3.11後・空気の正体

昭和の預言者(故山本七平氏)の視点をかりながら3.11後の日本社会のおかしな空気の正体を解明したいと考えております。特に菅元首相に対する魔女裁判のごとき我々の異常な憎悪を詳しく検証するつもりです。

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衝撃の地震予報 あたらなければよいと願っているが・・・

本年12月29日又は来年1月8日に、琵琶湖周辺域でM8クラスの直下型地震が起こる可能性があるという衝撃的な情報がネットなどで駆け巡っている。その情報の発信者はアマチュアの地震予知研究家でPHP新書「地震予報」の著者としても知られる串田嘉男氏である。私は串田氏については地震予知研究者として今まで名前だけは聞いていたものの、ほとんど何の知識もなかったのだが、先週号の週刊FRIDAYの記事を読んで、これは「ただ事ではない」ということを感じて、早速、串田氏の著書(「地震予報」PHP新書)を取り寄せてみた。

一昨日(29日)ようやく読了したばかりだが、串田式地震予知法に対する認識が深まると共に、今現在、発信されている琵琶湖周辺域(及び関西圏)の直下型地震予報に対して、いたずらに恐怖心をもつのではなく、まだまだ分からない多くの謎があるという串田氏自身の謙虚な認識も踏まえて、冷静に受け止めるべきであると感じている。

まずは串田式地震予知法とはどのようなものかということを簡単に説明しておこう(ただし、本の内容は難解な個所が多くあり満足に理解できたわけでないことはいうまでもないが…)。

串田氏らの研究によると、地震が発生する前兆現象として震源地に近い電離層に異常が現れるという仮説に立っている。同じような電離層の異常を観測して地震予知に生かす方法はいくつかあるようだが、串田氏の方法はFM電波(VHF波)の異常を観測する方法である。ちなみに以前に紹介した電気通信大学教授の早川先生の予知方法はVHF波ではなくVHL波である(念のためVHF波は超短波でありVHL波は逆に超長波である)。

全国のFM放送で使われているVHF波は波長が非常に短いために他の波長の長い電波に比べて大気圏内で反射することが少なく、その結果、遠い場所には伝わりにくい。しかしながら、たまに飛行機や流星群にあたってFM電波が普段は届かない遠隔地へ届くようになることがある。串田氏はもともとアマチュアの天文研究家であり、新彗星の発見などでその分野では世界的にも名の知られた研究者だったが、その彗星の発見に欠かせなかったのがFM電波の受信だったそうである。というのは彗星からこぼれおちる流星が大気圏内に突入すると、FM電波が流星群に衝突し反射して帰ってくるからである。串田氏はその方法を巧みに使って新彗星の発見などに利用していた。

ところがあるとき流星の影響がないにもかかわらず、普段は受信できないはずのFM電波が受信されるという異常現象を検知し、その数日後に地震が起こったというのである。その後、同じような現象を何度も検知して、串田氏はFM電波の観測によって地震の予知が可能になるということを確信するようになった。それ以降、串田氏は自らの施設である八ガ岳の公開天文台でFM電波を観測しながら地震予知研究を続けてきた。串田氏はFM電波の異常を検知するためにペンレコーダーというアナログ装置を作って、自動的にFM電波の異常を紙に記録するシステムを開発している。これによってFM電波の異常観測にはさまざまなパターンがあることが分かっている。飛行機の機体にあたって反射したものや流星群にあたって反射したものは明らかな特徴があり、その他の異常検知、すなわち地震の前兆現象によると考えられるものとは明らかに違っている。しかも、同じ地震の前兆現象によるものだと考えられる異常検知にも多くの複雑なパターンがあり、一定の法則性があることも分かってきた。

kusidasikiyotihou.gif


驚くべきことに通常の地震の起こり方には上の図のような法則があるという。異常電波の観測が始まってから徐々に観測値が極大にいたるが、やがて異常電波が減少していくと、まったく反応のない静穏期になる。地震が発生するのは。必ずその静穏期になってからだという。もちろんその原因は分かっていないが、串田氏は過去の多くの実績から、そのような法則があることを確信したのだという。しかも、過去の実績から「初動」から「極大」そして「静穏期」へのそれぞれを区分する期間が分かれば、地震がだいたいいつ頃起こるのかということが、計算によって求められるという。なぜなら図のa(初動)b(極大)c(前兆終息)d(地震発生)の点の間には図にあげているような数理的法則があるのだという。

したがって地震が発生するのは必ず前兆を観測してから一旦その前兆が終息し静穏期を待たなければならないわけだが、ただし、このような法則に簡単にあてはまらない地震も過去いくつかあったという。通常のパターンのように、前兆が一向に終息せず、異常電波が極大を経て減少化しながら終息する前に再度元に戻って同じような極大化と減少化のパターンを何度も繰り返すという前兆現象が異常なほど長期間にわたって続くという現象である。実は今回串田氏が警告している琵琶湖周辺域の地震発生の前兆は、過去4年間以上にもわたり続いてきた前例のない長さの前兆現象を根拠にしているわけだが、この前兆現象があまりにも長期間にわたっているので、串田氏自身この前兆の終息がいつ頃になるのか、つまり地震がいつ発生するのかということに関して、過去何度も修正を余儀なくされた。

本書(「地震予報」)が出版されたのは今年の9月であるが、同じ前兆がそのはるか4年ほど前から続いていて、いつ頃その前兆が終息し地震が発生するのかということに関してなかなか予測もできなかったが、本の中ではさまざまな計算結果から今年の12月29日頃の発生がもっとも可能性が高いとされていた。しかしながら、そのときになって前兆が終息しなければ、再度、警告日を延長する可能性もあるとされていた。すでに今月12月26日の時点でなお前兆が続いているという串田氏の観測情報が流されており、12月29日に地震発生の可能性という当初の警告はその時点で修正され、次の警告として1月8日頃の発生の可能性という情報に変更されている。

そんないい加減な地震予知は無責任ではないかと思う人もいるだろう。しかし、串田氏は決して何の根拠もなく警告日を変更しているのではなく、たしかな根拠に基づいて変更しているのである。いずれにしても異常な長期にわたる前兆現象が一向に終息せず、今でも続いているということは間違いがなく、それに関して串田氏が嘘をついているとは思えない。もしこの長期前兆が終息してもなお地震が起こらなければ、串田式地震予知法は破たんしているのではないかという批判はできるだろうが、しかし、仮にそうなったとしても串田式地震予知法がまったく根拠がないとは決して言えない。なぜなら、いままでその方式によって完璧な地震予知に成功した例が過去何例かあるからである。

たとえば2008年の6月14日に発生したM7.2の岩手宮城内陸地震がある。この地震は活断層のない地震であり、地震学者に説明を困らせた地震である。ただし串田氏はこの地震の予知に成功したわけではない。実は串田氏はこの地震が起こる前に(今回の警告と同じように)非常に長期間の前兆を観測していたという。その期間は1年以上であった。その長い前兆が終息したのは5月だったという。その終息をもって串田氏は地震発生を6月の17日±3日としたわけだが、推定領域をまちがってしまい関東圏で地震が発生するものと思い込んでいたという。これは彼にとって大きな失敗だったと認めている。それでも地震の規模をM7.1±0.5としていたわけだから、これは必ずしも外したとはいえないだろう。

しかし彼はその失敗から多くのことを学び、次の予知成功に生かそうとした。6月14日の地震のあと、すぐに新たな前兆現象の初動が出現していた。その解析の結果、次の地震は7月24日±に起こることを計算で求めた。地震の規模は6.5±0.5とでていた。今回は推定領域についてもまちがいがないと確信したので、彼は悩みに悩んだあげくに、この警告を自治体に報告しなければならないと考えたようだ。彼は7月21日に推定領域の岩手県~秋田県の各自治体にFAXを送りつけた。

推定発生日は7月23日または24日の可能性、規模はM6.5±0.5の地震。領域は岩手県~秋田県の東北地方という内容だった。事実、7月24日の午前0時26分に地震が発生した。規模はM6.8で、領域は岩手県沿岸北部であった。まさに串田氏の予測とピタリと一致した地震であった。

この一例をもっても、串田氏の予知方式がたしかな根拠のあるものであることが分かるであろう。そのときFAXを送りつけられた岩手県や秋田県は各自治体はその予報の正確さに驚いたことであろう。

話を今現在の串田氏の警告にもどしたい。今現在(12月31日)時点での串田氏の予報は長期前兆が現在を続いており、地震の発生予測は年が明けた1月5日以降になるだろうとされている。もちろん串田氏はこの予報が必ずあたるということをいっているわけではない。前兆はまだまだ継続し、地震の発生は先に延びる可能性もあるということを彼は述べている。ただ、その発生可能性があるという観測データがでている以上は情報を公開する必要があると考えて、雑誌週刊FRIDAYの取材にも応じたのであろう。もちろん私自身はこの予報があたらないことを願っている。しかし仮にあたらなかったとしても、串田氏の努力は決して無駄ではないと確信している。彼の努力はいずれ早かれ遅かれ世界的に認められることになるだろう。ただし、それまでに犠牲が少なければ少ないほどよいと思っているのだが、現状では多くの犠牲を伴わなければ彼の努力も報われることはないのではないかと危惧している。

最後に、この本の終りの方で串田氏が述べている通哭の嘆きの言葉を紹介しておこう。この言葉を聞いて、気象庁の役人や地震学者そしてマスコミ人が一日も早く目を覚ますことを願うばかりである。

17年間、観測研究を続けてきた中で、多くの大きな地震の予測に成功し、地震発生前に地方自治体に地震予報を出し、誤差なく予報が成功したという歴史的成功も、日本のメディアは興味を示さないし、17年間の研究成果の発表の講演開催の通知を各メディアに送っても、新聞社もテレビ局も、誰一人として来ていただけなかった。大学の教授職の方の発表などは大きくニュースになるのに、一般民間人の観測研究などは、この程度の扱いであることがよく分かる。したがって現状では、一般公表することは不可能に近い。(PHP新書「地震予報」P329-330)

補足1
そんなにあたるというなら、3.11の地震を予測できなかったのはなぜか?と誰しも疑問をもつだろう。実は3.11前にも串田氏は30台の受信機のうち2台で異常を検知していたという。しかしながら、これは3.11後にわかったことらしいが、プレート境界型の地震のように沿岸から遠く水深も深い海底で起こる地震の場合は震源域の異常がはるか上空の電離層に影響を与える前に分厚い海水層によってかなり減衰し、少なくともM2以上は規模を大きめに見る必要があるということが後日わかったという。それに対して現在観測中の前兆現象は30台の受信機全部で観測しており、これは間違いなく海底ではなく陸地域で起こる直下型地震の前兆であるとみなすことができるという。

補足2
本日(1月4日)串田氏発表の報告によりますと、本年1月8日頃の大地震の可能性は少なくなったということです。その理由は前兆現象がいまだ継続中であり一台の受信機を除いて終息がみられないためであるとしています。ただし、これで安心というわけではなく(串田理論によると)地震発生は必ず前兆現象が終息してから起こるということになっているので、今後も引き続き前兆現象の推移を見守る必要があるとしています。1月4日午後10時記

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丸坊主文化と日本人の心理構造

一昨日、NHKのニュースウォッチ9でAKBの女の子が丸坊主になって謝罪している異様なYOUTUBEの映像を流しながら、大越キャスターが異例のコメントを漏らしていた。このような話題をニュース番組で放送する価値があるのかどうか分かりませんが、おそらくこのような謝罪の仕方は日本以外では考えられないということ、そして、この話題がいま問題になっている体罰の問題にも通じるという観点もあるということ、…で放送することにしました、というようなことをおっしゃっていた。

これは単に話題の芸能情報というだけではなく、ある意味、今の日本の問題とも重なるので、今回NHKのニュースでも放送されたのは分かるような気がする。しかし、わたしが特に面白いと思ったのは、大越キャスターが「このようなことはおそらく日本以外では考えられない」という発言を敢えてしたことであった。そういえば先日も女子柔道のオリンピック強化をまかせられていた指導者が女子選手から告発されていたという問題にしても、おそらく日本以外では考えられない現象かもしれない。

AKBの彼女があのような形で謝罪をしようと決心したことは、彼女自身のかなり独特な性格もあったのかもしれないが、それよりもあのような謝罪の仕方を彼女に発想させたのは、世界中どこにもない日本文化特有の性格があるということもいえるのではないか?

そもそも謝罪のために丸坊主になるというのはかなり日本的な現象であり、海外ではあまり聞いたことがない。もちろん女性が丸坊主になるというのは日本だけではなく、出家した女性が丸坊主になるという伝統は韓国やその他の仏教国にもあるらしい。しかし、謝罪のために丸坊主になるという伝統(?)はおそらく日本だけではないだろうか?このような伝統がいつ頃からはじまったのか知らないが、かつてテレビやマスコミなどで時々報じられたのは、プロ野球の巨人や阪神が優勝を逃した時に熱狂的ファンのアナウンサーが約束通り丸坊主になって謝るという、どうでもいい儀式(?)が行われていたことがある。

丸坊主というと、われわれの学生時代は中学生から高校生までの男子は丸坊主を強制されていた。今ではそんな伝統は高校野球の球児だけに限られるのかもしれないが、昔は全国の中高生が丸坊主だったのである。ただし、自治体によっては早くから丸坊主の強制を中止した自治体もあったが、われわれの自治体では全国でも比較的遅くまで丸坊主の強制が行われていた地域であった。念のため、これは戦前の話ではなく戦後の話である。実は、われわれの高校時代は丸坊主が是か非かという議論が全国的にも行われていた過渡的時代であり、われわれの高校内でも生徒同士が丸坊主肯定派と否定派に分かれて議論を交わした覚えがある。ただし、当時の管理職の先生たちはほとんどが丸坊主肯定派であったと思う。

余談であるが、われわれの高校時代では体罰というのもあたりまえに行われていた。もちろんすべての先生が体罰を行っていたわけではなく、常習的に体罰を行う先生はほんの2,3人の先生であったが。中でも英語の先生でほとんど毎授業のように生徒を立たしてはビンタをくらわす名物先生がいたことは忘れられない。それは本当に恐怖の時間であった。元プロレスラーの猪木氏がテレビなどで芸能人に闘魂注入とかいってビンタを食らわしている映像がYOUTUBEなどにも保存されているが、その名物先生のビンタの迫力はあんなものではない。その先生の話では若い時は陸軍にいたそうで、戦争中に自ら経験した本物の体罰を生徒たちの教育に生かそうとしたらしい。当時のわれわれの学校の生徒数は1学年600人を超えていたが、おそらくその先生のビンタを経験しなかった生徒はほとんど一人もいなかったのではないかと思うほど、男も女も成績の良い悪いも関係なく、誰もが経験したのではないかと思う。

おそらく、当時は日本全国であのような先生方が何人もいたのだろう。その先生方はすべて戦時の軍国教育の中で育った方々であり、あの名物先生と同じく戦時中の自らの経験を次代にも伝えようとした体罰教師が数多くいたのではないかと思う。しかし、それらの先生方は今では引退又は死去されており、今現在の体罰教師はほとんどすべて戦後生まれであり、自らが戦中派の教師から受けた体罰教育を次代にも伝えようとしているのであろう。いや、現在の体罰教師の大半は、おそらく戦後育ちの体罰教師から受け継がれたものであり、その意味では第三あるいは第四世代なのかもしれない。いずれにしても現在問題になっている体罰教育の根っこにあるのは戦前の軍国教育にあったとみて間違いないだろう。それが果してどのように問題なのかということはあらためて考える機会があれば考えてみたい。

その前に先のAKBの女の子の丸坊主謝罪にもう一度戻って考えてみたい。そもそも丸坊主になって謝罪するという日本文化はいったいどこから来たのであろうか?おそらくそれは戦前ではないだろう。なぜなら戦前では男子の丸坊主というのは当たり前だったので、丸坊主になることで特別に反省の意志を表すとは受け取られなかったであろう。もともと仏教徒が丸坊主になるのは世俗的な諸々の欲から離れ、できるだけ煩悩をさけるという意味合いがあるらしい。したがって、本来、丸坊主になることに謝罪の意味が込められるというのは、ありえない話である。

本来の仏教徒にとって丸坊主になる(すなわち出家する)ということは、その人の一生をかけた問題である。一旦、出家したお坊さんが俗世間に再び戻るということは本来あってはならないことであり、したがって仏教徒のお坊さんが出家して丸坊主になるということは二度と俗世間には戻れないというほどの決意をした者でなければならないので、俗人がそうやすやすと丸坊主になれるはずはないのである。

ところが日本では、いつ頃からか丸坊主になることが仏教徒の出家を意味するものではなくなり、それはもっと実際的な意味合いをもつようになったようである。たとえば丸坊主になることによって散髪が簡単にすませるし、身体の清潔さを保つという効果もあった。また戦争になると髪の毛はできるだけ短い方が活動的であり、いざ取っ組み合いをするとなると髪の毛がない方が有利である。ただし、明治以前の武士はチョンマゲを結うことが武士の誇りであったので、戦争のために丸坊主になるという文化は少なくとも明治以前にはなかったはずだ。明治以降は平民の時代になり徴兵制が施行されることによって、兵士たちは丸坊主になるよう求められたのではないだろうか?また学校でも男子は丸坊主になるのがあたりまえという文化が一般的になっていったのであろう。

戦後はその影響がしばらく続いて、丸坊主文化が中学や高校まで残っていた。ところが、戦前の文化の影響が徐々に薄れてくる時代になると、丸坊主文化はやがて野球など一部のスポーツの間でのみ残ることになった。特に高校野球というスポーツは戦前以来続いている春夏の甲子園大会があり、これは戦前から続く数少ない日本文化の伝統儀式のようなものになっている。甲子園での軍隊の行進を思わせるような規律正しい入場行進やあるいはまた試合の始まりを告げるサイレンの音などは、戦前の文化をそのまま受け継いでおり、それらは日本文化の継続性を確認する意味でも大事な儀式になっているのである。つまり、これらの儀式はある意味で日本教という不思議な宗教共同体の重要な年中行事になっていることが分かる。

以上のように考えると、AKBの女の子の丸坊主の謝罪という異様な行為が「日本以外では決して考えられない」と述べたNHK大越キャスターの発言の意味合いもなんとなく分かってくる。戦後以来、日本特有の丸坊主文化はごくわずかな世界で生き残ってきたのである。それは体罰という不思議な教育方が生き残っているのと同じで、ある種の郷愁のように生き残った戦前の日本文化の名残なのであろう。戦後以来、日本文化は徐々にアメリカ文化に侵食され、戦前の伝統文化を次々に消失していった。戦後、丸坊主になることが反省や謝罪を意味するようになったのは、その本来の伝統を失ったために別の意味を担うようになった一例であろう。

一方で、体罰教育というのも、戦前の文化に対するある種の郷愁のなせるわざでもあり、そこには日本文化の継続性に対する危機感のようなものもあることは否定できない。体罰によって本当に良い教育成果が得られるのかどうかは議論が分れるところであろう。しかし、体罰肯定派はおそらくそんなことよりも、日本文化の継続性に対して危機感をもっているのではないだろうか?体罰教育の是非を問うためには、そのような視点もいれる必要があるのではないか。そしてその視点には、普通の日本人が簡単に考えているよりもはるかに多くの謎が含まれており、また興味深い日本人の心理構造があることは確かなのである。もちろん、そこには[日本人=日本教徒論]という拙論にとっても興味深い問題が蔵していると思われるのであるが。

補足:上に紹介した英語教師の名誉のために付け加えてくが、あの先生のビンタは決して話題の桜の宮高校の先生のリンチ行為のようなものではない。たしかにあの先生のビンタは恐ろしかったが、その回数は必ず1回だったので誰も傷つくことはなく、しかも、特定の人物だけがその被害者になったわけではなく、男も女も成績の良し悪しも関係なく、ほとんど全校生がその体験をさせられているので、その意味では非常に公平な処罰であると感じられ、特にうらみをもったりする生徒もほとんどいなかったのである。

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利己的本能と利他的本能

人間の中には誰でも利己的人間と同時に利他的人間が住んでいるのではないだろうか?たとえば東日本大震災のとき、多くの人々は自分の生命を守ろうとする利己的本能と同時に他人の生命を助けたいという利他的本能のようなものに憑き動かされていたのではあるまいか。あの地獄のような世界の中で日本人が決して冷静さを失わず、礼儀正しい行動や他人を思いやる行動を積極的にとっていたことは世界中に感銘を与えた。あの哲学者のマイケル・サンデルは「日本の人々が表した美徳や精神が世界にとって、大きな意義をもっていた」と述べている。これは単純に日本人を賞賛しているだけの外交辞令ではなく、サンデル氏にとっては哲学的な意味でも人間という種が必ずしも利己的生物ではないということを日本人が証明してくれたということに大変大きな意義があるということを含意しているのであろう。

生物学者のリチャード・ドーキンスによると、すべての生き物は本来利己的な存在であるということが主張されている。彼によると、すべての生き物は自分の遺伝子をより多く次代に残すことだけが、その生存目的なのである。たとえばあらゆる動物のオスがメスの獲得をめぐって互いに争いを演じるのは、自分の遺伝子を残すことが最高の生存目的であるからに他ならない。ただし、生物の中には例外的に利他的行動を行うようにみえる生物もある。それはアリや蜂などの共同生活を営む生物である。彼らの生態は一見、利他的な行動に満ち満ちている。働きアリとか働き蜂はあたかも自分というものをもたずに女王アリや女王蜂に奉仕しているようにみえる。しかしリチャード・ドーキンスによると、これは彼らが他の生物と異なる本能をもつことを意味しているのではなく、実はそのような生態を通じて、彼らもまた自分の遺伝子を次代に残すという生存目的にしたがっているのだとされる。すなわち彼ら働きアリや働き蜂は共同で女王アリや女王蜂に奉仕することによって、自分たちの遺伝子をより確実に次代に残そうとしているだけなのだと説明されるのである。

かつては生物には個体保存の本能と種族保存の本能があるとされていた。それによると、アリや蜂の生態は個体保存本能よりも種族保存本能が強い生物だと考えられていた。しかしドーキンスによると、生物にあるのは個体保存の本能でも種族保存の本能でもなく、ただ自分の遺伝子を次代に残すという本能があるだけであり、その意味ではすべての生物は同じ本能にしたがって生きているのだといえる。

たしかに、このようなドーキンスの説明は面白く、特に動物一般にみられるメスの獲得をめぐって争うオス同士の生存闘争の激しさを非常にうまく説明できると思う。さらに面白いのは、人間の生態においても同じようなことがいえることである。われわれ人間の社会をみても、その生殖にまつわる生態はサルの社会やあるいはアザラシの社会とあまり変わらないのではないか?現代ではごく一部の社会でのみ一夫多妻制が容認されているが、かつて一夫多妻はあらゆる国々の権力者に共通にみられる現象であった。これは旧約聖書の中にもあたり前のように記されているのをみてもよく分かる。旧約聖書中に記された歴代の権力者の多くは好色であり、イスラエル史上最大の権力を誇ったソロモン王に至っては800人以上の側室がいたとされている。ただし、彼は結局その並はずれた好色によって堕落し、神の怒りを招き統一王国を分裂させるという結果になったと記されている。これは日本の権力者においても同様である。徳川時代のように天下大平の世の中になると世の中は必ず好色一辺倒になり、その頂点に位置する権力者はこの世の春を謳歌するかのように多くの女性を側室としてしたがえることになる。

ひと昔前までは「浮気は男の甲斐性」とかいって、金と権力がある男には正妻以外に複数の女をもつことも許されるという風潮があった。だから昔の力のある政治家には必ずといってよいほど妾の存在がいたりしたものだが、最近では例の小沢氏の醜聞以外にはあまり聞かなくなった。それでも小沢氏の醜聞を醜聞とも思わない日本人もいまだに相当数いることだろう。いずれにせよドーキンスの考え方によれば、要するに生物というのは遺伝子を複製するための生存機械に他ならないのであって、男の甲斐性というのも生物の生存本能そのものだということになるのであり、そういう生物学的本能に対しては道徳や倫理という価値観もあまり説得力をもたないかもしれない。

話を元に戻そう。

東日本大震災で示した日本人の行動に対して、哲学者のマイケル・サンデルが賛辞を述べたのは、決して日本人に対する単純な外交辞令ではなく、そこには歴史的に問われた哲学的テーマがあったのである。それは人間という種がドーキンスのいうごとく、単に遺伝子複製のための生存機械にすぎないのかどうかというテーマである。もし人間が単にそういう存在にすぎないのであれば、なぜ日本人は震災の最中に崇高な犠牲的精神を示すことができたのであろうか(?)という疑問が起こるのである。たとえばアメリカ南部で2005年8月に起こったハリケーン・カトリーナの際、略奪や便乗値上げが頻繁に起こったらしいが、日本ではいっさいそういうことは起こらなかった。それでマイケル・サンデルをはじめとするアメリカ人には日本人の礼儀正しさや思いやりのある行動が信じられないほどの印象を与えたというのも分かるような気がする。アメリカは何よりも隣人愛を説くキリスト教国であるはずだが、非キリスト教国の日本人の方がはるかに隣人愛の精神が身に付いているのではないかという、彼らにとっては忸怩たる思いもあっただろう。しかし、同時に彼らにとっては日本人が示した行動によって、人間が本質的に利己的存在であるとは必ずしもいえないのではないかというある種の希望のようなものも同時に彼らは感じたのかもしれない。

この問題についてドーキンス風に答えるとすれば、日本人の社会はアリや蜂の社会と同じように、遺伝的に同質性が強く、その結果、本能的に利他的な行動がとれるのではないかという説明が一応できる。それに対してアメリカ人の社会は遺伝的な異質性が強いため、利己的遺伝子(すなわち自分)を守ろうとする行動が優先されるのではないかという解釈ができる。しかしながら、アメリカ人は元来決して利己的な民族というわけではなく、それはあの震災後、「トモダチ作戦」として最大の援助をしてくれたのが他ならぬアメリカであるということを思い起こせば十分であろう。アメリカ人はときに人の命をなんとも思わない無慈悲な残酷さをいろいろな戦争の場で示すこともあるが、しかし彼らは世界の警察官として自らの命を惜しまない勇敢な人々であるということも忘れてはなるまい。彼らのように力づくで平和を守ろうという意識は、幸か不幸か日本人にはまったくといってよいほどもちあわせない。

アメリカ人が他国との戦争で命を惜しまないのは、自国の権益を維持したいがためであるという解釈はむろんあるだろう。しかし、真珠湾の奇襲攻撃に対して対日戦に立ち上がったときも、ヒトラーの横暴に対して対独参戦を決意したのも、決して自国の権益という観点だけでは説明できないだろう。また第二次大戦後の冷戦体制の中で生じた朝鮮戦争やベトナム戦争などの対共産圏の戦争においても、決して自国の権益を拡大するためとはいえないだろう。あのときアメリカの力がなければ朝鮮半島は完全に共産化されていたし、また日本にもその共産化の流れは波及していたであろうし、もちろん東南アジアはドミノ現象で次々と共産化されたであろう。そうなればこの世界はどうなっていたであろうか?そう考えると、日本人がアメリカ人に比べてより利他的であるとは到底いえないと思う。

はっきりといえることは、日本人は同じ自国民の生命については非常にシンパシーが強く、たとえば海外で日本人の生命が人質にとられて危機に瀕したりすると、マスコミが異様な反応を示すことがあることでも分かる。

かつて南米ペルーのフジモリ政権時、1996年12月17日に反政府革命軍部隊(MRTA)が日本大使館に入り、日本人を中心に人質にとるというテロ事件が発生したのを覚えている方も多いだろう。この事件はしばらくの間、革命部隊(MRTA)とペルー政府の間で人質解放の交渉が続けられていた。しかし、事件発生後半年近くも経過した翌年4月22日(日本時間4月23日)に特殊部隊が秘密裏に掘っていたトンネルから公邸内に突入し電撃的に事件を解決した。この際、人質になっていた72人のうち71人が無事解放され、そのうち日本人は全員無事に解放された。この救出作戦は4月23日の早朝、通常であれば芸能情報ばかり流される朝のワイドショーで異例の生中継がされていた。実はこのときの生中継を中島みゆきが「4.2.3」というタイトルで歌にしているのである。

この歌についてはファンの方ならご存知であろうが、一般にはあまり知られていないと思うので少し説明しておきたい。この「4.2.3」という歌はメロディーのない、ほとんど詩の朗読だけの作品である。この歌は、いろんな意味でとにかく異色の作品である。彼女の怒りを押し殺したような歌いっぷりもそうであるが、そもそも中島みゆきはこの作品で何を語ろうとしているのかということも非常に分かりづらい作品である。そのさわりの部分を引用しておきたい。

この国は危ない
何度でも同じあやまちを繰り返すだろう 平和を望むと言いながらも
日本と名の付いていないものにならば
いくらだって冷たくなれるのだろう
慌てた時に 人は正体を顕すね

あの国の中で事件は終わり
私の中ではこの国への怖れが 黒い炎を吹きはじめた

4.2.3....,,,, 4.2.3.......

※全詩について興味のある人はgooの歌詞を検索してみてください

今思えば、この作品で中島みゆきがいわんとしたのは、次のようなことではなかろうかと思う。すなわち日本人が同じ日本人の命に対してシンパシーを感じること、そのシンパシー自体はもちろん非常に尊いものであろうが、しかし、一方で日本人でない者に対しては極端に無関心になれるわれわれの非常に偏った「隣人愛」というのは、いったい、その本質(正体)はいかなるものなのか?日本人が日本人同士で互いに感じるシンパシーというのは、団結力とか協調性とか思いやりという日本人特有の行動の源泉になっているのだろうと思うが、それは同時にかつての部落差別とか朝鮮人差別のような差別と排除の論理にもなりうる。シンパシーを感じない相手に対しては、いくらでも日本人は冷たくなれるのではないか?中島みゆきが「この国は危ない。何度でも同じあやまちを繰り返すだろう」というのは、そのような意味合いがあるのではなかろうか。

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近畿地方で超巨大地震の可能性?

以前、当ブログで紹介しました八ケ岳南麓天文台で十五年以上にもわたり地震予知研究をされてきた串田氏が、ここ数年間続いてきた琵琶湖周辺域を中心とした異常な前兆現象の一部が終息したという発表をされています。串田氏の経験式によると、前兆現象が完全に終息してから何日かあとに必ず大きな地震が起こるということが主張されています。それによると、現在の前兆現象が予測通りに終息するとすれば、今月(4月)29日前後に大きな地震が近畿圏で起こる可能性が高いとされています。予想される地震の規模はM7.8という超巨大なものです。これは阪神大震災の数十倍のエネルギーをもった地震であるということです。しかも、予想される地震は海洋沖の地震ではなく、阪神の地震と同じように直下型地震であるとされています。これは何かのまちがいであろうと信じたいと思いますが、万が一のためにもこの情報をリンクしておきます。

「正しい情報を探すブログ」
http://ameblo.jp/kennkou1/entry-11513028357.html

なお、串田氏は今年1月の初めから本年4月頃に近畿圏で大きな地震が起こる可能性が高いということを警告していました。串田氏のフォロワーの方々は、4月13日の淡路島のM6の地震はその警告が正しかったことの証明だとかいっておりますが、しかし、串田氏自身は淡路島の地震が以前から警告していたものではないといっています。なぜなら規模があまりに小さいからです。だとすると、これは前震にすぎないのかもしれません。その可能性が万に一でもある以上、われわれは注意した方がよさそうです。

[補足]
ネットを検索していると、非常に気になる情報が昨年初めころから話題になっていたようです。長年、地下水の観測によって地震予知につなげようと独自の地震予知の研究をされている元東大地震研の佃准教授(日本女子大)が、最近(昨年の初めころかららしい)近畿地方で地下水の異常が観測されていることから、(期せずして串田氏の発表と同じく)近畿地方での巨大地震の可能性を発表しているといいます。

参考HP
http://blog.livedoor.jp/chiropocket-earthquake/archives/6349183.html

以前、当ブログでも触れましたが、直下型地震というのは地下水が水素爆発を起こす現象ではないかと私自身は考えていますので、このニュースは非常に気になるところです。一体、近畿地方の地下で何が起こっているのか詳しく教えてくれる方はいないでしょうか?

[補足2]4月21日記
つい先ほど(4月21日午前11時頃)テレビ朝日の「報道ステーション サンデー」の特別企画で「地震と水の因果関係」の研究をされている東京工業大学「火山流体研究センター」の小川康雄教授という方の話が取材されていました。話はわずか2,3分で終わり、お世辞にも精力的な取材であるとはいえませんが、しかしこのような研究をされている教授がいるということを紹介されただけでも救いを感じました。私は以前からテレビ朝日に地震のことで何度か電話をしたことがあり、「水と地震の因果関係」について力説したこともあります。このたび、ようやくマスコミがこの問題に目を向けようとしたことに少しは溜飲を下げました。しかし、番組キャスターの長野智子さんが「この研究はまだ始まったばかりです」といわれていたように、今後の本格的研究こそが求められます。そのためには国や報道機関がこのような分野に光をあてようとしなければなりません。同時に地道に地震予知研究を続ける串田氏や早川教授、森谷教授らの研究にも報道機関が光をあてるべきでしょう。気象庁の役人とアカデミズムの地震学者だけが国の予算を吸い取っているという現状を変えなければ、この国の地震研究はいつまでも迷走するだけであるといわざるをえません。これに関してアカデミズムの垂れ流ししか能のないNHKの偏向した報道姿勢もぜひ改めてもらいたいと思っています。

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ちなみに小川教授の話の内容はおよそ次のようなものでした。9.11後の福島県一帯に頻発する地震多発地帯を調べると、その地下10キロに大きな流体(水)があるということが電磁波の観測によって分かったということです。ただし、東京など大都市の地下はおびただしい電柱などによって電磁波の測定ができないので、なかなか地下水の実態がわからないので、課題があると述べています。

[補足3]4月23日記
一昨日、フジテレビ「Mrサンデー」でも地震予知について取り上げられていました。こちらは非常に精力的といってもよいもので、なんとロシアにまで取材にでかけていました。ロシアの地震学者が近々日本でM9の地震が起こる可能性があるとしていることに関する取材で、その学者の話によれば3.11後、日本国内で観測されている異常な低周波振動がさらなる巨大地震の前兆であるというものです。これに関しては例によって、気象庁はそれは科学的根拠がないとして無視しているそうです。

特筆すべきは、当ブログでも紹介しました早川教授の地震解析ラボがネットの会員らに発表している地震予測情報が大きく取り上げられていたことです。たとえば最近起こった三つの大きな地震(4.13淡路島4.17宮城 4.17三宅島)が、それぞれ事前に予測されていたということが紹介されていました。この情報は私自身も会員ですので確かな報道であることを証言しておきます。ちなみに下の地震予測情報は実際の地震が起こる前に発表されていたものです。

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番組キャスターの宮根氏が現在のところ当たるのは40%程度の確率なので、この種の発表をどうとればよいのか・・・・、と語っておりましたが、たとえ現状40%程度の確率でしかあたっていないとしても、これはすごいことであり、今後、国が全面的にバックアップすればさらなる成果も期待できることでしょう。要は、このような研究をマスコミにも積極的に取り上げてもらい、国民全体で応援してゆくべきだということです。なぜなら、この種の研究はたまたま偶然で当たっているのではなく、はっきりとした科学的根拠をもっていることが明らかだからです。

しかしながらそれにつけても悲しいのは、アカデミズムの学者や気象庁の役人らが早川氏や串田氏の研究をまったく無視しており、これには憤りを通り越して怒りをすら感じます。さらに驚くべきことは、長年串田氏と同様のFM波を使った地震予知の研究を続け、実際に多くの成果をあげてきた北海道大学の森谷博士が大学から圧力がかかりHPの閉鎖にまで至っているといううわさがあることです。いったい、これはどういうことなんでしょうか?大学内外で既得権益を守ろうとする者が圧力をかけているのではないかとさえ勘繰りたくなります。

[補足4]4月25日記
先日、フジテレビ「Mrサンデー」で紹介された地震解析ラボのCS放送がネットでもみれます。

ハザードラボ
http://www.hazardlab.jp/know/news/

この放送の4月12日分のYOUTUBEです。
http://www.youtube.com/watch?v=taEkuOyP1rY

翌日の淡路地震を完全に的中させていることが分かります。

次回の放送更新日は明日(金曜日)になります。

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串田式地震予知方の根拠を推理する

串田氏によると、もう4年ほど近畿圏を中心に異常な前兆現象の観測が続いているそうですが、一向に現象が終息しないために、串田氏の地震発生予測がいままで延長に延長を重ねてきたとされています。先日(13日)の観測では一部の観測装置の終息を確認したために、地震が近いのではないかと心配されましたが、その後も前兆は完全に終息する気配がなく、またまた予測は延長されそうな状況だということです。13日というと淡路で大きな地震があった日ですね。これはいったい何を意味するのでしょうか?

いろいろ考えてみましたが、次のような仮説を立てると簡単に説明できそうな気がしています。まず、議論の前提として「地震とは地下深くで起こる水素爆発である」という仮説を認める必要があります。これは定説の地震学とはまったく異なりますが、この仮説によってのみ地震現象の謎が説明できると考えています(新地震学HP参照)。地震の発生と水の因果関係があることは数々のデータによって証明されています。先日、当ブログでも紹介しましたが、東京工業大学「火山流体研究センター」の小川康雄教授が3.11以降余震が多発している福島県一帯の地下を電磁波で調査したところ、そのあたりの地下10キロぐらいのところに大量の流体(水)が滞留しているという事実を確かめたらしいです。教授によると、この水によって地震が引き起こされているのではないかと考えているようです。

以前にも当ブログで紹介したとおり、地震と水の因果関係はきわめて興味深い事実なのです。たとえばかつてアメリカのデンバーで軍需工場からでる汚染水を処理するために地下3600メートルの井戸を掘り、そこに汚染水を流し込んだところM5クラスの地震が起こり始めたということがありました。これは大変だということで汚染水の流し込みをストップしたところ地震もストップしたそうです。しばらくしてまた汚染水を流し込むと、ふたたび地震が起こり始めたので、これにより地震の発生と水の因果関係はほぼ証明されました。最近でもアメリカでシェールガス発掘のために大量の水を地下に流し込んでいる地域でM5クラスの地震が頻発しているという報告があります。

というわけで、地震と水の因果関係は地震学者も認める明らかな事実なのですが、しかし、今日の地震学者は根本的に間違ったパラダイムにしばられているために「地震とは水素爆発である」という単純明快な仮説がかえりみられることはありません。これはかつての天動説にしばられた専門の天文学者たちが、どうしても地動説を認めようとしなかったのとまったく同じです。

さて、このような仮説にしたがって、昨年来、串田氏の地震発生予測が延長に延長を重ねてきた意味を考えますと、きわめて切迫したある重大な可能性が隠されているような気がしてくるのです。それは次のような可能性です。そもそもなぜ前兆現象(すなわち電離層の異常)が地震の予測と関係があるのかというと、これは雷の発生の例をあげると分かりやすいでしょう。雷が発生するのは地上の分厚い雲に帯電したマイナス電気が地下のプラスの電気を引きよせ、それがあるとき一挙に放電現象を起こすからです。これと同じようなことが地震の場合も起こっていると考えられます。先の仮説によりますと、地震というのは地下に水素ガスが充満した結果起こるのではないかと考えられます。もちろんその水素というのは、元々は水すなわちH2Oから発生するわけですが、このとき水から解離した水素分子はマイナスに帯電します。このマイナスに帯電した水素分子の量が異常なほど多くなると、大気圏の電離層にも影響を与えるようになるのではないでしょうか?

ただし、水素ガスが増えただけではすぐに爆発(すなわち地震)は起こりません。地殻内部の密閉空間で水素爆発が起こるためには必ず水素と酸素の混合比が2;1になるという条件がみたされなければなりません。その条件がみたされないかぎり、爆発は起きないのです。通常の爆発はある一定程度水素ガスが充満すると、必然的に起こるのではないかと思われますが、爆発の条件がなかなかみたされないときには、水素ガスの充満がどんどん進んで時間が経てば経つほどそのエネルギーが大きくなるのではないかと想像されます。

ところで爆発の条件である水素と酸素の混合比が2;1になるということは、何を意味するでしょうか?これは電気的に中和するということを意味しています。したがって水素爆発(すなわち地震)を起こす条件が整うと地殻内部の電気は中和状態となり、その変化は電離層にも反映します。つまり地震が発生する直前には電離層も中和状態となり、したがって串田氏の予想通り、地震が発生する直前には電磁波の異常が観測されなくなる状態(静穏化)になるのではないでしょうか。これが串田氏の発見した経験式の意味ではないかと思われます。

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串田式地震予知方図解


だとすると、もう4年も続く近畿圏内の異常とは何を意味するのでしょうか?これはもしかすると、次のようなことを意味しているのではないでしょうか。すなわち地殻内部の水素と酸素の混合比が爆発を起こす条件がたまたま満たされなかったために、現在までその異常が続いてきたという可能性です。串田氏によると、この異常な期間の長さは地震の規模に関係があると推定されています。たとえば2008年6月14日に発生した岩手内陸地震(M7,2)の場合は約2年半も続いていたそうです。森谷博士の研究でもそうですが、前兆現象が長くなると相対的に地震の規模も大きくなるという相関関係は、以上のような推理が正しいとすればたしかに根拠がありそうです。

ただし、仮にこの仮説が正しいとすると、震源予想域内では、その間、一度も地震が起こっていないはずです。またこの仮説によれば、大地震の起こりやすさは長い期間地震が起こっていない空白内で起こりやすいということがいえると思います(もちろん、これは日本のような地震多発地帯でいえることですが)。

仮にそうだとすると、現在、串田氏が予測している琵琶湖周辺区域内で地震が起こっていないかどうかということを、ぜひ調べる必要があるでしょう。これは気象庁に問い合わせれば分かることですが、もし本当にその通りだとすると、串田氏の予測通り大きな地震が起こるという確率は高いのではないでしょうか?

ところで、先日(13日)淡路で起こったM6の地震と偶然同じ日に串田氏の観測装置の一部が異常を観測しなくなったと報告されていますが、これはいったい何を意味するのでしょうか?もしかすると串田氏が過去4年観測していた異常は、かなりの広域で同時に発生している複数の異常を観測しているのかもしれません。その中の一つが終息したということを意味するのではないでしょうか?仮にそうだとすると、次に大きな地震が起こる地域はある程度限定されてくるのではないかと思われます。ここ数年、一度も地震が発生していない大きな空白地域が近畿圏のどこかにあるとすれば、そこで起こる確率は高くなるのではないでしょうか?地震の規模は串田氏が予測しているほど巨大なものではなく、比較的小規模の地震が別々の地域で複数回に分けて起こる可能性もあります。ただし、それらの地震が連動して起こると、超巨大地震になる可能性もあるでしょう。いずれにしても、串田氏が予測するとおり近い将来、近畿圏(近隣圏も含む)で相当大きな地震が起こることはほぼ間違いがないのではないかと思われます。

補足1
大地震が起こると必ず液状化現象が発生するのは何を意味するのでしょうか?これは水素と酸素が爆発によって化学結合したあとに大量の水が発生するということと無関係ではないような気がします。他にも3.11後に各地で水が地下から噴き出してくる異様な現象がありましたが、これらも爆発後に水素と酸素の化学結合によってできた水と関係があるのではないでしょうか?大きな地震のあと、しばらく余震が続くのも[H2+O⇔H2O]の可逆反応が繰り返されるからではないかと考えられます。

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