3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

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第一次安倍政権での安倍晋三総理の不都合な国会発言

安倍政権が誕生してから、もうかれこれ2年近くなろうとしているが、ここまで成果らしい成果はほとんど何一つあげていない。最も劇的な成果が期待された拉致問題も暗礁に乗り上げており、下手をすると北朝鮮から引導を渡されかねない状況であり、また政権発足後すぐに「アベノミクス」という造語を(自ら!)作ってその画期的な成果を世界中に宣伝したが、これも暗礁に乗り上げており、日本経済はむしろ物価は上がるが景気は向上しない「スタグフレーション」という最悪の循環に入ろうとしているのではないかという指摘まである。ここまでのところ安倍政権で唯一の成果というと、2020年の東京オリンピック招致を成功させたということぐらいかもしれないが、これも「汚染水は完全にコントロールされています」という見え透いた嘘によって世界を欺いた結果であり、この嘘が将来どのように自らにはね返ってくるのかと思うと、これを単純に成功だと喜ぶのは早すぎるだろう。

日本では「来年のことをいえば鬼が笑う」という箴言があるが、これはおそらく災害が異常に多い国土に住むわれわれの先人の経験からでた警告である。オリンピックが開催される2020年までにはその鬼も笑う「来年」を6回も迎えなければならず、その間にどんな災害が起こるか分からないのである。30年以内にマグニチュード7以上の首都直下地震が襲う確率は70%以上あると公表されてからもう3年になるが、その確率は決して下がったわけではなくむしろ上がっているとみるべきだろう。心配されるのは首都直下だけではない。気象庁が長年警告しているように、近い将来必ず起こると予想されているM8.6~M9クラスの東南海地震も、いつ起こってもおかしくない状況である。

民間の地震予知研究家の串田嘉男氏や村井俊治氏によると、非常に近い将来(来月とか来年!)にM7-8クラスの直下地震が日本列島のどこかで起こる可能性が高いと予想されている。ただし串田氏の場合はその地震は近畿を中心とした地域と限定されているが、村井氏の場合は日本列島の各地でその兆候があるとされている(参考「真実を探すブログ」)。

仮に福島原発の周辺でそれが起こった場合、おそらく汚染水問題は考えられないほど深刻な問題となって到底オリンピック開催どころではなくなるだろう。そもそも原発は震度6強の直下型地震までは大丈夫であるとしているが、それ以上の規模の地震におそわれると想定外となり何が起こるかわからない。仮に(想定内のはずの)震度6強程度の地震が福島原発を襲った場合でも、まだ処理が終わっていない4号機の使用済み核燃料やあるいは耐用年数があと3年程度しかない膨大な量の汚染水タンクはどうなるのか?その程度の事故が起こる確率は非常に高く想定外ではすまないのである。それだけでもオリンピックは開催どころではなくなる可能性もある。

しかも串田氏や村井氏によると震度8クラスの直下型地震が予想されているので、仮にそれが原発の近くで起こってしまうと、日本の半分以上の国土は放射能汚染で人が住めなくなる可能性もある。そんな大きな地震はないだろうと楽観的に考える向きもあるかもしれないが、ここ百数十年というきわめて短い期間に限ってもM8クラスの巨大地震は1923年の関東大震災(M7.9)、1891年の濃尾地震(M8)1854年安政南海地震(M8.4)、1896年の明治三陸沖地震(M8.2)など10回近くも起こっているのである(ちなみに阪神大震災の規模はM7クラスなのでまだ小型であった)。

さらに最近は火山噴火のおそれが富士山をはじめ全国の活火山で懸念されているので、本当にこれから6年先のことなど何が起こるか誰にもわからない。このような恐ろしい災害が予想される状況の中で、なにがなんでも原発再稼働を推進しようとする安倍政権及び経済界の貪欲さにはあきれざるをえない。もう一度大きな原発災害を起こせば日本は福島後になお自国の経済優先のために原発再稼働を推し進めた反省力のない国民だとして世界中から指弾されることになるだろう。いったい、この日本人の反省力のなさはどこから来るのであろうか?これは周囲の状況を客観的に分析せずに、その場の空気だけで物事を判断してしまうという(戦前の軍国化と同じく)過去から繰り返された日本人のどうしようもない習性ではないかという気がしてくる。

3.11の原発災害が起こったときすべての関係者は「想定外」という言葉で自らの責任を免れようとした。あの吉田所長でさえ「マグニチュード9が来ると言っていた人は誰もいなかったので、『なぜ考慮しなかったのか』というのは、無礼千万だ」と開き直っている。

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本当にそうなのだろうか?確かに地震学者や津波学者は東北沖でM9クラスの巨大地震が起こるということを想定していなかった。この想定に基づいて福島原発の防波堤の高さは5メートルでも大丈夫だとされていた。吉田所長はそのような学者の言葉を信じ込み、福島の防波堤を津波が乗り越えてくる可能性を想定していなかったのは「当然だろ!!」というのである。しかし、このいいわけは現場の安全をまかされている責任者としてはいかがなものかと思う。彼はもし5メートルを超える津波が襲来すれば、地下に置いていた予備電源まで水に浸かって使えなくなる可能性も想像ができたはずである。地震学者や津波学者にはそこまでの現場の状況は分かっていない。したがって吉田所長は現場の責任者として、少なくとも予備電源の設置場所を万が一の場合に備えて高い場所に移動しておくべきではなかったのか?そのような想像力も働かなかったのは現場の責任者としての落ち度ではないか?私はこの問題こそ吉田調書の最大の問題点であり、これについていっさい問題にしないマスコミはどうかしていると思う。この問題に比べれば、吉田所長の命令に反して大部分の現場スタッフが12キロ離れた2F(福島第二原発)へ「退避」したことを「撤退」と表現すべきだったのかどうかという問題はどうでもいいような問題である。

吉田所長は約千年前の貞観地震のことは知っていたらしいが、そんな昔のことよりもほんの数年前(2004年)にスマトラ沖で起こったM9.2の大津波のことを知っていたはずだ。この津波は3.11とほぼ同規模の数十メートルの高さであり三十万人近くの人が亡くなったのである。しかもわれわれはその津波の凄さをテレビの映像で何度もみていたはずである。それを知りながら、なぜ吉田所長は5メートルで大丈夫だろうという(一部の)専門家の言葉を信じ込んだのか?せめてスマトラと同規模の津波が襲来すればどうなるのかということぐらいはシュミレーションすべきではなかったか?もちろんそれは吉田所長一人の責任ではなく、安全委員会や保安院及び地震学者、津波学者も含めたすべての関係者に責任があることはいうまでもない話である。

実はこの問題は、なんと安倍晋三氏の第一次政権時代に国会で議論されたこともあったらしい。質問者は共産党の吉井英勝議員である。最近なぜかこの議事録が削除されたという噂もあるらしいが、この議事録の写しは残っているので、たとえ削除されたとしても、安倍晋三氏の発言は消えることはない。

Q(吉井英勝):海外では二重のバックアップ電源を喪失した事故もあるが日本は大丈夫なのか
A(安倍晋三):海外とは原発の構造が違う。日本の原発で同様の事態が発生するとは考えられない

Q(吉井英勝):冷却系が完全に沈黙した場合の復旧シナリオは考えてあるのか
A(安倍晋三):そうならないよう万全の態勢を整えているので復旧シナリオは考えていない

Q(吉井英勝):冷却に失敗し各燃料棒が焼損した場合の復旧シナリオは考えてあるのか
A(安倍晋三):そうならないよう万全の態勢を整えているので復旧シナリオは考えていない

Q(吉井英勝):原子炉が破壊し放射性物質が拡散した場合の被害予測や復旧シナリオは考えてあるのか
A(安倍晋三):そうならないよう万全の態勢を整えているので復旧シナリオは考えていない


これを読めば安倍氏が現在総理大臣としていられること自体がありえないほど重大な無責任発言をしていることがわかる。マスコミはなぜこれを問題にしないのか、野党もなぜこれを追及しないのか不思議でならない。

吉井英勝議員は京大工学部原子核工学科を卒業した経歴をみても分かる通り、この分野の専門知識を持ち合わせた専門家である。彼は実に正確に予備電源の喪失による原発災害の可能性を予測していたことがわかる。これに対して安倍総理の答弁は質問の意味さえ理解せずに、適当に答弁しているとしか考えられない。このとき吉井氏の質問の意味を真面目に受け止めていれば原発災害は防げた可能性は十分にあったのである。特に福島原発の地下に設置していた予備電源を万が一の津波の襲来に備えて高い場所に移していれば、あのような過酷事故にはならなかったはずなのである。

このような重大な議論が国会でなされていたにもかかわらず、すべてを「想定外」ですまそうとした原発のあらゆる関係者は恥を知るべきであろう。しかも、それに対してもっとも大きな責任を負うべき国会議員の一人がいまや日本の最高責任者となり、自らの過去の発言に対して何の反省もなく原発再稼働へ向けてひたすら進もうとするのは、もはや正常な判断力をもった人物の姿であるとは思えない。さらにそれを許しているマスコミと大部分の国民はもはやバカとしかいいようがないのである。

追記:誤解があるかもしれないので吉田調書問題について補足しておきたい。
3.11原発災害後、故吉田所長及び少数の東電スタッフが命賭けで最悪の事態になるのを防いで呉れたことには最大限の感謝をしなければならないと思っている。したがって朝日新聞が彼らに対して根拠もなく「撤退」という表現を使い侮辱したことについては行きすぎであったと感じる者である。また故吉田所長については3.11前の責任問題について追及するのはいささか酷ではないかと感じる向きもあると思うが、私には吉田所長を英雄化しすぎるあまり無原罪化することの方がよほど危険ではないかと思っている。まぎれもなく故吉田所長はフクシマ原発災害を起こした責任者の一人であり、彼もまたわれわれの誰もと同じように誤りを犯す可能性をもった普通の人間だということを忘れてはならない。彼がイエス・キリストや天皇のように無原罪の人物ではありえないということはいうまもないことである。したがって彼の発言を権威化することはしてはならないことだと考える。

本項未定です。

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世論調査の摩訶不思議 日本の常識は世界の非常識?

最近の世論調査をみると安倍政権のこれまでの政策、たとえば秘密保護法の強行採決、来年10月からの消費税引き上げ、集団安全保障のための解釈改憲、汚染水問題への取り組み、原発再稼働の推進、また沖縄の辺野古移転、拉致問題に対する取り組み、あるいはカジノ法案の導入・・・等々、これらほとんどの安倍政権の個別的政策に対する国民の支持は低くなっている。ただし大胆な金融緩和策によってデフレ経済を解消し、経済成長につなげるといういわゆるアベノミクスに対する国民の期待はあったが、その期待もここへきてすぼみつつある。たとえば朝日新聞の最新の世論調査をみると次のような結果になっている。

安倍首相の経済政策で、日本経済が成長できると期待できますか?
期待できる 37%
期待できない45%
来年10月に消費税を10%引き上げることに賛成ですか。反対ですか。
賛成 22%
反対 71%
いま停止している原子力発電を再開することに賛成ですか。反対ですか。
賛成 29%
反対 55%

朝日新聞によると、安倍政権の経済政策に対して2013年4月以降過去7回同じ調査をしているが、「期待できない」という数値が「期待できる」という数値を上回ったことは今回がはじめてであったという。ところが面白いことに安倍内閣の支持率自体は前の調査の支持率(47%)よりも2%微増して49%になったというのである。さらに奇ッ怪なのは少し前に発表された読売新聞の調査によると、安倍内閣の支持率は前回の62%から9ポイント低下して53%に落ち込んだというのである。

朝日の調査はともかくも、読売のこの激しい落ち込みぶり(あるいは、いままでの支持率の異常な高さ)は一体どういうわけなのだろうか?実際、読売新聞の世論調査では朝日や毎日に比べると以前から10%以上高い数字がでていた。当然、そこにはからくりがあるはずだ。聞くところによると、朝日や毎日の場合、「支持する」と「支持しない」いう二つの質問のほかに「どちらでもない」という三択方式である。もちろん、これは朝日や毎日に限ったことではなくどこでも同じはずであるが、読売の場合は「どちらでもない」と答えた人に対してもう一度「あえていえばどうですか?」と問う追加質問をしているらしいのである。いつからそうしているのか知らないが、これによって安倍政権の支持率が通常の世論調査よりも水増しされるというからくりがあったらしい。ただし、今回の調査ではその追加質問に対しても「(あえていえば)支持しない」と答えた人が10%近く増えたということになる。これはいまや安倍内閣の御用新聞と化した読売新聞にとっては衝撃的だったのではないだろうか。

一方、野党寄りの朝日新聞にとっても個々の政策に対する支持が大きく薄らいでいるにもかかわらず、安倍内閣の支持率自体は前回調査よりも2%アップしたのは意外であり別の意味で衝撃を受けたであろう。今回の朝日の調査は安倍改造内閣の女性閣僚が二人辞任に追い込まれるというタイミングで調査されたものであり、当然のごとく内閣支持率も下がるだろうと予想されたはずであるだけに、この調査結果をどう理解すればよいのか悩んでいるに違いない。ちなみに今回の調査でこの二人の閣僚辞任についての関連質問は次のような結果になっている。

小淵さんと松島さんを大臣に任命した安倍氏の責任はどの程度あると思いますか?
大いに責任がある  16%
ある程度責任がある 52%
あまり責任はない  23%
まったく責任はない  7%

安倍内閣の女性大臣5人のうち2人が就任1ヶ月半で辞めました。このことが、女性の活用を進める政策に悪い影響を与えると思いますか。そうは思いませんか。
悪い影響を与える。  42%
そうは思わない。   52%

この結果をみていえるのは、二人の閣僚辞任が安倍内閣の支持率にはほとんど影響していないということであろう。むしろ逆に、こういう小さな問題で足を引っ張る野党やジャーナリズムのやり方に対しては反発のようなものもあるのではないかと思われる。ただし、通常では内閣を改造したあとの世論調査は必ず支持率がアップするという「お約束」(いわゆる御祝儀相場)があるので、今回の閣僚辞任が支持率に悪影響していないとは必ずしもいえない。そう考えると、もし閣僚辞任がなければもう少し支持率がアップしていた可能性もある。

いずれにしても世論調査が示す安倍政権の個別政策に対する支持率と内閣自体の支持率のギャップは「摩訶不思議」としかいいようがあるまい。よく聞く話では、安倍内閣を積極的に支持したいという人はあまりいないが、他に代わる人がいるのかとなると見当たらないので、やむなく支持しているという人が多いのではないかという説明である。それといままでの民主党政権そしてそれ以前の自民党政権でも1年か1年半ももたずに次々と総理が交代するという(国民としては)うんざりさせられた経験が続いたので、当分は「余程のことがなければ、この内閣で辛抱するしかないか」というある種「達観」した見方もあるのかもしれない。

しかし、「余程のことがなければ」という思いは私も同じであったが、もはやその「余程」は限界を超えているのではないかといわざるをえないのである。

短命内閣のあとに出現した本格政権というのは、時としてきわめて危険な政権であるということはドイツのヒトラーやイタリアのムソリーニそして日本の近衛文麿のような例を引きだすまでもないことであろう。アメリカや韓国のような四年任期制という大統領制にすれば一番よいのであろうが、日本には天皇制がある以上それもできない。それゆえ日本の総理大臣はややもすれば大局的な政治ではなく自らの支持率を維持するための「先のことは野となれ山となれ式」究極の自己保身政治になってしまいかねない。多くの識者が指摘する安倍政権が現在やろうとしている危険な経済政策はまさにそれであろう。とにかく支持率を維持するためには株価を落とさないことが最重要なので、そのためには年金資金を使ってでも株価操作に関与してゆくという露骨な市場経済への介入が行われているというのである。びっくりしたのは世界的な投資家ジム・ロジャーズ氏の次の警告である。

「20年後から現在を振り返った時、安倍首相という人物は、日本経済を破壊するとどめを刺した張本人として語られているに違いありません。日本人は早くそのことに気づくべきではないでしょうか。」

今現在の時点で、われわれは安倍政権の円安誘導の経済政策が「吉」とでるのか「凶」とでるのか断定はできないが、確実に言えるのはそれによって潤っている人々は少数者(しかもその多くは外国人らしい)にすぎず、日本経済そのものは円安誘導によってますます弱体化しているという事実ではないだろうか。だからジム・ロジャースのようなプロからみれば安倍政権がやろうとしていることは結局のところ自己破滅に向かおうとしているとしかみえないのではないか。

そういえば数日前(10月30日)、アメリカのFRB(連邦準備制度理事会)はいよいよ金融緩和の量的終了を宣言したが、その翌日には黒田日銀総裁がまるで呼応するように「追加金融緩和の継続」を発表したために、その日の平均株価は一挙に800円もつりあがることになった。しかし、同時に円安が一挙に2円近く進み、前日の108円台から軽く110円台を突破してしまった。このような異常な株価と為替の動きが何を意味しているのか、私にはこれ以上語る知識もないのでやめておくが、仮に株式市場が政権延命の為に利用されているのだとすれば、結果は(ジム・ロジャースがいうように)「凶」とでるしかないのではないかと危惧せざるをえない。

安倍総理の支持率の高さについて、もうひとつ指摘しておかなければならないのは彼が国民のナショナリズムを煽り、それを利用しているということである。私にはこれほど許せないことはないと思っている。

安倍氏を支持する人々によると、「たしかに安倍政権の成果はまだ十分にあがってはいないが、彼がなそうとした積極的な外交は評価できるしまた評価すべきだ」というかもしれない。確かに彼は就任以来、地球儀俯瞰外交とも称される活発な外交を行っており、安倍氏がこの2年間で訪問した国の数は過去最高であるともいわれるので、これは素直に評価すべきではないかというわけである。

しかし、現実にはここまでのところ安倍外交の成果となるとほとんどみるべきものはなく、むしろその外交成果というのは「戦後最悪」と断言してもまちがいない。これは韓国や中国の元首と会談さえできない近隣諸国との異常な政治状況を作り出した事実だけを取り上げてそういうわけではない。確かにそれら近隣諸国との関係だけをみても「戦後最悪」というべきだが、そればかりか欧米先進国からの信頼をこれほど損なった総理大臣も珍しい。この事実は日本のマスコミではほとんど報じられていないが、安倍政権は欧米各国から危険な右翼政権であるとみなされており、この1、2年、世界中から批判されているのである。

半年か一年ほど前に「ドイツで、日本と東アジアはどう報じられているか?」(川口マーン恵美著 祥伝社新書)という本を小さな本屋でみつけて、その面白そうなタイトルについひかれて読んでみたのだが、そこに記されているのはほとんど連日のように安倍内閣がこきおろされているという遠い異国での思わぬ安倍バッシングの紹介であった。面白いのは、この本の著者はそれらのバッシングに同調しているわけではなく、むしろ著者は安倍支持者らしく、それらの安倍バッシングに対して憤慨して、わざわざそれに反論するために本を出版したというのである。しかし反論したいなら、ドイツ語でドイツ人に対して反論すべきはずなのに、それをわざわざ日本語で日本人読者に対して訴えることにどういう意味があるのであろうか(?)と疑問に思っていたのだが、後日、この本が何万部というベストセラーになっているのを知って納得したものである。要するに、この種の「日本が一番だ」という愛国本が最近やたらと売れるので、商魂たくましい出版社が目を付けたのであろう。※ちなみに著者は次のようなタイトルの本も出している。「住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち」「住んでみたヨーロッパ 9勝1敗で日本の勝ち」他(講談社+α新書)

しかし、このような安倍バッシング(あるいはジャパン・バッシング)はドイツだけのことでは決してない。今年四月にオバマ大統領が来日した時も、日本側は何カ月も前から国賓待遇にするための下交渉していたらしいが、昨年の安倍総理の靖国参拝強行によって「失望」という異例の言葉を使って不快感を露わにしたアメリカ側の安倍嫌いは相当根深いものがあり、もはや安倍政権にとっての米国は完全に「片思いの旧恋人」になってしまった観がある。それを周囲に察知されないために、なんとか形だけとりつくろってみせかけの国賓待遇にさせてもらったわけだが、安倍総理はそのために辺野古移設という大問題を約束させられ、そして「村山談話と河野談話の継承」という自らの信念(?)に反することまで表明して(歴史認識問題については)どうとでも解釈できるようなまさに玉虫色の奇妙なカブトムシ状態になって、今後も二枚舌外交を続けざるを得ないというのが情けない安倍外交の実態である。

尖閣問題にしてもオバマ大統領は「安保条約の適用範囲である」ということを明言していたが、これは従来の立場を追認しただけのことであるにもかかわらず、読売新聞などは「大きな成果だ」などと持ち上げた。しかし、その一方でオバマ氏は「米国は中国と強い関係を持っている。米国は中国が平和的に台頭することを支持している」などとわざわざ日本との共同記者会見の場で中国への配慮を示し、安倍政権が志向している中国包囲網の構想に対して強いくぎが刺された形になった。さらに日本側は国賓待遇で迎えたいというのにオバマ氏の方は単身で来日し迎賓館にも行かず寿司店でのそっけない形だけの首脳会話だけで終わったが、その一方でミシェル夫人は子供を連れて中国習金平氏と共に一週間も北京に滞在して家族ぐるみの付き合いをしていたというのである。これは明らかに日本よりも中国を重視しているというオバマ氏のメッセージに他ならないであろう。

また同じ日程で韓国の朴 槿惠大統領とも会談していたが、この会談でもオバマ氏が明らかに日本よりも韓国の方に好感をもっていることは強く印象づけられた。昨年、朴 槿惠大統領が就任早々にオバマ大統領との極めて親密な会談がもたれ、また朴 槿惠大統領は上院議会にも招待されて(名指しこそしていないが)日本の従軍慰安婦に対する対応を非難する演説までしている。従軍慰安婦に対する安倍政権の対応については、第一次安倍政権でも厳しい非難決議が米国議会で出され、今回の第二次安倍政権でもまたまたこの問題に対する安倍氏の対応に対して厳しい批判があったのも当然のことだろう。

最近はドイツやアメリカだけではなく、これまで非常に親日的であったイギリスやフランスでも安倍批判がかなり表面化しているのをみれば、この評価はもはや世界の常識といってもよいのだろう。従軍慰安婦の問題ではオランダやオーストラリアなどからも安倍批判が続いているし、国連の人権委員会では従軍慰安婦問題だけでなくヘイトスピーチ問題でも安倍政権の対応ぶりが厳しく批判されている。つまり、いまや「日本の常識は世界の非常識」といってもよいぐらい安倍内閣は世界から孤立しているのである。

重要なことは安倍政権が誕生するまで、日本が世界からこれほど批判されるということは戦後以来(おそらく)かつてなかったということである。(ただし、正確には、この言い方は正しくない。第一次安倍政権でも従軍慰安婦問題で安倍氏の発言が世界中から批判されていたのであるが。)

ここまでくると国民がバカなのか、それとも安倍氏の取り巻きがバカなのか、あるいはその周りにいる立身出世しか考えない自民党の議員がずるがしこいだけなのか、いずれにしても安倍総理には悪いが「あなたは無能です」とあえて面と向かっていうぐらいの側近議員(顔触れをみるとほとんど可能性ゼロであるが^^)がでてこないかぎり、この裸の王様はどこまでいっても「自分が裸である」ということに気づきさえもしないのではないであろうかと日々思うものである。

補足:面白いことに、かつて「日本の常識は世界の非常識」という言葉を流行らせた保守派ジャーナリストの竹村健一氏が第一次安倍政権時に次のようなことをつぶやいていたという。
「かつて竹村健一は慰安婦問題について、(第1次)安倍政権がこんな不誠実な態度を取り続けるようでは拉致問題をいくら訴えても世界の誰も同情も協力もしてくれなくなる、これは人権問題なんだぞ、という趣旨の批判をしていたんですね。もちろん竹村健一は、朝鮮半島の人よりまず日本人の対外信用を心配してたんでしょう。完全に同意せざるを得ません。全く、日本の常識がますます世界の非常識になりました。いや、世界の非常識が日本の常識になったのでしょうか?「kojitakenの日記」より

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「…んな、あほな」解散?

ここ2、3日の間に突如として解散風が吹き出したという話題で永田町の住人達とその傍らで仕事をしているマスコミ人が大騒ぎをしている。「…んな、あほな」といいたいところだが、しかし、ここまで大々的に解散風が吹き出したという話になると、これは「もはや総理大臣としてもひっこみがつかないはずだ」などという事情通の観測もあるらしく、どうやらこれは本物らしい。

しかし、だとすれば、ますます「…んな、あほな」※である。
※「…んな、あほな」を東京弁に直訳すると、「そんなバカな」ということになるかもしれないが、関西ではもう少し茶化したようなニュアンスがあり、そういいながら同時に相手をコケにする言外の意味もある。

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新聞などの解説によると、解散権は内閣総理大臣の「専権事項」だそうであり、総理大臣は誰の許可もとらずに、一人の判断だけで国民が選んだ議員をたった数語の言葉で失職させることができるのだそうである※。しかし違和感が残るので、ちょっと調べてみると、このような解説はどうやら法律に基づくものではなく、単なる永田町の慣例として行われてきたというだけであり、ますますもってわけがわからない。

※実際は解散権というのは総理大臣にあるのではなく内閣にあるので、閣僚の一人でも反対すると解散権を言い渡すことはできない。それと解散は天皇の国事行為(憲法第7条3項)であると決められているので、万が一、天皇が解散を許可しなければそれは成立しない。

もちろん私が学校時代に習った授業でも、内閣総理大臣に衆議院の解散権があることぐらいは知っているつもりだが、しかし、総理大臣の解散権が認められているのは、本来、国会議員(衆院議員)から内閣不信任案が提出された場合の対抗措置として認められたものであって、それ以外には必ずしもそのような権限が無制限に認められているとは書かれていない。そもそも日本国憲法第41条で「国権の最高機関は国会である」と定められているので、総理大臣がその最高機関の上に立っているかのような独裁的権力を及ぼすことが可能であるとするのは、憲法そのものの理念にも反するものである。

さらに解散権などというものを乱発することが許されているのは、先進国では日本だけであり、イギリスやドイツなどの議会制民主主義の先進国では解散権そのものの行使が封じられているという。なのにこれほど簡単に総理大臣が解散権を行使できるというのは、「国権の最高機関は国会である」という憲法の本来の考え方を著しく歪めるものであり、独裁制にも通じる危険なものではないかと、今回あらためて感じさせられた。この安倍氏の暴挙を機会にして、今後、簡単には総理大臣の解散権を行使できぬような仕組み(又は法律)を作るべきであると私は思う。。

ちなみに内閣総理大臣の解散権については憲法で次のように規定されているだけなのである。

第六十九条[1] 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。

すなわち衆議院で内閣不信任案が可決されたとき、その内閣は総辞職するかまたは衆議院の解散によって「信を問う」という二者択一の行動をとることができると定められているのであり、本来の解散権というのはあくまでもこの「不信任案可決」とセットになって総理大臣の対抗措置として認められているものなのである

ただし、実際はこのような場合以外にも解散権が行使されることはこれまでも何回もあった。誰しも覚えているのは、小泉政権の郵政解散であろう。このときは参議院で郵政法案が否決されたために、衆議院を解散するという憲政始まって以来の異例の解散総選挙であった。この時の強権的なやり方に対しては当然反発も強く、自民党内からも亀井静香氏など造反者が多数出たが、結局、この時の小泉氏の郵政法案に対する異常な執念に多くの国民が共感を示し、選挙では与党が三分の二以上の議席を獲得するという圧勝(これで参議院で否決されても法案が通る)となり、まさに予期せぬ大成功を収めた解散であった。ただし、このような解散権の乱用に対しては憲法違反ではないかという指摘もあり、実際訴訟に訴えたものもいたが、なぜか棄却されている。

解散というと、もうひとつ思い出すのは2年前の野田総理と安倍(自民党)総裁との予算案審議の議論の中で突如として出た、「それなら解散しましょう」という捨て台詞のような言葉で決まった解散であった。これは当時、野田政権の支持率が増税政策によってガタ落ちとなっていて、その中でも財政再建だけはやらなければならないという覚悟をし、自民党・公明党・民主党の三党で解散の約束とセットで合意していた(いわゆる三党合意)交渉経過の中でそのような約束が取り付けられていた結果ではあるが、これはまさに民主党にとっては事前の支持率調査から完全に下野が予想された解散であり、まさに自爆解散であった。ちなみにこの時の野田氏と安倍氏の議論の中で「違憲状態になっている国会議員の定数削減をやりましょう」という約束を安倍氏としたうえで、解散総選挙に突入したはずだが、その後もこの違憲状態は続いたままであることを忘れてはならない。そのような違憲状態のままで解散選挙をすること自体まさに憲法違反であるということは多くの識者が指摘しており、面白いことに当時は読売新聞もそのような批判をしていたのである。

ところがこれらの解散と今回の解散を比較してみると、その憲法違反の度合いは今回の解散の方が並はずれて高いのではないか?まず議員定数が是正されていない違憲状態のままで、さらに選挙をしようというのはこれは明らかに違憲選挙である.。ところが読売新聞はなんと(!)今回の解散には大義があるなどと肯定しているのである。ここまでくるとまさに安倍総理とは「一衣帯水」死ぬまでご一緒しましょうという、露骨なその安倍御用新聞ぶりには舌を巻かざるを得ないが、しかし、そもそも今回の解散に読売のいうような「大義」があろうはずもない。

今回の解散に「大義」らしいものがあるとすると、来年10月に予定されていた消費税2%アップの方針をここへきて延期せざるを得ないから国民に信を問いたいというぐらいであろう。おそらく安倍さんは解散を宣言するにあたって、次のように釈明したいのではないか?

「私が総理になってから長年続いたデフレ経済は劇的に解消され、アベノミクスは徐々にではありますが着実な成果をあげております。しかしながら同時に消費増税の影響によって景気がここのところ中々上向かないという状況が続いていることも事実として認めなければならないところです。したがって安倍内閣では来年10月に予定していた消費増税10%という方針を若干変更し、もうしばらく景気が上向くのを待った方がよいであろうという判断をいたしました。この安倍内閣の判断に対しまして、国民の皆さんの「信」を問いたいというのがこの解散を決めた私の真意であります。私の内閣では必ずや経済成長と財政再建を両方やり遂げなければならないという難しい使命がありますが、この使命は必ずややり遂げるつもりですので、国民の皆さんのなお一層のご支援をお願いしたいところであります・・・」

しかし、このような方針変更は当初から折り込み済みの政策課題であり、そのために「信」を問うということは、これは国民に対して責任を転嫁しようとすることと同じであろう。本当に景気回復と財政再建の両方に自信があるというなら、自らの信ずる道を選択して進めばよいだけの話である。それに対して結果が出なければ内閣支持率が落ち込むだけであり、それでも気にせずに自らが信じるアベノミクス政策を続けることは少なくともあと2年ぐらいはできるはずである。

なぜ一強多弱といわれる、これほど圧倒的な数でしたい放題のことができる状況の中でありながら、解散総選挙という無意味かつ無駄な金と時間を浪費するだけの儀式をやらなければならないのか?これはおそらく安倍さんの中に別の意図があるからだろうとしか考えられない。その意図は今ここで選挙をやった方が後々得だろうという「大義」とは何の関係もない「小賢しい計算」である。すなわち、いまのうちに解散すれば自民党は多少の議席を減らしたとしても、さらにあと4年の間圧倒的多数党であることを確保でき、自らの政権も都合6年間維持することもできる。これはかつての佐藤総理(安倍氏の大伯父さん)のような大総裁になるということである(そういえば最近、大伯父さんと顔も似てきたし・・・)。

仮にそう考えているのだとすると安倍晋三という人物はいかがわしいよからぬ人物であるということになる。小沢一郎のいかがわしさについては以前にも書いたが、この安倍晋三という人物は別の意味のいかがわしさをもった人物ではないかと思わざるをえない。小沢氏のいかがわしさは政界の壊し屋と呼ばれたごとく、自分の派閥を最大化させるために自ら所属する党を次々と壊すようなことを何度もやってきた。その動機は少しでも権力の座に近付きたい(またはその座を維持したい)という自己中心的欲望に他ならない。ただし、小沢氏はその大胆な行動によってカリスマになった人物であり、彼のカリスマ性にはそれに伴う実力があったことは素直に認めざるを得ない。

一方、安倍総理にはそういったどす黒いほど波乱万丈な小沢氏の生き方とは正反対である。どちらも二世(又は三世)議員ではあるが、安倍氏の場合はお爺さんと伯父さんがいずれも歴史に名を残す大権力者になっており、それが彼のカリスマ性に大きな影を落としていることは想像できる。問題は彼のカリスマ性が先代の後光にすぎない可能性が高いということである。つまり安倍氏は自分自身で大した努力もせずにいつのまにか自民党の総裁の座を射止めてしまったのである。そこにまで至る苦労というのは安倍氏の場合はほとんど感じられない。幼少時からまるでお殿様のように育てられて、自民党の議員になってからもお爺さんと伯父さんの後光のおかげで特別な待遇を自然と周りから受けて育ってきた。もちろん自民党議員には(小沢氏や小泉氏も含めて)二世議員が多いのだが、他の二世議員に比べると、明らかに格の違いがあり、彼はおそらく自分に対する批判というものを聞くこともないぬるま湯的環境の中で地位を築いてきたのであろう。

このような人物が自然と抱くのは強烈な「自己愛」である。周囲がおだててくれるのをいいことに、そのおだてに乗って誰にでもある「自己愛」がどんどんと成長してゆく。その結果がどうなるか?北朝鮮の金一族をみればよく分かる。金正日にしても金正恩にしても、もともと金日成の後光によってその地位を受け継いだにすぎない。金日成はそれなりの大人物であったが、息子とその孫は常に自分の周囲にイエスマンしかもたない環境の中で育てられた。その結果、「自己愛」だけが肥大化し自分を客観的にみることができなくなってゆく。昨年、金正恩が自らの側近を次々と粛清していったのは「自己愛」を肥大化させた権力者の恐ろしさを物語っている。自己愛を肥大化させてしまった人間は決して他人を愛することができない。そのような人物が最高権力者になると、恐ろしい粛清が起こるのは人類の歴史が証明している歴然たる事実である。

もちろん日本は議会制民主主義の国だから、同じような粛清劇が起こることはありえないが、しかし安倍総理のこの前の内閣改造や今回の解散劇をみていると、すでに異常なまでの自己愛的権力者の姿がかいまみえるような気がする。安倍氏の組閣は第一次政権の時から常にお友達内閣と呼ばれた。つまり自分の周辺にはライバルを決して置かずイエスマンばかりを配置するというやり方である。この安倍氏のやり方は一貫しており、第二次政権になってからはそのやり方がさらに露骨になっている。先の改造劇ではいずれ自民党総裁選で安倍氏のライバルになると予想される石破氏を下野させることなく閣内に取り込みながらも、急ごしらえの地方創世相というポストに起用して結果的にライバルの党内影響力を最小化させている。その一方で自らの周辺の重要ポストには高市氏、稲田氏、山谷氏らの女性右派グループで固め、逆に党内バランスの為に自らのグループとは縁遠い小渕氏や松島氏らの女性閣僚を配置したが、その安易さが裏目に出たというので彼女らをいともあっさりバッサリと切り捨てた。

また安倍第二次政権になってから彼は自分の周辺だけではなく、マスコミにもそのやり方を広げようとしてきた。NHKの経営委員に自らのお友達を起用し、早速その力を行使させてNHKの会長人事まで握ることになった。さらには新聞社社長やテレビ局社長とは定例のように何度も会食を重ねている。

今から思えば菅元総理を海水注入問題で追い詰めた情報源は安倍晋三が確認もなく菅元総理を貶めるために意図的に流したガセネタであった。この悪質なガセネタ事件は現在でも刑事事件として係争中である。この一件をみても分かる通り、安倍晋三という人物は決してウソがつけない誠実な人物ではなく、むしろ狡猾でずるがしこい人物である。あの東京オリンピック招致の際にも、「汚染水は完全にコントロールされています」という大嘘を平気で公言していたのを見ても彼の人となりがわかると思う。

今回の前代未聞の解散総選挙という愚挙によっておそらく彼は墓穴を掘ることになるだろう。そのようなリスクも予測できないのは、もはや客観的に情勢を分析する能力も欠くほど彼の脳みそが「自己愛」で冷静さを失っている証拠ではないであろうか?外交も経済も集団的安全保障も拉致問題も汚染水問題も原発再稼働問題も辺野古移転問題でも、さらに夢想だにできなかったイスラム国問題やウクライナ問題でも自らの政策がほとんどすべて「八方ふさがり」という状況の中で死中に活を求めようというのが、安倍氏の本音なのかもしれないが、そのような考え自体がいずれにしても「自己愛」政治の破たんであるということを思い知ることになるのではないであろうか。

ついでながら今回の解散について思いつく限りのネーミングをしてみた。

・「…んな、あほな解散」
・「意味不明解散」
・「動機わからん解散」
・「あざとすぎる解散」
・「大義なし解散」
・「自己愛の末路解散」
・「八方ふさがり解散」
・「増税ごまかし解散」
・「読売と心中覚悟解散」
・「失政隠し解散」
・「小賢しい解散」
・「本音丸わかり解散」
・「国民に責任転嫁解散」
・「投げやり解散」
・「総理の留守中解散」
・「安倍さんレームダック化の始まり解散」
・「民主党にチャンスあげましょう解散」
・「殿ご乱心あそばされるな解散」
・「一度はやってみたかった解散」
・「本当はやりたくなかった解散」
・「あと4年まかせてよ解散」
・「自民党のみなさんごめんね解散」
・「本当は民主党が大喜び解散」
・「次世代の党は死ぬしかない解散」
・「維新の会も弱るしかない解散」
・「みんなは分裂しかない解散」
・「生活の党は小沢氏一人になるでしょう解散」
・「日本共産党は相変わらず頑張ってるでしょう解散」
・「結局は安倍総理による安倍総理の為のわがまま解散」
・「これは600億円を使ってスリルを楽しむただのお遊びなんです解散」
・「国民がバカではないことが証明されるかもしれない解散」
・「やっぱり国民はバカだと証明されるかもしれない解散」


追記(11.18 12:40)
先ほど日テレのニュースゼロでの安倍総理の録画インタビューをみていて驚くべき言葉を聞いたので、ここに記しておく。会談のはじめに村尾キャスターが「この解散はいつ頃決断したのですか?」と聞いた。すると安倍総理はほんの少しの間をおいて、なんと次のように答えたのだ。

「まさに今日決断したのです」

あのオリンピック招致のときの演説と同じように、まさにMr.シラーとでも呼びたい誰にでも分かるウソ八百である。しかし、そう答えた安倍総理の表情はオリンピック招致のときのような元気がなく心なしか青ざめており、いわゆる目が泳いでいるような感じで終始おどおどして落ち着きもない。

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村尾キャスターもびっくりしたのではないだろうか?日本の総理大臣がこんな誰でも分かるウソを平気で付く人物であり、しかもそのウソの付き方があまりにもみえすいているばかりでなく、自分でもウソがバレてるんじゃないだろうかと心配して内心でドキドキしているとは・・・。

今回、安倍総理の外遊中に吹き出した解散風が安倍氏自身の意思でなくて一体誰が決めたというのか?しかし、総理は帰国するまで「私は一度も解散について言及したことはありません」としらばくれていた。この間、外遊中の安倍総理自身が解散風を吹かせていた当の自民党の一部議員たちに電話で自らの意思を伝えていたという事実がなければ、勝手に解散風が吹くはずがないというのは素人でもわかる理屈である。もちろんそんな裏があることぐらいは村尾氏にも分かっているはずだし、安倍総理自身もマスコミの了解事項だと思っていただろう。ところがそんな当たり前のウソを不意に突かれて、安倍氏は適切な答えが浮かばなかったのかウソの上にさらに上塗りのウソをついてテレビの視聴者をごまかそうと咄嗟に思いついたのであろうか?「実は解散については一週間ぐらい前から決断していました」と正直にいった方がよほどよかったであろうに。

お友達の読売新聞に近い日テレから、そんな不意を突くような質問がでるとは思いもしなかったのであろうか。しかし、村尾氏はさらに安倍総理を問い詰めるような目で厳しい質問を繰り返し、安倍総理はほとんど狼狽しているのではないかと思うぐらい彼の目は泳いでいた。安倍さん、そんな小心さで大丈夫なんですかとつい心配したくなるほどであった。

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世界の一流紙から批判される読売新聞

読売新聞社が昨日だした過去の慰安婦報道に関する極めて奇妙な謝罪の件で、早速、世界の一流紙から批判が殺到している。批判しているのはワシントンポスト、ニューヨークタイムズ、BBC、ガーディアン・・・という超一流紙である。念のためweb上にアップされているワシントンポスト記事を翻訳してみた。きわめて拙い訳であるが、参考にしていただければ幸いである。私の予感ですが、この安倍御用新聞社の失態は選挙後の安倍(?)外交にも影響するのではないかという気がします。中国や韓国だけでなく、欧米の安倍政権に対する見方はさらに厳しくなるでしょう。それほどこれはバカげた謝罪だと思います。世界中に日本の名誉を貶めているのはまさに安倍総理と読売新聞だということになるのではないでしょうか。これは初歩的な疑問ですが、読売新聞社のスポークスマンは、一体、英語の‘comfort women’がどういうニュアンスで伝わるかということをわかっているのでしょうか?

リンク
「性奴隷謝罪」を報道 米欧メディア(日本語)
ワシントンポストの記事)英語)
BBCの記事(英語)
Voice of America
ニューヨークタイムズ
Bloomnerg
ガーディアン
まだまだありますが・・・また調べてみます。

以下はワシントンポストの拙訳

日本最大の新聞社読売新聞が「性奴隷」という表現を使ったことに対して謝罪

日本最大の新聞社、読売新聞は「性奴隷」という言葉を使ったこと及び第二次世界大戦中に日本軍の売春施設で「強制的」に女性を働かせたという不適切な表現を使ったことに対して読者に謝罪した。

保守色の強いこの新聞社はその代わりに「慰安婦comfort women」という婉曲な表現を使った。

この「驚くべき!」(アナリストの指摘)動きは、安倍晋三総理によって戦前の日本を再評価し、その歴史によりよい光をあてるために広範に宣伝されてきた。しかし、これは疑いもなく中国や韓国との険悪な関係をさらに悪化させるであろう。

英語版の読売新聞(Yomiuri NewsPaper)とそのウェブサイト(Japan News)の金曜日の社説で次のように書いている。1992年2月から2003年1月まで、英語版で記された85件の記事で「性奴隷」という言葉が使われていたことが判明した。これは非日本人に対して「慰安婦」という表現が理解しづらいためであった。また「性奴隷」という言葉を使わなかった12件の記事もあったが、あたかも日本政府及び軍による強制があったかのような「軍によって強制」という表現を使っていた。

読売新聞はこのようなミスリードに対して謝罪し、それらの表現は不適切であったということを留意する言葉を付け加えると述べている。

「慰安婦」問題は特に日本の隣国である韓国に対して非常に扇情的な問題であり、韓国民にとっては植民地の支配者によって傷つけられた問題だとして現在でも言い争われている。

その実態は不明確で実証するのも難しいが、歴史家の間では、約20万人の韓国や中国、フィリッピンなどのアジアの国々の女性が日本の占領軍によって強制されたという認識が共有されている。

日本政府の調査によって1993年にだされた(河野)談話では、「意思に反して募集された」という表現を使い「慰安施設で性的サービスを強制し惨めな生活をさせた」という結論をだしている。最保守派の人々はその談話は修正すべきであり撤回すべきであるとしてきたが、安倍総理は「継承する」と述べていた。

読売新聞は今回の訂正理由を示していないが、スポークスマンによると、この9月に左翼的な朝日新聞社が200人(2000人の間違い)の韓国女性を拉致して強制連行したいう男性の証言を撤回したことがきっかけであるとしている。読売新聞社によると、問題は軍用車によって連行された慰安婦がいたのかどうかということではなく、朝日新聞の報道が内外に正しくない観点を与え拡散したことにあるという。

読売新聞の用語によると、(彼は匿名である)この言葉(つまり「慰安婦」)は日本では慣用的に使用されているという。

朝日新聞の撤回は多くのナショナリスティックな保守派によって性奴隷の歴史が捏造されたものであり、彼女たちは単純に売春婦であったという暗示に使われている。

上智大学の中野コウイチ教授によると、日本政府は慰安婦問題というのは朝日新聞のでっちあげだという暗示を国民に与えることに努めているという。

安倍=ナショナリストは朝日新聞の誤報をきっかけに日本を普通の国にしたいとほっしており、彼の側近菅氏も同様だ。

安倍氏は朝日の誤報によって多くの人が苦しみ、日本の国際的な信用をだいなしにしたと述べており、菅氏は虚報は正しい歴史認識に修正されることを希望すると述べている。

来月の解散総選挙のマニフェストで、安倍氏が属する自由民主党は不正に非難されてきた日本の名誉を回復する(それは必ずしも慰安婦問題だけではない)ことを目指すとしている。

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稀代のペテン師=安倍晋三 十の重罪

考えてみれば、当ブログで取り扱った内容のほとんどが安倍政権の問題にふれてくることに思い至る。当ブログをはじめたきっかけは3.11福島原発事故からわずか一カ月後の危機的状況の中で始まったおぞましい菅降ろしの政局であった。その最大の仕掛け人は小沢一郎であったが、もう一人、陰で菅降ろしを画策していたのが実は安倍晋三である。菅氏を最大の窮地に陥れたいわゆる海水注入問題でデマを流していたのが誰あろう安倍晋三であった。そのデマによって、まるで菅総理が原発事故を起こした張本人のような言い方をして、魔女裁判のように異様な菅降ろしが始まった。それが明らかなデマであるということは菅元総理が刑事告訴という自らにも火の粉が降りかかってくるかもしれない訴えを起こしたことをみても事の重大性がわかる。しかしその当時の私は小沢一郎の悪巧みついては当ブログでも何度か書いたが、安倍晋三については比較的誠実な人物だと誤解していたために、安倍晋三が悪巧みを企んでいるということにはまったく思い至らなかった。今思えば、当時から彼は虎視眈々菅降ろしの成功後に自分の順番が回ってくることを確信していたのであろう。

今になってはっきり断言できるが、安倍晋三という人物は稀代のペテン師である。彼は小学校2年生のころから東大卒の先生が家庭教師につきガリ勉をやり続けたが、学校の成績はさっぱり伸びず大学は私立の中堅校に受かるのがやっとであった。勉学に関しては信じられないほどの素質のなさといってもよいであろうが、しかしそんな人間に限って別の分野で才能をもっていることが多い。誰しも気づくと思うが、安倍晋三の演説をきいていると滑舌が非常に悪く、言っていることはほとんど決まったフレーズであり、これは出来の悪いガリ勉生徒の「なんとかの一つ覚え」に近い。こういう人は応用問題になると答えがみつからず、どう答えればよいのか分からないので、しどろもどろになりやすい。先日の日テレNEWSZEROやTBS ニュース23のインタビューでヒステリックなほど狼狽しているようにみえたのは、応用問題ができない生徒の焦りにも似ているのではないか?

しかし、安倍総理が今日の地位にありつけたのは、そのような頭の悪さを別の才能でカバーすることができたからではないかと思う。その才能と言うのはズバリ「ずる賢さ」である。自分の利益のためには平気でまことしやかな嘘を騙る。あのオリンピック招致の際の演説を思い出してほしい。あれは誰がみても「嘘」にしかみえないはずだが、そのような「嘘」を堂々と表情一つ変えず吐けるというのは、これはもって生まれた才能にちがいない。まるで歌舞伎役者が演舞の締めに見栄を切るような表情で「汚染水は完全にコントロールされています」とシラーッと言ったときには、まるで会場がその「嘘」に「嘘」と知りながら魅了されているかのようにみえた。

安倍総理のある種の才能というのは自分に有利な状況を作り出すためには手段をえらばないというほど功利的な行動ができるという点にあるのではないか。たとえば昨年、松井選手と長島茂雄氏に国民栄誉賞を渡した時、ピッチャー松井、打者長島、そして捕手は安倍晋三という、あまりにも分かりやすい国民的人気スターにあやかる舞台が設定された。普通の人ならそんなみえすいた舞台を設定するのは気恥ずかしくてできない。もしそんな芸当ができる人が他にいるとすれば、かつての中曽根総理か小泉総理であろうが、おそらくその演技力たっぷりなお二人でもちょっと躊躇せざるを得ないほどみえすいた設定である。しかし、安倍総理にはそれが苦も無く自然にできてしまう!これはなぜだろうかと考えると、やはり彼のもって生まれた功利的な才能の出ずるところではないかと思わざるを得ない。

安倍晋三という人物には単純にそうすることが「有利」か「不利」かという判断基準しかなく、その意味では非常に単純な人間であるが、ただ普通の人なら逡巡するものでもそれが「有利」であるとみると、良心の呵責もなくその行動を選択できる。つまりたとえそれが「嘘」であっても、その「嘘」をつくことが自分に「有利」になると判断すれば、平気で「嘘」がつける。天性のペテン師という理由はまさにそこにある。

今回の意表を突く解散総選挙にしても、事前に世論調査をしたうえで必ず勝てるという功利的な計算に基づいてなされており、これは前にも書いたように憲法69条の解散規定に逸脱する脱法行為であるが、こんな無茶苦茶な選挙を自らの外遊中に側近たちに指示しておきながら、帰国後のインタビューで「いつ頃から解散を決めていたのですか?」と問う日テレ村尾キャスターの突然の質問に対して、(それまで「解散について私は一言も言ったことはない」と公式に表明していた手前)「解散はまさに今日決めました」と平気で嘘をつくその厚顔さにはさすがの村尾氏もあきれたような顔をしていた。

同じ違法な解散総選挙でも小泉元総理の郵政解散のときと比較してみると今回の解散の違法性はよりきわだっている。小泉氏の場合も確かに無茶苦茶な解散であったが、しかし彼の場合は事前の世論調査とかをすることもなく、自らの信念にしたがって純粋に国民の声を聞いてみたいという解散であった。そこには安倍総理のようなずる賢い計算は見当たらない。あのときの国民は小泉氏の思いつめたような純粋さに支持の一票をいれたのであろう。しかし今回の解散は今選挙をやれば負けることはありえないという事前の調査結果を確認したうえでの計算づくの解散である。しかもこの選挙によってあとプラス4年の長期政権を維持できるという、まさに国民をなめきったような違法選挙である。衆議院の解散という総理大臣の権利(この権利は本来内閣不信任案決議の対抗措置として認められているだけである)をここまで拡大解釈し、それを独裁政権維持のために利用するということは、国権の最高機関であるべき国会を著しく軽視した権力の暴走であると批判されなければならないであろう。

※今回の解散については小林よしのり氏が憲法に基づいて実に適切な批判を行っているので、参考にされたい。
ゴーマニズム宣言

安倍総理はおそらく総理大臣という仕事はときに嘘も平気でつかなければ国益を損なってしまうというような信念でも抱いて平気で嘘をつきまくっているのかもしれないが、だとすればそれは勝手な自己弁護にすぎない(なぜなら本当に正直な人は嘘をつけば得であると知りながらもつけないものだ)。むしろ彼の平気で嘘をつけるその天性の才能こそが、まさに彼を現在の地位につけたのであり、そしてさらにその地位をあとプラス4年も伸ばそうなどと言う不遜な企てを成功せしめようとしているのだから、善良な国民にとってはまさにこれは「災難」という他にない。

もちろん政治家というのは大半が多かれ少なかれペテン師である。ただ多くの政治家は頭のよさや良識が邪魔をして、そうすることが自分に「有利」であるとは分かっていても、中々、そうすることができない。どうしても周囲の評判とか失敗の恐れとかを気にかけて、ややもすればそうすることが「有利」であると知りながらも消極的になる。このタイプの政治家はたとえば宮沢元総理とか海部元総理、福田元総理(親父も二代目も同じタイプであった)あるいは河野元自民党総裁、加藤紘一議員…等々の面々が浮かぶ。彼らはいずれも頭がよく性格もおしなべて善良であり、その分役者的なはったりができないイメージがあった。しかし国民はそういうどちらかというと善人タイプの総理大臣を持つことはあまり好ましく思わないようだ(このあたりはロシア人の代々の指導者とよく似ている)。

安倍総理の地球儀俯瞰外交といわれる精力的な外交手腕が評価されることがあるらしいが、これは私にいわせればめちゃくちゃである。安倍総理の外交はことごとく失敗している。ロシアのプーチンと仲良くし、あわよくば北方領土返還を実現させた総理として歴史に名を残したいところであったが、ウクライナ危機によってどうしようもなくなった。彼の外交がひどいのはロシア軍が大量の軍隊をウクライナへ送り込んだ時点でさえ、なんら危機感もなく、今までどおりの親ロ外交を続けられると思い込んでいたことである。国際情勢が変わっているのに、その変化の意味がまったくわかっていない。この辺は応用問題ができない頭の悪さから来るものであり、どうしようもない。最後にはアメリカやヨーロッパからお灸をすえられてはじめて気がつくという頭の悪さである。

北朝鮮の拉致問題にしてもそうである。「わたしの政権の間に必ずこの拉致問題を解決します」という、例のごとく大見栄をきっていたが、そもそもこの問題がかかえている国際環境の深刻さというものがわかっていない。安倍総理の功利的な頭の中では、金さえ出せば北朝鮮も交渉に応じるようになるだろうと踏んでいたが、相手はそのような計算をはるかに上回る政治的駆け引きをしてくるのが得意な国なのである。相手は相手でこの交渉を日本側の思惑とは別の思惑で使おうとしており、それは安倍総理が考えるような大団円で終わるはずがない。もし拉致問題の解決の為に何千億円あるいは何兆もの金が北朝鮮に渡されれば、北朝鮮はその金でますます核開発にはずみがつくだろう。そうなると日本の政策はアメリカや韓国、そして(現在では北朝鮮と敵対している)中国との関係も悪くなることは必定である。しかし、単細胞の功利主義者安倍総理の目には目前の「有利」か「不利」かという二者択一的な視点しか持ち合わせないので、拉致問題の交渉で周りの国々から批判されることの意味さえ分からないのである。

安倍総理は非常に計算高い功利的な人物であるが、本質的には単細胞(すなわちバカ)で複雑な思考ができない。だから安倍総理は常に「有利」か「不利」かという二つの選択肢しか頭に思い浮かばない。

日本がインドやトルコ、ブラジル、ミャンマーなど、海外の国々へ行って新幹線や原発技術を売り歩くというトップセールスを展開するのは、国益のために結構なことではないかと多くの国民は支持しているようだ。おそらくこのような外交の得点が安倍政権の支持率の高さにつながっているのであろう。これは安倍総理の功利主義が国益そのものにつながると思われているのだろう。しかし、新幹線はともかくも原発技術を海外に売り歩いてまで日本は自国の利益を追求しなければならないのか?このような道徳的非難が、日本人の間でよりもむしろヨーロッパで強くなっている。特に原発開発に積極的なトルコというのは日本と同じ地震大国である。そしてトルコは将来EUの一員になるかもしれない、ヨーロッパにとっては重要な国である。そんな近くのいつ大きな地震が起こってもおかしくない国で原発を次々と開発されてはたまったものではない。現在、ほとんどのヨーロッパ諸国で進んでいる脱原発の流れに、わざわざ福島で大事故を起こした国の総理が来て原発開発をすすめるようなことはやめてほしい。おそらくヨーロッパの国々はそう思っていることだろう。

安倍政権の外交というのはかくも頓珍漢なのである。しかし、多くの国民はそのことに気づかず、彼の嘘にそれを嘘と知りながらも、騙されてみるのもいいじゃないかとのんきに構えている。このような基本バカで生まれながらのペテン師としての才能だけで総理をやっているような人物をこの先四年も総理で居続けられてはたまったものではない。

安倍政権はまちがいなく戦後最悪の政権である。そのように断じる理由を以下「稀代のペテン師=安倍晋三 十の大罪」として今後も記憶にとどめるために整理しておきたい。

稀代のペテン師=安倍晋三 十の大罪
1.安倍第一次政権の時代に二重のバックアップ電源喪失の可能性による原発事故の可能性をなんら想定しなかった罪。

前にも紹介した共産党吉井英勝議員の質問に対する安倍総理の返答を再掲しておく。このような発言をしている人物が福島原発事故以後も総理大臣でいられるというのはおそらくヨーロッパ諸国(否、その他の国でも)では考えられないことであろうが、この国ではまったく問題にもされていないというのは日本人の民度が疑われても仕様がないであろう。当時は誰も原発事故は想定していなかったというかもしれないが、しかしこの答弁のわずか2,3年前にインドネシア・スマトラ島でマグニチュード9.1の巨大地震と津波が襲っている。その津波の犠牲者は25万人を超えているのである。津波の高さは福島のときと同様数十メートルもあり、同程度の規模の津波が襲った場合の想定は当然、日本政府がしておかなければならなかったはずである。少なくとも共産党の議員からこのような指摘を受けたときに、なんらかの対策を講じていれば福島原発事故は防げた可能性があった。したがって安倍総理は福島原発事故を招いた最大の責任者の一人であったといっても過言ではない。少なくとも福島原発事故前にこのようないい加減な答弁をしていた彼は総理大臣になる資格はまったくなかったはずである。

Q(吉井英勝):海外では二重のバックアップ電源を喪失した事故もあるが日本は大丈夫なのか
A(安倍晋三):海外とは原発の構造が違う。日本の原発で同様の事態が発生するとは考えられない

Q(吉井英勝):冷却系が完全に沈黙した場合の復旧シナリオは考えてあるのか
A(安倍晋三):そうならないよう万全の態勢を整えているので復旧シナリオは考えていない

Q(吉井英勝):冷却に失敗し各燃料棒が焼損した場合の復旧シナリオは考えてあるのか
A(安倍晋三):そうならないよう万全の態勢を整えているので復旧シナリオは考えていない

Q(吉井英勝):原子炉が破壊し放射性物質が拡散した場合の被害予測や復旧シナリオは考えてあるのか
A(安倍晋三):そうならないよう万全の態勢を整えているので復旧シナリオは考えていない


2.福島原発事故で故意に根拠のないデマを流し当時の菅総理を誹謗中傷した罪。

この件については先にも述べたとおり、菅氏が安倍氏を名誉棄損で刑事告訴しており、現在でも裁判所で係争中であるが、先の吉田調書でも明らかになった通り、吉田所長に海水注入の中断を命じたのは東京電力の武黒フェローであったということが明白になっている。にもかかわらず安倍氏は菅総理が海水注入の中断を指示したのだと勝手に決めつけて自らのブログで発信し続け、この安倍氏が流したデマによって「菅総理こそ原発事故を招いた張本人だ」という菅総理に対するあらぬ非難の声が洪水のように沸き起こった。これは火事場泥棒的な政権転覆のための意図的中傷であり、それによって彼が今日の地位にあるとすればなおさらこれは許されるべきことではない。

3.原発汚染水は100%コントロールされているという大ウソをついて世界を欺いた罪。

これについては誰もが認める「嘘」であり、でなければ驚くべき「無知」である。福島原発の汚染水問題はコントロールされるどころか、現在でも海水中及び地下水脈中に広がり続けているし、汚染水タンクはあと2年か3年の耐久性しかなく、地下水を封じ込める凍土壁の構想も破綻している。そもそもメルトダウンした莫大な量の放射性核燃料はあのチェルノブイリ事故の数倍もあると想定されており、依然としてそれが実際にどれほど地下水を汚染しているのかということも分からない。この先もどのように処理していいのか根本的解決策はなく、具体的な計画も描かれていない。仮に汚染水タンクが破損するほどの大きな地震がおこると、汚染水のコントロールはもはやどうしようもなくなり、そうなるとオリンピック招致どころではなくなる。そもそも日本はオリンピックなどよりもっと大事なことが山ほどあるはずだが、いつまでも大国主義の幻想にひたりたい国民には安倍総理の「嘘」は頼もしい「嘘」として見えたのであろうか?

4.憲法に違反する靖国参拝を支持率UPに利用し続けた罪。
いうまでもなく靖国神社は一宗教法人である。憲法20条はすべての国民に信教の自由を保障しているが、同時に「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と規定されている。にもかかわらず、安倍晋三氏及び彼が任命した閣僚たちは公然と国民の代表として靖国参拝をしているが、その行為自体が憲法違反なのである。靖国神社は本来、戦争で亡くなった遺族たちのための慰霊施設であり、いうまでもなくその遺族たちの慰霊の思いは純粋で尊いものではあるが、国家機関がその施設を護持すべきものであってはならないと憲法は規定している。この憲法の規定が内包しているのは靖国神社が日本の過去の戦争の思想的バックボーンとして侵略戦争に加担していった歴史に対する深刻な反省である。しかも1978年にA級戦犯が合祀されて以来、昭和天皇がこれを非常に憤り、「だから私はあれ以来参拝しない」とまで侍従長にいわれたという記録が残されている。にもかかわらず、安倍晋三氏及び彼のお友達が参拝を強行するのは、そうすることがなんら国民から批判されず、むしろ支持率アップが期待されるということを知っているからである。しかも、そうすることで国民のナショナリズムを煽り、隣国との関係を損なうことも承知のうえでなされているのだとすれば、これは由々しき罪であるといわねばならない。

憲法20条
1.信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2.何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3.国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない


補足であるが、この憲法20条第2項の「何人も宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。」という規定にも靖国神社はそむいている。これに関して故山本七平氏が次のようにのべている。

(靖国神社は)ナショナルシュラインと誤解されているようだが、決してそうではなく、なんびとも靖国参拝を強制されてはならない。日本国憲法は「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」と明記されているから、もちろん靖国神社にも保障されている。だが同時に憲法は「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」と明記している。戦犯を祀った神社などに参拝しないという人もいるであろう。靖国神社への合祀を取り下げてくれという人もいるであろう。それは各人の自由である、と。こういえる状態にあるとまず靖国神社自身が明言すべきであろうー信教の自由を主張されるならば。
自らが「信教の自由」を主張するなら、他人の信教の自由も尊重すべきである。「厚生省から祭神名簿がきたら自動的に合祀する。合祀したものは一枚の座布団に座っているから、霊璽簿からの分離は絶対にできない」は国家を背景とした強制であろう。
純然たる一宗教法人なら、他の宗教感情を無視したそのような強制はできない。簡単に言えば、ある宗教法人の名簿から、信教の自由を無視して、たとえば遺族が要求してもその名をはずすことを拒否しうる宗教法人などあれば不思議である。(「戦争責任と靖国問題」さくら舎)P40-41


5.河野談話と村山談話の見直しをほのめかし、過去の帝国主義戦争と植民地政策によって多大な迷惑をかけた中国及び韓国との和解の枠組みを毀損しようとした罪。

安倍政権は第一次政権でも第二次政権でも、発足と同時に村山談話と河野談話の見直しを自らの政治目標として掲げようとした。このようなことは自民党のかつてのどの総理もいわなかったことである。特に河野談話と村山談話は日本人の総意としての謝罪を表明したものであり、だからこそ代々の総理大臣がこれを継承するとしてきた。つまり、安倍内閣でこれを見直すということは日本人がもはや謝罪の意思はない、あるいはいつまでも謝罪するのはもう御免こうむりたいということの表明に他ならない。こんな極右の妄想史観がまかりとおっていいはずはない。安倍総理はまた就任早々、「侵略戦争の定義はない」などと発言し、アジア諸国に多大な迷惑をかけた戦争をあたかも正当化するような発言までしている。安倍氏の想いの根っこには戦争を正当化したいと思っているのではないかという周囲の国々の疑惑が起こるのは当然であろう。

ここまで関係が悪化しているにもかかわらず、安倍内閣の支持率が落ちないということは、要するに国民は隣国との関係はもうどうでもいいと思っている証拠であろう。これは非常に危険な兆候である。ロシアのプーチン大統領もウクライナに軍隊を派遣してから支持率が急速にアップしている。隣国との緊張が高まれば高まるほど、あるいは戦争の危機が深まれば深まるほど、その政権に対する支持率はどの国でも高くなる。安倍総理はそういう読みについてはしたたかに計算し、隣国との関係が悪化しても損することはないと高をくくっているのであろう。しかしよく考えていただきたい。

韓国も中国も昔に比べればはるかに民主的になり、いまや先進国の仲間入りをした国である。中国の場合はたしかにまだ共産党の一党独裁制が続いており、民主化されたとは言い難いが、しかしそれでも一昔前に比べれば、きわめて国民の生活が豊かになり、そしてまた表現や言論の自由も宗教の自由も少しずつではあるが改善されつつある。さらに習近平氏が主席になってから中国は腐敗の一掃などの大改革を次々にやりとげている。これはアメリカなども認めるところであり、だからこそ米中関係は良好になってきたのである。反対に、それまではもっとも近かった北朝鮮とは縁を切り、いまや欧米との友好関係の方をより重視するようになってきた。これは大きな時代の変化である。

また韓国は二十年ほどまえまでは軍事独裁政権のなごりがくすぶり続ける問題の多い国であったが、いまや先進国の仲間入りをしている。特にテレビや携帯電話などのシェアでは世界一の国になっており、また他の電子機器や映画や音楽などのエンターテインメント分野でもいまやアジア市場では日本を追い越している。それにスポーツや他の分野でも日本を追い越し、人口が日本の半分ほどしかないというのに目覚ましい発展ぶりである。これもかつては想像もできなかったほどの変化であろう。

にもかかわらず、安倍政権になってからなぜ日本人は反中、嫌韓に傾斜してしまったのか?要するに、日本人は彼らが発展していることにやきもきして妬んでいるだけではないか?そのように思えてならない。日本人は同じアジア人としてもっと大きな包容力を示すべきではないであろうか?ドイツやイギリスのように、ヨーロッパ全体の利益を考えるというぐらいの度量をもてないものか?むしろ先の戦争で迷惑をかけた隣国の奇跡的な発展を喜ぶぐらいの民度になれないものか?そんな余裕を日本人に求めても到底無理であろうか?

6.米国との信頼関係を崩してしまった罪。戦後の総理大臣の中で米国との関係をこれほど悪くさせた総理大臣はいない。日本人は隣国との関係もあるが、このことも真剣に心配しなければならない時にいまや来ている。民主党の鳩山政権の時代に普天間基地の移転問題で軽はずみな公約をしたために、米国との信頼関係を崩してしまったと盛んに自民党などから批判されていた。しかし現在の安倍内閣はその鳩山政権の時代よりもはるかに日米関係は悪化している。そもそもオバマ大統領は従軍慰安婦問題や露骨な歴史修正主義によって安倍内閣に対して修復できないほどの不信感をもっており、このような日米間の相互不信はかつてなかったことなのである。にもかかわらず、メディアがそれを伝えないために国民はほとんどそれに気づいていないらしいので、なんとか安倍総理も面目を保っているが、しかし今年四月に国賓扱いで来日した際のオバマ大統領の発言や態度はあきらかに安倍内閣に対して不信感を持っていることが窺われた。そのオバマ大統領を国賓として迎えるために、安倍総理は自らの河野談話と村山談話の見直しという政治目標を撤回し、それを継承することをやむをえず約束されたのである。この結果、安倍総理は玉虫色のようなどうとでも解釈できる情けない状態になって二枚舌を使い国民と世界をだまし続けている。これが安倍内閣の実態である。

そういえば一昨日、ニューヨークタイムズが安倍政権の慰安婦問題に対する対応を社説で批判していたらしい。
参考まで:時事タイムズ

7.ドイツ、イギリス、フランスなどのヨーロッパの先進国からも批判され国際的に孤立させた罪。

安倍内閣ほど欧米先進国から完全に見放された総理大臣はいない。先日、行われたAPECKやミャンマーでG20での安倍総理の存在感のなさは可哀想なくらいであった。映っている映像をみるといつも一人ぼっちで、話し相手もなく、写真撮影の時もまるで背後霊のようにしか映っていない。本当に彼は世界中に誰一人よき話し相手がいないんだなと同情せざるを得ない。しかしこれは自らが招いた結果であって、その疎外感は自らでうけるしかないであろう。幸いなことに、ほとんどの国民はまだそのことにきづいていない。メディアが遠慮をして、安倍総理が一人ぼっちだということを強調しないからだ。しかし、彼の評判の悪さはいまや折り紙つき(むしろ札付きというべきか)である。ちなみにabe nationalist で検索をかけると、でるわでるわ、37万件以上もヒットする。もちろんそのすべての記事が日本の安倍総理はナショナリストだと書いているわけではないが、一流の新聞やジャーナリズムの世界では「安倍=ナショナリスト」だというのがいまや通り相場である。これは笑い話ではすまされない。特にアメリカやヨーロッパではナショナリストと言う言葉はもっとも軽蔑され非難される言葉だからである。だからこそ、9月に安倍改造内閣の顔触れが発表された時、アメリカやヨーロッパの新聞社から即座にネオナチや在特会という団体の人物と一緒に映った高市早苗や稲田知美というおバカさんの写真が一斉に報じられたのである。安倍内閣にとっては幸いこのニュースは日本では東京新聞などの地方紙以外ほとんど報道されなかったようであるが、日本人がほとんど気づかないうちに世界中の日本に対する見方がどんどん厳しくなっているという現実はもはや変えられまい(安倍氏が総理を辞めない限りは)。

8.立憲主義から逸脱し集団的自衛権を閣議決定で決め憲法を空文化させた罪。
日本国憲法は明治以来の立憲主義の考え方に基づいている。すなわち明治憲法は天皇が主権者であることを規定しながらも、天皇の地位と権限は憲法によって規定されるという考え方であり、したがって天皇といえども憲法を逸脱して権力を行使することはできないものと定められていた。つまり戦前の天皇は憲法の上に立つ独裁者ではなく、あくまでも憲法に従うべき存在であると規定されていたのである。この憲法至上主義の考え方は戦後の日本国憲法にも引き継がれている。すなわち日本国民の象徴としての天皇の地位は憲法によって定められ、一方、主権は国民にあると定められ、国会や内閣、裁判所のそれぞれの権限も憲法によって定められている。国民の基本的人権も憲法によって定められているのであり、信教の自由や言論、表現の自由なども憲法によって定められている。

このような意味で憲法は為政者をしばるものであり、為政者が憲法の上に立つことはできないという考え方に立つべきものとされている。しかしながら戦前の憲法は天皇に属すると規定されている統帥権を軍部の勝手な解釈によって事実上は軍部が統帥権を握るようになり、これが侵略戦争に発展していった。このような戦前の苦い経験から、憲法を勝手に解釈することは許されてはならないという強い意識が戦後憲法のバックボーンとしてあった。ただし、自衛隊の存在は本来憲法には規定されていないが、いかなる国家でも自衛権は認められるはずだという考え方で合憲であると裁判所も認め、これを合法的に保持するようになった。これがそもそもの解釈改憲のはじまりであるが、しかし、自国の防衛ではなく、他国の防衛の為に自衛隊を送ることは許されるのかという集団的自衛権を認めることは戦後憲法の精神から著しく逸脱するが故に、これは過去のすべての政権において認められなかった。

このような憲法を空文化するに等しい解釈改憲を少数のかなり右寄りに偏った人々の閣議決定によってきめてしまったのだから、これは大変重大な国の方針変更になる。果たしてこの変更は必要なものなのかどうかという問題は難しいが、この決定がなされたあと、もはやこれは机上の論理ではなく、現実のきな臭い状況の中でいかにすればよいのかという状況になってきている。すなわちウクライナやシリアだけでなくイスラム国が聖戦を宣言して世界中でテロ活動を行うことをイスラム戦士たちにすすめている異常な事態になり、日本がこの戦争に参加するということは同時に彼らのテロ活動の標的になることも覚悟しなければならない事態になった。このような事態は安倍総理としても想定外の展開である。今後世界は再び世界戦争の時代に突入してゆく可能性もある。しかし、これからの日本は平和憲法があるから自衛隊は派遣できないという言い訳は通用しないことになり、同盟国のアメリカから求められれば地球上のどこへでも行って戦争に参加しなければならなくなった。このような重大な決定を国民的議論を経ずに自らの独断で軽々しくやったということは立憲主義の根本にそむくものであり、総理大臣の権限を逸脱した独裁政治にも通じるものであるといわねばならない。

※イスラム国問題が深刻化した原因はブッシュ政権時代に起こした大義のないイラク戦争であった。この戦争を肯定したのは小泉政権時代の明らかな誤りであるが、なんと当時の官房長官であった安倍氏は「大量破壊兵器がないことを証明する責任はイラクにあった」としてイラク戦争を正当化しているのである。これについては再び小林よしのり氏の痛烈な批判を参考にされたい。 ゴーマニズム宣言

補足:集団的自衛権によって日本の自衛隊は他国の戦争に参加するようになるのは当然であるにもかかわらず、そのことを決して認めず、米軍の船に乗った日本人を安全に帰国させるために自衛隊が護衛することは集団的自衛権がなければできないなどという事例をパネルを使って説明していたが、このような説明自体がペテンである。集団的自衛権を認めることは明らかに日本の自衛隊が外国の戦争に参加することを意味しているのであり、日本人が外国の戦争で血を流すことを意味しているはずだ。なぜそのような覚悟が必要だということを真面目に説明しないで、お茶を濁すような説明で逃げようとするのか?このような故意に真実を隠蔽する説明でごまかそうとする安倍晋三は自らペテン師であることを証明しているようなものだ。それにしてもアメリカ軍はこのような安倍氏の説明を知ったらどう思うのか心配である。日本人というのは自分たちの命さえ安全であればよいとしか考えない民族なのだろうか?と不信感をもたれても仕方がないのではないか?

9.NHKの経営委員に極右思想のお友達を数人送り込みNHK会長人事にまで手を突っ込んだ罪。
およそ中立であるべきNHKにもっともふさわしくない人物を経営委員に送り込み、番組の編成権や編集権を安倍総理が間接的に操縦できるような体制に変えようとしているのではないかと危惧せざるをえない。それだけではなく安倍総理は読売や産経社長あるいはフジテレビの社長などとも頻繁に会合をしているらしい(そればかりか朝日や毎日の社長とも会合をしているらしい)。一体、彼らはこの日本をどうするつもりなのか、主要な言論機関までまるめこんで自らの独裁体制築こうとしているのか?これに関連して秘密保護法は果たして必要なものかどうかという国民的議論が十分に行われず、これを短期間の間に決めたことは将来において禍根を残す可能性が大であろう。これによって日本の報道の自由にかなり制限がかかったことは間違いなく、これから原発問題や安全保障問題(それどころか安倍政権批判も)に関する取材が自由にできなくなる可能性が強まった。世界180カ国の報道の自由度ランキングというものがこのところ毎年発表されているらしいが、日本は民主党政権時代に11位だったのが、安倍政権になってから59位に下げている。これは韓国や台湾よりも報道の自由度が少なくなったということを意味している。国民はこれでもよいと思っているのであろうか?

10.アベノミクスによって円安を破天荒にすすませた罪。そもそもアベノミクスというのは要するに紙幣をどんどん印刷して大量に流せばそれによって円安が進行し、その差益によって輸出産業が潤えば株価があがるだろうというだけの話である。実際その通りになった。そんな理屈は偉い学者に相談しなくても誰でも分かることだ。株価が上がればみな景気がよくなったと錯覚して、経済は上向くだろう、そうなれば安倍内閣の支持率もますます高くなるだろう、・・・というのが当初の計画であったが、確かに株価は円安に連動してあがってはいるものの、実体経済は決して良くならず、円安だけがどんどん進行してゆくので、物価は跳ね上がり、庶民の生活はどんどん苦しくなってゆく。これがスタグフレーションという最悪の循環である。どうやらその最悪に循環にますます近づいているようだ。それに紙幣を印刷するということは赤字国債をどんどん発行するということである。世界最大の赤字国債を抱える国でいったいどこまでそんなことが許されるのか?ちなみにドイツは赤字国債ゼロで原発もゼロであるが、それでも景気は日本ほど悪くはない。このままどんどん赤字国債を発行し続けて、そのどこかの段階で信用不安が起これば、日本経済は沈没する他にないのだろう。そういえば一年以上も前に世界的な投資家ジム・ロジャーズ氏の次のように警告している。
20年後から現在を振り返った時、安倍首相という人物は、日本経済を破壊するとどめを刺した張本人として語られているに違いありません。日本人は早くそのことに気づくべきではないでしょうか。

ちなみにジム・ロジャース氏は安倍政権化での円安に連動した株価上昇を1年も前から予言しており、「平均株価が27000円を突破しても私は驚かない」ともいっている。つまり、このような異常な株価上昇は日本経済が復活していることを意味しているのではなく、むしろ沈没しつつあることの予兆だということである。

追記:ご存じの方も多いと思うが、総選挙後一部ツイッターの間で話題沸騰していた日テレNEWS ZERO村尾キャスターの安倍総理に対するインタビュー映像が、なぜか「放送コンテンツ適正流通推進協議会」という上部機関によって著作権問題を理由にYOUTUBEから削除されていた。



韓国ではナッツリターンというどうでもいいような話題でにぎわっているが、この安倍総理のインタビュー映像の衝撃はそんな話題よりもある意味はるかに面白いのに、これが政治的な話題であるというだけで日本のマスコミは一切報道もせず関わろうともしないのは、お隣の国に比べても情報公開が制限されている証拠でありなんとも情けない。

この映像を見ていない人に以下若干の説明をしておく。

日テレの村尾キャスターの至極あたりまえの質問(「働く人の70%以上は中小企業に勤めているんですよ。中小企業に賃上げする余裕はあるのですか?」)に対して安倍総理はなんと憮然とした表情でイヤホンをはずし一方的に選挙演説の延長のような自説をまくしたてていたのである。

この映像について詳しく知りたい方は以下のページをみてください。
never まとめ

私はこれほど総理がマスコミの記者にたいして居丈高にふるまうシーンはいまだかつて見た記憶がない。しかもこれは選挙の圧勝が判明した後のインタビューである。そういえば今から40年以上も前に安倍総理の大伯父の佐藤元総理が引退記者会見のときに新聞記者をすべて退席させ、無人のテレビカメラの前で自らの想いを国民に向かって直接語ったという歴史的にも記憶される有名なシーンを覚えているが、この安倍総理のインタビューでの振る舞いはそういった次元の高い話ではない。要するに、このインタビューでわかったのは安倍総理の幼児的ともいえるほどの批判に対する耐性のなさである。この意味では(冗談ではなく!)北朝鮮の金正恩の幼児性を彷彿させる。安倍総理=稀代のペテン師というのは、本当のところ自己中心性からいつまでも脱皮できない幼児的な人物だというほうが正しいのかもしれない。そのような本性が隠しきれずつい露わになった事件である。この事件は今年話題になったさまざまなインタビューシーンの中でも最後を飾る傑作の一つではないか?

ちなみにネットのツイートの中で特におもしろかったのは、西宮市会議員・野々村氏の幼児性と比較していたことである。これは思わず「あたり!」とさけばずにはいられないが、しかし、野々村氏は耳に手を当てて質問に対して聞くふりをしていたのと比較するといずれが幼児的なのか?これは決して笑い話ではない。



本項未定です(12月26日)

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