くの「まやかし」であることは、すぐに証明されることになりました。

菅首相は、「ストレステスト」を言い出したタイミングの悪さに批判が集中するや、なんと、7月8日には、定期点検後の原発再稼働時の場合は、「簡易テスト」という方針を打ち出したのです。この方針の中身には、新規に建設した原発、事故を起こした原発の再稼働時、建設後長期になる原発については、本格的な「ストレステスト」を行うことが書かれています。「本格的なストレステスト」の内容とはなにか、「簡易テスト」とはなんなのか、菅首相がお分かりのはずですから、自ら、国民の皆さんに、ご説明になる責任があります。

6月29日、東京電力の供給量約4900KW(毎時)の93%まで、電力消費量が上昇しました。現時点で、東京電力の最高供給電力量は、約5500KW(毎時)前後と思われます。日本列島は、6月末から、既に、猛暑、酷暑に襲われています。この夏のみならず、日本全国の一年を通じた電力需給を、菅首相はどう考えておられるのか、これも、国民の皆さんに説明される責任があります。

ところが、菅首相は、脱原発を金科玉条の如くスローガンにして、一方で、定期点検が終了した佐賀県玄海原発の再稼働について、県と地元の自治体を説得に行ったのは、海江田経済産業大臣でした。原発エネルギーについて責任を持つ海江田大臣に、十分な相談もなく、停止させた後の対策と他の原発への対応も全くしないで、菅首相が、浜岡電発の停止要請をしたことは、周知の通りです。菅首相が「脱原発」担当で、海江田経済産業大臣が、至難な「休止中の原発の再稼働要請」担当とは、一体如何(いか)なる政府か、と思わない国民はおられないでしょう。
(中略)
原発の定期点検を終了しても再稼働を延期している原発が7基、今後数カ月で定期点検に入る原発は6基という実態を、菅首相が知らない、とは信じ難いのです。こうして、菅首相は、日本全国の電力供給を重大な危機に陥れているのです。ちなみに、福島原発の立地地域について前記の地震研究機関は、「大地震の確率」を「ゼロ%」と、予知していました。

菅首相が、後一年も経ないで訪れる重大な電力危機を放置し、有効な対案を出さず、手をこまねいているのなら、全ての国民の皆さんの前で、テレビで呼びかけてください。「皆さんの生活は、今後長期にわたり昭和45年代(1960年)の水準に戻ります」。「その生活は、電気冷蔵庫も空調機器も電気洗濯機も浴室の給湯器も電子レンジもなく、暖房は火鉢と石油ストーブと湯たんぽです」。「いつになるか不明ですが、自然エネルギーによって全ての国民生活が現時点に戻るまで我慢してください」。と。しかし、それだけでは済まないのです。

日本経済は、菅首相の対案なき「脱原発」の掛け声によって、国民生活とともに、大打撃を受けます。このことは、東日本大震災の復興、新たな建設にも大きな打撃を与えます。根本の原因は、国内の電力不足ですが、輸入エネルギーの価格高騰によって、日本の国際競争力は極端に低下します。有力生産拠点の外国転出によって、日本の産業空洞化が一層急激に進みます。当然、失業者は、さらに増大し、消費は落ち込み、年金、医療、介護などの日本の社会基盤は崩れ「日本経済沈没」の危機は現実のものとなります。

下記HPに全文紹介されています。
http://gra.world.coocan.jp/blog/?p=3094

西岡氏の論文はそれなりによく練られた文章であり、一定の説得性もあることは間違いない。ただし、重大な思い違いをしている部分があるので、指摘しておこう。

日本の原発は、もともと世界最高の技術で造られ、最高の運転と保安技術に支えられていたはずです。

この文章の中の一部は正しいかもしれないが、「最高の保安技術に支えられていたはず」という指摘はすでに福島原発事故でもその誤りが証明済みであり、その後の検証でも日本の原子力安全保安院や原子力安全委員会が本来の役目をまったく果たしていないだけでなく、機能さえしていなかったということが明らかになっている。彼らは安全神話というものを安易に信じて、それを一般国民に喧伝するという役目しか果たしてこなかったのである。でなければ、津波に対する備えがまったくとられていなかったということは説明がつかない。

前にも述べたように、2004年のスマトラ沖大津波では今回の3,11の規模を上回る地震と津波で30万人近い人命が失われていたのである。だとすれば、少なくとも日本各地の原発では同程度の規模の地震と津波に備えた対策がとられていなければならなかったはずだ。しかし、彼らはまったく何の対策も講じていないどころかそのための議論さえしていなかったのである。それは前にも述べたように日本の地震学者が東北沖の震源域ではM8を超えるような巨大地震はありえないと何の根拠もなく決めつけていたからである。

保安院や安全委員会はその地震学者たちの根拠なき予測を安易にも信じて、福島原発は7メートルの堤防で津波予防対策は十分であると信じて疑わなかった。しかも万が一にも津波がその堤防を乗り越えてきたときの備えもまったく講じず、その場合に全電源喪失という事態もありうるという(共産党議員による)警告が一部にあったにもかかわらず、そんなことは起こり得ないと高をくくっていたのである。このような事実があるにもかかわらず、「最高の保安技術に支えられていた」という故西岡氏の認識は、まったくお話にもならない。

しかも、菅総理が言い出したストレステストの導入は福島事故が起こった後、日本よりも前に欧州で決められた安全基準である。保安院や安全委員会が本来の機能を果たしているなら、せめて福島原発で事故が起こった後に深刻に反省し、自ら率先して全原発のストレステストの実施を菅総理の独断専行の前に提言すべきであっただろう。にもかかわらず西岡氏は日本の原発の保安技術は世界最高であり、3,11の事故を深刻化させたのは保安技術の問題ではなく、むしろ菅総理のミスであったといわんとさえしているのである。なんという子供じみた事実誤認であろうか。これでは黒を白、白を黒という犯罪者の自己弁護とまったく同じであろう。

おもうに西岡氏は過去原子力村に深く関わってきた人物なのだろう。その結びつきがどのぐらい深いものであったのかはさておき、彼の論文を読むと、要するに3,11後も旧態依然の安全神話を根本から疑うこともなく、これまでどおり原発推進をしなければ日本経済は沈没してしまうという時代錯誤な危機感だけが横溢しているようである。これが彼の遺書だとしたら、本当に後世に笑い物にされるような馬鹿な論文をあらわしたものだといわざるをえない。(ちなみにこの論文は読売新聞に寄稿され、一部は本紙に紹介されたようである)

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(3)電力危機は「空気」で乗り越えられるのか?

ただし、西岡論文にはみるべきものがあることも指摘しておきたい。彼は菅総理のストレステストの導入によって、来年の春(すなわち今夏)以降、本格的な言力危機が到来するということを予言しているのである。この予言は昨年経験した関東方面での深刻な電力危機の再来という意味ではあたっていないが、むしろ昨年はほとんど影響のなかった関西方面で深刻な危機になっているので、その予言は半ばあたっているといってもよいだろう。

西岡氏は原発を再稼働しなければすぐにも必要な電力が不足し、電気冷蔵庫も空調機も洗濯機も動かせなくなるなどといっているが、それは現在原発ゼロになっている状況でなお日常の生活に支障がないことをみても、彼の事実認識には大きな誤りがあったことは自明である。現実には原発がゼロになっても、一昨年のような猛暑にならないかぎり、節電によりなんとか当面の電力需要は乗り切れそうだという試算がでている。

ただし、関西方面では一昨年並みの猛暑になると15%もの供給不足が起こるという試算がでているので、これは深刻な危機である。橋下大阪市長らがそれでも再稼働なしで乗り切れるなどと強弁しているが、はたしてそれはまともな根拠があるのだろうか?15%の供給不足が予想されるということは、少々の節電では間に合わない数値である。昨年の関東方面の計画停電のようなことを行わなければ乗り切れない可能性もある。

もっとも懸念されるのは突然の大停電が起こることである。もし大停電が起こると、多くの人命が危機にさらされることは間違いない。特に医療現場は大変な状況になることが予想されるが、それだけではなくエレベータに閉じ込められたり、あるいは信号機が点灯しなくなって事故が多発するということも予想され、交通網は完全にマヒするであろう。あるいはまたコンピュータやパソコンが突然動かなくなり、その指令によって動く様々な重要機器が作動しなくなると想定外のトラブルが発生する可能性もある。さらにまた危惧されるのは熱中症の犠牲者が増えることである。

現代の文明社会の中で電気というのは、たとえてみれば人間の体を支える血液や神経系統と同じような働きをもつ一瞬も欠かすことのできないものである。それが失われるリスクはむしろ原発の放射能リスクよりも大きくなることもあるのである。

実はあまり報道もされていないので知らない人も多いと思うが、福島原発事故後の放射能による死者はゼロであるが、その放射能の脅威から逃れるために、少なくとも45名の死者がでている。事故当時、半径10キロ圏内にあった双葉病院の患者を緊急避難させようとした際に45人の死者がでたのである。その死者たちの多くはわずかの間救命装置が切れたことによる。もし大停電が起これば、その悲劇をはるかに上回る死者がでないとはかぎらないであろう。

ところが現在、そのような危機的状況が日一日と迫っているにもかかわらずマスコミはほとんどその危機を伝えることをしない。ここでもまた「空気」という、わけのわからないものが日本社会を覆っているために、正常な判断ができなくなっているのではないかといわざるをえない。マスコミが電力危機を煽ると、政府が進めようとする原発再稼働に弾みがつく。それによって、折角、原発ゼロになっている現在の好ましい状況を崩してしまうのではないかという心配でもしているのだろうか?

現在緊急の課題になっている大飯原発の再稼働の問題について、テレビのニュースキャスターたちはなぜか多くを語らない。彼らは口を開けば、いつも関西電力の再稼働ありきという姿勢に対して疑問を投げかけるという程度の批判めいた物いいに終始している。橋下大阪市長が「再稼働ありきという民主党政権は打倒するしかない」などと政局的な発言をしているので、彼の人気にあやかろうとする自治体の長や政治家も再稼働にゴーサインを与えることに躊躇せざるをえない。

今、もし、西岡武夫氏が生きていたらどういうであろうか?彼が言っていたことは事実誤認が多くて信をおけるものはほとんどないが、しかし、菅総理のストレステスト導入によって招来される電力危機については正しく見通していたことは確かである。彼はストレステストというあいまいな基準を設けることで原発再稼働のハードルが極端に高くなることを正しく予感していたのであろう。それはおそらく科学的な根拠にもとづくものではなく、その場の空気に支配される日本人の習性を直観的に感じたのであろう。

玄海原発を再稼働寸前までこぎつけていたにもかかわらず、菅総理がそれに待ったをかけることによって、再稼働反対という世論を勢いづけてしまった。だからその責任はひとえに菅総理にあるのだと(西岡氏)は言いたかったのであろう。しかし、そのような言い方は所詮「空気」というわけのわからないものを物神化(絶対化)しているだけであり、西岡氏が菅総理に対していっていることは「空気」に対して責任をもてというに等しい。

西岡氏が政治家であるならば自ら命を張って再稼働実現のために活動すればよいことであろう。菅総理がストレステストを導入したからといって、再稼働反対派の世論に勢いを与えてしまった責任をとれというのは政治家としてあまりにも情けない話だ。政治家は正しい世論を形成するために行動すべきであり、間違った世論であればその誤りを言論によって正せばよいのである。

そもそも菅総理がストレステストを言い出したのは、決して原発の再稼働を認めないという方針ではなかったはずだ。直近で東海地震が懸念される浜岡原発は別にして、その他の原発はストレステストさえクリアすれば、再稼働を許可する方針であったはずである。菅総理が打ち出した脱原発というのも、決していますぐに脱原発ということではなく、10年先、あるいは20年先の話であったはずであろう。にもかかわらず、ここへ来て再稼働のハードルが極端に高くなっているのは、一部のマスコミと橋下大阪市長らが「再稼働を認めない空気」を醸成しようとするからだろう。

ならば、そのような「空気づくり」には別の「空気づくり」で対抗するのではなく、きちんとした科学的検証を示し合理的に彼らを説得するということによって対処すべきである。われわれにとって本当のリスクというのは、「空気」というわけのわからないものに呪縛されて正しく合理的な判断ができなくなることではないであろうか?

所詮「空気」とは空気にすぎないものであり、それはいずれは雲散霧消してなくなってしまうものである。「空気づくり」によって現在と将来の電力危機が乗り超えられると考えるならば、さらなるリスクをわれわれは背負うことになるのではないかと危惧せざるをえない。

追記:橋下現象については別に稿をあらためて書きたいと思います。

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(4)討論型世論調査は成功するのか?

昔から日本人というのはディベートができない民族であるといわれてきた。もともと日本の社会というのは空気社会だから、ディベート(すなわち討論)によって物事を決めてゆく社会ではない。その場、その場の空気でなんとなく物事が決まってゆく社会である。そんな日本人の習性を思うと、いま政府が主導しようとしている「討論型世論調査」という社会実験がいかに心許ない試みであるかということが分かる。

先日、名古屋で開かれた意見聴取会で中部電力の社員が「福島原発事故で死者は一人もでていません。さらに今後、5年、10年経っても、この状況は変わりません。これは疫学的な事実です」というような意見を述べたときに、会場の人々から一斉に「ウソだろ!」という怒号が飛び交った。私はその光景をみながら、中部電力の社員がまるで悪事でも働いたかのようにテレビで印象操作されていることに対して義憤を禁じえなかった。

実際、その発言はウソでもなんでもなく事実をそのまま述べたまでである。放射線医療の専門家によれば、年間100mmシーベルト以下の低線量被ばくでは健康被害はほとんど考えられないとしていることは常識である。しかも福島の事故では年間5mmシーベルトを超える被ばくをされた方はほとんどいないという調査結果がでている。だから今後、5年、10年を経過しても、おそらく健康被害はでないだろうというのが放射線医学の専門家による見立てである。この専門家の見解を中部電力の社員が代弁したにすぎない。当然、テレビ局もそのことはよく分かっていたはずだ。

福島原発事故後のテレビ報道を思い出してほしい。福島原発の事故で大量に放出された放射能汚染が危惧される中、テレビ各局は東大の中川恵一准教授らをはじめ放射線医学の専門家を報道番組に呼び、彼らを司会者の隣に座らせて放射能が及ぼす健康被害について連日解説をさせていた。その度に専門家が発言したことは福島事故後の放射能レベルが重大な心配をするほどの事態ではないという見解であった。テレビ局はその専門家の見解をよく知っていたはずなのだ。しかしながら、彼ら(テレビ局)はなぜか、あるときから専門家の意見を締め出すようになった。専門家に尋ねると「安心です」という意見ばかりなので、被災者の立場からすると、まるで感情を逆なでする言葉にしか聞こえなかったからなのだろう。それ以来、「安心です」という放射線医学の専門家の言葉は禁句となってしまったようである。

だから中部電力の社員があらためて事実を知ってもらいたいと思って立ち上がったのではないかと思う。本当は彼の言葉は専門家がいうべき言葉であるが、残念ながら(安心派の?)専門家はあらゆるマスメディアから締め出されているために「安心です」という真実は完全に隠蔽されてしまった観がある。だから彼はあえて燃え盛る火の中に飛び込む気持ちで、その言葉を述べたのだろう。

福島事故の被災者が大変な目にあわれたことには深く同情するが、福島事故による放射能汚染が周辺住民に将来重大な健康被害を及ぼすものとは考えられないという専門家の一致した見解を封殺することは、決して、被災者のためにもならないだろう。なぜならありもしない心配を抱いて今後の長い生涯を送ることのリスクの方がはるかに危険だからである。ガンになるのではないかと強く心配する心理的ストレスが、逆にそのリスクを高めてしまうということは、今日ではガン医療の専門家の常識でもある。

そのようなマスメディアの世論誘導の結果、大多数の国民は安心理論に疑心暗鬼になっていった。彼らは要するに御用学者といわれる、いかがわしい学者であり、電力会社を守るために故意に事故の被害を低く見積もっているのではないかという噂が広まっていった。その経緯については以前にも書いたので、ここでは省略するが、要するにマスメディアは放射能が及ぼす健康被害についての専門家の公式見解をさしあたり信用できないものとして受け取ったようである。その結果、一般国民は放射能が及ぼす健康被害については、いたずらに不安を煽る非専門家の言動ばかりに動かされるようになった。

特に週刊誌や夕刊タブロイド誌のような、売らんかなという営利優先のジャーナリスト(?)の世界では、とにかく不安を煽れば煽るほど売れ行きにもつながるわけで、それらの論調が一斉に反安心論になっていったことはいうまでもない。だから先の意見聴取会で中部電力の社員が「死者は一人もでていません・・・」と意見を述べたとき、「ウソだろ!」という反応が即座に返ってきたのはまったく無理もない話で、実際、彼らにはそのような安心論が信じられないのである。もしそうなら、なぜここまで国民が大騒ぎをしなければならないのかと、おそらく彼らは考えるのだろう。

実際問題、死者は一人も出ていないし、今後もその影響はほとんどないと考えられているが、しかし、原発事故による風評被害を含めた東電の賠償責任の額はなんと2年間で4兆5千億円もあるとしている。つまり福島原発の被害というのは具体的には人的被害ではなく、そのほとんどが経済被害である。避難のために住む場所がなくなった人や仕事がなくなった人、そして風評被害で売れなくなった様々な農漁業の関係者、…等々、その賠償だけでも東電はまったく自社の資産だけでは負い切れないほど多額になっている。考えればそれらの被害は放射能に対する必要以上の国民の不安感が作り出したものであろう。

しかし、いずれにしても、これほどの被害を招いた原発は危険だから、こんなものは一刻も早く廃炉にしてしまわなければならないというのが国民全体の世論を支配する空気であり、そうである以上、その空気にあえて抗して、それでもなお原発を続けるべきだという少数派の意見は、やはり、どうしても隅に追いやられる形にならざるをえない。

そもそもこのような空気が支配する中で広く国民的討論を呼びかけるということが無理である。討論型世論調査を今後実りあるものにするためには、政府だけではなくマスメディアも一緒になって空気の呪縛を解くような努力をしなければならない。少なくとも事実に対しては謙虚にならなければ、まったく討論にはならない。その点、橋下大阪市長が電力会社の意見も謙虚に耳を傾けなければならないと指摘していたのは正論である。マスメディアにはそのような度量もないのかと思うと情けないかぎりである。

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