3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

(1)原発事故の真犯人

第三章 想定外という名の空気

(1)原発事故の真犯人
マグニチュード9.1を記録した3.11の地震は、まさしく想定外の規模であったということで、あらゆる原発の関係機関とその関係者が言い逃れのような説明に終始してきた。しかもマスコミもその説明をやむなしとして受け入れ、あたかも「想定外」という言葉が免罪符のように使われてきた。このことに対してはマスコミも共同責任を負わなければならない。新聞記者やジャーナリストは地震や原発の専門家とはいえないが、しかし少なくとも彼らは日頃から専門家に接し、その言動や行動をチェックするべき使命を負った人々である。私がマスコミに対して疑問に思うのは、そもそも地震の発生メカニズムというものが必ずしも明らかでないにもかかわらず、さも分かっているかのような報道を一貫してなしてきたことである。このことはいままで誰によっても指摘されていないが、この事故のもっとも本質的な責任の所在は実はそこにあるのではないかと思っている。

今回の地震の規模がなぜ想定外であるとされたのか?それは気象庁や地震学者の従来の考え方や理論では説明も予想もできなかったからである。なぜそうだったのか?それは専門家の唱える地震の理論自体が根本的に誤っていたからである!私はもちろん地震の専門家ではないが、そのように断言してもよいと思っている。なぜなら過去の地震の発生の仕方をみると、そのように断言せざるをえないのである。16年前の阪神大震災のときもそうであった。当時、関西では震度5以上の地震は起こらないとされてきた。だから当時の耐震基準は震度5クラスの地震に耐えられればよいとされたのである。その結果、彼らのお墨付きをもらった甘い耐震基準で建てられた昭和30年代以降の神戸市内のビルはことごとく倒壊している。逆に、それ以前に建てられた古い建築物は大正時代や昭和初期に建てられた建物でさえ倒壊していないのである。したがってあの震災もまさしく人災であったということがはっきりとしている。

地震学者はあの地震のあと淡路島の南淡町を走る野島断層が動いたことが大地震の直接的な原因であったと説明している。しかしそのような説明もにわかには信じられない。それが本当だとしたら、なぜ地震学者はそれをもっと早く警告しなかったのであろうか?彼らにいわせると、断層が動くのは5000年に一度ぐらいの確率なので、それがいつ動くかは予測ができないというのだ。仮にそれが本当だとしたら、あの当時の耐震基準は何だったのかということを説明してほしい。5000年に一度の確率であるとしても、それが起こる可能性は常に存在している以上、備えを怠ってはならないはずだ。にもかかわらず、当時、関西では決して震度5以上の大きな地震は起こらないという安全神話が信じられていたのはなぜなのか?結局、彼らの説明というのは後付けの説明でしかなかったのではないか?

実際、世の中に地震学者の予測ほどあてにならないものはない。阪神大震災後、地震学者は関西圏で大きな地震が発生する確率が高くなっているとしていた。野島断層が動いた結果、周辺の断層が動く確率も高まり、関西周辺では地震の活動期に入ったとされたのである。しかしながら、その後に起こった大きな地震は彼らの予想とはまったく食い違っている。阪神大震災は1995年であるが、その後に起こったM7以上(直下型は震度6以上)の主な地震を列挙すると以下の通りである。

2003年 5月26日 宮城県沖地震(三陸南地震、東北地震) 本震はM 7.1、岩手県・宮城県で最大震度 6弱。太平洋プレート内の地震。
9月26日 2003年十勝沖地震 - 本震は M 8.0、北海道で最大震度 6弱、死者2人。同日発生の最大余震もM 7.1、最大震度 6弱。2mを超える津波が来襲し2人が飲み込まれ、後に1人が遺体で発見。

2004年 10月23日 新潟県中越地震(新潟県中越大震災) 本震は M 6.8、新潟県中越地方で最大震度 7(機械(震度計)で震度7が確認された最初の地震)、死者68人。震度6弱以上の余震を4回観測。

2005年 3月20日 福岡県西方沖地震 - 本震はM 7.0、福岡県・佐賀県で最大震度 6弱(玄海島では推定震度 7)、死者1人。
8月16日 宮城県南部地震 - M 7.2、宮城県で最大震度 6弱。

2007年 7月16日 新潟県中越沖地震 - M 6.8、新潟県・長野県で最大震度 6強。柏崎市を中心に家屋倒壊や土砂崩れなどの被害。死者15人。

2008年 5月8日 茨城県沖で地震 - M 7.0、茨城県水戸市・栃木県茂木町で最大震度 5弱。午前1時45分に本震発生。同日には午前1時2分頃にM 6.4、その14分後にもM 6.3の地震発生。
6月14日 岩手・宮城内陸地震 - M 7.2、岩手県・宮城県で最大震度 6強死者・行方不明者23人。

9月11日 十勝沖で地震 - M 7.1。最大震度は5弱(北海道新冠町、新ひだか町、浦幌町、大樹町)。

2011年 3月11日14時46分 東日本大震災 - 日本の三陸沖の深さ約24kmで発生したマグニチュード 9.0の日本国内観測史上最大の海溝型地震。


以上をみると、阪神大震災後に地震学者が予想した関西周辺の地震ではなく、むしろ地理的に離れた地域の地震が多いことがわかる。もちろんいわゆる海溝型地震と断層型地震は区別しなければならないが、断層型地震だけに限ってみると2004年と2006年の新潟中越地震と2008年の岩手・宮城内陸地震、そして今回の東日本大震災とほぼ同時期(3月12日)に発生した長野県北部地震(震度6強)等で、いずれも阪神大震災の野島断層の動きとはまったく無関係に起こっているのである。中でも2008年の岩手宮城内陸地震というのは、そもそも断層が確認されてもおらず[内陸地震=断層が動く]という定説の固定観念自体があやしいものであるといわねばならない。

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(2)定説の破綻

(2)定説の破綻
近年の海溝型地震の分布をみると、今回の東日本大震災の震源と近辺にある三陸沖や宮城県沖で頻繁に起こっていたことが分かる。実は3.11の前々日(3月9日)にも三陸沖でM7.2の地震が起こっている。アカデミズムの地震理論によれば、地震エネルギーというのは海洋プレートが大陸プレートにもぐり込むことによって蓄積された歪が解放されることによって周期的におこるのだとされている。しかし、その考えでは宮城県沖や三陸沖ではM7クラスの地震が頻繁に起こっているので、むしろその震源域の歪みエネルギーは解放されているはずだということになる。今回の大震災が想定外だったというのは、実はこの歪エネルギーの解放理論に基づいているのである。マスコミは地震学者や原発関係者が「想定外」というのを、やむをえない言葉として受け入れてきたが、しかし、それはアカデミズムの定説を正しいものと仮定することによってのみ成り立つことを、彼ら(マスコミ)はまったく分かっていない。

なぜなら3.11のM9.1の地震の規模自体は地震学者にとって、必ずしも珍しいことでも想定外のことでもなかったはずである。この一世紀を遡ると、太平洋を取り巻く地域でM9クラスの地震は少なくとも5回起こっていることが分かっている。1952年のカムチャッカ地震(M9,0)1960年のチリ地震(M9,5)、1964年のアラスカ地震(M9,2)、2004年のスマトラ島沖地震(M9,2)、そして2011年の東北関東沖地震(M9,1)である。この中で特にわれわれの記憶に新しいのは2004年のスマトラ島沖大地震であろう。このときも大津波が押し寄せ、周辺国に甚大な被害をだしたことは誰しも覚えているだろう。津波による被害者は25万人近くに上るとされる途方もない大津波である。津波というものが実際にどのようなものなのかということが映像によって記録された初のケースでもある。そのときテレビの映像などによって、今回の東日本大震災の津波と同じような大津波がインドネシアの都市やタイリゾート・ブーケットの海岸を襲う映像などが繰り返し流されていた。まさに驚愕の映像であったが、いったいわれわれはあの地震に何を学んだのであろうか?

皮肉な言い方であるが、もしも地震学者がいなければ、われわれはおそらくもっと危機感を抱いていたのではないかと想像する。普通であれば、スマトラ島沖で起こったことは、当然、日本列島の周辺でも起こりうるとするのが当然ではないだろうか?しかし、日本の地震学者は決してそのようなことは起こらないだろうと勝手に決めつけていたのである。なぜだろうか?それは先に述べたように、今回の地震の震源域では過去に何度もM7~M8クラスの地震が発生していて、この震源域に蓄積された歪みエネルギーは解放されているはずだという地震学の定説に基づく思い込みがあったからである。

実際、今回の地震においても地震学者たちの予想は阪神大震災のときとまったく同じように(見事に!)はずれている。阪神大震災の当時は、関西ではなく関東地方で1923年の関東大震災と同程度の規模の直下型地震が70年周期説に基づいて予想されていた。それと同じように、今回の地震が起こるまでは東海、東南海、南海のM8.5クラスの海溝型連動地震が起こるということが予想されていた。これは過去の古文書などを調べた結果、この震源域で100年から150年という周期で連動型の巨大地震が起こっているということが判明しているからだ。直近で起こったのは1944年と1946年のM8の地震であり、その約90年前(1854年)にM8.5の地震が起こり、さらにその147年前(1707年)にはM8.6の地震があり、そしてその102年前(1605年)にはM7.9の地震が発生したことが分かっている。したがって、地震周期説に基づくと前回の地震(1944年)から65年以上経過しているので、今後50年から100年ぐらいは、いつ起こってもおかしくないとされている。

一方、東北沖の震源域ではM8クラスの巨大地震が過去少なくとも4例ほど知られている。1933年の昭和三陸地震、1896年の明治三陸地震、1611年の慶長三陸地震、そして869年の貞観地震である。869年の貞観地震がどの程度の規模だったのかということははっきり分かっていないが、その際にできた地層が岩手県沖から茨城県沖あたりまで確認されていることから、今回と同程度の規模(M9))のものであった可能性もあることが指摘されていた。実は今回の地震が起こる前(2009年)に産業技術総合研究所の活断層・地震研究センター長を務める岡村行信氏が、福島第一原発の想定地震として、869年に起きた貞観地震・津波を警告していたが、この警告は、東京電力だけでなく、原子力安全委員会と原子力安全・保安院で完全に無視されたと報告されている。

問題はしかし1000年も前の痕跡から大津波再襲来の可能性を認めなかった不明よりも、直近でM9.2という規模の2004年スマトラ沖地震の大津波映像を目に焼き付けながら、それをまったく参考にもしなかった危機感の欠如こそ非難されるべきであろう。いずれにしても彼らはアカデミズムが作り上げた虚構のパラダイムに呪縛されたために事実を捻じ曲げていたのだとしか思えない。彼らは地震の予知どころか予測さえできない未熟な地震学を、あたかも絶対的真理であると思いこんでいたのではないか?その地震学者のお墨付きによって原発関係者は津波の脅威はないと思いこんでいたのだろう。それでも二重三重の安全のために設けられていた原子力安全委員と原子力安全・保安院が自らの使命を自覚していたならば、スマトラ沖の被害状況を目にした時、何らかの議論をしてもしかるべきであった。しかし残念ながら、そのような議論が行われた形跡さえないのである。つまるところそれらの組織はそもそも何のために存在していたのかという疑問がつきまとう。

さらに奇妙なのは、3.,11後、安心理論をふりまく専門の放射線医学者や原子力関係の科学者に対して御用学者という批判を浴びせかけているマスコミやジャーナリストが、なぜ地震学者に対しては一様に沈黙しているのかということである。なぜ彼らは地震学者に対してM9のスマトラ沖級の大津波が東北沖でも起こりうる可能性を考慮しなかったのかという質問をあびせかけることをしないのであろうか?放射線医学者が「20ミリシーベルトでも安心」という明確なデータを基にした国際基準を口にすると、一様に「御用学者だ」と批判しながら、なぜそのアカデミズムに対する批判精神を地震学者に対しては向けることをしないのか不思議でならない。

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(3)反証可能性をもたない似非科学

(3)反証可能性をもたない似非科学
地震学がそれほど確固とした学問であるというなら分かるが、現実はその正反対である。地震学ほど歴史的に未熟な分野は他にないであろう。ほんの2,30年ぐらい前までは、地震がどのようなメカニズムによって起こるのか、これといった定説はなかった。しかし、現代の地動説ともいわれるプレートテクトニクス理論が確立されることによって、地震学はわずかな期間で理論化を押し進めることになった。しかし、この理論は決して事実によって検証されたわけではない。むしろいままでみてきたように、この理論は多くの事実と整合しない。科学的な仮説というものは、それが正しければ必ず予測可能な事実があるはずだが、地震学はいまだかつてほとんど予測に成功していない。

科学哲学者のカール・ポッパーが唱えた有名な定義で「いかなる仮説も反証可能性をもたなければ科学的であるとはいえない」という考え方がある。その考え方に照らせば、地震学の定説は科学的であるとはいえないことが分かる。なぜなら、その定説(仮説)が間違いかもしれないという反証材料を彼らは明示していないからである。たとえばプレートテクトニクス理論による地震周期説が正しいとすれば、東北沖でM9クラスの地震が起こることはありえないとされてきた。だとすれば、3,11によって少なくとも一つの反証可能性をもった事実が提起されたということを認めるのが当然である。しかし、3.11後も彼らは定説が間違いであるという可能性を決して認めていない。

では地震学者の定説はいかなる事実によって反証されることになるのだろうか?おそらく地震学者の間ではそんな問題意識が提起されることさえないのだろう。定説が正しいのは当然であり、もし定説にあわない事実があるとすれば、それは定説が間違いであるという証拠ではなく、ただ定説による可能な説明範囲を少し拡張すればよいということになる。すなわち地震学者の定説というのは、どんな事実も後付けで説明できる都合のよい万能の定説なのである。しかし、ポッパーの定義によれば、こんな仮説は科学でもなんでもなく宗教的ドグマと同じである。マスコミやジャーナリズムはそのようなことをまったく考えずに、ただアカデミズムの権威だけを信用して地震学者の理論を紹介しているのである。そこにはアカデミズムに対する盲目的な信頼があるだけで、放射線医学者に向けられたような批判精神はこれっぽっちもない。

定説に代わる理論が他にまったく見当たらないのであれば、そのような未熟な科学理論を受け入れざるをえないのもまだ理解できるが、アカデミズムの定説に対して異論を唱えている学者も何人かいる。彼らはいずれも正統派の学者によって異端とされているらしいが、原発関係の学者の中にも異端学者がいるように、どのような分野でも異端学者は存在する。科学の世界ではそれがあたりまえであり、その方がむしろ健全な姿である。たとえばアインシュタインの相対性理論は間違いであると主張している物理学者は何人もいるが、最近の実験では光よりも早いニュートリノの存在が明らかになっていることから、相対性理論がいずれ全面的に見直される可能性もでてきている。また水素の核融合は太陽のような巨大な重力場がなければ起こり得ないと考えられてきたが、必ずしもそうではないとして水素核融合の実験をしている異端の科学者も何人かいる。科学の世界では常に新しい事実によって従来の理論が覆るということがしばしば起こるのであり、それこそが科学の健全なあり方であろう。

たとえば海溝型地震というのは、年間数センチ程度の海洋プレートの沈み込みによって蓄積された歪みが一挙に解放されることによって起こるのだという解説が、まるで証明された事実でもあるかのようにテレビや新聞でなされているが、そもそも物理学では歪エネルギーが蓄積されるという理論は証明もされていない。物理学の常識では、通常、作用があれば必ずその反対の向きに反作用が伴うものであり、それによって物理的な力の均衡は保たれているはずである。これはニュートン力学の根本法則である。すなわちプレート運動のようにある一定方向の運動が続くと、当然ながらその反作用の運動が同時に伴っているはずであり、そこではエネルギーの均衡は常に保たれているはずなのだ。にもかかわらず、その場で解放されないお化けのような歪エネルギーが何千年も蓄積されているというのは、ありえないことではないか?したがって物理学的な歪みエネルギーの蓄積によって地震が起こるというような理論は力学法則を無視した似非理論に違いない。

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(4)地震のエネルギーは水素爆発である

(4)地震のエネルギーは水素爆発である
では一体、地震の原因とは何か?筆者は巨大な地震のエネルギーはプレートの運動による物理的なエネルギーではなく、むしろ化学的なエネルギーによるものだと確信している。結論をいうと、そのエネルギーの正体は「H2O」すなわち「水」である。「水」が莫大なエネルギーをもっているということは、福島原発の建て屋の爆発につながった水素爆発でも明らかであろう。2000度近い高熱になると一部の水は水素と酸素に解離する。それによって水素が大量に発生するのである。3月13日に建屋の爆発が初めて起こったとき、原発関係者は誰もそれを予想できなかった。そもそも水素が大量に発生しているという事態が、彼らには信じられなかったようである。しかし2000度近い高熱になると一部の水は水蒸気になるのを通り越して、一種のプラズマ状態となり水素と酸素に解離してしまうのである。その結果、途方もない爆発が起こることになる。地震という現象は、地下何千メートルという高熱高圧下の地殻内部で水が水素と酸素に解離し、爆発を起こす現象だと考えれば説明がつく。

その昔、1755年11月1日のリスボン大地震が起こった際に哲学者カントが独自に調査研究をして「地震の原因」という書を上梓した。カントによると、地震というのは地下の空洞にたまったガスの震動現象ではないかと考えていたようである。このアイデアは現代においても生かせるのではないかと思っている。地殻内部に空洞ができると、そこに莫大な量の解離水素が溜まり、それが爆発を起こすのが地震ではないかという説明ができるからである。たとえば阪神大震災を思い出してほしい。その地震が起こったのは世界一の規模を誇る明石架橋がまさに完成に近付いていた頃である。その震源のすぐ近く(2キロ以内)で巨大な橋を支えるための支柱工事が行われていた。硬い海底の岩盤を砕き、そこにセメントを流し込み100メートルをはるかに超える鉄塔を建てたのである。その鉄塔が完成するのを見計らうかのように1995年1月17日早朝大地震が起きた。

これは果たして偶然であろうか?

おそらくその工事で砕かれた海底の岩盤の下には大量の水が流れ込んだに違いない。その水ははるか地殻の深いところまで達する間に高熱のマグマに触れることによって水素と酸素に解離する。そして解離ガスがどこかの地下の空洞に溜まることになる。そしてある臨界点で酸素と水素が反応する条件が整うと大爆発を起こすのである。ここで爆発を起こすということは、一旦、元の水に戻ることを意味している。水は再び高熱のマグマに接触することで水素と酸素に再解離を始める。そして再びある臨界点で水素と酸素が反応して爆発を起こすのである。このサイクルはガスが周辺に拡散するまで続くことになる。これがすなわち余震が引き続き起こる原因である。

ちなみに、この説明は私のアイデアではなく在野の地震研究家石田昭先生の新地震学というHPから学んだものです。もちろん、この説明が真実かどうかは分かりませんが、少なくともこれはトータルな地震現象の説明に有効な仮説であることは疑いありません。マスコミはこの仮説を地震学会が承認していないという理由で無視するのではなく、真実のための議論を起こすために関心をもつべきでしょう。なぜなら、いままでの地震学の定説では整合的に説明できない事実があまりにも多いからです。もちろん気象庁や地震学者が定説の間違いの可能性があることを認めることが何よりも重要であるということは、いうまでもありませんが。

新地震学のHP:http://www.ailab7.com

[補足]
実は水と地震に因果関係があることは地震学者の間ではよく知られた事実でです。数多くの著作でも知られる国際的な地震学者・島村英紀氏が自らのHP(http://shima3.fc2web.com/sekou9701damzisin.htm)の中で次のようなことを記しています。

米国コロラド州のデンバー市のすぐ北東で深い井戸を掘って、放射性の汚染水を捨てたことがある。米空軍が持つロッキー山脈兵器工場という軍需工場の廃液であった。それまでは地表にある貯水池に貯めて自然蒸発させていた。厄介ものの汚染水を処分するには自然蒸発よりはずっといい思いつきだと思って始めたのに違いない。井戸の深さは3670メートルもあった。大量の汚染水を捨てるために、圧力をかけて廃水を押し込み始めた。この廃液処理を始めたのは1962年3月のことだ。3月中に約16,000トンもの廃水が注入された。

 四月になって間もなく、意外なことが起きた。もともと1882年以来80年間も地震がまったくなかった場所なのに、地震が起きはじめたのだった。多くはマグニチュード4以下の小さな地震だったが、中にはマグニチュード5を超える結構な大きさの地震まで起きた。マグニチュード5といえば、松代での群発地震の最大の地震に近い大きさだ。もともと地震活動がごく低いところだから、生まれてから地震などは感じたこともない住民がびっくりするような地震であった。人々はこの工場での水の注入が地震を起こしていることに気づき、ちょっとした騒ぎになった。

 そこで、1963年9月いっぱいで、いったん廃棄を止めてみた。すると、10月からは地震は急減したのである。しかし、廃液処理という背に腹は替えられない。ちょうど1年後の1964年9月に注入を再開したところ、おさまっていた地震が、突然再発したのである。

 そればかりではなかった。水の注入量を増やせば地震が増え、減らせば地震が減ったのだ。1965年の4月から9月までは注入量を増やし、最高では月に3万トンといままでの最高に達したが、地震の数も月に約90回と、いままででいちばん多くなった。水を注入することと、地震が起きることが密接に関係していることは確かだった。

 量だけではなく、注入する圧力とも関係があった。圧力は、時期によって自然に落下させたときから最高70気圧の水圧をかけて圧入するなど、いろいろな圧力をかけたが、圧力をかければかけるほど、地震の数が増えた。このまま注入を続ければ、被害を生むような大きな地震がやがて起きないとも限らない。このため地元の住民が騒ぎ出し、この廃液処理計画は1965年9月にストップせざるを得なかった。せっかくの厄介者の処理の名案も潰えてしまったのであった。

 地震はどうなっただろう。11月のはじめには、地震はなくなってしまったのであった。こうして、合計で60万トンという廃水を注入した「人造地震の実験」は終わった。誰が見ても、水を注入したことと、地震の発生の因果関係は明かであった。
以下、地震と水の因果関係の話は延々と続きます。

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弾性反発説に対する疑念

定説の地震学は弾性反発説という理論がその支柱になっている。これはどういうものなのかと思い、ネットで調べてみると、驚くべきことにどこにも詳しい解説がみあたらないのである。ちなみにWikipedeaの説明を下記に紹介しておこう。

弾性反発説(だんせいはんぱつせつ, 英: Elastic-rebound theory)とは、地震の原因を説明するメカニズムの1つであり、現在の地震学では断層地震説およびプレートテクトニクス等と関連付けて幅広く支持されている学説である。初期の弾性反発説としては、1906年のサンフランシスコ地震等の研究を受けてリード(H.F.Reid)が発表したものが知られている。これは、震源の両側でお互いに逆方向となるような歪みの力が働いており、地下の岩体は歪みを受けると弾性変形を起こして曲がり、やがて限界を超えると剪断破壊を起こして地震を発生させるというものである。これは、弾性歪みによる弾性変形→塑性変形→破壊という、力学でいう物質の変形過程に対応している。現在ではこの考え方は広く受け入れられているが、当時は他の説も展開されており、その証明方法を含めて論争が巻き起こった。
弾性反発説の裏付けとしては、地震波(P波)の初動分布が挙げられる。ふつう、震源を中心に十字に区切られた4領域に押しの領域と引きの領域が交互に並ぶように分布するが、弾性反発説による断層の破壊を考えるとこれを説明できる。ちなみに、断層面の両側に働く力は2対の偶力、つまり各2方向の圧縮力と張力が2対(ダブルカップル)であり日本では当初から支持されていたが、欧米では当初1対の偶力(シングルカップル)と考えられていた。1963年に丸山卓男がこれを物理学的に証明する考え方を提示し、1960年代には欧米でもダブルカップルが定着した。
日本でも大正時代ごろよりこの説をもとにした研究が進められていった。1960年代には、プレートテクトニクスに基づいた海溝型地震の発生メカニズムとしても弾性反発説が採用されるにいたった。


「えっ!たったこれだけ?」とびっくりする方もいるだろう。この説明文を書いた方は本当にそれを分かって書いているのだろうか(?)と私はまず疑問に思った。

「現在ではこの考え方は広く受け入れられているが、当時は他の説も展開されており、その証明方法を含めて論争が巻き起こった。」と書かれているが、それが本当に広く受け入れられるほど説得力があるのであれば、もう少し詳しい説明があってもよいではないか。しかし、この文を書いている方は、おそらくこれ以上説得力のある根拠を示すことができないのだろう。そもそもここでその根拠として示されているのが、地震の際の押し領域と引き領域の分布を説明できるからであるという。しかし、私の頭が悪いのかどうか知らないが、この理論が地震の押し引き分布を説明できているとはどうしても思えない。

これなら新地震学の石田理論の方がはるかに説得力があると思う。すなわち地震とは地下で起こる水素爆発であると考えれば、押し領域と引き領域に分かれる理由が簡単に説明できそうな気がする。高温高圧下の地下で水素爆発が起こるとガスで占められていた空間が突然に真空状態となる。その結果「爆縮」という現象が起こり、爆発(押し波)と同時に体積が一挙に縮小する現象(引き波)が同時に起こる。おそらくこの現象は実験室でも簡単に再現できるだろう。水素ガスで充満したブリキ缶の中を発火させると、缶は爆発と同時にペシャンコになるはずである。

実は、弾性反発説が疑わしいのは、それを実験室で再現することは不可能だとされていることである。「ほんとか?」と思われるかもしれないが、これは本当である。ではいったい、そんな仮説がなぜ信じられるのか(?)と思われるだろうが、そこが摩訶不思議な理論の所以である。そもそも、この理論をわれわれの日常的感覚で論じることは不可能であるとされているらしいのである。なぜなら地球内部の状態は人間の理解が及ばぬ世界であると考えられているからである。これは天動説を信じる中世の天文学者が周円天の仮説がいかに人知を超えた神秘であるかという説明によって、一切の反論を封じていたのとよく似ている。

弾性反発説というのは、簡単にいうと、地殻を構成するプレートが弾性をもった剛体でもあるという仮説である。たしかに地震が起こると必ず地震波が一つの波として伝わることからプレートが弾性をもった剛体であるという仮説は成立しているように思える。それはたしかにその通りだ。しかし、弾性をもった剛体であるからといって、それが地震のエネルギーの発生源であるという単純な決め付けにはどうしても合点がいかない。

一般に弾性体というのは、たとえばゼンマイ時計のようにエネルギーを溜めこむ性質があるとされている。それはたしかに分かるが、果たしてそんな簡単なアナロジーで地震のエネルギーを説明できると考えてよいのだろうか?ゼンマイ時計というのは均一な格子でできた金属の性質を利用して運動エネルギーを蓄積する方法である。長い板状の金属をぐるぐる巻きにして、それを引っ張る力によって巻いてやると、元の形に帰ろうとする力が蓄えられていく。その力を歯車によって制御しながら、少しずつそのエネルギーを引き出すことが時計の仕組みである。プレートにエネルギーが蓄えられる仕組みは基本的にこれと同じであると考えてよいのだろう。すなわちプレート内部に蓄えられえる元のエネルギーは一定の速度で動くプレートの運動エネルギーであるが、そのエネルギーが相対するプレートを変形させる力となり、その変形(歪)がある臨界点を超えると元に戻ろうとする弾性の性質によって変形したプレートが反発し、地震が発生するというわけである。

しかしながら、この単純な仮説は先にも述べたように決して実験によって検証されているわけではない。なぜなら、単純な格子構造をもつ金属ではない複雑な組成の岩石塊にゼンマイ仕掛けをもたせることは不可能だからである。したがって、畢竟、その仮説はわれわれの想像の域を超える証明されざる仮説でしかない。

しかし、この仮説はそもそも錯覚ではないのだろうかと私は思う。もしかすると彼らはニュートンが発見した力学の第三法則(「作用と反作用の法則」)を忘れているのではなかろうか?すなわち「Aという物質がBという物質に力を加えると、その力は同時に正反対の向きでAという物質に帰ってくる」という法則である。たとえば車が時速100kの速度で壁に衝突したとすると、その車が壁に与えたエネルギーはそのまま車にはね返ってくるのである。この法則によれば、作用と反作用は向きが反対であるがエネルギーの量は等価であるとされている。この法則が宇宙の根本法則であることはいうまでもない。ロケットが宇宙へ飛び立つことができるのも、宇宙飛行士が無重力の中で遊泳できるのも、この法則があるからである。

この法則によると、通常、運動エネルギーの受け渡しは力を与える側と受け取る側で反対方向のエネルギーのやり取りがなされる。ある物体の運動エネルギーは相対する他の物体に衝突したときに解放され、その収支はプラスマイナスゼロとなって両物体を静止させるか又は互いに反対方向の運動エネルギーを受け取って遠ざかる。たとえば車が猛スピードで壁にぶちあたった時、その場で車と壁がエネルギーの受け渡しをした結果お互いに損傷を残して終わる。したがって車にあてられた壁がいつまでもそのエネルギーを溜めているということはありえない。つまり、この法則によるとエネルギーを受け取る側が一方的にエネルギーを溜め込むということはありえないのである。

ところが弾性反発説によると、そのようなありえないことが地球的レベルで起こっているのだというわけである。すなわちプレートの運動によって受け渡される運動エネルギーは解放されることはなく、弾性の性質をもった岩石のどこかにどんどんと蓄積されているのだとされている。たしかに、プレートの運動は非常に大きな力を生み出すために、すべての運動エネルギーが解放されることはなく一部はどこかに蓄積されるということはあたりまえといえばあたりまえである。車と壁が衝突すると、そのあとに熱エネルギーが発生するのと同じように、プレートの衝突付近に溜まるマグマはその運動エネルギーが熱エネルギーへ変換されたものであるのかもしれない。

しかし弾性反発説を信じる人々はマグマに変換された熱エネルギーだけでは満足していない。プレートに溜めこまれた運動エネルギーはまるで幽霊のように普段はみえないが、ある臨界点を超えると突如として出現するのだという。いかにプレートが弾性をもつ剛体だとはいっても、いったいそんな幽霊のようなエネルギーを溜めこむことが可能であろうか?以上のような私の疑念について、弾性反発説に詳しい方がいましたら、ぜひ解説をお願いしたいと思います。

補足:もしプレートがゼンマイバネのように運動エネルギーを蓄積する能力をもった弾性体であるとすると、もうひとつ説明のできないことがある。それはゴムのように褶曲した地層の存在である。プレートが歪みエネルギーを蓄積する能力があり、そしてある臨界点を超えると周期的にそのエネルギーを発散させるのが本当だとすると、そもそもいかなる地層も褶曲していないはずだ。なぜなら地層は褶曲するまえにバネの反発力によって断層破壊がいたるところに起こり、ズタズタに切り裂かれることだろう。地層の褶曲が物語っているのはプレートが弾性体ではなく、むしろ粘土のような粘性体であるということである。粘土の性質はエネルギーを溜めこむのではなく分散させることである。この点でも弾性反発説はおかしいといわざるをえない。


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