3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

繰り返す迫害の構造 「日本人とユダヤ人」より

「われわれは迫害されたがゆえに人類に対して何かの発言権があるとは思ってはならない」。私は絶えず同胞にこのようにいう。だがこの言葉はちょうど日本人に「唯一の原爆の被爆国なるがゆえに世界に向かってなんらかの発言権があると思ってはならない」というのと同じであって、中々受け入れられず、時には強い反発を受ける。もちろん、ユダヤ人に対してこういう権利があるのはユダヤ人だけであり、また同様に、日本人に対して前記の言葉を口にしうる権利があるのは日本人だけであるから、私はその言葉は、口にしようとは思はない。
ただユダヤ人の場合は。確かに唯一の被迫害民族ではない。遠い昔のことはさておき、近々4分の1世紀だけにかぎってみても、インドネシアにおける華僑と、黒いアフリカにおけるアラブ人の迫害がある。インドネシアにおける華僑迫害は日本の新聞に報道されたが、欧米の新聞には余り報道されなかった。日本の新聞記事によると殺された者の数はあるいは20万人とも50万人ともいう。・・・


この文章はイザヤ・ベンダサン著「日本人とユダヤ人」の最後の方で「しのびよる日本人への迫害」という項で書かれている。私がこの本を初めて読んだのは大ベストセラーになった1970年代初頭の頃だ。当時は私自身も参加したことのある全共闘運動が挫折しニヒルな日々を送っていた時期であったと回想するが、その間隙の中でこの本があれよあれよと300万部ものベストセラーになった。謎の人物イザヤ・ベンダサンとは一体何者かという興味もあったが、なによりも新鮮だったのはイデオロギーの粉飾がないうえに、かつて読んだこともない鮮やかな日本人論及び文明批評にもなっているといった感想であった。

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但し、その当時の私はこの本の最後の方でこんな怖ろしい予言めいた項があったとはまったく記憶にもなかった。特に、ここでもふれられているインドネシアで起こっていた虐殺については何一つ知らなかった。新聞やテレビのニュースには毎日接していたはずだが、そのニュースについて私はつい最近にこの「日本人とユダヤ人」を再読するまで、まったく知らなかったのだ。「えっ本当にそんなことがあったの」と思い、すぐにインターネットで調べてみたら、それは事実であるだけではなく、2,3年前に映画にもなっているということを知ってあらためて自分の無知さに驚いた。

ところがこの映画については新聞でもテレビでもあまりとりあげられていないせいなのか一般の話題になることもなく、私のように事実自体を耳にしたこともないという人が多いのではないだろうか?

但し、イザヤ・ベンダサンすなわち山本七平氏も当時、新聞の片隅に書かれていた記事を読んで仕入れた程度の知識しかなく、それは必ずしも正確とはいえないはずだが、戦後のオランダ統治下のインドネシアでその権力を引き継いだスカルノ政権が失脚したあと(60年代中頃)に起こった出来事であるということはきちんと把握していたようである。

大虐殺を実行したのはスカルノ後に権力を掌握した元少将のスハルト大統領であり、彼は共産主義者とその支持者を徹底的に壊滅させるために皆殺し作戦をとっていたのだ。ベンダサンが殺されたのは中国人華僑だったと書いているが、これは必ずしも正確ではなく、殺害の対象とされたのは主にインドネシアの共産主義者とその支持者であり、その一連の虐殺の中で大量の中国人華僑も巻き込まれることになったというのが真相のようである。但し、ベンダサンが指摘するように、インドネシア人にとって商売上手な華僑は日頃からよく思われていなくて、ちょうど欧州のユダヤ人のようにみなされていた可能性もあることは事実だろう。

当時はベトナムやカンボジアで共産主義者による民族独立運動が起こっていた。アメリカはこれを共産主義化のドミノ現象として恐れ、ベトナム戦争に介入していた。当然ながらインドネシアでも共産主義者による独立運動が起こることをアメリカは警戒していたので、反共スハルト政権に対しては大歓迎し、彼らを軍事的にも支援していた。また日本の当時の佐藤政権(安倍総理の大叔父)もスハルト政権を援助していたといわれている。


参考:
9月30日事件 https://ja.wikipedia.org/wiki/9%E6%9C%8830%E6%97%A5%E4%BA%8B%E4%BB%B6
知られていない大虐殺 http://synodos.jp/international/15069

カーター政権になってアメリカが軍事介入から手を引いた70年代にベトナム戦争が終結し、カンボジアやラオスなどが連鎖的に共産主義化されていった。特にカンボジアではポルポトのクメールルージュによる300万人ともいわれる大虐殺があったとされているが、しかしこれは大部分集団移住政策の失敗による飢餓に起因するものであり、虐殺であったとは必ずしもいえない。同時にネットウヨなどが今でもいいふらす中国毛沢東による5000万人規模の虐殺があったというのも、害虫駆除の失敗等によって大飢饉を招き飢えなどで亡くなった犠牲者の総数だといわれているのでこれも虐殺とはいえない。

この項の最後の方で関東大震災最中の朝鮮人虐殺についてもふれられている。

「前に述べた迫害のパターンからすると、少なくとも当時は朝鮮人が迫害されねばならぬ理由は全くないといってよい。当時の日本は実質的には欧米の資本家に支配され、その資本家と日本人大衆の間に朝鮮人が介在して、暴利を独占していたわけではもちろんない。逆であり、その多くはむしろ最下層にあって最低の労働条件で、最低とみなされる労働に従事していたのは事実である。またおそらくは関東大震災という突発的大天災が起こらなければ、あの悲しむべき虐殺事件も起こらなかったであろうことも事実である。うっせきした民衆の不満が天災を契機にして朝鮮人に向かって爆発したわけでもない。ということは、その後、現在に至るまでの半世紀、こういった事件、もしくはそれと同じ性格をもつと思われる事件はなんら発生していないからである。
(中略)
従ってこの迫害は動物学的迫害ともいえるもので、迫害の重要な一面を純粋に表している。従って人類の将来のために、これは非常に貴重な資料である。もちろん私は日本人が動物的だなどという気はない。いずれの迫害にもこの動物的迫害があるが、日本人の場合はこの要素のみだともいいうるので、その他の場合には判別されにくい要素が、はっきりでているからである。
(以下略)


この後も延々と朝鮮人虐殺についてのベンダサンの説明は続くが、要は朝鮮人虐殺とユダヤ人虐殺には共通点もあるが同じではなく、ユダヤ人の虐殺についていうと、むしろ今後は日本人がユダヤ人のように世界的な迫害の対象にならないともかぎらないとベンダサンはみているのである。なぜなら日本人はかつての欧州のユダヤ人と同じように商売で成功し金をしこたま儲けたために、世界の人々から妬まれ迫害される理由が存在するのだというのである。

尚、朝鮮人虐殺については当ブログで「動物的本能としてのジェノサイド 90年前の出来事」と題して書いております。

事実、70年代から80年代にかけて、高度経済成長期に日本は「Japan as No1」ともてはやされ、米国との激しい貿易摩擦でジャパンバッシングが起こったこともある。その後、バブルが崩壊し日本経済が沈んだおかげでアメリカの中でのジャパンバッシングは少なくなった観もあるが、最近では中国との激しい経済市場競争が起こり、これが世界の中で多くの紛争の種をばらまいている。

中国人華僑と同様日本人はかつてエコノミックアニマルと称されたことは世界の人々の記憶に残っている。安倍総理が世界を訪問するたびに数千億もの金をばらまいているのも世界からどうみられているのかということが気になるところである。まだ成り上がりにすぎない模造品作りの名人(=中国)に負けてなるものかというのが日本の経済人の思いであろう。しかし、そのような思いは欧米が日本に対してかつて抱いていた思いと同様なのである。

日本人がユダヤ人や華僑のように海外で迫害されることは今後ないとしても、必ずしも世界が日本びいきになってくれるという保証はどこにもない。成功に対しては必ず反感もあるはずである。

9月25日記 本項未定です

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山本七平対本多勝一 百人斬り論争の見方

「南京虐殺が行われていた当時、私はまだ幼児でした。おっしゃるように、たしかに一般人民としての幼児の私には、この罪悪に対して直接の責任はありません。本質的には、中国の民衆と同じく、日本の民衆も被害者だった。ですから私は、同じ日本人の罪悪であっても、私自身が皆さんに謝罪しようとは思いません。」(以上は本多勝一氏の言葉)

ここでまず教会闘争の人々およびブラント氏の「自明」からはじめましょう。両者の背後には聖書の世界の「贖罪」という伝統的考え方があります。これは本多様の謝罪とはまったく意味が違う考え方です。この贖罪という思想は非常に古く、おそらくは旧約聖書の最古の資料にまでさかのぼりますが、これを一つの思想として明確にしたのは第二イザヤでしょう。ヘブル思想の最高峰といわれる彼の思想、ヘブル文学の精華といわれるその詩、特に「苦難の僕」は、さまざまな面で聖書の民に決定的な影響を与えており、簡単には要約できませんが、その中の特徴的な考え方の一つは「他人の責任を負うことができる」という考え方です。

一見、奇妙な考え方と思われるかもしれません。しかし、この罪責を栄誉と置き換えてみれば、人はみな当然のことのように他人(先人も含めて)の栄誉を担い、本多様とて例外ではないことはお気づきでしょう。本多様は砂漠にただひとり自生されたわけではありますまい。二十世紀の日本という社会に生まれ、何の権利もないのに、その社会の恵沢と栄誉を、当然のこととして負うておられます。従って本多様が「幼児であったから」「責任がない」といわれるなら、日本の伝統的文化、それにつづく現代社会の恵沢と栄誉を受ける資格も放棄されたことになります。責任を拒否した者に権利はありますまい。人間は生まれる場所も生まれる時も選ぶことができない故に歴史に対して責任がある、と考えるとき初めて人間は「人間」になるのであって、「おれは生まれた場所も時も自分で選んだのではないから責任はない」といえば、これは獣に等しいはずですが、そう考えうること自体が実は恵沢を受けている証拠なのですから、この態度は栄誉と恵沢は当然のこととして受けるが、罪責を負うことは拒否する」ということになります。

少なくとも聖書の世界では、これを最も恥ずべき態度と考えますので、ブラント氏がもしワルシャワで本多式のあいさつをしたら、すべての人が彼に背を向けたでしょう。なぜならこれは「財産は相続するが負債はおれには関係がない。なぜならその借金は、おのれの幼児のときのもので、当時何も知らなかったからだ」というに等しいからです。ブラント氏がドイツ人であるならば、その伝統という遺産とともに罪悪という負債をも継承するのが当然であり、またドイツ人を同胞すなわち兄弟と呼ぶなら、同胞の罪責は負うことができるし、負うのが当然(自明)のことだからであります。

罪なき者が他人の罪を負って砕かれる。この時はじめて、負った人は負わせた人々を同胞と呼びうる。すでに他人ではない。従って同胞としてその罪を糾弾する権利があると同時に、その罪科で苦しめられた人々に謝罪する権利も生ずる。そしてそれをすることによって和解が成立する・・・。(「日本教について」P224-226)


これは以前、当ブログ「本多vsベンダサンの「百人斬り論争」が提起したもの」の中でも引用した山本七平の言葉だ。ここでわざわざ再掲した理由は、最近、ネットである方から清水潔著「南京事件を調査せよ」へのアマゾンレビュー欄の私の投稿に対して次のような質問を浴びせられたからである。

従軍慰安婦と同じ匂いがします。それはさて置き、人類の歴史は規模は違えども侵略の歴史です。崇拝する山本氏の論理では、ほとんど全ての人類が負の遺産を未来永劫負わなければなりませんね。

尚、この質問に対して私は次のように答えた。
未来永劫はないと思います。法的な意味ではない時効はあるでしょう。たとえば2000年前のローマが侵略した行為については歴史の時効が終わっているかもしれませんね。しかしアメリカ人にとっての黒人やインディアン、オーストラリア人にとってのアボリジニ、イギリス人にとってのインド人などの近代以降の侵略や差別問題は今現在でも彼らにとって大きな負債になっており強い贖罪意識が残っています。ドイツ人にとってのユダヤ人はなおさらですね。

この点、日本人だけがあまりにも自分たちが犯した罪に対して無頓着すぎると世界はみているでしょうね。従軍慰安婦の問題でも安倍首相をはじめ為政者やマスコミのトップにいたるまで贖罪意識が欠落しているのは、彼らからみると驚くべき民族だと思われるでしょうね。(但し、なぜだかこの返信後、彼自身の質問が消去されていた。)


確かにこのような批判は一理あるようにみえるが、この誰にも答えにくい理屈が最近流行のネットウヨが展開する自虐史観批判のお決まりのパターンになるのも無理はない。この理屈に対しては当代一流の良識派ジャーナリスト・本多勝一ともあろう方が、上述の通り嵌り込んでいたわけであるから、この理屈には確かに説得力があるのであろう。

但し、本多勝一の名誉のために付け加えておくと彼はもちろん日本人が犯した南京虐殺の罪を認めなかったわけではなく、むしろその正反対に、彼ほど南京虐殺の加害者であった日本軍人の罪を糾弾した人物もいなかっただろう。なのに、なぜ彼は自分自身もその罪を背負っているという事実に対しては鈍感だったのか?

これはおそらく彼が毛沢東主義の信奉者だったという事と無縁ではないと思う。この本多・山本論争が行われた当時、田中・周恩来会談によって日中平和友好条約が結ばれた頃のことであった。この会談が日本人に与えた衝撃は相当なものであったと思われる。その衝撃の最大のものは周恩来がかつての大日本帝国の中国侵略の責任を一部軍閥の責任にのみ認め、それ以外の日本人には責任がないと断言したことにあった。おまけに中国は日本の侵略戦争の謝罪も求めず賠償も要求しなかった。これによって戦争に係わった日本人の多くが周恩来の言葉に心動かされ慰められたのは当然であった。

但し、本多勝一は戦前生まれとはいっても戦争に係わったわけではないので、彼以前の贖罪観の思いとはまた違ったものであっただろう。70年代初頭の頃はまだ共産主義神話が多くのインテリ層に信じられていた時代であった。過激な全共闘運動は終焉したが共産主義の理想はまだそれなりの説得力をもっていた。本多氏もまた共産主義シンパであり、特に毛沢東主義を信じていた。だからこそ本多勝一にとっては毛沢東の盟友周恩来が語った「軍閥以外に責任なし」という言葉はそのまま素朴に信じられたのであろう。

しかし山本七平は当時の左翼でさえ忘れ果てていた戦争責任の問題を決して忘れてはいなかったし、それを仮に中国に許すといわれても、そのありがたい言葉をそのまま信じられるほど日本が犯した罪が軽いものであったとは信じられなかったのだろう。

私も当時は左翼学生で60年代後半は全共闘運動にも共感していた者であるが、70年代になって急に空気が変わり、ユダヤ人のイザヤ・ベンダサンという謎の人物の書いた「日本人とユダヤ人」いう本が空前の売れ行きを記録しているのを知って、当時どういう心理状態だったのか今となっては思い出せないが、なんとなく気になって読んでしまった。但し、それで山本七平の世界観にすっかりとりこになったというわけではないが、後々になってこの時の読書が糧になっていたのは確かだ。

この時、なぜイザヤ・ベンダサンと本多勝一の百人斬り論争になったのかというと、ベンダサンが本多氏の百人斬りの記述の不自然さを何かの書に書いていたことに、本多氏が驚き、月刊「諸君」誌上において本多氏側から論争を挑んだのが始まりである。但し、この論争の勝者がどちらかというのは難しい。

南京事件において百人斬りが本当にあったかなかったかという事について真相は明らかになっていないが、以前にも書いたようにベンダサン即ち山本七平氏が拘ったのは日本刀の切れ味がそれを可能にするほど鋭利な武器ではなかったという彼自身の体験から来る知識であった。但し、山本七平が迂闊だった点があるとすれば、南京進軍前に東京日日新聞(旧毎日新聞)に発表された二人の将校(野田、向井)の百人斬り競争の記事を山本自身が把握していなかった可能性があることだ。

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この記事自体は要するに読者に興味をそそるための武勇伝にすぎないのだが、決して記者の捏造ではなく現場の将校が従軍記者に対して自慢げに語った話であるが、山本はその記事の存在自体を知らなかったふしがあるのだ。

二人の将校はこの東京日日新聞に発表された武勇伝を虐殺行為の証拠とされ、戦後になって中国国民党軍の戦犯裁判に連行され死刑を言い渡されたが、当人たちは実際には百人斬りは行っていないし、またそのようなことを行う状況はなかったと陳述書を書き残している。確かに南京進軍途中で彼らが百人斬り競争を行うほど頻繁に武力衝突があったというのは不自然であり、現実は中国軍は敗走することに必死であったから日本軍が南京に辿り着くまでは両軍の戦闘行為はなかったはずだ。これは鈴木明著「南京大虐殺のまぼろし」の中でもかなり克明に記されているので、私もそのような状況だったのだろうと想像する。

最近清水潔著「南京事件を調査せよ」にも書かれている通り、南京進軍途上で日本軍と中国軍の衝突はなかったが、日本軍を好意的に迎えた村人たちが、その日本軍によって虐殺されたという証言もあるので、必ずしも南京進軍途上で何も起こらなかったと考えるのは無理だろう。

但し、南京虐殺とは日本軍と中国軍との武力衝突によってもたらされたのではなく、むしろ逆に中国軍が無抵抗の中で行われた虐殺行為が問題とされているのであって、そもそも東京日日新聞の武勇伝にあるような戦闘状況は初めから存在しなかったのである。日本軍は自らが提案したトラウトマン和平交渉を破棄して首都南京を攻略するために南京へ進軍していった。その無謀さは山本七平が「狂人太鼓のおどり」と評したように侵略以外の何物でもなかった。したがって問題はその過程で百人斬りが行われたかどうかという矮小な事実ではない。そのような想像をはるかに超える悪質な暴虐が行われたことを問題にしなければならないはずである。

補足:南京事件については最近発表された清水潔著「南京事件を調査せよ」においても新たな論点が発掘されており、これについては、現在読書中の鈴木明著「南京大虐殺のまぼろし」という問題の書(?)も含めて、あらためて考察したいと思っております。

本項未定です。11月6日記

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山本七平の洞察 日本人は感情民族だ

今日は安倍プーチン会談のあきれた北方領土交渉の結末をある意味で予言していた山本七平の言葉を紹介しよう。前にも紹介した「日本はなぜ敗れるのか―敗因21か条」(角川新書)である。

ドイツ人は明確な意図をもち、その意図を達成するための方法論を探求し、その方法論を現実に移して実行する組織を作り上げた。たとえ、その意図が狂気に等しく、方法論は人間ではなく悪魔が発案した思われるもので、その組織は冷酷、無情な機械に等しかったとはいえ、その意図と方法論とそれに基づく組織があったことは否定できない。

一方日本はどうであったか。当時日本を指導していた軍部が本当は何を意図していたのか。その意図はいったい何だったのか。おそらく誰にも分るまい。というのは日華事変の当初から、明確な意図などはどこにも存在していなかった。ただ常に相手に触発されてヒステリックに反応するという「出たとこ勝負」をくりかえしているにすぎなかった。意図がないから、それを達成するための方法論なぞ、はじめからあるはずもない。従ってそれに応ずる組織ももちろんない。そしてある現象があらわれれば、常にそれに触発され、あわてて対応するだけである。従ってすべてが小松氏の憤慨した状況、「戦争に勝つためにぜひ必要だというから、会社を辞めてきてみれば何のことはない」という状態になる。

そしてこのことを非常におおがかりにやったのはバシー海峡であった。ガソリンがないといえば反射的に技術者を送る。相手がそこへ来るといえば、これまた反射的にそこへ兵力をもってゆく。そして沈められれば沈められるだけ、さらに次々と大量に船と兵隊を投入して、「死へのベルトコンベア」に乗せてしまう。

それはまさに機械的な拡大再生産的繰り返しであり、この際、ひるがえって自らの意図を再確認し、新しい方法論を探求し、それに基づく組織を新たに作り直そうとはしない。むしろ逆になり、そういう弱気は許されず、そういうことを言う者は敗北主義者という形になる。従って相手には日本の出方は手に取るようにわかるから、ただ「バシー海峡」をまっていればよいということになってしまう。

この傾向は、日露戦争における旅順の無駄な突撃の繰り返しから、ルバング島の小野田少尉の捜索、また別の方向では毎年毎年繰り返される春闘まで一貫し、戦後の典型的同一例をあげれば60年安保で、これは同一方法、同一方向へとただデモの数をますという繰り返し的拡大にのみ終始し、その極限で一挙に崩壊している。

一方、私が戦った相手、アメリカ軍は常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と、同じ型の突撃を馬鹿の一つ覚えのように機械的に何回も繰り返して自滅したり、同じ方向に無防備に等しいボロ船船団を同じように繰り返し送り出し自ら「大量死へのベルトコンベア」を作るようなことはしなかった。これはベトナム問題の対処の仕方にも表れているだろう。
 あれが日本軍なら50万を送ってダメなら100万を送り、100万を送ってダメなら200万を送る。そして極限まできて自滅するとき「やるだけのことはやった。思い残すことはない」と言うのであろう。

われわれがバシー海峡といった場合、それは単にその海峡で海没した何十万の同胞を思うだけでなく、このバシー海峡を出現させた一つの行き方が否応なく、頭に浮かんでくるのである。

だがしかしわずか30年で、すべての人がこの名を忘れてしまった。なぜであろうか。おそらくそれは、今でも基本的に同じ行き方を続けているため、この問題に触れることを、無意識に避けてきたからであろう。従ってバシー海峡の悲劇はまだ終わっておらず、従って今それを克服しておかなければ、将来別の形で噴出してくるであろう。
(「日本はなぜ敗れるのか―敗因21か条」P64-68抜粋)


このバシー海峡の悲劇については以前にも紹介したので、そちらを参考にしていただきたい。なぜまたこれを再掲したのかというと、この度の安倍外交の歴史的失態について考えるとき、山本七平が「またやったか」といわざるをえないほど同じパターンの失敗を繰り返しているようにしかみえないからである。

安倍総理はこれまでプーチンと16回もあって相当な手ごたえと信頼関係を築き得たと思ったらしい。しかるに北方領土問題は必ず進展するはずだと確信したのだろうが、彼のその思いは一方的な思い込みでしかなかったのである。何度会合を重ねても、そのことに気付かなければ結局バシー海峡の失敗と同じになってしまう。そして最後には「やるだけのことはやったのだから」という空しい言葉だけが残り、敗因については一切語らずに終わってしまう。この繰り返しで日本はあの戦争全体を極限まで遂行していったのであり、その結果、全土が焼け野原になってしまったのである。

先の戦争について山本七平が繰り返しいうのは日本人が自分の感情を充足させるために戦争をしているのだとしか思えないと語っていることである。あの南京攻略戦においても、日本には何の計画も構想もなかった。大中国の首都を落とすことで、数億人の中国人が日本人の強さに簡単に屈服すると考えていたとしか思えないが、仮に期待通りに中国国民党軍が屈服したとしても共産党軍は抵抗するであろう。そしてその戦争は果てしなく続くだろう。物量では日本は中国に勝てるはずがない。これは山本七平が戦後になってそう言っているだけではなく戦う前から関東軍の石原莞爾らが指摘していた。だから中国と本気で戦争をすると大変なことになると言って彼は戦争の拡大を止めさせようとした。確かに当時石原の正論に耳を傾ける者もいたかもしれないが、盧溝橋事件以後、結局、日本は不拡大方針を撤回し、首都南京を陥れるという陸軍総本部の意向に誰も逆らえなかったし、国民もそれを圧倒的に支持したのである。山本七平は「日本人と中国人」(イザヤベンダサン著)次のように書いている。

いわゆる日本における軍国主義復活論に私は一種の不審感をもっている。戦前の日本にはたして軍国主義があったであろうか。少なくとも軍国主義者は、軍事力しか信じないから、彼我の軍事力への冷静な判断と緻密な計算があるはずである。

確かにナチス・ドイツはソビエトの軍事力への判断と計算を誤った。しかし計算を誤ったことは計算がなかったことではない。ある意味ではスターリンもすぐれた軍国主義者であった。「法王は何個師団もっていますか」という彼の言葉は、思想の力を全然信ぜず、軍事力だけを信じていた彼を示している。

日本はどうであったか。中国の軍事力を正確に計算しただろうか。そして正確に計算したつもりで誤算をしたのであろうか。一体、自らが何個師団を動員して、それを何年持ちこたえうると計算していたのであろうか。米英中ソの動員力と、自らの動員力の単純な比較計算すら、やったことがないのではないか。

私が調べたかぎりではこういう計算ははじめから全くないのである。否、南京攻略直後の情勢への見通しすら何一つないのである。否、何のために南京を総攻撃するかという理由すら、だれ一人として明確に意識していないのである。これが軍国主義といえるであろうか。いえない。それは軍国主義以下だともいいうる何か別のものである。恐ろしいものは、実はこの「何か」なのである。

一体これは何なのか。この場合、日本人が口にする言葉は「軍部の横暴」と政府=軍部間の連絡不備である。しかしこれは理由にならない。

確かに大本営は12月1日に南京総攻撃の許可を現地軍に与えていた。しかし許可は命令ではない。さらに12月8日に広田弘毅外相が中国政府による日本の提案の受諾を天皇に奏上している。奏上は当時の日本では最終的決定である。従って連絡不備のはずがない。第一、両者とも東京にあり電話ですぐ話は通ずるはずである。

さらに軍の横暴というのもおかしい。政府が中国による提案受諾とこれに基づく停戦を発表したのに、軍がこれを無視して総攻撃したのなら、これは軍の横暴といいうるし世界もそう解釈するだろう。

しかし日本政府が中国の提案を受け取ってそれを了承しておきながら、総攻撃へと向かう日本軍をそのまま放置しておいたのなら、これは日本政府の中国政府への裏切りであっても、軍部の横暴という言い訳は通らない。これが近衛・広田両氏への責任追及となるわけだが、一体これはどういうことだったのか。

この間の実情を最もよく知っていた近衛・広田両氏は、この問題についてほとんど何も語らず世を去った。また当時の資料、新聞、その他を徹底的に分析しても、この驚くべき事件の真の原因は、何一つ出てこない。一見、原因らしくみえるもの、またこれが原因だと主張しているものも、それを更に調べれば一種の自己弁護か責任の転嫁にすぎない。この分析の経過は余り長くなるから除くが、「提案を受諾しかつ総攻撃を開始せよ」という最も重大でかつ日本の運命を決定した決断を下した者は、実は、どこにもいないという驚くべき事実に逢着するのである。

そしてその内容は、実は「市民感情が条約に優先した」のであった。「市民感情が許さないから、契約は無視された。感情が批准しない条約は無効であった」。従って提案は受諾され総攻撃は開始された。小規模なら、今も同じことが起こっている。そしてこのことを、最も正しく分析したのはおそらく周恩来であった。彼の対日政策は、非常に的確に「まず感情による批准」へと進められてきた。みごとである※。
以上イザヤベンダサン著「日本人と中国人」祥伝社

※ここで周恩来が見事だといっているのは、この著述が出された当時に田中・周恩来会談が行われ、歴史的な日中国交回復が発表された経緯について山本七平が周恩来の洞察力や行動が見事であったと賞賛しているのである。

この山本の文章でも分かる通り、日本人は論理もなく計算もなく、ただ感情に支配されて行動する民族だという事を繰り返し述べており、その出発点ともいうべき南京攻略戦も最後の焼け野原に至る結末も結局は「感情の充足の為」に他ならなかったというわけである。この分析は非常に恐ろしいが日本人の本質を突いた言葉であるといわざるをえないであろう。

たとえば現在の北朝鮮の横暴をみていて日本人は不安になるけれども、おそらく彼らはかつての日本人ほど非理性的ではないはずである。北朝鮮は軍事力を誇示し続けているが、彼らはちゃんと自らの弱さもしっており軍事行動の限界も計算に入れている。だから彼らは軍事力を具体的に行使せずに外交的な成果を得ること、すなわち俗にいう瀬戸際外交をこれまで一貫してやってきた。

日本はそういった計算すらまったくたてずに闇雲に軍事力を行使し続けた。これは明治の日清戦争以来の連勝気分がそうさせたのであろうが、日本は神国だから負けるはずはないと一億国民に思い込ませたその狂気は世界の歴史上でも極めて珍しい。

私はこの山本七平の「日本人は感情民族だ」という決めつけに深く同意せざるを得ない。感情民族という言葉はおそらくもっとも痛烈な罵倒語であるが、山本ファンでさえその言葉の真意を十分に測りかねているのではないだろうか?

これに関してはまた機会があれば、書いてみたいと思っている。

本項未定です(12月18日)



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